2023年10月29日日曜日

敗北の日

10月26日、鹿児島県議会(臨時会)は、県民投票条例案を否決した。

条例案の否決後、各会派への挨拶回りを行った塩田知事は、自民党議員とグータッチした。自民党と共同して条例案を否決できたことに安堵したグータッチだっただろう。今回の勝者は、塩田知事と自民党だった。

また、決められた手続きに沿って審査中の川内原発は、20年の運転延長が決定される見込である。反原発の市民運動は、またしても敗北した。

こう書くと、私も反原発の立場だと思う人がいるだろうが、このブログでは度々書いてきたように、私は原発絶対反対ではない。長期的には脱原発すべきだと思うが、「原発をいますぐ停止しろ」とは思わないし、20年運転延長も、絶対反対というよりは、むしろ「20年延長するくらいなら原発を新設した方が安全では?」と思っていたりして、条例制定を求めた市民グループの方とはだいぶ考えに開きがある。ただ、日本人は原発からは足を洗った方がいいとは思っている。

県議会では、知事も自民党も「県民投票では多様な意見を反映するのは難しい」と難色を示していたが(県民投票はそもそも知事が言い出したことなのだが、それは置いといて)、確かに原発には多様な意見がある。だが、これまでの県政でそういう「多様な意見」を県民に聞くことがあったか。運転延長に対する私の意見は、○×だけじゃない「多様な意見」にあたると思うので、聞きたければ言ってあげるのだが。

また、「多様な意見が反映できないから県民投票はよくない」という論理もよくわからない。いくら多様な意見があっても、結局は20年運転延長するのかどうか、という二択ではないのか。多様な意見を聞こうともせずに、二択を否定したのは論理破綻だ。これはほんの一例で、全体的に県の答弁は、その場しのぎの詭弁ばかりで、4万6112筆の市民の署名に誠実に向き合ったものとは言えなかった。

そもそも、これは反原発の署名ではない。もちろん、これを集めた団体は反原発のために行ったのだが、署名の性質はそうではない。この署名は「大事なことを決めるのに、市民の意見も聞いて下さい」というものだった。私自身、署名をちょっとだけ集めたが、その際には「これは反原発じゃないんですよ。県民の声も聞いてね、っていう署名なんですよ」と説明した。 だからこそ、これまでの反原発活動ではなかったような、大きな広がりがあり、多くの署名が集まったのだと私は思っている。

実際、県議会でも原発の安全性などについては質問しないように、ということになっていた。県議会で審議したのは、反原発なのか、原発推進なのか、ということではなくて、4万6112筆の市民の署名にどう応えるか、ということだったはずだ。

だが、民会派の山田国治委員は「原子力政策は国策。国が責任を持って判断すべきだ」と延べ、県側も「国策」を強調した。「国策だから県民の意見を聞く必要はない」だなんて、ずいぶん乱暴な話で、「国策だったら、県民どころじゃなく国民の意見を聞く必要があるんじゃないの?」と私は思う。どうやら県や自民党は、「国」というものを、国民を統治する王様か何かのように思っているらしいが、実は日本は一応「国民主権」ということになっていて、我々の方が主権者なのである。

それなのに、塩田知事は臨時会冒頭、県民投票は「慎重に判断すべきだ」と述べている。これなどは、意味がわからない。川内原発20年運転延長を「慎重に判断すべき」だから県民投票をしよう、ならわかるが、どうして県民の意見を聞くのに慎重でなければならないのか。「国民主権」「県民主権」なのだから、むしろ県民の意見を聞かないと先へ進めないくらいだと私は思う。

そもそも、塩田知事は県知事選で勝利したからこそ県政を担っているのだから、県民の意思は塩田知事の権力の源泉である。塩田知事は国に知事にしてもらったのではなく、県民に知事にしてもらったのである。

にもかかわらず、今回、塩田知事は県民の方を向かず、常に「国」の方を向いていたように見えた。「国策」である原発政策に異議申し立てをしては、自分のキャリアの汚点になるとでも思ったのだろうか。 

だいたい、塩田知事自身も言っていたが、原発の運転延長を止める権利は県知事にはない。仮に県民投票をして運転延長にノーが突きつけられたとしても、「県民の意思はこうです」と国や九電に述べるだけで、それに応じて相手(国・九電)がどう対応するかは県のあずかり知らぬところである。つまりある意味、原発政策に対しては県は責任を負わなくてよい、という立場にある。塩田知事は、県民の側に立てたはずだ。

にも関わらず、塩田知事は、民意が示されることを怖れていたように見える。「もし、県民投票を実施して、運転延長が反対多数になったらどうしよう」と不安に駆られていたのではないか。 賛成多数を予想していたとしたら、投票を行うことに何の躊躇もないからだ(あるとすれば、運転延長のスケジュールがずれることと県民投票の費用くらい)。

臨時会閉会後のグータッチは、民意が示されることを阻止したグータッチでもあった。でも、一応民主主義を掲げているこの国で、民意が示されることを阻止したことを喜ぶとは、いったいどういうことなのだろう。4万6112筆もの市民の署名によって請求したことを棄却したことに、一切の遺憾の意も表明されないとは、いったいどういうことなのだろう。

実は、私が「日本人は原発からは足を洗った方がいい」と思うのは、原発にはこういうところがあるからなのだ。日本の民主制は、原発のような難しい問題を扱えるほどは成熟していない、というのが私の実感である。原発の技術的な困難(災害への弱さや廃棄物の処理)は、技術的に克服することが可能だ、と元来は工学系の私は信じている。しかし原発という巨大な利害が対立するプロジェクトを真に民主的に運営していくことは、今の日本人には不可能だと感じる。一言でいって、「原発は日本人にはまだ早い」のだ。

今回の県民投票条例の否決は、まさにその一例になった。「大事なことを決めるのに、市民の意見も聞いて下さい」という、民主社会ではごく当然の要求を突っぱねなければ進められないのが原発なのだとしたら、そんなものはいらないのだ

だが同時に、今回の否決は、ある意味では民意というものの強力さをまざまざと見せつける結果にもなった。塩田知事も自民党も、「もし民意が示されたらどうしよう」という怖れを抱いていた。彼らは、国策とは違う民意が示された場合に、自分たちの立場がどうしようもなくなることをわかっていたのだ。彼らは、自分たちが民意に反しているかもしれないことを、図らずも露呈していた。まだ示されてもいない民意に、怯えていた。

そういう意味では、民意というものに、対峙する前から敗北していたのは塩田知事であり、自民党であった。彼らは、民意を味方につけるのではなく、無視することを選び、だからこそ民意を怖れた。

まだ示されていない民意でも、これだけの力がある。

もし、民意というものが、はっきり示されたら、どれだけの力があるのだろう。脱原発なんて簡単かもしれない。

とはいえ、今の鹿児島県の民意が脱原発にあるとは、私は全然思わない。それどころか、無関心による消極的支持も含め、私の肌感覚では6割の県民は原発を支持している。はっきりと反原発の考えを持っている人は1割以下、5%程度だと私は思う。実際、天文館で反原発を主張してきた市民グループは、以前は残念ながら多くの人に無視されていた(と思う)が、そんな中でも粘り強く民意の形成に取り組んできたことが今回の結果に繋がった。

つまり、消極的であれ多数派が原発を支持している状況でも、塩田知事は民意を怖れたのである。民意は、とてつもなく強大だ。鹿児島県民が、その強大な力をいつかはっきりと示す日が、きっと来ると信じている。

2023年10月20日金曜日

後戻りできなくなる決定が、今この瞬間にも行われているのかもしれない

すったもんだの末、鹿児島県の新体育館(スポーツ・コンベンションセンター)は、ドルフィンポート(DP)跡地に作られることになった。

「あれは何だったんだ?」と思ったのは、今年の2月~4月に募集された「本港区利活用エリアのアイディア募集」。これには234件もの応募があり、うち7件はプレゼンまで行われた。

【参考】鹿児島港本港区エリアの利活用に係る検討委員会 > 第4回検討委員会(プレゼン資料が掲載されています)
https://www.pref.kagoshima.jp/ah15/kentouiinkai4.html

この集まったアイディアはどう活用されるのだろうか、と思っていたら、一応ゾーニングの素案に生かされたことになってはいるが、本港区エリアの利活用について大きな影響を与えることはなかった、と思う。まあ、「今後の参考」との位置づけだ。

プレゼンされたアイデアには、かなりの手間をかけて練った構想も見受けられた。プレゼンの当事者も、こんなに軽い扱いになるとはびっくりだったのではないだろうか。とはいえ、県がアイディアを軽くあしらったわけではなく、わざわざ検討委員会に幹事会を設けていろいろと議論してはいる。

しかしながら、結局のところ、このアイディア募集は遅すぎた。なにしろ、ドルフィンポート跡地に新体育館を造ることを決定した後で行ったものだからだ。むしろ、この段階ではアイディア募集などしないほうがよかった、と私は思っている。なぜなら、意見やプレゼンは、せいぜい「いいとこどり(委員のコメント)」されるのが関の山だったからだ。

当然に、この意見募集やプレゼンの後の県の対応は評判が悪く、「何のためにわざわざ意見募集したんだよ」という声がたくさん聞かれた。鹿児島市のスタジアム構想(アイディア募集後、いろいろあってDP跡地へのスタジアム建設は事実上断念した)との齟齬もあり、「塩田知事がどんな体育館をつくりたいのか全然わからない」とか、「リーダーシップがない」といった、塩田県政への批判も惹起した。

とはいえ、これではちょっと塩田知事が可哀想な気もする。というのは、これまでの新体育館の検討が混乱し収拾がつかなくなっていたのは、歴代の鹿児島県知事が「新体育館をどこに造るかは俺が決める」みたいな態度であったことが大きな原因で、塩田知事の場合は同じ轍を踏まぬようかなり気を付けてきた(ように見える)。

新体育館の建設場所の検討を始める際にも、「場所ありきではない」ことが強調され、新体育館に必要な機能、規模・構成等をまず議論した上で決めようとした。そしてその検討委員会(総合体育館基本構想検討委員会)も、公開の下で行われ、これまでの鹿児島の密室政治とは一線を画した。

