2012年1月30日月曜日

林業就業支援講習に参加しています

本日1月30日より、厚生労働省が全国森林組合連合会に委託して実施されいている「林業就業支援講習」に参加している。

鹿児島では、鹿児島県林業労働力確保支援センターが実施しており、私は「森の研修館かごしま」という研修所に宿泊しながらこれから20日程度の研修を受ける予定である。

もとより林業作業員になりたいわけではないが、山づくりに取り組むに当たっては、チェーンソーや小型重機を使えるに越したことはなく、このような研修を受けることとした次第である。

1日目を受けた感想としては、研修資料などはなかなかよく準備されていて、眺めていて楽しく、よい研修だと思う。宿泊施設も一泊300円という低額ながら、一通りのものは揃っているし、インターネットの環境がないことを除けば居心地は悪くない。

研修が終わってからは、1時間程度、この森の研修館かごしまのある蒲生町を散策したが、この町も長い歴史を持つ趣のある町である。散歩の目的地もたくさんありそうだ。

というわけで、しばらくは林業の勉強に落ち着いて取り組みたい。

2012年1月28日土曜日

古民家——適材適所の家づくり、山づくり

古民家を隅々まで掃除すると、改めてその構造と材の使い方の丁寧さにハッとする。

構造材には堅く頑健な重い木を、意匠や建具には加工しやすい柔らかく軽い木を使っている。しかも、求められる強度に合わせてその太さを変え、木目と節の見え方まで計算されているように見える。

まさしく、「適材適所」だ。

現代の建築のことはよく分からないが、基本的には材が規格化されているし、普通住宅ではこのような細かい気遣いはなされていないのではないかと思う。

これに関してもう一つ驚くのは、これらの材は全て自家林あるいは集落の山から調達してきたものだということだ。現代では、どこからでも材木を仕入れることが可能だろうが、昔は材も自給自足していたので、これらの材は全て手近にあったものである。

ということは、構造材、内装材、仕上げ材などになり得る木を予め植えてなくてはいけない。つまり、家づくりの前に、山づくりがなくては適材適所の家はできなかったことになる。改めて、昔の人の、自然を管理する術には賛嘆せざるを得ない。

2012年1月27日金曜日

大島紬、正確無比な染織と完全分業体制

鹿児島、天文館のマルヤガーデンズで開催されていた「さつまの伝統的工芸品フェスタ」で大島紬を見た。大島紬は今までも何度か見たことはあったのだが、改めて驚嘆した次第である。

とにかく、染めと織りが半端なく正確である。大島紬は「(つむぎ)」と名付けられているが、実態は「(かすり)」である。つまり、一度染めのために織締させ、それを解いて染色してからもう一度織る。絣は、このような工程を経ることによる誤差で、模様がかすったようになることからカスリと呼ばれるわけだが、大島紬の模様は正確無比であり、全くかすっていない。

正確無比な染めと織りが出来ることで、大島紬では、本来、絣とは相性が悪いはずの精緻な紋様が発達したように見受けられる。非常に精緻な幾何学紋様が絣で表現されているとは、一見信じられないほどである。しかも、今回展示されていたものは、伝統的な幾何学紋様をベースにしていながら、極めてモダンなデザイン性を感じさせるものばかりで、非常に魅力的だった。

また、イベントとして織りの体験が準備されていたが、その織り子のおばあちゃんとちょっと話すことができた。この道数十年のベテラン、という方だったけれども、「今でも、模様をつくる織り始めの時は、凄く緊張するんです。あらゆる雑音を入れずに、出来れば鍵をかけてでも一人だけになってやるんです」とおっしゃっていた。

やはり、絣であの精緻な模様を出すのは半端なことではなかったのだ、と納得した。また、そのおばあちゃんが教えてくれたところでは、大島紬ではデザイン、染め、織りなど各工程が完全分業になっているそうだ。これによって正確無比な模様が実現できるのかもしれない。

とはいえ、伝統工芸品は大抵分業して制作されている。アダム・スミスが言ったように、複雑な作業は分業によって効率化される。長く残ってきた伝統工芸の多くは、効率化の圧力に晒され続けてきたことで分業体制が自然に確立したのかもしれない。

