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2017年2月11日土曜日

「クラウドファンディング」の想い出


またまたクラウドファンディングの話。

発端は何だったかというと、私が主催する「海の見える美術館で珈琲を飲む会」の問い合わせメールだった。「今年はいつ開催するんですか?」という面識のない方からの問い合わせ。

その問い合わせには普通に返答したのだが、その方はクラシックのギタリストだという。前回の「海の見える美術館で珈琲を飲む会」はギターの即興演奏をメインイベントに据えたので、ギタリストからの問い合わせがあるなんて面白いなあ、なんて思っていたところ、暫くしてからまたその方からのメールが。

初めてのブラジル音楽のCDをリリースするにあたり、資金をクラウドファンディングで集めているので、よかったら協力して欲しいという。
このような形でCDを製作することを、皆さんどう思われるかな・・・ととても勇気が要りましたが、何かを実現するために恥も外聞もないと思いました。
と書いてある。直接会ったこともない人に、自分のためにお金を出してくださいなんてなかなか言えないことだ。いや、友人にだって言いづらい。そういうメールが来たのも何かの縁である。さっそくYoutubeにアップされたサンプル音源を聴いてみた(冒頭のYoutube動画)。

……これは、すばらしい! 私の好きな、ノリノリではなく哀愁の深い、陰影のあるブラジル音楽ではないか! ブラジル音楽には別に詳しくないので、ブラジル音楽としてどういうレベルにあるのか、なんて私には皆目判断ができないが、他の曲も聴きたくなる、そんな演奏である。

このギタリスト、竹之内美穂さんという。

【参考】竹之内美穂ホームページ
【参考】ギタリスト竹之内美穂日記。

竹之内さんは鹿児島市出身で、今も鹿児島を拠点に活動しているクラシックギタリスト。私もWEBサイトを見て知ったので、下手な紹介はしない。詳しくは上のWEBサイトをご覧ありたい。

それで、早速小額ではあるが3500円分支援をした(この支援を「パトロン」という)。

この前のテンダーさんのクラウドファンディングに続いての支援に、「この人いつもは貧乏自慢してるくせに、本当は金持ってんじゃないの?」と思うかもしれないが、誤解しないでほしい。私の年収は100万円ちょっとしかない! 本当にドビンボーである。国民年金すら支払い猶予してもらってる有様である。

そんな私がどうして(たぶん自分よりは余裕のある人に対して!)パトロンになっているかというと、これは10年前の経験が元になっている。

私は、もう随分長くHEATWAVEというバンドのファンなのだが、2005年くらいにこのバンドはレコード会社を離れて自分たちで新しいアルバムを作ろうとしていた。それで製作資金を捻出するためファンにカンパを呼びかけたのである。1口3000円。要するに事前にアルバムを買って下さいみたいなお願いだったように記憶する。「クラウドファンディング」という言葉もまだなかったころである。支払い方法もちょっとめんどくさかったような気がする(でも郵便振替とかではなかったような…)。これは、今だったら「クラウドファンディング」だろう。

私は、このバンドのCDはだいたい買っていたから、たぶん新しいCDも出来たら買うはずだった。だからカンパに協力するのはやぶさかではなかったのである。が、「まあコアなファンも多いバンドだし、別に私がしなくてもCDは出来るだろ」と思っていた。

2006年になってめでたくCDはリリースされた。やっぱりすぐに買った。「land of music」というアルバムだ。そして、ライナーノーツの後ろのページには、このCDへのカンパに協力してくれた大勢のファンの名前が全て、めちゃくちゃ小さい文字で印字されていた。当然、そこに私の名前はなかった。CDはリリースできたのだから、「別に私がしなくてもCDは出来るだろ」という私の見込みは正しかったし、そこに自分の名前がなくて残念という気もそれほどしなかった。

だが私は理解したのである。そこに並んだ、めちゃくちゃ小さな字で名前が書かれた人たちと、自分の間の懸隔に。商品が出来てからお金を出すのと、まだ何も出来ていない頃にお金を出すのは、同じお金でも違う意味があると。

大げさに言えば、新しいアルバムのためのカンパに協力した人たちは「創造的行為」をしていた。少なくとも、クリエイションに参与していた。CDを買っただけの私は、それをただ消費しているだけだった。まだ見ぬものに金を払うのは、もしかしたら無駄になるかもしれないが、ただ消費者であるだけの存在から抜け出す行為でもあったのである。