塩田知事はこうした検討が行われている中でも、「自分としてはここがいいと思う」みたいな軽はずみな発言は一切せず、「検討委員会の出した結論を尊重する」との態度を貫いてきた。検討委員会で本当に自由闊達な議論が行われたかどうかは疑問だが(傍聴した人の話ではいわゆる「シャンシャン委員会」だったそうだが私は見ていない)、それでも形式的には民主的な議論の結果、最終的には点数方式でDP跡地が選ばれた。

その後、整備の基本構想が取りまとめられ、パブリックコメントを経て、県議会は新体育館の整備を了承した。鹿児島県が作る箱モノで、ここまで民主的な手順を踏んで建設を決定したのは初めてのことで、画期的なことだと思う。

こうして新体育館(スポーツ・コンベンションセンター)の立地は決定した。だから、いくら「本港区利活用エリアのアイディア」にいいものがあったとしても、それに応じて基本構想が揺らぐはずもない。というか、揺らいだら民主制の否定になる。

「塩田知事がどんな体育館をつくりたいのか全然わからない」とか、「リーダーシップがない」という批判の裏には、知事は県民の意見を聞いて、それまでの議論をひっくり返してほしい、というそこはかとない願望があると思う。もし、塩田知事が今になって「やっぱりDP跡地に建てるのは辞めます!」と言ったら、一部の人は「リーダーシップを発揮した!」と喝采するに違いないが、民主的手続きによって行われた決定を知事の一存で白紙にするのは、民主的というより実際には独裁的だ。

そもそも、民主制は非常に手間がかかる。手順を追って物事を決定しなければならないし、その手順を踏んでいる間に社会の事情が変わってきても、「状況が変わったのでやっぱり変えます」とは言いにくい。要するにスピード感に欠ける。それに、代議制民主制の場合は利害団体の意見が強く反映されるという特徴があって、一般市民の感覚とは乖離しがちなことも短所である。

だから民主制の社会に生きる一般市民は、つい独裁的なものを望んでしまうことになる。独裁者は、なんでもスパッと決定し、一般市民の気持ちを代弁してくれる(ように感じる)からだ。今、維新の会が急速に国政での存在感を増しているのは、はっきりと独裁的な性格を持っているからだと私には思われる。

第2次世界大戦の前に、ナチスドイツが全権委任法によって一党独裁になっていったのは、完全に民主的な手続きによるものだった。彼らは、「ユダヤ人は気に食わない」という「一般市民」の気持ちに寄り添うことで独裁的権力を得た。ところがひとたび独裁制が確立してしまえば、およそ民主的な社会ではありえないような決定が下された。

話が逸れたが、新体育館のことで塩田知事がリーダーシップを発揮せず、何を考えているのかわからないような対応に終始しているのは、民主的な手続きを尊重するという態度の裏返しだろう(ただし、塩田知事は万事がこの調子なので、物足りないのは確かだ)。

そして、はっきり言えば、新体育館の立地についていまさら意見を言っても遅い。これまでに書いた通り民主的な手続きによって決定したことだからだ。「じゃあ、いつ意見を言えばよかったんだよ?」と人はいうだろう。私は、総合体育館基本構想検討委員会が、点数方式での立地比較を行うことを検討・決定した2021年11月あたりが山場だったと思う。

というのは、この比較項目に、当初からDP跡について懸念されていた「景観」が全く入っていなかったのである。これは意図的に外したとしか思えないが、不思議と誰も問題視しなかった。

【参考】第5回総合体育館基本構想検討委員会(2021年11月16日開催)
https://www.pref.kagoshima.jp/ac12/dai5kaihaihusiryou.html

そして、実はこの時あたりまで、新体育館の県民の関心は極めて低かった。もしかしたら「検討委員会がよか風にまとめてくれるに違いない」という安心感があったのかもしれない。結局、さほど議論はないままに、点数方式での立地比較によってDP跡に決定した。

2022年1月12日付の南日本新聞の記事「ドルフィン跡決定」の記事でも、検討委員の一人が「県民の関心が少ない感じ」と述べている。

県ではDP跡に決定する直前の2021年12月17日からスポーツ・コンベンションセンターに係る意見募集を行っていたが、これにもほとんど意見が寄せられていなかった(確か新聞報道では、20人が意見提出と伝えられた)。

ところが、この決定後に潮目が変わる。

このあたりを境に、いろんな人が、急にDP跡では問題があるとSNS等で発言するようになったような気がする。やっぱり一番大きかったのは景観の問題で、憩いの場であるウォーターフロントパークの芝生を残してほしいといった要望も多かった。突如県民の声が高まったことを受け、県では当初1月14日までとしていた意見募集の期間を1週間延長。これによって最終的には234人が意見を提出した。

私の見るところ、新体育館に関して民主的な手続きを軽視していたのはこの意見募集の一点である。というのは、意見募集している最中に委員会がDP跡に立地を決定したからである。意見募集の結果を反映した上で決定すべきであったのに、あろうことか意見募集中に決定をしてしまった。これでは何のために意見募集したのかわからない。アリバイ的な意見募集といわれても仕方ないと思う。新体育館の検討において、ここが最大の瑕疵である。

とはいえ、それ以外の点においては、それなりに民主的な手続きが踏まれた。こうして新体育館のDP跡への建設が決まっていったのである。

話が急に変わるようだが、太平洋戦争の記録を読んでいると「いつの間にか戦争が始まっていた」という記述に出くわすことがある。これはちょっと無責任な言葉のようにも思えるが、新体育館の建設についても、多くの県民にとって「いつの間にか決まっていた」ように感じられるのではないか。

先ほども書いたように、民主制は手間がかかり、一度民主的な手続きによって決定したことは権力者といえども簡単には覆せない。逆に言えば、一般市民の総意とはかかわりなく、その手続きが踏まれていくとすれば、いつの間にか引き返せないところまで進んでしまう。仮に多くの人が反対したとしても、もう遅い、という状況は容易に想像される。

新体育館についても、県民が2021年11月頃に声を挙げていれば、違った結論になっていただろうと私は思う。もちろんこれは後知恵だ。それに、その後に沸き起こった県民の声も決して無駄なものではなく、新体育館や本港区の将来によい影響を与えたと思う。だが、多くの声があったにも関わらず決定が覆らなかったのも事実だ(それに業界団体は概ねDP跡を支持していた)。

少し空恐ろしく感じるのは、そういう、後戻りできなくなる決定が、いろんなところで、今この瞬間にも行われているかもしれないという可能性についてである。いや、今この瞬間どころか、ずいぶん前に我々は後戻りできない道を選んでいるのかもしれない。そういう状況を避けるためには、国民が社会について関心を持ち続けること以外にはないだろうと私は思う。

「国民の関心が少ない感じ」と言われて重要な決定がなされ、威勢のいい独裁者に権力を与え、「いつの間にか戦争が始まっていた」とならないようにしたい。もうその時には、いくら反対を叫んでも遅いのだ。「民主的」に決定した事項は、簡単には覆らないのだから。


※現在、「鹿児島港本港区エリア景観形成ガイドライン(素案)」に関するパブリック・コメントが行われています(2023年10月6日~11月6日)。DP跡からの桜島の景観が気になる方は意見を出されたらよいと思います。
https://www.pref.kagoshima.jp/ah09/keikandezainkaigi/keikandezainkaigi1.html


2023年9月21日木曜日

指宿枕崎線の「悪あがき」

「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくりプロジェクト」というものに参加することになった。

これは、「指宿枕崎線を活用してなんか面白いことをやろう」という企画である(南薩地域振興局からの委託事業で中原水産(株)が実施する)。

なお、「指宿枕崎線」は鹿児島中央駅から枕崎駅までの路線だが、これは特に「指宿〜枕崎間」を活かそうという話である。

それで、先日開催された第1回の会議に参加してきた。第1回は基調講演の後に顔合わせがある程度だったが、面白かったのは会議後の懇親会。ここでは書けない鹿児島の公共交通にまつわるタブー(?)が次々と俎上に載せられていて、「これを会議でやればよかったのに」と思った次第である。このプロジェクト、実は内心「アホか」と思っていたのだが、そうではなかったようだ(←関係者のみなさん、すみません)。

というのは、「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくり」という概念が、まずちょっとおかしい。普通、鉄道はまちづくりそのもので、鉄道の駅を基点として街が形成されていくのが普通だ。「まちづくり」に鉄道を活かすならわかるが、「鉄道」をまちづくりに活かすとはどういうことなのだろう。これは要するに、「指宿枕崎線は街の役に立っていないから、街の方で指宿枕崎線を活かそう」という倒錯した考えなのである。

このような倒錯が生じているのは、指宿枕崎線(の指宿〜枕崎間)が非常に不幸な路線であるからだ。実は、これは需要に応じて開通した路線ではないのである。詳しいことは聞けなかったが、どうやら当時の政治家が「鉄道をひっぱてきた」という実績をつくりたいために無理に鉄道を枕崎まで延伸させたものらしい。

その時の大義名分は、「薩摩半島に環状線を!」ということだったとか。当時はまだ南薩線(伊集院〜枕崎)があったから、指宿〜枕崎が開通すれば、薩摩半島を鉄道で一周できるようになる、ということだったらしい。しかし指宿と枕崎は相互に交通する意味があまりない地域で、人口も少ない。沿線上はさらに少ない。環状線の意味は大都市の周りを回ることにあり、薩摩半島を一周する人は誰もいないのである。だから開通してたった5年で(!)、廃止の検討がスタートした。鉄道だけにすごいスピードだ(笑)

そのうち南薩線が廃止になって(昭和58年)、環状線でもなくなった。今年は指宿枕崎線全面開通60周年、という記念の年であるが、そのうちの55年が廃線の危機にあったという、ベテランの赤字路線が指宿〜枕崎区間なのである。