ところで、分業しているから凄い、ということはないが、地域の特産品として成立するためには、地域内で分業していることが必要なのだと思う。そうすれば、各戸は独立した経営体であっても、その地域は全体として一つの企業のように経営しうる。大げさに言うと、経営の大規模化ができるわけである。

もちろん、一人で全ての工程をこなす芸術家タイプが創る伝統工芸品もあるが、そういうのは、地域の特産品ではなくて、やはり個人の職人の作品、という側面が強い。地域振興の観点から特産品を考えると、地域内での分業体制が重要ではないか、と思ったりした。


九州新幹線開業1周年記念イベント
かごしまの匠展 第一弾
期間  1/25(水)~29(日)[※最終日は17:00まで]
場所  マルヤガーデンズ 4F garden4,cafe garden
主催  本場大島紬織物協同組合・鹿児島県陶業協同組合

期間  1/28(土),29(日)[1席目 11:30~/2席目 13:30~/3席目 15:30~]
場所  マルヤガーデンズ 7階 open garden

2012年1月25日水曜日

存在感が希薄なポンカンですが、栽培にトライしてみます

ポンカン作りに取り組んでみることにした。

面倒見がよい先輩農家に紹介してもらったのだが、ポンカン栽培をされている方が生産を縮小するということで、そのポンカン畑を貸してくださることになったからだ。

ところで、生産するからには需要がなくてはいけない。ポンカンの需要はどうなんだろうか? 仄聞するところでは、あまり振るわないらしい。かつてポンカンはお歳暮の贈答用果物としてある程度のプレミアがあったが、最近ではあえてお歳暮にポンカンを贈りたいと思う人は多くない。

理由はいろいろあるだろうが、ポンカンの存在感が希薄なことも一因と思う。ミカンと比べて味はどうか、と言う前に、そもそもポンカンの味を想起できる人が少数派だ。「なんだか皮が剝きにくい」とか「皮がきれいじゃない」というくらいの印象を抱いている人は多いが、味の方は「特別マズくはなかったと思うが…」という程度ではないだろうか。

ポンカンは日本では明治29年に栽培が開始された作物で、少なくとも500年は食べられているミカンと比べて浸透度が低いのは当然と言えば当然だ。とはいえ、独特の芳香を持ち、甘みが濃厚で酸味が少なく、「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたほどおいしい果物であればこそ、明治の先人はこれをわざわざ輸入、栽培したのである。ちなみに、良品は皮も剝きやすい。

では、なぜそのようないいイメージが浸透していないのだろうか? 大きくは次の3つの理由があると思う。

第1に、生産量が多くないこと。果樹は植樹から収穫までに時間がかかり、一度植えたら簡単には転作できない。つまり、リスクがあるのでジワジワとしか生産が広まらない。生産量が少なくては、食べた人の数も少ないので、どんな印象であれ浸透しにくいのは当然だ。

第2に、より高品位な果樹が品種改良によってたくさん開発されたこと。ポンカン自体、品種改良されタンカンデコポンを生み出している(正確にはタンカンは自然交配らしいが)。柑橘系のみならず甘みの強い品種が近年数多く生み出されており、正直ポンカン程度の糖度では「甘みが濃厚」とは言えなくなってきている。さらに、品種改良された柑橘類が多く出回ったことにより、ポンカン栽培の歴史は実際には短いにも関わらず、どことなくポンカンが古くさい印象になってしまった可能性もある。

第3に、これまでポンカンの品質管理が十分でなかったということがあるかも知れない。上述の通り、ポンカンにいい印象を持つ人は少ないが、それはこのあたりが産地であるが故に余り物のポンカンを食べ(させられ)てきたことに由来するだろう。柑橘類のみならず、一般に果物の糖度は(日当たりの差などにより)玉ごとに違う。様々な品質のものを「ポンカン」として出荷してきたからこそ、いいイメージが定着しなかったのかもしれない。

