2015年12月26日土曜日

「天成り果」と窒素過多

一昨年から、柑橘の肥料をものすごく減らした。

販売する時に「無農薬・無化学肥料」を謳っている通り、化学肥料はもちろん使っていないし、それどころか実は有機肥料も入れていない。ということで今のところほぼ無肥料である。

「ほぼ」と言っているのは、堆肥の中に肥料成分が含まれているからだが、栽培基準に比べると10分の1以下の肥料だと思う。

それで、ほぼ無肥料にして気づいたことがある。無肥料にすると、「天成り果」が出来ない。

「天成り果」というのは、樹冠付近の上向き枝の先端に、上向きにつく果実のこと。これは肌がゴツゴツしていて大きく、ジューシーさがなくパサパサしていて甘みも弱く美味しくない。こういう天成り果は商品価値が低いため、通常は摘果(収穫しないで早く取って捨ててしまうこと)してしまうのだ。

だが、無肥料にすると樹冠付近の上向き枝の先端に果実がついても、「天成り果」にならない!

写真のように、だんだん枝がしなってきて、下向き果実になるのである。ちなみに、柑橘の場合、こういう葉裏(葉に隠れる)の下向き果実というのが一番味がのっていて美味しい果実といわれている。肥料をやっていたら摘果しなくてはならなかった果実が、無肥料にすることで一番美味しいタイプの果実になるのである。

ちなみに、「天成り果」はなぜ品質がよくないのか、というと、植物のホルモンの働きによると思われる。植物の成長ホルモンは上へ上へと流れていく性質があり、上向きの枝の先端には成長ホルモンが集まっている。すると、そこになった果実には過剰に成長ホルモンが与えられ、ホルモンバランスが崩れて変な果実になるというわけである。

だから「天成り果」は避けられない自然現象だと思っていたのだが、無肥料にするとこの現象が見られないことを考えると、どうやらそれは窒素過剰を表す植物からのサインだったようだ。

農業において、窒素は非常に重要な成分であるが、やりすぎると弊害が起こることが多い。窒素が多すぎると病虫害に弱くなり、そのおかげで農薬を多用しなくてはならない羽目になる。私が柑橘に農薬をかけなくてもさほど虫害が起こっていないのは、たぶん無肥料にしている効果が半分くらいあると思う。野菜なども肥料をごく少なくすれば、無農薬でもひどく虫に食われるというような悲惨なことは自然と避けられる(もちろん種類による)。

ただ、残念なことに窒素分が少ないと収量は確実に減る。

ポンカンの場合、基準通りに肥料をやるのと比べて収量はたぶん7割以下になると思う。そう考えると、生産原価において肥料の値段などたいしたことはないから、窒素肥料を多用して収量を増加させるのは、通常の農業経営において当然の判断だと思う。

しかしその判断が全世界的にやられているので、世界的な窒素過多はとんでもないことになっている。およそ100年前にハーバー=ボッシュ法が開発されてから、 地球上に供給される窒素はうなぎ登りに上がった。特に1960年代からの上昇はすごい。

ハーバー=ボッシュ法以前、農業生産の限界のひとつを定めていたのは窒素肥料であった。しかしこの革命的な方法により、窒素が人為的に供給できるようになり窒素肥料を多用するようになると、反収(単位当たり収穫量)の方もうなぎ登りに上がった。お陰で、農地をしゃかりきに増やさなくても、今のところ食糧危機が起こらずに済んでいる。

こうして窒素の大量生産が進められた結果、全発電量の1%以上がハーバー=ボッシュ法での窒素生産に費やされているといわれるほどで、現在、地球上の窒素固定量の半分が人為起源であるとの推計もある。微生物などによって自然に窒素固定はなされるが、そうやって自然が固定する窒素化合物と同量のそれを人間がつくりだしているというわけで、窒素の過剰放出は自然の物質循環に深刻な影響を及ぼしている。

しかも先述の通り、窒素肥料には功罪両面があり、使いすぎると「罪」の方の性格が強くなっていく。といっても肥料を減らすと収量も減ってしまうので、ただでさえ厳しい農業経営において肥料を減らす選択肢はなかなか取りづらい。