その時である。これから、誰かが何かをしようとしているとき、カンパしていたら積極的に協力してあげようと思ったのは。譬え自分が貧乏であったとしてもだ。

しばらくそういう機会は訪れなかったが、最近はクラウドファンディングがだいぶ普及してきたから、やろうと思えばいくらでもパトロンになれる。もちろん貧乏だから、そういうのにドンドン金を出していこうなんてとても出来ないが、縁があるものには、僅かずつでも協力していきたい。

先日紹介したテンダーさんのクラウドファンディングもまだまだパトロン募集中である。募集期間が終了間際まできているが、まだ半分もお金が集まっていないようで心配だ。ぜひ成功させて欲しい。
↓支援はこちらから。
鹿児島の廃校に、家も作れる日本最大のファブラボ「ダイナミックラボ」を作る!(Campfire)

というわけで、クラシックギタリストの竹之内さんの新しい一歩も、成功することを祈っています。
↓支援はこちらから。
実力派クラシックギタリストが変貌!耳欲をそそるブラジル音楽CDをリリースします。

2014年6月2日月曜日

写真家の松元省平さんに会いに行った話

南さつま市の小湊に、松元省平さんという写真家が住んでいることを最近知った。

私は松元さんの『人間の村』という写真集を偶然目にして強い印象を受け、調べてみると住所が南さつまということでびっくりし、せっかく近所に住んでいるのだからということで厚顔にも訪問させていただいた。この写真は、松元さんのアトリエに飾られた作品の数々。

ちなみに『人間の村』という写真集は、長崎にある廃村をモノクロームで撮ったもので、廃屋になった団地とか、民家とか、かつてそこにあった生活の痕跡を切り取った写真が並んでいる。それは、少し不気味でもあるが、当地のような「限界集落」に住んでいると見慣れた光景でもある。特にその中の一枚が、昨年取り壊された近所の廃屋ととても似ていて、それで印象深かったのかもしれない。

都会に住んでいると「廃村」の写真は非日常的な、いわば別世界を覗くような所があるが、ここに住んでいると「廃村」は身近な存在である。私は遺跡とか、遺構とか、既に滅んだものが元々好きだったが、都会に住んでいた時と比べてそうしたものへの見方が少し違ってきた気もする。

それはさておき、松元さんは、もともと鹿児島出身ではない。岡山の生まれだという。それがどうして小湊のような辺鄙なところに住んでいるのかというと、妻方の故地であるここが気に入ったからということだ。現役を退いて、自然が豊かな環境に暮らしたいということで2008年に移住してきた。岡山も十分田舎で、自然が豊かではないかと思うのだが、松元さんに言わせると、沿岸部の開発が大分進んでいて、自然の風景がさほど残っていないのだそうだ。

最近撮られた写真をいくつか見せていただいたが、美しい夜空や星雲、アンドロメダ銀河といった夜の写真だった。アトリエには立派な望遠鏡もあった。晴れた日には、ほとんど夜空を撮るという。私は、常々「このあたりは星空がきれいなのに、なぜか夜空を撮る人がほとんどいない」と思っていたところだったので、こうしてプロの写真家が丁寧に夜空を撮り溜めていることに、わけもなく心強く思った次第である。

ところで、松元さんの自宅に伺ったのは、松元さんが発行している『REPO』という写真誌を購入するためだった。驚異的なことだと思うのだが、松元さんはその写真誌を28年も趣味で製作しているのだ(現在は休刊中)。一体全体、それはどんな写真誌だろうかと思い、是非見てみたくなった。それで、(郵送で手に入れることも出来るのだが)松元さんのお宅を訪問したのである。


それは、手作りの小さな冊子だった。松元さん自身も鹿児島について写真と文章を連載していて、写真家の目から見た南薩がどんなものなのかもっと知りたくなった。移住後に創刊された最新の第4次『REPO』も全部で15冊あるそうだ。南さつま市の図書館が購入して、広く閲覧できるようにしたらいいのに、と思った。

2014年5月7日水曜日

タダで美術館を運営してほしい、というとんでもない募集を南さつま市がやっています

絶景の笠沙美術館に指定管理者制度が導入されるということで、以前、それに期待する記事を書いたのだが、今般その募集が開始された。ところが、この募集が最大級にガッカリな内容だったので、ちょっと愚痴を聞いてもらいたい。