実際、デコポンは未だ浸透度が高いとは言えないながら、「甘みの強い柑橘類」というイメージが確立しつつある。なぜなら、デコポンは「不知火」という品種の収穫物のうち、糖度13度以上のもののみを「デコポン」と認定するという品質管理がされているからだ。ちなみに、デコポンは全国統一糖酸品質基準を持つ日本で唯一の果物らしい。

ところで、ポンカンは私の住む鹿児島県南さつま市大浦町の特産品だ。せっかく特産品を栽培するのだから、微力ながらその振興にも寄与したいと思う。もちろん、まずは人様に召し上がって頂くに十分なポンカンを作れるようになることが第一だが、都会からの移住者として新しい風を吹き込むことも期待されているのだと思う。

先述した3点を踏まえると、ポンカンの進むべき道はぼんやりと見えているのではないかと思うが、具体的にどうやって需要を掘り起こしていくか、実際に栽培しながら考えたい。

SoftBankのホワイトBB(電話加入権不要タイプ)はお薦めできません

タイトルの通りである。

古民家に暮らすことになり、電話を引く必要があったので、その値段の安さからSoftBankのホワイトBB(電話加入権不要タイプ)を申し込んだ。

ホワイトBBは、SoftBankモバイルのユーザーなら通常タイプ1980円/月、電話加入権不要タイプでも3680円/月でADSLとIP電話が使え、さらに初期投資も0円なので、確かに安いことは間違いない。

「通常タイプ」と「電話加入権不要タイプ」の違いは、要はNTTに基本料金を払わなくてはならないかどうか(と思っていた)なので、加入権不要タイプを契約した。が、今は通常タイプにすればよかったと後悔している。

理由は、このIP電話がフリーダイヤル、フリーコールに繋がらず、さらには緊急電話(110番とか)にもかけられない、ということによる(通常タイプならそういうことはないようだ)。

今時、気の利いた企業なら、問い合わせの電話はフリーダイヤルになっていることが多く、それが使えないのは極めて不便である。また、緊急電話が使えないというのは、通常は何も困らないが、いざという時に大変なことになる。何しろ、うちは家の中が携帯圏外なのだ…

IP電話だから、技術的にフリーダイヤルに繋がらないとか、緊急電話に繋がらないというわけでないはずだ。なぜなら、以前KDDIの同種のADSL・IP電話のサービスを(もちろん電話加入権なしで)使っていたが、KDDIの方ではそういう不都合はなかった

だから、この制約は技術的には克服できるはずだ。是非SoftBankには対処してもらいたいと思う。お願いします。

古民家の掃除でボロぞうきんが現代美術に

古民家の掃除は大変である。

掃除というのはどんな家でもそれなりに大変だが、古民家へ移住したての掃除はかなり大変だ。

そもそも、何十年間も溜まった汚れを落とすのは骨が折れる。これは、普通の中古住宅にはないだろう。

そしてもう一つは、必ずしも汚れを落とすのが家にとっていいわけではない、ということだ。つまり、数十年を経た材のその風合いまで落としてしまっては味気ない。だから、例えば「激落ち君」のようなものを使って汚れを落としてしまうと、材の風合いが落ちてしまったりする。

古民家の掃除は、汚れを落とすのではなくて、家を美しくすることでなくてはならない。

そこで、掃除の中心はぞうきんでの水拭きになる。そして、ぞうきんは写真のようにボロボロになってしまう。この穴だらけのボロぞうきんは、まるで、現代美術の立体作品のようで、つい写真を撮ってしまった。

2012年1月23日月曜日

古民家の物件を見つける一つの方法

全国のいろいろな自治体がやっていると思うが、「空き屋バンク」というのがある。私の住む南さつま市にも、それはある。

私は、狙ってそうなったわけではないけれど、一応「古民家」と呼ばれるものに住んでいる。古民家には、今の家にはない魅力があるから、多くの人が憧れる。しかし、古民家の物件を見つける手段はあまりない。それは、古民家と呼ばれる物件が、通常の不動産マーケットに出にくいことによる。

そこで、もし、古民家の物件を探している人がいたら、地域の「空き屋バンク」をチェックするのは損ではない。「空き屋バンク」というのは、空き屋になった住居を自治体に登録しておき、希望者が参照できるシステムで、通常、普通の不動産情報誌(例えばSUUMOとかCHINTAIとか)と同じ機能を果たす。

