2012年3月31日土曜日

絶品の湯を吹上温泉「みどり荘」で味わう

先日、鹿児島県日置市にある吹上温泉に行った。

そこは、日本三大砂丘の一つ「吹上浜」のほど近い山間にある、昔ながらの温泉街である。共同浴場や国民宿舎もあり、鹿児島ならではの生活に身近な温泉がそこにあるのだが、今回宿泊したのは、ちょっと高級な温泉旅館「みどり荘」である。

「旅館」と名前がついてはいても、正直「宿舎」のような温泉宿が多い鹿児島において、このみどり荘は、旅情に溢れたまさに「旅館」である。みどり湖という小さな湖の河畔一周が全て旅館の敷地であり、8室しかない全室離れの部屋からは四季折々の自然が望める。もともと静かな田舎の温泉街ではあるが、世界から隔絶した感すら漂う隠れ家的な旅館だ。

というわけでロケーションは絶好なのだが、本当に一流なのはその泉質である。吹上温泉は「泉質日本一」を謳っているのだが、これが誇大広告ではないことを実感した。ちょっと手を湯に入れただけで、肌がすべすべになってしまう。源泉掛け流しのほのかな硫黄臭の香る湯は、肌触りがよく滑らかであり、湯上がりにはあたかも化粧水をつけたような感じになるのである。

私は自分の肌には何の関心もないが、この泉質は「美人の湯」と言われるだけはある、と唸った。家内も、すっかりこの湯のファンになってしまったようである。疲れが取れるとか、筋肉の痛みに効くとか、体が芯から暖まるとか、温泉にもいろいろあるが、少なくとも肌を洗うという点においては、泉質日本一といってもおかしくはない。

ちなみに、旅館からの説明事項に次のようなことが書いてあった。
●石鹸・シャンプーがないのはなぜ?
良質の天然温泉には垢を洗い落とす成分があり、湯につかるだけで洗浄できるほどです。本来なら何も使用せずに良いのです。
というわけで、私は石鹸もシャンプーも何も使わなかった。それでも湯上がり感はさっぱりで、ちゃんと洗えているらしい。正直、旅館やホテルに置いてある石鹸やシャンプーはあまり好きではないので、これは有り難い。

そして、鹿児島ではここは「高級旅館」の部類に入る施設だと思うが、夕食なしプランであれば1泊1万円を切る価格設定も良心的である。これまでいろいろな温泉に入ったが、「みどり荘」は相当にコストパフォーマンスがよい。入浴のみは500円で、鹿児島の基準では高い方だが、日帰り出来るならば来て絶対に損はない。

なお、みどり荘の創業は昭和5年。元は別荘だったところを改装して開業したようで、斎藤茂吉など文人墨客も多く泊まった宿である。敷地内には随所に歴史を感じさせる文物があり、例えば日本海海戦勝利の記念に東郷平八郎からこの旅館に送られたという砲弾が置かれていたりする。鹿児島の旅館らしく(?)、「おしゃれ」とか「粋」とか「細やかな気遣い」というのはあまりないが、実直で、落ちついていて、何より湯が素晴らしい名宿である。

2012年3月26日月曜日

茶業今昔:茶の栽培にトライしてみたい理由

うちの近所では、このように管理が放棄された茶畑をよく見る。近所にあった製茶工場も2010年に閉鎖されたのだという。私は、いずれ茶の栽培もやってみたいと思っているので、茶業が下火になっているのはちょっと悲しい。

どうして茶業が衰微しているのかというと、その直接的な理由は、茶葉の価格が下がっているからである。統計を見てみると2000年前後をピークにして漸減しており、ピーク時と比べて半値以下になっている茶葉もある。

その減少の背後にあるのは、茶葉の流通・消費の構造の変化である。すなわち、ペットボトル飲料としてのお茶の普及と、自宅用緑茶の消費低迷が挙げられよう。今や茶葉の国内消費量の1/4は、ペットボトル飲料だ。

ペットボトルのお茶が急速に売り上げを伸ばした一方で、それに伴って生産者側が潤ったかというと、そうはなっていない。もちろん、一部にはうまく対応して収益を上げた生産者もいたわけだが、大部分の経営は苦しくなったのだった。なぜなら、ペットボトル用のお茶生産はそれまでと全く違うものが要求されたからである。

それは、年間を通じた供給の安定と、品質の均一さ、低価格であった。これは、従来のお茶生産と真逆である。なぜなら、お茶は新茶が重要視され季節性が強いものであると同時に、産地毎の微妙な違いを楽しむものでもあり、多品種少量の生産・消費が一般的であったからである。そのため、産地毎に味や香りに特徴を出すとともに、いかに特徴ある新茶を高く売るかということに重点を置いた生産・販売の体系が作られてきたのであった。

当地、南さつま市大浦町のお茶栽培は大正期に開始されたものだが、これも通常の八十八夜より1ヶ月早いという「走り新茶」を大阪へ売り込んで盛んになったものだ。これは、当時としては日本一早い新茶だったらしく、一時期は「大浦茶」として世に聞こえたらしい。

しかし、ペットボトルのお茶にとっては、新茶など何の意味もないのである。また、産地毎の特徴に至っては、品質管理上の障害にしかならない。これまでの茶業が依って立ってきたビジネスモデルが一気に裏目に出たのである。そのため茶葉の国内生産量は据え置かれつつ、近年、茶葉の輸入が増えてきている。

そもそも、日本の茶業は輸出産業として発展した。明治から大正にかけての貴重な外貨獲得の手段は、紅茶の輸出だったのである(紅茶と緑茶は製法が違うだけで茶の木は同じ)。古くからの産地ではなかった静岡が茶の一大生産地となったのも、輸出のための海路(横浜港・清水港)に恵まれていたということが大きかった。

戦中戦後は茶業も低迷したが、高度成長期には国内消費が増えたために生産が国内向けに転換されるとともに急速に増産が行われた。茶業にとっては、ある意味でこの時期に負の遺産が形成されたと言ってもよい。お茶の消費増は、嗜好飲料がまだ十分なかった高度経済成長期の一時的な現象だったと考えられるわけで、その時期に作付け面積を拡大させたことは、長期的には過剰生産体質の原因となった。

つまり、「昔の人はお茶をたくさん飲んでいたが、今の若者はあまり飲まない」というのは嘘なのだ。昔、お茶は贅沢な嗜好品であり、庶民はさほど飲んでいたわけではない。お茶をたくさん飲むライフスタイルが形作られたのは、高度経済成長期という割と最近のことなのである。

しかもこの時期、お茶が生活に浸透したのは(茶業界にとって)よかったが、一方でお茶があまりにも身近になりすぎ、飲食店等では「お茶はタダで出てくるもの」という常識が形成されてしまった。これでは、外食産業における茶の消費は期待できないというものである。

そう考えると、最近の茶業の低迷は、長期的なトレンドとしては致し方ない。茶は嗜好品である以上、コーヒーや紅茶、ジュースといった他の嗜好飲料が充実すれば消費量が減るのは当然である。しかも、緑茶は身近になりすぎて、嗜好品としての競争力が低下している。ペットボトルのお茶が普及したことで、お茶の消費量が堅調に推移していることは、茶業にとってはむしろ僥倖といえよう。

今後の日本の茶業をマクロ的に考えると、自宅用煎茶の生産は縮小し高品質化・高価格化を目指す一方、ペットボトル用には省力化・大規模化による均質な茶葉生産体制を形成することが重要だと思う。事実、南九州ではペットボトル用のお茶生産に適応して生産量を伸ばしている産地もある。

