2013年1月30日水曜日

とても美味しいがあまり知られていないローカルな山芋

山芋は、美味い

が、「山芋」というだけでは人によって思い浮かべるものが違う。というのも、一般的に山芋と言われているものには、ナガイモツクネイモヤマノイモ(自然薯)、ダイジョの4種類があるためだ。

この中で最も生産量が多く、普通に山芋と認識されているのがナガイモである。大きさが揃っていて流通に有利なためと思われる。これは北海道や青森が産地(というか、この2県の寡占状態)。

その他の生産量は未詳だが、あまり多くはないと思う。関西ではツクネイモのことを山芋と呼ぶらしい。自然薯はご存じのとおり山芋の中でも最も貴重で美味な高級食材。で、話題にしたいのは最後のダイジョ(大薯)である。

このダイジョ、原産地は東南アジアと見られており暖地でなくては育たず、日本では沖縄・奄美・九州南部で産する。食味は自然薯には劣るがナガイモやツクネイモより優れていて、粘りも強く、また上品でもある。すり下ろして出汁を混ぜただけのダイジョの旨さは格別だ。だが、イモの大きさがまちまちであることや、ローカル食材であるためにあまり流通しておらず、都市部で見かけることはまずない(あと、離島からの移入には植物検疫の関係があるようだ)。

しかしこのダイジョ、暖地であれば育てやすく、また山芋類にしては収穫も容易である。さらに、流通量が少ないためか、今のところ単価も高い。食材としての短所は、大きさがまちまちなので規格化・流通しづらいことかと思うが、まだまだ可能性がある作物だと感じさせる。

私は就農にあたって、実はこのダイジョの栽培が一つの目的でもあった。ただ、このあたりには自然薯の栽培組合はあってもダイジョの組合はなく、流通が未整備のようだったので手をつけられなかったのだが、自分でネットショップも開業したことでもあるし、今年はこのダイジョの栽培を少し広げてみたいと思う。

ちなみに、鹿児島銘菓「かるかん」の原料は自然薯と言われているが、実はこのダイジョであることも多いそうだ。自然薯の代わりになるくらい美味い、という一つの証拠でもあるだろう。

2013年1月27日日曜日

ようやく、ショップサイトを開設しました。

ようやく、ついに、農産物等の販売サイトをオープンする運びとなった。

サイト名は、つい数日前まで本ブログのタイトルであった「南薩の田舎暮らし」。

ネーミングについてはいろいろ検討したが、良案が浮かばなかったこともあり、ある程度イメージに近いこの名前を流用することにした。いろいろアドバイスをもらっている方から、「タイトルは超重要。3年掛けて考えるくらいでよい」という言葉もあったので、とりあえずこの名称でいってみたい。

ただ、私が農産物の販路を開拓していきたいターゲットである若い(小さな子どもがいる)女性のことを考えると、「南薩の田舎暮らし」だけだとハナがないため、”Live Natural, Meet Local"(自然を生きる、地域と出会う)というキャッチコピーを添えた。英語を添えるだけで、なんとなく雰囲気が明るくなるからすごい。これもくだんの「ある方」からのアドバイスである。

ちなみに、文法的には”Live Naturally"の方が正しいが、キャッチコピーというのは若干文法から逸脱しているくらいの方がいい、と思う。

本サイトのデザインは、基本的な部分は私がやっているが、ロゴやタイトルなど重要な部分は家内が消しゴムハンコで作り、それを私が加工した。若い女性に受け入れられることを考えると、やはり同じ女性がデザインした方が共感を得られると思うし、何よりオヤジのデザインよりかわいい。家内との共同作業の結果、全部一人で作るよりよほどいいものが出来たと感謝している。

サイトのデザインはできたものの、実は中身の方が大変で、受注管理や顧客管理は実はまだほぼ空っぽの状態。デザインは極論を言えばテキストのみでもいいが、裏方はしっかりしていないと商売が成り立たない。目に見えない所の方が大変なんだなあとしみじみ感じる。最初のうちはいろいろ不手際もあるかもしれないが、暖かく見守っていただければ幸いである。

ついでにショップブログもオープンしているので、今後はそちらもどうぞ。

2013年1月25日金曜日

二つの意味でグルメな野鳥、ヒヨドリ

ポンカンの旬が到来した、のはよかったが、すごいスピードでヒヨドリ(鵯)に喰われ始めた。ヒヨドリとの収穫競争のスタートである。

本当に、やつらの食欲は半端ではない。すでに収穫量が30%以上減っていると思う。しかも、よく熟れた美味しい実から食べる。

ヒヨドリはグルメで、つついた実が美味しくないとほとんど食べずに残すが、美味しいと写真のように全部きれいに食べる。このように完食しているということは、このポンカンが美味しかったという証拠でもある。つまり、私のポンカン園は今ヒヨドリが大量に群がっているが、美味しい実がたくさんできたということでもあるわけだ。