それに、私個人の農業経営としては、無肥料にする選択はさほど悩ましいものではないとしても、それを世界規模でしようとすると深刻な食糧危機を将来する可能性がある。タダでさえ人口が増え、新興国の生活水準がどんどん上がっていく局面であり、近い将来、穀物の不足が懸念されてもいる。そんな中で、窒素を減らすという決断は、非人道的なものですらあるかもしれない。

しかし、無肥料にすると天成り果ができないというメリットがあるように、窒素を減らすことには意外な効用もあるように思う。反収が減るのは確かだとしても、それを補う利点もあるかもしれない。科学もこの100年でずいぶん進んだのだから、そろそろ「減窒素の農学」が出来てもいい頃だ。

【参考文献】
地球環境に附加される自然起源と人為起源の窒素化合物」2010年、佐竹 研一

2015年12月22日火曜日

今年の5冊

年末なので、いろいろなところで、「今年読んだ本ベスト10」のようなことをやっている。私はこれまでそういうランキング(?)をやったことはなかったが、最近「本との関わり方を変える」ということを密かなテーマにしているので、今年はあえてその顰みに倣ってみようと思う。

というわけで、私の「今年読んだ本ベスト5」は次の5冊。といっても、1年で40冊くらいしか読んでいないので、ずいぶん選考基準の甘いベスト5だが。(ちなみに↓のリンク先は私の読書メモブログ)

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著
『チベット旅行記』河口 慧海 著
『無縁声声 新版―日本資本主義残酷史』平井 正治 著
『犬と鬼—知られざる日本の肖像』アレックス・カー 著
『麵の文化史』石毛 直道 著

『イスラーム思想史』は、たぶんこの一年で一番知力を使って読んだ本。この本のお陰で西洋哲学に比べてどうしても縁遠かったイスラーム思想が朧気ながらに見えてきた。近代キリスト教思想が発展する遙か昔に、イスラーム思想はその先蹤となっていた。その知的水準はほとんどデカルトやスピノザに到達している。

…ということは理屈として知ってはいたが、それをキンディー、ファーラビー、ガザーリーといったこれまで馴染みがなかった個人名で辿る思想史として理解できたのは大きな収穫だった。しかし、その知的水準はデカルトに到達しながら、イスラーム思想は遂に新プラトン的アリストテリスム、すなわちスコラ哲学を乗り越えることができなかった。イスラーム世界はほとんど近代科学への扉を開いていたが、スコラ哲学を破壊する前に文明そのものが衰退してしまったのが悲劇だったのかもしれない。

『チベット旅行記』はエンターテインメントとしてめっぽう面白い。読み始めたら簡単には止められないほど面白く、トイレの中でも本を読んだのは久しぶりだった。

ちなみにどうしてこの本を手に取ったのかというと、ジョージ・サートンという人の『古代中世 科学文化史』という本を読んでいたら、チベット文明が科学史において意外と大きな存在感があることに気づいて、チベットは今でこそ世界の辺境みたいなところだが、かつては文明の先進地の一つであったということに興味を抱き、近代以前の面影がある河口慧海の頃(明治時代)のチベットはどうだったのだろうと本書をめくった。

探検文学というものは、基本的には未開の地に足を踏み入れるという、ある意味で近代人の傲慢があるものだが、河口慧海の場合は仏教の原典を学ぶために鎖国状態にあったチベットへと秘密裏に入国したわけで、未開の地としてのチベットではなく、近代以前の文明の先進地への尊敬を持ってチベットへと赴いた(実際に河口慧海はチベットで大学へ入学)。その点が、本書を並の探検文学とは全然違うものにしている背景だと思う。というわけで、科学史のことはすっかり忘れて、エンターテインメントとして読んでしまったくらい面白い本である。

『無縁声々』は大阪釜ヶ崎(ドヤ街)の伝説的人物、平井 正治の主著である。恥ずかしながら、偶然、書店で本書を手に取るまで、この度外れた人物のことを知らなかった。日雇い労働者として苦役に従事しながら、最底辺の人間が生きてきた世界のこまごまとした出来事を記録し、さらには労働争議の先頭に立って戦うという、労働者であり、学者であり、活動家でもある人物である。

東京オリンピックという「国の威信」がかかった巨大事業が動き出している今年、この本を読んだことには大きな意味があった。そうした「国の威信」の裏に、どれだけの労働者の犠牲があるのかという平井の糾弾に、今こそ耳を傾けるべきだ。「国の威信」のために無理な工期が組まれ、そのために安全対策が疎かになり、いざ施設が完成すれば労働者は不要になる。使い捨ての労働者の存在を前提とした、こうした巨大公共事業こそドヤ街(≒スラム街)の産みの親なのだ。

