「南薩の田舎暮らし」では、今年も無事「無農薬・無化学肥料のポンカン」の販売を開始した。価格は、去年と同じで9kg入りで3000円。つまり1キロあたり約300円。
今年は、ポンカンだけでなく柑橘全般がとても不作で、年末はポンカンも異常な高値だった。市場価格でA品L玉500円をつけていたこともあるようだし、小売価格でもだいたい1キロ500円くらいが相場だった。
もちろん年を越すと急に値段が下がるのがポンカンという商品の悲しいところなので、この価格と私の販売価格を単純に比べるわけにはいかないが、それでも「個人販売で高く売ろう」みたいなことが言われている最近の農業界隈を考えると、安売りしている自分は少し馬鹿みたいな感じがする。
でも高値で売るためにはそれなりの営業努力が必要だし、高値にしたらそれなりに責任も生じる。何よりまだまだ栽培がよくわかっていないので、今年までは「シロウト価格」としてこの価格を維持することにした。来年もちゃんと狙った通りに作れたら、その時は価格を改訂することも考えたい。何しろ、今の価格はほとんど最安値付近なので、「無農薬・無化学肥料」関係なく安さで勝負している感じである。もうちょっと付加価値で勝負しないと個人販売する意味がない。
ところでそれに関して一つ思うことがある。最近、農家の個人販売や独自ブランド構築といったことがよくメディアに取り上げられ、その際に「価格を自分で決められるのがよい」といったようなことを農家が発言するが、これは本当にいいことなんだろうか。
やり手の農家の場合はそれが歓迎すべきことなのは当然として、私みたいな商売がヘタクソな農家の場合は、本当に価格をいくらにしたらいいのか全然わからない。
例えば、今の時期、私は(無農薬・無化学肥料で育てた)大根を物産館に半定期的に出荷しているが、1本100円で販売している。これ、大きさや品質を考えると他の人よりかなり安い感じで、他の人に申し訳ない感じがする。でも私は物産館に頻繁に行って在庫を確認する方ではないし、売れ残るのがイヤなので結局安値販売してしまう。正直言って、物産館の人が「この大根だったら○○円ですね」といって値付けしてくれる方がずっと気が楽だ。
まあこれは程度の低い問題なので、もう少し真面目な話をすると、農家の方で価格交渉しなくてはならなくなると、実際は農家が企業に負ける場合が多いような気がしている。
少し話が大きくなるが、今先進国では食料品市場において小売りの統合が進んできて、米国だったらウォルマートみたいな大きいチェーン店が非常に大きな力を持ってきている。米国の食料品小売市場はウォルマート、クローガー、アルバートソンズ、セイフウェイ、コストコ、アーホルドの6社で市場の半分を占めるという(※)。青果に限ればこの割合はかなり減ると思われるが、米国においてこうした巨大企業が仕入れる食料品の量は莫大で、農産物にももの凄い価格交渉力がある。
日本では、例えばイオンに野菜を個人(または法人)で卸すというとなんとなく先進的な農家、という感じがするし、農協を通すのと違って価格交渉ができるのが魅力だろう。でも米国のように小売りの力が大きくなると、それはほとんど巨大企業の言うなりの価格になっていき、農家の方にはほとんど価格決定権がなくなってしまう。
これはヨーロッパの方でも事情が似ていて、EUの小売りはたった15のグループに牛耳られていて、食品に関して言えばほとんどが110の小売業者の買付窓口を通じて購入されていると推定されている。生産者(団体)の方は何千何万といるのに、小売りの方はたった100程度しかいないのである。これでは生産者の価格交渉力はほとんど存在せず、小売りの言いなりになるしかない。
こうしたことから、EUでは農協の巨大化によって生産者グループも小売りに匹敵する交渉力をつけようとする趨勢があり、日本で言えば県レベルの経済連的な活動が活発になってきている。日本では農協は遅れたものと見なされて、農家の個人販売が持てはやされている時に、ヨーロッパの方では農協が見直されているというのがとても面白い対比である。
ともかく、一見価格交渉の余地が大きく見える農産物の個人販売だが、生産者に比べると小売りの方がどうしても巨大であるために、実際には生産者にはそれほど自由度はないようだ。今の日本の流通システムでは、高品質なものを安定生産している農家、つまり優秀な農家にとっては、農協を通すよりも独自に販路を開拓して自分で価格を決める方が利益が大きいのは間違いないとしても、ごく普通の農家にとっては、単に需給に応じて決まる価格の方が好ましいと言える。
そもそも、価格は「自分で決める」ものというよりは、究極的には需給で決まるものであるから、農産物のようなコモディティ商品の場合、市場が効率的に働いて、需給で決まる価格が信頼できるものとなるようにしていくことが大切なことだと思う。
つまり、「価格を自分で決められるのがよい」と発言している農家の場合、その生産物が過小評価されているという思いがあるわけだから、品質をしっかりと評価できる市場を作っていくことが重要なことではないだろうか。これは優秀な農家だけでなく、普通の農家にとっても恩恵のあることだ。
でも全ての農産物に対して、それに適切な市場が用意できるかというとそんなのは無理な話である。私が作るほんの少しの大根やポンカンのためには市場はできていない。こういう零細な商売の場合、やっぱり、自分で何らかの価格を決めて販売していくしかないのである。商才のない私には本当に難しいことだ。
というわけで、話がだいぶ逸れてしまったが、「無農薬・無化学肥料のポンカン」、安値にて販売中なのでよろしくお願いします!
→ご購入はこちらにて。
【南薩の田舎暮らし】無農薬・無化学肥料のポンカン
※参考文献『食の終焉』2012年、ポール・ロバーツ著、神保哲生 訳
2016年1月5日火曜日
2015年1月15日木曜日
南薩の不夜城「A-Zかわなべ」でうちのポンカンを販売中
A-Z(エーゼット)というショッピングセンターをご存じだろうか?
これは鹿児島(阿久根、川辺、隼人の3箇所)にあって、店舗がやたらデカく車から仏壇まで何でも置いていて、しかも24時間営業という独特のお店である。この3箇所はどこもさしたる繁華街を持たないような田舎で、だからこそ商圏のニーズを独占している。こういうショッピングセンターはだいたい繁華街から少し離れた郊外に店を構えるものだが、敢えて競争相手のいない田舎に出店するというのが面白い。
しかも、私も詳しくは知らないのだが、仕入れの仕組みが変わっていて、現場担当者の裁量がとても大きいらしい。例えばニシムタ(鹿児島で有名なショッピングセンターです)なんかだと仕入れは全店共通だと思うが、A-Zの場合は売り場担当者がバイヤーとなって店舗で独自に仕入れるそうだ。いうまでもなく、仕入れは全店共通にするのが合理的だ。この一見非合理な、常識と逆のことをやるのがA-Zの面白いところである。
だから、A-Zには、近所のおばちゃんたち(組合)が作ったような漬物とか、ショッピングセンターらしからぬものが置いている。一見普通の大型ショッピングセンターだが、よく見てみると「常識とは逆の経営」をやっているのである。
A-Zがいかに独特な経営をしているかは、WEB上にもいろいろな記事が載っている(→例えばコレとかコレとか)のでその話はこのあたりにして、このたび、地元南薩のA-Zかわなべに「南薩の田舎暮らし」の「無農薬・無化学肥料のポンカン」を買ってもらえる(仕入れてもらえる)ことになった! (というか独特な経営をしているから、私などから仕入れてくれるのだろう)
私も正確な経緯はよくわからないものの、A-Zとして有機農産物などの取り扱いを強化していこうという動きがあり、それに載っからせてもらった形である。
もし、A-Zにポンカンを仕入れてもらえなければ、個人販売でチマチマ売りつつ、「腐れとの戦い」(というのは防腐剤を掛けていないので)をしなければならなかったので、本当に助かった。
しかも最初は、様子見程度の仕入れなのかなあと思っていたのだが、売り場担当はの方がPOPまで作って下さり、また私が手渡した小さなチラシもわざわざ多数印刷して頒布してくれているではないか。A-Zのご担当の方に、結構力を割いてもらっていると感じる。
こうして、せっかく仕入れてもらったこのポンカンが、無事売り切れて欲しいというのが私の切なる願いである。ここまでやっもらって腐るまで売れ残るということはないと思うが、なかなか売れないとなれば次の仕入れに繋がらない。そして売り場担当の方に申し訳ない感じがする。
というわけなので、南薩の皆さんはA-Zかわなべにお越しの際は、「無農薬・無肥料のポンカン」をよろしくお願いします。A-Zには基本的にチラシがないそうなので、口コミだけが頼りです。なお、一袋(たぶん1kgくらい)380円で売っていました。
これは鹿児島(阿久根、川辺、隼人の3箇所)にあって、店舗がやたらデカく車から仏壇まで何でも置いていて、しかも24時間営業という独特のお店である。この3箇所はどこもさしたる繁華街を持たないような田舎で、だからこそ商圏のニーズを独占している。こういうショッピングセンターはだいたい繁華街から少し離れた郊外に店を構えるものだが、敢えて競争相手のいない田舎に出店するというのが面白い。
しかも、私も詳しくは知らないのだが、仕入れの仕組みが変わっていて、現場担当者の裁量がとても大きいらしい。例えばニシムタ(鹿児島で有名なショッピングセンターです)なんかだと仕入れは全店共通だと思うが、A-Zの場合は売り場担当者がバイヤーとなって店舗で独自に仕入れるそうだ。いうまでもなく、仕入れは全店共通にするのが合理的だ。この一見非合理な、常識と逆のことをやるのがA-Zの面白いところである。
だから、A-Zには、近所のおばちゃんたち(組合)が作ったような漬物とか、ショッピングセンターらしからぬものが置いている。一見普通の大型ショッピングセンターだが、よく見てみると「常識とは逆の経営」をやっているのである。
A-Zがいかに独特な経営をしているかは、WEB上にもいろいろな記事が載っている(→例えばコレとかコレとか)のでその話はこのあたりにして、このたび、地元南薩のA-Zかわなべに「南薩の田舎暮らし」の「無農薬・無化学肥料のポンカン」を買ってもらえる(仕入れてもらえる)ことになった! (というか独特な経営をしているから、私などから仕入れてくれるのだろう)
私も正確な経緯はよくわからないものの、A-Zとして有機農産物などの取り扱いを強化していこうという動きがあり、それに載っからせてもらった形である。