ヒヨドリは主に日本にしかいない鳥だが、祖先はフルーツが多い熱帯の森にいたらしく、花の蜜や果物など甘いものが大好きである(昆虫などはあまり食べない。ちなみに葉物野菜も好き)。 ということで、果樹農家にとってはかなり重要な害鳥だ。先日、ポンカンはその本当の旬にはあまり出荷されないということを書いたが、その理由の一つには、1月下旬には大量のヒヨドリが飛来して、食害がひどいということもあるのだ。

というのも、ヒヨドリは留鳥(一年中いる鳥)だが、冬には北日本からたくさん渡ってくる。そのため、南薩のような暖地には、冬は非常にたくさんのヒヨドリが集まってしまう。ネットを掛けるといった対策をしている農家もいるが、露地ポンカンに限って言えば、なかなかそこまで手は掛けられないというのが実情だ。

ところで、このヒヨドリ、野鳥の中でも最も美味い部類らしく、狩猟をする人の間では好まれている鳥である。食べる方も、食べられる方もグルメというわけだ。特に、ミカン類を食べているヒヨドリは格別に美味いらしい。しかも、毛を毟るのが容易で、解体も簡単と聞く。害鳥対策も必要だが、こんなにたくさんいるので、ぜひ獲って食べてみたいものだ。狩猟免許が欲しくなってきた。

2013年1月23日水曜日

謎だらけの行事:鬼火焚き

1月20日、雨で延期になっていた「鬼火焚き」が行われた。

鬼火焚きは、全国的には「どんど焼き」などと呼ばれている小正月の行事の、九州西南部を中心にした呼び名。呼び方はともかく、日本全国の田舎の風物詩であろう。

この地域では80年前くらいまで鬼火焚きをしていたのだが、延焼してどこかの家が火事になったとかで長く中止されていたらしい。それを十数年前に復活させたものが現在の鬼火焚きで、特段伝統行事的な儀式もないし、由緒あるものではなさそうだが、豪壮に火が燃えるイベントというのは、ただそれだけで面白い。

そもそも鬼火焚き(あるいはどんど焼き)というものは、その由来があれこれと言われてはいるものの、基本的には起源も、日本全国に広まった理由も謎である。全国各地の土着の信仰と習合したために、その意味合いも各地で異なっていて、そこに一貫性のある信仰を見いだすのも難しい。鹿児島の鬼火焚きの場合は、歳神と共に来た悪鬼を祓うという意味があるというが、そんな意識は全くないような気がする。

一方で、 なぜかどんど焼きは一般に子どもの行事とされていて、全国的に子どもが主役である場合が多い。といっても、櫓(やぐら)を組んだり準備をしたりするのは当然に大人の仕事なのだが…。伝統の習俗というのは、内容的なところは移ろいやすいが、形式的なところは変わらないことが多いので、「子どもの行事」というのがその謎を解く鍵のような気もする。

ところで、同じ鬼火焚きでもその内容は地域によって様々である。南さつま市金峰町の白川という集落では、大きな櫓を作り、子どもたちがその中で一夜を明かしてから火をつけるらしい。こんな寒い時になぜ野営しなくてはならないのか、その理論的説明を是非聞いてみたいものだ。もちろん、実際にその鬼火焚きも見てみたい。

ちなみに、南薩の鬼火焚きは元は地味な行事だったのが、北薩からの影響で櫓が巨大化していった可能性があるそうだ。うちの集落の鬼火焚きも、復活の立役者は北薩の出身者である。鹿児島の中でもいろいろ変遷がある。古い記録を調べると面白いかもしれない。

ついでに書くと、私が竹林整備をして除伐した竹が、この鬼火焚きでほぼ全部燃やせたのは本当に有り難かった。正直、処分に困っていたので。

2013年1月22日火曜日

ブログタイトルを変更したついでに反省してみる

ブログのタイトルを「南薩の田舎暮らし」から「南薩日乗」に変えた。

その理由は、今般オープン予定の通販サイトの名前を「南薩の田舎暮らし」にすることにしたためである。タイトルをころころ変えない、というのはWEBサイト運営の原則と思うし、これまでブックマークに登録してくれていた人には悪いけれども、ブログが同名だと運営している側としてもややこしいので、こちらを変えることにした次第である。ただ、無関係ではないので「南薩の田舎暮らし 別棟」とタイトルに添えた。