実際、先日(9月6日)、JR九州が線区別の利用状況を公表しており、指宿〜枕崎区間の平均通過人員(輸送密度=1kmあたりの1日の平均利用者数)は220人で、九州全体ではワースト3の少なさである。赤字額は3億3700万円/年で、九州全体でみれば中堅程度(!?)の赤字額だが、平均通過人員あたりの赤字額でいうと九州でワースト2である。

【参考】線区別ご利用状況(2022年度)
https://www.jrkyushu.co.jp/company/info/data/senkubetsu.html

公共の交通機関は赤字が常態化しているため、3億3700万円の赤字というのがピンと来ないかもしれないが、この状態が10年続けば合計33億7000万円。これだけのお金がJR九州から南薩に投下されることになる。有り難いといえば有り難いが、このお金をもっと有効な事業に振り分ければ、そっちの方が沿線住民にとっても嬉しいかもしれない。

というのは、このような赤字が続いているのは、当然利用が低迷しているからで、先ほども書いたように指宿と枕崎は相互に交通する意味があまりなく、わずかな高校生の通学需要があるに過ぎない。なんと通勤定期は1名しか購入していないそうである。指宿〜枕崎間は、生活路線としては不要というのが残念ながら明白である。

そういうわけで、私としては「地域住民の利用が増加することがありえない以上、廃止はやむを得ない」という立場である。むしろズルズル延命するよりも、JR九州にも地域にも余力があるうちに廃止した方がいいような気さえする。今なら、廃止にあたってJR九州からいろいろ引き出せるかもしれない。長い目で見れば何十億円ものお金が浮くわけだから、少しくらいサービスしてもらえそうである。

ということで、私はハナから指宿枕崎線(の指宿〜枕崎区間)には価値はない、と思いこんでいたのであるが、やはり詳しい人の話をじっくり聞いてみると、そうでもないことがわかってきた。

先述の通り、鉄道はまちづくりそのもので、その存在には地域住民の人生と財産が関わっている。例えば、東京である路線が廃止になったとすると、その沿線に住んでいた人の多くが通勤難民になり、また不動産価格がガタ落ちになって大混乱になるだろう。当然、鉄道が新しくできるとなればその逆のことが起こり、人々の生活や財産は一変する。よって鉄道は政治家の活動と密接に関わっており、「鉄道と政治」はこれまで華々しい(?)話題を提供してきた。

これは廃線の危機にあるような路線でも同じで、とっくに誰も使わなくなったような路線すらも「廃線絶対反対!」の運動が行われるのは、住民の自発的運動というよりは、路線存続を政治的手柄としたい政治家の策動の結果ということは珍しくないのである。 

ところが! 指宿〜枕崎区間の場合、こういうややこしい「政治」は一切無いらしい。指宿〜枕崎区間はあまりに寂れているため票田にならないからか、それとも廃線の危機が55年も続いたおかげ(?)だろうか。もちろん、住民からの関心も薄い。こういうことは、普通ならば弱みなのかもしれない。だが、廃線間近で「悪あがき」したい、というこのプロジェクトにとってはこの上ない強みだろう。

というのも、指宿〜枕崎区間で、どんな「悪あがき」のみっともない活動をしても、結果うまくいかなくて廃線になってしまっても、それほど大きな問題にならないからだ。それどころか、変な「政治」が登場しないことは、廃線すらもスマートに進められる可能性がある。経営が行き詰まってやむなく廃線にするのではなく、日本の廃線のモデルとなるような、「先進的な廃線」がここで実現できるかもしれない。こういう夢想ができるというだけでも、指宿〜枕崎区間は面白い路線ではないだろうか。

「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくりプロジェクト」は、来年の1月までに4回会議をして、何をやるかをまとめるそうである。私が考えていることは主催者側とはちょっとズレているかもしれないが、俄然楽しみになってきたところである。

2023年9月9日土曜日

大笠中学校の統廃合には絶対に反対

今年の6月に行われた南さつま市議会(令和5年度第2回定例会)で、本坊市長が大笠中学校(大浦町の中学校。学区は大浦と笠沙)を含めた再編について言及した。

大原俊博議員の一般質問「加世田中学校については大規模改造か建て替えかということで(中略)早い時点での取組を要望いたします」という発言に応えたもの。本坊市長の発言を抜粋すると、

「早ければ年内、何とか年内に加世田中学校、それから万世中学校の施設整備を併せて、加世田中学校、万世中学校、そしてもう一つ、大笠中学校43名です。大笠中学校を併せて、在り方検討委員会を、今後、この中学校の在り方はどうあるべきなのかということを、スピード感を持って考えていかなければならない。その時期に来ているのではと思っております。」

ということである。

【参考】令和5年第2回定例会 会議録(発言は6月20日)
https://www.city.minamisatsuma.lg.jp/shigikai/kaigiroku/kaigiroku-r5/e028607.html

どういう文脈での発言かというと、まず加世田中学校の校舎の老朽化がある。加世田中学校の校舎(の一部)は昭和44年建築ということで50年以上経過しており、大規模改修か建て替えが必要だという。また隣の万世中学校の校舎(の大部分)も昭和46~47年に建築されていて、すでに雨漏り等も起こっている。

よって、加世田中学校と万世中学校の両方が、近いうちに建て替えが必要ではないか? という状況にある。この施設整備を進めなくてはならないというのは、理解できる答弁だ。だが、どうして大笠中学校の在り方まで「スピード感を持って考えていかなければならない」というのか。こちらの方は、ずいぶん藪から棒だ。

大笠中学校の校舎は平成14年に建築したばかりでまだまだ新しく、今年度はエレベーターの設置工事も進んでいる。生徒数は確かに少ないが、今後数年間で急激な減少は予想されていないからだ。

もちろん長い目で見ると、いずれ万世中への統合はありうるかもしれない。しかし統合するからといって万世中に新しい校舎を増築する必要はなく、近々万世中を大改修するとしても、大笠中の合併を見据える必要はないだろう(統合しても学級数が増えない可能性が高い)。

ではなぜ加世田中・万世中の改修と大笠中の再編(統合)が絡んでくるのか。この答弁は唐突なもので、関係者も驚きだったらしい。実際、市長もこのように発言している。

「このことは今日、市民の皆様方も初めてお聞きを、もちろん議会の皆様方にも丁寧な説明なく、前触れなく、大変申し訳ないと思いますが、これから協議を始めたいと思います(後略)」

よって、詳しい事情が不明であるが、ちょっとこの発言の背景を考えてみたいと思う。

まず、加世田中・万世中を改築する場合、それぞれ15~20億円必要と考えられる。公立の義務教育学校は半額の国庫補助があるので、市の負担はそれぞれ7.5~10億円。また、南さつま市では今市民会館の老朽化に伴う建て替えも検討されており、それら3つを建て替えすることになると、今後数年で30億円くらい必要になる。弱小自治体の南さつま市にとっては大きな出費である。

仮に加世田中・万世中・大笠中の3つを合併して新しい中学校をつくれば財政負担がかなり減るから、少しでもお金を浮かせたい市にとってはそっちの方が望ましいに決まっている。さらに、加世田中は川沿いの水害を受けやすい立地にあって移転が必要ではという声があり、その問題も同時に解決できる。

ところで、加世田中近くの県立常潤高校(旧加世田農高)は生徒数の減少が続いており、存続が危ぶまれている。しかも農高なので敷地は広大で、感覚的には敷地の半分くらいが遊んでいるような状態だ。仮に常潤高校が廃校にならないとしても、その空きスペースに中学校が建てられそうだ。だから、財政面のみを考えた場合、加世田中・万世中・大笠中を統合して常潤高校の敷地に新中学を作るのが一番お得である。水害も受けない。

しかも、小中学校を「適正な規模にするため」の統合に伴う施設整備は、国庫補助が10%増しになる。万世中はまだそれなりに生徒数がいるので地元が合併に同意するとは思えないが、大笠中は将来的には存続が難しいことは明らかで、「適正な規模にするため」の統合になるから国庫補助が増える。藪から棒に大笠中が持ち出されてきたのはこのためではないだろうか。

つまり、大笠中の在り方を「スピード感を持って考えていかなければならない」というのは、財政の事情、しかも加世田中・万世中の建て替えを安くするためだけのことなのだ。私は中学校はそれなりの規模があった方がよいと思っており、統廃合絶対反対論者ではないが、こういう事情で拙速に「あり方を検討」ということだと絶対に反対である。

それに、そもそも加世田中・万世中の建て替えは本当に必要なのだろうか? 

実は、南さつま市では「南さつま市学校施設長寿命化計画」というものを策定している(WEB上に情報がないが、おそらく令和元年か2年策定)。これはどういうものかというと、「従来コンクリート校舎は40~50年で建て替えていたが、メンテナンスをしっかりやることで学校施設は70~80年使っていきましょう」というものだ。

今、手元に計画そのものはないが、パブコメされた案(の57頁)によれば、

学校施設の目標使用年数は、公共建築物長寿命化指針で示される70~80年を基本として設定します。

とはっきり書いている。

【参考】パブリックコメント「南さつま市学校施設長寿命化計画(案)」募集終了
https://www.city.minamisatsuma.lg.jp/shisei/gyosei/publiccomment/pabubosyusyuryou/e021853.html

つまり、この計画に基づけば加世田中も万世中もまだまだ建て替えタイミングにはないのである。にもかかわらず、なぜ問われていもない万世中の建て替えまで言及したのか、邪推すれば、常潤高校の廃校が内々に本坊市長には打診されている、ということなのかもしれない(本坊市長は常潤高校の同窓会会長でもある)。

それはともかく、市には焦って校舎の建て替えをするのではなく、この計画に基づいて、まず校舎の長寿命化を図ることを要望したい。それでなくては、この計画は無意味である。

また、学校再編だけではないが、南さつま市の場合、加世田への一極集中が進んでいることも憂慮される。

加世田小学校は児童数が600人以上あり、加世田中学校の生徒数も300人以上である。大浦小学校が約50人、大笠中学校が約40人であることを考えると、これを整理していこうとするのは財政の論理としては仕方ない。小中学校の建物の維持管理費は規模によらずだいたい年間700万円くらいだから、大浦のような過疎地に学校があるのは割に合わないのは確かだ。

