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2024年4月2日火曜日

奄美に行ってきました(その1)

先日、テレビの企画で奄美大島に行かせてもらった。

NHKかごしまの「ローカルフレンズ」というコーナーのロケで、これまでに「ローカルフレンズ」として出演した人が奄美大島を観光する、という内容の企画である。私は2月に「ローカルフレンズ」に出演させてもらったので、その末席を汚したというわけである。

その企画のことはさておき、私は人生で初めて奄美に行ったので、その印象などを書き留めておきたい。

奄美空港に到着して、目的地の瀬戸内町までは車でおよそ2時間。その途中はずっと山か海しか見えないのだが、すぐに気づいたのは山に杉が全くないことだった。

では、奄美の森は手つかずの自然が残っているのかというと、実はそうではない。2021年、奄美大島や徳之島、沖縄本島など(の一部)が世界自然遺産に登録されたが、奄美大島の場合、登録地のほとんどが二次林(人の手が入った森林)なのである。

かつての奄美大島では林業は主要な産業の一つだった。奄美大島の林業を語る上では岩崎産業の存在が大きく、岩崎産業は奄美大島に1万2000ヘクタールもの大森林を所有していた。島の全体面積が約7万2000ヘクタールなので、実に島の20%もの大地主だったことになる。岩崎産業が奄美大島でどのような林業を行っていたのかは私は詳しくは知らないが、島の森林を見たところ、整然と植林されたような区画は皆無だったので、おそらく造林(植林)はほとんど行っていなかったものとみられる。

本土では盛んに杉が植林されていた時期(戦後)に、どうして奄美大島では全く植林されなかったのか。政策的な理由があったのかもしれないし、自然の回復力が高かったため、あえて植林しなくてもよいという考えだったのかもしれない。

なにしろ植林にはかなり手間がかかる。植林して数年間は下草払いをする必要があり、草払機が普及する前は造林鎌で行う重労働だった(草払機があっても重労働である)。ハブのいる奄美の森では危険も伴っただろう。要するに、植林はコスト的に見合わなかった、ということが理由ではないだろうか。

それは手抜きともいえなくもないが、植林がされなかったことで、結果的に、奄美の山ではスダジイを中心とする自然の植生が回復し、多くの野生動物が保全されることとなった。真面目に造林していなかったのがかえってよかったのだ。

ちなみに、世界自然遺産の登録にあたって最大の障壁になったのが、登録予定地の大部分が岩崎産業の社有地であったことだ。結論を言えば、岩崎産業は4000ヘクタールもの土地を国に売却することでこの問題は決着した。奄美の人たちの岩崎産業に対する思いは複雑なものがありそうである。

ところで、現在の奄美大島の林業はどうなっているのかというと、車中から森林の様子をずっと見ていたが、全く林業が行われている形跡がなかった。かつて島を支えた林業は壊滅した模様である。

というか、林業だけでなく、建設業と漁業以外には、島には産業らしい産業がほとんど見受けられない。サトウキビ以外の農業は見ることができず、水田は皆無といってよかった。畜産もわずかのようなので、仮に農業をやるとしても堆肥の調達に苦労しそうである。私は柑橘農家なので、奄美大島といえばタンカンというイメージがあったが、産業的に行われているタンカン園は一カ所も目に入らなかった。

要するに、島には仕事があんまりなさそうなのだ。

やはり島は貧しいのか。目的地の瀬戸内町古仁屋で、その続きを考えることにしよう。

(つづく)

2012年9月3日月曜日

「日本版アグロフォレストリー」という考え方


アグロフォレストリー(Agroforestry)をご存じだろうか? 私は、鹿児島でこれを実行できたらいいなと思っている。

アグロフォレストリーとは、Agro=農とForestry=林業を組み合わせた言葉で、普通「農林複合経営」とか「混農林業」と訳される。これは環境にやさしい持続可能な農法であるとともに、森林の再生にも役立ち、かつ農家の収入の安定も図られるということで、近年、熱帯地域途上国の農業戦略として非常に注目を集めている。

具体的にどのようなものかというと、熱帯雨林を伐採(または焼畑)した跡地を利用するのだが、ここに例えばトウモロコシやコショウをまず植える。そして平行してバナナやカカオを植える。さらにマホガニーなど換金性の高い材となる樹も植える。ついでに、アサイーなどの果樹も植えておく。

するとどうなるか。1、2年目はトウモロコシが収穫できる。3年目くらいになるとコショウやバナナが収穫できる。6年くらい経つとカカオが収穫できる。カカオは高収益をもたらす樹木だが、定植からしばらく収入がないのがネックだ。このやり方だと、カカオによる収益がない間、収入を得ることができる上、日陰を好むカカオにマホガニーなどによって樹陰を提供することもできる。

アグロフォレストリーの面白いのはここからで、カカオの単一栽培が目的ではなく、アサイー(高木の果樹)が採れたり、他の果樹からの収入も細々と確保しながら農業を続け、30〜40年後にはマホガニーも伐採することができ一時的ではあるが高収入が得られる。結果として、多様な樹種が育つ森が再生することから、アグロフォレストリーは「森をつくる農業」とも言われる。

