2019年3月29日金曜日

鹿児島県議の働きを一般質問の回数から垣間見ようと思ったものの…

鹿児島県議選が始まった。

以前私は、南さつま市議会議員選挙にあたって、一般質問の質問回数によって議員の働きぶりを垣間見るという記事を書いたことがある。

【参考】「南さつま市 市議会だより」で市議の働きぶりを垣間見る
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2013/11/blog-post_15.html

一般質問とは、年に4回行われる定例会において市政に対して自由に質疑を行うものである。一般質問の回数は働きぶりの直接の指標ではないし、なにより市政への意見の方向性は見えないからこれだけで市議としての働きの評価は不可能だが、年に4回しかない機会であるので、市政への積極性を表しているとは考えられる。投票の参考となるのではと思って分析したのだった。

今回の県議会議員選挙でも、同じように現職の任期中の活動を垣間見る参考になるのではないかと思い、同様の表をまとめてみた。それが次の表である。

現職議員の一般質問の回数表
※質問回数が多い順に並べたが、同じ回数の議員の名前は順不同である。
※外字の関係で名前の漢字が正確な表記でない場合がある。
※2019年の第1回定例会についてはまだ議事録が公開されていないので対象にしていない。
※会派名は略称とした。

私もこの表をまとめて初めて知ったが、鹿児島県議会の場合は一般質問は連続ではやらないという不文律(?)があるのか、質問数が多い議員でも一回おきに質問しているようである(例外はあるが)。定例会毎の質問者は16人と決まっているようで、毎回同じ人が質問すると質問できない人が出てきてしまうのでそうしているのかもしれない。

質問回数はごく簡単な指標だが、この表を眺めるだけでもいろいろ分かる。無所属の議員3人は皆よく一般質問をしている。県民連合の議員は平均よりやや下(なお平均は4.7回)。公明党の議員は低調。そして最大派閥の自民党はよく質問する議員もいれば、ほとんどしない議員もいてバラツキが大きい。ただし市議会の場合と違って県議会の場合は会派(政党)の存在感が大きいので、もしかしたら会派毎に質問人数を調整しているのかもしれない。この表を素直に積極性を示すものと受け取ってよいかは一考を要する。

とはいっても、私はこの表を投票の参考にしてもらおうとここに掲載したわけではない。それよりもまず言いたいのは、この表を作成するのにけっこう手間がかかった、ということなのだ。

以前やった市議会の場合は、議会広報紙「南さつま市 市議会だより」に一般質問の内容まで含めて書かれていたので広報紙を見るだけでよかったが、鹿児島県議会の場合「県議会だより」はページ数も少なく非常にざっくりとしたことしか書かれておらず、一般質問を誰がしたのかの記載すらない。

【参考】広報紙|鹿児島県議会
https://www.pref.kagoshima.jp/aa02/gikai/koho/kouhoushi/index.html

そして鹿児島県議会のWEBサイトでは、直近の議会についてはその主な内容が掲載されているものの、平成28年第4回定例会(11月〜12月)より前は掲載されていない(2019年3月29日現在)。

【参考】これまでの定例会等|鹿児島県議会
http://www.pref.kagoshima.jp/aa02/gikai/koremade/index.html

だからそれ以前の議会の内容を知りたかったら、いちいち「鹿児島県議会 会議録」で会議録を検索して確認しなければならないのである。私は先の表を作成するにあたり、このサイトにお世話になった。

【参考】鹿児島県議会 会議録
http://www.pref.kagoshima.dbsr.jp/index.php/

しかし議会の会議録を参照するというのはかなり面倒だ。普通の人はまず見ないだろう。目的の議案があってそれを確認するため、というならこういうサイトは便利であるが、議会でどのようなことが議論されているか知りたい、という場合にはほとんど使えない。

ともかく、私があの表を作るのに苦労したのはなぜかというと、鹿児島県議会のWEBサイトに情報があまりにも少なく、県議会の活動をほぼ広報していないからなのである。そもそも議員名一覧すらテキストデータで掲載されていない。画像化されているか、OCR(文字認識)が不十分なPDFデータなのだ。だから表を作るにあたって、まずは議員の名前を打ち込むところから手作業なのである。