しかし、である。だからといって加世田になんでもかんでも集中させてよいのか? ということだ。この何十年も、東京一極集中の弊害が叫ばれてきた。過密した部分と、過疎の部分のそれぞれに問題が起こり、人口は適度に分散してこそ快適な生活が送れるのだ、と諭されてきた。それでも一極集中の傾向は止まっていない。人々は結局、大学進学や就職のために都会に出て行かざるを得ないからだ。

いまさら、田舎の価値とか、自然豊かな暮らしとか、リモートワークで田舎でも生きていけます、みたいなことをいうつもりはない。大浦町も、いずれ人々がまとまって暮らす地域ではなくなってしまうかもしれない、ということは覚悟している。

だが、そういう過疎の動きを、行政が加速させていいのだろうか? ということだ。

加世田中・万世中の建て替えは「南さつま市学校施設長寿命化計画」に反するものだし、大笠中はさしあたり合併の必要はない。「スピード感を持って考えていかなければならない」時期ではないのである。

2023年6月16日金曜日

川内原発20年延長の県民投票は、やるやらないをちゃんと検討すべき

現在、市民団体が川内原発の運転期間延長についての県民投票の実施を求めた署名活動をしている。

【参考】川内原発20年延長を問う県民投票の会
https://sendai20tohyo.com/

この署名活動が行われる経緯において、キーになっているのが塩田知事が2020年の知事選で掲げたマニフェストの一節。塩田知事はマニフェストに「1号機・2号機の20年延長については、必要に応じて県民の意向を把握するため、県民投票を実施します。」と書いていたのである。

【参考】塩田知事のマニフェスト
http://www.pref.kagoshima.jp/chiji/manifest2/index.html

川内原発にもともと明確な耐用年数はなかったが、東日本大震災後に法律が定められて40年ということに決まっていた。しかし技術的な点検を行い、規制委員会の認可を受ければ、さらに20年運転を延長できるように法律が変わった(つい先日、運転停止期間の除外ができるという法律の改定があり、20年より長く延長できるようになった)。

この点検は設置者である九電が行うのだが、県としてはこの点検(とその評価)が適正なものか検証するため、鹿児島県原子力安全・避難計画等防災専門委員会に「科学的・技術的な検証」を依頼し、先日その結果が報告されたところである。

その報告書は、私も内容をちゃんと読んでいないが「留意すべき点はあるが、おおむね適正」というものだそうである。委員会(正確にはその下に設置された分科会)の議事内容は公開されているので私もちょっと見たのだが、非常に専門的なことばかりで、素人にはほぼ理解不可能である。ただ、議事録を読んでの雰囲気だけでいうと、意外と「お手盛り委員会」ではなく、結構真面目に議論・検証したように見える。

そしてこの報告書に基づいて、県は原子力規制員会と九電に要請書を提出することとしており、その要請書案について、昨日、県が意見募集を開始した(6月15~7月14日)。

【参考】川内原子力発電所に関する要請書(案)に対する意見を募集しています
https://www.pref.kagoshima.jp/ac06/youse-ikenboshu.html

一方、マニフェストに掲げていた川内原発の運転延長の県民投票について、塩田知事は5月26日に先ほどの報告書を受け取った際、報道陣の取材に答える形で行わない方針を示し、「おおむね委員会の意見は集約されたと考えている。県民投票で○×を聞くよりは、県民の意見を具体的にしっかり聞いた方がいい」と説明した。

【参考】川内原発の運転延長「県民投票は実施せず」 鹿児島県知事が表明、意見募集へ 専門委から最終報告書、6月に住民説明会|南日本新聞
https://373news.com/_news/storyid/175797/

塩田知事は県民投票に関して「専門委の意見が集約されない場合に県民の意向を把握する手段として、最も適切と判断した場合に実施する」との見解を示しており、「専門委の意見がおおむね集約されたから県民投票は不要」と判断したわけだ。

しかし、私はこの説明には大きな違和感を抱く。

というのは、専門委は、川内原発1号機・2号機を延長するのが適当かどうかという判断をするのではなくて、九電の点検・評価が適正かどうか「科学的・技術的検証」を行うのが役割なのだ。もし、専門委の意見が集約されないということがあったら、それは九電の点検・評価が適正でないということなのだから、そんな状態で県民の意向を聞く必要はなく、運転延長不可なのが当然だと思う。

つまり、県民投票は「専門委の意見が集約されない場合に(中略)実施する」という知事の見解自体がナンセンスなものだったのだ。技術的な検証(専門委の意見)と、県民の意向は直結するものではないのに、あたかもそれを直結するもののように説明したのは詭弁だ。

とはいえ、「県民投票で○×を聞くよりは、県民の意見を具体的にしっかり聞いた方がいい」という説明はわからなくもない。実際、私も、川内原発を延長すべきか〇×で聞くのがいいのかどうか、正直よくわからない。今の経済状況や、薩摩川内市の在り方を考えると、〇×で県民投票したら運転延長反対が多数派になるかどうか不明だ。逆に原発推進のお墨付きを与える結果になるような気さえする。

だが賛成派ですらも、「鹿児島に原発があるのは賛成だけど…」と「だけど…」が続くこともまた多いのではないか。この「だけど…」以下を聞くというのが、「県民の意見を具体的にしっかり聞く」ということだと私は思う。

しかるに、今回の意見募集の対象である要望書は、先ほど述べたような極めて専門性の高い事項の検証に基づいており、科学的・技術的観点のみでまとめられたものであるので、とてもじゃないが、この「だけど…」以下を聞くようなものではない。

これに対して、「原発反対! だけでも意見を出したらいい」という人もいるが、そういうわかりやすい主張の人はともかくとして、「だけど…」タイプの人にはちょっと難しい。私もその一人である。

少なくとも、この要望書への意見募集は「県民の意見を具体的にしっかり聞く」とはほど遠いものであるのは衆目の一致するところであろう。ふざけるなと言いたい。

ところで、先だっての県議会で、「鹿児島県公文書管理条例」が制定された。これは、保存期間が過ぎた公文書の処理について定めるのが主な目的であるが、その第4条はこうなっている。

第4条 実施機関の職員は,第1条の目的の達成に資するため,当該実施機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該実施機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け,又は検証することができるよう,処理に係る事案が軽微なものである場合を除き,文書を作成しなければならない。

これによると、行政機関は「意志決定の過程」を「検証することができるよう」「文書を作成しなければならない」とされている。では今回の「県民投票見送り」については、どうだろうか。県民投票は、知事自らがマニフェストに記載していたことであり、またこれを求めて署名活動が行われているくらいなので、「処理に係る事案が軽微なもの」とは到底見なせない。

先ほども述べたように、私は原発について○×で県民投票を行うべきとまでは思わないが、こういう重要な意志決定が一枚の文書も作成されることなく、「知事としての総合的な判断」ような形でなされるとしたら非常に問題だと思う。

そういえば、NHKの報道によれば、馬毛島への基地容認においても文書が作成されずに知事が総合的に判断したそうだが、こんな重要な件を口頭のみで決定するとは、行政の文書主義に反する。窓口ではバカみたいに文書を求めるくせに…。

【参考】徹底解説!公文書管理条例の意義と課題|NHK かごしまWEB特集
https://www.nhk.or.jp/kagoshima/lreport/article/001/98/
(抜粋)「県によりますと、この考えの表明までに、知事と担当部署の職員が複数回打ち合わせをして意思決定をしたとしていますが、この打ち合わせで知事や各職員がどういう発言や議論をしたかを記録した公文書が作られていないことがNHKの取材でわかりました。」

というよりも、これについては、むしろ重要な件だからこそ文書を敢えて作らなかったのではないか、とすら疑ってしまう。馬毛島への基地建設については、歴史的な意義を有する可能性があるが、それを後に振り返った時に知事がどう考えて容認したのか、現状では「合理的に跡付け,又は検証することができる」とはとても思えないのである。(ただしこれは条例制定前の件である。)

とはいえ、これまで県政に対し批判的に書いてきたが、私自身は塩田知事を好意的に見ており、最近の歴代知事に比べたら、相当「話が通じる」と思っている(上から目線の評価ですみません)。

ドルフィンポート跡問題では「塩田知事がこれがやりたいというものが見えない」「知事の熱意が感じられない」という人もいるが、下からの意見を重視し、私心を交えずに判断していると見た方がよいのではないか。これまでの知事が「俺が決める」という人だったので物足りない人はいるだろうが、自分のやりたいことよりも、ボトムアップの手続きを重視しているのはよいと思う。

しかしながら、であればこそ、意志決定を丁寧に文書化すべきだし、検討経緯を残さなければならない。県民投票を行うにはどのくらい予算が必要なのか、それに見合った意味のある結果が得られるのか、そんなことを検討して決めたならそれを文書で残し堂々と発表すべきだ。それなら理解できる。逆にそういう検討もせずに、舌先三寸で「県民投票見送り」を決めたのなら、それこそが問題だ。

実は、塩田知事のマニフェストは「進捗・取り組み状況」が公表されている。こういうことをしっかりするのも塩田知事の美点である。

【参考】マニフェストの進捗・取組状況(知事就任後2年間)
http://www.pref.kagoshima.jp/ac11/chiji/manifest2/shinchoku_r04jisseki.html

そしてこれを見てみると、66項目ある中で、「進捗・取組状況等」が空欄なのは、県民投票の項目のみなのだ。これでは、県民投票を真面目に検討したかどうかすら怪しいではないか。

「川内原発20年延長を問う県民投票の会」においては、知事が県民投票を実施しないこととした検討経緯の公文書を情報公開請求してはどうだろうか。どんなことが書いてあるのか、というよりも、そんな公文書がそもそも作成されたのかどうか。見ものである。

↓ マニフェストの進捗・取組状況(知事就任後2年間)より抜粋





2023年5月5日金曜日

戦没者の墓と平和憲法

うちの集落墓地に、院号のついた戒名の墓石がまとまっている場所がある。

院号とは、例えば「明浄院釈栄徳」の「明浄院」の部分にあたり、戒名を立派にする機能を持つものである。

この集落墓地は、昭和40年代(だったと思う)に墓地整理を行い、いくつかを残して墓は納骨堂にまとめた。だから墓石自体がわずかしか残っていないのだが、残っている墓石のほとんどが、院号を持った墓なのだ。

パッと見ただけなら、このお墓は院号だからこそ残ったと思うだろう。

なにしろ、戒名に院号を付けられるのはごくわずかの人だけだ。宗派・寺院により違いはあるが、院号をつけるには今でも100万円くらいかかるらしい。また、お寺の役(総代など)をこなすとか、生前に積極的な寄付をするといった、いわゆる「大檀那」と呼ばれるような人しか院号をつけてもらえなかった時代もある。

江戸時代までさかのぼると、これに身分が関係し、院号がついているのはほぼ高位な武士に限られる。

現代では「戒名なんていりません」という人も多いが、かつては相当のステータスを持ち、憧れられていたのが院号なのだ。

では、ここに残された院号の墓は、この土地の名士、大檀那たちだったのだろうか?