これを始めたのは、ブラジルのトメアスというところに入植した日本人、日系人である。彼らは最初、コショウの農園を経営していた。入植者の常として、必死に働いていたのだと思う。しかし、ある時コショウが病害虫の被害を受けて破産状態になってしまう。そのとき現住民の暮らしを見て思う。「なぜ、彼らは必死に働いているわけでもないのに飢えないのだろうか?」

現住民は、手近にあるいろいろな果樹を利用して、どんな気候や病害虫が発生してもなんらかの食料が確保できるように暮らしていたのであった。「これを自分たちもできないだろうか?」こうしてアグロフォレストリーが始まった、と言われる。

コショウの大規模栽培の方が収益は高いが、ひとたび病害虫が発生すれば大きな被害を受ける。つまり大規模栽培はハイリスク・ハイリターンなのだ。一方、様々な果樹を混植し、その樹陰で野菜を栽培することは効率は落ちるが、病害虫の被害を受けにくく、定常的な収益が期待できる。つまりローリスク・ローリターンだ。

しかし、単一作物大規模栽培と違って、流通が複雑になるという決定的弱点をアグロフォレストリーは持っている。いくら定常的に果樹が収穫できても、それが少量であれば、遠方まで売ることは難しく、現金収入に結びつかない。今、ブラジル政府は国を挙げてアグロフォレストリーを推進しているが、彼らがやっているのは他品種生産のジュース工場の建設だ。個別の農家の収穫は少なくても、それをジュースにしてパックすれば長く保管できるし遠方まで出荷できる。最近、東京などでは見慣れない熱帯果実のジュースを売るスタンドを見かけるが、これはアグロフォレストリーの成果でもあると思う。

アグロフォレストリーは新しい言葉だが、世界中で、特に東アジアでは古くから行われていた農法だ。日本でかつて行われていた焼畑農法も一種のアグロフォレストリーで、焼畑の後数年間はソバ、ヒエ、ダイコン、カブ、サトイモ、マメなどを育て、さらにコウゾやミツマタなどを植えて換金性の高い植物で10年くらい利用した後、スギの植林を行うというスギの造林法があった。特に土佐ではそういう造林が最近まで行われていたという。

また、単一作物の大規模栽培が世界中で進んだ結果、病害のグローバル化と深刻化の度合いは増している。植物検疫の制度は今のところなんとか機能しているが、人とモノの移動の活発化によってリスクは増大する一方だ。一方アグロフォレストリーは、作物の他品種少生産によって病害虫リスクも低減でき、ほとんど農薬を使わずにすむという。

こういうことから、アグロフォレストリーは途上国政策を行う者にとって非常に重要なツールになりつつあるが、私は、これは熱帯途上国だけに有効な手法ではないと思う。 熱帯雨林は実は土地が痩せていて、一度伐採すると森林の再生が難しいということからアグロフォレストリーの一つの存在意義がある。対して日本では耕作放棄地は勝手に森へと戻っていくので、わざわざ「森を作る農業」は必要ないのではないか、という人もいるだろう。

しかし、アグロフォレストリーは、元々森林の再生を目的として発想されたのではなくて、持続可能でローリスクな農業を目指してできたものだ。その理念や方法は日本でもあり得るのではないか。流通が複雑化するという欠点も、インターネットを通じた直販を利用すれば克服できるような気がする。

つまり私が実行してみたいのは、「日本版アグロフォレストリー」だ。日本人・日系人がブラジルで考案したアグロフォレストリーを、改めて日本でやってみたらどうか。実は、この入植者には鹿児島出身の人も多くいたのだ。熱帯雨林ではない、温帯気候の下でどんなアグロフォレストリーができるのかわからないが、賞揚されてやまない「里山」も一種のアグロフォレストリーであったわけで、きっと面白いことができると思っている。


【参考URL】
「アグロフォレストリー 森をつくる農業(1)(2)(3)」 3本立ての動画(youtube)。見るのに時間はかかるが、この動画を見るのが一番わかりやすい。冒頭の動画はこれ。 
「アグロフォレストリー」という発想。 竹の専門家でもある内村悦三氏が語ったアグロフォレストリー。
アマゾンの里山 トメアスでのアグロフォレストリーを取材した記事。
多様性保つ「森をつくる農業」アグロフォレストリーの先進地 毎日新聞の記事。
World Agroforestry Center ケニアのナイロビにあるアグロフォレストリー研究の総本山(英語)。南米で始まったアグロフォレストリーを、アフリカでも根付かせようと活動している。

2012年6月20日水曜日

県が絶賛奨励中:シキミの栽培

シキミ
鹿児島県が実施する「枝物生産者養成講座」を受講した(正確には受講途中)。

ここでいう枝物とは、仏前・神前に供えるシキミ(樒)、サカキ(榊)、ヒサカキ(柃)を指す。 あまり知られていないが、鹿児島県はシキミは全国2位、サカキ・ヒサカキは生産量が全国1位であり(平成22年)、林産の重要な特産物になっている。

この中でも特に県が推しているのがシキミである。枝物の生産は県内でも大隅地方に偏っていて、大隅地域が9割ほどを占めており、薩摩地方では発展の余地があるのだが、特にシキミの生産は有望視されている。

