2013年10月28日月曜日

お米の皆掛重量を巡る議論

皆掛(かいかけ)重量というのを聞いたことがあるだろうか? これは、中身の重さと袋の重さを合わせた重量のことであり、つまり
皆掛重量 = 正味重量 + 風袋重量
である。

お米(玄米)を紙の米袋で鹿児島のJAに出荷する場合、正味重量の規定は30kgなのだが、皆掛重量で30.5kgに詰めて出荷しなければならない。要は、中身は本来30kgでよいのだが、(中身の重さだけ量るのは不可能なので)袋の重さがある分、少し重めに詰める必要があるというわけである。

問題は、紙袋の重さが500gなのかというと、実はそうではないことである。袋の重さは、大体230g程度。ということは、中身は30kgちょうどではなく、余計に270gくらい入っていることになる。この余計に入った270gは、一体何なのだろうか? JAが農家から買い取るのはお米30kg分であるので、この270gには何も支払われない。たかが270gであるが、例えば米袋を400袋出荷するような農家であれば、このお金が支払われない分は全体で100kgを超える。玄米100kgというのは2万円くらいだと思うが、この2万円はJAへの見えない上納金なのだろうか?

この点を先輩農家Kさんがよく問題視しているので、他の地域ではどうだろうと思いインターネットで調べてみた。鹿児島は30.5kgだが、鳥取は30.6kgだし、この「余計に何グラム入れるか」というのは地域差がある。この地域差がどのような法則で生まれているのかを見つければ面白いかもしれないと思ったのである。

だが、調べ始めてすぐに分かったのは、この情報はほとんど公開されていないことだ。最初は全県のJA(経済連)の皆掛重量をまとめようと思ったがそれはインターネット経由では不可能だった。というわけで、検索にひっかかったところだけまとめてみた(順不同)。

30.5kg…新潟、富山、秋田、石川、福島、広島、山口
30.6kg…北海道、栃木、福岡、島根、千葉、鳥取

なんとなく、米どころは30.5kgで、そうでもないところは30.6kgなのかとも思うが、北海道が例外になっているし、正直30.3kg〜30.7kgくらいの開きがあるのではと期待していたのに、意外と全国で皆掛重量は同じくらいだった

が、一つ注目すべきポイントがある。それは、近年皆掛重量が重めに改訂されるケースが散見されることである。例えば、山口では2011年に皆掛重量が30.3kg(おそらく、その時点で全国最軽量だったと思う)から30.5kgに改訂されている。その理由は、「検査時等のサンプル抽出、含有水分の変化によっては出荷時に正味重量が30kg未満になる可能性があることから」とのことで、これは他の改訂した県(例えば千葉県)でも大体同じである。JAは農産物の卸業者であるから、組合員から買い取ったお米を業者へ売るわけだが、その時に正味30kgあるはずが30kgないということだと、業者からクレームが来るわけで、そのために皆掛重量が改訂されているのである。

問題は、改訂の理由に挙げられている「含有水分の変化」である。お米は乾燥機で14.5%とか15%くらいに乾燥させることをJAは求めているが(これも県ごとに違うかもしれない)、JAの倉庫で乾燥が進み上限水分量から下限水分量へ変化したとしてもその重量変化は150g程度なはずである。というか、本来、お米を適正に保管すれば水分量の変化はないはずで、保管をちゃんとしていない責任を棚に上げ、「含有水分の変化によっては出荷時に正味重量が30kg未満になる可能性がある」との理由で皆掛重量を200gも引き上げたのは、他県のことながらびっくりだ。

ただ、お米を含有水分量を変化させず、温度湿度一定で保管するためには結構な施設が必要である。JAの施設は結局は農家の負担(と国や自治体からの補助金)で出来るわけだから、高額なお米の保管庫を建設して農産物の買い取り金額が下がっては本末顚倒な気もする。お米の保管庫が貧弱なJAの場合、皆掛重量が重めに設定されるのは仕方ないのだろうか?