一見「そんなのは行政がやらなくても、民間の不動産屋に任せればいいじゃないか」と思うが、存在意義はある。なぜか。

まず、田舎の空き屋というのは、通常の不動産マーケットには相容れない物件が多い。築年数が何十年を超えていたり、住むために大規模な改修が必要だったり、そもそも、持ち主が貸すことにあまり積極的でなかったりする(これが一番大きい)。

そこを、「地域資源を生かす」という名目で行政が不動産業者との橋渡しをするわけだ。田舎では、行政と人々の暮らしは近い。役場の人に「○○さん、空き屋にするなら、空き屋バンクに登録しておきませんか?」と勧められて登録するのは、不動産屋に仲介を依頼するよりもずっと敷居が低い。

だから、古民家みたいな、普通の不動産マーケットには出にくい物件が、そこには登録されていたりする。 南さつま市の空き屋バンクのWEBサイトを見ていてびっくりしたのは、建築年次が明治18年の物件が成約を見ていたことだった。明治18年といえば、1885年。築130年近い古民家だ。こんなのは、普通の不動産情報誌には、まず出てこない。

ただ、南さつま市の空き屋バンクに登録されている数は、まだそんなに多くない。実際には、空き屋となっている建物はずっとたくさんあるので、もし空き屋を持っている人で貸してもいいと言う人は気軽に登録して欲しいし、またそれを促す意味でも、空き屋を探している人には積極的に使ってもらいたいと思う。

観光と地域興し。指宿で考えたこと

薩摩半島屈指の温泉地、指宿へ一泊二日の旅行に行った。家内、娘、両親、姉とその子供二人、祖母の9人での旅行だった。地域おこしに関心ある自分は観光業にも興味があり、単に温泉に入るだけではなく、観光地としての地域のあり方を考える機会にもなった。ちょっと感じたことなどを備忘録として3点書き留めておきたい。

第1に、観光地として成立するためには、目的地があれば十分だ、ということだ。逆に言えば、目的地がなければ、いくらすばらしい観光資源があったとしても、その地域は観光地にはなれない。南さつま市は、日本屈指の神話の町だと思うし、笠沙〜坊津の景観も絶景、食べ物もおいしくて観光地となりうる材料はいくつもある。

しかし、今のところ、観光の目的地になるようなところ、別の言葉で言えば「目玉」がない。そこにいくためにわざわざ出かけていくというところがない。指宿にはそれがある。それは、温泉だ。温泉は日本中どこにでもあるから、目的地としては、弱い。確かに、ただ温泉に入りたい、というだけの人は、首都圏から指宿には来ないだろう。しかし、温泉に入る、ということはそれだけで立派な旅行の目的になりえる。

観光地を目指すなら、たくさんの観光資源をどう生かすかも大事だけれど、それよりも先立つのは、まず旅行の目的地となりうる何かを持たなくてはならないということだと思う。

第2に、残念ながら、観光地としての成功は、指宿地域の発展にはまだ繋がっていないようだということ。九州新幹線が全面開通したことで、指宿の観光客は非常に増えているらしい。沿線で一番増加率が高いとも聞いた。確かに、泊まったホテル(白水館)は賑わっていた。

さらに中国人観光客の宿泊も多く、外貨の獲得にも貢献している。しかし、駅前の寂れ具合は甚だしい。メインストリートであるはずの、駅前の目抜き通りは、休日だというのにシャッターだらけ。開いている店のほうが少ない。旅館業で上げている利益がまだ地元に還元されていないといえばそれまでだが、ちょっと寂しすぎる印象を持った。

もちろん、温泉だけでも賑わっていることはいいことだ。ホテルだけが儲かるなんてケシカラン、とは思わない。ただ、観光地として成功してもすぐに地域が元気になるわけではない、といういい実例だろう。