その理由は第1に反収が高いこと。反収(10aあたり収入)は20〜40万円で、しかも年間を通して販売が可能であることから、2町(2ha)あれば専業で十分やっていけるという。これは需要が高く供給が少ないためであるが、今生産者は市場から「どんどん持ってきてくれ」と言われている状況ということだ。

第2に、生産コストが低く手間がかからないこと。多少の剪定は要すが、主な作業は防虫・防かび等のための薬剤散布と収穫のみであり、重労働や危険な作業は一切なく、高齢者や女性でも十分栽培が可能だ。当然大型の機械も必要なく、初期投資も少なくて済む。もちろんこれは反収が高い理由ともなっている。

第3に、耕作放棄地等の遊休農地を活用できること。サカキも反収が高く省力的な植物ではあるが、スギ・ヒノキの林床を活用した栽培が一般的であるため場所を選ぶ。一方、シキミの場合は日当たりを好むため畑地が活用出来、山奥に行く必要がないので便利だ。

というわけでシキミは将来有望な作物なのだが、もちろん生産者が少ないのはそれなりに理由がある。大きいのは市場が遠いことで、シキミは主に創価学会と日蓮正宗で使われ、消費地は関西に偏っている。さらに鹿児島県のシキミ生産は和歌山県から伝えられたもので歴史が浅く、販路が確立していない面がある。

私はシキミ生産を中心的にやっていこうという気は今のところないが、もし生産者組合が南薩でも設立されて販売が容易になれば少量作ってみたい気がする。というのも少量なら病害虫の発生も抑えられるかもしれないので、非常に省力的に生産できる可能性があるからだ。

ところで、ふと思うのだが、枝物というのは年間を通じて収穫が可能なのがメリットといっても、逆に言えば果実の収穫のような充実感・解放感に欠ける部分があるのではないだろうか。経済的に有利といっても、どうも工場生産のような単純作業の連続のような気がしてしまう。

こういうものは、どちらかというと法人での生産に向いていると思うので、農業生産法人を設立してシキミ栽培をやれば成功するような気がした。

2012年6月5日火曜日

蘖(ひこばえ)の森

放置山林となりはてた自家林を整理し、新たに利用しようとしているところだが、この山には、写真のように根元から分岐している雑木がたくさんある。

ここは、少なくとも30年くらい放置されているが、このような木は、かつてはここが里山として利用されていたしるしである。薪などを採るために伐採した木の根元から蘖(ひこばえ)が生え、それが大きく生長することによって、このように王冠状に広がった幹が形成される。

この写真の木は、それぞれの幹は直径20cmもないが、その根元は、直径が1mくらいある。伸びては切られを何度も繰り返しながら、100年以上人間に利用されてきたのかもしれない。この山は明治か大正のころに、私の曾祖父が果樹園として切り拓いたもののようだが、おそらくそれ以前も里山として長く利用されてきたのだろう。

ところで、里山というと、「日本人の原風景」「心のふるさと」などと言われるように、なぜかとてもいいものという暗黙の前提があるような気がするが、私は里山がそんないいものだったとは思わない。利用可能な資源が限られている環境において、小規模の山林を最大限に活用するための山林管理が里山を生んだのであり、多少厳しい言い方をすれば、閉鎖的で貧しい農山村の象徴であるといえなくもない。

しかし、小規模山林を持続的に利用していくという発想は、今になって、最先端の考え方のような気がする。エネルギー・食糧価格の高騰が予想される中、身近な山から継続的に資源を得ることは、今後合理的になっていくと思われるからだ。

里山に「心のふるさと」のような価値がないとは言わないが、私にとってはそれはセンチメンタル過ぎてピンとこないものだ。むしろ、細く長く自然を活用する技術としての価値の方に興味を持つ。しかし、その技術はもう失われたと言ってもよい。どのように木を切り、植え、育て、何を収穫したのか…。何となくは分かっても、細かい管理技術はぼんやりとした彼方にある。残っているのは、物言わぬ蘖の森だけである。

2012年5月31日木曜日

ハスクバーナのチェンソーが実は安い

ヤフオクでハスクバーナのチェンソーを購入した。

といっても、チェンソーになじみがない人にとってはよく分からないだろう。ハスクバーナは、スウェーデンに本社を持つ世界的チェンソーメーカーで、いわば、チェンソーの世界での「憧れのメーカー」である。

要は、素人の私が持つのはおこがましいような一流メーカー品なのだが、予算とスペックを考慮して比較検討した結果、この「Husqvarna 445」に行き着いた。

本当は、整備のしやすさなどを考えて新ダイワゼノアあたりのプロ機を買いたかったのだが、中古でも結構な値段がして必要な排気量の機種だと予算オーバーだった。

一方これは、ハスクバーナ社のセミプロ機の位置づけなのだが、日本メーカーのプロ機並みの排気量と馬力がある。体格のよい欧米人向けだからなのだろうか…? また、メーカーによるリファビッシュ品で、中古ではあるがほぼ新品状態なので、中古品に心配されるような機械の疲労はない(と思う)。

