2014年6月27日金曜日

「ペクチン」のお勉強

ペクチン―その科学と食品のテクスチャー (Food Technology)
唐突だが、どうしてジャムはドロリとしているのだろうか? ジャムの原料となる果物や砂糖はドロリとはしていないのに、ジャムがドロリとしているのはなぜなのか?

これには、ペクチンというものの化学反応が関係している。ジャムは、砂糖、ペクチン、酸の3つが適度な割合で存在していないとうまく固まらずドロリとならない。この3者の化学反応によって、元々はサラッとしている材料から、ドロリとしたジャムができるのである。

では、その反応は具体的にどのようなものなのだろうか。また、そのような反応が起きるのはなぜなのだろうか。そして、ジャムの食感を狙い通りに作るにはどうしたらよいのだろうか。そうしたことを知るには、ペクチンの物性を理解しなくてはならない。というわけで、『ペクチン―その科学と食品のテクスチャー』という本を読んで勉強したのでその内容を備忘を兼ねてまとめてみよう。

■ペクチンとは何か?

そもそも、ペクチンは植物の中でどのように存在し、どのような役割を果たしているのだろうか。

ところで、「ペクチン」という単語は「ペクチニン酸を主成分とする植物由来の多糖類の混合物」を指していて、物質自体の呼び名ではない。だから、「ペクチンの物性」というような言い方は少しおかしい。正確には、「ペクチニン酸の物性」と言わなくてはならないし、植物の中に存在する状態について述べる時は、「ペクチン質」という単語を用いるのが適切である。

で、ペクチン質が植物の中でどんな役割を果たしているのかというと、大雑把には細胞同士の接着剤と言える。ペクチン質は細胞壁と中葉組織(細胞と細胞の間)に存在していて、細胞と細胞をくっつける役割を持っている。

ペクチン質の主成分であるペクチニン酸は、細胞壁を構成するセルロースと同じような多糖類(糖類が鎖状に連なったもの)である。しかし、種々の点でペクチニン酸とセルロースは異なった性質を持つ。

第一に、セルロースは一度生成されると植物自身にもそれを分解する能力がないのに対し、ペクチニン酸には可逆的な生成機構がある。例えば、青い果実は硬く、熟すると軟らかくなるのはペクチン質が関係している。こうした植物の硬軟化が起こるのは、生成されたペクチニン酸が変化することによるのである。

第二に、セルロースはグルコースという糖だけを材料にした多糖類なのに対し、ペクチニン酸は主成分のガラクツロン酸(ガラクトースという糖が酸化されたもの)に加え、ラムノース、キシロース、ガラクトース、アラビノース、グルコースなど様々な糖を含む複合多糖類である。しかも、直鎖のみならず側鎖(枝分かれした部分)を持っていて、構造は遙かに複雑である。そのために、ペクチニン酸の正確な構造は現在においても解明されていない。そして、こうした複雑な構造があることから、一口にペクチンといってもその機能や性質は植物によって様々であり、リンゴのペクチンとカンキツのペクチンではかなりの違いがある。その違いが、いわばリンゴとカンキツの(特に煮たときの)食感の違いを生むわけだ。

つまり、ペクチン質は細胞間の接着剤として、植物の固さを制御する機能を持っているのである。これは、植物を食品としてみるとペクチン質がその食感を定めている、と言える。

■ペクチンの変化と食感の変化

ペクチンは植物の固さを制御しているから、同じ植物の果実でも、未熟な時と成熟した時、そして収穫後に追熟した時ではその組成が随分と変化する。一般に、ペクチニン酸を構成する糖類の組成がかなり変化し、徐々に水溶性のものへと変わってくことで果実が軟化していく。

では、植物組織を加熱すると(肉の場合とは逆に)軟化するのであるが、これもペクチンが関係しているのだろうか? 実はその通りで、加熱によりペクチン質が分解・変質して細胞間の接着がゆるみ、また細胞壁が薄くなることで軟化するのである。

このように、野菜や果物を茹でると軟らかくなる、というごく当たり前の現象の原因にペクチンが関与していることがわかったのは今世紀に入ってからで、本格的な研究が行われ出したのはようやく1940年代になってからである。