第3に、こういう言い方では指宿の方に失礼になるが、日本中どこでも地域ぐるみで頑張れば、お客さんを呼べる地域になれるのではないか、ということだ。

もちろん、温泉街としての指宿はどこにでも真似できるものではない。イブスキ、と言う地名が既に、「湯豊宿」という言葉に起源を持つというくらい、湯が豊富で優れた温泉が多い。でも、それ以外は、そんなに観光資源があるわけではない。

竜宮伝説があったり、大鰻のいる池田湖があったりと、それなりに足を伸ばすところがないではないが、正直、地元の名所の域を出ないところばかりで、観光と言って遠くからわざわざ行くようなものではない。

そして、肝心の温泉宿ですら、まあ満足とはいえるものの、日本に数多い温泉旅館を考えると特段優れているとは言えない。もちろん、名宿に泊まったわけではないから、指宿の温泉宿は凡庸である、と決めつけるわけにはいかないけれども、すばらしいところばかりという評判も聞かないこともまた事実。

単純化してしまうと、指宿が賑わっているというのも、そこそこいい温泉宿があるから、というだけと思えてしまう。もちろん、「そこそこいい温泉宿」というのは実は貴重な存在だから、それで賑わうのは当然だし、それが悪いわけではない。しかし、観光はそれだけではないのだから、もっと努力できるところもあるはずだ。一観光客として、また一県民として、一応全国的に名の知れた指宿だからこそ「鹿児島を満喫してもらうために、もっと頑張れることがあるのではないか」と思った次第である。

逆に言えば、そういう頑張りを地域ぐるみで出来るなら、日本中、どんなところでも観光地になれる可能性はある。第1に述べたように、観光には目的地が必要だし、アクセスが悪いところもあるわけなので、現実的に「どんなところでも」というのは言い過ぎかもしれないが、逆に言えば、目的地になりうる少数の(一つでもよい)観光の拠点さえ持てれば、それは不可能ではない。

地元の旬の食材の料理を出し、歴史と文化を学ぶ機会を用意し、誠意でもてなしをし、「ああ、来てよかった」と思ってもらえる努力を地域ぐるみですれば、どんな地域でも観光地になれるだろう。ただ、言葉でそう書くのは簡単だけれど、実際に地域ぐるみでそんな努力をするのは難しい。

それは、第2に述べたように、たとえ観光地として成功しても、すぐには地域の全員へ恩恵があるわけではないからだ。だから、そういう努力をするのは結局観光業に利害を持つ人だけになってしまい、折角の観光資源が、商業主義的な、刹那的な、凡庸なものになってしまう。

それに、地域興しに観光が必須なわけではない。観光は景気に左右されやすいし、地域の産業の基盤とするにはマーケットが限られているし、余所者が近所を歩き回るのをよしとしない人もいる。それもまた真実である。

しかし、私は、地域興しのためには、「他の地域の人の目」は必要だと思う。自画自賛するのではなくて、「お宅のところはすばらしいですね」と言われることが必要だ。それによって、自分の地域のすばらしさにも気づくし、また、新たな発展の芽も生長していくのではないだろうか。

指宿の豊かな湯に浸かりながら、そんなことを考えた。

2012年1月14日土曜日

cafe & gallery poturiへ

家族で、南さつま市加世田市街地にあるcafe & gallery poturiへ行く。

poturiは、登録有形文化財になっている旧鰺坂医院という昭和初期の洋風建物を改装して営業している、おしゃれなカフェ。

店内にはこぢんまりとしたギャラリーが設けられ、定期的に雑貨やアート作品の展示・即売のイベントが催されている模様。来店した際は、「七然窯 馬場朋成展」が開催中だった。

七然窯については未詳だが、近くの吹上町で営まれている窯のようだ。素朴な味わいの焼き物で、一輪挿しやティーセット、またちょっと変わり種で蝋燭立てなど可愛らしい。

北欧の家具だとか、有名なデザイナーの作品だとかで空間を飾るのはいいし、それはそれで一つの価値があると思うけれども、地元の素敵なモノでおしゃれに演出ができるのであれば、おなじおしゃれでももっと意味があると思う。