また、緑茶をあまりに身近な日常的な飲み物ではなく、本来の嗜好品の地位に戻してやることが必要だし、それが現今の流れでもある。 都市部で流行っている「nana's green tea」とか「祇園辻利」といった店は、嗜好品としてのお茶にはまだまだ可能性があることを示している。なにしろ、米国のスターバックスでも、抹茶ラテは売っているのだ。

そして、こうした店が煎茶ではなく抹茶を売りにしていることは、嗜好品としてのお茶の方向性を示唆している。嗜好品である以上、身近になりすぎた煎茶よりも、プレミアム感がある抹茶が有利なのは当然である。

とすれば、鹿児島県は全国2位のお茶の生産量があるにもかかわらず、なぜか抹茶の生産はほとんど行われていないわけだが、これからは抹茶生産が重要になるかもしれない。私が茶の生産にもトライしてみたいと思うのも、これまで抹茶生産の伝統や蓄積がない鹿児島だからこそ、面白い経営ができるのではないかと思ってのことなのである。

どのように抹茶を生産・販売するかということは工夫が必要だが、いつか、鹿児島産の抹茶を世に問うてみたいと思っている。

2012年3月23日金曜日

郷中教育の聖典、日新公いろは歌

鹿児島県加世田市(合併前)では以前、「いろは歌といぬまきの町 加世田」というキャッチコピーがよく使われていた。この「いろは歌」というのは、「いろはにほへと〜」という歌ではなくて、「島津日新公いろは歌」のことを指す。

日新公(じっしんこう)とは、日新斎と号した島津忠良のことである。島津忠良は「島津家中興の祖」と呼ばれ、戦国時代に島津家による鹿児島統治の基礎を築いた人物。晩年は加世田に隠棲したことから、南薩では郷土にゆかりある偉人として今でも敬慕されている。

島津忠良は領内をよく統治し、深く禅宗に帰依して学問に励むとともに、政治・経済・文化の各面で善政を施したのでその徳は領外にも聞こえたという。「日新公いろは歌」は、忠良が人として生きる道を説いたものであり、後に「郷中教育の聖典」「薩摩論語」と呼ばれたように、約400年にわたって薩摩藩での子弟教育に用いられた。

さて、この「日新公いろは歌」の内容については、47首をずらずらと並べている解説はよくあるのだが、体系的に紹介されているものは見かけないので、この機会にまとめてみる。

そのテーマを大まかに分類すると、儒教(15)、仏教(7)、心の持ちよう(7)、生活習慣(5)、自己啓発(5)、リーダー論(5)、兵法(3)となる(括弧内は歌の数)。通読すると、「心」についての歌が多いということに気づく。自己のありよう、組織の運営、戦争に至るまで、肝要なのは心であることが繰り返し説かれている。日新斎がこの47首に込めたメッセージの一つは、「何事も心次第」ということだ。

次に、それぞれのテーマ毎にいろは歌を私なりに要約してみる。通常はいろは順で紹介されることが多いが、テーマ毎に並べた方が全体を理解しやすい。
■儒教
誠実・正道:苦しくとも正道をゆけ() 身を捨てる覚悟で正しい道を歩め() 誠実にせよ() 義を守れ(
研鑽・修身:寸暇を惜しみ勉学せよ() 人を鑑に研鑽せよ() 礼儀も軽蔑も自分に返ってくる() 過ちはすぐに正せ() 敵こそ自らの先生である() 優れた人と付き合え() 名誉が大事(
組織の秩序:目上の人の話はよく聞け() 私心を捨てて主君に仕えよ() 先祖の祀りと忠孝は大事(
統治論:法令は人民によく説明せよ(

仏教
因果応報:憎しみは何も生まない() 傲慢には報いが来る() 三世の報いを思え(
修身:悪心に身を任せるな() 迷妄を払え(
慈悲:孤独なものを憐れめ() 敵味方関係なく弔え(

心の持ちよう
何事も心次第:世界の見え方は心次第() 貴賤は心にある() 心は見透かされる(
良心:良心に問え() 心を堅持せよ(
慢心するな:技術があっても慢心するな(
覚悟:平時から覚悟を決めよ(

生活習慣
努力:積み重ねが大事() 勉強は夜にするのがよい() 寸暇を惜しめ(
飲酒・生活:酒に目を曇らすな() 足るを知れ(

自己啓発
努力:凡人も偉人も同じ人間だ() 技芸・学問を身につけよ() 安易な道を選ぶな() 安易を選ぶと堕落する(
実践:実践が大事(

リーダー論
人事・信賞必罰:人事は重要だが難しい() アメと鞭が両方必要() 罰は慎重に(
部下を大事に:部下からの批判は役に立つ() 部下を細やかに思いやれ(

兵法
何事も心次第:戦いは戦闘員の数で決まらない() 軍隊の心を一つにすることが重要() 成功も失敗もリーダーの心次第(

こうして全体を眺めて見ると、その教えは普遍的であり、現代にも通用する部分は多い。確かにこの歌は、剛毅木訥で質実剛健な薩摩の気風の醸成に一役かったのかもしれない。だが、そうして修養に努めた歴代藩主や武士たちのしたことと言えば、全国的にも苛烈な農民支配だった。

いくら聖賢の道を説いたところで、結局、島津家支配の歴史は農民にとっては苦しみの歴史だったのであり、 島津忠良自身は善政をしいたのだとしても、その教えは後の世の農民には虚しかった。日新公いろは歌の基調は儒教であるが、儒教による統治の理想は、天子の徳に人民がなびき、統治されていること自体忘れてしまうという「鼓腹撃壌」の状態にあるわけで、薩摩藩の実際の統治は、その理想とはほど遠かった。

まさに、薩摩の支配階級は、このいろは歌の冒頭「い」の歌に学ぶべきだったのである。
いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし

(大意)昔の賢者の教えを聞いたり、それを教えたりしても、自分が実践しなければ何の意味もない。

【参考】
各首のリンク先は「エモダカフ日記」さんによる解説である。全て読んだわけではなく、私の解釈と違う点もあると思うが、 このように一首ごとに解説・コメントがある紹介は稀有なので紹介する次第である。
なお、各首のテーマ分類は(言うまでもないが)私の独断である。

2012年3月21日水曜日

雑草という奥深い世界

今日はポンカン園の草刈りをした。半日使って、できたのは1/4程度(約350 ㎡)。もう少し効率を上げなくてはならない。

ところで、草刈りをしていて気づいたことがある。それは、思った以上に雑草の植生が変化に富んでいるということだ。簡単に言えば、場所によって生えている雑草が違う。同じ園内なので、気温や雨量などの基本条件は共有しているわけだが、日当たりや管理の微妙な違いによって優勢な種類が異なっているのだ。

残念ながら、雑草の知識が薄弱なので何が生えているのかよくわからないのだが、マメ科植物が生えているところもあれば、イネ科らしき植物が生えていたり、本当にたった数メートル離れるだけで雑草の様相ががらっと変わる。

雑草は、全体としては根絶できないやっかいな存在ではあっても、個々の植物は、実は思っている以上にフラジャイルなのかもしれない。つまり、環境の微妙な変化で他の植物に取って代わられる、過酷な競争が雑草間にあり、雑草の栄枯盛衰は意外に激しいのではないだろうか。