何がガッカリだったかというと、この募集、指定管理料がゼロ円なのである!つまり、タダで美術館の運営をしてください、というとんでもない内容なのだ。お金は支払われないが、指定管理者が行わなくはならない業務はもちろんある。募集要項によれば、
(1)主要な業務
①美術品の展示・保管。常設展示の絵画は3ヶ月ごとに定期的に入替を行う。
②企画展の開催
③施設の日常的維持管理
④展望ミュージアム条例第16条に基づく使用の許可・不許可(注:場所貸し)
⑤展望ミュージアム条例第17条に基づく利用料金の徴収
⑥施設及び周辺部の清掃
⑦保守点検及び小規模な修繕作業
⑧その他市教育委員会が必要と認める業務
(2)施設の運営に関すること
①管理状況について、毎月利用状況報告書を作成し、翌月5日までに報告すること。
(以下略)
というような仕事をタダでやらなくてはならない!笠沙美術館は、博物館法によるところの登録施設ではないので学芸員等を置く必要はないが、それでも美術品の展示・保管、企画展の開催といったものは創意工夫と専門的知識がないとできないことであるから、それをタダでやってもらおうというのは意味がわからない。

こんな募集では誰も手を挙げないだろうと思われるが、市の方の目論見としては、ここでカフェなどの収益事業をやってもらい、その収益でもって美術館を運営してもらいたい、ということらしい。具体的には、募集要項に
指定管理者は、市との協議に基づき指定管理者の創意工夫で飲食等自主事業を行うことができます。
自主事業を行うための施設の改修は、改修計画等を市に提案して協議を行い、市長の許可を受けなければならない。改修工事は市において実施します。
と書いてある。要は、営業のための改修費用は出してあげるからタダで美術館を運営してほしい、ということなのかもしれない。しかし、そもそも市の施設であるので改修を市が行うのは当然のことだし、店舗の改修にいちいち市との協議が必要ということだと商売的には面倒である。

この募集を単純化すると、施設のテナント料をタダにする代わりに、タダで美術館を運営してほしい、という取引を持ちかけているように見える。前も書いた通り、この美術館は日本全国でも屈指の眺望を持ち、しかも著名なデザイナーである水戸岡鋭治氏が建物を設計しているので、施設としての価値は非常に高いとは思う。それに、カフェなどを営業するとすれば、美術館の単純な管理業務(要は入館料の徴収)をあわせて行うのは非常に軽微な労力ですむのは確かだから、もしかしたらこれは悪い取引ではないのかもしれない。

だが、私がガッカリしたのは、タダで美術館を運営してください、という文化行政への意識の低さである。指定管理者制度の導入の目的の一つがコストカットであることはしょうがないにしても、タダで美術館を運営しろということは、市としてこの美術館を活かしていこうという気もなく、やっかい払い的に指定管理者に丸投げしているようにしか見えない。さらには、笠沙美術館の収蔵品はさほど多くないとは思うが、それらの作品はもはやお金を掛けて保管・展示していく価値がない、との市の認識が露見したということでもある。

これは作品を寄贈した黒瀬道則氏にも申し訳ないことで、お金を掛けて保管・展示する気がないのであれば、価値を認める他の美術館に作品を寄贈・売却してしまった方がよほどいいと思う。

本当に市の財政が火の車で、美術館のような「贅沢」な施設にはもうお金が出せない、ということならまだ分かる。だが、先日南さつま市は何千万円もかけて「くじらバス」という観光バスを導入している。こういう話題性はあるが薄っぺらい観光振興をするよりも、年間300万円でもいいから笠沙美術館にお金をかける気はないのか。そもそも、美術館というのは観光の大きな楽しみである。魅力ある美術館とその眺望、そしてステキなミュージアムカフェがあれば、それだけで旅の目的地になり得るというのに。

そして、仮にこの募集に応える事業者があったにしても、美術館の運営部分は収益事業ではないわけだから、美術館部分は縮小・簡素化していかざるをえない。タダで請け負っている事業なのだから、申し訳程度の美術館であればよしとするであろう。しかしそれでよいのか。やはり公益事業としての美術館部分があり、そこに付帯事業としてミュージアムカフェがあるという形でなければ話がおかしい。この募集の内容では、付帯事業のはずのカフェが本業で、美術館はついでにやればよい、というように受け取れる。

ともかく、この募集は文化行政の面から見ても、観光振興の面から見ても、普通のビジネスとしてみても、おかしい所だらけである。正直、募集者なしということで公募自体がやりなおしになって欲しいとさえ思う。文化芸術にちゃんとお金を出す、ということは矜恃ある市民として当然のことで、タダで美術館を運営させるしみったれた市を作ってはならない

2014年2月24日月曜日

笠沙美術館を運営して(ミュージアムカフェをやって)みませんか?

