2012年6月27日水曜日

南薩の隠れた特産品:生のらっきょうが美味しい

少し前のことだが、先輩農家かららっきょうをいただいた。

漬け物にせずそのまま食べても旨いということだったので、家内が豆腐の薬味として使ったのだが、これが大成功。

冷や奴の上に、スライスして湯通しした(お湯をかけるだけ)らっきょう、そして枕崎産のかつお味噌を載せるとというごく簡単な料理だが、漬け物にするより美味しい。新鮮ならっきょうはそのまま食べるのが一番だということを改めて感じた。これは、ご当地グルメとして流行ってもおかしくないくらいだと思う。

そもそも、鹿児島県は全国有数のらっきょうの産地で、最近は鳥取や宮崎に水をあけられているが、ごく最近までずっと生産量日本一だったのである。そしてその中心は南さつま市、日置市吹上町などの吹上浜沿岸の南薩地域だ。ところが、このことは鹿児島でもあまり認識されていない。

その原因としては、鹿児島県のらっきょう生産は小規模零細農家に支えられてきたことが大きい。統計を見てみると、鳥取、宮崎、鹿児島の生産量はほぼ一緒(4000トン弱)だが、鹿児島の場合は出荷量がなぜか1000トン以上少ない。これは統計に表れない消費が多いからで、鹿児島県のらっきょう生産は組織的に販売しない小規模零細農家に多くを負っていることを示唆している。事実、周りを見ても小面積栽培の農家が大変多い。

また、鳥取・宮崎と著しい対照を見せるのが加工用らっきょうの出荷量だ。宮崎は約75%が、鳥取でも約50%が加工用(漬け物用)として出荷されるのに比べ、鹿児島では漬け物用の出荷はほとんどないのである。これは、鹿児島県民が(全く自覚がない人が多いが)全国的にも無類のらっきょう好きで、らっきょうは自分で漬けるのがスタンダードなため、多くが生の状態で売られるからだ。

鹿児島には、砂丘として全国一の長さを誇る吹上浜を有すのみならず、保水性がなく痩せたシラス台地が広がっている。そこで他の作物が作りにくい痩せた土壌を活かす工夫として自然発生的にらっきょう栽培が広まったらしく、鳥取や宮崎のような組織的な生産・販売の体制がほとんど構築されなかった。そのため、本来鹿児島が元祖であったはずの「砂丘らっきょう」は鳥取(JA鳥取いなば)に商標登録されるなど、近年、鹿児島県のらっきょう販売は他県に遅れをとっている感が否めない。

もちろん、鳥取のらっきょう生産は大規模農家によって担われており、らっきょう畑が集積して広がっていることからブランド化しやすかった、ということはあると思う。しかし販路拡大のための積極的な広報の他にも「鳥取砂丘らっきょう花マラソン」や「らっきょうの花フェア」の開催といった関係者の地道な努力があってブランド化に成功したのであり、こういう面は見習う必要があるだろう。

一方、鹿児島県の現状を見ると、特にらっきょうを売り出そうという気配もなく、せっかくの特産品がほとんど認識すらされていないのは残念だ。それどころか、鳥取などの生産量拡大によってらっきょうの単価が下がるなど、生産者をめぐる状況は厳しくなってきている。らっきょうは、消費に限界がある漬け物利用が中心であるため、全国での生産量が増加すれば単価が下がるのは当然だ。であればこそ、鹿児島県は生食用のらっきょう販売が他県に比べ圧倒的に多いという特色を活かして、漬け物でない生食らっきょうのご当地グルメを作るなど、全国的にほぼ未開拓である生食らっきょうの売り込みに取り組むべきだと思う。

鹿児島県のらっきょう生産は小規模零細農家が多いために、農家まかせではなかなかそういうプロモーション活動は出来ないわけで、(他力本願ではあるが)県や市、そして地域のJAに是非頑張ってもらいたい。生のらっきょうがこんなに美味しいということは全く知られていないので、その努力次第では新たな名産になるだろう。

【参考文献】
鹿児島県のらっきょう生産概況」1987年、藤井嘉儀
※ 鳥取大学の研究者が、圧倒的全国一位だった頃の鹿児島のらっきょう生産を分析したもので、”鹿児島県は小規模零細農家ばかりだから、鳥取県のらっきょう生産は勝てる!”のようなことが書いてあり、とても驚いた。虎視眈々と鹿児島の地位を狙っていたわけである…。

地域特産野菜生産状況調査」2008年、農林水産省

2012年6月23日土曜日

鹿児島県知事選に思う

鹿児島県知事選である。立候補は現職・伊藤祐一郎氏と新人・向原祥隆氏の二人だけ。

そのため今回の選挙は盛り上がりに欠け、県民の多くが無関心だと思うが、自分の考えを整理するためにも思うことを少し書いてみたい。

まず現職の伊藤祐一郎氏であるが、これまでの実績を一言で表せば「良くも悪くも旧来型の安定した施政」ということになるだろう。「本物。鹿児島県」のキャンペーンなど対外的な活動もあるが、県政に際だった特色はなく、あえて言えば中心は公共事業。