3万2000円ということで凄く安いわけでもないが、命に関わる機械なのでジャンク品を買うより確かなものを買った方がいいし、元値の約8万円を考えるとお得であることは間違いない。それに、
  • 欧米のセミプロ機はパワーの割に安い。
  • 直輸入品なので、円高効果で安くなっている(はず…というかこれが大きい)。
  • 直輸入品なので、日本でのサポートが受けられず、取扱説明書も英語しかない。
  • ゼノアなどでは標準装備のイージースタート(エンジンをかけるのが楽)でない。
ということで、おそらく日本メーカーの同等品よりも割安であると思う。

これまでも家には父が買ったチェンソーがあったが、パワー不足で伐木の最中にエンストすることもあり、本格的な山の整備にはパワーのあるチェンソーが必須だった。専業で使うわけではないので安価なものを探していたが、比較検討の結果、ハスクバーナに行き着いたのは自分でも意外だ。他にも、円高のうちに高い外国製品を買っておいた方がいいかもしれない。BOSCHの工具とか。


【参考】Hasqvarna 445
排気量:45.7cc
出力 :2.1kw(2.8馬力)
ガイドバーサイズ:45cm(18インチ)/72コマ
チェーン:21BP・21VP
チェンピッチ:0.325”
重量 :5.1kg

2012年5月14日月曜日

副業的自伐林業のススメ

生活に身近な山を活かす一つの方策として、「自伐林業」がある。

今の林業では、山主は森林組合などに委託して伐採、集材などを行うのが普通だが、以前は自分の山は自分で管理するというのが基本だった。林業は儲からないといわれるが、山主自身は何もせず、全ての作業を組合に委託して山林から利益を出すのが困難なのは自明である。逆に、山主自身が造林、伐採、集材を行えば、今でも林業は決して儲からない産業ではない

しかし一方で、林業には危険が伴うとともに心理的・制度的な参入障壁も高く、いわゆる「素人山主」は山林管理に手を出せない状況が続いていた。本書『バイオマス材収入から始める副業的自伐林業』は、「自伐林業こそ日本の山を救う!」としてその普及を推進している中嶋健造氏が土佐の森での自らの取組を紹介しつつ、自伐林業参入のためのヒントを与える本である。

その主張は次のように要約されるだろう。
  1. 機械化・大規模化の林業は、その維持に高収益が必要なため、儲かる山しか施業されない。そのため放置山林など適切な管理がされていなかった地域の山がさらに放置される。
  2. しかし小規模山主や地域の人々が、高性能機械を使わないシンプルな方法で林業をすれば儲かるのであり、事実、自伐林家の収入は総じて高い。さらに地域の山も整備できて一石二鳥である。
  3. 自伐林業には、地域ぐるみでバイオマス材(薪やペレットにする)の出荷から始めると運搬や伐木の面で新規参入しやすい。チェーンソーと軽トラがあれば誰でも林業はできる
  4. バイオマス材で林業に親しみを持った人のうち、いくらかは本格的・専門的な林業へと進む人も出るし、工夫次第で地域の活性化にも繋がるのである。
私自身、地域の放置山林から利益を生みたいと考えているので、このような主張には大いに頷くところなのだが、問題は主張3である。確かに、シンプルな方法で林業をすれば損益分岐点が大幅に引き下げられることは事実だが、バイオマス材の出荷のみで利益を生むのは至難と思う。

事実、紹介されている土佐の森の取組でも、市場価格3000円/t のC材(バイオマス材になる粗悪な木材)をNPO法人が6000円/t で買うという工夫(差額は寄附などで負担される)が成功の大きな要因だったように思われる。

よって、副業として自伐林業に個人で取り組みたいと思った時、やはり「バイオマス材から始める」のは無理があるような気がする(地域ぐるみで取り組むなら可能だろうが)。軽トラで3000円/tの木材を市場まで運ぶのは、どう考えても割に合わないからだ。やはりある程度の市場価値がある材を出荷する方が、個人でやるなら合理的だと思う。

ちなみに、狭いながらもスギが90本ほど育っているうちの山を伐採すれば、原木市場では単純計算で20万円程度の価値がある。この施業を森林組合に委託すれば経費の方が高くつくが、自伐林業すれば10万円弱の利益が出るかもしれない。

いずれにせよ、儲けが出るかどうかは細かいやり方次第なので、森林組合にもよく話を聞いて施業方法を考えたいと思う。そして、自分の山で利益が出せれば、地域の他の山でも応用できないか考えてみたい。本書に紹介された取組を見ていても、結局「いろいろ工夫してみんなで協力すれば、どんな事業でも儲かるんだ」という当たり前のことを教えている気がするのである。

【参考】
木の駅プロジェクト
土佐の森での取組を全国で応用可能なものにしていく社会実験。鹿児島でも「木の駅」が早く作られるといいと思う。

2012年5月2日水曜日

鹿児島はクズの生産量日本一ですが、南薩ではどうなんでしょう?