『犬と鬼』は、日本に住んでいると当たり前すぎて気づかない日本のダメな点について激しく指摘してくれる、日本への愛のムチのような本。ただ「日本のここがダメだあそこがダメだ」とダメだしをするだけの本ではなく、日本にある素晴らしい潜在的な魅力を認識しながら、そこを台無しにしてきた日本人の鑑識眼のなさと、マネジメント能力の欠如を嘆く。

本書は最初英語で書かれ、それが著者の監修の元で日本語訳された。こういう本が、日本人向けに書かれたのではなく、英語世界に対して日本の真の姿を伝えるものとして書かれたことにも意味がある。本書はやや学術的なスタンスで書かれているので、論旨に関心があるが手軽に済ませたい向きには、本書のエッセンスを凝縮させて、写真を充実させた同著者の『ニッポン景観論』がオススメ。皮肉が効いた痛快な文章は苦笑の連続。

『麺の文化史』は本来ベスト5に入るような類の本ではないが、なにしろ私は麺好きなので、あえて入れてみた。「鉄の胃袋」の異名を持つ、石毛 直道氏による麺を訪ねるフィールドワークは麺好きでなくとも面白い(はず)。学術的な考察はもちろん大事だが、食品の研究はともかく食べるということがなくては始まらないわけで、どんなにお腹いっぱいでも土地の食べ物は食べておくという著者の姿勢はすばらしいと思う。

この5冊の他に、選外として『ハイパー・インフレの人類学:ジンバブエ「危機」下の多元的貨幣経済』早川 真悠 著『砂糖百科』高田 明和、橋本 仁、伊藤 汎 監修を挙げておこう。この2冊は、私自身は非常に興味深く読んだが、どちらも本としての完成度はいまいち(前者は若書きな感じで、後者は本というより事典のような感じ)なので5冊に入らなかった。でもこの分野に関心がある人ならとても面白い本だと思う。

来年もたくさんの良書との出会いがあらんことを!

2015年12月15日火曜日

「四元もち屋」と謙抑のデザイン

(前回からのつづき)

枕崎の路地裏に、「四元もち屋」という店がある。 この店、鹿児島市からもわざわざ買いに来る人がいるほどの知る人ぞ知る店で、特に一番人気の大福は午前中には売り切れてしまう。この前初めて大福を買いに行ったのだが、昼過ぎに行ったらやはり大福は売り切れていて、その大福を未だに食べられないでいる。しょうがないので二番人気(たぶん)の「かからん団子」(鹿児島の郷土菓子)を買って帰った。

この店の風貌は、今風の経営学とは対極にある。看板らしい看板もなく、知っている人しかその存在に気づかない。失礼な言い方だが薄汚れたような店内、というか店内というほどのスペースもなく、古ぼけたショーケースに「かからん団子」と「唐芋団子」が並んでいるだけ。しかも、値札どころか商品名の表示もなく、それはぶっきらぼうに置かれていて、「展示」されているわけでもない。

この店はおじいさんが一人で切り盛りしているらしい。長々と働いてきたことが一目でわかる、そんなゴツゴツした手をしている老店主である。

「かからん団子を四つ」と注文したら、その手で薄い緑色の紙に団子を4つおもむろに包んでくれた。この包み方がまた素朴でよい。確か4つで250円くらいだったような…。注文して初めて1つ60〜70円であることがわかる。倍くらい買っておけばよかった。

家に帰って食べてみたら、すごく美味しい。よもぎ団子の味が濃厚で、しかも口当たりがやわらかい。子どもたちも手をべたべたにしながら喜んで食べた。だけど「かからん団子」としては奇を衒わないごく普通の美味しさで、他の店では食べられないような、特別な美味というわけではない。では、どうしてこの店はわざわざ遠方からお客が訪れるような店なんだろうか。

一つには、 口コミということがある。「四元もち屋」を検索するとブログの記事がたくさん見つかる。一度評判が確立するとそれによってお客さんが寄ってきて、口コミによってまた新たな顧客を呼び寄せる。だけど内実が伴っていなければ、それも一過性のもので終わるだろう。長く人気を保つには、やはりその店の魅力がちゃんとなければならない。

