2019年4月30日火曜日

県立薩南病院の移転先をどうするか

薩南病院は、吹上浜を覆う松林の中にひっそりと建っている。

改築から約40年が経過し、施設がかなり老朽化したことから、この建て替えが検討されているそうだ。

しかし老朽化以外にも課題はある。長期的には、人口減少社会の中で経営が成り立って行くかどうか、短期的には診療科を充実すべきではないかということ(特に休診している小児科の再開、産婦人科の新設)、そして立地面では交通の便が悪いということである。


こうした課題への対処方針を検討するため、県では「県立薩南病院あり方検討委員会」を平成26年に設置して有識者に議論してもらい、その提言は平成28年3月にまとめられている。

【参考】県立薩南病院あり方検討委員会
http://hospital.pref.kagoshima.jp/arikata.html

この報告書はなかなか真面目に作られていて病院の置かれた状況がよくわかるよい資料である。ちなみに報告書では建て直しについても簡単に触れられていて、
なお,今後,県立薩南病院の建物を整備するとした場合,立地の条件としては,診療圏の拡大や患者数の増加による経営の安定化,周辺医療機関の診療科との役割分担,公共交通機関の利便性といった視点で検討する必要がある。
と書いてある。これはその通りだと思うが、私ならもう一つ付け加えたいと思う。それは、薩南病院の立地がまちづくりに及ぼす影響である。

南さつま市としては、薩南病院の建て替えにあたっても引き続き南さつま市に設置してもらえることが当然の希望である。というより、別の自治体に移動してしまうなら、いっそ建て替えて欲しくないというのが本音だろう。

中には、今の松林が雰囲気がいいのでここに建て替えて欲しい、という方もいるそうである。しかし、県立病院がこのような辺鄙なところに立地しているのは、もともと薩南病院が結核の隔離病棟、いわゆるサナトリウムだったためで(今でも結核の病床がある)、隔離が必要だった昔ならいざ知らず、今の時代に敢えて交通の便が悪いところにある意味もないので、やはりもうちょっと街中に移設するべきだろう。

そもそも、薩南病院にはもともと小児科があったのになぜ休診せざるをえなかったのかというと、小児科医が確保できなかったというのが一番の問題らしい。というのも、医師不足の中でわざわざこんな僻地の施設の老朽化した病院に行かなくても、もっとよい条件の病院がたくさんあるからだ。

よって、建て替えにあたっては、医師に選ばれるような病院にしなくてはならない。そのためには、ある程度アクセスのよいところにするか、今の位置を堅持するにしても医師にとって魅力のある施設にしなくてはならないだろう。

そして同時に、住民にとっても病院の立地は重要である。病気をした時だけでなく、こういう大きな施設は街の在り方に大きな影響を与える。人の流れもそうだし、施設で働く人の存在も大きい。医師や看護師の子どもがいることで、小学校の児童数も影響してくる。県立病院の立地は、ただ県立病院の経営問題なだけでなく、我々のまちづくりに直結する問題なのである。

の、割にはである。薩南病院の立地をどうするか、というようなことはまだ住民には投げかけられていないようだ。県では薩南病院の建て替えについては2019年度中に基本構想をまとめるとしているから、これからそういう話があるのかもしれないが、報道によればパブリックコメントをするくらいで、ほとんどは密室で決めようとしている感じだ。確かに住民の議論ではまとまるような話ではないかもしれない。

【参考】【鹿児島】県、新薩南病院移転/来年度、基本計画まで策定|鹿児島建設新聞
http://www.senmonshi.com/archive/02/02E77JKBIKYOC0.asp

でも私は、こういうことこそ政治力の力比べではなくて、住民の意思を尊重して決めてもらいたいと思う。自分たちの街をこういう風にしたいという住民の希望に基づいてもらいたいのである。もちろん住民の希望だけでは決められない事項ではあるが、少なくとも希望を斟酌するくらいはやってしかるべきだ。

よく「まちづくりは住民が主役!」と言われる。こういう時こそ、この言葉を思い出すようにしたい。

2019年4月19日金曜日

『薩南文化』に当ブログの記事が掲載されました

南九州市が出している『薩南文化』という年刊の地域文化誌、この最新号の第11号(平成31年号)に私が寄稿した記事が掲載された。

それは、 「清水磨崖仏群と齋藤彦松」という記事。実は当ブログでかつて書いたものである(ただしほんのちょっとだけリライトした)。

【参考】清水磨崖仏群と齋藤彦松
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2017/07/blog-post.html