そのように考えると、お米の皆掛重量を何kgに設定するかに、正解があるわけではなさそうである。皆掛重量を30.5kgから30.6kgに改訂した千葉の場合、改訂に合わせて「千葉県産米の評価向上のため、ご理解とご協力をお願いいたします」と呼びかけている。おそらく、競合している産地のお米が30.6kg入りであったために、米の仲買業者から千葉産米は(100gの差とは言え)正味重量が少ない、と思われており、結果として改訂に至ったのではないかと思われる。近年皆掛重量が重めに改訂されることがあるのは、米余りで買い手市場になり、元売り(JA)の力が弱まっているということかもしれない。

だとすれば、私の考えでは皆掛重量の適正値は30.4kgである(※)が、他県のお米が30.5kgで売られている中、鹿児島JAだけが30.4kgで売り出せば、仲買人からの評価が僅かではあれ下がり鹿児島県産のお米の売れ行きが悪くなるのではないだろうか。では皆掛重量はどう決めるべきなのか?

ここまでくだくだしく書いておきながら結論が大変つまらないが、その答えは、JAの組合員がよく話し合い、議論し、納得した上で決めるべきものだ、と思う。他県と足並みを合わすのも一つの考えだし、支払われない分があるのはよくないということで皆掛重量を30.230kgにするのも一つの考えだ(最近の計量器は性能がいいので1g単位で計れる)。逆に、他県産と差別化を図るために30.7kgにするという考えもありうる。

ただ問題は、現在の全国のJAはほとんど、この「組合員がよく話し合い、議論し、納得した上で決める」ための組織として当然の仕組みが、全く備わっていないことである。JAは形式的には組合員(農家)が運営する組合員のための機関であるのだが、実質的にはそうなっていない。ではどうなっているかというと、「人民の人民による人民のための政治」が実際には人心と乖離したものになっているのと同じ状況である。

それを誰のせいとは明確にはいえない。利害が対立しがちな様々な農家が同じ組合に所属していること自体が組織として問題があるのかもしれないし、構成員の意見を集約して組織の運営に活かすということが苦手な日本人の性向に由来するのかもしれない。

ともかく、皆掛重量をいくらにするかは、米を出荷する農家が納得することが第一であると私は思うが、納得するための仕組みがないことが大問題である。農業問題においてはJA改革の必要性の議論が随分前から喧しい。いろいろな面で改革が必要なことは事実だろう。どういう改革をどういう順番でやればよいのか、それは私にはよく分からない。しかし少なくとも、「組合員がよく話し合い、議論し、納得した上で決める」という当然のことを、ちゃんとできるような組織になってもらいたいと思う。

※ 皆掛重量(30.4kg)≒正味重量(30kg)+風袋重量(230g)+サンプル検査した場合の予備(40g)+含有水分量が適正範囲内で変化した時に変動しうる重さ(150g)

2013年10月25日金曜日

とある米国人の実践する有機農業

この数日、病を得て暇だったので『Organic Farming: Everything You Need to Know』という本を読んだ。米国で有機農業を営んでいる方が書いた本である。

日本の有機農業に対して不審の目を向けるものではないが、どうしても変わり者のための農業という側面があるためか、ハウツー本などを見てもあまり論理的でないものが多い。少し乱暴だが「私はこんなに苦労しました」という苦労自慢、あるいは逆に「こうすれば万事解決する」という魔法の杖型の話が多いように感じ、あまり読む気がしない。

では、ある程度有機農業が市民権を得ている外国ではどうなのだろうと思い手に取ったのが本書である。著者はかつてジャーナリストをされていたようで、その文章は簡潔でわかりやすい。慣行農業への過剰な敵意もなく、有機農業を実践する一人の農家としての等身大の仕事ぶりが伝わってくる。

「知るべき全て」を銘打つ通り、例えば「どのくらいの面積でスタートするか」とか「トラクターの選び方」といった、日本の農業ハウツー本ではなかなか書いていない実践的な知識が満載で、新規就農を考えている人には非常に参考になると思う。


唯一、魔法の杖的なものがあるとすれば、ミミズをたくさん入れた腐葉土で作る不思議な液体(これを著者はworm tea「ミミズ茶」と呼ぶ)で土壌改良をする話くらいで、その他は農業の基本を着実に実践することを奨励しており、斬新な情報はないかわり危なげもない。

その内容を少し記すと、まず作物にとって最も重要なものは土であるとし、これを良好な状態に保つことが枢要であるとする。このために、化学肥料を避けるのはもちろんのこと、C/N比を計算して刈草堆肥を投入するなど物質の投入量を管理し、また、緑肥植物を活用して土壌の状態をよくする。ただこうしたことをしても、土壌の状態がよくなるには数年かかるという。