しかし、加熱による固さの変化というのは野菜・果物によってかなり違っている。茹ですぎると硬くなる野菜もあるし、一度硬くなってから軟らかくなる野菜もある。ペクチンは加熱によって単純に分解されていくのではなく、pHや溶液中のイオン、そしてペクチン質の組成そのもの次第で複雑な化学変化を伴うのである。そういうわけで、野菜・果物ごとにペクチン質が加熱によってどのように変化するかは未だ十分には分かっていない。

ただ、基本的にはペクチニン酸は加熱によって分解されていく。問題は、それがどのように分解されるかということだ。固さを保持して加熱したいこともあれば、逆にあまり加熱せずに軟らかくしたい時もある。食感を制御しながら加熱するにはどうしたらよいのか

その答えは植物次第であるから万能の答えはないが、実は、ペクチンはそのメチル化の程度によって加熱の崩壊度が著しく異なることがわかっている。例えば、完全に脱メチルしたカンキツのペクチンはpH6以上で長時間加熱してもペクチン分解を起こさないことが分かっている。つまり、長時間煮ても軟らかくならない。理論的には、ペクチンのメチル化度を調整することで加熱による軟化の影響を操作することができるのである。

これは、「予備加熱(pre-heating)」の基盤となる理論である。予備加熱というのは、植物起源の食品を60〜70℃の低温で長時間予め加熱しておくことで、その後の調理の加熱による軟化を防止する技術である。例えば、加熱殺菌が必要な保存食品の場合、殺菌の際の加熱でふにゃふにゃになりその食感が損なわれてしまうことがある。そういう場合、予備加熱をしておくことで、食感を損なわずに加熱殺菌ができるのである。

例えば、ニンジンを缶詰にするときには、76.7℃で予備加熱しておくとその後加熱してもその硬度が最もよく保持される。

予備加熱は、低温の加熱によってペクチニン酸を脱メチル化することで、その後の高温加熱による分解を阻害して食感を維持する技術なのである。

このように、ペクチン質はメチル化の程度によってかなり性質が異なる。ここで、「メチル化」ということの意味を少しだけ解説しておこう。ペクチン質の主成分、ペクチニン酸の枢要な素材はガラクツロン酸なわけだが、これはガラクトース(糖)が酸化したもので、カルボキシル基を持つ。ペクチニン酸とは、このカルボキシル基のうちいくつかが、メタノールによってエステル化(=メチル化)したものなのである。そして、カルボキシル基がどのくらいの割合でメチル化しているか(メトキシル含量)、ということがペクチンを分類する際の大きな指標となっている。

具体的には、メトキシル基が分子量で全体の何%に当たるかで分類されていて、全てのカルボキシル基がメチル化した場合の最大値が16.32%なので、その約半分の7%を境に、それより大きいペクチンが「高メトキシルペクチン(HMP)」、それより小さいペクチンが「低メトキシルペクチン(LMP)」と呼ばれている。

HMPはジャム、ゼリーなどの製造に用いられ、糖と酸の存在化で水素結合型のゲルを形成する。一方、LMPはカルシウムやマグネシウムなどの多価カチオンの存在下でイオン結合型のゲルを形成する。ただこのゲルは一般のゼリーなどとは異なっているので、普通のジャムなどには用いられない。LMPのゲルは固形料が少なくて済むことや広いpH領域があることで広範囲な利用が可能で、サラダやデザートの調製、食品の被覆(スプレー)、魚の冷凍ヤケの防止などに用いられる。

LMPのことはさておき、普通のジャムを作る材料であるHMPについてもう少し詳しく見てみよう。

■ジャムとペクチン

HMPがゲル化する過程はとても複雑で、ゲル形成を説明するのに種々の理論が提唱されていてまだ完全には解明されていない。とはいえ基本的な考え方は固まっていて、「負の親水コロイドであるペクチニン酸に、糖が脱水剤として作用し、水素イオンがペクチニン酸の負の電荷を減少させ、分子の凝集を促し、網目構造を形成する」というのが定説だ。一般に思われていることとは違い、ジャムの硬化はによる化学変化によって引き起こされるのではなく、物質の組み合わせに由来するのである。