『薩南文化』は原稿募集型ではなくて依頼型の雑誌。つまり私が投稿したのではなくて、この記事を読まれた担当の方から、書いて欲しいという依頼があって書いたものだ。しかもなんと原稿料も出る。初めてものを書いて原稿料をもらったかもしれない。本当に有り難いことである。

詳しい内容は先ほどのリンク先を読んでいただければと思うが、簡単に言えば、それまでさほど価値があると思われていなかった清水磨崖物群の価値を見いだし、保存や研究に打ち込んだ齋藤彦松を紹介したものである。

どうして私が彼に興味を持ったのかというと、「清水磨崖仏群の価値を見いだしたのは、当時大学院生だった齋藤彦松氏である」というような簡単な紹介をどこかで読んだからだった。これを読んで、私は「どうして一介の大学院生がきっかけになったのだろう?」と疑問を抱いたのである。大学院生なんかたいして影響力がないのが普通だが、この大学院生は何者だったのか、と。

調べてみると、確かに清水磨崖物群を「発見」した齋藤彦松は、その時大学院生ではあったが、今の世の中でイメージされる大学院生とは随分違う。当時は昭和33年。大学院に進む人自体がほとんどいなかった時代だ。大学院生であっても、いっぱしの研究者として扱われていたのかもしれない。少なくとも、今の大学院生よりは権威があったろう。それに齋藤は既に40歳になっていた。そもそも大学に入ったのが36歳の時である(齋藤の若い頃には戦争があって学問どころではない時代だったから、当時はこういう人が結構いたのかも)。その頃の齋藤彦松は、一介の大学院生とはいえ、中堅の研究者の風貌をしていたのだろうと想像される。

しかし、そうは言っても、清水磨崖物群がある地元川辺町の人にとっては「もの好きなおじさん」くらいに見えたかもしれない。「○○大学教授」とかならともかく、いくら大学院生が「これは貴重なものだから保存した方がいいですよ!」と声高に叫んでも、右から左に聞き流されるのがオチではないか。

ところが実際には、齋藤が保存を進言してからたった1年後の昭和34年には、清水磨崖物群は県指定文化財になるのである。これは県が指定したわけだから川辺町の人たちがどう関わったのかはよく分からない(ちょうどその時の「川辺町報」が南九州市、鹿児島県図書館のどちらにも保存されていない)。よくはわからないのだが、少なくとも齋藤の主張を右から左に聞き流したということはないと断言できる。よそものの大学院生の言うことを「真に受けて」、保存に向けて動き出した、というのは明らかなのだ。

話を聞いてみると、川辺町の風土というか、街の雰囲気に「よそものを快く受け入れる。その代わり出て行った人には冷淡」というのがあるらしい。「出て行った人には冷淡」というのが面白いが、それはさておき川辺町には「よそものを快く受け入れる」というムードがあるのは今でも感じるところである。例えば、旧長谷小学校「かわなべ森の学校」(現「リバーバンク森の学校」)を使った「Good Neighbors Jamboree」もやっているのはよそものだが、こういう企画を受け入れる度量があるのが川辺である。

【参考】Good Neighbors Jamboree
https://goodneighborsjamboree.com/2019/

小さな町や村というのは、多かれ少なかれ「閉じた世界」を作っているものである。風景は何十年も変わらず、顔ぶれにもほとんど変化はない。「閉じた世界」になってしまうのはやむを得ない。しかしそんな場所でも、時にはそこにどこからか風来坊が現れることがある。その時に風来坊が言うことを、地元の人が「真に受ける」ことができるかどうかは、結構重要な気がする。

それは、その町や村が、ほんのちょっとでも外に向かって開いているかを示す、徴(しるし)であるのかもしれない。

2019年4月6日土曜日

「AIに勝つ まじないと魔除け展」と非合理の精神

鹿児島市名山町の「レトロフト museo」にて、このたびレトロフトの7周年記念として「AIに勝つ まじないと魔除け展」と題した展示会が開催される。

これに合わせていろいろなイベントが催されるが、特に初日には、『戦国時代の島津家と籤(くじ)』という講演会が予定されている。

【参考】7周年記念講演会『戦国時代の島津家と籤(くじ)』|レトロフト チトセ blog
http://retroft.com/5909
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記念講演会『戦国時代の島津家と籤(くじ)』
講師  尚古集成館 前館長 田村省三氏
日時  2019年4月14日(日)14時−15時
参加費 500円(要予約・先着30名様)
お申し込み コチラ←Clickに「講演会」と記入の上、お名前&連絡先を記入してお送りください。
会場  レトロフトチトセ1階 リゼット広場  鹿児島市名山町2−1 電話099-223-5066
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実はこの講演会の企画のきっかけが、有り難いことに私のこのブログ記事なのだという(!)