実は、それが全然違うのである。なんと、この院号墓は、全員が従軍し戦死した人のものなのだ。

墓石の横には、「海軍伍長 〇〇で戦死」などと彫ってある。階級は、はっきり言って高くなく、例外的に尉官が一人いるものの、ほとんどは下っ端である。つまりこの人たちが院号をもらっているのは、お金でも生前の地位でもなく、軍隊で戦死したことへの褒章なのである。

このあたりの地域は、戦前は浄土真宗しかなかったので、これらの戒名は全て浄土真宗本願寺派(西本願寺)のものである。西本願寺は戦争に積極的に協力していた。西本願寺は海外布教の思惑もあって戦争は信仰と矛盾しないと位置づけ、門徒を戦地に送り出した。本来は戦いを戒めるべき宗教者が、戦争での殺人は罪にならない、というようなことを言うなんておかしな時代だった。

それでも、西本願寺が従軍し戦死した人に全員院号を与えていたという話は聞かない。もしかしたら、この院号は鹿児島独特のものかもしれない。あるいは、大浦のお寺(西福寺)が独自につけていた可能性もゼロではない。

それに、「従軍し戦死した人の魂は靖国神社で神になる」というのが、当時の日本政府の公式見解だった。さらには遺骨もない場合が多かった。その意味では郷里につくられる墓石やそこに刻まれる戒名は、気持ちの上だけのもので実態を伴ったものではなかったから、西本願寺としてどのように扱ったのかわからない。

しかし一方で、そのようなことを行ったのが全国でここだけだった、というのもありそうにないことだ。何しろここは保守的な田舎である。独断で院号を与えるような大それた真似ができたとも思えない。全国でやったかどうかはともかく、それなりに先行事例があったと考えるのが妥当だろう。

少なくともこの院号墓は、宗教すらも国家の片棒を担ぎ、お国のために死ぬことが名誉であるとした、間違った時代の名残であるのは間違いない。

最近、自民党は憲法改正しようと前のめりになっている。すでに戦争放棄の憲法解釈は変更され、実質的に9条は形無しになってしまった。

私は今の憲法を絶対に変えていけないとは思わない。時代の変化に合わせて変えていってもいいと思う。しかし今の自民党にはこれを変えて欲しくない。あからさまに政府の権限を強化し、個人の自由を制限する方向で改正案をつくり、また様々な問題で政治不信を招いている今の政府には、憲法を変えてほしくないのである。

平和憲法なんて「お花畑」だ、と考えている人は多い。だが、今の日本国憲法を作った人たちは、少なくとも戦争の惨禍を見てきた人たちだった。戦没者の墓も、今よりもずっと身近なものだった。それは、靖国神社に眠る「英霊」のような抽象的なものではなく、墓地に建てられた一つひとつのお墓だった。

私はこれらの院号墓は、歴とした「戦争遺産」であると思う。墓地整理した際に、これをあえて残した人たちは見識があった。しかし多くの地域で、戦没者の墓も整理されている現状がある。その多くが無縁仏となり、管理する人がいなくなったからである。

このまま平和憲法も、戦没者の墓のように片付けられてしまうのだろうか。私はそうならないことを祈る。終戦記念日には、靖国神社ではなく、地域の戦没者の墓地に行ってみてほしい。それがきっと、平和憲法を作った人たちが見ていた風景なのだ。

2023年4月7日金曜日

「政治」から遠ざかってしまった選挙

鹿児島県議会議員選挙である。

が、私の住む「南さつま選挙区」は前回に続き無投票である。投票に参加できないどころか、選挙そのものがないのは、民主制の前提を満たしていないと思う。

全国でも、今回の統一地方選挙では立候補者の4人に1人が無投票当選で、4割弱の選挙区で無投票だったそうである。もはや日本の半分近くの地域で、選挙という枠組みが機能していない。

この由々しい事態を受け、立候補者を増やすために「議員報酬を増やそう」「政治への関心を高めよう」といった動きが報道されている。

しかし鹿児島県議の議員報酬は決して安くなく、全国的に見たら平均程度の月額78万円だ。市町村議会議員の報酬はともかく、県議ともなれば地方の水準では十分な報酬になっている。

また政治への関心については、若い人を含め、少なくともここ30年では今が一番高いと思う。それは日々の暮らしが政治によって脅かされている実感があるからだ。少なくとも政治がどこか遠い世界の話だった時代とは違い、今では我々の懐にまで「政治」が手を伸ばしつつある。

であれば、県議選も多くの立候補者が犇めいていてもおかしくない。それなのに現実は、鹿児島の21選挙区中の7選挙区で立候補者が議員定数を越えなかったのだ。

なぜか。少なくともそれは「政治への関心の低さ」だけでは説明できないことは確かだ。無投票の選挙区に住む一人としてちょっと考えてみたい。

県議への立候補者が少ないのは、第1に、市町村合併の影響があるだろう。

県議というのは、市町村議員が目指す場合が多い。だが市町村合併によって自治体の数がかなり減って、当然に市町村議会の数が減ったため、市町村議員は激減した。

例えば南さつま市は1市4町が合併してできた市だが、旧町時代はそれぞれ20人くらい市議・町議がいたので、計100人程度議員がいたと思う。それが合併後には約20人になったわけだから、議員数は5分の1になったことになる。

このように、県議に立候補する可能性が高かった市町村議が減ったことが、県議の立候補者が少ないことの第一の理由であると私は思う。

第2に、市議から県議への鞍替えが減ったことが挙げられる。

平成の大合併の前は、鹿児島の場合は人口1万人程度の「町」が多かったように思う。このサイズだと、町議になるには200票くらい入ればいい。そしてこの時代は、集落の自治会長が町議に立候補するのが定番だった。200票というと、自分の所属する集落の人たちを中心に、知り合いが投票してくれれば当選できた数だ。

だからこの頃は、自治会長をやるような、人付き合いがマメで少し声が大きなオジサンが、町議に立候補するものだったのである。ついでに言えば、自治会長そのものが町議へのステップの一つと見なされていたので、町議を狙うような人が率先して自治会長を担ってくれていたという側面もあったと思う。

しかし市町村合併によって選挙区が広くなると、当選ラインは500~1000票程度へと上がった。都市部の人から考えると500票も十分少なく感じるだろうが、500票になると直接の知り合いだけでは集められない規模になる。どうしても不特定多数の人に訴えなくてはならない。そうなると、「人付き合いがマメで少し声が大きなオジサン」程度では市議にはなれない。そういうわけで、市町村議員になる人はかなり減った。

結果、市町村議も定数がギリギリ(無投票の時も散見される)であるから、市議から県議になろうとするインセンティブが今はない。市民としても、後援している人が市議から県議になろうとするのを応援しづらい。その人が鞍替えするせいで市議選が無投票になるかもしれないのだから。

第3に、今の若い人は従来の選挙のやり方に意義を感じてない、ということがある。だから若い人が立候補しない。従来型の選挙のやり方の定番は、「辻立ち」「選挙カー(街宣カー)」「電話作戦」「ガンバロー集会」といったもので、これらは今でも票集めの活動としてある程度有効だが、政治に関心を持つ若い人はこうした活動を行う気になれない。

「辻立ち」は選挙期間以外でも行われ、街頭で「みなさんおはようございます! いってらっしゃいませ」などと元気よく声をかける活動。これで道行く人からの支持が得られる可能性はわずかだが、後援会のメンバーにとっては「〇〇さんも頑張っているんだから、我々も応援しなくては」という気持ちになる重要な活動である。というか「辻立ち」を疎かにすると後援会から「最近〇〇さんは地域に目が向いていない」「天狗になっている」などと批判されることもしばしばだ。

「選挙カー」は選挙期間中のみ可能で、いわゆる「連呼行為」という名前などを繰り返すことのみが走行中に認められている。これは街の人にとっては迷惑以外の何物でもない。しかし特に田舎における選挙においては、「この辺りには選挙カーすら来ない」という声はよく聞かれる。田舎では、地域をせめて一回りするくらいのことはします、という意思表示として受け取られていると思う。ただし都会での意義はたぶんほぼない。

「電話作戦」は、選挙では戸別訪問が禁止されているため、電話で「〇〇さんへの投票をよろしくお願いします」と後援会メンバーが呼びかけるものである。しかし最近の若い人は電話という手段を好んでおらず、できれば出たくないものと考えている節がある。また「電話作戦」は政策を訴えるでもなく、ひたすらに人脈を頼りにするものであるから、人脈の形成途中である若い人にとっては不利である。