もし、A-Zにポンカンを仕入れてもらえなければ、個人販売でチマチマ売りつつ、「腐れとの戦い」(というのは防腐剤を掛けていないので)をしなければならなかったので、本当に助かった。
しかも最初は、様子見程度の仕入れなのかなあと思っていたのだが、売り場担当はの方がPOPまで作って下さり、また私が手渡した小さなチラシもわざわざ多数印刷して頒布してくれているではないか。A-Zのご担当の方に、結構力を割いてもらっていると感じる。
こうして、せっかく仕入れてもらったこのポンカンが、無事売り切れて欲しいというのが私の切なる願いである。ここまでやっもらって腐るまで売れ残るということはないと思うが、なかなか売れないとなれば次の仕入れに繋がらない。そして売り場担当の方に申し訳ない感じがする。
というわけなので、南薩の皆さんはA-Zかわなべにお越しの際は、「無農薬・無肥料のポンカン」をよろしくお願いします。A-Zには基本的にチラシがないそうなので、口コミだけが頼りです。なお、一袋(たぶん1kgくらい)380円で売っていました。
2014年1月8日水曜日
無農薬・無化学肥料のポンカン栽培1年目は大失敗

ちょうど1年前のブログ記事で、「次年度は有機栽培にトライしたい」としていた園であり、実際に昨年1年間有機的管理を行った。つまり、無農薬・無化学肥料でやってみたわけだ。
結果は、ある程度覚悟はしていたとはいえ、思った以上に惨憺たるものでガックリきているところである。なにしろ、果実の多くがサビダニの被害を受けてしまい収穫量が計画の1/5程度しかない上、年末からの落果がひどい。さらには、残りの見た目のよい果実も、さほど味が乗っていない。
よく有機農家の成功物語で「最初の頃は全部ダメになった」みたいな苦労自慢があるが、まさにそれを地で行ってしまった。農薬や化学肥料を使って農協の基準通り作るのであれば、自分の栽培技術が未熟であってもある程度のものは出来る。だが、有機栽培ではそうした基準を逸脱して作るわけだから、自分の技術の程度が露骨に出てしまう。この惨憺たる結果は、今の私の栽培技術の未熟さの現れだと謙虚に受け止めるしかない。
ではどうしてこのような結果になってしまったのか、ということだが、主因としては(1)夏の剪定が不十分だった、(2)施肥が過剰だった、ということの2点が考えられる。剪定が不十分でサビダニが発生し、施肥が過剰なために味が乗らなかったのだろう。
(1)については、剪定不足で風通しが悪いとサビダニが大量発生すると言われていたが、今回それを実感した次第である。このサビダニというものの被害を受けると、果実の見た目が悪いだけでなく中身の味まで悪くなってしまい、商品価値が0になる。特に去年は夏の天候がよすぎてサビダニの生育に好適となり、普通に農薬を掛けているところでもかなり発生している園が多かったようだ。
ところで近年ここらではサビダニの被害がひどくなってきているという。以前はさほどサビダニを気にする必要もなかったそうだが、この5年10年で随分被害が大きくなってきたと聞いた。調べてみると近年被害をもたらしているのはリュウキュウミカンサビダニというこれまでいなかった害虫であり、こいつらが強力らしい。日本では1991年になって沖縄で発見され(世界的には1978年にエジプトで見つかったのが最初)、鹿児島では1993年に見つかった害虫ということで、現在その拡散が懸念されている。
有機農業であってもサビダニに使える農薬はあるが、結局農薬というのは圃場生態系を不自然に攪乱するものなので、自分としては農薬は使わずにサビダニを抑制したいと思っている。周りの圃場に迷惑がかかってしまうとよくないが、近くで有機カンキツを作っている農家は農薬ゼロでこのサビダニを抑えているので、私にもできる筈である。
(2)については、化学肥料の場合はチッソ、リンサン、カリの含有量が表示されているので施肥計算ができるが、有機肥料の場合は大体の計算しかできないし、そもそも肥料成分の含有量が化学肥料に比べて少ないということで多めにやってしまったのが原因だ。
だが実際には、有機肥料だから多めにやらなくてはならない、ということは全くなさそうだ。というか、有機肥料というものは、肥料分を植物に供給するというよりも、土壌を豊かにするために与えるものだから、肥料成分の絶対量よりもそのバランスが重要であり、大量に与える必要はないのである。むしろ、肥料成分は若干足りないくらいの方が植物も強壮になるので、「足りなそうなら与える」くらいの心の余裕を持って施肥すべきだった。土壌改良は時間がかかるものなので、1度2度の施肥で目に見える成果を期待する方が間違いである。
というわけで、まだまだ有機農業はよく分からない部分もあるが、1年間取り組んでみてとても勉強になり、ポンカン栽培の要諦がだんだん見えてきた気もする。結果は惨憺たるものであったが、課題も明確になり、次年度へ繋がるものであった。
だが収穫量が劇的に少なかったことで、収入が打撃を受けただけでなく、昨年のお客さんで「来年も買うよ!」と言ってくれたところに応えられないのが辛いところである。正直、「南薩の田舎暮らし」で販売する量がないかもしれない(予約していた知り合いに売るだけで終わるかも…)。期待していた皆様、大変申し訳ありません。
2013年2月16日土曜日
ぽんかんすドレッシングが販売中
前にもこのブログで触れた「ぽんかんすドレッシング 薫」が発売され、南さつまの物産館で買えるようになった。さらに東京の「かごしま遊楽館」でも販売しており、2月23日(土)には販売イベント(試食)も行われる。
販売イベントでは、(たぶん)唐揚げにこのドレッシングをかけたものが振る舞われるが、唐揚げとこいつの相性は抜群なのでぜひご賞味ありたい。
ちなみに、改めてこの商品の特徴をまとめると、
ところで、日比谷にある「かごしま遊楽館」だが、ぱっとしない(?)外見とは裏腹に、全国のアンテナショップの中で3位の売り上げを誇るらしい。各県が予算をけちってやや奥まったところに店舗を設ける中、日比谷、有楽町の駅前という立地が効いているに違いない。
ついでに書いておくと、同じ2月23日(土)には天文館のベルク広場で、「南薩の食&農フェア」というのが開催されるらしい。とはいえ鹿児島県のWEBサイトにも「南薩地域の農林水産物や加工食品の展示即売会を開催します」とだけあってそれ以上の情報がないため行く価値があるのかどうか不明だ。せっかく開催するのだから、もう少しちゃんとお知らせをしたらいいと思う。
販売イベントでは、(たぶん)唐揚げにこのドレッシングをかけたものが振る舞われるが、唐揚げとこいつの相性は抜群なのでぜひご賞味ありたい。
ちなみに、改めてこの商品の特徴をまとめると、
荒廃するポンカン園を有効活用
荒れたポンカン園を有効活用して生産された加工用ポンカンを使用
環境に配慮した栽培
加工用のみを生産する園地に特化したことで、環境に配慮した農薬不使用の栽培が可能に。
加工専用の青採りポンカン
生食用の余り物や規格外品ではなく、加工専用のポンカンとして、爽やかな酸味と香りが強い「青採りポンカン」を特別に使用。
果汁40%の新感覚ドレッシングというところで、要は「過疎の農村で、環境に配慮して作られた青採りポンカンを使った、果汁たっぷりのドレッシング」である。とはいえドレッシングというにはややあっさりしていて、どちらかというと調味料の領域と思うが、これでカルパッチョなどを作ったら本当に美味しいので是非試して欲しい。
果汁40%というまるでジュースのような新感覚ドレッシング。レモン汁を絞るように爽やかな酸味をプラスします。
ところで、日比谷にある「かごしま遊楽館」だが、ぱっとしない(?)外見とは裏腹に、全国のアンテナショップの中で3位の売り上げを誇るらしい。各県が予算をけちってやや奥まったところに店舗を設ける中、日比谷、有楽町の駅前という立地が効いているに違いない。
ついでに書いておくと、同じ2月23日(土)には天文館のベルク広場で、「南薩の食&農フェア」というのが開催されるらしい。とはいえ鹿児島県のWEBサイトにも「南薩地域の農林水産物や加工食品の展示即売会を開催します」とだけあってそれ以上の情報がないため行く価値があるのかどうか不明だ。せっかく開催するのだから、もう少しちゃんとお知らせをしたらいいと思う。
2013年1月25日金曜日
二つの意味でグルメな野鳥、ヒヨドリ
ポンカンの旬が到来した、のはよかったが、すごいスピードでヒヨドリ(鵯)に喰われ始めた。ヒヨドリとの収穫競争のスタートである。
本当に、やつらの食欲は半端ではない。すでに収穫量が30%以上減っていると思う。しかも、よく熟れた美味しい実から食べる。
ヒヨドリはグルメで、つついた実が美味しくないとほとんど食べずに残すが、美味しいと写真のように全部きれいに食べる。このように完食しているということは、このポンカンが美味しかったという証拠でもある。つまり、私のポンカン園は今ヒヨドリが大量に群がっているが、美味しい実がたくさんできたということでもあるわけだ。
ヒヨドリは主に日本にしかいない鳥だが、祖先はフルーツが多い熱帯の森にいたらしく、花の蜜や果物など甘いものが大好きである(昆虫などはあまり食べない。ちなみに葉物野菜も好き)。 ということで、果樹農家にとってはかなり重要な害鳥だ。先日、ポンカンはその本当の旬にはあまり出荷されないということを書いたが、その理由の一つには、1月下旬には大量のヒヨドリが飛来して、食害がひどいということもあるのだ。
というのも、ヒヨドリは留鳥(一年中いる鳥)だが、冬には北日本からたくさん渡ってくる。そのため、南薩のような暖地には、冬は非常にたくさんのヒヨドリが集まってしまう。ネットを掛けるといった対策をしている農家もいるが、露地ポンカンに限って言えば、なかなかそこまで手は掛けられないというのが実情だ。
ところで、このヒヨドリ、野鳥の中でも最も美味い部類らしく、狩猟をする人の間では好まれている鳥である。食べる方も、食べられる方もグルメというわけだ。特に、ミカン類を食べているヒヨドリは格別に美味いらしい。しかも、毛を毟るのが容易で、解体も簡単と聞く。害鳥対策も必要だが、こんなにたくさんいるので、ぜひ獲って食べてみたいものだ。狩猟免許が欲しくなってきた。
本当に、やつらの食欲は半端ではない。すでに収穫量が30%以上減っていると思う。しかも、よく熟れた美味しい実から食べる。
ヒヨドリはグルメで、つついた実が美味しくないとほとんど食べずに残すが、美味しいと写真のように全部きれいに食べる。このように完食しているということは、このポンカンが美味しかったという証拠でもある。つまり、私のポンカン園は今ヒヨドリが大量に群がっているが、美味しい実がたくさんできたということでもあるわけだ。