数十年ほったらかしになっていた自家林を、何かに生かしたいと考えているが、蔓植物の勢いが凄く、随所に絡まっているので木の伐倒が大変だ。

特にクズ(葛)は凄い。この写真のクズは樹齢20年以上(※)だと思うが、絡まるというより、飛翔するといった方がいいくらいで、自由闊達に樹冠へと伸びている。

西日本では、荒蕪地にはすぐにクズがはびこり、雑草としては最もやっかいな部類に属するが、これはかつて救荒植物(飢饉の際に食料となる植物)だった。クズのつるを切ってしばらくすると半透明のデンプン質がじわっと浮いてくるのがわかるが、クズの中(根)には大量の良質なデンプンが蓄えられているのである。クズから採れるデンプン(葛粉)は、各種デンプンの中でも最高級といわれており、葛粉の原料としてクズは今でも重要な植物である。特に鹿児島ではそうだといえよう。

というのも、あまり認識されることはないが、実は鹿児島は日本一のクズの産地なのである。葛粉というと奈良の吉野葛が有名だが、その原料はほとんどが鹿児島産のクズだ。吉野葛というのは、クズを吉野の水で晒して作られた葛粉のことをいうらしい。

なお、くず餅とか葛切りとか葛粉を使った食べ物は多いが、100%クズを原料とした純粋な葛粉が使われているものはほとんどない(サツマイモ由来のデンプンやコーンスターチを混ぜるのが普通)。かつて飢饉の際に食べられたというクズ(葛粉)は、今や立派な高級食材である。

クズは葛根湯など漢方に使われるだけあって健康食品で、消化がいいだけでなく、食感が繊細・滑らかで透明感があり、純粋な葛粉で作ったくず餅を食べたら二度と忘れられなくなるほど美味らしい。もちろん、そのような葛粉を作るためには非常な手間がかかる。

まず、そういった高級品となるクズは限られていて、30年以上のもので、よく光合成し、根に大量のデンプンを溜めていなくてはならない。30年もののクズの根ともなると、人間の太腿くらいの太さはあるわけで、それを掘り出すだけでも大変な労力だ。また、クズのアクを抜いてデンプン質だけを取り出す作業(水で晒し、沈殿させることを繰り返す)も単純なだけに効率化できないし、その上最上級の葛粉を作るためには2ヶ月〜1年も乾燥させなければならないらしい。葛粉が高級食材になるのも頷ける。

ところで、鹿児島は日本一のクズの産地ではあるが、実は生産は大隅地方に偏っていて、この南薩ではクズ掘りについての話は聞かない。大隅ではクズの掘り子の高齢化などの問題にも直面していると聞くが、「葛スイーツ」の開発など新しい展開も見られる。また近年の健康志向の高まりで、クズに対する再評価の気運もある。葛粉は高級食材であるだけに大きな需要増は見込めないが、今後も安定した取引が予測される。

となれば、この自家林にある葛もなんとか生かせないか、と考えるのが人情だろう。木の伐倒をする上では邪魔者だが、それ自体は高級食材(の原料)なのでただ切り払ってしまうのはもったいない。問題は、鹿児島では大隅地方が生産拠点のため、出荷するためにはフェリーに乗って大隅側まで出向かなければならないということである。それを考えるとおそらく利益が出ない気がして少し萎えるが、なんとか生かす道筋を考えてみたい。何しろ、私もくず餅など葛粉で作ったお菓子が大好きなのである。


※ クズはマメ科の多年草で、木ではないので「樹齢」という言い方は厳密に言えば間違いである。見た目は木のようで、実際やや木質化しているが、切ってみると木とは違うことが分かる。それにしても、50年も生きる草というのはそれだけで凄い。

【蛇足】
個人的には、クズは山伏が全国に広めたものという伝説も気になるところである。最初から全国に自生していたようにも思うが…。また、どうして鹿児島での生産が盛んになったのかいずれ調べてみたい。

2012年4月28日土曜日

南薩にツゲがたくさん植えられている理由

畑の隣に植えられているツゲの木
家の周りでは、よくツゲ(黄楊、柘植)の木を見る。庭木にも多いし、畑にも植えられている。このあたりでは、防風林として植えられるイヌマキに続いて多く植えられている木だと思う。

どうしてツゲの木が植えられているのか。それは、ツゲの木は換金性が高いからである。ツゲの材は稠密で堅く、弾力があって美しいことから、将棋の駒や印材、櫛の材料となってきた。特に櫛は、「薩摩つげ櫛」という江戸時代からの伝統的工芸品があり、ツゲ櫛の中でも最高級品なのである。これは、南薩の気候がツゲをより稠密に堅牢に育てるのに適していることによる。そのため、鹿児島のツゲの木は「薩摩つげ」のブランドで高値で取引され、14cm径で約4万円、15cm径で約5万円くらいの相場があるらしい。

換金性が高く相場が安定していて、また生育に15〜20年しかかからないことから、かつてツゲは一種の貯蓄として機能していたという。女の子が生まれると、庭にツゲの木を植えて、成人の頃に切って結婚資金の足しにしたという話がある。ツゲの木は病害虫がつきやすく、山の木のようにほったらかしで育つというわけではないが、庭木なら継続管理が容易だし、保険や貯蓄の金融システムがなかった時代には貴重な貯蓄法だったと思う。