先日の南さつま市議会で、笠沙美術館に関する条例の改正があった。一見地味だがなかなか面白い内容である。

それは、笠沙美術館に指定管理者制度を導入するものだ(第15条)。つまり、この施設の維持管理を民間に委託できるようになった、ということである。

そして、その中のさらに地味な条項であるが、指定管理者が行う業務として、「市長が必要と認める業務」が規定されているのがポイントだ(第16条)。美術館自体の維持管理は、単に入場料を徴集したり、場所貸しをしたりといった仕事であり、民間の創意工夫を生かす余地はないが、この条項があるので、たとえばここをミュージアムカフェにするといったようなことが可能になる

この笠沙美術館は、以前も紹介したことがあるように「日本一眺めのいい美術館」を標榜してもおかしくないほどの絶景の地にある。この絶景を眺めながらコーヒーの一杯でも飲めたらどんなに幸せだろう、と夢想してきた私にとって、この条例改正は大変喜ばしいものだ。指定管理者は個人で請け負うことができないが、もしそうできれば、私が真っ先に手を挙げたいところである。

また、笠沙美術館は風景がいいだけではない。美術館の建物はクルーズトレイン「ななつ星」などのデザインで知られる水戸岡鋭治氏で南欧風のデザインが瀟洒である。こういう洒落た建物で飲むコーヒーは美味いに決まっているのである。

だが、経営的に見ると少し厳しい点もある。最も心配されるのがあまりにも辺鄙な土地にあるということだろう。しかし、山側の道路を挟んだ向かいには「杜氏の里笠沙」がある。「杜氏の里」は、南さつま市の三セクの中では唯一の黒字団体であり(2012年度)、それなりの客足がある。場所柄は辺鄙で寂しいところだが、決して無人の地ではない。市の方で近年力を入れている「南さつま海道八景」の見所の一つでもあり、ドライブ客が期待できる。

それに、指定管理者には管理料収入が市から支払われる(というか民間で経営が成り立つなら公共の施設にすべきでない)。基本的には、美術館の維持管理のみであれば赤字はないはずで、ほぼリスクなくこういう絶景の地にミュージアムカフェをオープンできるとすれば、事業者にとっては大チャンスである。

だが、市の方ではかなり弱気な姿勢を見せていて、先日の市議会では「応募がなかった場合は現状とならざるを得ないと考えるが…」と随分引き気味なことを述べている。「応募がなかったら」というような消極的なことではなく、創意工夫と経営能力がある事業者が応募してくるように、鹿児島市内はもちろん、北九州や大都市圏でも説明会をするべきだと思うし、そうして、市の方で応募者を厳正に審査するという強気な立場にならなければならないと思う。

一番いけないのは、形式的には公募の形をとりつつ、実際には南さつま市内の適当な事業者に声をかけるだけで広く呼びかけず、結局役所がやるのと変わらない仕事を民間が担うということだと思う。せっかく指定管理者を公募できる規則を作ったのだから、これを生かしてもらいたいというのが一市民としての期待である。そしてもう一つ高望みすれば、こここをミュージアムカフェにしてもらい、沖秋目島を眺めながらコーヒーが飲みたいのである。

【補足】
本件に関してご関心ある(南さつま市外の)事業者の方は、コメント欄にでもご連絡ください。市の方に取り次ぐことも可能だと思います。なお、条例上は「指定管理者に業務を行わせることができる」となっているだけで、応募者が想定されない場合は公募されないこともあります。なので、公募があったら検討しようということではなく、公募をするように市の方に働きかけていくくらいの積極性がないとダメかもしれません。

2013年10月8日火曜日

南薩のポストカード「Nansatz Blue」できました

以前お知らせした南薩のポストカード「Nansatz Blue」5枚セットが完成して、「南薩の田舎暮らし」で販売を開始した。

たくさんの素晴らしい写真の中から5枚を選ぶ作業はとても悩ましいもので、正直未だに「あっちの方を入れた方がよかったかなあ」と思う部分もある。特に気になっているのは、いろいろ考えて選んだにも関わらず、なぜか構図が似たようなものが並んでしまったことである。うーん。

とはいうものの、結果的にこれらの5枚は、観光客向けのよそ行きの顔ではない、南さつま市の素顔が切り取られたものになったように思う。これらは最近行政が力を入れている「南さつま海道八景」のメジャーな風景ではないし、迫力のある絶景というわけでもないけれど、地元の方に「自分たちの風景」だと受け取ってもらえるよう願っている。