ヒヨドリは主に日本にしかいない鳥だが、祖先はフルーツが多い熱帯の森にいたらしく、花の蜜や果物など甘いものが大好きである(昆虫などはあまり食べない。ちなみに葉物野菜も好き)。 ということで、果樹農家にとってはかなり重要な害鳥だ。先日、ポンカンはその本当の旬にはあまり出荷されないということを書いたが、その理由の一つには、1月下旬には大量のヒヨドリが飛来して、食害がひどいということもあるのだ。
というのも、ヒヨドリは留鳥(一年中いる鳥)だが、冬には北日本からたくさん渡ってくる。そのため、南薩のような暖地には、冬は非常にたくさんのヒヨドリが集まってしまう。ネットを掛けるといった対策をしている農家もいるが、露地ポンカンに限って言えば、なかなかそこまで手は掛けられないというのが実情だ。
ところで、このヒヨドリ、野鳥の中でも最も美味い部類らしく、狩猟をする人の間では好まれている鳥である。食べる方も、食べられる方もグルメというわけだ。特に、ミカン類を食べているヒヨドリは格別に美味いらしい。しかも、毛を毟るのが容易で、解体も簡単と聞く。害鳥対策も必要だが、こんなにたくさんいるので、ぜひ獲って食べてみたいものだ。狩猟免許が欲しくなってきた。
2013年1月17日木曜日
ポンカンの本当の旬
先日「ポンカンの収穫をぼちぼちしている」と書いたけれど、実は周りの農家には、もう全て実を収穫してしまっている人も多い。というのも、ポンカンは基本的に御歳暮贈答用の果実であるため、年内に出荷した方が単価が高いからである。
しかし、ポンカンの旬が12月かというと、そうでもない。味が乗って美味しい時期というのは、1月下旬から2月ということになると思う。素朴にはこの時期がポンカンの旬であって、この時期に出荷すればいいと思われるが、実際はこの時期のポンカンは二束三文である。
美味しいポンカンが二束三文で、やや早採りの年内収穫のポンカンが高いというのはなんだかおかしい気がするが、「ポンカンを御歳暮に贈りたい」という消費者のニーズに応えた結果ともいえる。また、2月になるとタンカンを始めとして甘味の強い他の中晩柑類(ミカン以外のカンキツ)が出荷されはじめるため、ポンカンの相対的な価値が下落するという事情もある。
よって、美味しい時期のポンカンが二束三文であることは、別に誰が悪いというわけでもない。だが、農家はできるだけ価格が高い時期に出荷しようとするため、結果として、ポンカンは本当の旬ではない時期に大量に流通することになる。こうなると、普通にポンカンを購入する人はその本当の味を知らない、ということになってしまう。
もちろん、その問題は生産者もよくわかっているのだが、これまでの流通や販路が年内の贈答用出荷を最優先として構築されてきたため、2月にポンカンを売ろうとしても大口の販路がないのである。さらには、早採りした方が樹への負担が少なく、生産が安定するという植物側の事情もある。
しかしながら、ポンカンのような果物は嗜好品である以上、美味しくなければいつか見捨てられてしまう。ポンカンを贈答用に購入する消費者も高齢の方が多いと聞くし、このままだと消費が先細りになると思われる。
現在、カンキツの品種は百花繚乱の観があり、今さらポンカンというのも古くさいが、かつて「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたポンカンの魅力は、上述のような事情で市場的には十分に発揮されていない。一番美味しい時期に出荷することが合理的になるように、仕組みを工夫してみたい。
しかし、ポンカンの旬が12月かというと、そうでもない。味が乗って美味しい時期というのは、1月下旬から2月ということになると思う。素朴にはこの時期がポンカンの旬であって、この時期に出荷すればいいと思われるが、実際はこの時期のポンカンは二束三文である。
美味しいポンカンが二束三文で、やや早採りの年内収穫のポンカンが高いというのはなんだかおかしい気がするが、「ポンカンを御歳暮に贈りたい」という消費者のニーズに応えた結果ともいえる。また、2月になるとタンカンを始めとして甘味の強い他の中晩柑類(ミカン以外のカンキツ)が出荷されはじめるため、ポンカンの相対的な価値が下落するという事情もある。
よって、美味しい時期のポンカンが二束三文であることは、別に誰が悪いというわけでもない。だが、農家はできるだけ価格が高い時期に出荷しようとするため、結果として、ポンカンは本当の旬ではない時期に大量に流通することになる。こうなると、普通にポンカンを購入する人はその本当の味を知らない、ということになってしまう。
もちろん、その問題は生産者もよくわかっているのだが、これまでの流通や販路が年内の贈答用出荷を最優先として構築されてきたため、2月にポンカンを売ろうとしても大口の販路がないのである。さらには、早採りした方が樹への負担が少なく、生産が安定するという植物側の事情もある。
しかしながら、ポンカンのような果物は嗜好品である以上、美味しくなければいつか見捨てられてしまう。ポンカンを贈答用に購入する消費者も高齢の方が多いと聞くし、このままだと消費が先細りになると思われる。
現在、カンキツの品種は百花繚乱の観があり、今さらポンカンというのも古くさいが、かつて「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたポンカンの魅力は、上述のような事情で市場的には十分に発揮されていない。一番美味しい時期に出荷することが合理的になるように、仕組みを工夫してみたい。
2013年1月14日月曜日
ポンカンの収穫をぼちぼちやっています
昨年末から、ぼちぼちポンカンの収穫をしている。
初めてポンカン(とタンカン)を栽培してみたわけだが、結果はあまりよくない。玉が揃っていないし、表面が汚い(キズ等がある)のが多い。
玉が揃っていないのは摘果が甘かったせいだ。つまり成らせすぎた。最初だから加減が分からなかったが、今年の経験でなんとなく摑めた気もする。
表面が汚いというのは、サビダニという目に見えないダニがたくさんいたせいで、直接的には薬剤散布が適期にできなかったためと思われる。私は初年度の栽培ということで、薬剤散布をカレンダー的(つまり、防除基準に定められている通り)にやったわけだが、今年は天候不順もあったせいで、有効な防除になっていなかったかもしれない。
味の方はどうかというと、少し淡泊かなと思っていたが、1月も半ばになって味が乗ってきた気がする。もちろん他の人のポンカンと味比べをしてみないと分からないが、ちゃんと予措(採った後しばらく貯蔵して熟成させる)すれば許容範囲の出来と思われる。
ポンカンは初心者向け果実と言われていたが、確かに素人の管理でもそこそこ収穫することができたし、普通に食べる分には十分のものが出来た。次年度は有機栽培にトライしたいと思うので、主に病害虫防除の点ではまたしても散々な結果になることが予想されるが、今年度の反省を踏まえてよりよい栽培ができたらと思う。
一方で、タンカンは管理が悪いと全然ダメのようだ。似たようなカンキツなのに性格がかなり違うのは面白い。
初めてポンカン(とタンカン)を栽培してみたわけだが、結果はあまりよくない。玉が揃っていないし、表面が汚い(キズ等がある)のが多い。
玉が揃っていないのは摘果が甘かったせいだ。つまり成らせすぎた。最初だから加減が分からなかったが、今年の経験でなんとなく摑めた気もする。
表面が汚いというのは、サビダニという目に見えないダニがたくさんいたせいで、直接的には薬剤散布が適期にできなかったためと思われる。私は初年度の栽培ということで、薬剤散布をカレンダー的(つまり、防除基準に定められている通り)にやったわけだが、今年は天候不順もあったせいで、有効な防除になっていなかったかもしれない。
味の方はどうかというと、少し淡泊かなと思っていたが、1月も半ばになって味が乗ってきた気がする。もちろん他の人のポンカンと味比べをしてみないと分からないが、ちゃんと予措(採った後しばらく貯蔵して熟成させる)すれば許容範囲の出来と思われる。
ポンカンは初心者向け果実と言われていたが、確かに素人の管理でもそこそこ収穫することができたし、普通に食べる分には十分のものが出来た。次年度は有機栽培にトライしたいと思うので、主に病害虫防除の点ではまたしても散々な結果になることが予想されるが、今年度の反省を踏まえてよりよい栽培ができたらと思う。
一方で、タンカンは管理が悪いと全然ダメのようだ。似たようなカンキツなのに性格がかなり違うのは面白い。
2012年12月4日火曜日
販売サイトを構築中…。
このところ、農産物販売のためのWEBサイトを作っているため、なんだか百姓ではなくて引きこもりみたいにPCに向かっている。
本当は夏にオープンさせるつもりだったが、いざ実際にやってみると私のWEBサイト構築の知識が古く、基本をちゃんと学ばないといけないことに気づいて構築が延び延びになっていた。
例えば、HTMLについては多少知っているつもりだったが、現在のWEBサイト構築ではHTMLで作ったコンテンツをCSSという仕組みで画面上にレイアウトする。このCSSについては、私は全く触れたことがなかったので一からの勉強しなくてはならず、なんとなく後回しにしてきた。しかし要点がわかってみると、以前のHTML一本のレイアウトに比べて随分と合理的で、実は簡単な気がしてきた。
もちろん基本的には面倒な作業の連続なので、正直、多くの農家にとってはこういう面倒な作業をしてまでインターネットで個人販売をするのは難しい。直売所などのリアルな販売の方が発送や入金確認などの手間もないし、合理的だろう。
しかし、そうなるとどうしても既存の客への販売という面が強くなる。私が主力の一つにしたいと思っているカンキツ系は皮を剝くのが面倒なためか若年層への人気がなく、消費が高齢の固定客に偏りつつある。つまり、将来の展開を考えると既存の客への販売だけには頼れないわけで、インターネットなどを通じて新規顧客の開拓を頑張る必要があるだろう。
私としては、あまりカンキツ系を食べない(と思われる)若い女性の客層を開拓したいと思っており、家内の協力も得て女性に受け入れられるデザインのサイトを作りたい。もちろんWEBサイトなどは作ってもほとんど見向きもされないものなので、今年は作り損だと思うが、いつ作ってもそれは変わらないから早めに作るに越したことはない。
また、もう一つ考えているのは、例えば「○○農園.com」みたいに自分の作った農産物だけを販売するのではなくて、地域の美味しいものを販売するような広がりも作れたらと思っている。先述のように個々の農家がインターネットでの販売に取り組むのは難しいので、もしインターネットで売りたいという人が周りにいれば、そういう人も利用できるようなWEBサイトにできたらいいなと思う。