産業の少ない本県としてはしょうがない面があるが、人工島マリンポート鹿児島の建設や錦江湾横断トンネル(検討中)など、費用対効果の定かでない大規模施設の建設も目立つ。川内の最終処分場建設は植村組との不透明な関係が指摘されるなど、土建業界と二人三脚でやってきたようなところもあるが、区画整理や道路の拡幅・延伸といった地味だが重要なインフラ整備も続けている。なお、九州新幹線の全面開通は県の努力も大きいと思うが伊藤県政の成果ではない(以前から計画・施工されていたことだし、県の事業ではない)。

次に、対抗馬となる向原祥隆氏は、出版社南方新社の社長であり反原発グループの代表。南方新社は郷土の出版社として重要だし、氏は有機農業にも取り組まれておりその価値観には個人的に共鳴する部分もあるが、やはり問題は争点を脱原発に絞っていることだろう。今年6月の講演でも「なぜ立候補するかというと、川内原発を絶対再稼働させてはならない、その一点です」と述べており、県政全体を担う県知事の候補者としてはこの抱負は物足りない。

マニフェストにはいいこともたくさん書かれているが、記載に粗密が目立ち、脱原発が鮮明であるためにその他の付け足し感・思いつき感が否めない。謳われていることが実現できたら、たしかに素晴らしいとは思うが、「いろいろ頑張ります」以上のものを感じられないのが率直な感想だ。もちろん新人は施策立案の面で不利なので、掲げる目標は漠然としたものにならざるをえないのだが、どうも情緒的な記載が目立つのは気になる。

ちなみに、中心施策である脱原発も、目標はともかくとして手法が早急・強引な印象を受ける。氏の述べるやり方も手法の一つとは思うが、エネルギーの安定・安価・安全な供給が可能なのか疑問であり、安全のみにフォーカスしすぎるあまり、安定・安価が犠牲になるのではないかと心配だ。脱原発のためにはライフスタイルや産業構造を変える必要があり、長い時間をかけて理想に近づいていく地道な努力が必要と思う。

ただ、マニフェストだけでなく各種の資料を積極的に公表したり、Facebookを活用していたりと今っぽいセンスは県政に新しい風をもたらしそうではある。伊藤氏のWEBページは対照的に旧態依然としていて、マニフェストは新聞の他は積極的に公表しておらず、僻地が多い鹿児島県での選挙活動としては残念だ。

なお、伊藤氏のマニフェストは、要約すると「これまで通り引き続きやります」というものだが、 実は伊藤氏と向原氏は方向性をかなり共有している。ただし、方向性は同じでも、伊藤氏のそれは妥協的・官僚的だが現実的、向原氏は体系的ではないが理想主義的、ということは言えるだろう。

ところで、両氏のマニフェストを眺めていて思うのは、どちらも産業振興政策がほとんど謳われていないことだ。産業の項目は両氏とも農林水産業にほぼ限定されており、向原氏の場合は実質農業しかない。農林水産業には補助金等が多く県政の影響力が大きい、という理由もあるとはいえ、従事者が少ない第一次産業のことしか考えていないとしたら問題だ。九州新幹線も全面開通したことであるし、鹿児島らしい産業振興政策を検討してもらいたいところである。

さて、偉そうに論評してきたが、実は向原氏は高校の先輩、伊藤氏も霞ヶ関の先輩にあたり、また両氏の支援者には普段お世話になっている方もいるわけで、実はあまり批判めいたことは書きたくない。それに、大勢の人に背中を押されなければ選挙などには出られないことを思えば、どちらも立派な人物なのだと思う。どちらが県知事になっても、鹿児島の発展に尽くして頂きたいと思う。

【蛇足】
すごくどうでもいいことなのだが、両氏ともにWEBサイトでマニフェストのことを"manifest"と書いている。しかしこれはスペルミスで、これだと「積荷リスト」とか「乗客名簿」のことになってしまい、正しくは"manifesto"だ(最後にoが付く)。向原氏は出版社社長なのだから、誤字には敏感であってほしいなとちょっと思った。

2012年6月20日水曜日

県が絶賛奨励中:シキミの栽培

シキミ
鹿児島県が実施する「枝物生産者養成講座」を受講した(正確には受講途中)。

ここでいう枝物とは、仏前・神前に供えるシキミ(樒)、サカキ(榊)、ヒサカキ(柃)を指す。 あまり知られていないが、鹿児島県はシキミは全国2位、サカキ・ヒサカキは生産量が全国1位であり(平成22年)、林産の重要な特産物になっている。

この中でも特に県が推しているのがシキミである。枝物の生産は県内でも大隅地方に偏っていて、大隅地域が9割ほどを占めており、薩摩地方では発展の余地があるのだが、特にシキミの生産は有望視されている。

その理由は第1に反収が高いこと。反収(10aあたり収入)は20〜40万円で、しかも年間を通して販売が可能であることから、2町(2ha)あれば専業で十分やっていけるという。これは需要が高く供給が少ないためであるが、今生産者は市場から「どんどん持ってきてくれ」と言われている状況ということだ。

第2に、生産コストが低く手間がかからないこと。多少の剪定は要すが、主な作業は防虫・防かび等のための薬剤散布と収穫のみであり、重労働や危険な作業は一切なく、高齢者や女性でも十分栽培が可能だ。当然大型の機械も必要なく、初期投資も少なくて済む。もちろんこれは反収が高い理由ともなっている。