施肥に関しては、植物に与えるのではなく土自体に与えるという考え方で行うことを求め、そして適切な輪作や混作を行い土壌の生物相が偏らないようにするといった工夫も行う。こうしたことを実践するには大規模農場では難しいので、まずは小さい面積で始めることを推奨し、自然とトラクターなどの農業機械も小さいものを薦める。

そして作物の病虫害を避けるには、何よりも植物体自体を強壮にすることが必要として、そのための第一歩として苗作りを丁寧にすることを求める。よって有機農業ではビニールハウスは必須ということで、ビニールハウスの管理・活用方法を述べる。

また有機農業の経営で最重要なことは販路の確保であるとし、かなりの紙幅を費やしてどうやって独力で市場開拓するかを述べる。著者の実践するのは、日本風に言えば無人販売所(Farm stand)と直売市(Farmers market)、そして会員向け定期便の3つである。そしてそれぞれを独力でどうやって始めるかということになるのだが、基本的には仲間を募り、オペレーションを確立し、交通量の多い所に店を構え、新聞広告を打ち、看板を立て、それでも最初の1年は赤字だから耐え、経営を黒字化するように地道な努力をしなさい、という話である。

また会員向け定期便については、最近米国で勃興してきたCSA(community Supported Agriculture)についてやや詳しく説明する。これは、平たく言うと会費を払う会員に対して定期的に農産物を送るというものだが、日本のそれのように顧客が都市部にいるのではなくて会員は地域のサークルのようなもので地産地消を図るところに特色がある。

全体を通じて印象的なのは、常に消費者の目を意識した経営である。例えば著者は自身の農園でハーブを栽培し、また道路沿いには花を植えているという。ハーブなどは経営的には全く奮わないらしいが、「ここは素敵なハーブも栽培している農園」というイメージを形成することにより消費者からの支持を得ることができるらしい。花を植えるのは、訪問した方の目を楽しませるためで、また来たいと思わせるような農園を作ることが重要という。

米国の農業と日本の農業は全体としてみて大きな違いがあるが、著者の実践するような規模の農業、具体的に言うと軽トラックが活躍するような農業に関してはあまり変わるところはないということが分かった。農業技術の面でも、消費者との関係の面でも、結局のところ真摯に取り組んでいくという以外の王道があるはずもないのである。

TPPや農政改革などを巡る議論において、マクロ的に日米、あるいは他国との比較をやり、大きな違いがあるということを認識するのも必要だが、一方で共通することも多い。特に中小零細規模の農業というのは、どこの国でも似たようなものとも思えるので、同じ部分に注目するということも大事だと思う次第である。それにより、国や制度や気候が違っても普遍的な部分、というのが見えてくるのではないだろうか。

2013年10月8日火曜日

南薩のポストカード「Nansatz Blue」できました

以前お知らせした南薩のポストカード「Nansatz Blue」5枚セットが完成して、「南薩の田舎暮らし」で販売を開始した。

たくさんの素晴らしい写真の中から5枚を選ぶ作業はとても悩ましいもので、正直未だに「あっちの方を入れた方がよかったかなあ」と思う部分もある。特に気になっているのは、いろいろ考えて選んだにも関わらず、なぜか構図が似たようなものが並んでしまったことである。うーん。

とはいうものの、結果的にこれらの5枚は、観光客向けのよそ行きの顔ではない、南さつま市の素顔が切り取られたものになったように思う。これらは最近行政が力を入れている「南さつま海道八景」のメジャーな風景ではないし、迫力のある絶景というわけでもないけれど、地元の方に「自分たちの風景」だと受け取ってもらえるよう願っている。

それぞれの写真はぜひ現物を見てもらうこととして、この機会に、この5枚の写真の解説をしておきたい(順不同)。

○『空色の越路浜』
越路浜は、大浦町の遠浅の海岸である。日本三大砂丘の一つである吹上浜の南端に位置するが、越路浜自体は吹上浜の一部ではない(と思う)。この越路浜の特徴は、非常に遠浅であることで、勾配が15,000の1程度(つまり、15キロ進んで1メートル下がる傾き)しかない。この遠浅の勾配を利用して戦中より大規模な干拓事業が進められ、大浦町は鹿児島県において最大の干拓地を有している。(撮影:愛甲 智)