本当は夏にオープンさせるつもりだったが、いざ実際にやってみると私のWEBサイト構築の知識が古く、基本をちゃんと学ばないといけないことに気づいて構築が延び延びになっていた。
例えば、HTMLについては多少知っているつもりだったが、現在のWEBサイト構築ではHTMLで作ったコンテンツをCSSという仕組みで画面上にレイアウトする。このCSSについては、私は全く触れたことがなかったので一からの勉強しなくてはならず、なんとなく後回しにしてきた。しかし要点がわかってみると、以前のHTML一本のレイアウトに比べて随分と合理的で、実は簡単な気がしてきた。
もちろん基本的には面倒な作業の連続なので、正直、多くの農家にとってはこういう面倒な作業をしてまでインターネットで個人販売をするのは難しい。直売所などのリアルな販売の方が発送や入金確認などの手間もないし、合理的だろう。
しかし、そうなるとどうしても既存の客への販売という面が強くなる。私が主力の一つにしたいと思っているカンキツ系は皮を剝くのが面倒なためか若年層への人気がなく、消費が高齢の固定客に偏りつつある。つまり、将来の展開を考えると既存の客への販売だけには頼れないわけで、インターネットなどを通じて新規顧客の開拓を頑張る必要があるだろう。
私としては、あまりカンキツ系を食べない(と思われる)若い女性の客層を開拓したいと思っており、家内の協力も得て女性に受け入れられるデザインのサイトを作りたい。もちろんWEBサイトなどは作ってもほとんど見向きもされないものなので、今年は作り損だと思うが、いつ作ってもそれは変わらないから早めに作るに越したことはない。
また、もう一つ考えているのは、例えば「○○農園.com」みたいに自分の作った農産物だけを販売するのではなくて、地域の美味しいものを販売するような広がりも作れたらと思っている。先述のように個々の農家がインターネットでの販売に取り組むのは難しいので、もしインターネットで売りたいという人が周りにいれば、そういう人も利用できるようなWEBサイトにできたらいいなと思う。
2012年11月24日土曜日
果樹の有機栽培を(理屈はともかく)実践的に述べた本
来期から果樹生産を有機栽培に切り替えたいなあ、と思って『有機栽培の果樹・茶つくり』(小祝 政明 著)でお勉強。
著者の主張は単純で、農薬を使わずに病害虫を防除するためには植物体自体を充実させなくてはダメで、そのためにはミネラルと有機のチッソが重要だ、という。
ミネラルは植物の生育に必須なものであるにも関わらず、意識して投与しないと不足がちになるのでわかるが、「有機のチッソ」というのはなんだかよくわからない。要はアミノ酸のことらしいが、著者曰く「有機のチッソはそのまま細胞づくりに使えるので、光合成でつくられた炭水化物の消費が少なく、糖度を高めることができる」(p.31)とのこと。
植物は無機物の窒素(硝酸とか、アンモニウムとか)だけを吸収すると思われているが、実は有機物の窒素(アミノ酸の一部として存在する窒素)も少量ながら吸収するようだ、と最近言われ始めた。じゃあどのくらい有機物の窒素を吸収するのか、というのは手元に資料がないが、多分無機物の窒素吸収率とオーダー(桁)が一つ違うと思う。
つまり、植物がアミノ酸を吸収できないとは言わないが、アミノ酸では直接は肥料にならないのではなかろうか。そのあたりの疑問に対しては本書は何も答えない。実際にそれでうまくいっているのだから理屈にはこだわらない、ということだと思う。
ところで、有機栽培の本にしては珍しく、本書にはほとんど土壌微生物の話が出てこない。有機栽培の要諦は土作りだと思うが、そのための土壌微生物の活発化・安定化が触れられないというのは奇異である。というか、有機の窒素=アミノ酸肥料を投与すると、これを直接的に栄養にするのは土壌微生物なわけだから、著者が「そのまま細胞づくりに使える」という「有機のチッソ」こそ土壌微生物の活発化の話なのではないか。
しかも、本書では「施肥は早めにやった方がいい。春肥は降雪前に」と述べるのだが、これは、アミノ酸を土壌微生物が分解して窒素を無機態にするために時間がかかるからだと解釈できる。 本書では早めの施肥の理由を「肥料分が土壌に浸透するのに時間がかかるから」と解説しているが、微生物の働きを考えた方が合理的だ。
ちなみに、著者は農家や学者ではなくてジャパンバイオファームという農業資材屋さんであり、本書には自社資材の普及の意図もあるのかもしれないが、そういう広告めいた記載は全くなく、基本的には信頼できる。その理屈の部分では疑問符がつくようなところもあるが、果樹の有機栽培について実践的に述べた本は少ないので、貴重な本ではある。ぜひ来期のポンカン栽培に生かしたい。本書でも「中晩柑類の有機栽培はこれから非常に面白い局面を迎えるのではないか」(p.190)とあって勇気づけられた。
著者の主張は単純で、農薬を使わずに病害虫を防除するためには植物体自体を充実させなくてはダメで、そのためにはミネラルと有機のチッソが重要だ、という。
ミネラルは植物の生育に必須なものであるにも関わらず、意識して投与しないと不足がちになるのでわかるが、「有機のチッソ」というのはなんだかよくわからない。要はアミノ酸のことらしいが、著者曰く「有機のチッソはそのまま細胞づくりに使えるので、光合成でつくられた炭水化物の消費が少なく、糖度を高めることができる」(p.31)とのこと。
植物は無機物の窒素(硝酸とか、アンモニウムとか)だけを吸収すると思われているが、実は有機物の窒素(アミノ酸の一部として存在する窒素)も少量ながら吸収するようだ、と最近言われ始めた。じゃあどのくらい有機物の窒素を吸収するのか、というのは手元に資料がないが、多分無機物の窒素吸収率とオーダー(桁)が一つ違うと思う。
つまり、植物がアミノ酸を吸収できないとは言わないが、アミノ酸では直接は肥料にならないのではなかろうか。そのあたりの疑問に対しては本書は何も答えない。実際にそれでうまくいっているのだから理屈にはこだわらない、ということだと思う。
ところで、有機栽培の本にしては珍しく、本書にはほとんど土壌微生物の話が出てこない。有機栽培の要諦は土作りだと思うが、そのための土壌微生物の活発化・安定化が触れられないというのは奇異である。というか、有機の窒素=アミノ酸肥料を投与すると、これを直接的に栄養にするのは土壌微生物なわけだから、著者が「そのまま細胞づくりに使える」という「有機のチッソ」こそ土壌微生物の活発化の話なのではないか。
しかも、本書では「施肥は早めにやった方がいい。春肥は降雪前に」と述べるのだが、これは、アミノ酸を土壌微生物が分解して窒素を無機態にするために時間がかかるからだと解釈できる。 本書では早めの施肥の理由を「肥料分が土壌に浸透するのに時間がかかるから」と解説しているが、微生物の働きを考えた方が合理的だ。
ちなみに、著者は農家や学者ではなくてジャパンバイオファームという農業資材屋さんであり、本書には自社資材の普及の意図もあるのかもしれないが、そういう広告めいた記載は全くなく、基本的には信頼できる。その理屈の部分では疑問符がつくようなところもあるが、果樹の有機栽培について実践的に述べた本は少ないので、貴重な本ではある。ぜひ来期のポンカン栽培に生かしたい。本書でも「中晩柑類の有機栽培はこれから非常に面白い局面を迎えるのではないか」(p.190)とあって勇気づけられた。
2012年11月6日火曜日
ぽんかんドレッシングのチラシをデザインしました
果樹農家の先輩が開発している農産加工品のチラシを作らせてもらった。
写真撮影、文面作成、デザインの全てが素人仕事なので、本職がつくるものに比べて詰めが甘い部分があるが、それなりのものが出来たと思う(自画自賛)。
商品の内容については下のチラシを見てもらいたいが、要は、廃園寸前のポンカン園で無農薬栽培したポンカンの果汁を、ふんだんに使って作ったドレッシング。味は、単体では「めちゃうまい!」というものではないが、独特な風味・酸味があり、これとマッチする料理にかけると本領発揮する。
個人的に一番のオススメは、(季節外れだけれど)冷やし中華にごまドレッシングと混ぜてかけることで、これは工夫すればご当地グルメとしてヒットするレベルだと思う。ごまの甘さとポンカンの酸味というのは、かつて組み合わされたことがなかったのではないか。意外だが非常にうまい。この他、唐揚げにかけるのもかなりイケる。ポンカンの香りと爽やかな酸味で、ありふれた普通の料理がかけるだけでいつもとは違うテイストになるのがいい。
なお、チラシに載せているドレッシングは去年制作されたもので、今年のドレッシングは現在制作途中。ちぎる時期や、搾汁方法が昨年と変更されており、順調に完成までこぎつけるか実は未知数であるが、農産加工は自分としても取り組みたい分野なのでぜひ成功してもらいたい。このチラシが、少しでもそのお役に立てればいいのだが。
ちなみに、まだ非売品なので、発売されたら改めてお知らせすることにしたい。
写真撮影、文面作成、デザインの全てが素人仕事なので、本職がつくるものに比べて詰めが甘い部分があるが、それなりのものが出来たと思う(自画自賛)。
商品の内容については下のチラシを見てもらいたいが、要は、廃園寸前のポンカン園で無農薬栽培したポンカンの果汁を、ふんだんに使って作ったドレッシング。味は、単体では「めちゃうまい!」というものではないが、独特な風味・酸味があり、これとマッチする料理にかけると本領発揮する。
個人的に一番のオススメは、(季節外れだけれど)冷やし中華にごまドレッシングと混ぜてかけることで、これは工夫すればご当地グルメとしてヒットするレベルだと思う。ごまの甘さとポンカンの酸味というのは、かつて組み合わされたことがなかったのではないか。意外だが非常にうまい。この他、唐揚げにかけるのもかなりイケる。ポンカンの香りと爽やかな酸味で、ありふれた普通の料理がかけるだけでいつもとは違うテイストになるのがいい。
なお、チラシに載せているドレッシングは去年制作されたもので、今年のドレッシングは現在制作途中。ちぎる時期や、搾汁方法が昨年と変更されており、順調に完成までこぎつけるか実は未知数であるが、農産加工は自分としても取り組みたい分野なのでぜひ成功してもらいたい。このチラシが、少しでもそのお役に立てればいいのだが。
ちなみに、まだ非売品なので、発売されたら改めてお知らせすることにしたい。
2012年5月16日水曜日
正しい下草刈りの仕方とは?