【参考】島津家と修験道——大浦の宇留島家
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2012/09/blog-post_26.html 

その詳しい内容は上のブログ記事を読んでいただくとして、ごくかいつまんで言えばうちの近所にあった「宇留島家」という修験者の家系(の先祖)が島津家に使えたと言う話。島津家では修験者のひくクジを使って戦の戦略を決めるなど修験者を重用していたのだった。
 
展示会企画者であるレトロフトのオーナー夫妻は、この記事に検索でたどり着いて興味を持ったという。オーナー夫妻には日頃大変ご高配をいただいているが、それとは関係なく検索に引っかかって注目したということである。本当に有り難いことである。

オーナー夫妻は、私の話を聞きにわざわざ自宅まで来て下さった。ところが専門家でもなんでもない私である。当然ながらたいした話はできなかったが、ブログ記事や私の話を元にしてさらに考究を進め、専門家の田村省三氏にご講話いただくことになったそうだ。こういうフットワークの軽さというか、果敢に切り込んでいく姿勢は大いに見習わないといけない。

ところで展示会のテーマである「まじないと魔除け」というのは、非合理的なものの代表だろう。一言で言えば「迷信」として退けられる類のものである。戦国時代の島津氏も戦の戦略をクジで決めていたというが、生死がかかった戦略をクジで決めるなんて、現代の人からするとちょっと信じられない。例えば社運をかけた新製品の販売戦略をクジで決める社長がいたらどうだろうか?

しかし一方で、社会システムの中に卜占(ぼくせん=うらない)を組み入れなかった古代文明はない。中国では亀甲のひび割れに神意を伺い、ギリシアでは「デルフォイの神託」に代表される各地の神託がそれこそ戦争のやり方から土地の売買、結婚すべきかどうかといったことまで決めていたのである。古代日本でも男王が続いた戦乱の世を終わらせたのは、卑弥呼という巫女(ふじょ)による神権政治であった。

古代の人は迷信深かったから神託などというものを信じたのさ、と人はいうかもしれない。しかしこうも世界中の古代文明が、何らかの形で卜占の体系を備えていたとなると、卜占は文明の根幹にあるなにものかであると考えざるを得ない。人間は合理的であるだけでは文明を創り出せなかった。非合理的なものを「依り代」に使って、社会を「飛躍」させる必要があったのかもしれない。

しかし同時に、社会の中心にあった卜占の体系は、その多くが有害な副作用を持っていた。古代アステカ、マヤ、インカ文明では怖ろしいほど多くの人間が生け贄として神に捧げられた。中世のヨーロッパを支配したローマ・カトリック教会は人間を本質的に罪深いものと見なし、その罪深さを利用して社会を支配し発展を阻害した。さらには近代に至るまで、多くの無実の女性が魔女として火あぶりになった。こういう事例がいくらでも挙げられる以上、卜占とか神託をあまり持ち上げるわけにはいかない。

だが卜占が文明の根幹にあるなにものかなのだとしたら、我々はこれからの文明を作っていくにも、かつての卜占を代替する何かを見いださなくてはならないのだろう。私は、それがAI(人工知能)ではないことは確信できる。それは合理的なだけではたどり着けないところにある何かであると思う。ただ、これからの時代、それは自由な批判精神と共存できるものでなくてはならない。

…ちょっと話が逸れた。たぶんこの展示会はそんな大げさな問題設定をしているわけではないだろう。しかし「まじないと魔除け」も、かつて人類が文明を生みだすのに与った「依り代」としての力があると思う。非合理と切り捨てるのもいいが、「依り代」から何を生みだすかは、それを使う人の技倆にかかっているのである。

【情報】
レトロフト7周年記念「AIに勝つ まじないと魔除け展」
会期 2019.04.14(日)〜2019.04.21(日)
時間 11:00〜18:00
会場 レトロフトMuseo 月曜定休 最終日21:00まで
料金 入場無料
HP http://retroft.com
主催者 レトロフトMuseo
お問合せ 099 223 5066 info@retroftmuseo.com