では「四元もち屋」の魅力はなんだろう。商品の美味しさはもちろんだが、それと同時に、この朴訥な店構えというのが、やはり大きな魅力であるような気がする。大福そのものだけなら、他にも美味しい店がたくさんあるだろう(私はまだここの大福を食べていないので想像だが)。でも、この路地裏で密やかに、朴訥に作られている大福は、それだけで価値があるように思う。ここの店でおもちを買うのは、なんだか特別な感じがするのである。

その「特別な感じ」を、これまでの経営学では真似することができない。「商品のコンセプトを定め、マーケティングを行い、商品のターゲットを明確にして、試作を繰り返し、その上でコンセプトを見直し、それに沿ったパッケージと内容のデザインを行う」という「鹿児島の食とデザイン」のやり方は、教科書的には非の打ち所がないものだが、それではどうやっても「四元もち屋」に到達することはできないのである。というより、そういう教科書的なやり方では到達できないことが直観的に分かるから、「四元もち屋」は特別なのだ。

もちろん、だからといって教科書的なやり方を否定はしない。セオリー通りのやり方ですら満足にできないローカル企業はたくさんある。これからの時代、堅実な経営をしていくためには教科書を紐解くのも必要だ。しかし、「鹿児島の食とデザイン」の元々の発想は、「鹿児島の食品をもっと外(都会)に売っていこう」というところにあるはずだ。その時に、都会には既に溢れている「教科書的に優れた商品」を創り出すことは目的に適っているのか、ということが私の疑問である。

洒落たお土産商品も確かに求められてはいる。でも、そういうものよりもずっと、「四元もち屋」的なるものを都会の人は田舎に求めているものではないだろうか。消費社会の中で「消費」されていく「商品」ではなく、老店主が朴訥とつくる美味だが平凡な食べものの方が、都会の人にとっての贅沢ではないだろうか。そういうものこそ、都会では手に入らないものだからである。

「四元もち屋」は一見貧乏風の鄙びたお店だが、贅沢の発展段階で言う「精神的なもの」に位置するような、最高度の贅沢が味わえる店かもしれない。つまりここのお菓子は、利休が好ましいと思った「柚味噌」的なるものだ。都会の消費者にものを売っていくためには、教科書的に優れている「質的」「外面的」なものよりも、そういう「精神的なもの」までも見据えなくてはならないのではないだろうか。

鹿児島県民はアピール下手だとよく言われる。確かに鹿児島の人は売り込みが得意でない。鹿児島にはステキなものがたくさんあると思うが、そうしたものがほとんど取り上げられることのないまま、対外的には「西郷、焼酎、桜島」だけの県だと思われている。残念なことだ。「鹿児島の食とデザイン」はそういう鹿児島県民に、もう少し「お客様目線」を身につけさせて、鹿児島の食を売り込ませていく取り組みでもあるのだろう。これはこれで必要なことである。

しかし、鹿児島にある最良の部分をよく見てみると、そのアピール下手はむしろ強みなのかもしれないと思えてくる。朴訥で、地味で、声高に訴えないからこそ生まれる価値がそこにある。静かに存在しているという鄙びた店の方が、ずっと都会の人に価値を提供できると思う。別にそれが、侘び茶人たちのように高尚な哲学に基づいて侘びているのでなかったとしてもだ。というより、侘び茶人たちが追い求めた「侘び」は結局は作られた「侘び」でしかなかった。鹿児島の田舎なら、自然体で侘びることが出来る。

今の時代、「アピール」はあふれかえっている。どこもかしこも自画自賛だらけだ。他社の商品と比べて何が優れているか、それをわかりやすく伝えることがデザインの一つの役割かもしれない。そして「お客様」の気を引くためにも、いろいろな工夫が施されている。でも「四元もち屋」の商品はどうだろう。商品開発において最重要項目とされる「商品名」すら掲示されていない。パッケージもない。なぜそれに人は惹かれるのか。

アピールはもうたくさんだ、そういう気持ちがどこかにあるような気がする。消費させられることに疲れている部分があるような気がする。今の時代に必要なのは、アピールではなくむしろ「謙抑(けんよく)」ではないのか? そう考えれば、鹿児島県民のアピール下手は、克服すべき弱点ではない。大事にするべき平凡で静かな暮らしを、安売りすることなく守ってきた美徳ではないのか。

そういう観点で、これからの「鹿児島の食とデザイン」を考えてみたらどうなるだろう。アピールではなく謙抑のデザインを。「こんなものしかなくてすいません」という気持ちで人様にお出しできるような、そういう控えめな気持ちで出せるデザインを。おしゃれな「商品」ではなく、暮らしの中に生きているもののデザインを。「デザイン」をしないデザインを!