![]() |
背の低い雑草はあえて残す下草刈り |
というわけで、ポンカン園の下草刈りをしているのだが、よくわからないのは「正しい下草刈りの仕方」である。
周りの方が家の周囲や田んぼの畦を刈っているやり方を見ると、地際まできれいに刈り揃えていることが多く、これはこれで工芸的美しさがあってよいが、果樹園の林床の場合はこのようなやり方が適切なのかどうか。
というのも、果樹園の理想の林床は、全く雑草がない状態ではなくて、背の低い雑草で覆われている状態だからだ。林床に下草が全くないと土壌が流出しやすく、また土中の水分が蒸発しやすくなってしまう(平地で灌水設備があるなら関係ないが)。さらに、雑草が生えていた方が土壌中の微生物も多く、土が肥沃になるという。
とすれば、背の高い雑草は除去すべきだが、背の低い雑草はむしろ大切な存在なので、実は刈るべきではないのではないか、という気がするのである。
そんなわけで、背の低い雑草で覆われた部分はあまり刈らないようにしているのだが、このような下草払いを続けていれば、理論的には、背の低い雑草で林床の多くが覆われ、背の高い雑草があまり生えてこないという状態になる。そうなれば、下草払いの手間も減るので一石二鳥となるはずだが、本当にそんなにうまくいくかどうか…。
なお、このように果樹園の林床にあえて草を生やす農法のことを「草生栽培」という。最近では、あえて素性のよい雑草の種を播くということも広まっており、例えばミカン園ではナギナタガヤという植物の草生栽培が愛媛などで行われている。
そういう植物の栽培も含め、どうしたら下草払いの手間が省けて、さらにポンカンにもよいのか、私なりにいろいろ試してみたい。
2012年3月21日水曜日
雑草という奥深い世界
今日はポンカン園の草刈りをした。半日使って、できたのは1/4程度(約350 ㎡)。もう少し効率を上げなくてはならない。
ところで、草刈りをしていて気づいたことがある。それは、思った以上に雑草の植生が変化に富んでいるということだ。簡単に言えば、場所によって生えている雑草が違う。同じ園内なので、気温や雨量などの基本条件は共有しているわけだが、日当たりや管理の微妙な違いによって優勢な種類が異なっているのだ。
残念ながら、雑草の知識が薄弱なので何が生えているのかよくわからないのだが、マメ科植物が生えているところもあれば、イネ科らしき植物が生えていたり、本当にたった数メートル離れるだけで雑草の様相ががらっと変わる。
雑草は、全体としては根絶できないやっかいな存在ではあっても、個々の植物は、実は思っている以上にフラジャイルなのかもしれない。つまり、環境の微妙な変化で他の植物に取って代わられる、過酷な競争が雑草間にあり、雑草の栄枯盛衰は意外に激しいのではないだろうか。
とすれば、雑草の様相をつぶさに観察すると、土壌や日当たりについていろいろなことが分かりそうな気がしてきた。「雑草学(Weed Science)」という学問があるくらいなので、当たり前といえば当たり前なのだが。
雑草の世界が環境の変化に敏感だとしたら、ちょっと意外だ。植生遷移の最終的な平衡状態である極相においては、単一種が優勢な地位を確立することが多い。例えば、白神山地のブナ林とか、屋久島のスギ林とか、古い森は唯一の優勢種を中心にして植生が構成されている。山の土壌や日当たりは一様でないにもかかわらず、樹木に関しては総体として優勢な種が一つに決まるということを考えると、どうして雑草が微妙な環境の変化を敏感に反映するのか不思議である。同じような環境の下で生育しているので、普通に考えれば園全体が似たような雑草植生になりそうなものだが…。
ともかく、改めて雑草の知識が薄弱なことが悔やまれる。栽培植物と同様に、雑草にも実は奥深い世界があるのだと思う。農業とは直接関係ないと思うが、以前からずっと気になっていた『柳宗民の雑草ノオト』を是非読んでみたい。
ところで、草刈りをしていて気づいたことがある。それは、思った以上に雑草の植生が変化に富んでいるということだ。簡単に言えば、場所によって生えている雑草が違う。同じ園内なので、気温や雨量などの基本条件は共有しているわけだが、日当たりや管理の微妙な違いによって優勢な種類が異なっているのだ。
残念ながら、雑草の知識が薄弱なので何が生えているのかよくわからないのだが、マメ科植物が生えているところもあれば、イネ科らしき植物が生えていたり、本当にたった数メートル離れるだけで雑草の様相ががらっと変わる。
雑草は、全体としては根絶できないやっかいな存在ではあっても、個々の植物は、実は思っている以上にフラジャイルなのかもしれない。つまり、環境の微妙な変化で他の植物に取って代わられる、過酷な競争が雑草間にあり、雑草の栄枯盛衰は意外に激しいのではないだろうか。
とすれば、雑草の様相をつぶさに観察すると、土壌や日当たりについていろいろなことが分かりそうな気がしてきた。「雑草学(Weed Science)」という学問があるくらいなので、当たり前といえば当たり前なのだが。
雑草の世界が環境の変化に敏感だとしたら、ちょっと意外だ。植生遷移の最終的な平衡状態である極相においては、単一種が優勢な地位を確立することが多い。例えば、白神山地のブナ林とか、屋久島のスギ林とか、古い森は唯一の優勢種を中心にして植生が構成されている。山の土壌や日当たりは一様でないにもかかわらず、樹木に関しては総体として優勢な種が一つに決まるということを考えると、どうして雑草が微妙な環境の変化を敏感に反映するのか不思議である。同じような環境の下で生育しているので、普通に考えれば園全体が似たような雑草植生になりそうなものだが…。
ともかく、改めて雑草の知識が薄弱なことが悔やまれる。栽培植物と同様に、雑草にも実は奥深い世界があるのだと思う。農業とは直接関係ないと思うが、以前からずっと気になっていた『柳宗民の雑草ノオト』を是非読んでみたい。
2012年3月20日火曜日
果樹の無農薬栽培は難しい
昨日、初めてポンカン園に薬剤散布を行った。動力噴霧器という機械を使って、水に薄めた薬剤をホースで噴射するという作業である。ポンカン作りの指導を受けているSさんという先輩農家に教えてもらいながらの作業だった。
散布したのは、デランフロアブルとコサイドDFという薬剤。これらはカンキツがよく冒されるかいよう病、黒点病、そうか病、炭疽病といった病気の原因となる細菌を消毒するものである。1時間半ほどの散布だったが、やはり飛沫が自分にも掛かるので、気分悪くなってしまった。
自分としては、いずれ無農薬栽培をしてみたいと思うが、栽培1年目なのでとりあえず農協の防除歴に従った基本のやり方でやっている。そもそも、果樹の無農薬栽培は、農業技術としては難しい部類に入る。
野菜の無農薬栽培は、簡単ではないにしろある程度の方法論が確立されているため、やってやれないことはない。しかし、果樹のような永年作物の無農薬栽培は、まだ一般的ではないためどうしたらいいのか私もよく分からない。
なぜ果樹の無農薬栽培が難しいかというと、第1に栽培場所が固定されていることが挙げられる。野菜であれば、土壌や周囲に病害虫が固定化しないように転作することが容易であるが、果樹ではそのようなことは不可能である。だから、一度病害虫が圃場に侵入してしまうと、薬剤を使わなければ駆除は難しい。
第2に、病害虫によって枯れてしまうと、損失が大きいということもある。野菜であれば、仮に害虫によってその年の野菜が全滅しても、来年また作ればよい。しかし、果樹の場合、一度全滅すればまた苗から育てなくてはならず、リスクが大きい。
しかも、一般的に、無農薬栽培できるところと、そもそも無理なところがあるため、どこでも無農薬栽培にトライできるというわけでもない。例えば、通常の農薬を使った圃場が隣接していれば、隣接の薬剤散布により益虫なども防除されやすいし、また病害虫も相互に進出してしまう。無農薬栽培しやすいのは、病害虫が近隣から進出されないような孤立したところで、しかも山間でないようなところ(山間だと、山から通常とは別の害虫などが来るため)である。しかし、こんな条件を満たし、かつ栽培に適したところはあまりない。特に産地であればそうである。
だから、不可能といわれたリンゴの無農薬栽培で話題になった『奇跡のリンゴ』が「奇跡」なのも大げさではない。といっても、カンキツの場合は無農薬栽培をやっている人がいないわけではないので、リンゴのようには難しくはないのだと思う。
とはいえ、借りているポンカン園で無農薬栽培にトライするのはやはりリスクが大きい。もし枯らしてしまった場合、どういうことになるのだろうか。栽培を辞める予定だったところといっても、資産価値はゼロではないので、やはり遠慮してしまう。
ところで、永年作物でも無農薬栽培が当たり前、というか農薬を使う必要が全くない作物がある。それは、タケノコである。竹にはほぼ病害虫の被害がないのである。竹というのは、つくづく強い植物だと思う。
散布したのは、デランフロアブルとコサイドDFという薬剤。これらはカンキツがよく冒されるかいよう病、黒点病、そうか病、炭疽病といった病気の原因となる細菌を消毒するものである。1時間半ほどの散布だったが、やはり飛沫が自分にも掛かるので、気分悪くなってしまった。
自分としては、いずれ無農薬栽培をしてみたいと思うが、栽培1年目なのでとりあえず農協の防除歴に従った基本のやり方でやっている。そもそも、果樹の無農薬栽培は、農業技術としては難しい部類に入る。
野菜の無農薬栽培は、簡単ではないにしろある程度の方法論が確立されているため、やってやれないことはない。しかし、果樹のような永年作物の無農薬栽培は、まだ一般的ではないためどうしたらいいのか私もよく分からない。
なぜ果樹の無農薬栽培が難しいかというと、第1に栽培場所が固定されていることが挙げられる。野菜であれば、土壌や周囲に病害虫が固定化しないように転作することが容易であるが、果樹ではそのようなことは不可能である。だから、一度病害虫が圃場に侵入してしまうと、薬剤を使わなければ駆除は難しい。
第2に、病害虫によって枯れてしまうと、損失が大きいということもある。野菜であれば、仮に害虫によってその年の野菜が全滅しても、来年また作ればよい。しかし、果樹の場合、一度全滅すればまた苗から育てなくてはならず、リスクが大きい。
