2014年3月29日土曜日

アセロラは霜で全滅

以前、アセロラの栽培に挑戦します、という記事を書いたのだが、そのアセロラが全滅してしまった。

植えている園地は無霜地帯と聞いていたが、今年、実際には数回霜が降りていたようである。何しろ全国的にも大雪で大きな被害があった年だったわけなので諦めるしかないが、私も遅霜被害を受けた。

一番ショッキングだったのはアセロラよりもビニールハウスで栽培しているかぼちゃが壊滅的な被害を受けたことだ。特に3月8日あたりに降った霜は強力で、ビニールハウスの中だったにも関わらず、葉やツルが霜でベランベランに焼けてしまったのである。その後暖かくなって、無事だったツルから新芽を出させてなんとか全滅は免れたが、出荷時期はずれ込むわ、収量は激減が予測されるわで収益的に散々な結果が予見される。

そういう年だったために、耐凍性がほとんどないアセロラが全部枯れてしまったのも当然だろう。ただ、これらは根は完全には死んでいないので5月くらいになったら新芽が出てくるだろうし、来年はベタ掛けシート(不織布)などで被覆してやれば越冬も可能かもしれない。とはいっても、数年に一度であれ強力な霜が降る環境で継続的に栽培するのは難しいので、思い切ってアセロラ栽培は諦めることにした次第である。

ではこの場所に何を植えるか。以前ブログ記事に書いた通り、ここはもしかしたらカンキツに不適な場所かもしれないので、カンキツ以外を考えているが、今のところオリーブが有力候補である。私は「南薩のオリーブ」を作ってみたいと思っていたところだし、南さつま市ではオリーブ苗木への助成も予定されているということなので、ここをオリーブ園にしてみようかと思う。これまた簡単な話ではないが、しばらくは無謀な試みを続けてみることにする。

2014年3月24日月曜日

無謀にもベルガモット栽培にトライします

先日、ベルガモットを20本ばかり定植した。

ベルガモットという植物にぴんと来る人は僅かだと思うが、アールグレイの香り付けにつかうカンキツだというと、なんとなくイメージが湧くかもしれない。アールグレイは、青採りしたベルガモットの皮で香り付けした紅茶なのである。

私はアールグレイが割と好きなのだが、実は市場で出回っているアールグレイのほとんどは化学合成された香料が使用されており、本当にベルガモットによって香り付けされているものは少ない。だからこそ、ベルガモットが栽培できれば、本物のアールグレイを飲みたい人からの需要が期待できる。というわけで、ベルガモットに着目したのである。

だが、アールグレイのほとんどが化学合成された香料を使っているのにはわけがある。古くからベルガモットの産地はイタリアのカラブリア(イタリアをブーツと見なした時の爪先にあたる地域)だったが、なぜかカラブリア以外ではベルガモットがうまく育たなかったのである。生産地が限られていたため、アールグレイが世界的な人気商品となってベルガモットの需要が高まると、カラブリアのベルガモット生産者は大儲けしたらしい。だが、ベルガモットの精油があまりにも高価になったため代替の化学合成の香料が開発され、今ではアールグレイといえば化学香料が当たり前になってしまった。

後に、コートジボワールの象牙海岸でもベルガモットは栽培されるようになるが、今でもベルガモットの産地はごく限られている。その理由が気候にあるのか、土壌にあるのか、はたまた門外不出の栽培技術にあるのか、よくわからない。だから、この南薩でベルガモットがちゃんと経済的に成り立つ栽培ができるのか全く不透明である。

だが、南薩では枕崎の「姫ふうき」など紅茶生産が盛り上がっているところなので、本当に「南薩のアールグレイ」ができたら面白い。当然日本には他に産地はないので、特色ある商品になるだろう。

ちなみに、ハイヤーリビングのアールグレイは、本当のベルガモット精油を使っている(ような感じがする)のでオススメである。特にアイスで飲むと美味しい。

2014年3月21日金曜日

大浦町で一番オシャレな農業用倉庫

農業用倉庫が、ようやく建った。

計画では、一昨年には建築する予定だったのだが、予定地が農振(農業振興地域)だったために許可の関係で随分遅れてしまった。農振というのは、農業以外に転用できない地域のことで、ここに建築物を建てるためには、まず農振からの除外申請を行い、さらに(農振から外れても農地であることには変わりないため)農地転用の申請を行う必要がある。

詳しくは述べないが、この手続きには大変時間がかかっただけでなく、役所の対応も悪かったので随分と辟易した。だが、最終的には許可も下りたし、アテにしていた補助金ももらえたので結果オーライである。

ところで、農業用倉庫というと鉄骨スレート葺きが一般的だと思うが、私は倉庫を木造で作った。別に木造にこだわりがあったわけではなくて、ジャムの加工場を作ってくれた工務店さんにお願いしたら結果的に木造になっただけだが、これがなかなかオシャレで気に入った。オシャレなだけでなく、鉄骨に比べると自分で作り付けの棚を作りやすいなど拡張性も高い。