たぶん、そういうものは素晴らしくステキだが、でもきっと売り上げは少ない。やっぱり、声高に優れた点を叫ぶ商品の方が、売れるのが現実である。積極的に営業をかける商品の方が、売れるのは当たり前だ。それが健全な企業努力の成果である。でも、少ない売り上げでもやっていける、というのが田舎のいいところでもある。目先の売り上げのことはさておき、少しゆったりとした気持ちで鹿児島の「売らないデザイン」を創っていくのも悪くないと思う。そしてそれが、これから都会の人に本当に求められるものになるんだと私は思っている。

2015年12月3日木曜日

侘び茶と「鹿児島の食とデザイン」

鹿児島の食とデザイン」という鹿児島県がやっているプロジェクトがある。平たく言えば「鹿児島の加工食品は美味しくてもデザインがダサいものが多いから、もっとしゃれたデザインにしていきましょう」というもので、セミナーとか講座とか、様々なプログラムによって構成されている。

確かに鹿児島の製品は、食品に限らずあか抜けないものが多い。先日このプロジェクトを企画した県の人の話を直接伺う機会があり、正直いうと最初はちょっと眉唾で聞いていたのだが、全く仰る通りな内容であった。ごく簡単に紹介すると、
  • 鹿児島のこれまでの加工食品は、作れば売れるという安易な発想で作られたものが多かった。これまではそれでもある程度売れた。
  • でもこれからは人口減少等で食品消費が落ち込んでいくので、これまで買ってくれていた(主に高齢の)消費者をアテにしていては危うい。都会の消費者に向けた商品が必要である。
  • 今後の商品開発においては、商品のコンセプトを定め、マーケティングを行い、商品のターゲットを明確にして、試作を繰り返し、その上でコンセプトを見直し、それに沿ったパッケージと内容のデザインを行い、粘り強く営業をしていく必要がある。
  • しかもその各段階において、社内だけで検討するのではなく、プロの力を借りたりモニターの意見を聞いたりするべきである。
  • 内容を変えずパッケージだけを新しくする場合も、ただお洒落にしようということではなく、誰を新しい消費者と考えてそれを販売していくのか考え、消費者の目線でデザインを再考すること。
ということである。至極真っ当なことを仰っている。

例えば、鹿児島の昔ながらのお菓子「げたんは」(九州の各県でいうところの「黒棒」)はもはや鹿児島の若い世代ではあまり食べられていない。その理由は、ベタベタしていて味が今っぽくない(甘すぎる)ということもあるし、一袋に食べきれないくらい入っていてしかも一つが大きいということもある。もちろんパッケージもあか抜けない。要するに消費者のことを余り考えていないように見える(ごめんなさい南海堂さん!)。

こういうちょっと残念な商品を見ると、経営を学んだような人は、「昔ながらの郷土菓子という知名度とブランドがあるのだから、食べやすい形態にして内容量を少なくして若者向けのデザインに変え、都会の人にアピールすればきっと売り上げが伸びるはずだ!」と考えるのも無理はないと思う。いや、私自身が真っ先にそういうことを言いそうなキャラである。

でもそう言いたくなるところをぐっと我慢して、敢えて「鹿児島の食とデザイン」の思想にささやかながら異議を申し立ててみようと思う。私はこう見えて天の邪鬼(あまのじゃく)なのだ。