しかも、一般的に、無農薬栽培できるところと、そもそも無理なところがあるため、どこでも無農薬栽培にトライできるというわけでもない。例えば、通常の農薬を使った圃場が隣接していれば、隣接の薬剤散布により益虫なども防除されやすいし、また病害虫も相互に進出してしまう。無農薬栽培しやすいのは、病害虫が近隣から進出されないような孤立したところで、しかも山間でないようなところ(山間だと、山から通常とは別の害虫などが来るため)である。しかし、こんな条件を満たし、かつ栽培に適したところはあまりない。特に産地であればそうである。
だから、不可能といわれたリンゴの無農薬栽培で話題になった『奇跡のリンゴ』が「奇跡」なのも大げさではない。といっても、カンキツの場合は無農薬栽培をやっている人がいないわけではないので、リンゴのようには難しくはないのだと思う。
とはいえ、借りているポンカン園で無農薬栽培にトライするのはやはりリスクが大きい。もし枯らしてしまった場合、どういうことになるのだろうか。栽培を辞める予定だったところといっても、資産価値はゼロではないので、やはり遠慮してしまう。
ところで、永年作物でも無農薬栽培が当たり前、というか農薬を使う必要が全くない作物がある。それは、タケノコである。竹にはほぼ病害虫の被害がないのである。竹というのは、つくづく強い植物だと思う。
2012年3月19日月曜日
カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであるということ
先日、大浦町で生産されているカンキツはマイナーなものばかりだ、という記事を書いたのだが、逆にメジャーなカンキツとはどんなものか考えてみた。手元にちゃんとした統計資料がないので主観であるが、消費量から考えてメジャーなカンキツというと、温州ミカン、グレープフルーツ、柚子、オレンジ、レモン、イヨカン、夏ミカンというところだろうか。
さて、こうして並べてみて気づくことは、あまり甘い果物がないことである。もちろん、温州ミカンは甘いが、これは我が国で約500年もの歴史がある果物だし、種もなく、果実の大きさも適当で皮も剝きやすいという、ほぼ欠点らしい欠点のない優れた果物であるので別格だろう。その他については、香りを楽しむ柚子を筆頭に、酸味を付けるレモン、酸っぱさを楽しむグレープフルーツや夏ミカンなど、オレンジとイヨカン以外は甘さではない味覚・香りが主体の果物と言える。
つまり、温州ミカン以外のメジャーなカンキツは、甘さよりも、酸っぱさや香りを楽しむものとなっているのだ。そもそもカンキツは、柚子、ダイダイ、カボス、スダチ、シークヮーサー、ライムなど料理やお酒にアクセントを付けるための利用が非常に多い。カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであると言い切ってもいいと思う。
近年、品種改良によりデコポンなどの甘味の強いカンキツが生み出されているが、そのように考えると、甘味をプッシュする戦略は、カンキツ生産地にとって必ずしもよいものではないのかもしれない。甘いものが食べたければ、ケーキでもチョコレートでも、カンキツの及ばないほど甘いものがたくさんあり、甘味でこれらに勝負することはできない。消費者の側としても、「甘いものが食べたくてカンキツの果実に手を伸ばす」という人は、いないのではないか。むしろ、人々がカンキツに求めているものは清涼感である、と私は思う。
カンキツ産直の市場に行くと、どこでも甘さを売りものにしているのであるが、食糧事情が厳しかった戦後ならばいざ知らず、甘味が溢れている現代において、カンキツが甘味で勝負していくことが難しいのは自明である。むしろ、カンキツ本来の強みである酸味や香りをアピールしていくことが、これからの有効な戦略なのではないか。
だからこそ、私はポンカンには将来性があると思うのである。強い甘さはないが、甘さと酸っぱさのバランスがよく、独特の芳香を有するというポンカンは、カンキツのまさに王道をゆく存在といえよう。
とはいえ、実際にカンキツを食べていると、やはり甘いものがよいのは当然である。酸っぱさをおいしさと感じるバランスは非常に微妙なので、甘い果実を作る方が無難なのは確かだ。周りの方からも「ポンカンなんて流行らないから、デコポンを作った方がよい」と言われるが、甘さと酸っぱさのバランスのおいしさを確立できたなら、ポンカンも多くの人に受け入れられる果物ではないだろうか。
さて、こうして並べてみて気づくことは、あまり甘い果物がないことである。もちろん、温州ミカンは甘いが、これは我が国で約500年もの歴史がある果物だし、種もなく、果実の大きさも適当で皮も剝きやすいという、ほぼ欠点らしい欠点のない優れた果物であるので別格だろう。その他については、香りを楽しむ柚子を筆頭に、酸味を付けるレモン、酸っぱさを楽しむグレープフルーツや夏ミカンなど、オレンジとイヨカン以外は甘さではない味覚・香りが主体の果物と言える。
つまり、温州ミカン以外のメジャーなカンキツは、甘さよりも、酸っぱさや香りを楽しむものとなっているのだ。そもそもカンキツは、柚子、ダイダイ、カボス、スダチ、シークヮーサー、ライムなど料理やお酒にアクセントを付けるための利用が非常に多い。カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであると言い切ってもいいと思う。
近年、品種改良によりデコポンなどの甘味の強いカンキツが生み出されているが、そのように考えると、甘味をプッシュする戦略は、カンキツ生産地にとって必ずしもよいものではないのかもしれない。甘いものが食べたければ、ケーキでもチョコレートでも、カンキツの及ばないほど甘いものがたくさんあり、甘味でこれらに勝負することはできない。消費者の側としても、「甘いものが食べたくてカンキツの果実に手を伸ばす」という人は、いないのではないか。むしろ、人々がカンキツに求めているものは清涼感である、と私は思う。
カンキツ産直の市場に行くと、どこでも甘さを売りものにしているのであるが、食糧事情が厳しかった戦後ならばいざ知らず、甘味が溢れている現代において、カンキツが甘味で勝負していくことが難しいのは自明である。むしろ、カンキツ本来の強みである酸味や香りをアピールしていくことが、これからの有効な戦略なのではないか。
だからこそ、私はポンカンには将来性があると思うのである。強い甘さはないが、甘さと酸っぱさのバランスがよく、独特の芳香を有するというポンカンは、カンキツのまさに王道をゆく存在といえよう。
とはいえ、実際にカンキツを食べていると、やはり甘いものがよいのは当然である。酸っぱさをおいしさと感じるバランスは非常に微妙なので、甘い果実を作る方が無難なのは確かだ。周りの方からも「ポンカンなんて流行らないから、デコポンを作った方がよい」と言われるが、甘さと酸っぱさのバランスのおいしさを確立できたなら、ポンカンも多くの人に受け入れられる果物ではないだろうか。
2012年3月18日日曜日
規格外のポンカンで加工品を作りたい
これは、1月のポンカン園の様子である。たくさんのポンカンが落ちているが、これは、自然に落ちたものではない。商品にならない果実を、全て落としてしまった場面なのである。もちろん、普通はこんなに廃棄しないのだが、このポンカン園は生産を停止する予定であったために手入れを簡略化しており、廃棄が大量に生じたのだ。栽培を辞める予定だったところなので、私のような素人に貸してくれたわけである。
というわけで、今年は普通より相当多い量のポンカンが廃棄されたが、一般的に、一次産業の食品廃棄はかなり多い(と思う)。食品の廃棄というと、コンビニなど小売りでの廃棄が問題視されがちであるが、実際は消費者の手元に至るまでの様々な段階で廃棄は生じているのであり、目につく小売りでの廃棄のみを悪者視するのはおかしい。
農業において、生産物の廃棄が生じる原因は主に2つある。
第1に、豊作すぎて農産物の価格が暴落し、出荷するコストより生産物の価格が安くなってしまう場合。これは、ある意味ではやむを得ない。生鮮食料品は保存しにくく、消費量には限界があるため、消費量以上に収穫された農産物は、たとえ現場で廃棄しなかったとしても、どの道どこかで処分せざるをえないからだ。
第2に、収穫物が規格外のものだった場合。流通をスムーズにするためには、生産物の規格化は必須であるが、規格化によって、必然的に「規格外商品」が生じる。曲がったキュウリ、二股になった大根などだ。見た目だけでなく、味でも規格外は生じる。果実で糖度が足りない場合などがそれに当たる。
第1の場合は仕方ないとして、第2の場合ができるだけないように生産者は努力しなければならない。私も、今年はできるだけポンカンの廃棄がないように努力していきたいと思う。しかし、第2の場合は流通の問題でもあるので、ぜひ流通側においてもロスが少なくなるように工夫してもらいたいと思うところである。
また、規格外を減らすといっても、自然のものだから一定の割合でどうしても規格外になってしまう。それを廃棄せずに生かすためには、加工品を生産するのが一般的だ。加工品なら、原材料の見た目が悪くてもあまり関係ない。だから、果実では規格外のものはよくジュースやジャムの原料になる。
現在、大浦町でのポンカンの加工品に、これと言って目立ったものはない。もちろんないわけではないけれども、際だった商品はないと言わざるを得ない。ポンカンは加工に向いていると言われており、各地でもいろいろな商品化がなされているが、特に人気商品となっているような有名な商品はないようだ。
もしかしたら、「果物はそのまま食べてもらうのが一番で、加工品は余り物を処分するための次善の策」という考えがどこかにあって、果物の加工食品作りが盛んにならなかったのかもしれない。しかし、鹿児島のような大消費地から離れたところにある生産地では、食品を加工し、重量や嵩を減らしてから輸送することは、規格外生産物の有無にかかわらず重要なことである。
私は自分で生産することだけでなく、今ある資源をどう生かしていくか、ということに強い興味がある。だから、来年は収穫されたポンカンを使って、何か加工食品を作ってみたい。もちろん、すぐに商品化云々というわけではないけれども、ポンカンのうまい加工法を探りたいと思う。