支援する議員がいる場合は、議員が時々実施する「県政報告会」などで県議会の様子を知ることができるが、そういう会に出席するのはごく一部の人だから、県民の多くにとっては新聞報道や、広報紙と県議会WEBサイトくらいしか県議会情報はない。しかしそこを見てもほとんど個別の議論の内容が書かれていないとすれば、県民にとって県議会はブラックボックスなのだ

そもそも、県議会が県提出の議案を否決することはほぼめったにない。先ほどの会議録で調べたところ、原案が否決されたのは昭和60年以降でたった2回、平成14年と21年にあっただけで、それも議員定数の件である。つまり結果だけを見てみれば県議会は県政をほぼ追認しているだけなのだから、議論の内容をもっとよく見てみなくてはその働きぶりは判断できないのである。それなのにそういった情報は議事録しか出ていないのだから、県民から県議会が縁遠くなってもしかたないだろう。

ただでさえ投票率が低く、選挙だけでなく議会への関心が低い昨今である。若者が選挙に行かないとかいう前に、まず県議会の議論をもっとよく見えるようにし、今何が議論されているのか、それに対する議員個人の賛成・反対、主な議論の展開などをもっと表に出してもらいたいと思う。観光のPRにかける広報予算も大事だが、こういう地味なところにかける広報予算は将来的にはそれよりももっと大きな意義があると思う。

閑話休題。

先ほどの表に戻って、もうひとつ言いたいことがある。実は、この表が仮に議員の積極性を示すものだとしても、投票にあたっては(鹿児島市区を除いて)この表はほとんど役に立たないのである!

鹿児島県議会選挙区(県議会WEBサイトより)
というのは、例えば私の住む選挙区である「南さつま市区」の県議定員は1人。「A議員よりB議員の方がたくさん一般質問をしているからやる気があるなあ」と思ったとしても、B議員の選挙区が違えば投票できない。しかも今回の県議選の場合、1人の定員に対して1人しか立候補がなかったら無投票となった。選びようがないのである! 他にも無投票地区がいくつかある。わざわざ議員の働きぶりをレビューしてみたとしても、ほぼ無意味なのだ。

鹿児島県議会の選挙区は、21にも別れている。ほとんどが1人か2人の定員である。定員が少ないということは立候補者も少ないということだから、有権者にとっては選択肢の幅が狭まっているということだ。この小選挙区制度がいつから続いているのか分からないが、市町村の代表を県議会に送るという旧習に基づくものなのではないかと思う。

かつてはそれはそれで意味があった選挙区割りだろう。 しかし今となってはこのような小さい区割りに意味があるか。南さつま市在住で南九州市へ仕事に行き、遊びに行くには鹿児島市内まで足を伸ばす、なんて人は大勢いる。さらに仕事の営業では県内全域飛び回っているという人だって珍しくないだろう。車社会やインターネットの普及で、人々の行動範囲は50年前よりも数十倍に広がっている。小選挙区はもはや人々の生活実態から乖離していると思う。

また、県政の実質的区割りは「地域振興局」にある。「鹿児島」「南薩」「北薩」「姶良・伊佐」「大隅」「熊毛支庁」「大島支庁」の7つの地域振興局(とそれに準ずるもの)が県政の地区割りである。そしてこれらの地区割りは、それなりに地域の生活実態や地勢に沿ったものになっている。鹿児島県議会の選挙区割りも、「地域振興局」の管轄範囲と一致させた7つにするのが行政的にもスマートであり、有権者にも選択肢の幅を広げる意味でいいと思う。

前回2015年の県議選での投票率は、過去最低の48.87%。これは政治への無関心とかではなく、今の選挙制度が社会の実態にそぐわなくなっているのが真の原因だと思う。民主主義の意見表明の場として、選挙が正常に機能しなくなっている。選挙区割りを変更するだけでもかなり変わるのではないか。

まあ、「選挙区割りを変更するだけ」といっても区割りの変更は一大事である。まずは「議会の見える化」から取り組んではどうか。少なくとも、県議会を知りたいと思った時にそれに応えられるWEBサイト作りから始めたらどうだろう。