「ガンバロー集会」は、決起集会・個人演説会のことを、仮にこう呼んでみた。「ガンバロー!!」という掛け声が特徴的だからである。こうした集会は、今まで挙げたものの中では一番「政治」に近いかもしれない。集会の中では政策を訴えることも稀ではないからだ。しかし多くの「ガンバロー集会」は、「今回の選挙は厳しい戦いだ。一丸となって頑張ろう!」という掛け声のために行われる。候補者の側としては、そもそも集会に出ている時点で出席者を支持者だとみなしているから(だいたい正しい)、その場にいる人に政策を訴えることは必要ではないと思っている。「ガンバロー集会」の目的は、政策を訴えるためではなく、支持者を高揚させ、一体感を抱かせることだ。

これらの旧来型手法は全体として、後援会を中心とした支持者集団を強固にし、そこを起点として露出を増やす活動だと言える。その中では、政策を訴えるとか、現在の政治・行政を批判するといったことは、かえって支持を失う可能性がある行為として忌避される。

今回の鹿児島県議選で、原発の是非や馬毛島のような、政治的な問題について候補者がほぼ沈黙しているのもそのためだ。以前、元SPEEDのメンバーで自民党から参議院議員に立候補した今井絵理子さんが、選挙活動中に記者から「憲法や経済の話は?」と問われ、「今は選挙中なのでごめんなさい」と言ったのは象徴的だ。これは自民党の事情も大きいのだが、野党も含め、有権者の判断が分かれるような問題はできれば触れないでおこうとする傾向はある。

結局のところ、今の選挙は「政治」から遠ざかってしまっているのだ。選挙が政治的であることを避けようとしている、と言い換えてもいい。

私は先ほど「政治への関心については、若い人を含め、少なくともここ30年では今が一番高い」と書いた。政治的な関心が高い若い人を見ていると、一昔前の「人付き合いがマメで少し声が大きなオジサン」などよりずっと真面目に政治を考えている。しかしそういう人にとって、選挙は少々馬鹿馬鹿しく感じられる。政治的な主張をするでもなく、社会の向かうべき道を示すでもなく、支持者との一体感の中で露出競走をするのが今の選挙運動だと。

もちろん彼らとて、いかに選挙が気乗りしないものに感じられようとも、いざとなれば選挙に出るには違いない。そして現実には、多くの人に動いてもらわなければならない選挙運動には、主義主張以前の部分に「政治」があり、はたから見るほど無意味ではないのだ。

しかしいざ彼らが立候補しようと思っても、彼らの考える「政治的な選挙運動」には、まだ多くの人がついてきていないのも現実だ。

例えば、インターネットを使った政治的主張、候補者同士の政策討論会、「ガンバロー!」ではない個人演説会、既存の政党の枠組みとは違う政治活動のやり方、後援会中心ではない選挙運動、といったことが彼らのやりたいことだろうが、実際にそれをやっても、不特定多数の支持が集まるのかどうか、今のところちょっとわからない。やはり「どぶ板」が強い可能性は高い。

ところで、選挙が「政治」から遠ざかったといっても、それは何も今に始まったことではない。少なくとも戦後はそんな感じが続いてきた。

だが、この20年ほどで、政治家に求められる役割はかつてとは違ってきた。かつての市町村議員・県議の役割は、上(国や県)から流れてくる予算の配分を行うことだった。特に高度経済成長期以降は、予算が有り余っている時期があり、そのお金を地域にうまく配分するのが「政治家」の役割だった。

そのために必要な資質が、マメな人付き合いや、分断をつくらないための曖昧な態度であったと言えるかもしれない。そして政治家本人よりも「後援会」の方に活動の本体があり、「神輿は軽い方がいい」と俗にいうとおり、個人の政治的主張よりも、お金の分配を求める地域の総意を代弁することが「政治家」に期待されていた。

もちろん、例えばダム建設予定地となって反対運動が起こったような場所では、こういうわけにはいかず、利害関係の対立を解消する、本来の意味での政治が繰り広げられた。しかし日本の大部分の地方では、そのような先鋭的な政治的対立はおこらず、上から流れてくるお金を大過なく分配しているだけで、それなりに発展してきたのである。

だが周知のとおり、そういうフェーズは過去のものとなった。今の日本は、政治的な問題に向き合わずにはいられない。これからの政治家は、お金を分配するのではなく、負担を分配するという、ややこしい仕事をしなくてはならない。

だから、真面目に政治を考えている若者に選挙に出てもらう他ない。そのために私たちができることは何だろうか?

少なくとも今回の県議選では、少しでも「政治」を語っている候補者に一票を入れることだろう。「政治」から遠ざかった選挙に、もう一度「政治」を取り戻さなくてはならない。

どこかの新聞に書いてあった。今は政治への関心は高いが、不信もまた根深いと。政治への不信があるからこそ、選挙では政治が避けられる。だがいつまでも政治を避けて通っていては、日本社会が変わっていくことはできない。

選挙がもっとまじめに「政治」に向き合うものとなれば、きっと多くの若い人が立候補するのではないかと、私は期待している。

2023年4月4日火曜日

過疎で高齢化しているが、子だくさんの町=大浦町から少子化対策を考える

私の住む南さつま市大浦町は、人口1600人の過疎の町である。

1600人というと、町というよりは村かもしれない。(合併後は、南さつま市の大字(おおあざ)として「大浦町」が設定されているのでそもそも自治体ではないが。)

大浦町の人口減少は甚だしく、平成17年(2005)に2678人だった人口が、15年後の令和2年(2020)には1674人にまで減ってしまった。その減少率は37%。そして令和5年(2023)3月末時点で人口がちょうど1600人になった。

当然に子どもの数は少なく、うちの集落では、我が子が最後の小学生になる見込みである。

このまま大浦町は消滅する運命なのだろうか?

遠くない将来、そうなるのかもしれない。しかし、ここに一つだけ明るいデータがある。

ここに掲載したのは、2020年の国勢調査データから作成した大浦町の人口ピラミッドだ。65~70歳くらいにピークがあり、かなり高齢化した様子がうかがえるが、実は子どもの数は、若い女性の数に比べてそんなに少なくはない。というより、結構多い。

実際、うちの子の同級生には、4人きょうだいが珍しくない。例えば、小5の娘の同級生はたった7人しかいないが、そのうち4人きょうだいなのが2人もいる(ちなみに3人きょうだいも2人)。「過疎の町」というイメージからは意外だろうが、大浦町はそれぞれの女性に注目すれば、たくさんの子どもが生まれる町なのである(ただその母数となる女性の数が少ないので、出生数は少ない)。

とはいっても印象だけで語るのは少し危ういので、ちょっとデータを出してみる。

これは、先ほどと同じく2020年の国勢調査から日本の人口ピラミッドを作成し、比較のために大浦町の人口ピラミッドと並べたものである。

左(日本全体)の横軸1目盛りは10万人、右(大浦町)の横軸1目盛りは1人である。

これを見てみると、日本全体では40歳以下の世代は減り続けているが、大浦町では10~14歳に小さいながらもピークがあり、単調な減少ではないことがわかる。

15~19歳でいきなりガクンと減るのはなぜかというと、大浦町には自宅から通える場所に大学や専門学校がなく、進学のためには必ず町外に出るからである。ついでに言うと就職もほとんどが町外になる。

さらに、数値でも比べてみよう。本当は大浦町の合計特殊出生率を算出できればよいが、合計特殊出生率の算出にはややこしい計算が必要なので、ざっくりとした数字を出してみたい。

具体的には、「20~49歳の女性の数」を、「0~14歳の子どもの数」で割ることとする。大浦町の場合は、「20~49歳の女性の数」が140人、そして「0~14歳の子どもの数」が123人なので、この値は0.88になる。子どもを産む年代の女性一人につき、0.88人の子どもが誕生している、ということだ。仮にこの値を「出生率もどき」と呼ぶことにする。

同様に日本全体で「出生率もどき」を求めてみると、0.70になる。ちなみに、これは合計特殊出生率1.33(2020年度)よりずいぶん低いように見えるが、合計特殊出生率とは、女性が15~49歳の間に産む子どもの合計数であるため、これから生まれる子どもを計算に入れなくてはならないからだ(なお「出生率もどき」に1.91を掛けると合計特殊出生率を近似的に計算できる)。

さて、「出生率もどき」で比べてみると、大浦町は日本の平均よりもずっと子どもが生まれている町だということになる。次に、どのくらいこの数値が高いのかを理解するため、都道府県別にこの数値を出し、ランキングにしてみた。



最高は沖縄県の0.93で、鹿児島県は2位の0.86。大浦町の0.88はこの間に位置し、全国的に見てかなり高い。最低は東京都の0.54。東京は大浦町よりもずっと子どもが生まれない街である。

ここまでデータがあれば、「大浦町は過疎で高齢化しているが、子だくさんの町でもある」ということは言い切ってよいだろう。

では、どうして大浦町は子だくさんの町なのだろうか。 

ここからの考察はデータに基づいたものではないが、4点それらしき理由が挙げられる。

第1に、結婚の年齢が早いことである。これは大浦町だけでなく、鹿児島の田舎に共通して言える。私が22歳で大学を卒業した時、小中学校の同級生(男)はすでに2回結婚して2回離婚していた。しかもそれぞれのパートナーとの間に子どもがあった。田舎では人生がずいぶん早く進む。

それは、大学進学率が低いことが影響している。特に鹿児島は女性の大学進学率が全国最低レベルに低い。要は大学に行かないから結婚が早い。また、田舎の場合はアウトドアとパチンコ以外の娯楽はあまりなく、男女の営みくらいしかやることがないという事情もありそうである(極論)。

第2に、大学進学率が低いために子どもの教育費を心配しなくてもよく、多産になる傾向があるということである。例えば4人きょうだいで全員が大学進学するとすれば、国公立大学のみであったとしてもその学費は総額1000万円を軽く超える。こうなるとなかなか多産はできないというのが一般的だ。

大浦町でも、子どもが大学に行きたいといえば行かせるのが普通だし、行くとなれば絶対に自宅からは通えないので、都会に住んでいる人よりも学費・生活費は高くつく。それでも、「子どもを全員大学まで行かせられるかどうか心配だ」との声はあまり聞かない。これは「大学は全員行くものではない」という楽観(?)に支えられていると思う。 