というわけで、今年は普通より相当多い量のポンカンが廃棄されたが、一般的に、一次産業の食品廃棄はかなり多い(と思う)。食品の廃棄というと、コンビニなど小売りでの廃棄が問題視されがちであるが、実際は消費者の手元に至るまでの様々な段階で廃棄は生じているのであり、目につく小売りでの廃棄のみを悪者視するのはおかしい。
農業において、生産物の廃棄が生じる原因は主に2つある。
第1に、豊作すぎて農産物の価格が暴落し、出荷するコストより生産物の価格が安くなってしまう場合。これは、ある意味ではやむを得ない。生鮮食料品は保存しにくく、消費量には限界があるため、消費量以上に収穫された農産物は、たとえ現場で廃棄しなかったとしても、どの道どこかで処分せざるをえないからだ。
第2に、収穫物が規格外のものだった場合。流通をスムーズにするためには、生産物の規格化は必須であるが、規格化によって、必然的に「規格外商品」が生じる。曲がったキュウリ、二股になった大根などだ。見た目だけでなく、味でも規格外は生じる。果実で糖度が足りない場合などがそれに当たる。
第1の場合は仕方ないとして、第2の場合ができるだけないように生産者は努力しなければならない。私も、今年はできるだけポンカンの廃棄がないように努力していきたいと思う。しかし、第2の場合は流通の問題でもあるので、ぜひ流通側においてもロスが少なくなるように工夫してもらいたいと思うところである。
また、規格外を減らすといっても、自然のものだから一定の割合でどうしても規格外になってしまう。それを廃棄せずに生かすためには、加工品を生産するのが一般的だ。加工品なら、原材料の見た目が悪くてもあまり関係ない。だから、果実では規格外のものはよくジュースやジャムの原料になる。
現在、大浦町でのポンカンの加工品に、これと言って目立ったものはない。もちろんないわけではないけれども、際だった商品はないと言わざるを得ない。ポンカンは加工に向いていると言われており、各地でもいろいろな商品化がなされているが、特に人気商品となっているような有名な商品はないようだ。
もしかしたら、「果物はそのまま食べてもらうのが一番で、加工品は余り物を処分するための次善の策」という考えがどこかにあって、果物の加工食品作りが盛んにならなかったのかもしれない。しかし、鹿児島のような大消費地から離れたところにある生産地では、食品を加工し、重量や嵩を減らしてから輸送することは、規格外生産物の有無にかかわらず重要なことである。
私は自分で生産することだけでなく、今ある資源をどう生かしていくか、ということに強い興味がある。だから、来年は収穫されたポンカンを使って、何か加工食品を作ってみたい。もちろん、すぐに商品化云々というわけではないけれども、ポンカンのうまい加工法を探りたいと思う。
2012年3月16日金曜日
キンカン、タンカン、ポンカン、デコポン
雨の中、タンカンの剪定をやっていたのだが、ちょっと降雨が激しいので中断して帰ってきた。私はポンカン園を借り受けたのだが、その1/3ほどは実はタンカンである。個人的に、タンカンはあまり好きではないのだが、混植されており分けることはできないので一緒に管理しているのである。
南薩地方は、カンキツ(柑橘類)の栽培が盛んなところである。カンキツの原産はインドや中国南部が多く南国的な果物であり、日本での適地は南西諸島、九州南部、四国、紀伊半島、伊豆半島といった暖地に限られる。だから、南薩のカンキツは地の利を生かした特産物といえよう。南さつま市にも「津貫みかん」「大浦ポンカン」といった地方ブランドが存在しているが、これらは正直、広く認知されているとは言えない。そもそも、一般的にはミカンとポンカンの味の違いを想起できる方が少数派だ。
私の住む南さつま市大浦町では、主に4種類のカンキツが栽培されている。地元の人間にとっては全く違うカンキツだが、外からは「ミカン類」と一緒くたにされ、その違いを敢えて説明されることも少ないと思うので、この機会にまとめてみたい。小さい方から並べる。
キンカン
旬は1月〜3月。ゴルフボールより小さい。皮ごと食べる。そのままでも美味しいが、飽きるので甘煮にして食べることが多い。私は、甘煮にしたキンカン汁を生姜湯で割って飲む「キンカンジンジャー」が好物で、このところ毎日飲んでいる。いつか商品化したいくらいである。
こうしてカンキツ4種類を並べてみると、その全てが全国的にはマイナーな存在であることに気づかされる。それは、弱みでもあるし強みでもある。一般的に食べる習慣がない果物を広く販売していくのは困難であるが、逆に言えば開拓されていない市場がまだ存在するということでもある。さらに、これらはマイナーとはいえオンリーワンの特産物ではなく、九州・四国に競争者がいるわけなので、マイナーの中でも特色を出していく必要もある。
これは、一介の零細農家(しかも初心者)の考えるべき問題ではないが、新参者ならばこそ着想できることもあると思うので、追って考えていきたい。
南薩地方は、カンキツ(柑橘類)の栽培が盛んなところである。カンキツの原産はインドや中国南部が多く南国的な果物であり、日本での適地は南西諸島、九州南部、四国、紀伊半島、伊豆半島といった暖地に限られる。だから、南薩のカンキツは地の利を生かした特産物といえよう。南さつま市にも「津貫みかん」「大浦ポンカン」といった地方ブランドが存在しているが、これらは正直、広く認知されているとは言えない。そもそも、一般的にはミカンとポンカンの味の違いを想起できる方が少数派だ。
私の住む南さつま市大浦町では、主に4種類のカンキツが栽培されている。地元の人間にとっては全く違うカンキツだが、外からは「ミカン類」と一緒くたにされ、その違いを敢えて説明されることも少ないと思うので、この機会にまとめてみたい。小さい方から並べる。
キンカン
旬は1月〜3月。ゴルフボールより小さい。皮ごと食べる。そのままでも美味しいが、飽きるので甘煮にして食べることが多い。私は、甘煮にしたキンカン汁を生姜湯で割って飲む「キンカンジンジャー」が好物で、このところ毎日飲んでいる。いつか商品化したいくらいである。
タンカン
旬は2月〜3月。テニスボールより少し小さい感じ。ポンカンとネーブルオレンジの自然交雑種。甘みが強く美味しいが、皮が剝きにくいという(私にとっての)致命的欠点がある。屋久島が産地として有名で、「世界遺産の島のタンカン」という殺し文句にはどこも勝てない気がする。ポンカン
旬は12月〜1月。ちょうどテニスボールくらい。4種の中で唯一、お歳暮商戦に参加できるカンキツ。甘さと酸っぱさのバランスがよく、上品。また、独特の芳香があり加工にも適している。もちろんそのまま食べても美味しく、皮も剝きやすい。デコポン
旬は3月〜5月。ソフトボールより大きく、果梗部のデコが特徴的。本当の品種名は「不知火(しらぬい)」で、デコポンはブランド名。非常に甘く、大玉で、ジューシー。良果は1個500円ほどもする高級カンキツである。こうしてカンキツ4種類を並べてみると、その全てが全国的にはマイナーな存在であることに気づかされる。それは、弱みでもあるし強みでもある。一般的に食べる習慣がない果物を広く販売していくのは困難であるが、逆に言えば開拓されていない市場がまだ存在するということでもある。さらに、これらはマイナーとはいえオンリーワンの特産物ではなく、九州・四国に競争者がいるわけなので、マイナーの中でも特色を出していく必要もある。
これは、一介の零細農家(しかも初心者)の考えるべき問題ではないが、新参者ならばこそ着想できることもあると思うので、追って考えていきたい。
2012年2月27日月曜日
台木の勢いに負けているポンカン

樹勢が弱い樹のほとんどは、いわゆる「台勝り」の状態にある。
「台勝り」というのは、写真のように、根元が盛り上がっているのでわかるのだが、一言で言えば、台木の樹勢に接ぎ木(穂木)が負けているのである。
柑橘類は一般的に接ぎ木で生育されている。つまり、根の方は地上部の木とは全く違う木(の根)になっていて、いわば2種類の木のキメラなのである。
接ぎ木する最も大きな目的は、収獲までの時間短縮である。「桃栗三年柿八年」という言葉があるように、一般に果樹は発芽から収穫までの時間が非常に長いのであるが、接ぎ木することによって早いものでは接ぎ木の翌年には収穫できるようになる。
他にも、接ぎ木は病害虫に強くなったり、痩せた土壌でも良果を収穫できたりするというメリットもあるが、デメリットもある。それは、別の樹種を人工的に繋ぎ合わせているため、樹種間の相性や樹勢の違いによって、地上部(穂木)と地下部(台木)のバランスが崩れやすくなることである。
「台勝り」とは、台木の樹勢が穂木の樹勢を上回っていることで、必要以上に根からの養分が吸収されることになる(と思う)。果樹は、「根から得た養分」と「葉で行う光合成による養分」の2つのバランスで実るものであるため、このバランスが崩れるのはマズイ。
しかし、よく分からないのは、台勝りが起こる原因である。(穂木の)樹勢が弱っているから台勝りになっているのか、それとも台勝りになっているから樹勢が弱っているのか、因果関係はどちらなのだろう。台勝りとは、穂木と台木の相性で起こると言われるが、相性だけの問題だけではなく、そこの環境(光量、気温、降水量など)にもよるのではないだろうか。
因果関係の方向が分からないということは、実際的な面だけで言えば、「うちのポンカン、台勝りになっているんだけど、どうすればいいんだろう?」というのが分からない。というわけで、もしいい方法をご存じの方がいたら教えて頂けたら有り難い。
【参考】キトロロギストXの記録
カンキツ研究者のブログですが、非常にためになります。以下の記事に接ぎ木のことが詳しく掲載されていました。
「カンキツは接ぎ木が基本です」
2012年2月25日土曜日
ポンカンの剪定をしています

「なぜ切るのか、そのまま素直に伸ばしてやればいいではないか」と思うのが人情であろうが、剪定は非常に重要な仕事である。ポンカンに限らず、一般的に果樹は剪定を必要とし、それは施肥とともに最も重要な作業である。