2019年3月26日火曜日

企画展「黄金の郷 南薩」と私のブログ記事

南溟館で開催されていた企画展「黄金の郷 南薩」に、先日ようやく行ってきた。

あまり知られていないが、佐渡金山が閉山した今、鹿児島県は金山が稼働している唯一の地域であり、特に南薩地区はそのうち3つの金山を有している(赤石(あけし)鉱山(知覧)、春日鉱山(枕崎)、岩戸鉱山(枕崎))。

さらに遡れば、指宿市には金銀鉱山群が、南さつま市(加世田)には銀鉱山があり、南九州市には県内最古で「幻の金山」とよばれる「田代金山」(永禄11年発見)もあるなど、南薩というのは非常に金銀採掘が盛んだった歴史がある。

南薩に鉱床が豊富なのは、400万年〜600万年前に薩摩半島西側で盛んだった火山活動の影響なのであるが、その化学的・物理的組成にも特徴があり、それは「南薩型鉱床」として世界的にも有名なのだそうだ。

企画展では、地質や採掘の歴史を振り返り、南薩の金山に改めて焦点を当てるものとなっていた。図録やパンフレットの類はなかったので内容は細かくは覚えていないが、地域住民にとっても普段なかなか知る機会がないことばかりで、非常に勉強になった。

一つ大変印象に残ったのは、枕崎市の「鹿籠(かご)金山」の発見者「有川夢宅(むたく)」のことである。鹿籠金山は、江戸時代には「山ヶ野(やまがの)金山」、「芹ヶ野(せりがの)金山」と並び薩摩藩の三金山の一つとされたほどの大金山であったが、天和年間(1681〜1684年)にこれを発見したのが有川夢宅という人物。

そして地域の大山祇神社(鹿児島によくある山の神を祭る神社)には、この有川夢宅が84歳の時に自ら刻んだお面が奉納されている。このお面が不思議で、王面(*)に似ていて阿吽を象っており、金山との関係は不明。この不思議なお面を彫刻した有川夢宅とは何者だったのだろうか。企画展では、有川は修験者だったのではないかと書いてあった。

修験者は普通の人が入らない山林を跋渉するわけだから、地質・鉱物に詳しかったのは当然としても、修験と鉱山の結びつきというのはそれ以上に深いものがありそうである。以前からこのテーマには興味があったが、近所に実例らしきものが出てきて興奮した次第である。

さて、この企画展の発端の一つは、私の書いたブログ記事にあった、と企画者の方が教えてくれた。それがこの記事。

【参考】吹上浜の「木を植えた男」
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2017/04/blog-post_11.html

これは金山とは一見何の関係もない記事なのであるが、吹上浜の「木を植えた男」の子孫である宮内 敬二さんが、実は今でも稼働している金山の「赤石鉱山」を所有する「宮内赤石鉱業所」の創業者その人だったのである。

鉱山王・宮内家は南九州市では有名であったが、それが南さつま市で砂防事業に取り組んだ宮内家と同じであることが判明したのが私のこの記事によってだということだ。意外なところで意外な事実が繋がるものである。なお宮内敬二さんは加世田でも銀山(石塔庵銀山)を経営していた。

そういう話題があったから、南薩4市(南さつま市、枕崎市、南九州市、指宿市)で合同企画展をやろうという話になったとき、4市が共通に取り組めるテーマとして金山が着想されたそうである。

まあ、私のブログ記事は発端といえば発端ではあるが、まあ直接の発端ではなくて、それ以前の「話のタネ」みたいなものである。でもやっぱり書いたことがどこかで何かと繋がって、新しい何かが生まれるきっかけになったことは本当に嬉しかった。

この場を借りて、企画展の開催に携わった方々には厚く御礼申し上げます。

なおこの企画展は、南薩4市で巡回開催され、南九州市、南さつま市、枕崎市は既に終了、指宿市の「時遊館cocoはしむれ」にて2019年4/13〜6/2で見ることが出来る。