第3に、耕作放棄地等の遊休農地を活用できること。サカキも反収が高く省力的な植物ではあるが、スギ・ヒノキの林床を活用した栽培が一般的であるため場所を選ぶ。一方、シキミの場合は日当たりを好むため畑地が活用出来、山奥に行く必要がないので便利だ。

というわけでシキミは将来有望な作物なのだが、もちろん生産者が少ないのはそれなりに理由がある。大きいのは市場が遠いことで、シキミは主に創価学会と日蓮正宗で使われ、消費地は関西に偏っている。さらに鹿児島県のシキミ生産は和歌山県から伝えられたもので歴史が浅く、販路が確立していない面がある。

私はシキミ生産を中心的にやっていこうという気は今のところないが、もし生産者組合が南薩でも設立されて販売が容易になれば少量作ってみたい気がする。というのも少量なら病害虫の発生も抑えられるかもしれないので、非常に省力的に生産できる可能性があるからだ。

ところで、ふと思うのだが、枝物というのは年間を通じて収穫が可能なのがメリットといっても、逆に言えば果実の収穫のような充実感・解放感に欠ける部分があるのではないだろうか。経済的に有利といっても、どうも工場生産のような単純作業の連続のような気がしてしまう。

こういうものは、どちらかというと法人での生産に向いていると思うので、農業生産法人を設立してシキミ栽培をやれば成功するような気がした。

2012年6月19日火曜日

長い長いイネ科の話

イネ科(多分)の雑草
イネ科が面白い。

水稲の栽培でもそれは感じるが、何気ない雑草を見ていても、その形態・生態は大変興味深い。また、少し調べてみると、イネ科は植物全体の中でも特異な地位を占めていることがわかってきた。

というわけで、少々マニアックではあるが、イネ科について書いてみたい。

さて、まずイネ科といえば、米、小麦、トウモロコシという世界三大穀物すべてがこれに属し、人類にとって最も重要な植物群と言える。三大穀物のみならず、大麦、燕麦、ライ麦、サトウキビ、アワ、キビ、ヒエなど、イネ科の栽培種は枚挙にいとまがない。

自然界においても、イネ科はおよそ1万種が属す巨大なグループをなしており、これを越えるのはキク科(2万3000種)、ラン科(2万2000種)、マメ科(1万9000種)しかない。すなわち、イネ科は人類にとって重要であるのみならず、地球上で最も繁栄している植物群の一つであるといえる。

では、イネ科繁栄の基礎となっている際だった特徴は何だろうか? 1万種全てに該当する特徴ではないかもしれないが、私なりにまとめると次のようになる。
  1. 生長点が地表付近に存在する。
  2. 風媒花である(風で花粉を運ぶ)。
  3. ケイ素を積極的に利用している。
  4. 種子にデンプンを蓄えている。
こうして列挙するだけでは、どこがどう興味深いのかよくわからないと思うので、長くなるがイネ科の歴史を繙きながら解説していきたい。

(1)逆転の発想で草原を制す

イネ科はツユクサ類から進化して誕生したが、それは約1億年前の恐竜の時代、ジュラ紀から白亜紀にかけてと言われる。その頃の植物の中心はなんといっても樹木で、当時まだ草はほとんどなかった。草が巨大に進化することで樹木が生まれたと考えがちだが、実際はまず樹木の進化が先である。その理由は、植物の生存競争は光の奪い合いであることから、上へ上へと伸びる進化が優先的に進んだためだ。

しかし、森林の成立には「温暖な気候」と「適度な降雨」を必要とする。白亜紀になると、地殻変動でゴンドワナ大陸が四分五裂し極域に近い地域も出現、また乾燥化が進むなど森林が育たない場所が増えてくる。そして、そこに進出したのが、イネ科を含む草本被子植物だった。

森林が成立しない「乾燥した地域」や「過湿の地域」、そして「湿潤だが冷涼な地域」は水や酸素や気温が不足した過酷な環境で、光合成が十分に出来ないことから植物体に大量の有機物=木質を抱え込まなければ生殖できないのは効率が悪い。そこで、いわば有機物の自転車操業として、1年単位で生殖を繰り返す一年草が繁栄することになったのである。こうして地球に草原・湿原が生まれた

草原や湿原を形作ったのはイネ科植物だけではないが、特に草原に生きる植物として、イネ科は優れた形質を持っていた。それは生長点が地表付近に存在する、という形質である。

植物は、新たな構造体(葉や茎)を「生長点」という限られた部分でしか作れない。そしてこれは通常茎の頂点に存在している。なぜなら、植物の生存競争は光の奪い合いであるのだから、上へ上へと構造体を作っていく方が有利だからだ。

しかし草の場合、木と違って地上部分が全て草食動物に食べられてしまう場合がある。その際、生長点が植物体の頂点にあるとこれが食べられてしまうために、再生長することができない。だが、生長点が地表付近にあれば、地上の葉や茎が全部食べられても、葉や茎を新たに生長させることができるのである。生長点は植物体の頂点にある方が有利と思われるのに、イネ科は敢えてこれを地際に持ってくるという逆転の発想によって草原で繁栄したのである。