もちろん今の時代にはそういう植えられ方はしないし、櫛や印材の利用も減ってきているけれど、薩摩つげは工芸材として優れているため、パイプオルガンや古楽器などの修復のための部品、またリュートの一部など楽器の材料としての利用も出てきているらしく、新しい活用法がこれから出てくるかもしれない。

ここ大浦町では農家の副業的な植えられ方が多いが、同じ南薩でも、指宿や頴娃ではツゲの産地として今も大規模に生産されている。私も、気の長い話ではあるが、できればツゲの木を山に100本ほど植えてみたいと思っている。

というのも、庭に植えられていたツゲを、窓辺の日当たりをよくするため切ってしまったからだ(換金はしていない)。樹齢は数十年を越えていたので、もしかすると貯蓄として植えていたものかもしれないと、後で思い至った。罪滅ぼしというわけではないが、庭にツゲの木があったという記録を遺したいのかもしれない。築百年近くの古民家だから、庭木を一本切るのも、よく考えなければならない。


【参考】森業・山業 優良ビジネス先進事例ナビ「薩摩つげをめぐるある事件 木材じゃなかった薩摩つげ!?

2012年4月19日木曜日

薩摩藩林政小史:財政再建で注目された山林

私は、農山村が生活に身近な山をどう生かすか、ということに強い興味があって南さつま市へ移住してきた。まずは少々ある自家林から利益を生み出すことを考えたいが、それだけでなく地域の山も視野に入れて将来を考えてみたいと思っている(もちろん全国の山も)。

山は数十年単位で形作られるが、現代の山林の基礎が形成されたのは藩政時代なので、勉強のために、少し薩摩藩の林政の歴史を繙いてみよう。

薩摩藩の林政の特色は、農地支配と同じく、全ての土地は藩主のものという原則のもと、極めて厳しい統制が行われたことである。共力山(きょうりょくやま)という農民共有林はあったが、基本的に私有林は認められていなかった。

また、土地の管理者如何に関わらず、御用木は勝手に伐採することも禁じられていた。御用木とは、松・楠・檜・柏・桐・杉・槿・欅・槇・椨・銀杏・栂・櫟など建築資材として有用な木が広範囲に及んで指定されていた。 なお、ウルシ・ハゼ・クワ・カキ・ナシ・ウメ・ミカン類など、果樹や商品作物は郡方が支配しており、これも禁伐木であった。要は、価値のある木は山林全般にわたり自由に伐ることはできなかったということになる。

このほかに、薩摩藩の林政のポイントとして5つ挙げられるので時代を追って述べる。

第1に、人別差杉(にんべつさしすぎ)の制度である。人別差杉とは、士民全員に1人杉5本の植栽を課した制度である(後に本数は増えた)。薩摩藩は杉の造林に力を入れていた。杉の造林というと、とかく戦後の大量植林が日本の山をダメにした犯人のように言われるのであるが、杉は藩政時代から重要な植樹種だった。ただし、場所によってはハゼ、漆、チヤなども植えたという。

第2に、家老・島津久通(ひさみち)の植林政策である。久通は江戸初期に、杉の植林、コウゾの植林と製紙業の勧奨、茶栽培の勧奨など、その後数百年続く薩摩藩の山林活用の基本を形作った政策を実施している。なお、人別差杉は久通の始めたものという伝説もある。

第3に、江戸中期(貞観・元禄の頃)、家老・禰寝清雄(ねじめ きよかつ)が農民にハゼの栽培、実の収穫を課したことである。ハゼの実からは木蝋が作られ、藩には莫大な収入があったという。これは藩の財政再建を目的に一時的なものとして企画されたらしいが、財政再建後もこの政策は継続されたため、農民にとってハゼはその管理・収穫に多大な負荷が掛かりとても憎らしい存在だった。そのため明治維新後、ハゼ栽培の義務がなくなると農民の多くがハゼを切り倒してしまい、現在の鹿児島県ではハゼ産業はあまり残っていない。ちなみに、ハゼは元々日本には存在しない木で、中国南部から取り寄せたものであり、薩摩藩のハゼの栽培は全国でも一番早い開始だったのである。

第4に、江戸末期に藩の財政再建に取り組んだ調所広郷(ずしょ ひろさと)の林政改革である。茶坊主出身の異色の家老・調所広郷は、借金まみれで財政破綻寸前だった薩摩藩の財政を、事実上の借金棒引きや清との密貿易、砂糖の専売などで立て直すが、その一貫で林政改革も行っている。広郷は、伐木の密売が多かったことから取り締まりを厳重にし、また杉数万本を姶良海岸各所に植えるなど山林育成に力をいれた。とはいえ、これが財政再建に与えた効果のほどは定かではない。

第5に、幕末の藩主・島津斉彬の樹木研究がある。斉彬は新種の優良な樹木を普及しようと考え、蝦夷からカラマツを取り寄せ数万本を、また備前岡山から杜松の苗木数千本を取り寄せて植え付けた。その他、ロシアの大黄、アフリカの丁字、インドのゴム樹、オリーブ、センナ等もオランダや中国、琉球から取り寄せたらしい。しかし、明治維新の混乱により、斉彬の樹木研究は目立った成果は上げられなかった。