第3に、単純に家が広いということがある。といっても、大浦町はあまり経済的に豊かな地域ではなく、立派で大きな家はむしろ少ない。しかし土地は本当に安い。家を新築するときは、土地の値段はほとんど無視できる。だからすごく大きな家が多いわけではないが、都会に比べたら家はゆったりしている。つまり多産するのに住居が制約になりにくい。

第4に、これが一番大きいが、実家・義実家が近くにあり、子育ての手助けを得やすいということである。大浦町の住民は、ほとんどが元からの地元民である。だから実家・義実家が近い。しかも、これは南薩地区の特徴なのかもしれないが、両親同居の割合が低い。

というのは、このあたりでは伝統的に、子どもが結婚すると老夫婦は三畳一間ほどの「隠居小屋」を建てて敷地内別居していた。今では「隠居小屋」の風習は廃れたが親子別居の慣習は残り、核家族化したのである。

結果的に、大浦町では若い夫婦は実家の近くに別に住んでいるのが普通になった。これは二世帯同居よりも子作りの面では有利であるし、何やかやと実家・義実家の手伝いを得られるという、子育てには最高の環境である。習い事の送り迎えや、学校のない日の昼食(特に夏休み中)など、実家・義実家に頼れることはすごく助かる。逆に、例えば4人きょうだいでそれぞれに習い事があるような場合は、実家・義実家の送迎能力なしでは立ちゆかない。

以上4点が、私が考える大浦町が子だくさんな理由である。

それから、念のために付言するが、大浦町では女性への子どもを産むプレッシャーが大きいということは、(私の見るかぎりでは)ないと思う。大浦町はド田舎で遅れた地域であることは確かだ。だから「ここは男尊女卑で、女性の人権は無視されてて、子どもを産むのがプレッシャーだから多産なのだろう」と考える人もいるかもしれない。

しかし大浦町が九州の平均くらいに男尊女卑であることは否定しないが、ひどく男尊女卑であるとは思わない。むしろ男女が対等である場面も、都市部よりも多いくらいだ。それは大浦町が純農村地帯であり、高度経済成長期を含めずっと貧しかったからで、ここでは「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」という図式がついに一般的にならなかった。共に働くことが当たり前で、妻が夫に経済的に従属していなかったから、ひどい男尊女卑にならなかったのだと思われる。

さて、上述の4つの理由を眺めてみると、第3の「家が広い」は別として、残りは全ていわゆる「遅れた社会」の特徴を形成しているものばかりだと気付く。結婚の早さ、大学進学率の低さ、人の移動の少なさ(実家と近い)といったものだ。そもそも「遅れた社会」は、大抵は高い出生率を伴っていた。だから「遅れた社会」の特徴を色濃く残した大浦町が、子だくさんなのは当たり前なのかもしれない。

ところで、今、岸田政権は「異次元の少子化対策」を行うこととしているらしい。それはいいことだが、大浦町の子だくさん事情を踏まえれば、この話題について財政支出だけが議論の焦点になっているのはちょっと不安だ。

もちろん、子育て支援には大規模な財政支出が必要だ。なぜなら、原子的個人に分断された「近代社会」においては、地域の相互互助や実家等からの手伝いなどは得られない以上、お金しか頼るものがないからである。

しかし、過疎地の大浦町が子だくさんの地域でもありえるのは、お金の問題ではないことは縷々説明したとおりである。それにお金が少子化を解決するなら、全国で一番平均所得が高い東京は一番子だくさんでなければならないが、現実には東京が一番出生率が低いのである。少子化対策には財政支出も必要であるが、社会の仕組みまで含めていろいろ変えて行かなくてはならない。

例えば、大浦町の事情から導き出されることだけでも、(1)学歴を諦めなくても早く結婚出来、(2)結婚・出産がキャリア形成に影響しないようにすることや、(3)高等教育の低額化や給付型奨学金の拡充、ついでに(4)子育て世代への住宅事情の改善などが考えられる。

逆説的だが、「遅れた社会」である大浦町から見ることで、かえって改善すべきことが明確になる気がするのだ。

それというのも、かつて日本中のどこにでもあった「遅れた社会」は、実は人間が生きていくのにちょうどよい間尺にデザインされたものだったからだ。もちろんその社会に生きていた全ての人が幸せだったとは思わない。自分の希望した生き方ができなかったり、差別があったり、貧困に苦しんだりした人は多かった。「遅れた社会」のままでよかった、とは思わない。だがその社会では、子どもを5人も6人も育てるような、今から考えると大変なことを、なんでもないことであるかのように普通にこなしていたのである。

一方、「進んだ社会」は、人間が生きていくためにデザインされたものではなかった。例えば「転勤族」というライフスタイルは、生活に相当犠牲が出るものだ。ギュウギュウに詰め込まれた満員電車に乗って通勤することだけでも、負担は大きい。どんな「お客様」にもマニュアル通りに笑顔で接客しなければならないことは、ほとんど非人間的だと私は思う。それが「働く」の当たり前だとしたら、それがおかしいのだ。生きるためではなくて、働くため、もっといえば「労働者を働かせる」ためにデザインされたのが、「進んだ社会」の一側面だったのではないか。

私は、高学歴化とか、女性の社会進出の進展、価値観の多様化、人の流動性の向上、ジェンダー平等といった「進んだ社会」のあり方は、基本的によいものだと思っている。そして、これは子どもを産んだり子育てしたりする上でもよいもののはずだ。出生率にはマイナスの影響を及ぼす「女性の社会進出の進展」だって、ある程度女性が働くのが当たり前になるとむしろ出生率がプラスに転じることは世界の国々が立証している。

それでも、日本以外の多くの先進国でも少子化が問題になっているのだから、「進んだ社会」は少子化を宿命づけられているのかもしれない。人を働かせることばかりに熱心で、人が生きることには冷淡なのが「進んだ社会」だとしたら、そうだろう。

だから少子化対策は、「進んだ社会」を「より進んだ社会」に変えていくことでなければならない。人々が、社会の駒としてではなく、自然体で、自分の幸福のために生きていくことができる社会にすることが、真の少子化対策になると私は信じる。

「異次元の少子化対策」が、まさか大浦町のような「遅れた社会」に逆戻りさせるということではないのを祈っている。

2023年3月19日日曜日

公立高校の合格発表からのスケジュールがキツキツな問題について

鹿児島では、3月16日に公立高校の合否発表があった。うちでは受験生はいないが、これに関してちょっと思うことがあるので書いておきたい。

さて、鹿児島県での公立高校の合格発表がどのように行われるか知らない人向けに、最初に流れを書いておく。

1.公立高校の合格発表の前日に中学校の卒業式がある。
2.発表当日、受験生とその親(保護者)は自宅で待機する。不合格の場合、中学校の先生から午前中に電話で連絡がある。(合格の場合は電話はない)
3.不合格の場合、その日のうちに三者面談が行われて今後どうするか決める(私立高校に2校受かっている場合はどちらに行くか決めるなど。場合によっては浪人する)。
4.合格の場合、保護者とともに後日(通常翌日)行われる入学説明会に出て手続きを行う。

私はこの合格発表とその後の手続きの流れは、とにかく時間の余裕がなさ過ぎてよくないと思う。

ハッキリ言えば、「1週間、合格発表の日程を前倒しすることもできるでしょ!」と思う(卒業式も1週間早めたらよい。この時期の授業はどうせ形ばかりのもののことが多いし)。公立高校入試の日程に先んじて私立高校の入試が順次行われるので、単に1週間ずらすのは難しいかもしれない。それでも入試日程全体を1週間前倒しにするのは不可能ではないだろう。

なぜ1週間前倒しした方がいいかというと、合格発表から入学までの準備期間が少なく、手続きがすごく忙しいのである。例えば、公立高校合格の場合、普通は発表翌日に入学説明会があり、その日の午後に制服の採寸が行われる。鹿児島市内の高校の場合は山形屋などが会場になり何日間かかけて採寸する。これ自体慌ただしいが、制服を納品する方はもっと慌ただしいと思う。見込で製造しているだろうから、採寸してイチから造るわけではないと思うがそれにしても入学式前に間に合わせるのは綱渡り的だと思う。

それはともかく、逆に公立高校が不合格だった場合は、私立高校への入学金の振込があり、やはり入学説明会出席、制服採寸…となる。入学式までの短い間に手続きが詰め込まれているのだ。合格発表の翌日に入学説明会を行うという強行日程になっているのも、とにかく大急ぎであらゆる手続きをする必要があるためだ。

それでも、まだ親が専業主婦・主夫などで時間の融通がきく場合はいい。しかし共働きの場合は、少なくとも合格発表の日と、入学説明会の日の2日は保護者が休みを取る必要がある(卒業式も含めれば3日になる)。これは鹿児島では必要な休みとみなされているため、この休みに難色を示す職場は少ないと思われるが、それでも近接して2、3日休みを取るのは気が引ける。

さらに大変なのは保護者も人事異動で引っ越す場合である(単身赴任などで)。特に県職員(教職員含む)の場合は人事異動の告示が合格発表の数日後となっている。こうなると、子どもの入学手続き一切をしつつ、引っ越しの手配と準備に追われることになる。スケジュール帳は毎日To Doで埋め尽くされ、一つでも用事がバッティングすると調整が大変だ。

もし、合格発表の日程が1週間早まって、諸手続に数日間の余裕ができれば、保護者の負担はかなり軽減されはずだ。しかもそれは多くの県立高校にとってそれほど困難なことではない。特に鹿児島市以外の高校の場合、受験者数があまり多くないから、実際の採点は数日で終わっている(らしい)。入試の日程をずらさなくても、合格発表の日を前倒しにするのは容易なことだ。

では、なぜその容易なことができないのか。一番大きい理由は、これが人生で何度もあることではないから、保護者からの「日程がきつすぎる!」との声があんまり大きくないためだ。でもそれにしても、こういうキツキツの日程で苦労している人は結構多いのだ。そして学校側も、そういう事情は十分に理解していると思われる。なぜなら、高校の教職員にもわが子の高校入試を経験している人は多いからだ。