それぞれの写真はぜひ現物を見てもらうこととして、この機会に、この5枚の写真の解説をしておきたい(順不同)。

○『空色の越路浜』
越路浜は、大浦町の遠浅の海岸である。日本三大砂丘の一つである吹上浜の南端に位置するが、越路浜自体は吹上浜の一部ではない(と思う)。この越路浜の特徴は、非常に遠浅であることで、勾配が15,000の1程度(つまり、15キロ進んで1メートル下がる傾き)しかない。この遠浅の勾配を利用して戦中より大規模な干拓事業が進められ、大浦町は鹿児島県において最大の干拓地を有している。(撮影:愛甲 智)

○『実る金峰町』
金峰町は早期水稲「金峰コシヒカリ」の一大産地であり、その出荷は日本一早い。霊峰金峰山からの石清水に育まれたお米は美味である。金峰町からは、一面に広がる稲穂の海の中に笠沙のランドマークである野間岳が望める。ちなみに、金峰町だけでなく、南薩西部(加世田、大浦町、笠沙町)は早期水稲の産地である。(撮影:愛甲 智)

○『黄昏の後浜』
笠沙の野間岬の根元は、野間池という(実際には池ではなく)湾になっているが、この反対側を後浜といい、ここに立神と呼ばれている大岩がある。この大岩は東シナ海に面して荒波を受け止める存在で、地元の人によれば写真のように鏡のような凪ぎになるのは一年に数回しかないという。(撮影:愛甲 智)

○『野間岳と蕎麦の花』
南薩は早期水稲の産地であるため、水稲後の水田の後作として蕎麦の栽培が盛んである。 長野とか新潟のように、一面の蕎麦の花、とはいかないが、最近では蕎麦の戸別所得保障の制度的後押しもあり産地が形成されつつある。金峰町の「きんぽう木花館」ではそば打ち体験も出来る。(撮影:向江 新一)

○『瑠璃色の坊浦』
坊津町に、網代(あじろ)浜という美しい浜がある。ここは、陸続きではあるが道がないので瀬渡し船を使って行く、プライベート・ビーチのようなところで、その海の青さは本土よりむしろ沖縄に近い。写真は、網代浜を往復する渡し船と付近にある小さな赤い灯台。(撮影:愛甲 智)

今回シリーズ名を「Nansatz Blue」としているが、もし資金が回収できれば、第2弾も作りたいし、例えば「Nansatz Green」とか他の色でもポストカードを作ってみたい。それに「南薩」を銘打っているので、南さつま市だけでなく、枕崎市や南九州市、 日置市へも対象を拡大してもいきたいと思う。また、今回の製作には友人・愛甲くんの絶大な協力をもらったが、地元の人が撮り溜めた素敵な写真を発掘してポスト カードを作ってみたい気持ちもあるし、単にポストカードを作って売るのではなくて、ソーシャル・メディアを使って参加型の取り組みもできたら面白い。だが増刷はしない予定なので、ご関心のある方はぜひ早めにお買い求めいただきたい。ちなみに地元では、「大浦ふるさと館」と「笠沙恵比寿」に置いている(1枚100円、5枚セット450円)。

2013年9月1日日曜日

萬世酒造の「松鳴館」には万世の古い記憶が展示されています

吹上浜海浜公園の隣に、「松鳴館」と名付けられた萬世酒造の瀟洒な建物がある。ここには醸造の展示施設が併設されているのだが、実は絵画も展示されているらしいと聞いて見に行ってみた。

しかし、同社のWEBサイトにもほとんど情報がないこともあり、「どうせ焼酎ブームの頃に社長が趣味で買い集めた適当な絵が、脈絡なく飾ってあるんじゃないの? 瀟洒な建物は税金対策では?」などと不遜な考えで行ったのだが、これはとても真面目な展示である。

醸造の展示は今時珍しくもないが、感心したのは絵画だ。ここに展示されているのは、野崎耕二さんという方が万世の昔を描いた作品群。萬世酒造が吹上浜海浜公園の隣の旧自動車学校跡地に移転してきたのは2005年で、それまでは万世小学校の近くにあった。野崎さんは、この昔の萬世酒造の3軒となりの家に生まれたらしく、小さな頃は焼酎の量り売りを買いに行かされたという。

野崎さんは1937年生まれ。万世小学校、万世中学校を卒業し、薩南工業に進んだ。1957年に上京し、やがてイラストレータとして独立したが、1983年に筋ジストロフィーと診断されたことをきっかけに「一日一絵」を描き始め、30年近く続いている(現在も続いているのかは不明)。