これは、人間にとってはイネ科雑草のやっかいな点である。草刈り機でいくら刈っても、生長点が地表ぎりぎりに存在していてこれを除去できず、何度でも繁茂する。このため、地際まで刈り込む草払いを繰り返していると、他種の雑草が淘汰されイネ科雑草ばかりになってしまう。

ちなみに、湿原に生きる植物としてもイネ科には優れた特徴がある。それは、普通の植物では根も直接呼吸することが必要なのに、イネ科では根が必要とする酸素を葉や茎から輸送できることである。このため、イネ科は沼や湿地という土中酸素のほとんどない過酷な環境でもよく生長することができる。

さて、生長点が地表付近にあるデメリットとしては、植物体の上部構造を複雑化することができないということになる。構造を複雑化することはできないので、より多くの太陽光を受けるためには単純に葉や茎を伸ばすしかないが、植物体をひょろ長くすると風に弱くなってしまい、風を遮るものがない平原ではこれは都合が悪い。

そこで、イネ科では自己のクローンを隣接して作ることによってより多くの太陽光を受ける戦略を採った。これが分蘖(ぶんげつ)である。稲の場合、苗の時点では一株に2〜3本しか植えないが、収穫時にはこれが20本くらいに増加する。上に伸びるのは効率が悪いので、横に増えるというわけだ。

なお、イネ科植物では多くが生長点は地表付近ばかりでなく節状に分布しており、上部構造を複雑化させることも理論的には可能だが、分糵は非常に効率的に植物体を増やすことができることから、イネ科植物の生長の中心は分孼である(と思う)。結果的に、イネ科植物の多くは地表から葉や茎が放射状に伸びるという単純なフォルムとなっており、非常に地味な形をしている。

(2)古風かつシンプルな方法——風媒で世界中に広まる

さて、イネ科は形も地味だが、花も地味である。カラフルで複雑な形の花は恐竜時代に生まれたもので、虫に花粉を運んでもらう(虫媒)ための植物の革新的進化の賜物であるが、イネ科の花は虫ではなく風に花粉を運んでもらうために小さく単純なのだ。

虫媒は、効率的な受粉を可能にするが、昆虫との共生関係が存在しなくてはならないという強い制約条件がある。例えば、生育範囲を広げようにも、花粉を運ぶ昆虫が存在しない範囲には広がることができないし、仮にその昆虫が天敵の増加などによって激減してしまうと植物の方も共倒れになる。さらに、昆虫と植物の相互依存関係は非常に複雑であるため、やたらに生活環が複雑化する。

これは、昆虫との共生関係を極限にまで進化させ、イネ科以上に多種多様な種を生み出したラン科植物の栽培・生殖が非常に困難であり、特殊な環境を必要とすることでも分かるだろう。

逆に、花粉を風で飛ばす(風媒)ということは効率は悪いが、風さえあればどんな環境でも可能であり、単純であるだけに発展性が大きい。イネ科が世界中に広まったのは、特定の虫に依存しないという、単純な受粉方法を採ったことも大きかったのである。

ちなみにイネ科は、虫媒花しかなかった草本の被子植物において、始めて風媒花を導入した植物だ。風媒は、針葉樹やシダ類など原始的な植物(裸子植物)における受粉方法であり、進化的には古風なやり方だったわけだが、この単純な方式の再導入というのは、まさに温故知新という感じがする。

ついでに言えば、イネ科は風媒花であるために、スギなどの針葉樹と同様、大量の花粉を飛ばす。このためにイネ科植物はスギに続いて花粉症の主要な原因となっており、それだけでイネ科の評判(人気)を下げてもいる。

(3)ケイ素の利用で植物体全体を頑丈に

このように優れた形質を持つイネ科は、恐竜時代が過ぎて新生代となると、より地球の寒冷化が進んだことで草原が拡大し、大繁栄を遂げることになる。そこでイネ科植物を主食とする草食動物としてウシ目(偶蹄目)が多種多様に進化した。

イネ科は生長点が地表付近にあって草食動物による食害に強いといっても、もちろん食べられない方がなおよい。草食動物に食べられにくいようにするための工夫の一つは、トゲを作るということだが、イネ科の場合は先述のように単純なフォルムしか作れないということもあり、葉っぱのエッジを刃物のように鋭利にし、また消化しにくいよう葉や茎を丈夫にするという道を選んだ。

ウシ目の動物は消化しにくいイネ科植物を活用するため、反芻や複数の胃という消化器官を発達させた。これに対処するためイネ科はさらに植物体を頑丈にする、という具合に進化の追いかけっこが進み、結果的にイネ科の植物体は非常に消化しにくくなった。

これが可能になったのは、イネ科がケイ素(ガラス質)を積極的に利用できるように進化したためだ。ケイ素は地表付近にある元素としては酸素に続いて多く、地球上で最もありふれた物質だ。しかし、活性が低く常にケイ酸態で存在することなどから、植物の多くはこれを利用することができない。