2019年4月1日月曜日

県民それぞれが主体的に取り組む地域振興の方針が、ひっそりと公開された怪

3月27日、県のWEBサイトにひっそりと7つのファイルがアップされた。

鹿児島県の各地域振興局(県の出先機関)が作った「地域振興の取組方針」である。

【参考】各地域の「地域振興の取組方針」
鹿児島地域(PDF:875KB)
南薩地域(PDF:1,914KB)
北薩地域(PDF:845KB)
姶良・伊佐地域(PDF:1,543KB)
大隅地域(PDF:2,720KB)
熊毛地域(PDF:2,268KB)
奄美地域(PDF:624KB)

これが一体如何なるものであるか理解するためには、一年前の2018年3月に県が策定した『かごしま未来創造ビジョン』を見なくてはならない。

『かごしま未来創造ビジョン』とは、概ね10年後を見据えて鹿児島県の施策の方向性を定めたもので、特に自然環境や食、医療機関などを「鹿児島のウェルネス」と位置づけてブランド化し、県民の「健康・長寿・癒し」に活かしていこうというものだった。

【参考】かごしま未来創造ビジョン
https://www.pref.kagoshima.jp/ac01/kensei/keikaku/vision/documents/new_vision.html

鹿児島県のWEBサイトより「鹿児島のウェルネス」
これは、そこに謳われている方向性の是非はともかくとして、資料としてなかなかよくできていて、鹿児島県の置かれた窮状が理解でき、総花的ではあるが一応県行政を体系化したという面で意味があったと思う。

そして実際に各地域で施策に取り組む「地域振興局」が、 このビジョンを補完するものとして取組の方向性をこの1年間かけてまとめたのが冒頭の7つの「地域振興の取組方針」なのである。

その内容は、当然のことながら一つひとつは読んで面白いものではないが、7つ並べてみるとなかなか興味深い。最もやる気を感じるのは大隅地域で、目次を見ただけで他の地域とは全然違う。他の地域が雛形を基に行政の縦割りに基づいて作っているのに比べ、大隅地域はちゃんと議論して柱を作ったのが見える。

それに大隅地域では、策定にあたって若手や地域おこし協力隊との意見交換を行っており、それがちゃんと書かれている。それだけで好感が持てるというものだ。

ちなみに私の住む南薩地域については、「観光」が大きく取り上げられているのが特徴で(指宿があるため)、逆に他の地域ではかなり扱いが大きい「教育・文化・スポーツ」が脇に追いやられているのが気になるところである。

さて、この「地域振興の取組方針」は、一見「地域振興局(県)の施策の方向性を定めるもの」に見えるのであるが、実は違うのである。その趣旨を「南薩地域」のファイルから抜き出すと次の通りである。
南薩地域振興局では,この「かごしま未来創造ビジョン」を補完するものとして,南薩地域の課題や取組の方向性を明らかにし,県民をはじめ,企業,関係団体,大学,NPOなどの多様な立場にある団体・個人が, 鹿児島の目指す姿や取組の方向性を共有し,それぞれの分野で主体的に地域振興に取り組んでいただくための指針として「南薩地域 地域振興の取組方針」を作成しました。(強調引用者)
ちょっと待って欲しい。地域振興局が行政を今後この方針に従ってやっていきます、というのなら分かる。しかし方針を定めたからそれぞれが「主体的に地域振興に取り組んでいただ」きたいというのは、話が飛躍しすぎではないか。もちろんこの「取組方針」は、地域振興局自身が取り組んでゆくものが中心になっていて、何から何まで県民に丸投げされているわけではない。でも「こういう方針を定めたので、県民それぞれが自主的に取り組んでください」というにはちょっと無理があるものだ。

ではこの方針をどうやって定めたのかというと、例えば南薩地域では、「地域懇談会」というものを設置して2回ほど議論したようである(他の地域も大同小異)。この「地域懇談会」というのは、商工会・商工会議所、NPO、農協、小中学校、医師会等の代表など十数人で構成したもので、いわば地域の顔役に集まってもらった会議である。

【参考】南薩地域 地域振興の取組方針(地域懇談会について)
https://www.pref.kagoshima.jp/al01/chiiki/nansatsu/chiiki/20190330torikumihousinn.html