この野崎さんは、現在は千葉に在住であるが、自分が小さい頃に過ごした万世を思い起こし、素朴なタッチで戦中戦後の日常生活を描いた作品を多く製作している。その作品群がこの萬世酒造に展示されているわけで、描かれているのは何気ない昔の風景に過ぎないが、逆に今では失われ忘れられたものであり、貴重な歴史の資料である。

また、絵に添えられた短文がいい味を出していて、素朴な絵をいっそう素朴な気持ちで見ることができる。万世出身のある年代以上の人がご覧になったら、きっと「ああ、こんな時代だったなあ」と懐かしがること必至である。今回はフラリと寄ったのでじっくりと見る時間がなかったが、いつか一枚一枚をちゃんと見てみたいと思う。

どうしてこういう展示施設を作ろうと思ったのかは分からないが、「万世(萬世)」の名を掲げる萬世酒造なだけに、地元の古い風景を大事にしようと思ったのだろうし、野崎さんの仕事をしっかりと残していこうという使命感のようなものを持ったのかもしれない。絵画の展示スペースは決して大きくないが、真摯さを感じる展示であった。

一方、瀟洒な建物の方は、なんだか大正ロマン風の贅沢な造りで、こちらは本当に税金対策で作られたものかもしれない。展示施設の案内の方に聞くと、「詳しい経緯は知らないが、萬世酒造は薩摩酒造の子会社なので、薩摩酒造の考えでこうした施設にしたのでは」とのことだった。言われてみると、枕崎の薩摩酒造のハデな建物(明治蔵)と相通じるものがあるような気もする。

ちなみに、この松鳴館でしか買えない焼酎があって、それは2006年秋季全国酒類コンクール本格焼酎部門総合1位を獲得した「萬世松鳴館」である。せっかくなので、私はアルコールは飲まないがこいつの原酒(アルコール度37度)を買って帰った。

ここはWEBにもパンフレット等にもその情報は少なく、なぜか萬世酒造自身があまり広報していないが、万世出身の方は何かの機会に寄ってみて損はないと思う。松籟(しょうらい)の響く地に、万世の古い記憶が静かに展示されている。

【情報】
薩摩萬世 松鳴館 
南さつま市加世田高橋1940-25

TEL: 0993(52)0648
見学/9時-16時(休館:第3日曜日、年末年始(12/30-1/2))
※見学は年中可能。ただし、焼酎製造の時期は9月中旬-12月初旬

2012年10月7日日曜日

笠沙美術館——日本一眺めのいい美術館

南さつま市笠沙町のリアス式海岸を走る国道沿いに、「笠沙美術館(黒瀬展望ミュージアム)」がある。

展示品は笠沙町出身の画家 黒瀬道則氏の寄贈作品がほとんどで、その好き嫌いは分かれるところだと思うが、この美術館からの眺望は文句なく素晴らしい

エントランスからパティオに向かうと、東シナ海に浮かぶ沖秋目島(ビロウ島)が望め、それがさながら一幅の絵画のように建物で切り取られる。赤茶けた直線的な建物と、青い空と海が鋭く対比された風景は、むしろ南欧風ですらある。

聞くところでは、もともとこの美術館は展望所として計画されたものであるということで、絶景なのは当然だ。その建物も作品の展示というより、そこから望む風景を主体として設計されているように見える。ちなみに、建物のデザインは「つばめ」や「指宿のたまて箱」など、JR九州の多くの車両をデザインしたことで著名な水戸岡鋭治氏によるものらしい。そのデザインにただ者でないセンスを感じたが、納得である。

笠沙美術館は南さつま市にとって大きな財産だと思うが、来客もまばらであまり利用されていないのは残念だ。黒瀬氏の絵は、ミステリーの表紙になるような絵で面白味はあると思うが、正直なところ、何度も見たくなるようなものではないし、一般受けするものではない。せっかくの素晴らしい美術館が、郷土出身の画家の紹介だけに終わってしまってはもったいない。

そういうことから、私としては、ここをギャラリースペースとして積極的に活用し、多くの人に来てもらえるようにしたらいいと思う。小さなグループの個展などでも家族友人等でそれなりに人が来るので、この風景の素晴らしさを体感してくれれば口コミによる波及効果も期待できる。

ちなみに、今でもそういう利用ができないわけではないが、WEBサイトにも何も書いていないし、そもそも美術館の存在自体が積極的に広報されていない。なお、賃借料はギャラリーのみだと2100円/日で、全体を借りると5250円/日、展望所と駐車場は無料である。せっかくの素晴らしい資源なのだから、前向きに活用してもらいたいものだ。きっとここは、MOA美術館(熱海)や神奈川県立近代美術館(葉山)を越えて、日本一眺めのいい美術館といえるだろうから。