注文し運ばれてきたケーキセットのケーキも手作りらしく暖かい味わい。コーヒーは鹿児島市中山町のnest coffeeの豆を使っているようだ。

古びた洋館という風情がある店内には、ギャラリーの他にもおしゃれな雑貨が置かれ、つい手に取りたくなる雰囲気。移住する前は「田舎にはおしゃれなカフェなんてないだろうなあ」などと尊大なことを考えていたが、美しく、居心地のよい空間を作ろうとしている方はどこにでもいるものなのだと思い直した。

■七然窯 馬場朋成展
2012年 1/7(土)〜1/29(日) 期間中:水曜日お休み

2012年1月11日水曜日

向江新一さんと笠沙町の名勝巡り

今日は、知人の紹介で南さつま市笠沙町に住む向江新一さんを訪ねた。

向江さんは、関西で左官のお仕事をされていたが、10年前に故郷である笠沙町に戻ってこられ、代行業を営む傍ら地域興しに奮闘されている熱い方。

名刺には「鹿県関西総連合笠沙会名誉会長」「笠沙育成会会長」「現代アート写真家」と並び、紹介してくれた方が「いろいろやっている面白い人」と評していた通り。

ホンの挨拶だけと思っていたのだが、「ちょっと案内してあげるから」と言われ車に載せてもらうと、なんとそこから3時間以上も笠沙町の名所を巡って頂いた。

海幸彦と山幸彦が喧嘩したという伝説を持つ仁王崎を出発し、大当石垣群の里、東シナ海を臨む高崎鼻笠沙恵比寿、九州最西南端の絶景野間岬、皇孫ニニギノミコトが宮居を置いたという伝説を持つ宮ノ山遺跡、沖秋目島を望む景勝の地後藤鼻を巡り、笠沙町を一周した格好。また、薩摩型和船の最後の職人である吉行 昭(よけあきら)さんの工房にも案内していただいた(2012年1月15日まで笠沙恵比寿で企画展「薩摩の船 船大工と伝統技術展」が開催中)。

そして、写真家ならではの視点で、名所旧跡ならずとも眺望のよい場所で停車してくれるという心遣いも。普通の観光旅行ならこれだけで数千円は取られるだろうというメニューで、すっかり恐縮してしまった。

ちなみに、昼食は漁港野間池にある「海鮮どころ野間池」で刺身定食をごちそうになった。網元が経営するというその店の刺身、その圧倒的な新鮮さには驚いた。

向江さんは笠沙町に戻られてからの10年間、人を繋ぎ、地域の資産の重要さを説き、地道に活動されてきたということ。そして、ようやく行政も動き始めたという。

「田舎の人は、いままでの方法を変えようとはしない。都会の考え方を受け入れてくれないんだ。どんどん衰退していく地域をなんとかするためには、新しい方法が必要だと思うんだけど」向江さんはそう語り、苦笑いした。

もちろん、簡単に昔のやり方、生き方を捨ててこなかったからこそ、この九州の端っこに伝統や名勝旧跡が残ってきたのだと思う。しかし、人口が減少し、経済活動が停滞している現代、昔の生き方を保存していく力はもはやこの地域にはないのかも知れない。

木に竹を接ぐような地域振興をしては意味がない。神話や伝統技能、郷土の歴史と文化を基盤とした地域興しをしていくことが必要だ。多くを語らなかったけれども、向江さんの理想もそのあたりにあるのではないかと感じた。

なお、冒頭の画像は向江さんの現代アート作品。「これ持ってって」と気軽に渡されたが、その真価は残念ながら私には分からない。惜しいことに、題名を伺うのを失念した。

2012年1月10日火曜日

南さつま市における就農支援制度

私が最も興味があるのは、山林から利益を得る方法を考えることだが、それは収入の柱にするにはまだ余りに茫漠としているし、百姓ならぬ「百商」として様々なことに取り組みたいとも思っている。そして、南薩地域の産業の中心は農業なので、生活の柱をまずは農業に据えたいと思う。

これまで、農業経験はナシ。ゼロからの就農ということで、今まさに右も左もわからない状況で、周囲の親切な皆さんに教えてもらいながら検討しているところ。

皆さんからは、「様々な支援制度があるから、積極的に活用した方がよい」と言われたので、先日、南さつま市役所に行って各種制度を聞き、新規就農者が活用出来そうなものを下にまとめてみた(なお、県以下の制度については鹿児島県の新規就農支援施策一覧にまとまっている)。