「日乗」はやや耳慣れない言葉だが、永井荷風の「断腸亭日乗」で知られるように「日々の記録、日記」という意味で、要は、南薩の日々の記録、という意味合いである。

そしてタイトルを変えるついでに、開設して1年たったということもありトップバナー等のデザインも変えてみた。前のバナーはうちの梁を背景にしていたが、今回は庭のスモモの樹である。ちなみに文字は拙いながら自分自身の書。ヘタクソな字でも、やはり活字でなく書き文字を使うと躍動感が出ると思う。前のバナーはかなり地味なデザインだったので、少し明るい雰囲気になった。

さらに、もののついでに、この1年のブログの統計を見てみると、次のような感じである。
  • ユニークユーザー数は約1万人、訪問数は1万8000、ページビュー数は6万5000ページくらい。
  • とはいっても、70%以上は10秒未満で離脱する閲覧なので、実際の訪問数は5000訪問、4万ページビューくらい。新規とリピータの割合は半々。
  • 約30%が地元(鹿児島、加世田)からの閲覧。 
  • 現在の1日平均の訪問数は約100人くらい。
総括すると、別に訪問数や閲覧数に目標があったわけではないが、特に地元からはそこそこ見てもらえた、というところかと思う。

ちなみに、閲覧数が伸びた要因として、早い時期に「Web笠沙」がリンクを貼ってくれたということがあるので、この場を借りて御礼を申し上げたい。もちろん口コミしてくれた人にも感謝である。

このブログは情報量はあると思うが、何しろ悪文というか、教科書のような文体で面白味に欠ける上、記事もやや上から目線になってしまいがちである。だが、それをいつも読んでくれる人がいるのはとても有り難いし、生活の励みにもなっている。タイトルの語呂が悪く変わって申し訳ないが、質を向上させ、価値ある情報を発信していきたいと思うので、今後ともご高覧いただければ幸いである。

2013年1月17日木曜日

ポンカンの本当の旬

先日「ポンカンの収穫をぼちぼちしている」と書いたけれど、実は周りの農家には、もう全て実を収穫してしまっている人も多い。というのも、ポンカンは基本的に御歳暮贈答用の果実であるため、年内に出荷した方が単価が高いからである。

しかし、ポンカンの旬が12月かというと、そうでもない。味が乗って美味しい時期というのは、1月下旬から2月ということになると思う。素朴にはこの時期がポンカンの旬であって、この時期に出荷すればいいと思われるが、実際はこの時期のポンカンは二束三文である。

美味しいポンカンが二束三文で、やや早採りの年内収穫のポンカンが高いというのはなんだかおかしい気がするが、「ポンカンを御歳暮に贈りたい」という消費者のニーズに応えた結果ともいえる。また、2月になるとタンカンを始めとして甘味の強い他の中晩柑類(ミカン以外のカンキツ)が出荷されはじめるため、ポンカンの相対的な価値が下落するという事情もある。

よって、美味しい時期のポンカンが二束三文であることは、別に誰が悪いというわけでもない。だが、農家はできるだけ価格が高い時期に出荷しようとするため、結果として、ポンカンは本当の旬ではない時期に大量に流通することになる。こうなると、普通にポンカンを購入する人はその本当の味を知らない、ということになってしまう。

もちろん、その問題は生産者もよくわかっているのだが、これまでの流通や販路が年内の贈答用出荷を最優先として構築されてきたため、2月にポンカンを売ろうとしても大口の販路がないのである。さらには、早採りした方が樹への負担が少なく、生産が安定するという植物側の事情もある。

しかしながら、ポンカンのような果物は嗜好品である以上、美味しくなければいつか見捨てられてしまう。ポンカンを贈答用に購入する消費者も高齢の方が多いと聞くし、このままだと消費が先細りになると思われる。

現在、カンキツの品種は百花繚乱の観があり、今さらポンカンというのも古くさいが、かつて「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたポンカンの魅力は、上述のような事情で市場的には十分に発揮されていない。一番美味しい時期に出荷することが合理的になるように、仕組みを工夫してみたい。

2013年1月16日水曜日

1月26日(土)、銀座三越で物産イベント「南さつまの実り」が開催予定

全農が2010年からやっている「みのりみのるプロジェクト」というのがある。

これは「農業を軸として多用なライフスタイルのあり方を提案する」というもので、Facebookを活用したり、デザインがかわいらしかったりして、いい意味で全農らしくない活動。ポスターなどが垢抜けているし、銀座三越の屋上に「みのる食堂」「みのりカフェ」を設置するなどセンスが若い。