普通の植物のトゲはカルシウムが主成分だが、土壌に豊富とはいえないカルシウムを使うため、植物体全体をトゲのように堅くするのは効率が悪い。ところが、イネ科は土中にいくらでもあるケイ素を利用することができ、植物体全体を頑丈にすることができた。そのためイネ科はガラス質の骨格を手に入れたのである。

また、ケイ素は植物への各種ストレスへの耐性を向上させる効能があることが分かっており、利用しにくいが有用な元素でもある。このため、イネ科の植物には重金属等で汚染された過酷な土壌でも育つ種類が多い。

(4)文明を育んだデンプン豊富な種子

ともかくイネ科は栄養や酸素が乏しい痩せ地にうまく適応しているのだが、その秘密の一つは種子にもある。

イネ科が所属する大きなグループである被子植物門の特徴は、きれいな花を咲かせることと、果実を作ることであるが、イネ科では先述のように花は風媒花で地味であり、さらにほぼ果実も作らない。例えば稲では普通の作物で果実にあたる部分はほとんどなく、それは種(米)を薄く覆っている籾殻なのだ。

そして、これこそがイネ科を生んだツユクサ類が成し遂げた革命的な進化なのだが、種子にデンプン(炭水化物)を多く含んでいるのである。普通の植物の種子の成分は、タンパク質(アミノ酸)や脂質が中心で、炭水化物はあまり含まれていない。アミノ酸や脂質というのは植物体の素となる栄養素ではあるが、植物体の主成分はセルロース、つまり炭水化物なので、これはあくまで「素」でしかなく、光合成によって炭水化物を生成して、始めて植物体を生長させることができる。要は炭水化物を「現地調達」するわけだが、これだと水や二酸化炭素や光が不足した過酷な環境では種が生育することができない。

一方で、イネ科では植物体の主成分である炭水化物を種子に内包し、仮に過酷な環境にあっても発芽・初期生長を問題なく行えるようにしているのである。

そして、種子に炭水化物が豊富ということで、イネ科は人間にとって非常に重要な植物になった。人間の主要なカロリー源である炭水化物が、保存のきかない根茎や果実ではなく、長期保存の可能な種子に蓄えられていることが、栽培植物としてイネ科の大きな長所である。大げさに言えば、イネ科植物の農耕を行うことによって、人間は文明を生み出したとも言える。

もちろんタロイモ・ヤムイモやバナナといった他の栽培植物を中心とした農耕文明も生まれたのだが、これらは長期保存が可能でないために社会機構が体系化・複雑化しなかった面がある。長期保存可能な小麦や米の場合、どうしても貯蔵・余剰生産物の管理が必要になることから、中央集権的な社会機構が整備されたと思われる。もしイネ科植物がなかったなら、現在の社会とは随分違った形の文明が生まれただろう。世界三大穀物の全てがイネ科なのは、決して偶然ではないのである。

ということで、イネ科植物について長々述べてきたが、こうしてまとめてみて思うのは、イネ科は最も進化したグループの一つであるにも関わらず、その生存戦略は実にシンプルであることだ。風媒や果実を作らないことなどは、被子植物というより(進化的により古い形態である)裸子植物に近く、古くてもシンプルな戦略を採用している感じがする。

また、進化的に主流派とは逆を行っているということも特徴的だ。生長点を敢えて下側に持ってきたり、他の植物が利用しないケイ素を利用したりといったことは、必ずしもイネ科だけが実現したことではないが、この両方を取り入れたのはイネ科だけだと思う。主流派とは逆でも、環境に適応した合理的手法を選択した結果にイネ科の繁栄がある。

こうしたことは、人の生き方や企業体の経営に対しても示唆を与えるような気がしてならない。『イネ科植物に学ぶ経営』などという本がすぐに一冊書けそうである。

もちろんそんな本は書かない(書けない)が、イネ科植物の栽培はいろいろしてみたいと思う。水稲を栽培中だが、次はトウモロコシにもトライしてみたい。その次は小麦を、そしてできれば大麦や燕麦にも関心がある。なんだか、経済生産(稼ぎ)よりも生育の観察に興味の中心があるような気がするが…。ともかく、イネ科は面白いのである。

【参考】
単子葉植物の歩み」ページ毎の粗密があるが、単子葉植物の系統進化について非常によくまとまったサイト。

【補足】
大筋では間違っていないつもりだが、 私は生物学は専門ではないので、本稿には細かい部分で誤りがある可能性がある。もし誤りに気づいたらコメントでご教示いただけると有り難い。

2012年6月14日木曜日

かっこいいアンティークの耕耘機

先輩農家Kさんにトラクターをお借りしようとしたところ、「せっかくだから、耕耘機でやってみない!?」という提案をいただいた。

ちょうど、耕耘機も使ってみたいなと思っていたところだったので、喜んでこの提案に飛びついたのだが、その耕耘機が凄かった。

それは、30〜40年前くらいのもので、今では数年に一度使うか使わないかという、倉庫の奥に眠っていた逸品。(電動の)スターターがないので、クランクを使い手動でエンジンを回転させ、その勢いで始動するというエンジンのかけ方がなんとも無骨でかっこいい