剪定の第一目的は、樹を管理できる形に維持することにある。せっかく実が成っても、収獲できない高所にあっては意味がない。脚立で届く範囲に樹形を留めることは、商品として作物を作る場合には必須である。また、摘果の際のみならず、防虫剤等の散布においても、枝葉が高所まであれば散布が大変だし、また大量の薬品を必要とする。最低限の薬剤使用に留めるためにも、樹形を必要十分なものとすることは重要である。
第二の目的は、混みすぎた枝葉を空き、樹全体に光が当たるようにすることである。自然の木では、剪定されることがないにもかかわらず、効率的に日光を吸収する樹形になっているはずだが、なぜ栽培樹ではこのような作業が必要なのだろう。その最大の理由は、我々が収獲したい果実が、自然には存在しないほど大きく甘いものだからではないだろうか。つまり、自然状態では、小粒の数多くの果実を作るのに効率的な枝葉の構造となっているために、1つひとつの枝葉が必要とする光量が小さい。一方、大きく甘い果実を成らせるには、葉に多くの日光を必要とするために、枝葉を適当に除いてやるという行為が必要になってくる。また、原産地と栽培地の環境の違いというのもこの作業を必要とする理由の1つだと思う(ちなみに、ポンカンの原産地はインドである)。
第三の目的は、収穫量や樹勢の調整である。詳細は説明しないが、枝には役割分担があるので、それぞれの役割の数量バランスを変えることによって、いろいろな調整ができるのである。
剪定が必要な理由は上記のとおりだが、当然ながら剪定はしすぎるとよくない。なぜなら、果実は「根から得た養分」と「葉で行う光合成による養分」の2つのバランスで実るものだからである。剪定では、葉の数は減らせるが、根の方は不変なので、そのバランスが崩れてしまうのだ。だから、必要最低限の剪定に留めなくてはらない。剪定しすぎると、養分が樹の成長により使われることになるので、収穫量が減って樹が余計に成長することになる(この性質を利用して、ちょっと弱った樹などはたくさん剪定を行う)。
その、「必要最低限の剪定」というのがなかなか難しい。私の場合は、つい、切りすぎてしまう。樹形を整えることに気を取られているのかもしれない。 何度も遠くから樹形を見て、不要な枝はどれか、見極める。かっこよく言えば、「樹と対話する」。そのうちに、切りすぎてしまうのだ。対話がちゃんとできていないのだろう。
プロに言わせれば、剪定の作業にそんな時間をかけては商売にならない、という。私は、栽培初年度なので、熟練者の6倍くらい時間をかけてしまった…。来年からは、もっと効率化し、早く剪定できるようにならなければならない。しかし、粗雑になってしまわないように、今のうちから自戒しておこう。仮にも、命あるものの一部を切り捨てるのだから。
2012年1月25日水曜日
存在感が希薄なポンカンですが、栽培にトライしてみます
ポンカン作りに取り組んでみることにした。
面倒見がよい先輩農家に紹介してもらったのだが、ポンカン栽培をされている方が生産を縮小するということで、そのポンカン畑を貸してくださることになったからだ。
ところで、生産するからには需要がなくてはいけない。ポンカンの需要はどうなんだろうか? 仄聞するところでは、あまり振るわないらしい。かつてポンカンはお歳暮の贈答用果物としてある程度のプレミアがあったが、最近ではあえてお歳暮にポンカンを贈りたいと思う人は多くない。
理由はいろいろあるだろうが、ポンカンの存在感が希薄なことも一因と思う。ミカンと比べて味はどうか、と言う前に、そもそもポンカンの味を想起できる人が少数派だ。「なんだか皮が剝きにくい」とか「皮がきれいじゃない」というくらいの印象を抱いている人は多いが、味の方は「特別マズくはなかったと思うが…」という程度ではないだろうか。
ポンカンは日本では明治29年に栽培が開始された作物で、少なくとも500年は食べられているミカンと比べて浸透度が低いのは当然と言えば当然だ。とはいえ、独特の芳香を持ち、甘みが濃厚で酸味が少なく、「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたほどおいしい果物であればこそ、明治の先人はこれをわざわざ輸入、栽培したのである。ちなみに、良品は皮も剝きやすい。
では、なぜそのようないいイメージが浸透していないのだろうか? 大きくは次の3つの理由があると思う。
第1に、生産量が多くないこと。果樹は植樹から収穫までに時間がかかり、一度植えたら簡単には転作できない。つまり、リスクがあるのでジワジワとしか生産が広まらない。生産量が少なくては、食べた人の数も少ないので、どんな印象であれ浸透しにくいのは当然だ。
第2に、より高品位な果樹が品種改良によってたくさん開発されたこと。ポンカン自体、品種改良されタンカン、デコポンを生み出している(正確にはタンカンは自然交配らしいが)。柑橘系のみならず甘みの強い品種が近年数多く生み出されており、正直ポンカン程度の糖度では「甘みが濃厚」とは言えなくなってきている。さらに、品種改良された柑橘類が多く出回ったことにより、ポンカン栽培の歴史は実際には短いにも関わらず、どことなくポンカンが古くさい印象になってしまった可能性もある。
第3に、これまでポンカンの品質管理が十分でなかったということがあるかも知れない。上述の通り、ポンカンにいい印象を持つ人は少ないが、それはこのあたりが産地であるが故に余り物のポンカンを食べ(させられ)てきたことに由来するだろう。柑橘類のみならず、一般に果物の糖度は(日当たりの差などにより)玉ごとに違う。様々な品質のものを「ポンカン」として出荷してきたからこそ、いいイメージが定着しなかったのかもしれない。
実際、デコポンは未だ浸透度が高いとは言えないながら、「甘みの強い柑橘類」というイメージが確立しつつある。なぜなら、デコポンは「不知火」という品種の収穫物のうち、糖度13度以上のもののみを「デコポン」と認定するという品質管理がされているからだ。ちなみに、デコポンは全国統一糖酸品質基準を持つ日本で唯一の果物らしい。
ところで、ポンカンは私の住む鹿児島県南さつま市大浦町の特産品だ。せっかく特産品を栽培するのだから、微力ながらその振興にも寄与したいと思う。もちろん、まずは人様に召し上がって頂くに十分なポンカンを作れるようになることが第一だが、都会からの移住者として新しい風を吹き込むことも期待されているのだと思う。
先述した3点を踏まえると、ポンカンの進むべき道はぼんやりと見えているのではないかと思うが、具体的にどうやって需要を掘り起こしていくか、実際に栽培しながら考えたい。
面倒見がよい先輩農家に紹介してもらったのだが、ポンカン栽培をされている方が生産を縮小するということで、そのポンカン畑を貸してくださることになったからだ。
ところで、生産するからには需要がなくてはいけない。ポンカンの需要はどうなんだろうか? 仄聞するところでは、あまり振るわないらしい。かつてポンカンはお歳暮の贈答用果物としてある程度のプレミアがあったが、最近ではあえてお歳暮にポンカンを贈りたいと思う人は多くない。
理由はいろいろあるだろうが、ポンカンの存在感が希薄なことも一因と思う。ミカンと比べて味はどうか、と言う前に、そもそもポンカンの味を想起できる人が少数派だ。「なんだか皮が剝きにくい」とか「皮がきれいじゃない」というくらいの印象を抱いている人は多いが、味の方は「特別マズくはなかったと思うが…」という程度ではないだろうか。
ポンカンは日本では明治29年に栽培が開始された作物で、少なくとも500年は食べられているミカンと比べて浸透度が低いのは当然と言えば当然だ。とはいえ、独特の芳香を持ち、甘みが濃厚で酸味が少なく、「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたほどおいしい果物であればこそ、明治の先人はこれをわざわざ輸入、栽培したのである。ちなみに、良品は皮も剝きやすい。
では、なぜそのようないいイメージが浸透していないのだろうか? 大きくは次の3つの理由があると思う。
第1に、生産量が多くないこと。果樹は植樹から収穫までに時間がかかり、一度植えたら簡単には転作できない。つまり、リスクがあるのでジワジワとしか生産が広まらない。生産量が少なくては、食べた人の数も少ないので、どんな印象であれ浸透しにくいのは当然だ。
第2に、より高品位な果樹が品種改良によってたくさん開発されたこと。ポンカン自体、品種改良されタンカン、デコポンを生み出している(正確にはタンカンは自然交配らしいが)。柑橘系のみならず甘みの強い品種が近年数多く生み出されており、正直ポンカン程度の糖度では「甘みが濃厚」とは言えなくなってきている。さらに、品種改良された柑橘類が多く出回ったことにより、ポンカン栽培の歴史は実際には短いにも関わらず、どことなくポンカンが古くさい印象になってしまった可能性もある。
第3に、これまでポンカンの品質管理が十分でなかったということがあるかも知れない。上述の通り、ポンカンにいい印象を持つ人は少ないが、それはこのあたりが産地であるが故に余り物のポンカンを食べ(させられ)てきたことに由来するだろう。柑橘類のみならず、一般に果物の糖度は(日当たりの差などにより)玉ごとに違う。様々な品質のものを「ポンカン」として出荷してきたからこそ、いいイメージが定着しなかったのかもしれない。
実際、デコポンは未だ浸透度が高いとは言えないながら、「甘みの強い柑橘類」というイメージが確立しつつある。なぜなら、デコポンは「不知火」という品種の収穫物のうち、糖度13度以上のもののみを「デコポン」と認定するという品質管理がされているからだ。ちなみに、デコポンは全国統一糖酸品質基準を持つ日本で唯一の果物らしい。
ところで、ポンカンは私の住む鹿児島県南さつま市大浦町の特産品だ。せっかく特産品を栽培するのだから、微力ながらその振興にも寄与したいと思う。もちろん、まずは人様に召し上がって頂くに十分なポンカンを作れるようになることが第一だが、都会からの移住者として新しい風を吹き込むことも期待されているのだと思う。
先述した3点を踏まえると、ポンカンの進むべき道はぼんやりと見えているのではないかと思うが、具体的にどうやって需要を掘り起こしていくか、実際に栽培しながら考えたい。
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