外観も(すぐに汚れそうだが)真っ白で、一見農業用倉庫には見えない。大浦町で一番オシャレ(?)な倉庫ができたと思う。ちなみに、鉄骨で作るよりも頑丈さは劣るが、耐久性はさほど変わらないそうだ。工費は、単純には比較できないが、当然ながら材料費は鉄骨よりも安く済む。一方で基礎を頑丈にする必要があること、木材を組むのに時間がかかることなどは鉄骨よりも費用のかかる点である。今回の場合は、鉄骨に比べてほんのちょっとだけ安かった感じである。

だが、工期が消費税増税前の駆け込み需要の時期に当たり、その分材料費などが上がってしまったようだ。延び延びになっていたものが、許可の関係でこの時期にずれ込んだということで、運が悪かった。だが、こんな忙しい時期に農業用倉庫などという面白味(も利益もさほど)ない仕事を快く引き受け、素敵な倉庫を作ってくれた工務店、加世田のcraftaさんに感謝である。

ちなみにcraftaの代表さんは、南さつま市内で改造自由な古民家を探しているそうである。 古民家リフォームに取り組んでいきたいということで、実際に古民家を社屋+ショールームに使うのが目的ということだ。もし心当たりの物件があれば、コメント欄にでもご連絡いただければ幸いです。

2014年3月9日日曜日

農協職員は、なぜ共済のノルマで苦労しなくてはならないのか

毎年ある時期になると、農協(JA)の職員の方からの「○○共済に入りませんか?」という勧誘活動が盛んになる地域が多いと思う。

農家からすれば、「ちょっとめんどくさいなあ」という程度のことだが、JA職員の方はノルマがあるから必死である。ノルマを達成できなかった場合のペナルティが何なのかは知らないが、自分自身が(半ば無理矢理)共済に加入させられたり、親兄弟を人身御供(?)に献げなくてはならない場合があることを考えると、随分厳しいのだと思う。

このせいで、JAを離職される方も多いようだ。ノルマが達成できないとか、あるいはノルマのことを気に病みながら働くくらいなら辞めた方がマシだ、と思うのだとか。

では、どうして農協職員は共済のノルマでそんなに苦労しなくてはならないのだろうか? というより、共済のノルマ以外ではさほど苦労している様子はないが、共済のノルマが突出して厳しい理由はなんなのだろうか?

その答えは、先日書いた長々しい記事の内容と関係がある。共済のノルマの背景にあるものを正確に理解している人は少ないと思うので、JA南さつまを例にとって説明してみよう。

冒頭にJA南さつまの事業収益の図を再掲したが、この図で言いたいことは、JA南さつまの主な収益源は、「肥料や農薬の販売」「保険業(共済事業)」「銀行業」の3つであるということだ。青色で表されている粗利を見てみると、この3つの事業だけで25億円くらいを稼いでいる。

さて、組織を維持していくには相応の利益が必要になるが、利益が目標に届かないことが予見される時はどうにかしてこれを確保しなくてはならない。上の3つの事業以外は利益が僅かであり、仮に増益してもタカが知れている。であるから、全体として増益を図るためには、「肥料や農薬の販売」「保険業(共済事業)」「銀行業」のどれかの利益を増やす必要がある。

しかし、「銀行業」の利益をにわかに増やすのは難しい。貸し付けは急に増やせるものではないし、JAが相手にするのは農家であるから利益率のよい大規模貸し付けはそもそも少ない。各地域のJAに案件形成(貸付を要する事業を提案)する能力も体制もない。

「肥料や農薬の販売」も同様だ。肥料や農薬は作付の時点で所要量が決まり、企業努力によって増えるのは僅かである。そしてそれ以上に、「肥料や農薬の販売」の利益率は他の事業に比べて極端に低いということがある。利益率が10%程度であるため、例えばJA南さつまの場合、この事業でさらに1億円稼ごうと思えば、10億円以上売り上げなくてはならない。

しかし、「保険業(共済事業)」は利益率が800%以上ある! 利益が足りない時に、真っ先に力を入れるべきなのは共済の契約獲得であることは自明の理である。それに、農協職員をそれぞれ推進員として契約を獲得させれば、本人はもちろん親、兄弟、親戚が「つきあい」で共済に加入してくれる可能性が高い。共済は、掛け捨てでなければ一種の貯蓄でもあるから、不要不急の契約であっても無駄ではないという強弁もできる。

だから、農協職員は共済のノルマ達成にアクセクすることになる。営業には向き不向きがあるので、こういうのが得意な人、顔の広い人はよい。でも苦手は人は多い。そもそも、共済の契約をバンバン取りたくて農協に入った、というような人はもの凄く少ないはずだ。

JAというと、仕事のやり方が役所的であるとか、怠惰だとか、無駄が多いとか、とにかくいろんな悪口を言われていて、それらは「民間企業的な意識がない」と集約できると思うが、私はそれは間違いだと思う。事実、共済のノルマ達成に関しては民間企業なみの厳しさがあり、熱心さがあり、組織的一体感(?)がある。なぜ、共済事業だけ「民間企業なみ」なのか?