Kさんの指導を受けながら耕耘してみると、おそらく今の機械に比べ操作が面倒だったり、使い心地が大味だったりということはあるのだろうが、普通に耕せる。また、トラクターと比べると効率は格段に落ちるのは確かだが、耕耘しながら土の状態をつぶさに感じることもできるし、小回りは圧倒的にきくわけで、これはこれで便利だ。

それにしても、ややガタが来ているとはいえ古い機械が普通に使えるのが凄い。この耕耘機はすでにアンティークの領域に入っている風格があったが、まだ当分は現役を続けられそうだ。その理由は、機械オタクを自認(?)するKさんの整備がちゃんとしていることが大きいだろうが、今の農機のような電気制御を使っていないことも一因と思う。機械制御はなかなかダメにならないが、電気制御はけっこう寿命が短い(だから、今の農機は 30年も寿命がないかもしれない)。

私は機械好きな方だが、高性能機械よりも、どちらかというと機構が単純で原理の明快なこういう昔の機械に惹かれる。それに、自分のやりたい農業の方向性を考えても、こういうローテク農機こそ導入すべきなのかもしれないと思った。

2012年6月13日水曜日

「大浦ふるさと館」はスモモの穴場?

自家用のスモモが収穫時期だ。

スモモというと「酸桃」という字から連想されるように酸っぱいという印象を持つ人が多く、事実昔のスモモは酸っぱかったらしいが、近年の栽培種は爽やかな甘さで大変美味しい。

ただし、スモモは非常に傷みやすいため、商品として売る場合は完熟する前に収穫することが多い。そのため販売されているスモモはやや酸っぱいものが多いようだ。

ともかく、傷みやすいというのは市場流通の上では致命的で、運んでいるうちに商品価値が下がってしまうようなものは卸売りが手を出したがらないのは当然である。そのため、スモモというと誰でも知っている身近な果物だが、実は他の主要果実に比べ生産量が桁一つ少なく、約2万トン/年ほどしかない。あまり日本産がないキウイフルーツでも3万トン/年くらいあるわけで、実はとても貴重な果物なのだ(※1)。

実際、ネットショッピングだと1キロあたり2000円以上するような高級スモモばかりが見つかるが、普通のスモモを細心の注意を払って冷蔵輸送するのは割が合わないためだと思う。そういう事情から、安くて美味しいスモモは産地でないと手に入りにくい。

しかも、スモモは山梨・和歌山・長野・山形の4県で生産量の約8割を占めており、全国で栽培可能なのにも関わらずなぜか産地がかなり偏っている。そんな事情から、スモモは多くの人に身近に感じられながら、実際にはほとんど食べられない果物、という不思議な存在だ。

しかし、ここ大浦町では以前スモモ栽培を奨励して苗を配ったことがあるとかで(※2)、多くのスモモが栽培されているらしい。そのため、地元の物産館(大浦ふるさと館)ではシーズンになると1キロあたり250円というかなりの低価格でスモモが売り出されるという。地元の人はこの低価格を当然と思っているが、実はここはスモモの穴場なのではないだろうか。

私も、自家用やおすそわけで消費できない分を「大浦ふるさと館」で売っているが、なかなか市場流通しない樹上完熟・無農薬栽培のスモモを一袋(500g)150円で出している。樹上完熟させたスモモの美味しさは格別で、自分でいうのも何だが1キロあたり300円というのは相当にお買い得だと思う。本当に「大浦ふるさと館」がスモモの穴場として情報通に知られるようになったら面白いのだが。


(※1)ちなみに、以前ビワのことを「全国的には希少」と書いたが、ビワの生産量はさらに桁一つ少なく、5000トン/年くらいである。ビワは暖地でないと育たないのだが、スモモは日本では比較的どこでも栽培可能であることが、この差を生んでいると思う。しかしスモモと同様に傷みやすいビワの場合は、輸送に有利な大都市近郊が産地となっているのに、スモモの産地はそういうことはなく、どうして本文中の4県が産地になったのか不思議だ。

(※2)間違っているかもしれない。未詳。

2012年6月12日火曜日

『果樹栽培の基礎』

本日も雨なので農業の勉強。ということで『果樹栽培の基礎 (農学基礎セミナー)』(杉浦 明 編著)を読む。

先日読んだ『農業の基礎』と同じく、基本的な考え方を学ぶ本であり、もとは高校の果樹の教科書として執筆されたものということで実践的ではなく、具体の栽培技術については概念的に書かれている程度である。

その内容は、まずは果樹生産の歴史や世界的状況を外観し(第1章)、果樹の生長や果実肥大の仕組みについて解説してから(第2章)、果樹管理の基礎的な技術(剪定、施肥、灌水、施設栽培、加工など)を述べる(第3章)。そして後半は、落葉果樹の栽培・利用法(第4章)、常緑果樹の栽培・利用法(第5章)について概説する、というもの。落葉果樹としては、リンゴ、ナシ、ブドウ、カキ、モモ、スモモ、オウトウ、ウメ、クリ、キウイフルーツ、ブルーベリー、イチジクが取り上げられており、常緑果樹ではカンキツとビワである。

『農業の基礎』と比べて気づくことは、果樹では施肥などの管理にあまり厳密さを求めていないことで、施肥量については『農業の基礎』では複雑な計算式を使って求めていたのに、本書では「果樹のような永年作物では、この算出はきわめて困難である。(中略)標準施肥量を与えてみて、そのときの木の栄養状態をみてかげんする」(p.53)という一見おおざっぱなやり方になっている。