とすれば、雑草の様相をつぶさに観察すると、土壌や日当たりについていろいろなことが分かりそうな気がしてきた。「雑草学(Weed Science)」という学問があるくらいなので、当たり前といえば当たり前なのだが。

雑草の世界が環境の変化に敏感だとしたら、ちょっと意外だ。植生遷移の最終的な平衡状態である極相においては、単一種が優勢な地位を確立することが多い。例えば、白神山地のブナ林とか、屋久島のスギ林とか、古い森は唯一の優勢種を中心にして植生が構成されている。山の土壌や日当たりは一様でないにもかかわらず、樹木に関しては総体として優勢な種が一つに決まるということを考えると、どうして雑草が微妙な環境の変化を敏感に反映するのか不思議である。同じような環境の下で生育しているので、普通に考えれば園全体が似たような雑草植生になりそうなものだが…。

ともかく、改めて雑草の知識が薄弱なことが悔やまれる。栽培植物と同様に、雑草にも実は奥深い世界があるのだと思う。農業とは直接関係ないと思うが、以前からずっと気になっていた『柳宗民の雑草ノオト』を是非読んでみたい。

2012年3月20日火曜日

果樹の無農薬栽培は難しい

昨日、初めてポンカン園に薬剤散布を行った。動力噴霧器という機械を使って、水に薄めた薬剤をホースで噴射するという作業である。ポンカン作りの指導を受けているSさんという先輩農家に教えてもらいながらの作業だった。

散布したのは、デランフロアブルコサイドDFという薬剤。これらはカンキツがよく冒されるかいよう病黒点病そうか病炭疽病といった病気の原因となる細菌を消毒するものである。1時間半ほどの散布だったが、やはり飛沫が自分にも掛かるので、気分悪くなってしまった。

自分としては、いずれ無農薬栽培をしてみたいと思うが、栽培1年目なのでとりあえず農協の防除歴に従った基本のやり方でやっている。そもそも、果樹の無農薬栽培は、農業技術としては難しい部類に入る。

野菜の無農薬栽培は、簡単ではないにしろある程度の方法論が確立されているため、やってやれないことはない。しかし、果樹のような永年作物の無農薬栽培は、まだ一般的ではないためどうしたらいいのか私もよく分からない。

なぜ果樹の無農薬栽培が難しいかというと、第1に栽培場所が固定されていることが挙げられる。野菜であれば、土壌や周囲に病害虫が固定化しないように転作することが容易であるが、果樹ではそのようなことは不可能である。だから、一度病害虫が圃場に侵入してしまうと、薬剤を使わなければ駆除は難しい。

第2に、病害虫によって枯れてしまうと、損失が大きいということもある。野菜であれば、仮に害虫によってその年の野菜が全滅しても、来年また作ればよい。しかし、果樹の場合、一度全滅すればまた苗から育てなくてはならず、リスクが大きい。

しかも、一般的に、無農薬栽培できるところと、そもそも無理なところがあるため、どこでも無農薬栽培にトライできるというわけでもない。例えば、通常の農薬を使った圃場が隣接していれば、隣接の薬剤散布により益虫なども防除されやすいし、また病害虫も相互に進出してしまう。無農薬栽培しやすいのは、病害虫が近隣から進出されないような孤立したところで、しかも山間でないようなところ(山間だと、山から通常とは別の害虫などが来るため)である。しかし、こんな条件を満たし、かつ栽培に適したところはあまりない。特に産地であればそうである。

だから、不可能といわれたリンゴの無農薬栽培で話題になった『奇跡のリンゴ』が「奇跡」なのも大げさではない。といっても、カンキツの場合は無農薬栽培をやっている人がいないわけではないので、リンゴのようには難しくはないのだと思う。

とはいえ、借りているポンカン園で無農薬栽培にトライするのはやはりリスクが大きい。もし枯らしてしまった場合、どういうことになるのだろうか。栽培を辞める予定だったところといっても、資産価値はゼロではないので、やはり遠慮してしまう。

ところで、永年作物でも無農薬栽培が当たり前、というか農薬を使う必要が全くない作物がある。それは、タケノコである。竹にはほぼ病害虫の被害がないのである。竹というのは、つくづく強い植物だと思う。

2012年3月19日月曜日

カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであるということ

先日、大浦町で生産されているカンキツはマイナーなものばかりだ、という記事を書いたのだが、逆にメジャーなカンキツとはどんなものか考えてみた。手元にちゃんとした統計資料がないので主観であるが、消費量から考えてメジャーなカンキツというと、温州ミカングレープフルーツ柚子オレンジレモンイヨカン夏ミカンというところだろうか。

さて、こうして並べてみて気づくことは、あまり甘い果物がないことである。もちろん、温州ミカンは甘いが、これは我が国で約500年もの歴史がある果物だし、種もなく、果実の大きさも適当で皮も剝きやすいという、ほぼ欠点らしい欠点のない優れた果物であるので別格だろう。その他については、香りを楽しむ柚子を筆頭に、酸味を付けるレモン、酸っぱさを楽しむグレープフルーツや夏ミカンなど、オレンジとイヨカン以外は甘さではない味覚・香りが主体の果物と言える。

つまり、温州ミカン以外のメジャーなカンキツは、甘さよりも、酸っぱさや香りを楽しむものとなっているのだ。そもそもカンキツは、柚子、ダイダイ、カボス、スダチ、シークヮーサー、ライムなど料理やお酒にアクセントを付けるための利用が非常に多い。カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであると言い切ってもいいと思う。

近年、品種改良によりデコポンなどの甘味の強いカンキツが生み出されているが、そのように考えると、甘味をプッシュする戦略は、カンキツ生産地にとって必ずしもよいものではないのかもしれない。甘いものが食べたければ、ケーキでもチョコレートでも、カンキツの及ばないほど甘いものがたくさんあり、甘味でこれらに勝負することはできない。消費者の側としても、「甘いものが食べたくてカンキツの果実に手を伸ばす」という人は、いないのではないか。むしろ、人々がカンキツに求めているものは清涼感である、と私は思う。

カンキツ産直の市場に行くと、どこでも甘さを売りものにしているのであるが、食糧事情が厳しかった戦後ならばいざ知らず、甘味が溢れている現代において、カンキツが甘味で勝負していくことが難しいのは自明である。むしろ、カンキツ本来の強みである酸味や香りをアピールしていくことが、これからの有効な戦略なのではないか。

だからこそ、私はポンカンには将来性があると思うのである。強い甘さはないが、甘さと酸っぱさのバランスがよく、独特の芳香を有するというポンカンは、カンキツのまさに王道をゆく存在といえよう。

とはいえ、実際にカンキツを食べていると、やはり甘いものがよいのは当然である。酸っぱさをおいしさと感じるバランスは非常に微妙なので、甘い果実を作る方が無難なのは確かだ。周りの方からも「ポンカンなんて流行らないから、デコポンを作った方がよい」と言われるが、甘さと酸っぱさのバランスのおいしさを確立できたなら、ポンカンも多くの人に受け入れられる果物ではないだろうか。

2012年3月18日日曜日

規格外のポンカンで加工品を作りたい

これは、1月のポンカン園の様子である。たくさんのポンカンが落ちているが、これは、自然に落ちたものではない。商品にならない果実を、全て落としてしまった場面なのである。もちろん、普通はこんなに廃棄しないのだが、このポンカン園は生産を停止する予定であったために手入れを簡略化しており、廃棄が大量に生じたのだ。栽培を辞める予定だったところなので、私のような素人に貸してくれたわけである。