*王面というのは、蒲生八幡神社に奉納されているものが有名だが、つけるものというよりは邪鬼を払うために飾るものらしい。

※冒頭画像は鹿児島県のイベントカレンダーよりお借りしました。

2019年3月12日火曜日

「笠沙恵比寿」をどうするか

今、南さつま市は「笠沙恵比寿」の活用に関して「サウンディング型市場調査」というものをやっている。

笠沙恵比寿というのは、南さつま市の笠沙町の、端っこにある野間池(のまいけ)という小さな港町にある宿泊施設である。

【参考】笠沙恵比寿
 http://www.kasasaebisu.com/

笠沙恵比寿を作ったのは当時(合併前)の笠沙町。私は直接にはその頃を知らないが、かなり力を入れて作られた施設だったようだ。

笠沙町は、昭和40年代には既に過疎問題が始まっていたという過疎地域であり、主要産業である漁業も後継者問題に悩まされ、町の将来への危機感があった。一方で、東シナ海の壮大な景観や豊かな漁業資源に恵まれているという強みもあった。そうしたことから、町は観光による地域振興を模索し、様々なことに取り組んできた。

例えば、海岸沿いを巡る道(当時の県道笠沙枕崎線)を国道226号に昇格させた(1993年頃)。この道は、昔は「この道をよくぞバスが通れたなあ」というような、離合の出来ない、崖をへばりついて進む狭い道だったが、国道昇格後は整備が進み、今ではすばらしいドライブコースになっている。226号線沿いの写真スポット「南さつま海道八景」は、間違いなく日本有数の景観群である。

【参考】これぞ絶景!南さつま海道八景|南さつま市観光協会
https://kanko-minamisatsuma.jp/feature/8038/

また、笠沙には明治以来、数多くの杜氏(とうじ:焼酎づくりの職人)を排出してきた黒瀬という集落がある。この技術の伝承を行い地域おこしにも役立てるため、焼酎造り展示館である「杜氏の里 笠沙」も設立(1992年)。ここのつくる「一っどん(いっどん)」という焼酎は抽選でしか手に入らないほどの人気商品になった。

【参考】杜氏の里 笠沙
http://www.toujinosato.co.jp/

さらに1998年には、杜氏の里 笠沙の近く、沖秋目島という無人島を望む最高の立地に、「笠沙美術館」を設立。景観自体が美術作品のような素晴らしい美術館であり、私自身、南薩で一番好きなのがこの美術館からの眺めで、好きが高じて「海の見える美術館で珈琲を飲む会」というイベントを毎年開催しているくらいである。

そして2000年、こうした取組の集大成として作られたのが「笠沙恵比寿」なのである。

笠沙恵比寿は単なる宿泊施設ではなく、「海」を総合的に楽しむ上質なレジャーを目指すものであった。ホテルやレストランだけでなく、海の博物館までも併設し、釣りやクルージングはもちろん、昔はホエールウォッチングまで楽しめた(記憶があやふやですが)。

設計したのは、今では鉄道車両デザインで著名な水戸岡鋭治氏。館内には水戸岡氏が描いた笠沙に生きる生き物たちの絵がたくさん掲げられ、博物館部分だけでなく施設全体にアート的な雰囲気が横溢する(ちなみに笠沙美術館も水戸岡氏のデザインである)。

笠沙恵比寿は、遠くから「ホンモノ」を求める客を呼び込もうという構想だった。

それはある程度成功したのだと思う。このあたりの相場からは高い宿泊費や食事でも、最初は客が入った。しかし第三セクターによる運営は、どうしても民間的な競争の中ではやっていくことができなかった。

次第に客足は遠のき、売上は右肩下がりになった。客室が10部屋しかないというのもホテルとしては大きな足かせで、上質を求める少数の客を相手にする戦略が裏目に出た。2015年からは指定管理者としてJTBが切り盛りしたものの、どうも挽回とまではいかなかった模様である。こうして、テコ入れを図る必要が生じた。

そういうわけで、この 「サウンディング型市場調査」が行われることになったようである。「サウンディング型市場調査」というのは私も初めて聞いた。要するに、「どうやったら活用できそうか、ゼロベースで意見や提案を下さい」というものらしい。ただし、意見を言えるのは実際にその施設を利用していく可能性がある法人・個人なので、例えば私なんかが意見を出すことはできない。

【参考】笠沙恵比寿の活用に関するサウンディング型市場調査の実施について|南さつま市
http://www.city.minamisatsuma.lg.jp/jigyosha/shigoto-sangyo/shokogyo-kigyo/e021494.html

こういう調査を行うこと自体はよいと思う。何しろ、高級路線の施設というのが公共施設として異色であり、行政による運営に向いていないというのは明白である。笠沙恵比寿の当初のコンセプトを貫徹するならば、民間に売却するのが最も自然かもしれない。