これは、計算式による施肥量の算出が難しいことも一因ではあるが、一回限りの収穫となる一年草の野菜と違い、果樹のような永年作物では、樹勢・樹齢・目的とする樹形などに応じて経年的に管理していく必要があるからだと思う。つまり、計算式に基づいた管理より、樹勢や収量を見ながらの状況に応じた管理が重要になるわけだ。

ちなみに、いろいろな果樹の管理法をざっと眺めていて取り組んでみたいと思ったのは、クリの栽培だ。その理由は、所用労働時間が極端に短いことによる。主要な果樹は年200〜300時間(10aあたり)の労働を要するが、クリでは年100時間を切る。ということで、アクセスのよくない山林に植えるのはぴったりな気がする。放置林になっているうちの山(どこにあるかもよく分からない)をクリ林として活用出来たら面白い。

2012年6月11日月曜日

(大好きな)シロアリが来襲…!

シロアリのカップルが成立するところ
ふと気づいたら、家がシロアリだらけだった。

今春、シロアリ防除はしたので、うちで発生したわけではなくて、どこからか飛来したシロアリの群れが侵入したということになるが、すごい数である。

1畳あたり10匹以上はいる。どこでも目を向ければ必ずシロアリが歩いているという風情でなんとも居心地が悪い。

最初のうちは、せっせと取り除いていたが、余りに数が多く、取っても取っても湧いて出てくるので、もはや戦意喪失してしまった。目に見えるところにこれだけいるので、天井裏などはものすごい数だろうし、百匹二百匹殺したところで大同小異だ。防除はしているので、きっと家には居着かないだろう(と信じているが、そうでなかったらどうしよう…)。

ところで、シロアリというのは面白い昆虫で、他の生物が食糧として利用できない木質(リグノセルロースというセルロースリグニン等の複合体)のみを養分として生きている。リグノセルロースというのは人間が化学的手法を使っても分解が難しい物質なのだが、シロアリは体内に非常に特殊なバクテリアたち(※)を飼っていて、このバクテリアたちに木質を分解させることによってこれを栄養化する。しかもこのバクテリアたちは、なんとシロアリの体内にしか棲息しておらず、シロアリの体外では(今のところ)培養できないという本当に変わった連中である。

分解が難しい木質を食糧とすることから、シロアリは木質の分解者として自然界の炭素循環における非常に重要な地位を占めており、仮にシロアリが不在であったら、地球上は倒木だらけであったろうと言われるほどだ。ちなみにシロアリの起源は、植物が本格的に木質を獲得したのと同じくらい古く、約3億年前に遡る。もしかしたら、シロアリと木は共進化したのかもしれない。

さらに面白いのは、シロアリはその全種が真社会性だということだ。「真社会性」というのは生物学の用語で、ごく簡単に言えば「群れに階級が存在し、特にその中に不妊の階級がある」ということだ。つまり群れには子孫を残せない集団がいて、そいつらは一生を働くだけで終わる。なんだか切ない話だが、生物学的には非常に面白い性質である。

そんなわけでシロアリには昔から関心があり、できることなら巣を継続的に観察したいくらいなのだが、うちは築百年近い純木造住宅なので、もし本当にシロアリが居着けば、ひとたまりもない。そもそも、窓も開けていないのにシロアリの群れが家の中に入ってくるくらい隙間だらけなのがまず問題で、うちにはシロアリ以外にもいろんな昆虫やなんだか正体がわからない生物(?)がたくさん居候している。家内は「こんなに棲みつくなら家賃を払って欲しい」とぼやいていたが、正直、シロアリには仮に家賃を払ってくれても棲みついて欲しくないと思う。

(※)正確にはバクテリアだけでなくて、原生生物も含む。

【参考文献】
シロアリ腸内原生生物と原核生物の細胞共生」2011年、本郷裕一

2012年6月5日火曜日

「科学的な農業」の基本的考え方を学ぶ本

6月4日に南九州は梅雨入りし、雨模様の天気である。というわけで『新版 農業の基礎 (農学基礎セミナー)』で農業の基本についてお勉強。

本来は、もっと早くに(就農前に)こういう本を読んでいるべきなのだが、とりあえず動いてから考えるという性分なので今になってしまった。

内容は、まず栽培・飼育技術の基礎となる環境や管理法の総論から始め(第1章)、主要植物の栽培法を概説し(第2章)、家畜の飼育の総説を述べ、イヌ、ニワトリ、マウスの飼育法を概説する(第3章)。最後に「農業・農村と私たちの暮らし」と題し農業を巡る趨勢や農業に期待されている役割を述べて終わる(第4章)。

書名に「基礎」と銘打っているだけあって、具体的な栽培技術などはあまり書かれておらず、第2章の栽培法の概説も、農業の考え方を説明するために具体例を引いているという位置づけに思える。つまり本書は栽培技術の基盤となる基本的考え方を学ぶ本なのだが、その大きなメッセージは「科学的な農業を行うためにはどうすればよいか」ということに尽きる。