というわけで、今年は普通より相当多い量のポンカンが廃棄されたが、一般的に、一次産業の食品廃棄はかなり多い(と思う)。食品の廃棄というと、コンビニなど小売りでの廃棄が問題視されがちであるが、実際は消費者の手元に至るまでの様々な段階で廃棄は生じているのであり、目につく小売りでの廃棄のみを悪者視するのはおかしい。

農業において、生産物の廃棄が生じる原因は主に2つある。

第1に、豊作すぎて農産物の価格が暴落し、出荷するコストより生産物の価格が安くなってしまう場合。これは、ある意味ではやむを得ない。生鮮食料品は保存しにくく、消費量には限界があるため、消費量以上に収穫された農産物は、たとえ現場で廃棄しなかったとしても、どの道どこかで処分せざるをえないからだ。

第2に、収穫物が規格外のものだった場合。流通をスムーズにするためには、生産物の規格化は必須であるが、規格化によって、必然的に「規格外商品」が生じる。曲がったキュウリ、二股になった大根などだ。見た目だけでなく、味でも規格外は生じる。果実で糖度が足りない場合などがそれに当たる。

第1の場合は仕方ないとして、第2の場合ができるだけないように生産者は努力しなければならない。私も、今年はできるだけポンカンの廃棄がないように努力していきたいと思う。しかし、第2の場合は流通の問題でもあるので、ぜひ流通側においてもロスが少なくなるように工夫してもらいたいと思うところである。

また、規格外を減らすといっても、自然のものだから一定の割合でどうしても規格外になってしまう。それを廃棄せずに生かすためには、加工品を生産するのが一般的だ。加工品なら、原材料の見た目が悪くてもあまり関係ない。だから、果実では規格外のものはよくジュースやジャムの原料になる。

現在、大浦町でのポンカンの加工品に、これと言って目立ったものはない。もちろんないわけではないけれども、際だった商品はないと言わざるを得ない。ポンカンは加工に向いていると言われており、各地でもいろいろな商品化がなされているが、特に人気商品となっているような有名な商品はないようだ。

もしかしたら、「果物はそのまま食べてもらうのが一番で、加工品は余り物を処分するための次善の策」という考えがどこかにあって、果物の加工食品作りが盛んにならなかったのかもしれない。しかし、鹿児島のような大消費地から離れたところにある生産地では、食品を加工し、重量や嵩を減らしてから輸送することは、規格外生産物の有無にかかわらず重要なことである。

私は自分で生産することだけでなく、今ある資源をどう生かしていくか、ということに強い興味がある。だから、来年は収穫されたポンカンを使って、何か加工食品を作ってみたい。もちろん、すぐに商品化云々というわけではないけれども、ポンカンのうまい加工法を探りたいと思う。

2012年3月16日金曜日

キンカン、タンカン、ポンカン、デコポン

雨の中、タンカンの剪定をやっていたのだが、ちょっと降雨が激しいので中断して帰ってきた。私はポンカン園を借り受けたのだが、その1/3ほどは実はタンカンである。個人的に、タンカンはあまり好きではないのだが、混植されており分けることはできないので一緒に管理しているのである。

南薩地方は、カンキツ(柑橘類)の栽培が盛んなところである。カンキツの原産はインドや中国南部が多く南国的な果物であり、日本での適地は南西諸島、九州南部、四国、紀伊半島、伊豆半島といった暖地に限られる。だから、南薩のカンキツは地の利を生かした特産物といえよう。南さつま市にも「津貫みかん」「大浦ポンカン」といった地方ブランドが存在しているが、これらは正直、広く認知されているとは言えない。そもそも、一般的にはミカンとポンカンの味の違いを想起できる方が少数派だ。

私の住む南さつま市大浦町では、主に4種類のカンキツが栽培されている。地元の人間にとっては全く違うカンキツだが、外からは「ミカン類」と一緒くたにされ、その違いを敢えて説明されることも少ないと思うので、この機会にまとめてみたい。小さい方から並べる。

キンカン
旬は1月〜3月。ゴルフボールより小さい。皮ごと食べる。そのままでも美味しいが、飽きるので甘煮にして食べることが多い。私は、甘煮にしたキンカン汁を生姜湯で割って飲む「キンカンジンジャー」が好物で、このところ毎日飲んでいる。いつか商品化したいくらいである。

タンカン
旬は2月〜3月。テニスボールより少し小さい感じ。ポンカンとネーブルオレンジの自然交雑種。甘みが強く美味しいが、皮が剝きにくいという(私にとっての)致命的欠点がある。屋久島が産地として有名で、「世界遺産の島のタンカン」という殺し文句にはどこも勝てない気がする。

ポンカン
旬は12月〜1月。ちょうどテニスボールくらい。4種の中で唯一、お歳暮商戦に参加できるカンキツ。甘さと酸っぱさのバランスがよく、上品。また、独特の芳香があり加工にも適している。もちろんそのまま食べても美味しく、皮も剝きやすい。

デコポン
旬は3月〜5月。ソフトボールより大きく、果梗部のデコが特徴的。本当の品種名は「不知火(しらぬい)」で、デコポンはブランド名。非常に甘く、大玉で、ジューシー。良果は1個500円ほどもする高級カンキツである。

こうしてカンキツ4種類を並べてみると、その全てが全国的にはマイナーな存在であることに気づかされる。それは、弱みでもあるし強みでもある。一般的に食べる習慣がない果物を広く販売していくのは困難であるが、逆に言えば開拓されていない市場がまだ存在するということでもある。さらに、これらはマイナーとはいえオンリーワンの特産物ではなく、九州・四国に競争者がいるわけなので、マイナーの中でも特色を出していく必要もある。

これは、一介の零細農家(しかも初心者)の考えるべき問題ではないが、新参者ならばこそ着想できることもあると思うので、追って考えていきたい。

2012年3月14日水曜日

鹿児島県民こそ読むべき『ぼくの鹿児島案内。』

この本『BE A GOOD NEIGHBOR ぼくの鹿児島案内。』は、いわゆる観光案内ではない。編著者である岡本 仁氏が、鹿児島での仕事の合間に出会った素敵なモノについて紹介したエッセイである。

紹介されるものはどれも、観光名所や鹿児島県民イチオシのものではない。むしろ、地元の人達が見過ごしてきた、何気ないもの、どこにでもあるもの、ある意味では田舎くさいものである。

しかし、岡本氏の感性を通して見ると、それが大都会にはない、地に足を下ろした、本当に素敵なものだったことに気づかされる。この本には、私の知らなかった鹿児島を発見させてもらった

都会には、おしゃれな場所がたくさんある。お金を掛ければ、ある程度優れたデザインの、居心地のよい空間はすぐに造りあげることができるだろう。しかし、いろいろな偶然と人間の試行錯誤を経た、地元の歴史と文化に根ざしたものは、お金を掛けても作ることはできない。それは、地元に生きる人間の、人生の上に造りあげられたものだからだ。

そういう素晴らしいものは、鹿児島だけでなく、どんな田舎にも存在すると思う。私は、つまらない田舎なんてないと思っている。数千年前から、この列島のそこかしこに人間が棲みついてきたのであり、いろんな人生が日本中のあらゆるところで展開してきたのである。