まあ確かに地域の人の意見を集約する意味では、こういう顔役に聞いたらそれなりに的確な意見が出るんだろう。しかし「鹿児島の目指す姿や取組の方向性を共有」しようというその方針が、それだけの意見交換で決められてしまうのは、私には違和感がある。南薩地域の場合なら、観光が大きな柱なのでもっと観光業に携わる現場の人が会議に入るべきだと思うし、市町村の担当だって入ってしかるべきだ(むしろなぜ入っていないのか謎)。それだけでなく、目立った活動をしないような普通の地域住民の意見をも丁寧に集約していく作業をしなくては、「それぞれの分野で主体的に地域振興に取り組んでいただくための指針」なんて定めようがないと思うのである。

さらに、百歩譲ってこれをそういう共通の指針だと認めるにしても、県のWEBサイトでひっそりと公開するだけで(私の見る限りトップページには全く出てこない)、それを多くの人が参照して、「よし! この方針に沿って私も取り組んで行こう!」と思うなんて、とてもじゃないがありそうもないことだ。ほとんどの人は、こういう方針が定められたこと自体知ることもないのがオチである。それでは策定の趣旨が貫徹できないではないか。

たぶん「多様な立場にある団体・個人が, 鹿児島の目指す姿や取組の方向性を共有し」と述べている県の担当者自身が、こんな地味な発表の仕方ではそんな共有は不可能なことは自覚していると思う。せっかく7つの「地域振興の取組方針」を定めたものの、それを本気で広め、遂行し、実現していこうという気はないのだろう。 本気でこれを県民に共有して欲しいなら、各地で説明会や意見交換会を開いたり、ポスターやパンフレットで広報したり、様々な方法でその浸透を図っていく必要がある。

もしかしたら県の人は、「いやいや、これはそんな大げさなもんじゃないんですから!」と言うかもしれない。あるいは「この程度の政策文書を作るのに、いちいち一般の人からの意見集約をするなんて労力がかかりすぎます!」という事情を述べるかもしれない。確かに、この「地域振興の取組方針」、地域の人に積極的にお知らせしていくには中身がちょっと役所的すぎる。

それに、この方針の元になっている『かごしま未来創造ビジョン』自体がそれほど県庁自身によって真面目に受け取られているとも思えない。例えば、最近降って湧いたように出てきた「新県立総合体育館を鹿児島中央駅西口に建設する」とか、「旧木材港の16ヘクタールを埋め立てする(何に活用するかはこれから検討する)」といったようなことと、この『かごしま未来創造ビジョン』とはどう関係するのか。多分、こうした新規大規模公共事業を検討するにあたって、『かごしま未来創造ビジョン』は全く顧みられていないだろう。

『かごしま未来創造ビジョン』の策定趣旨は、県のWEBサイトによれば
県政全般にわたる最も基本となるものとして,おおむね10年後を見据えた中長期的な観点から,鹿児島の目指す姿や施策展開の基本方向などを明らかにするとともに,これらを県民の皆様と共有し,「オール鹿児島」で次世代の鹿児島を創り,将来を担う子ども達にしっかりと引き継ぐために策定したものです。
とされているにも関わらずである。巨額の税金を使う新規大規模公共事業の検討にあたっても一顧だにされない「県政全般にわたる最も基本となるもの」なんて、一体何のために策定したのか…?

『かごしま未来創造ビジョン』にしろ、それに基づいた7つの「地域振興の取組方針」にしろ、全く無意味とは思わないが、それを作った県自身が本気で向き合おうとしないのなら、いっそのこと作らない方がいいと思うのである。はっきり言って、こういう形だけで実体の伴わない行政文書の作成は、無駄な仕事である。もっと役所自身が本気になれることに注力した方が生産的である。

とはいえ、もう策定してしまったものはしょうがない。なかったことにも出来ないだろう。だったら、やはりもっと堂々と発表し、県民の意見を仰いだり、この方針に沿ってどんなことが実行出来そうか提案を受けたりといった双方向のコミュニケーションを図っていく以外にない。

少なくとも私は、「多様な立場にある団体・個人が, 鹿児島の目指す姿や取組の方向性を共有し,それぞれの分野で主体的に地域振興に取り組んでいただくための指針」なるものが、県のWEBサイトの奥まったところでひっそりとアップされるだけなのは腑に落ちないのである。