つまり、ペクチンによってジャムを作るためには、脱水に十分な糖と、水素イオンが必要である。水素イオンはすなわちpHで表されるから、糖の濃度とpHの調製がジャム形成に不可欠である。具体的には、ゲル化には最低でも糖度55%以上、pH3.0程度の溶液を作ることが求められる。

pHは酸によって調整するが、pHは酸の濃度そのものでなく、遊離した水素イオンの濃度(の対数)であるから、酸の濃度を高めてもさほど影響が大きくは出ない。ということで、ジャムの強度(固さ)を決めるのは、大雑把にはペクチンと糖の量である。ジャムをパンなどに塗るのに十分な硬度にするには、だいたい糖度は65%くらいは必要である。

事実、1988年にJASが改正される前は、JAS規格ではジャムは糖度65%以上となっていた。それが、健康志向の高まりなどで低糖なものが求められるようになり、実際に65%未満のジャムが主流になってきたことから、現状に合わせる形でJASが改正され、現在の規格では40%以上ということになっている。

しかし、40%の糖度では普通には硬度が求められる水準に満たないことから、様々な添加物が用いられており、どっちが健康なんだかわからないような状況もある。

ところで、糖度が65%のジャムというと、水分が30%程度だとすると、水分と糖で95%なのでその内実はほとんど砂糖水である。ペクチン、酸、そして種々の成分はほとんど1%未満の微量成分ということになる。つまり、どんな種類のジャムであれ、その味はほとんど甘いだけのものだ。だが、酸味や苦みは舌がより鋭敏に感じるので、実はそういう微量成分が大事である。さらに、味覚には直接関与しない香り成分がジャムの味を左右していて、ジャムの味というのは、1%未満の成分をどう調整するかという非常に微妙なところで決まっているのである。

■ジュースとペクチン

最後に、ペクチンのもう一つの重要な側面について触れる。それは、果汁の清澄化である。リンゴの果汁を搾ると白濁したジュースができるが、市販のリンゴジュースは澄んでいて白濁していないものがある。これはどうやって清澄化しているのだろうか。

実はこれがペクチンの操作による。ペクチンはコロイドとして果汁中に存在しているから溶液が濁ったように見えるが、このペクチンを分解してやると透き通ったジュースができるわけだ。ではどうやって分解するかということになる。

加熱してもペクチンを分解することができるが、高温が必要なのでジュースが変質してしまう。低温でペクチンを分解するにはどうしたらよいか。

さて、最初の方で触れたように、植物内でペクチンは生成だけでなく分解もされるので、このため植物内にはペクチンの分解酵素がある。この分解酵素を用いてペクチンを分解すればジュースを清澄化することができるのである。

具体的には、工業的にはポリガラクツロナーゼというものが使われている。植物内にもあるが、工業的には微生物培養したものが使用されている。その他、ペクチンの分解酵素にはいろいろなものがあり、これらを調整することによって食品の食感を変えることもできるのである。例えば、粘度の高い果汁に分解酵素を作用させることで、サラッとしたジュースを作ることができる、といった具合である。

ペクチンは、食品の味ではなくて食感を左右するという面白い物質である。しかし、構造が複雑であることや、結晶化などによって純粋なペクチニン酸を取り出せないこともあって、それがどのように食感を左右し、そしてそれをどうやって人間が操作できるか、ということがまだまだ各論レベルではわかっていない。とはいえ、最終的に美味しい食品ができればその化学変化などはある意味どうでもいい。無添加で低糖なジャムを身の回りの食材だけを使って作るにはどうしたらよいのか、そういう単純なことを知るために、少しでも役立ったらよいのである。

2014年6月20日金曜日

「共生・協働のむらづくり」に取り組むなら

我が久保集落が、「共生・協働のむらづくり活性化事業」なるものに取り組むこととなった。これは鹿児島県の補助事業で、要は地域の活性化を図るものだ。

私も最初は事情をよくわかっておらず、「むらおこしに取り組めということなんだろう」と思っていたのだが、県のWEBサイトで事業目的など読んでみるとどうも少し違う。

そもそも「むらおこし」ではなくて「むらづくり」なのがポイントだ。「むら(集落・共同体)」は既に存在しているわけだが、それをさらに「むらづくり」するとはどういうことか?