○『実る金峰町』
金峰町は早期水稲「金峰コシヒカリ」の一大産地であり、その出荷は日本一早い。霊峰金峰山からの石清水に育まれたお米は美味である。金峰町からは、一面に広がる稲穂の海の中に笠沙のランドマークである野間岳が望める。ちなみに、金峰町だけでなく、南薩西部(加世田、大浦町、笠沙町)は早期水稲の産地である。(撮影:愛甲 智)

○『黄昏の後浜』
笠沙の野間岬の根元は、野間池という(実際には池ではなく)湾になっているが、この反対側を後浜といい、ここに立神と呼ばれている大岩がある。この大岩は東シナ海に面して荒波を受け止める存在で、地元の人によれば写真のように鏡のような凪ぎになるのは一年に数回しかないという。(撮影:愛甲 智)

○『野間岳と蕎麦の花』
南薩は早期水稲の産地であるため、水稲後の水田の後作として蕎麦の栽培が盛んである。 長野とか新潟のように、一面の蕎麦の花、とはいかないが、最近では蕎麦の戸別所得保障の制度的後押しもあり産地が形成されつつある。金峰町の「きんぽう木花館」ではそば打ち体験も出来る。(撮影:向江 新一)

○『瑠璃色の坊浦』
坊津町に、網代(あじろ)浜という美しい浜がある。ここは、陸続きではあるが道がないので瀬渡し船を使って行く、プライベート・ビーチのようなところで、その海の青さは本土よりむしろ沖縄に近い。写真は、網代浜を往復する渡し船と付近にある小さな赤い灯台。(撮影:愛甲 智)

今回シリーズ名を「Nansatz Blue」としているが、もし資金が回収できれば、第2弾も作りたいし、例えば「Nansatz Green」とか他の色でもポストカードを作ってみたい。それに「南薩」を銘打っているので、南さつま市だけでなく、枕崎市や南九州市、 日置市へも対象を拡大してもいきたいと思う。また、今回の製作には友人・愛甲くんの絶大な協力をもらったが、地元の人が撮り溜めた素敵な写真を発掘してポスト カードを作ってみたい気持ちもあるし、単にポストカードを作って売るのではなくて、ソーシャル・メディアを使って参加型の取り組みもできたら面白い。だが増刷はしない予定なので、ご関心のある方はぜひ早めにお買い求めいただきたい。ちなみに地元では、「大浦ふるさと館」と「笠沙恵比寿」に置いている(1枚100円、5枚セット450円)。

2013年10月6日日曜日

ドイツの有機農業関係者5名に話を聞くシンポジウム

本日、「有機農業を通して世界の子どもたちに安全な食材を」と題されたシンポジウムに参加してきたので、その内容を紹介したい。

このシンポジウムは国際ロータリーの鹿児島・宮崎地区が主催するもので、同組織は鹿児島・宮崎から4名を来年ドイツへと派遣し有機農業の研修を行うプログラムも用意するなど、有機農業の振興に力をいれようとしているところである。実は、この派遣事業に私も応募したのだが、残念ながら選考で落ちてしまった。

で、このシンポジウムだが、簡単に言えば、ドイツから招聘した5名の有機農業の関係者に話を聞こうという会である。タイトルが「世界の子どもたちに安全な食材を」ということで、農薬と化学肥料の悪口ばかり言って終わる非生産的なものではないかと心配していたが、実際には穏当かつ有意義なものだった。以下、そのポイントを備忘のためまとめておきたい。 なお、農業に直接関係ない部分は割愛している。

(1)岩元 泉さん(鹿児島大学教授・NPO法人鹿児島県有機農業協会理事長)の話

  • ドイツの有機農業は日本の100倍の面積があり、全耕地面積の6%にものぼる。
  • これは政策的に有機農業が振興されてきた結果であると思う。
  • 日本では、1971年から有機農業が細々と取り組まれ、1999年の有機JAS法、2006年の有機農業推進法と徐々に歩みを進めてはいるが、まだ規模的に小さい。
  • 有機JAS法による「有機」の認証についても、実は国産のものより外国から輸入されたものの方が多く、国産の有機農産物をもっと増やしていくことが必要である。

(2)大和田 明江さん(NPO法人鹿児島県有機農業協会常務理事)の話

(NPO法人鹿児島県有機農業協会の活動の紹介なので割愛)