それは、上で見たように、共済事業こそがJAの収益の主戦場だからなのである。JAも普通の民間企業と全く同じなのである。組織を維持していく利益を生むために、必死に取り組んでいるのだ。

先日の記事で書いたように、一般の人がJAの主要事業であると思っている「農産物の販売」は受託販売であるために、(手数料収入はあるけれども)基本的には農協の利益にはならない。利益にならない事業にかまけていられないのは、民間企業ならば当然である。つまり、JAは「民間企業的な意識がない」のではなく、完全に「民間企業的な意識」を持っているから農産物の販売に関してはさほど熱心ではないのである。

農協は、法律に守られて肥大化し、補助金を当てにし、本来的に怠惰な組織になってしまったと嘆く人がいる。しかし、実際はそうではない。農協も、適切なインセンティブが設定されれば必死に動くのである。私は、JA職員が共済のノルマ達成にかけるエネルギーを「農産物の販売」に振り向けるようにすれば、素晴らしい結果が待っているはずだと夢想するものである。農協は、農産物の販売を利益の主戦場にするべきだ。そうすれば農協の職員が共済のノルマ達成に苦労する必要もないし、農家にとっても喜ばしい。

先日、全中(全国農業協同組合中央会)が発表した「JAグループ営農・経営革新プラン(案)」でも受託販売ではない「契約・直販」への支援を強化することを謳っており、それはいいことだと思うが、より踏み込んで欲しいというのが私の期待である。すなわち、共済事業の利益をあてにしなくても、農産物の販売で利益を生み出せるよう制度を変更することが必要ではないだろうか。

2014年3月7日金曜日

恵比寿とクジラの関係

今、南さつま市では、クジラ関係の観光振興に力を入れている。先日は、クジラをテーマにしたお土産コンテストまで開催され、とも屋さんの「くじらのおひるね」というお菓子が大賞を受賞した。

こうして、クジラに力を入れているのは「くじらの眠る丘」というクジラの骨格標本を展示する施設ができたからなのだが、自分としては、ただ骨があるというだけでは観光資源としての深みに欠けるような気がして、もう少し歴史や文化まで掘り下げてクジラをアピールすることができないかと思っている。

【参考】南薩の捕鯨と「くじらの眠る丘」

というようなことを考えていたら、ふとクジラと恵比寿信仰には関係があるのではないかと思いつき、少し調べてみた。南さつま市でも笠沙に「笠沙恵比寿」という恵比寿信仰をモチーフにした施設があるのを始め、恵比寿信仰は盛んだった。その祠があるところが、どうもクジラが見られる浦に当たっているような気がして、関連性が気になったのである。

結論を言うと、恵比寿信仰とクジラには深い関連があり、中山太郎という明治時代の民俗学者は「ゑびす神異考」という論考を著して、恵比寿信仰の源にはクジラへの信仰があるのだ、という説を唱えているくらいである。ただこれは少し牽強付会なところがあって、信憑性はイマイチと言わざるを得ない。

だが、北関東以北の地域では、クジラやサメといった大型の海棲動物を「えびす」と呼んできた地域が多い。 これは、クジラやサメが小型の魚を追い込んで沿岸に大量に連れてくるため豊漁になることが多く、豊漁をもたらす有り難い存在として「えびす」と呼んだのだろうとされている。恵比寿信仰とクジラには確かに関連があるのである。

ただし、西日本ではクジラと恵比寿信仰に関連があるという明白な証拠がないようだ。西日本の沿岸での恵比寿信仰は、海岸の石とか珍奇な漂着物とかを依り代(よりしろ)にして豊漁を願うものが多く、東日本のそれとは少し違っている。こうした自然発生的な民俗信仰は地域ごとの差異が大きく、そもそも信仰の淵源を求められるものではないが、残念ながら西日本ではクジラと恵比寿信仰の関係は遠い。

しかし今回少し調べてみて思ったが、恵比寿信仰というのはなかなか奥が深い。漁民の豊漁や安全を願う心が具現化されたのが恵比寿という存在であることに疑いはないが、他の神格や神話を取り込み、習合を繰り返し、恵比寿は複雑な神に発展して行った。だが生活と仕事に即した素朴な願いが託されている存在であるから、決して大仰な力(例えば国家安泰とか)を持ったりせず、それが司るのは商売繁盛といった身近で現世的なものだったのである。

そういう点は、稲荷信仰、八幡信仰、熊野信仰といった民間信仰がみな共有していたところでもあるが、恵比寿信仰が特異的だったのは、信仰に中心らしい中心を持たず、常に意識が海の彼方へと向かっていたというところである。稲荷信仰なら伏見稲荷、八幡信仰なら宇佐八幡、熊野信仰はそのままずばりで熊野が中心だ。だが恵比寿信仰は、兵庫県の西宮神社というのが総本社とされているが、各地ではそれが意識されていなかったようだ。

恵比寿信仰は、神話の及ぶところにない、庶民と海の間から澎湃と沸き上がった信仰である。そういう正体不明の存在だからこそ面白い。いつか機会があったら南薩の恵比寿信仰についてちゃんと調べてみたい。

【参考資料】
えびす信仰事典』1999年、吉井良隆 編