だから、鹿児島が他の地域に比べて特に素晴らしい、ということは言えない。とはいえ、鹿児島は九州の中でも独特の気候風土を持ち、古代からの歴史と文物、中央からの地理的遠さなども相まって、外から見てみると、非常に興味深い地域であることは間違いない。鹿児島にすっかりハマってしまった岡本氏の出身が北海道であることは示唆的である。

しかし、その興味深さ、独特さ、素敵さを、しばしば地元の人間は気づかない。それが当たり前だと思い込んでしまう。だから、こうして外の人からその価値を指摘してもらうことは重要だ。この本は、鹿児島観光を考えている人にはあまり役に立たないかもしれない(紹介されている場所が、ちょっと観光の目的地にはならなそうなところが多い)が、むしろ鹿児島の地元の人間こそ読むべきである。

そうすればきっと、鹿児島にある素晴らしいものが再認識できると思う。もちろん、これは岡本氏が思った素晴らしさなので、その全てを読者が素晴らしいと思うかは別だ。岡本氏は、仕事柄かデザインや見た目の面白さに惹かれる部分が多いので、それだけが鹿児島の面白さじゃない、と思う人もいるだろう。でも、これは「ぼくの鹿児島案内」なのだ。十分に主観性が発揮されてよい。百人百様の「ぼくの鹿児島案内」が出来ると思うし、私自身、いずれ自分なりの鹿児島案内を作りたいと思う。

さて、2012年1月に、この続編『BE A GOOD NEIGHBOR 続・ぼくの鹿児島案内。』が発売された。それを、今日買ってきたのである。今度は、どんな発見があるだろうか。

2012年3月13日火曜日

雑木・雑草調べにいい図鑑はありませんか?

祖父の代には田んぼだったところが、すっかり荒蕪地になってしまったので、今開墾をしている。面積は1反5瀬(約1500㎡)ほどで、山間にあり農業機械が入れないという条件の悪いところなので、こうして荒れてしまったのは仕方ないことだと思うが、改めて活用方法を考えていきたい。

我が家はあまり農地を持っていない方だが、畑作であれば、このような開墾をしなくても周囲に借りられる土地がたくさんある。高齢化等で耕作を辞める方が多いので、もっとよい条件の、活用されていない土地が余っているのだ。

だから、開墾の目的は畑作ではない。ここが利用できるようになったら、木を植えたいと思う。借りた土地にも木を植えられないことはないが、やはり樹木は長期的に考えて自分の土地にある方がいい。

現代的な水稲栽培においては、農業機械が入れないことは致命的であるが、この土地は日当たり良好で日照時間も長く、さらに隣に小川があって水が豊かであり、果樹生育には適していると考えられるので、荒蕪地にしておくのはもったいない。

今のところ考えているのは、(シキミ)とアボカドである。樒は仏事に用いる木であるが、木全体に毒性があるため、猪や鹿の害を受けない。山間にある土地なので、山側には樒を植えて害獣よけにしたい。アボカドは、妻の思いつきであるが、国産のものがまだあまり流通していない状態ということなので、収益が期待できる。

そういうわけで、山のように繁茂した木や草をひたすら刈っているのだが、ひとつ気になることがある。それは、もしかしたら有用な木や草も除去しているのではないかということだ。そもそも、私は植物の知識が浅く、雑木や雑草と呼ばれる植物の名前すら分からないものが多いのである。どれが有用かなど分かりようもない。

本当は、せめてその植物の名前くらい分かってから切りたいと思う。それが、植物への最低限の礼儀だという気がする。我が家には植物図鑑一つないので、ぜひ有用な図鑑を購入したいのだが、図書館などで見ても、なかなか「これは使える!」という図鑑が見当たらない。雑木や雑草を調べるのにいい図鑑はないものだろうか。

2012年3月12日月曜日

電機メーカーは素敵なデザインの電力量計を作るべき

移住にあたって、曾祖父が建てた築約百年の古民家をちょっと改装したのだが、電気については、もともと10アンペアしか来ていなかったし、中の配電も相当古くなっていたので全部取り替えた。

当然、電力量計(いわゆる「電気メーター」)も取り替えたのだが、ほとんど取り替えたのがわからないくらい、オールドファッションなものがついている。

どうして、電力量計というのは、数十年前から形が変わっていないのだろう。この数十年間、電力量計にほとんど何のイノベーションも起こっていないというのはかなり不思議である。

もちろん、業務用のものには、時間あたりの最大電力を記録するというようなデジタル式のものがあり、また小型のものもあるらしいが、家庭用はほとんどこの昔ながらのアナログ式電力量計である。大きいし、不格好だし、見た目がよろしくない。

このようなレトロなものが生き残っている最大の理由は、価格だという。デジタル式のものは基盤の寿命が短いため、数十年はもたない。一方で、アナログ式のものはもとが安い上に部品を交換して数十年使える。さらに、アナログ式は不正がしにくく、精度もいいという。

しかし、電力量計の進歩が遅々として進まない最大の原因は、電力量計の製造が規制産業であることにあると思う。電力量計は法律に基づいて正しい計測を行うため、日本電気計器検定所という特別な法人による認可が必要である。この法人は以前は特殊法人だったが、今は「特別民間法人」となっている。これは、法律に基づく民間の法人で、民だか官だかよくわからない曖昧な存在だ。

業界と経産省との癒着がどうだとかいうつもりはないが、少なくとも、規制する方にイノベーションがないので製品にもイノベーションが起こらず、さらに参入障壁が高かったことが製品の進歩を阻害したのだと思う。

しかし、電力量計に技術的なイノベーションが起こらなかったことは、あまり気にならない。電力を正確に計測できれば、多少オールドファッションでもいいと思う。むしろ、デザイン的に進歩しなかったことが残念だ。外からよく見えるところに設置するものだし、大きいし、できれば見た目のよいものの方がいいというのが人情だ。にも関わらず、灰色以外の筐体の電力量計は見たことがないし、形も数十年間変わっていないにしては全く洗練されていない。

いつも目にするものだから、電機メーカーは素敵なデザインの電力量計を作るべきだと思う。例えば、日本家屋、特に古民家の雰囲気に合うものを作って欲しいし、逆に欧風のものがあってもよい。国全体の、こういう何気ないところに美しいデザインが見られるかどうかで、文化や生活の程度が推し量れるのではないだろうか。

生活に身近な山をどう生かすか

荒れ果てた山林
うちは、小さいながらも山林を所有している。祖父の時代、その山林にはポンカンや有用木が植えられていたらしいが、今では荒れ地と化し、蔓植物がはびこり、見るも無惨な様相になっている。当然、ポンカンなど全て枯れてしまっている。

今では林地の外からは全く分からないのだが、そこは段々畑状に整地され、崩れやすい要所には石垣が組んである。祖父か、曾祖父の頃に整備されたものだろう。大正か昭和初期の頃ということになる。人力でこのような整備をする労苦はいかばかりかと思うが、それがすっかりと荒れ果てている様子を見ると、ご先祖達はさぞ残念だろう。

この地方の実情はよく分からないが、基本的には薩摩藩では農民の土地私有が一切認められていなかった。土地は全て藩主(島津家)のものという原則があり、農民はその一時的な利用権を付与されていたに過ぎない。農地に至っては、土地に対する愛着を湧かせぬよう、一定期間ごとに場所替えが行われるという徹底ぶりであった。山林についても同様で、共力山(きょうりょくやま)という農民共有林はあったが、私有林は存在しなかったのである。

だから、明治維新後、自分の農地・山林を所有できるようになったということは、鹿児島の農民にとって非常に大きなことだっただろう。それまでの常識では考えられないほど、土地に愛着を持って管理したと思う。だから、狭い面積の山林を、段々畑にし、石垣を組むという労を執る気にもなったのだろう。造林は数十年単位の仕事であり、私有林でなくてはやる気の起こらない仕事である。自分の代ではものにならなくても、子孫のために汗を流すのだ。

さて、この荒れ放題になった山林をどうするか、が目下の課題である。私は、この山をどうにかするために、鹿児島へ帰郷したと言っても過言ではないのである。日本の山林が抱えている問題は数多いが、人工林(スギ林、ヒノキ林)に関してはほぼ答えが出ている。つまり、健全な林業を振興していくことが重要であるということだ。では、所謂「里山」と呼ばれる雑木林はどうだろうか?