この「みのりみのるプロジェクト」が、いま南薩を特集中であることは、関係者以外ほとんど知られていないであろう…。

具体的には、同プロジェクトが発行するおしゃれなフリーペーパー『AGRIFUTURE VOL.15』で南さつまが特集されており(正確にはJA南さつまの管轄範囲=南さつま市、枕崎市、南九州市)、1月26日(土)には、銀座三越9Fで「みのりみのるマルシェ 鹿児島県南さつまの実り」が開催される。

『AGRIFUTURE VOL.15』では、知覧紅(さつま芋)生産者の上木原さん夫妻、有機栽培の知覧茶生産者の塗木達郎さん、黒牛生産者の江籠範厚さんが大きく紹介。また特産品として、それ以外に「ポンカン・タンカン・キンカン」が紹介されている。さらに唐突に(?)坊津が見開きで紹介されていて、観光ボランティアガイドの鮫島昭一さんの的確な案内が掲載されている。

イベントの「みのりみのるマルシェ」は、簡単に言えば産直物産イベントだが、南薩というくくりでこういうイベントが行われることはまずないので、たった一日の小規模イベントとはいえ貴重と思う。内容は、お茶の販売の他、
「加世田のかぼちゃ」や「知覧紅」、「きんかん春姫」、「たんかん」が県ブランド指定を受け、一大産地を形成しており、今月の旬「枕崎にんじん」や「実えんどう」「スナップえんどう」など生産者の丹精込めて仕上げた農産物が揃います。
とのこと。何が出品されるのかイマイチ不明だが、0.1%くらい、私がJAに出荷したかぼちゃがそこに混じっている可能性もあるのかもしれない。

それにしても、この「みのりみのるプロジェクト」、センスは今っぽいのにほとんど注目されていない。三越に店を構えているのは全農の資金力としても、営農販売企画部の担当者が一人でやっているようなところがあり、展開が小さい(全農のWEBサイトにも直リンクがない…)。このマルシェも1日だけじゃなく、1週間くらい開催すればいいのにと思う。LEEとコラボしてジーンズのつなぎを開発するような(採算が取れるのか不明だが)面白いグッズ製作もしていて、これからも頑張ってもらいたいと思う。東京近郊で興味のある人は、三越のイベントにも行ってみてほしい。


【情報】みのりみのるマルシェ 鹿児島県南さつまの実り
2013年1月26日(土)銀座三越9階(GINZA TERRACE)10:00〜

2013年1月14日月曜日

ポンカンの収穫をぼちぼちやっています

昨年末から、ぼちぼちポンカンの収穫をしている。

初めてポンカン(とタンカン)を栽培してみたわけだが、結果はあまりよくない。玉が揃っていないし、表面が汚い(キズ等がある)のが多い。

玉が揃っていないのは摘果が甘かったせいだ。つまり成らせすぎた。最初だから加減が分からなかったが、今年の経験でなんとなく摑めた気もする。

表面が汚いというのは、サビダニという目に見えないダニがたくさんいたせいで、直接的には薬剤散布が適期にできなかったためと思われる。私は初年度の栽培ということで、薬剤散布をカレンダー的(つまり、防除基準に定められている通り)にやったわけだが、今年は天候不順もあったせいで、有効な防除になっていなかったかもしれない。

味の方はどうかというと、少し淡泊かなと思っていたが、1月も半ばになって味が乗ってきた気がする。もちろん他の人のポンカンと味比べをしてみないと分からないが、ちゃんと予措(採った後しばらく貯蔵して熟成させる)すれば許容範囲の出来と思われる。

ポンカンは初心者向け果実と言われていたが、確かに素人の管理でもそこそこ収穫することができたし、普通に食べる分には十分のものが出来た。次年度は有機栽培にトライしたいと思うので、主に病害虫防除の点ではまたしても散々な結果になることが予想されるが、今年度の反省を踏まえてよりよい栽培ができたらと思う。

一方で、タンカンは管理が悪いと全然ダメのようだ。似たようなカンキツなのに性格がかなり違うのは面白い。

2013年1月10日木曜日

遺品整理は(面倒だけどやり始めると)面白い

昨年末、大掃除で少しだけ遺品整理をした。なかなか面倒な作業だったが、面白かったこともある。

うちは築約百年の古民家であるが、基本的には遺品の類はかなり処分されている。例えば古い家具とか衣類などは残っていない。が、仏壇周りだけは手つかずの状態で残っていて、収納スペースがもったいないので少し整理してみることにした。