(3)カロリーン・ウルリッヒさん(有機農場経営者)の話

  • ヨーロッパでは、EUが有機農産物の統一規格を定めている他、民間の上位規格も存在する。
  • 私は200haの農地、12,000羽のニワトリ、250KW発電するバイオガスプラント、10,000㎡のハウスの有機農業の複合経営をしている。
  • ニワトリは、一人の女性が一日6時間働いて全部面倒を見ている。養鶏は機械化が進んでいるのであまり手はかからない。なお、ドイツでは全ての卵にスタンプが押されており、ウェブ上で生産者や農場を確認することができる。
  • バイオガスプラントは、(鶏糞由来のバイオガスを用いて?)電気と熱を生み出すもので、熱についてはハウスの加温に用いている。
  • ハウスでは、トマトとキュウリ、そしてリーフ類を栽培している。注目してもらいたいことは、そこで働いている38名全てが知的障害を持っている人達であることだ。
  • 私は、これらの事業によって、物質循環を農場内で閉じたものにするよう努めている。

(4)ユルゲン・ヘァレさん(養豚所経営・有機農業コンサルタント)の話

  • ミュンヘン市の有機農業推進について紹介する。
  • ミュンヘン市は、そのものが(市で)最大の有機農家であり、市自身が10個の農場を持ち、うち7つが有機農場である。
  • なぜミュンヘン市が有機農業をしているのかというと、水質管理と関係がある。ミュンヘン市ではSWMという公益企業が水道事業をしているが、この水源地の水質を保つためにミュンヘン市が土地を購入した。そして、"Organic Farmer"というキャンペーンをやって130人の農家に3500haの土地で有機農業を実践させた。また1800haの森も有機認証を受けている。
  • ドイツでは残留農薬とチッソ分の残留によって水質が低下したことが問題となったが、このために浄水設備を整える費用よりも、土地を購入して有機農業に補助金を出した方が安上がりだという判断があった。
  • またミュンヘン市では再生可能エネルギーに力を入れていて、既に37%の電力が再生可能エネルギーによって供給されている。2025年にはこれを100%にしようというのが目標である。

(5)パネルディスカッション(質疑応答)

■岩元さん:カロリンさんの農場は家族経営なのか? またドイツでは生産者は個人で販売するのが普通なのか、それともグループでやるのか?
■カロリンさん:私の農場はNPO法人で60名の人が働いている。販売ルートは多様であり、直販もあるし大手への卸もある。また直接お店に配送するというようなこともやる。
(※岩元さんの2つ目の質問はドイツの一般的事情を聞いたもののようだったが、噛み合っていなかったのかもしれない)

■司会:鹿児島の有機農産物をご覧になって、どうマーケティングしていけばいいと思ったか。
■シュテファーンさん(有機農業のマーケティングアドバイスをされている方):透明性を高めるというのが重要だと思う。生産者の顔がみえるような工夫が必要。ドイツでは有機農産物は普通の農産物に比べ価格は3割高いが、安心なものを求める消費者の志向に合致しているからよく売れる。

■大和田さん:日本の場合、環境を守りたいとか、安心なものを作りたいとかいう強い思いを持った生産者が、人生を掛けて有機農業に取り組む、というような感じで、失敗した場合のリスクも大きい。一方、ドイツの場合は政策的な後押しもあって、もう少し取り組みやすいように感じる。日本のように個人の頑張りだけで有機農業を広めようというのは難しいと思う。両国には政治的な違いもあると思うが、どうやって政治的な後押しを図っていったのか。
■シュテファーンさん:いろいろなレベルで支援がある。まず、国から有機農業への補助として1haあたり250ユーロの補助金があるし、ドイツ政府は消費者への啓発活動もやっていた。また、投資家を募って実施する有機農業のプロジェクトもあったし、(民間の)そうしたプロジェクトへの支援もやっていた。
(※大和田さんの質問は、有機農家がどのように政治家へアプローチをしていったのか、という質問だったように思ったが、少し噛み合っていなかったかもしれない)

■ユルゲンさん:日本に来てみて、日本人は食べ物に大変敬意を払っているように感じた。料理の作り方が細かくてとてもきれい。このようなものはドイツにはない。だが、食べる時だけでなく、それを生産する時へも敬意を払うようになれば有機農業を取り巻く厳しい状況も変わるのではないか。