・・・・・・さて、話が随分飛ぶが、元禄時代に書かれた『茶話指月集』という本に、千利休の逸話が載せられている。こういうものだ。
森口(京都と大阪の間)というところに一人の佗び茶人があると聞きつけて、利休はいつか伺いますと約束していた。
ある冬の夜更け、利休は用事で京都に行くついでにその人を突然訪問した。亭主は喜んで利休を出迎え、利休もその侘びた佇まいに好感を持った。主人は(急な訪問だから十分なものがないからということで)庭にあった柚を取ってきて柚味噌をしつらえた。
利休はこの「侘びのもてなし」を大層喜んで、共に酒を傾けたが、次に主人は「大阪から取り寄せました」と言って上等なカマボコを出したので、利休は「さては誰かが私が来ると知らせて準備していたのだろう。ということは先ほどの対応はわざとだったか」と興ざめて、主人が引き留めるのも聞かずさっさと帰ってしまった。
この話は「されば、侘びては、有り合わせたりとも、にげなき物は出さぬがよきなり(
侘び茶においては、有り合わせはよいが、似つかわしくないものは出さない方がよい)」と結ばれている。 確かに侘び茶の世界に「上等なカマボコ」は似合わない。でもなぜ似合わないんだろうか?

「侘び茶」というのは、元来の意味は「社会的地位が低い、貧乏茶人の茶の湯」ということだったらしく、次第に「世俗的な世界から抜け出し、清浄な境地で楽しむ簡素で精神的な茶の湯」というような意味になってきた。でも私なりに言えば、「侘び」というのは「侘びる」という言葉があるように、「こんなものしかなくてすいません」という申し訳なく思う心を表すもので、それに対して客が「いえいえ、贅沢なものよりも、心ばかりの持てなしが一番有り難いんですよ」と応えるものが「侘び茶」であると思う。

それなのに、「これは大阪から取り寄せた高級カマボコです! どうでしょう、美味いですよね!」みたいな態度が出たから、利休は興ざめて帰ってしまったんだと思う。それは全然「侘び」ていないのである。

贅沢というものは、量的なものから質的なものへ、外面的なものから精神的なものへとだんだん発展していくものである。「侘び茶」はこの贅沢の最終段階に位置していて、一見簡素で貧乏風の茶の湯であるが、その内実は最高度に贅を尽くしたものである。高級カマボコよりも、その場でしつらえた柚味噌の方が実は遙かに有り難いものだという認識がここにある。

利休自身は大・大・大金持ちで、秀吉に取り立てられ社会的な身分も非常に高かった。そういう人が、「こんなものしかなくてすいません」という境地に至るためには、自然とお金では手に入れられない価値を至高のものとして追求する姿勢にならざるを得ない。使う道具一つとっても、吟味に吟味を重ね、そこに金では買えない精神性があるか——、というギリギリの美意識の勝負になる。そうでなくては、大金持ちが「こんなものしかなくてすいません」といってもまるっきり嘘っぱちになる。そういう利休だったから、亭主が出したカマボコ、というよりカマボコを出す亭主の態度には我慢がならなかった。

話を戻して鹿児島の郷土菓子というものは、先ほどの贅沢の発展段階でいえばまだ「量的なもの」の段階に位置しており、「げたんは」などは「大きければ大きい方がよい。甘ければ甘い方がよい」みたいな部分がある。「鹿児島の食とデザイン」は、これを「質的なものへ(味を洗練させよう)」「外面的なものへ(パッケージをおしゃれに)」という方向へ導くものだと言えよう。当然の流れである。

しかし、私自身、最近作られたしゃれた加工品を見ると、あまり触手が伸びないことが多い。もちろん、おしゃれなパッケージは好ましいし、興味も湧く。新しい取組をしていること自体に好感も持つ。というより、「南薩の田舎暮らし」自身がそういう方向性で商品を作っている。でもなぜか、桜井製菓の「アイスキャンデー」(冒頭写真)とか、とも屋の「マドレーヌ」とか、そういうちょっとあか抜けない商品の方に心が惹かれる自分がいる。

そして、「こんなものしかなくてすいません」という気持ちでお客に出すのなら、今のままで十分に魅力的なものが田舎には溢れている。大浦ふるさとくじら館で売っているふくれ菓子の「福麗女房(フクレカカ)」なんか、田んぼのあぜ道で食べるものとしては最高に美味しい。 鹿児島の各地で売ってる「かからん団子」なんか私は大好きである。でもそういうものを、都会から来たお客に「鹿児島の郷土菓子は美味しいでしょう!?」という自慢げな態度で出したらやっぱり興ざめするような気がする。こういうものは「こんなものしかなくてすいません」という調子で出されると、「意外と美味しいじゃん!」となるものだ。そんなもの態度の問題じゃないか、と思うかもしれないが、そこにものの価値の本質があると私は思う。