実はこの事業は、ただのむらづくりではなくて、「共生・協働のむら」というものをつくろうとするものらしい(つまり、「共生・協働の/むらづくり」ではなくて「共生・協働のむら/づくり」と読むのが正解だ)。で、「共生・協働のむら」とは何か? というと、私なりの理解では、行政だけに頼らずに、そのむらに関わるいろいろな組織や個人が役割分担をして集落機能を維持していく共同体、のことである。

「いや、それこそ集落そのものであって、むしろ「共生・協働のむら」でない集落って一体?」という声が聞こえてきそうだが、私も正直、この「共生・協働のむら」の概念がよく分からない。だが、県の意図としては、「今後、全てを行政のみで提供していくのは限界になるので、官民協働で地域に必要なサービスを提供していく”新しい仕組み”が必要です」ということがあるらしく、”新しい仕組み”がなんであるかはひとまず措くとして、それは一般論としては理解できる。つまりは、低下した自治意識・機能をもう一度強化しましょう、ということのようだ。

そういう目的の事業であるから、「集落の抱える課題を行政まかせにするのではなくて集落民自身(やその協力者)によって解決しよう!」というのが具体的な実施内容になる。これまでの活動事例集を見てみると、活動はだいたい次のようにまとめられる。
  • 文化・伝統の継承
    • 伝統行事・文化の継承と活性化
    • 史跡や文化遺産の再認識やパンフレット・看板の作成
  • 農業の振興
    • 直売所の設置や売り上げの向上
    • 農産加工品の開発と販売、新たな特産品の栽培
    • 集落営農(営農組織の立ち上げ、拠点となる機械置き場や堆肥置き場づくり、耕作放棄地の解消)
  • 地域内・地域外交流
    • 地域の異世代交流(餅つき大会、伝統行事など)
    • 花を植える、文化財を清掃するなどの美化活動
    • 都市住民との交流(農家民宿、ほたる観察会、農業体験、田んぼのオーナー制)
こうした活動は、直接には「自治意識の向上」を目的としてはいないが、集落の人々が共に取り組むことによって、結果的に自治会活動が盛り上がったり、地域の連帯感が強まったりという効果があり、それで「共生・協働のむら」づくりに寄与するということのようだ。

これらは、参加してそれなりに楽しめるものが多いし、必要性の高いものだったりするので、よい取り組みだとは思う。だが、本事業の目的が自治意識とその体制を変えていこうとするものならば、それと合わせて、別の方向性もあってよいのではないか。

例えば、過疎地の農村では、「自治意識の低下」がないとはいはないが、少なくとも都市部よりは昔からの自治組織が残っていることが多い。自治公民館を中心として、青年団とか、婦人会、子供会、老人クラブというのも一種の自治組織と見なせるだろう。

こうした組織の活動は、ややもすれば惰性的になり、慣習的な運営となりがちである。特に、集落の人口減と高齢化によって従前の活動を続けていくことが困難になっているにも関わらず、なかなか体制を変えていくことができない場合が多いのではないかと思われる。

久保集落の場合は、こうした自治組織はかなり整理されてきているようだが、もう少し改善する余地があるかもしれない。「低下した自治意識・機能をもう一度強化しましょう」というお題目とは逆行するが、自治会活動への負担を減らすということだって考えられるのである。

とはいっても、今まであったものを急になくすというのは難しいことで、やはりスクラップ&ビルドで、新しいもので置き換えていく必要がある。例えば、何らかの収益事業を行ってその収益で穴埋めをする、といった工夫がいるので、それはそれで骨の折れることだ。そういう骨の折れることを、この「共生・協働のむらづくり活性化事業」でできたらいい。例えば「イワダレソウ」という草払いの労力が減る被覆植物を公民館の法面に植える案が出ているが、そういうやり方もよいと思う。

これから、「何に取り組むか検討していきましょう」という議論をやっていくが、せっかくの機会なので、むらおこし的なものだけでなくて、集落活動の見直しやその前段階として「見える化」のようなこともできたら面白いかもしれない。

2014年6月13日金曜日

南さつま市が「地域おこし協力隊」を募集!

地域おこし協力隊」をご存じだろうか?