2012年8月30日木曜日

頴娃町出身のユニークな音楽家:サカキマンゴー


鹿児島県の頴娃町出身のユニークな音楽家に、サカキマンゴーさんという人がいる。

この人は、地元の祭りで偶然聞いたアフリカ音楽に魅せられ、大学ではスワヒリ語(アフリカ東海岸で話されている言葉)を専攻、休学してアフリカ縦断の旅に出て、その後リンバ(親指ピアノ)という民俗楽器と出会う。そして、「七色の声を持つ男」と呼ばれた著名なリンバ奏者フクウェ・ザウォセ氏になんとタンザニアまで行って弟子入り。

こうして、サカキマンゴーさんは本場のアフリカ音楽を学んだが、自らが演奏するのは、リンバによる浮遊感のあるリズムを活かしながらも、それを日本でも違和感なく聞けるようにアレンジしたオリジナルソングだ。それは、日本語、スワヒリ語、鹿児島弁を自由に行き来した不思議な音楽である。

鹿児島弁で歌詞を書くミュージシャンは長渕 剛氏を筆頭に少なくないが、やはり鹿児島の人に向けて書いている場合が多いような気がする。サカキマンゴーさんの場合は、活動の拠点は東京やアフリカで、必ずしもリスナーに鹿児島県民が多いわけではないように見える(県内で特にCDが売れているとも聞かない)。むしろ、鹿児島弁の土着的な表情がアフリカ音楽に合致しているということで、鹿児島弁を使っているように思われる。

それにしても、頴娃という鹿児島でもかなりディープな(?)地方から、相当にディープなアフリカ音楽を奏でる人が出てくるというのは面白い。冒頭に貼り付けた曲が収録された『オイ!リンバ Oi!limba』というアルバムを購入して聴いてみたが、全体的ポップな感じになっているので、私としては、さらにディープな方向に突き進んでもらいたいと思う。

2012年5月30日水曜日

洋画家・佳月 優さんに会う。

ギャラリー併設のサロンスペース
母校(東工大)の同窓会活動で知り合ったAさんから、日置市吹上町で自身のアトリエと「Gallery 野月舎(やがっしゃ)」を営んでいる洋画家の佳月 優さんをご紹介いただいた。

Gallery 野月舎(とアトリエ)は昭和60年に廃校になった野首小学校の校舎が利用されており、まるで時間が止まったような古い木造校舎が郷愁を誘う。ちなみにこの校舎、保存状態が元々よかったのではない。ギャラリーになる前は電子部品の会社がここを工場として利用していたためいろいろな手が入っていた上、廃屋同然になっていたという。それを、佳月さんが様々な人の協力を借りながら元来の姿に近づけ、魅力を引き出したのである。画家が廃校をギャラリーとして甦らせるというこの稀有な取組は、鹿児島県で唯一、文部科学省による「廃校リニューアル50選」に選ばれている。ともかく、ここは一見しただけで心臓を射貫かれるような素敵な場所だ。

佳月さんは、私とは初対面であるにもかかわらず、率直に、温和に、さまざまなことを語ってくれた。地域のこと、この校舎のこと、人との出会いのこと…。まるで、人の世の有様を静かに描いてくれるかのように。その話は非常に勉強になったのだけど、その話の内容をここに書くのは辞めておこうと思う。また、佳月さんについての下手な紹介もしないでおきたい。ちょっとWEBを検索すれば、こんな田舎で一人静かに絵を描いているのが不思議なほどの画才の人だということが分かるだろう。

そして、直接詳しくは伺わなかったのだけれど、2006年に日展会員・審査員等の要職を辞し、無位無冠で活動されていると聞き、不遜ながら、官僚を辞めて南薩に移住してきた自分と重ね合わせた次第である。もちろん、キャリア官僚を辞める人間は多いが、日展の会員を辞める人間などほとんどいない。重ね合わせるのはおこがましいだろう。

しかし、当たり前のことを当たり前にやるという単純なことが、組織の枠の中で生きていると難しくなることがある。私の知る若手官僚の多くは、日本を変えたいという夢を持ち、能力もやる気もある素晴らしい人達だ。だが、組織の中で生きるうち、組織の限界を知り、人間関係に絡め取られ、個人の頑張りでは解決不能な問題に直面する。そして、自分の力ではどうしようもないのさ、とすら思わなくなり、組織の歯車になってゆくのが悲しい現実である。

さすがに、画家の世界にはこんなことはないだろうが、組織に依って生きるということに関しては、画家も官僚も似たような悩みを抱えているのかもしれない、と勝手に想像した次第である。もしかしたら、全然違うかもしれないが…。