それを要約すれば、「栽培植物の特性をよく理解して環境を整え、収量の目標を定めて適切な施肥を行い、生育をつぶさに観察して記録し、収穫時には栽培の結果をまとめて評価と反省を行い、次年度の課題を設定する」ということになるだろう。それ自体は、ずっと昔から行われてきたこととは思うが、例えば生育の観察を厳密に行うには科学実験のような記録が必要なように、なんでも厳密に実践しようと思えば科学的にならざるを得ない。

本書では、特に「科学的な農業」という言葉は出てこないが、最小の労力で最大の効果を挙げようとすれば、自然に科学的になっていくのだということが、行間に読み取れる。例えば、限られた紙幅の中であえて一般的でない「マウス」の飼育法を説明しているあたりに著者の科学性へのこだわりを感じることが出来るだろう。

よく「これからの農業は知識集約産業」というようなことが言われるが、本書で当然のように説明されているこのような農業は、農家全員ができるものではないような気がする。というか、私自身、ここまで厳密な管理に基づく農業をする自信が持てないのであった。

蘖(ひこばえ)の森

放置山林となりはてた自家林を整理し、新たに利用しようとしているところだが、この山には、写真のように根元から分岐している雑木がたくさんある。

ここは、少なくとも30年くらい放置されているが、このような木は、かつてはここが里山として利用されていたしるしである。薪などを採るために伐採した木の根元から蘖(ひこばえ)が生え、それが大きく生長することによって、このように王冠状に広がった幹が形成される。

この写真の木は、それぞれの幹は直径20cmもないが、その根元は、直径が1mくらいある。伸びては切られを何度も繰り返しながら、100年以上人間に利用されてきたのかもしれない。この山は明治か大正のころに、私の曾祖父が果樹園として切り拓いたもののようだが、おそらくそれ以前も里山として長く利用されてきたのだろう。

ところで、里山というと、「日本人の原風景」「心のふるさと」などと言われるように、なぜかとてもいいものという暗黙の前提があるような気がするが、私は里山がそんないいものだったとは思わない。利用可能な資源が限られている環境において、小規模の山林を最大限に活用するための山林管理が里山を生んだのであり、多少厳しい言い方をすれば、閉鎖的で貧しい農山村の象徴であるといえなくもない。

しかし、小規模山林を持続的に利用していくという発想は、今になって、最先端の考え方のような気がする。エネルギー・食糧価格の高騰が予想される中、身近な山から継続的に資源を得ることは、今後合理的になっていくと思われるからだ。

里山に「心のふるさと」のような価値がないとは言わないが、私にとってはそれはセンチメンタル過ぎてピンとこないものだ。むしろ、細く長く自然を活用する技術としての価値の方に興味を持つ。しかし、その技術はもう失われたと言ってもよい。どのように木を切り、植え、育て、何を収穫したのか…。何となくは分かっても、細かい管理技術はぼんやりとした彼方にある。残っているのは、物言わぬ蘖の森だけである。

2012年6月1日金曜日

南薩一のパティスリー「菓子工房 だるまや」

家内の誕生日ということで、日本最南端の終着駅・枕崎駅の近くにある「菓子工房 だるまや」に行った。

「だるまや」は本格的フランス菓子店。2階には優雅な雰囲気の、広いイートインスペースもある。ここはイートインなどという安っぽい名前は使うべきでなく、フランス風に「Salon de the(サロン・ド・テ=茶館)」と言いたくなるほどの空間だ。

ショーケースに並ぶケーキも非常に美しく、見ただけで美味しいことが分かる。お店の方に「一番人気は?」と聞くと、シュー・ア・ラ・クレーム(シュークリーム)とのこと。これを買うために遠方からわざわざ訪れる客もいるという。

実は私、あまりシュークリームが好きではない。コッテリとしたクリームが大量に入っているお菓子なので、胃がもたれたり、単調な味に飽きたりする。繊細なものが多いフランス菓子の中で、アメリカ風の大味さがある無粋な菓子だと思っている。

しかしこのシュー・ア・ラ・クレーム、まさに極上のおいしさである。クリームはコッテリというよりはさっぱりとしていて、たっぷりと入っているが最後まで爽やかに食べられる。もちろん皮の部分はサクッとした食感で、廉価品によくあるべたべたした感じは微塵もない。しかも1個200円。これは遠方からわざわざ買いに来るのも納得である。

家内と娘が頼んだケーキもちょっと味見させてもらったが、長い修行の果てにしか出せない(と思われる)複雑で深い味わいのおいしさだった。

東京でも、こんなに美味しい洋菓子店はそんなに多くはないと思うし、ましてやこの田舎には場違いなほどの素敵なイートインスペースもあるわけで、この店に来るためだけに枕崎に来ても損はないと思う。こちらに移住してきてからそんなに洋菓子店に行ったわけではいのだが、おそらく、ここは南薩一のパティスリーだろう。

【参考】
なぜか北海道の会社が「だるまや」のお菓子を通販している(しかし、一番人気のシュー・ア・ラ・クレームは売っていない!)。だるまやさん自体の紹介も丁寧で、どうしてこの本格的なフランス菓子店が枕崎にあるのか、ということも分かる。
 「どーげん > 菓子工房だるまや