これは総務省の政策によるもので、ごく簡単には、過疎地などへ都会から若者に移住してもらい、農林水産業や伝統文化の活性化に取り組んでもらうものである。任期は1年から3年。役所が都会の若者を「隊員」に任命して、給与をもらいながら地域おこしに取り組むわけだ。この制度は、都会から実際に移住してもらうところが特徴で、だからこそホンキの若者が集まってきて各地で地域おこしの起爆剤として活躍している。

特に名を上げているのが、メディアでもたびたび取り上げられている岡山県美作市の地域おこし協力隊。棚田の再生やお米のブランド化、またセグウェイの活用など活発な(前衛的な?)活動で知られ、また個人的にも少し知っている人が関わっていることもあり以前から注目していた。

【参考】限界集落を”集楽”に!美作市地域おこし協力隊が ”全国最強”とよばれる秘策とは?

こういう活動が南さつまでも出来たらなあ! と思っていたところ、今般南さつま市も地域おこし協力隊員を1名募集するということで今後の展開が楽しみである。

勤務先(?)は南さつま市観光協会。観光協会は一昨年くらいまで市役所の中にあるバーチャルな組織のようだったが、最近だんだんと実体化してきて、この募集はその一環なのであろう。観光をきっかけにして、南さつまの地域おこしにドンドン取り組んでもらいたい。

地域おこし協力隊の制度は、実際の移住を伴うので応募は気軽にはできない。だが、移住を考えている人にはいいきっかけ(+当面の収入)になる。私も、正直言うとこの制度を使って南さつまに移住して来たかった。Uターン・Iターンを考えていて、地元企業や農業で働くのではなく仕事にもこだわりたい、というような人には最適な制度だと思う。隊員としての活動の間に、その後の仕事への道筋も必ずや開けるはずだ。

というわけで、南さつまを盛り上げたいという都会の若者にこの情報が届き、素晴らしい活動が展開されることを期待している。応募の期限は6月30日まで。移住するという決断をするには短い期間だが、人生の転機というのは突然訪れるものだ。南さつま市で待っています。

【情報】詳細はこちらへ→ 地域おこし協力隊・観光協会スタッフ1名募集します!!

2014年6月12日木曜日

南薩鉄道の廃線跡

鉄道ファンにも「撮り鉄」とか「乗り鉄」とかいろいろあるが、世の中には「廃鉄」とでもいうべき人達がいる。つまり、廃線跡を歩くことを無上の喜びとしている鉄道ファンのことだ。

もとより廃線路であるから、路線図を入手するのも大変だ。地図上で大まかな位置はわかっても、路線は撤去され、藪に埋もれ、跡形もなくなっている場合もある。だから地元の人に「ここに駅がありませんでしたか?」と訊きながら廃線跡らしきものを歩き、往時の姿を想像し、僅かな痕跡を見つけて喜ぶのである。

そういう人達のバイブル的存在(だと思います)が宮脇俊三さん編著の『鉄道廃線跡を歩く』というシリーズなのであるが、この3冊目の巻頭特集で南薩鉄道が大きく取り上げられている(絶版)。表紙も、吹上の(南薩鉄道の)永吉橋の橋脚の写真だ。これは南薩鉄道の廃線跡の中でも見所の一つで、立派な4つの橋脚が佇む様子は寂寥としていて、遺跡のような悲しさがある。

ちなみに、このシリーズは「廃鉄」たちのルポ(?)をまとめたものだが、南薩鉄道に関しては宮脇さん自身の紀行文である。鉄道紀行の素晴らしい書き手である宮脇俊三さんが、どうして南薩鉄道を取り上げたのか、そのあたりのことは何も書いていないが、この鉄道に何らかの魅力を感じていたのだろう。

今年は、南薩鉄道開業100年、廃止30年ということで、南さつま市では7月に企画展が開催される予定である。私は、年齢的にも南薩鉄道を知らず、また移住組であるから直接の思い出があるわけではない。しかし滅んだものは好きなたちであるから、廃線跡というのを興味深く思っていたところであるし、楽しみにしている。

ところで、南薩鉄道の廃線跡はサイクリングロードとして整備されている区間も多いので、廃線跡は決して過去の遺物というだけではない。南さつま市は旧加世田市から引き継いだ「自転車の街」も売りにしているわけだが、これは廃線跡をサイクリングロードにしてそれを目玉にしよう、という政策による部分が大きい。廃線跡を共有する日置市との連携もあまりないようであるし、この政策は未だ十分に達成されていないように思うが、廃線跡の活用について、この企画展をきっかけにしてもう一度考えてみるのもいいかもしれない。