内容は、本、写真(アルバム)、思い出の品(?)、という感じだが、今回手をつけたのは本である。残された本を見るだけでも、そこにあった人生を垣間見るようで面白い。本というものは、何か新しいことに取り組む時に参照することが多いから、ここに暮らしていた人がどういう希望をもって、何に挑戦していたか感じられるようである。

農村なので農業関係の本が多いのは当然として、栽培技術的なものではなく、例えば岩波書店の『村の図書室』シリーズなど、新しい農村を作っていこうとしていた当時の気運も感じられて面白い。この『村の図書室』は岩波書店が(かつて本を読まないと思われていた)農村の人々を啓蒙するため「農村青年」に向けて作った双書で、今で言う農文協の本みたいな存在のシリーズである。それから農村婦人活動に関する本も多い。どういう活動をしていたのだろうか。

だが、もっとも面白いものは、実はローカルな冊子だ。例えば、小学校の文集『大浦の子』、旧大浦町時代の広報誌といったものである。その中でも白眉は久保青年団発行の小冊子(文集みたいなもの)で、昔の青年団はこんなことまでやっていたのかと驚かされた。これらについては、いずれ内容を詳細に検証してみたいと思う。

それにしても、遺品整理というのはかなり大変な作業である。基本的には不要品なので本などもほぼ全部捨てることにしたが、それでも本の間に写真が挟まっていたりして油断がならない。けっこうな作業量なので委託は新しいビジネスになるのではと思ったが、調べてみると既にいろいろな業者がある。なんと遺品整理士という資格まで存在していた。その仕事内容は、遺品整理というより清掃や不要品処分が中心だが、これから団塊世代が老後を迎えるので今後成長していく産業だろう。

ところで、家具の処分などは委託できるが、(ローカルな)本や写真についてはどのように整理するのだろうか。遺族にとってはいらないものでも、貴重な歴史の証言者である場合もあるし、そこが遺品整理で一番面白いところなので、安易に処分しないようなやり方で処理してもらいたいものだ。何十年か経つと、民俗学の資料としてとても貴重になると思うので。

2013年1月3日木曜日

2013年、正月。

謹賀新年。

この写真は残念ながら元旦ではないが、1月2日の朝焼けの写真。大浦の顔の一つである磯間嶽にかかる曙光である。

一年の計は元旦にあり、というのは随分平凡な言葉だが、ここに移住してきてちょうど一年ということでもあるので、昨年の反省と今年の抱負めいたものを述べておきたいと思う。

まず昨年の反省であるが、
  1. 農業倉庫建築、機械購入など農業基盤整備があまりできなかった。
  2. 山の整備と利用が進まなかった。
  3. 栽培した作物の管理もあまりよくなかった。
  4. 農業に関して、いろいろな記録をちゃんとやっていなかった。
というところかと思う。それから仕事には関係ないが、自宅の庭の管理がおざなりだったことと、墓参りや墓地の掃除があまりできなかったことも挙げられる。それから、農産物販売サイトを開設の予定であったが、なぜかInternet Explorerで正常に表示されないという問題があってそれも延びているのも気になるところ。

次に新年の抱負であるが、上記反省点を改善するのは当然のこととして、次のことに取り組んでみたい。

第1に作付体系の検討。農業経営の要諦は作付体系にあると思うが、これは一度構築してしまうと(機械や資材などへの投資が必要なので)なかなか変えられない。しかも出荷体制や気候、借りられる土地の条件など制約は多く、効率的な体系を主体的に構築していくことは難しい。当面は果樹と園芸作物(かぼちゃなど)を考えているが、より効率的な体系を(やや長期的な意味で)検討したいと思う。

第2に農産加工所の開設。ここは大消費地から遠く隔たった本土の端っこなので、農産加工は必須だと感じている。最初は普通のキッチンみたいな規模からスタートして、経験を積みたい。ただ、これに関しては自分よりも家内の活躍に期待するところ大である。

第3に有機栽培への挑戦。実際成り立つものなのか、やってみなくてはわからないので、限られた範囲で実験してみる。とりあえずポンカン・タンカンは有機栽培とし、園芸作物についても出来そうなものがあれば取り組んでみたい。

ともかく、昨年の仕事や暮らしを思い返せば、いろいろな場面で先輩農家や周りの人たちが助けてくれ、それでなんとか成り立ったというところかと思う。まだまだ私自身わからないことだらけではあるが、今年は、あまり迷惑にならない程度の仕事ぶり・暮らしぶりができるように努力したい。本年もよろしくお願い致します。