管見の限りでは、日本の雑木林をどうしていくかという、明確な方向性はまだ誰も出せていない。具体的な利益はなくても「心のふるさと」として維持していくべきだ、という人もいれば、管理しても意味(収益)がないので、伐採して人工林にするのがよいという人もいる。どちらも頷けるけれども、私はまだどちらの立場にもなれない。

私は、雑木林のような生活に身近な山林をどうしていくか、ということをじっくり考えてみたい。今のところの考えは、こういった身近な山林は、物質循環の要として雑木林のまま生かすべきというものだ。しかしそのためには、それに見合った収益が上がらなくてはならない。具体的に言えば、山の幸(山菜とか)を売るなりして、山林から儲けがなくてはならない。とすれば、私がとりあえずやるべきなのは、そういった収益が上がるようなビジネスモデル=山林経営モデルを作るということになる。

周りの人からは、「山は、どうせ金と手がかかるばかりでなんにもならないから放っておけ」と忠告されるが、取り組み甲斐のある課題だと思っている。

2012年3月7日水曜日

【画像注意】漢方薬にもなるゴキブリ界のウォンバット、サツマゴキブリ

こいつは、サツマゴキブリというやつである。家の外に死骸が落ちていた。このあたりで農作業をしていると、見ない日はないというほどよく見かける。

南薩の方では、一般的なゴキブリよりもこのサツマゴキブリをよく見る。サツマゴキブリは、九州南部、四国、南西諸島など暖地にしか棲息しないゴキブリであるが、近年は温暖化の影響か和歌山や静岡にも進出しているという。とはいえ、本州の人はほとんど見たことのないゴキブリであろう。

サツマゴキブリの著しい特徴は、羽が全く退化してしまって存在しないこと。また、生殖方法が特殊で、一度排出した卵鞘を体内のポケット状の器官に引き込んで体内保護し孵化させるということである(※1)。まるで有袋類のようで、いわば、ゴキブリ界のウォンバットである。

人家でも頻繁に見かけるが、もともとが森林に住んでいる種類ということで、一般的なゴキブリよりも素早くなく、攻撃性も低い。ゆったりと歩く姿に「愛らしい!」と感じる奇特な人もいて、ペットとしても飼われる。ネットを見ると、10匹1000円くらいが相場のようだ。「出来損ないの三葉虫みたいで、古代ロマンを感じる」というコメントも見られるが、実際は、羽がある普通のゴキブリの方が古い形態らしい。

また、サツマゴキブリの雌を乾燥させたものは、「䗪虫(シャチュウ※2)」という漢方薬になり、血液凝固抑制剤、すなわち血の巡りをよくする薬である。日本では医薬品としての許可が下りていないらしいが、ネットを検索すると普通に売っている

ゴキブリは、害虫としては気持ち悪いが、非常に興味深い生物である。体内に特殊な細菌が共生していて、必要とする栄養素が極端に少ない。シロアリ(これは真社会性を獲得したゴキブリのこと)に至っては、多くの生物にとっては栄養にならない木質セルロースだけで生きられるという究極の省エネを成し遂げている。

私は、別にゴキブリは好きではないが、サツマゴキブリをよくみかけるので、俄然この生物に興味が湧いてきた。どうして羽が退化してしまったのか、どうして一度排出した卵鞘を改めて取り込むという特殊な繁殖形態を進化させたのか。気になるので、暇があればちょっと調べてみたい。


※1 これは、いわゆる「卵胎生」ではない。卵胎生は卵を体内で孵化させることであって、一度体外に排出することはないからだ。こんな繁殖方法を採る昆虫はゴキブリ以外にもいるのだろうか?
※2 「庶虫」という表記の方が一般的のようだが、正字は「䗪虫」である。

【3/8 追加】サツマゴキブリの生態および形態が、マダガスカルオオゴキブリと非常に似ていることに気づいた。マダガスカルオオゴキブリとサツマゴキブリの系統関係はどうなっているのだろうか。

かぼちゃの植え付けをしました

先日書いたように、かぼちゃを栽培してみることにした。甘い「加世田かぼちゃ」を目指したい。といっても、商品作物として作るのではなくて、まずは自家用ということで少量作ってみる。

というわけで、昨日かぼちゃの苗の定植(植え付け)を行った。苗とマルチング(土を覆うビニールシート)、ビニールトンネルなど資材の全ては、なんと近隣の農家Tさんからタダで分けてもらったもの。本当に有り難い。というか恐縮の至り…である。

畝は約25m。本来は40〜50cm間隔で植えるが、Tさんからのアドバイスで25cm間隔で植えることにしたので、苗の数は約100個である。ちなみに、「加世田かぼちゃ」という品種があるのではなく、植えるのは日本全国で一般的な品種である「えびす南瓜」である。「加世田かぼちゃ」とは、このえびす南瓜を完熟させて甘くしたかぼちゃなのだ。この地方の気候風土が、かぼちゃによく適しているためにブランド野菜となるような美味しいかぼちゃができるのである。

さて、「商品作物としてではなく、自家用で」という趣旨ではあるが、これでかぼちゃがどれくらい出来るかというと、やや少なめに出来たとしても百個程度ということになり、到底、自家用で消費できる数ではない。ではどうするか?

もちろん、農協へ出荷することも一案だが、「加世田かぼちゃ」は糖度などに基準があり、検査を合格したものだけしか出荷できない。それに、どうせ出荷する量としては少量なので、利益を考えないで捌きたいと思う。

となると、基本的には「お裾分け」ということになる。百個のかぼちゃをお裾分けで捌けるか分からないが、今はFacebookなどもあるので、昔とは違った形でお裾分けできるのではないかと思っている。

2012年3月4日日曜日

「タダで貸すよ」では見向きされないものが、「タダであげる」では人気商品に

先日、南さつま市立図書館(加世田本館)で、廃棄本の無料配布イベントがあった。どこの自治体でもやっていると思うが、私はこの種のイベントに初めて参加した。

戦利品は写真の通り。かなり嬉しかったのは、河出書房新社からでている『生活の世界歴史』全10巻と、杉浦康平著『かたち誕生』である。

半分くらいの量がなくなった後の残り物から見つけたので、これが一番の掘り出し物であったのかどうかはよくわからないが、本当に満足した。感謝である。読むのが楽しみだ。

ところで、こういう無料配布イベントの雰囲気は、冊数制限があるかどうか、後で補給されるかどうかによっても違いがあると思うが、今回は、みなさんが必死に本を漁っているので驚いてしまった。