しかし、何にせよいえることだが、「何を」やるかよりも、「どう」やるかの方がずっと重要である。「民間に意見を聞く」のはいいとして、この調査に関する説明会も何もないようだし(参加申し込みした事業者に対する説明会はあるが、「こういう調査をやっているのでぜひ参加して下さい」という説明会がない)、WEB以外のどこで広報しているのか不明である。まさかWEBのみということはないだろうが、積極的に広報している感じがなく、誰に提案してほしいのかという意志をあまり感じない。

先日、鹿児島市が「鹿児島市ブランドメッセージ&ロゴマーク」をみんなの投票で決めようというイベントをしたが、そこにモデル・YouTuberの“ねお”さんを呼んでいたのを見習うべきだ。これは、ただ投票をお願いするだけといえばだけなのであるが、人に意見を聞くためにはどれだけ工夫が必要かというのをまざまざと見せつけられた思いである。「意見を言わない人が悪い」などと言っている時代ではなく、人の意見を聞くためにコストをかけなければ、後で大変な目に合うのが現代である。

【参考】みんなで選ぼう!鹿児島市ブランドメッセージ&ロゴマーク|鹿児島市
https://www.city.kagoshima.lg.jp/kouhousenryaku/citypromo/logo/ivent.html

笠沙恵比寿の場合は、このブランドロゴの場合よりもずっと意見・提案の必要性が大きいわけだから、もっとずっとコストをかけてもいいのである。例えば、東京や大阪などに職員が出張していって、大手デベロッパーやコンサルに話を聞くということから始めてもよいと思う。まずは星野リゾートのようなやり手リゾート運営業者に意見を聞いてみたらどうか。

さらに、些末なことと人はいうかもしれないが、参加した事業者からのヒアリングが1事業者あたり30分〜1時間だそうである。せっかく提案に来てくれた業者に、話を30分にまとめろというのはさすがに短すぎないか。こういうことは言いたくないが、ちょっと「上から目線」を感じる調査なのである(私のこのブログ記事だって上から目線じゃねーか、と言われればその通りなんですが…)。

そしてもう一つ付け加えるべきなのは、民間業者からの意見・提案を聞くのと並行して、やはり地域住民の意見ももっと聞くべきだということだ。これには役所の方も「今までさんざん意見は聞いてきました」と反論するに違いない。それはそうである。しかも住民の方では笠沙恵比寿の高級路線を理解せず、「もっと手頃な価格にしてほしい」といったような意見もあったそうだし、住民の総意に基づいた運営にしたら、たぶん笠沙恵比寿はやっていけない。

しかし、である。公共施設である以上、住民の「こういう町になってほしい」「こうなったらいいな」という夢に基づいていなければならないと私は思う。そのためには、今までさんざん意見は聞いてきたとしても、やはり住民の意見を聞く必要がある。そして、「住民の意見」なるものは、実はもっとも聞き取りづらいもので、本当にホンネの意見を聞こうと思ったら、大げさに言えば「合宿」をしなければならない。少なくとも、WEB上のパブリックコメントなんかでは本当の住民の声は集めることができないと思う。

もちろん役所にしてみれば、生産的かどうかもわからない「住民の声」なるもののためにそんな時間は割けないと言うだろう。それでなくても人が減らされて忙しいのに。でも私は、そういう一見無駄な作業こそが真に生産的なものになると信じている。

笠沙恵比寿をスマートな施設にするだけなら、たぶん星野リゾートに売却するだけで十分だ。きっと今よりは繁盛して、雇用も生まれて、住民も満足するだろう。人が羨むステキな施設になるに違いない。でもたぶん、それでは「こうなったらいいな」という住民の夢を紡ぎ出すという作業は、どこにも介在する余地がない。

南さつま市は「夢を紡ぐまち」を掲げていて、「夢を紡ぐ」という市民歌もある。私は、このスローガンは割とよいと思っている。経営に行き詰まった施設をどう処分するか——というような話では夢がなさ過ぎる。行き詰まった時こそ、理想を語らねばならない。1990年代からの笠沙町の意欲的な観光振興施策の集大成としてできたのが笠沙恵比寿だ。ぜひ前向きに話が進んで欲しい。