■会場からの質問者:有機農業といえば昆虫と思っている。有機農業が盛んなオーストラリアではハエがたくさんいる。有機農業における昆虫の話を聞きたい。
■ユルゲンさん: 生物間のバランスを保つことが重要だと思っている。例えば畑のフチに鳥が巣を作れるような所を設けて、鳥に除虫してもらう工夫をしている。
■会場からの質問者:有機農業では害虫とか益虫とかいう概念はないと思っていた。そういう区分けは人間が勝手にしたものだから。
■ユルゲンさん:農業だから害になる虫がいるというのは当然である。
■シュテファーンさん:慣行農業だとポストハーベスト、つまり収穫後に貯蔵性を高めるために農薬を使うということもあるが、有機農業ではそれはしないので、益虫を倉庫の中に放すといった対策も行っている。
■カロリンさん:ハエの話があったが、自分の農場ではハエを駆除するためにクモを放している。
■ルートヴィヒさん(有機農業従事者):虫と有機農業という話でいうと、ミミズは土を耕してよい状態にしてくれるし、現在話題になっているようにミツバチが農薬の影響で世界的に減少しているが、もしミツバチがいなくなったら人間が手で受粉しなくてはならない(虫と協力しなくては農業はできない)。

■シュテファーンさん:有機農業は、よく考えてやらなくてはならないと思う。単純に薬を撒けばいいという農業ではないわけだから、いろいろ学んだ上で、様々なことを考慮に入れてやらないとうまくいかない。(了)

【補記】
シンポジウム終了後、ドイツからの有機農業関係者2人に話を伺いに行って、いくつか質問をしたが、その内容は以下の通り。
・病気をどうやって防止するのか?
→気温などを栽培植物に最も好適となるように管理すれば、自然と強壮となり、病気には罹りにくくなるものである。(カロリンさん)
・雑草の管理はどうするのか?
→もちろん野菜の種類によって違うが、中耕・培土とマルチング。特に生分解性マルチを使う。(以下シュテファーンさん)
・例えばベビーリーフの場合、マルチの穴の中は雑草を抑えられないと思うが。
→残念ながらそれはそう。手で取るしかない。
・土壌の微生物をよい状態に保つのに、何か特別な方法があるのか?
→混植が重要。また、5〜7年ごとにマメ科植物を植えることが土壌改善ができるし、やはり堆肥の施用は重要。
・どれくらい施用するのか。またその種類は何がよいと思うか。
→1haあたり20トンくらいだろう。種類は何でもいいと思う。刈草でもいいし、有機物をやること自体が大切だから。
・慣行農業から有機農業への転換の鍵は何か。
→実践している農家から話を聞くことが一番だと思う。

【コメント】
まず、ドイツからの招聘団のリーダーを努めていたカロリンさんの農業経営の規模が大きくまた先進的すぎ、このクラスの農家は日本でも数団体と思われるので、有機以前に農業の段階に差がありすぎた。しかし、それだけの規模で有機農業を経営していくにはたくさんの工夫があるに違いないので、詳しく話を聞ければ参考になる点が多いのかもしれない。

印象に残ったのは、ドイツの有機農業関係者がいい意味で普通の人達であることだ。日本の場合どうしても有機農家=変わり者という部分が否めないので、 このように普通の人達が普通に取り組んでいるというのは心強い。また、言っていることも大変真っ当であり、いろいろ細かい工夫はあるのだろうが、「こうすればうまくいく!」という魔法の杖があるのではなくて、適地適作を守るとか、堆肥を継続使用するとか、農業の基本を着実にこなしていくことが大事という考え方であった。

さらに、有機農産物のマーケティングに関しても、透明性を高めトレーサビリティをしっかりし、生産者の顔が見えるようにすることが重要といい、これらは有機農業ならずとも普通の農業でも求められることで、こうしたことは日本の農政においてもかねてより強調されてきたことである。

今回、ドイツに行って研修できないことは残念であるが、このシンポジウムでドイツの有機農業関係者の話を聞いてみて、海外で魔法の杖を探すのではなく、自身の営農を基本に沿って確立することが最も重要と感じた次第である。もちろん、細かい工夫も重要であるから、そういう勉強はしていく必要があるが、基本を当たり前にできるようになる、ということほど大事なことはないのだと思う。

2013年10月2日水曜日

高田石切場の壮大な石の壁

南九州市川辺の、高田という地区に「高田石切場」という産業遺産のようなものがある。

これは、江戸末期から昭和にかけて採石された場所の跡であるが、遺産というより既に遺跡の風格を持っている。私の拙い写真では全く表現出来ていないが、天を衝くほぼ垂直の石の壁が広がる様子は、あたかも神殿のような趣がある。