9時半の開始と同時に狭い開場に多くの人がなだれ込み、5分ちょっとで半分ほどの本がなくなってしまったのである! 奪い合う、というわけではないが、我先に多くの本を確保しようと多くの人が躍起になっていた。私は、ちょっとその熱狂に参加できずに、雰囲気が落ちつくまで待ち、それで見つけたのが先ほどの掘り出し物だったのである。

この必死さは、面白いなあと思った。廃棄するくらいの本なのだから、普通に貸し出ししていた時は、ほとんど見向きもされなかった本のはずである(※)。ものによっては、10年以上貸し出しがなかったような本かもしれない。そんな本が、「タダであげますよ」となった途端、争って求められるほどの人気商品になるのである。

タダなのがポイントなのではない。図書館で借りるのは元よりタダなのだから。「タダで貸すよ」といっても見向きもされないのに、「タダであげる」になるとみんなが欲しがるのだ。つまり、「所有できる」ということが重要だとしか考えられない。昨今、シェアがはやっているといわれているが、やはり、人間の所有欲というのは大きいと思う。

必要な時に必要なだけ、合理的に使うにはシェアは適している。しかし、合理的にものを使うだけでは、ちょっと物足りない時が人にはあると思う。別に必要はなくても、そばに置いておきたいとか、なんだかわからないけど欲しいとか、そういう非合理的な所有欲は、やっぱり強力なのではないか。
 
(※)人気がある本でも、傷んだり古くなったりといった理由で買い換えて廃棄(除籍)になる時はある。だから、廃棄本だからといって、必ずしも貸し出しのない不人気の本だというわけではない。しかし、今回、ほとんどの本は古くなって貸し出しされていなかったことが一目瞭然であった。

2012年3月3日土曜日

画家が創った老人ホームと美術館——吉井淳二美術館

今日は桃の節句ということで、「おひな様と懐かしい着物展~子供の着物について~」という企画展をやっていた吉井淳二美術館に家族で出かけた。

吉井淳二美術館は、加世田市街近郊の山中、緑に囲まれた小さな美術館である。この美術館、全国的にも珍しい沿革を持っているのでちょっと紹介したい。

発端は、昭和63(1988)年、洋画家の吉井淳二氏が、社会福祉法人「野の花会」を設立し、特別養護老人ホーム「加世田アルテンハイム」をオープンさせたことに遡る。この加世田アルテンハイムは、「福祉に文化を」を理念に創られた「絵と彫刻のある憩いの園」であり、芸術文化に囲まれた介護老人福祉施設である。

老人ホームというと、いかにも収容所然とした、陰鬱な施設が多いのであるが、加世田アルテンハイムは開放的な雰囲気があり、広い敷地内には芸術作品が所々に配されるとともに、よく管理された庭木や花がたくさん植えられている(入ったことはないのだが、外から見るとこんな感じ)。こんなところなら、いずれ入ってもいいかも、と思う。

また、全国的にも少ない「日中おむつゼロ」を近年達成するなど、介護面でも先進的な取組をしておられ、2002年には、第1回「癒しと安らぎの環境賞」最優秀賞受賞など、多数の表彰も受けている。

吉井淳二氏は、高校時代は羽仁もと子自由学園創設者)の教育を受け、晩年に至るまでその教えを実践していたようだ。想像するに、加世田アルテンハイムは、自由学園と同様の理念で運営される老人ホーム、ということだったのかもしれない。

さて、加世田アルテンハイムでは、日常的に芸術に触れる工夫が施されているのであるが、その1つとして、吉井氏自身の作品を中心に展示するギャラリーが設けられていた。その来場者が多かったことから、平成4(1992)年、ギャラリーを増築し独立させたのが「財団法人吉井淳二美術館」である。

法人として独立はしたものの、吉井淳二美術館では、福祉施設の一貫としての美術館という立場から、今でも年に一度は福祉関係の企画展(例えば、児童養護施設の子供たちの作品展など)を行っている。

なお、吉井氏の画風は、人物画を中心に素朴で落ち着きのあるもので、良くも悪くも「公共施設のロビーを飾るにふさわしい」感じだ。よい絵であると思うが、刺激的なものや高遠なものを求める人には物足りないところもあるかもしれない。といっても、吉井氏は文化勲章受章者であり、文化功労者、日本芸術院会員、二科会名誉理事など華々しい肩書きをお持ちの方だったので、美術品としての市場評価は高いに違いない。

また、美術館を含めて加世田アルテンハイムの一連の建物は、英国で活躍する建築家・彫刻家の川上喜三郎氏の設計による(丸ビルのロビーにある作品の方)。開放的で、清潔感があり、古びても陰鬱にならない英国風デザイン。正直なところ、展示されている作品よりも、その建物と雰囲気の方が私は気に入ったのであった。

それにしても、画家が老人ホームを設立する、ということが極めて異例なことのように思われる。吉井氏の外に、そのような人がおられるだろうか…? たぶん、そんな人は日本で一人だと思うが、どうだろうか。

【情報】
第108回企画展「おひな様と懐かしい子供のきもの展」は2012年3月1日〜4月3日まで開催。入館無料。なお、吉井淳二美術館は、元旦以外休館日がないという、ほぼ年中無休の美術館である。

【蛇足】
社会福祉法人「野の花会」の命名について、公式サイトでは
この地で荒野にゆれる小さい野の花に心ひかれ「野の花会」と名づけ…
と説明されているが、自由学園の教えを終生実践した吉井氏のことを考えると、羽仁もと子の自宅「野の花庵」にかこつけているような気がしてならない。自由学園では聖書の教えに基づき、野の花のように生きる、というようなことを教えており、羽仁自身の作詞による「野の花の姿」という歌が公式行事で歌われたりする。実際の由来はどこにあるのだろう。

2012年3月2日金曜日

籾播きの手伝い—無農薬育苗と物質循環

昨日と今日(3/1と3/2)、お世話になっている農家(2組)の籾播きのお手伝いに行った。手伝いといっても、むしろこちらが勉強させてもらうというものであって、研修みたいなものである。私は、今のところ水稲を商品作物として作っていくつもりはないが、やはり勉強しておくに越したことはない。

籾播き(モミマキ。種まき、播種などいろいろな名前で呼ばれる)は、田植えに使う稲の苗を準備する作業である。工程は以下の通り。

(1)種籾を予め水に浸し、発芽を促しておく。(なお、このあたりでは富山県から籾を仕入れている農家が多いらしい。温度差があるために発芽がいいということだ。)
(2)田植機にセットするケース「苗箱」(30 cm × 60 cm)に土を入れる(床土という)。
(3)床土を入れた苗箱に種籾を播き、さらにその上に土(覆土という)及び水をかける。
(4)それをビニールハウスにきっちりと並べ(これが力仕事…)、ラブシートと呼ばれる不織布+ビニールシートを掛ける。これは遮光及び保温のため。

上記の工程のうち、今回は2組とも(2)及び (3)の工程は機械化されている。ただし、それぞれの農家で機械化に対する考え方は違う。準備する苗箱の数の違いもあるが、一方は4人で、一方は9人での作業だった。それは、主に(2)及び(3)の機械化の度合いの違いで必要人員が違ったのであった。

大まかに違いを言えば、ベルトコンベアー式に流れる機械(これは基本的に2組同じ)の相手をする人員の差であって、例えば、土が均一にかかっているかチェック・仕上げをする係の有無であったり、土の補給方法を人力でやるか、機械でやるかの違いだったりする。