そして一方で、都市部には既におしゃれで機能的な製品が溢れている。消費者のことをよく考えた、練りに練られた商品がよりどりみどりである。「鹿児島の食とデザイン」は、鹿児島ローカルな食品企業もこうした商品と同じ土俵で勝負して行きなさいという叱咤激励でもあるだろう。

でも本当に、そういうものと同じ土俵で勝負していいんだろうか? ここはせっかく日本の端っこなのに、都市部と同じ「消費社会」の論理で動いて「商品」を作っていいんだろうか? 私はそれが、利休が嫌悪した「上等なカマボコ」を作る方向に行くのではないかと危惧する。ここにはせっかく最高級の贅沢である「柚味噌」を作る環境があるというのに。

利休が「上等なカマボコ」で興ざめたのは、本質的には「上等なカマボコ」が金さえ出せば手に入るものだからだろう。一方、庭に生えていた柚子で作る柚味噌は、柚子のシーズンにしか出来ないもので、季節外れだったら千金を積んでも作ることはできない。そういう「その場、その時」でないとできないもてなしだったから、利休は最初それに喜んだ。それが消費社会における「商品」ではなかったから、最高級の贅沢になりえたのである。

私が「鹿児島の食とデザイン」に僅かに危惧するのは、それが都会の消費社会に迎合するものだからである。だいたい、田舎で売られている魅力ある商品というものは、そもそも消費社会とは違う論理で作られた部分にその良さがあるのではないかと思う。デザインだけに限っても、何十年も変わらない、今風でないちょっとネジが緩んだようなパッケージなんかを見ると、ほっこりした気分になるのは私だけではないはずだ。そういうのこそ、都会では既に絶滅してしまってもう目にすることができない貴重なデザインで、それを今風デザインに変えることは、短期的には売り上げが伸びるかもしれないが、そのかけがえのない部分を自ら捨て去ってしまうことになりそうな気がする。

でもだからといって、ローカル企業はこれまで通りやっていればよいわけでもない。 事実郷土菓子の売り上げが落ちているとするなら、それで生きている企業はやはり何らかの手を打たなければならないからだ。問題は、売り上げを挽回させようとするとき、消費社会の論理で動くMBA(経営学修士号)式のやり方で、本当に田舎ならではの価値を生み出せるのかということだ。

(つづく)

2015年12月1日火曜日

「積ん読ナイト」に参加して

先日、「積ん読ナイト」という催しに参加した。

積ん読している本について語り合おうという変わった会である。「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」にも出店いただいた「つばめ文庫」の店主さんに誘われて二つ返事でOKし、この前夜中に天文館の某所に行ってきた。

これが、読んだ本について語り合う会だったら、もしかしたら行っていなかったのではないかと思う。私にとって、読んだ本をオススメし合う会よりも、読んでない本について語る会の方がよほどクールなものだ。

会では「買ったけど難しくて挫折した」といったような真面目な理由で積ん読されている本が多かったようだが、 私はそもそも、買った本は読むべきもの、とは思っていない。もちろん買ったのなら読むに越したことはないが、それは冷蔵庫の野菜は使い切った方がよいというレベルの話であり、無駄はない方がよいということに過ぎない。

でも、無駄はない方がよい、ということを考えるなら、そもそも読書自体が無駄であって、本なんか読まない方がよほどスマートである。「本はためになる」「本で勉強できる」「本は感動する」「本で心が豊かになる」といったたくさんの反論が予想されるが、これまでの経験で言うと、読書家に「知識が豊富で心が豊かな人」が多いかというとそうでもない。

もちろんほとんど読書をしないで知識が豊富な人というのはかなり珍しいので、知識を求めるなら読書は有用であるが、大抵、読書によって仕入れる知識のほとんどはそもそも無駄である。そして、ついでに言うと読書によって仕入れる知識はとても危険であり、本当は賢くなっていないのに、なんだか賢くなった気がするという読書の逆効用を常に気をつけていないといけない。本当に知識が欲しいなら、かなり心して体系的な読書を心がけないと、生兵法は怪我の元で、読まない方がマシだったということになりかねない。