2014年6月7日土曜日

笠沙恵比寿の指定管理者の募集にあたって

またしても、公有施設の指定管理の話である。

笠沙恵比寿は笠沙にある宿泊・博物館・レジャーの施設。2000年のオープンで、2006年をピークに利用者数が減少してきた。南さつま市等が作った第3セクター「株式会社 笠沙恵比寿」がこれまで運営してきたが、累積債務が8000万円に上って経営に行き詰まり、今般指定管理者を公募することなった。

これまでも「株式会社 笠沙恵比寿」が公募を経ずに指定管理者で運営してきたのだが、従前の指定管理料(委託費)は1480万円。それでも毎年1000万円を超える赤字を出していた。というのも、3セクではどうしても果敢な経営は難しい。何しろ社長は市長である。旅館業・観光業の経験があるわけでもない市長が経営する会社が、繁盛する方がおかしい。

そういうわけで、このたび3セクは解散させる方向で指定管理者の公募に踏み切ったわけである(公募に対して応募がなかった場合は3セクによる経営を継続する)。

その公募条件を見てみると、指定管理料の上限が1800万円/年となっている。現在は、市の補填分が3000万円弱なので、これを2/3に縮減するような格好であり、まあ妥当な条件ではないかと思う。ただ、例によってこの公募にも少し不満がある。

第1に、「…事業者を広く募集し、活用計画の提案を受けて最適の指定管理者を選定することを目的とする」(募集要項より引用)としながらも、どうも「広く」募集しているようには見えないことである。例えば、プレスリリースはどのようにしたのだろうか? 現地説明会を行うこととなっているが、広く募集するのであれば、事前説明会を都市部で開催すべきだし、旅館業の業界団体などにも周知を図るべきである(実は裏でやっていたらすいません)。

第2に、笠沙恵比寿のあり方については、市役所は2011年か12年に「笠沙恵比寿あり方検討委員会」を設置して検討しており、今回の指定管理者の公募はその報告書の提言に基づくものと思うが、この報告書が公表されていない。公明正大に話を進めることが大事だと思うので、報告書を公表して、これまでの経営の実態を明らかにし、過去を清算して次のステップに進むべきだと思う。

というような不満な点はあるが、今回の公募で素晴らしい経営者が現れ、笠沙恵比寿が地域の観光の目玉として再生してほしいと願っている。実は、この公募に先立ち、私は「笠沙恵比寿を星野リゾートが経営したら面白い」と思い、(面識はもちろんないが)星野リゾートの星野社長に「笠沙恵比寿の指定管理者が早晩公募されるので注目してほしい」という手紙を出していたのだが、なしのつぶてだったようだ。

笠沙恵比寿は、観光+漁業という独特なコンセプトの宿泊施設であり、施設全体が水戸岡鋭治氏のデザインでもあるし、決して市のお荷物ではなく、むしろ財産だと思う。それを活かすためには、ただ公募すればよいというわけではなく、いろいろな工夫がいる。市の方には、本当に最適な、素晴らしい事業者にこの情報が届くように、精一杯取り組んでいただきたい。ちなみに、募集要項の配布は6月23日まで、申請は7月4日までである。

【参考】
募集要項等はこちら→ 笠沙恵比寿の指定管理者を募集
これまでの経営状態などはこちら→「市報南さつま」2012年7月号

2014年6月2日月曜日

写真家の松元省平さんに会いに行った話

南さつま市の小湊に、松元省平さんという写真家が住んでいることを最近知った。

私は松元さんの『人間の村』という写真集を偶然目にして強い印象を受け、調べてみると住所が南さつまということでびっくりし、せっかく近所に住んでいるのだからということで厚顔にも訪問させていただいた。この写真は、松元さんのアトリエに飾られた作品の数々。

ちなみに『人間の村』という写真集は、長崎にある廃村をモノクロームで撮ったもので、廃屋になった団地とか、民家とか、かつてそこにあった生活の痕跡を切り取った写真が並んでいる。それは、少し不気味でもあるが、当地のような「限界集落」に住んでいると見慣れた光景でもある。特にその中の一枚が、昨年取り壊された近所の廃屋ととても似ていて、それで印象深かったのかもしれない。