明治維新を迎えると、島津氏は広大な山林を購入し植林を行い、金山(鉱業)とともに島津興業の重要な事業の柱として林業に携わっていく。現在でも、島津興業林業部は鹿児島の重要な林業事業体である。

こうして見てみると、薩摩藩は財政再建の際に山林を活用しようとしてきたことが窺われて興味深い。温暖な気候、多雨といった鹿児島県の風土は森林の形成には向いているし、江戸時代には農林水産業以外には目立った産業はなかったわけで、輸送インフラが未発達だったことを考えると(食料品などは輸送できないので)自然と林業が注目されるという理屈は分からなくはない。しかし、財政再建といった喫緊の課題を前にして、造林のような利益を生むのに何十年も必要な事業を始めているのを見ると、藩政時代にはなんと遠大な目的をもって政策を立案したのだろうと思うのである。

現代は、とかく山林は管理が大変だとか利益が出ないとか言われるのであるが、産業構造などが変わっているにしろ、こうして見ると藩政時代の政策にも学ぶべき点があると思うし、また、遺されてきた山林をうまく生かす道筋も見えてくるのではないかと感じる次第である。


【参考文献】
『鹿児島県林業史』1993年、鹿児島県林業史編さん協議会
薩摩半島の櫨」(『自然と文化 72号』より)2003年、日本ナショナルトラスト

2012年4月14日土曜日

鹿児島とクスノキの深い関係

昨日、「千本楠」について書いたのだが、クスノキと鹿児島には深い縁がある。日本一の巨樹「蒲生の大クス」を始めとして、鹿児島にはクスの巨木が多いということもあるけれども、縁はそれだけではない。

それは、クスノキの葉や枝から取れる樟脳が、かつて鹿児島の特産品だったということだ。江戸初期から大正期にかけて、薩摩藩・鹿児島県は日本一の樟脳の輸出元だった。18世紀初頭では、日本が輸出する樟脳のほぼ全量が薩摩藩製で、樟脳はヨーロッパでは医薬品(カンフル剤)として利用されていたが、これが「サツマカンフル」と呼ばれ珍重されたとのことだ。なんと、当時ヨーロッパで使用されていた樟脳の大部分が薩摩藩製であったという記録もあるらしい。

樟脳貿易でもたらされる利益は、77万石とは言っても実際はその半分ほどしか石高がなかった薩摩藩の貴重な収入源であり、明治維新直前に積極的な対外政策を実行できたのは、樟脳のおかげと考える人もいる。

つまり、クスノキには樟脳利権があったと思われるわけで、事実、薩摩藩ではその1本1本が厳格に管理されていた。これが、神木ならずともクスノキの巨木が鹿児島に多く残されている理由なのかもしれない。

しかし、かつて鹿児島を賑わわせた樟脳生産は、昭和初期には台湾などの安い外国産のものに押されたこと、さらに類似の化学合成品に取って代わられたことなどの理由で、急激に衰退していく。ちなみに、台湾にあったクスノキのプランテーションは(当時台湾を植民地としていた)日本政府が経営していたものだったことは、明治維新を主導した鹿児島としてはちょっとした皮肉である。

それでも、鹿児島の樟脳製造は、細々ながら昭和の終わりあたりまで続いたらしい。鹿児島には各地に樟脳製造のためのクスノキの山があり、またその製造工場があった。そのため、今でも「樟脳山」(川辺、金峰)とか「樟脳木屋」(加世田)、「楠木原(くすのきばる)」(知覧)といったクスノキや樟脳に関する地名が南薩にもかなり残っている。

今では、クスノキの巨樹というと、(トトロに出てくるように)田舎の郷愁を感じさせるものだが、かつては鹿児島の歴史を動かした存在だったことは、もっと記憶されてもよいと思う。

【参考文献】
南九州の地名」青屋昌興、2008年

2012年3月13日火曜日

雑木・雑草調べにいい図鑑はありませんか?

祖父の代には田んぼだったところが、すっかり荒蕪地になってしまったので、今開墾をしている。面積は1反5瀬(約1500㎡)ほどで、山間にあり農業機械が入れないという条件の悪いところなので、こうして荒れてしまったのは仕方ないことだと思うが、改めて活用方法を考えていきたい。

我が家はあまり農地を持っていない方だが、畑作であれば、このような開墾をしなくても周囲に借りられる土地がたくさんある。高齢化等で耕作を辞める方が多いので、もっとよい条件の、活用されていない土地が余っているのだ。

だから、開墾の目的は畑作ではない。ここが利用できるようになったら、木を植えたいと思う。借りた土地にも木を植えられないことはないが、やはり樹木は長期的に考えて自分の土地にある方がいい。

現代的な水稲栽培においては、農業機械が入れないことは致命的であるが、この土地は日当たり良好で日照時間も長く、さらに隣に小川があって水が豊かであり、果樹生育には適していると考えられるので、荒蕪地にしておくのはもったいない。