そして、もっと心してかかるべきなのは、読書は知性を彫琢するという思い込みである。読書家には知的な人が多い。これは確かである。だからと言って誤解してはならないのは、人はなかなか読書だけでは知的になることはできないということだ。それどころか、読書は時として人を高慢にし、悟ったような気持ちにさせ、中庸を見失いがちになり、その割に人を怯懦にさえさせる。このあたりは、中島 敦が『山月記』に余すところなく描いている通りである。もちろんあの話は読書に限った話ではないが、読書には李徴を虎に変身させたのと同じ力が秘められている。

本当に知識が欲しいなら、読書よりも誰かについて勉強するほうが確かだし、知性を陶冶したいなら読書はむしろ危険でさえある。人を真の意味で知的にするものは行動と経験だけで、読書はそれに添えられたスパイス的な働きをするに過ぎない。要するに、知的なものを求めて行う読書というのはあまり意味がない。私は、長く「読書など知識人にとってのパチンコである」と思っていた。パチンコは低俗なもので、読書は高尚なものだ、というのは思い込みである。

だからといって私が読書を敵視しているかというと、もちろんそんなことはない。それどころか、読書はすごく好きである。いや、正直に言えば、本がない生活というのは、(今までそんなことがなかったので想像だが)耐えられない。

でも、「読書って素晴らしいよね!」という屈託ない思いで読書に向き合うことができないというのが私のような中途半端な知識人の悲しいところで、いつも「本なんか読んですいません」という気持ちで読書している。それあたかも、こっそりとパチンコに行くオヤジさんのような気持ちである。 読書なんて無駄な活動をして申し訳ない! ほとんど収入もないというのに!

それはさておき、そういう考えでいくと、積ん読は無駄でもなんでもない。むしろ読書に費やされたかもしれない時間で何か他の活動をしているわけだから、無駄の削減でさえある。だいたい超人的な博覧強記でもない限り、読書内容の99.9%は忘れる。しばしばその本を読んだのかどうかさえ忘れる。積ん読は、そういう99.9%を削減する素晴らしい方策である。…というのはジョークだが、積ん読を悪びれる必要は全然ないのだ。

それに、どの本を購入するかということを、自分の取捨選択だと考えているうちはまだ読書の高慢さに捕らわれていると思った方がよい。本当のところは、本の方があなたを選ぶのである。例えば、それは捨て猫に出会ってやむなくそれを家に連れて帰るようなもので、実際には購入者の方には選択肢があんまりない。その本と目があってしまったら、それはその本があなたを選んだということで、その本を読みたいかどうかということはさておいて、とりあえず家の本棚という居心地のよいところで、その本を休ませてあげなくてはならない。撫でたり眺めたりした後で、読みたくなったら読めばよいし、そうでもなかったら遠慮なく積ん読しておいたらよい。あなたは今やその本の保護者である。

本が溢れている現在はそういう気持ちでいる人が少ないが、本が超貴重品だった前近代社会においては、本は所有するものでなく保護するものだったと私は思う。でも今でも、本というものはちゃんと保護していないと意外とすぐに死に絶えてしまうもので、本は常に絶滅危惧種である。特にいい本こそ生命力は弱いので、見かけた時に買っておかないと、次はない、という場合だって一度や二度ではないのである。

読む暇も 知力もなくても よい本は、積ん読してでも 家に置くべし(短歌)。

ということなのだ。そういう考えの私であるから、「積ん読ナイト」は大変興味深いイベントだった。といっても、もちろんそれは「積ん読最高!」というようなひねたイベントではなく、その中身はごく健全なもので、私のような毒気がある人もおらず(たぶん)、私自身が読書に対して改めて清新な考えで向き合うきっかけになったと思う。

思えば、ド田舎に移住してきてから、私の読書に対するスタンスも少しずつ変わってきた気がする。

「読書など知識人にとってのパチンコである」というのも、未だにそういう思いはあるが、それは、そもそも読書の主体に「知識人」しか想定していない狭量な考えであったと反省する。読書は万人に開かれたものであるし、読書は単なるエンタメに過ぎないとしても、その楽しみを追求することに罪悪感を覚える必要はないのだろう。

そういう心境の変化があって、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」にも古本屋を呼ぶことになったと(今になってみれば)思うし、このタイミングで「積ん読ナイト」という本のイベントに参加できたことはよかった。これから少し、本についても前向きに人生に取り込んでいこうと思う。

蛇足。ちなみに私が持参したとっておきの積ん読本3冊は次の通り。なぜこれらが積ん読になっているのかは秘密です。