都会に住んでいると「廃村」の写真は非日常的な、いわば別世界を覗くような所があるが、ここに住んでいると「廃村」は身近な存在である。私は遺跡とか、遺構とか、既に滅んだものが元々好きだったが、都会に住んでいた時と比べてそうしたものへの見方が少し違ってきた気もする。

それはさておき、松元さんは、もともと鹿児島出身ではない。岡山の生まれだという。それがどうして小湊のような辺鄙なところに住んでいるのかというと、妻方の故地であるここが気に入ったからということだ。現役を退いて、自然が豊かな環境に暮らしたいということで2008年に移住してきた。岡山も十分田舎で、自然が豊かではないかと思うのだが、松元さんに言わせると、沿岸部の開発が大分進んでいて、自然の風景がさほど残っていないのだそうだ。

最近撮られた写真をいくつか見せていただいたが、美しい夜空や星雲、アンドロメダ銀河といった夜の写真だった。アトリエには立派な望遠鏡もあった。晴れた日には、ほとんど夜空を撮るという。私は、常々「このあたりは星空がきれいなのに、なぜか夜空を撮る人がほとんどいない」と思っていたところだったので、こうしてプロの写真家が丁寧に夜空を撮り溜めていることに、わけもなく心強く思った次第である。

ところで、松元さんの自宅に伺ったのは、松元さんが発行している『REPO』という写真誌を購入するためだった。驚異的なことだと思うのだが、松元さんはその写真誌を28年も趣味で製作しているのだ(現在は休刊中)。一体全体、それはどんな写真誌だろうかと思い、是非見てみたくなった。それで、(郵送で手に入れることも出来るのだが)松元さんのお宅を訪問したのである。


それは、手作りの小さな冊子だった。松元さん自身も鹿児島について写真と文章を連載していて、写真家の目から見た南薩がどんなものなのかもっと知りたくなった。移住後に創刊された最新の第4次『REPO』も全部で15冊あるそうだ。南さつま市の図書館が購入して、広く閲覧できるようにしたらいいのに、と思った。

2014年6月1日日曜日

「大浦 "ZIRA ZIRA" FES 2014」が開催されます

2014年7月20日(日)、「大浦 "ZIRA ZIRA" FES 2014」が開催される!

これは要するに地域の大バーベキューパーティで、「地域の将来を担う若手が一堂に会する機会を持って、様々な活動を活発化する契機にしましょう!」というものだ(あくまで私の理解です)。

サブタイトルに「やきにくでステーキな出会いを…」とついているが、別段街コン(婚活イベント)的な意味合いはなくて、ノリでつけたものらしい。でもこういうイベントだと、近くに住んでいても普段会わない人に会えるので、いい出会いもあるかもしれない。

とまあ、イベント自体の紹介はともかく、実は、この焼肉フェスのポスターをデザインしたのは私である。背景の写真は、友人の愛甲くんから提供してもらったもの。

依頼されたイメージは、焼肉をジュージュー焼いているような画像を配置するような感じだったが、大浦の満点の星空の下で焼肉を食べるのはさぞかし美味かろうと思い、独断で星空の写真を大きく使うことにした(でもWEBで見ると背景が星空であることが残念ながらわかりにくい…)。

大浦の若者を100人集めることが目標だそうなので、それに少しでも役に立つポスターになっていたらと思う。もちろん、大浦在住でない人も参加は歓迎ということだ。私としては、こういう機会に大浦の人同士だけでなく、他の地域の若者ともネットワークが広がっていったらいいのではないかと思っている。

【情報】大浦 "ZIRA ZIRA" FES 2014
日時:2014年7月20日(日)19:00〜
場所:大浦老人福祉センター前芝生広場
申込〆切:7月11日(金)
参加料金(やきにく代含む):男性2000円、女性1500円、小中学生500円
ステージ:ザ★タオルマンズ/太鼓座神楽/江頭組/有木青年隊/おさむんちゅ
主催:大浦 "ZIRA ZIRA" FES実行委員会
共催:おおうら元気づくり委員会
お問い合せ・申込先:おおうら元気づくり委員会事務局 62-2110 または 最寄りの実行委員まで(ポスター参照)