今のところ考えているのは、(シキミ)とアボカドである。樒は仏事に用いる木であるが、木全体に毒性があるため、猪や鹿の害を受けない。山間にある土地なので、山側には樒を植えて害獣よけにしたい。アボカドは、妻の思いつきであるが、国産のものがまだあまり流通していない状態ということなので、収益が期待できる。

そういうわけで、山のように繁茂した木や草をひたすら刈っているのだが、ひとつ気になることがある。それは、もしかしたら有用な木や草も除去しているのではないかということだ。そもそも、私は植物の知識が浅く、雑木や雑草と呼ばれる植物の名前すら分からないものが多いのである。どれが有用かなど分かりようもない。

本当は、せめてその植物の名前くらい分かってから切りたいと思う。それが、植物への最低限の礼儀だという気がする。我が家には植物図鑑一つないので、ぜひ有用な図鑑を購入したいのだが、図書館などで見ても、なかなか「これは使える!」という図鑑が見当たらない。雑木や雑草を調べるのにいい図鑑はないものだろうか。

2012年3月1日木曜日

林業と農業のコスト意識の差

先日、「林業就業支援講習」に参加したのだが、研修を受ける中で林業に携わっている方々の話を聞くことができた。そこで、林業と農業のコスト意識の差について感じるところがあったので、少しメモしておこうと思う。

さて、業種にもよるだろうがサラリーマンをしていると、プロジェクトの損益分岐とか、部署毎の利益率とかには敏感になるのだが、作業単位でコストを意識することは少ない。ましてや公務員に至っては、作業単位でのコストパフォーマンスを考えることなど皆無に等しく、バイトにでもできる雑務を(人手がないために)キャリア官僚がやっていたり、逆に高級取りの幹部が閑職にいたりして、コストを意識した経営がされているとは言い難い。

では、第一次産業ではどうだろうか? 意外かも知れないが、一般には、農林水産業に従事されている方のコスト意識は、普通のサラリーマンよりも高い。もちろん、趣味的に農業をしている方などはこの限りではないが、専業でやっている方のコスト意識は総じて高い。

なぜなら、第一次産業従事者の多く、特に専業農家のほとんどは独立経営者だからである。何か資本を投入する時は、自らの身銭を切らなくてはならない。「会社の経費」などないのだ。

一方で、ほとんどの林業作業員は経営者ではない。「一人親方」といって、個人で仕事を請け負っている方もいるが、多くは森林組合などに雇用されている存在だ。しかし、彼らのコスト意識は、専業農家よりも敏感である。なぜなら、ほとんどの森林組合では、歩合制や能力給を採用しており、作業の成果に応じて給金が支払われることが一般的だからである。

これは、林業の特殊性による。それは、作業の成果が非常にわかりやすいということだ。何本伐倒したか、何本集材したか、何本植樹したか。全て明確に分かる(本当は、何本という単位では成果を測らない。立方メートルに換算する)。成果に応じて給金されるから、その作業に投入した資本(時間・機械・燃料)が適当だったかどうだったかも明確である。ゆえに、林業作業員のコスト意識は非常に高いのである。

では、専業農家ではどうだろうか? 成果が非常にわかりやすいのは同様である。売り上げがいくらかは明確だし、投入した資本(時間・肥料・設備・機械・燃料)もある程度明確である。しかし、農業におけるコスト意識は、林業におけるそれほどは徹底されてはいない。

それは、農業では、天候という予測不可能要素があるためである。投入した資本の量は同じでも、天候次第で豊作にもなれば不作にもなる。また、農作物は木材に比べ価格変動が大きく、同じ収穫量でも市場の相場によって売り上げが大きく異なる場合もある。だから、細かいコスト計算をしてもあまり意味がない。つまり、農業はある意味では、バクチなのだ。

コストを少し削っても、結局天候や市場の相場に大きく影響されるなら、多少の(例えば1%の)コスト削減にあまり意味はない。それよりも、高付加価値の作物を作ったり、高性能機械を導入して作付面積を広げたりする方が、利益率を高めることになる。

しかし、今後の農業のメインストリームは、企業経営的になっていくと思われる。その時に、農作業のコスト意識はどう変わっていくのだろうか。

2012年1月30日月曜日

林業就業支援講習に参加しています

本日1月30日より、厚生労働省が全国森林組合連合会に委託して実施されいている「林業就業支援講習」に参加している。

鹿児島では、鹿児島県林業労働力確保支援センターが実施しており、私は「森の研修館かごしま」という研修所に宿泊しながらこれから20日程度の研修を受ける予定である。

もとより林業作業員になりたいわけではないが、山づくりに取り組むに当たっては、チェーンソーや小型重機を使えるに越したことはなく、このような研修を受けることとした次第である。

1日目を受けた感想としては、研修資料などはなかなかよく準備されていて、眺めていて楽しく、よい研修だと思う。宿泊施設も一泊300円という低額ながら、一通りのものは揃っているし、インターネットの環境がないことを除けば居心地は悪くない。

研修が終わってからは、1時間程度、この森の研修館かごしまのある蒲生町を散策したが、この町も長い歴史を持つ趣のある町である。散歩の目的地もたくさんありそうだ。

というわけで、しばらくは林業の勉強に落ち着いて取り組みたい。