【農林水産省】
青年就農給付金
(準備型)
・独立自営就農を目指す45歳未満の者。
・先進農家・農業法人等で研修を受ける者に年間150万円を最長2年支給。
・実施主体は都道府県。

(経営開始型)
・人・農地プランに位置づけられている45歳未満の独立・自営就農者。
・年間150万円を最長5年給付。

経営体育成支援事業−新規就業者補助事業
・農業用機械・施設等の取得を助成。
・取得価格の1/2(上限400万円)。
・対象は認定就農者(?)

【鹿児島県】
就農資金助成事業
・新規参入者の営農資金・生活資金を助成。
・1年以上3年未満の営農実績がある者。
・30万円を助成。

【南さつま市】
南さつま市農村農業人材育成確保事業(ファームサラリー制度)
・農家に受け入れてもらい農業を学ぶことを支援する制度。
・新規就農する者で、年間農業従事日数が150日以上、申請時に50歳以下。
・支給期間は1年(ただし研修を必要とする場合2年)
・支給月額:単身 15万円、夫婦 20万円
・(市、関係農協、受入農家の拠出金が資料ではよく分からず…)

南さつま市農業後継者自立支援事業
・①新規学卒者、②就農の日から2年以上従事し、概ね40歳以下。
・農地取得、機械購入、施設建設について、事業費の1/2以内、100万円を限度として補助。

<南さつま市農業公社>
☆農業担い手育成事業
・(社)南さつま市農業公社で栽培技術、経営研修、視察等を行う。
・単身10万円、夫婦15万円/月の研修手当が支給される。
・研修の作物は根深ネギとサツマイモ。
・研修期間は2年間。

おおざっぱに考えると、新規就農者支援には3種類あって、(1)研修への支援(2)機械・施設取得の支援(3)生活支援、となっている。

(1)研修への支援は、先輩農家の下などでの研修期間中の所得を確保するもので、農水省の事業の場合は年間150万円、市の事業では240万円(夫婦の場合)が支給される。

南さつま市農業公社で受ける研修は、どちらかというと研修の受け入れ先がない場合の選択肢という感じがする。もし、縁あって受入農家が見つかる場合は、そちらの方がいいのだろう。研修の作物も根深ネギとサツマイモということで限られているし。

(2)機械・施設取得の支援は、農業機械や施設(倉庫やハウスなど)の取得への助成を行うもので、農水省の事業の場合は上限400万円として1/2助成。市の事業では同じく1/2助成だが上限が100万円。なお、資料からは詳らかではないが、双方とも全くの新規では助成が受けられず、営農実績がないとダメなのかも知れない。

(3)生活支援は、県の事業だけで、30万円。これは、実質的な就農支援というよりは、どちらかというとご祝儀的な意味合いが強いと思う。ただ、何もせず30万円もらえるのは大きい。

これらの支援制度を活用しながら、早く独り立ち出来るように事業計画を練っていかなくてはならない。金額だけではなく受給条件も様々だし、自分の身の丈にあった制度をうまく活用していきたい。

2012年、正月。

新しい土地で、新しい年を迎えることができた。

初詣は、近くにあるお社さん。側面に「窪屋敷中氏神」とある。

「屋敷」とは、大きな家のことではなく昔の行政区画単位で、現在で言えば「集落」に当たる。だから、これは窪集落の氏神を祀った祠である。初詣は、由緒ある大社に行くよりも、こうした地域の社に詣でるのがよい。

反対側の側面には「昭和十二年八月建設」とある。戦前ではあるけれど、そんなに古いものではない。

古くて立派なものはそれだけで有り難いけれども、こうした何気ないものが長く大切にされていることは、もっと有り難いことだ。

ところで、「氏神」とは、一体何なのだろう? 辞書的な意味はわかっても、単なる「土地の神」ではないところが難しい。田舎暮らしをしながら、そういうことも考えていけたらと思う。