どちらの方法が効率的であるかということは、一概には言えない。人員を集められるかどうか、機械を揃えられるかどうかは、単純に投入資本によるのではなく、農家の置かれた状況にもよる。機械を購入したとして、一年に一度しか使わない機械の保管費用も農家によって違うだろう。それに、籾播きを近隣の方々に手伝ってもらいながら、いわばイベント的・年中行事的にやる、というのも、それはそれで別の意味があるような気がする。

しかし、今回2組の籾播きを体験して、明らかに違っていることがあった。それは、農薬の有無である。一方では、無農薬で苗箱を作っていた。一方では、農薬を入れていた。この違いは何に起因するのかというと、使っている土である。無農薬の方は、高温殺菌されて作られた土を使っていたのである(これは、自家製ではなくて他県の業者から仕入れたもの)。

農薬を使わないからいいとか、使うからダメということはない。何が正しい手法かということは、目的とする生産物がどのようなものかということで決まる。無農薬のお米を作ろうと思ったら当然無農薬で育苗しなくてはならないが、そうでない場合、基準を守って農薬を使うのは、(少なくとも農家個人のレベルでは)何ら悪いことではない。

私が感じたのは、無農薬栽培を実現するために、他県から土を仕入れなければならないのは大変だなあ、ということだった。無農薬栽培というと、「地域の環境を生かして…」とつい無意識に思ってしまうのであるが、実際には、無農薬栽培には非常に難しい部分もあるために地域の中だけで物質循環を完結させられないことも多いのである。

私も、もちろん、有機・無農薬栽培というものに関心がある。しかしそれ以上に、物質循環というものに強い関心がある。物質循環についてはまたいずれ書きたいが、無農薬栽培をするために他県から土を仕入れる、ということは、全ての農家ができることではないし、また、すべきでもない。やはり、全体としては、土は地域本来のものを営々と育てていくべきものであって、そのために山や川が物質循環を担っているのである。

私は、無農薬栽培のために高温殺菌された土を使うというのは大変すばらしい工夫だと思ったし、苗箱に使う土は全体からすればごく少量なので、物質循環云々の問題は惹起しないのであるが、改めて、無農薬栽培の難しさを思い知らされた次第である。

【補足】
写真は工程(4)の並べた苗箱の様子。苗箱を重ねた際に下側の模様が土に写っており、こうして並べるとなかなかにきれいである。

2012年3月1日木曜日

林業と農業のコスト意識の差

先日、「林業就業支援講習」に参加したのだが、研修を受ける中で林業に携わっている方々の話を聞くことができた。そこで、林業と農業のコスト意識の差について感じるところがあったので、少しメモしておこうと思う。

さて、業種にもよるだろうがサラリーマンをしていると、プロジェクトの損益分岐とか、部署毎の利益率とかには敏感になるのだが、作業単位でコストを意識することは少ない。ましてや公務員に至っては、作業単位でのコストパフォーマンスを考えることなど皆無に等しく、バイトにでもできる雑務を(人手がないために)キャリア官僚がやっていたり、逆に高級取りの幹部が閑職にいたりして、コストを意識した経営がされているとは言い難い。

では、第一次産業ではどうだろうか? 意外かも知れないが、一般には、農林水産業に従事されている方のコスト意識は、普通のサラリーマンよりも高い。もちろん、趣味的に農業をしている方などはこの限りではないが、専業でやっている方のコスト意識は総じて高い。

なぜなら、第一次産業従事者の多く、特に専業農家のほとんどは独立経営者だからである。何か資本を投入する時は、自らの身銭を切らなくてはならない。「会社の経費」などないのだ。

一方で、ほとんどの林業作業員は経営者ではない。「一人親方」といって、個人で仕事を請け負っている方もいるが、多くは森林組合などに雇用されている存在だ。しかし、彼らのコスト意識は、専業農家よりも敏感である。なぜなら、ほとんどの森林組合では、歩合制や能力給を採用しており、作業の成果に応じて給金が支払われることが一般的だからである。

これは、林業の特殊性による。それは、作業の成果が非常にわかりやすいということだ。何本伐倒したか、何本集材したか、何本植樹したか。全て明確に分かる(本当は、何本という単位では成果を測らない。立方メートルに換算する)。成果に応じて給金されるから、その作業に投入した資本(時間・機械・燃料)が適当だったかどうだったかも明確である。ゆえに、林業作業員のコスト意識は非常に高いのである。

では、専業農家ではどうだろうか? 成果が非常にわかりやすいのは同様である。売り上げがいくらかは明確だし、投入した資本(時間・肥料・設備・機械・燃料)もある程度明確である。しかし、農業におけるコスト意識は、林業におけるそれほどは徹底されてはいない。

それは、農業では、天候という予測不可能要素があるためである。投入した資本の量は同じでも、天候次第で豊作にもなれば不作にもなる。また、農作物は木材に比べ価格変動が大きく、同じ収穫量でも市場の相場によって売り上げが大きく異なる場合もある。だから、細かいコスト計算をしてもあまり意味がない。つまり、農業はある意味では、バクチなのだ。

コストを少し削っても、結局天候や市場の相場に大きく影響されるなら、多少の(例えば1%の)コスト削減にあまり意味はない。それよりも、高付加価値の作物を作ったり、高性能機械を導入して作付面積を広げたりする方が、利益率を高めることになる。

しかし、今後の農業のメインストリームは、企業経営的になっていくと思われる。その時に、農作業のコスト意識はどう変わっていくのだろうか。

絶品! 加世田かぼちゃプリン

南さつま市には、「加世田かぼちゃ」というブランド野菜がある。先日遠い親戚から加世田かぼちゃをいただいたので、これを使って家内がかぼちゃプリンを作った。

これが、絶品。自然かつ素朴でありながら濃厚な甘み。代官山あたりのおしゃれなパティスリーで売っていてもおかしくないようなおいしさである。

加世田かぼちゃは高級な野菜として大都市圏を中心として出荷されており、1kgあたり600〜800円で小売りされる。かぼちゃ1個が2kgとすれば、1個あたり1000円以上するという高級品である。それをプリンにしたのだから、美味いのは当然だ。

ちなみに、加世田かぼちゃは、鹿児島県が指定する「かごしまブランド」の第1号(平成3年5月指定)でもある。「黒豚」や「桜島小みかん」よりも先に、最初に指定されたのが加世田かぼちゃなのだ。「かごしまブランド」とは、高品質で安心・安全な特産品を生み出す産地作りを進め、市場からの信頼を得るために鹿児島県が進めている取り組みで、16品目24産地が指定されている(平成23年5月末現在。なお、正確には「かごしまブランド産地」といい、「加世田かぼちゃ」である)。

加世田かぼちゃはかごしまブランドとして、糖度や色づきなどの基準を満たしたものしか出荷されない。通常より収穫までを長くし、完熟させることにより高い糖度を実現しているのである。

「加世田かぼちゃ」が鹿児島県ではブランドとして指定されているといっても、一般的には無名の存在である。現在はほぼ青果のみの出荷であるが、非常に美味なかぼちゃなので、贈答用や高級菓子の素材としてさらに普及させるという方策もあるのではないだろうか。

ちなみに、私自身も加世田かぼちゃ作りに挑戦してみることにした。商品作物ではなく、最初は自家用としての栽培であるが、おいしくできたらその利用法や販路についてもっと考えてみたい。