それはさておき、吹上町の野首という辺鄙なところに、世にも素敵なギャラリーがあるということは、地域の人間としてもっと誇ってもよいと思う。「それより、コンビニやスーパーが欲しいなあ」というのは田舎に住んでいる人間としては切実な願いではあるが、世界的に見れば、こんなギャラリーが身近にある方が、よほど贅沢なのである

2012年3月3日土曜日

画家が創った老人ホームと美術館——吉井淳二美術館

今日は桃の節句ということで、「おひな様と懐かしい着物展~子供の着物について~」という企画展をやっていた吉井淳二美術館に家族で出かけた。

吉井淳二美術館は、加世田市街近郊の山中、緑に囲まれた小さな美術館である。この美術館、全国的にも珍しい沿革を持っているのでちょっと紹介したい。

発端は、昭和63(1988)年、洋画家の吉井淳二氏が、社会福祉法人「野の花会」を設立し、特別養護老人ホーム「加世田アルテンハイム」をオープンさせたことに遡る。この加世田アルテンハイムは、「福祉に文化を」を理念に創られた「絵と彫刻のある憩いの園」であり、芸術文化に囲まれた介護老人福祉施設である。

老人ホームというと、いかにも収容所然とした、陰鬱な施設が多いのであるが、加世田アルテンハイムは開放的な雰囲気があり、広い敷地内には芸術作品が所々に配されるとともに、よく管理された庭木や花がたくさん植えられている(入ったことはないのだが、外から見るとこんな感じ)。こんなところなら、いずれ入ってもいいかも、と思う。

また、全国的にも少ない「日中おむつゼロ」を近年達成するなど、介護面でも先進的な取組をしておられ、2002年には、第1回「癒しと安らぎの環境賞」最優秀賞受賞など、多数の表彰も受けている。

吉井淳二氏は、高校時代は羽仁もと子自由学園創設者)の教育を受け、晩年に至るまでその教えを実践していたようだ。想像するに、加世田アルテンハイムは、自由学園と同様の理念で運営される老人ホーム、ということだったのかもしれない。

さて、加世田アルテンハイムでは、日常的に芸術に触れる工夫が施されているのであるが、その1つとして、吉井氏自身の作品を中心に展示するギャラリーが設けられていた。その来場者が多かったことから、平成4(1992)年、ギャラリーを増築し独立させたのが「財団法人吉井淳二美術館」である。

法人として独立はしたものの、吉井淳二美術館では、福祉施設の一貫としての美術館という立場から、今でも年に一度は福祉関係の企画展(例えば、児童養護施設の子供たちの作品展など)を行っている。

なお、吉井氏の画風は、人物画を中心に素朴で落ち着きのあるもので、良くも悪くも「公共施設のロビーを飾るにふさわしい」感じだ。よい絵であると思うが、刺激的なものや高遠なものを求める人には物足りないところもあるかもしれない。といっても、吉井氏は文化勲章受章者であり、文化功労者、日本芸術院会員、二科会名誉理事など華々しい肩書きをお持ちの方だったので、美術品としての市場評価は高いに違いない。

また、美術館を含めて加世田アルテンハイムの一連の建物は、英国で活躍する建築家・彫刻家の川上喜三郎氏の設計による(丸ビルのロビーにある作品の方)。開放的で、清潔感があり、古びても陰鬱にならない英国風デザイン。正直なところ、展示されている作品よりも、その建物と雰囲気の方が私は気に入ったのであった。

それにしても、画家が老人ホームを設立する、ということが極めて異例なことのように思われる。吉井氏の外に、そのような人がおられるだろうか…? たぶん、そんな人は日本で一人だと思うが、どうだろうか。

【情報】
第108回企画展「おひな様と懐かしい子供のきもの展」は2012年3月1日〜4月3日まで開催。入館無料。なお、吉井淳二美術館は、元旦以外休館日がないという、ほぼ年中無休の美術館である。

【蛇足】
社会福祉法人「野の花会」の命名について、公式サイトでは
この地で荒野にゆれる小さい野の花に心ひかれ「野の花会」と名づけ…
と説明されているが、自由学園の教えを終生実践した吉井氏のことを考えると、羽仁もと子の自宅「野の花庵」にかこつけているような気がしてならない。自由学園では聖書の教えに基づき、野の花のように生きる、というようなことを教えており、羽仁自身の作詞による「野の花の姿」という歌が公式行事で歌われたりする。実際の由来はどこにあるのだろう。