また、驚くべきことに、写真の場所ではないながら、近くでまだ採石が続いていて、一人だけ残った石工さんが仕事をしているとのことだ(少し古い情報なので、もしかしたら間違っているかもしれません)。

今でこそ、採石と石の加工は別の場所で行われ、採石場といえば単に石を切り出すだけの所であるが、昔は採石場で石工が鑿を振るい石造製品を作っていたわけで、ここから多くの石灯籠や墓碑、石碑、鳥居といったものが運ばれていったのだろう。川辺では、戦後になっても石工になろうとするものが多かったため、石工に弟子入りするのに町は1万円(!)を支払うよう命じたという話がある。

ちなみに、なぜ採石場で最終製品まで作ったのかというと、その理由は単純で、運搬する重さを少しでも減らそういうのが目的だ。当時は重機もなく、石切りと製品の運搬というのは相当な重労働だっただろう。この荘厳な石の壁も、なんと竹で足場を組んで、手作業で石を割って作られたものだそうだが、そういう方法で作り出されたとは俄には信じ難い。なお、この壁の上部には、27/3/7という文字が刻まれており、これはこの壁が切り出された年を表しているらしい。昭和27年3月7日ということなんだろうか…。

しかし、素人ながら、このように垂直に石を切り出すと、それから先の石切りが非常に不便になるように見えて仕方がない。上の方から階段状に切り出すのが合理的な気がするのだが、どの壁もそのようにはしていないわけで、具体的な工法を知りたいところである。

ついでに書くと、この壮大な石の壁は溶結凝灰岩でできている。溶結凝灰岩というのは、火砕流などによって高温の火山噴出物が堆積し、自重で圧縮されながら再度溶解し凝結したもので、要するに灰とか軽石のようなものが地上で高温高圧となって溶けて石になったものである。写真には、うっすらと層のようなものが見えるが、これは堆積した時に上からの圧力で層状になったもので、溶結凝灰岩の特徴がよく現れている(と思う。地学は体系的に学んだことがないので間違っているかもしれません)。

このように巨大な溶結凝灰岩の壁ができているということは、一度に20m以上もの火山噴出物が堆積したということだから、かつて桜島の噴火など比べものにならないほどの大噴火があったということになる。

実は、南薩は阿多カルデラという日本有数のどでかいカルデラを錦江湾側に持っていて、この阿多カルデラ成立の過程で数次にわたって起こった巨大噴火の影響で、ものすごい大きさの溶結凝灰岩の地層が多く見られる。約10万年前に起こった阿多火砕流の噴出物は約110km3というから、開聞岳(約8km3)14個分(!)くらいの灰や噴石が一度にばらまかれたことになる。 24万年前から10万年前までの間に、このクラスの噴火がなんと4回もあったそうである。

ちなみに、鹿児島北部はこれまた大きな姶良カルデラがあるし、島嶼部には鬼界カルデラがあって、鹿児島は有史以前は巨大火山のメッカの様相を呈していた。そのため県内では溶結凝灰岩が豊富に獲れ、やや脆いが加工しやすいこの石を利用して石造文化が発展したのではないかと思われる。8・6水害前にあった五石橋も全て溶結凝灰岩でできていた。

そして、鹿児島の石造遺物は、他の地域に比べ細かい細工が少なく、石そのものの質感が活かされているものが多いと言われるが、これは鹿児島人の気質というよりも、その素材が溶結凝灰岩であることが大きく影響しているのではなかろうか。なにしろ、この石は大理石や花崗岩のように硬く稠密ではないから、仮にミケランジェロであっても決してダヴィデを削り出すことはできないのだ。素材は、文化の基底に存在している裏の支配者である。

さらに蛇足だが、近くには「高田石切場の美味しい水」の水汲み場があって、ここの水は「命水」と名付けられていて大変美味である。最近、「水汲み場」のノボリが立ったので知名度が上がったのか、私が訪れた時もひっきりなしに大量のペットボトルに水を汲んでゆく人が立ち寄っていた。この水も、浸食されやすい溶結凝灰岩を通ってきているために、ミネラル分が多く含まれ、甘い味になっているのではないかという気がした。地質というのは普段の生活とは随分縁遠いようでいて、長い目で見てみると私たちの歴史や文化を動かす一つの力だと思う。