それなのに、こういう無理なスケジュールがいつまでもまかり通っているのは何故か。

結局のところ、それは県教育委員会(事務局)に人の心がないからだ、と私は思う。人の心があれば、「こういうスケジュールを組んだら苦労する人がいるだろうな」と思うだろうし、そう思えば少しでも楽できるように工夫するだろう。合格発表の日程だけでなく、教職員の人事異動も次年度の直前まで勤務地が明らかにされないことは多い。それどころか非常勤の場合は新年度3日前まで雇用が継続されるのか自体が不確定だったりする。こういうのも人の心があれば到底できないことだろう。

「人の心がない」なんて大げさな言い方かもしれない。だが少なくとも、現状のやり方を見る限り、県教委は、末端の人々の負担については気にも留めていないことは確かだ。気安く仕事を休めるような人、時間の自由がきくような人には別に問題なくても、休みが自由にとれない人、やるべきことで追われているような人にとって、合格発表の日程はほとんど「試練」なのだ。こういう弱い立場の人々に寄り添わないで、何が教育行政か、と思う。

鹿児島県の教育行政の筆頭に掲げられているのが、「お互いの人格を尊重し、豊かな心と健やかな体を育む教育の推進」である。であれば、合格発表からの手続きで忙殺される人の人格も尊重してしかるべきだ。

もちろん、教育行政には早急に取り組むべきもっと重要な課題は多い。しかしこういうところを変えようとする姿勢を見せることそのものが、未だに遅れた社会の仕組みが温存されている鹿児島に生きる若者に対する、最良の教育になるのではないかと思っている。

2023年3月17日金曜日

パブコメは事実上黙殺。鹿児島県公文書管理条例の最大の問題は…

今度の鹿児島県議会で「鹿児島県公文書管理条例」が制定された。

このブログでは昨年10月、この条例の骨子案のパブリックコメント(パブコメ)が行われたときに記事を書いた。

【参考】「鹿児島県公文書等管理条例(仮称)」に熱意はあるのか?(意見募集中)
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2022/10/blog-post_27.html

この記事では、この骨子案に「公文書館」の設置が含まれていないこと、「県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図る」ことを条例制定の趣旨としているにもかかわらず骨子案の政策形成過程が一切説明されていないこと、これまでの公文書管理に対する課題や反省が見られないことなどを指摘した。

この骨子案は素人の私が問題を感じるくらいだったので、専門家から見ると不足な点が多かったらしく、このパブコメには複数の専門家から厳しい意見が寄せられた。

なんでそんなことを知っているのかというと、私がいつもお世話になっている九大名誉教授の折田悦郎先生(川辺在住)が、本件について積極的に情報収集していて、折田先生の知る範囲での専門家の意見提出状況について教えてくださったのである。

ともかく、私が言っているだけではなく、この骨子案は専門家から見て不十分なものだったのは間違いない。では、この度の県議会に提出された「鹿児島県公文書管理条例」には、パブコメの意見がどのように反映されているのか?

【参考】鹿児島県公文書管理条例(鹿児島県公文書等の管理に関する条例)
https://www.pref.kagoshima.jp/ha01/gikai/teireikai/tyokkinn/r5_1kai/documents/104285_20230215113503-1.pdf

条例案を見たところ、少なくとも私の出した意見は反映されていない。そして専門家から提出された意見も、ほとんど容れられていないことは確実だ。なぜなら内容が基本的に骨子案から変更されていないからである。

はっきり言って、これではパブコメは黙殺されたに等しい。私の知る限り、専門家から出た意見は、至極まっとうで拒否する理由を考えるのが難しいようなものばかりだ。にも拘わらず県はそれをほとんど採用しなかった。なぜか。それはあのパブコメが形ばかりのもので、最初から県民の意見を聞く気はなかったからだろう。

そして、パブコメの結果を公表しないままに今回の県議会へ条例案を提出したのが一番失望した点である。本来なら、パブコメの結果をもって県議会への条例案提出に至るはずだ。県議としても、どのような意見が寄せられたかを知ることは審議にあたって重要な情報のはずである。ところが、パブコメで寄せられた意見が黙殺されただけでなく、それが県議会での審議にも生かされないまま、採決が行われてしまった。これでは何のためのパブコメだったのかと思わざるを得ない。

とはいえ、県としては次のような言い訳があるかもしれない。鹿児島県のパブリック・コメント制度では、「提出された意見の概要、提出された意見に対する県の考え方」を「計画等の決定後」に公表する、となっているのだから、条例が公布されてからパブコメ結果を公表するのが当然なのだ、と。

【参考】鹿児島県パブリック・コメント制度の概要
https://www.pref.kagoshima.jp/ab02/kohokocho/public/gaiyo/gaiyouindex.html

しかしそれは、パブコメにかけたものを議会に提出することを想定していない規定であり、その本質は「パブコメの結果を公表し、意見を不採用とした場合はその理由を説明すること」だと思う。本来なら県議会に条例案を提出するにあたって、「提出された意見の概要、提出された意見に対する県の考え方」が公表されることが至当だろう。

それはともかく、県が公文書管理条例に対するパブコメ結果を軽視したことだけは間違いない。パブコメで寄せられた意見を仮に全く受け入れなかったとしても、「これこれこういうわけでご意見は採用できませんでした」という説明が公表され、その上で県議会に条例案が提出されればずいぶんと印象は違ったと思う。それだったら、少なくともちゃんと言葉のキャッチボールが成立しているからだ。

今回はそういうやり取り自体が成立しなかった。これは意見が通らなかった以前の問題だ。鹿児島県は、「県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図る」つもりは本当にあるのだろうか。

そもそも、この条例の制定目的は第1条にこう書いてある。「(前略)県の有するその諸活動を現在及び将来の県民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。」だそうだ。だが、パブコメで提出された意見への対応すらマトモに説明しようともしないのに、将来の県民に説明する気があるようにはとても思えない。

私はパブコメの際には、この条例案の最大の問題は「公文書館」の設置が規定されていないことだと認識していた。しかし今は、「県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図る」とか「現在及び将来の県民に説明する責務が全うされるように」とか言葉では謳いながら、それをちっともやる気のない人が制定していることが最大の問題だと思えてならない。

鹿児島県庁には、県民との意思疎通を図りながら政策形成を行うという当然のことが行われる場所になってもらいたい。

【参考】徹底解説!公文書管理条例の意義と課題は?|NHK 鹿児島 WEB NEWS
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20230316/5050022348.html

2023年1月31日火曜日

読み聞かせ10年

毎晩の「読み聞かせ」をして10年以上になる。

しかし、下の子ももうすぐ小学校5年生。そろそろ「読み聞かせ」の終わりが見えてきた。

ここ何年かは、絵本ではなくて児童書の読み聞かせを行っている。世の中には、絵本の読み聞かせについての記事はいくらでもあり、おすすめの絵本の情報も氾濫しているが、児童書の読み聞かせについての記事は見たことがない。

そこで、誰かの参考になるとも思えないが、私が読み聞かせをしてきた本、特に児童書(絵本でない、字が中心の子どもの本)についてまとめてみたい。

さて、下の子が初めて絵本に興味を持ったのが、当時流行っていた「妖怪ウォッチ」の『オラ コマさんズラ』という絵本。毎晩、こればかり読んでいた。しかも何回も!

いろいろ名作絵本を読み聞かせしてはいたのに、こういう商業的なキャラクター絵本に惹かれるとは、子どもは思い通りにいかないものである。私も内心、「こんな下らない本じゃなくて、もっといい本に興味を持ってくれないかなあ」と思っていた。しかし、読み聞かせはあくまでも子どものためにやるものだ。名作だとか内容がいいとか関係なく、子どもがもう一度聞きたいと思う本を読んだらいいと思う。親にとっては苦痛もあるが、子どもはどんどん成長するのでほんの一時のことである。

実際、娘が『オラ コマさんズラ』に熱中していたのもふた月くらいのものではなかろうか。その後は普通の絵本を読むようになった。うちは「童話館ぶっくくらぶ」という毎月絵本が送られてくるサービスを使っていたので、基本的にはその定期便の絵本を読みつつ、親が気に入った絵本を追加するような感じで選書していた。

【参考】絵本の定期便 親と子の童話館ぶっくくらぶ
https://douwakan.co.jp/bookclub/

だが、先述の通り、オススメ絵本についてはいくらでも情報があるのでそれらの絵本についての話は全て割愛する。

そして、下の子の場合は割合早く(卒園くらいのタイミング)に絵のない児童書へ移行した。というのは、その時は親が気づいていなかったのだが、下の子は生まれつき遠視であまり絵本の絵が見えていなかったらしい(小学校に入って教科書の文字が読めない、ということで気づいた!)。もちろんお姉ちゃんのために児童書を読み聞かせしていた事情もあるが、遠視のため絵のない本の方がかえってわかりやすかったのだろうと今になってみると思う(悪いことをした…)。

児童書として最初に読み聞かせたのが、おざわとしお再話『日本の昔話 全5巻』(福音館書店)。

これは、日本各地に残る代表的な昔話を301話選び、脚色や文学的修辞を加えない原型のまま、シンプルでクリアーな(=子どもが聞いてわかる)現代の標準語によって表現(=再話)したものである。

再話者のおざわとしお(=小澤俊夫)さんは独文学者でグリム童話の専門家であり、日本各地で「昔話大学」を主宰してきた、まさに昔話の第一人者。読み聞かせをする日本の昔話の大系としては決定版的な存在だ。

これを毎晩、1~2話ずつ読んだ。全部で301話なので、1年弱で全5巻が読み終わる。これを2周半くらいしたと思う。日本の昔話なんて退屈だ、と思う人もいるかもしれないが、長い間、多くの人に語り継がれてきただけあって読み飽きるということはなく、特にこのシリーズは日本語の表現が非常に素直で、読んでいて気持ちがいい。これまで様々な絵本・児童書を読んできたが、言葉でひっかからない、ということにかけてはこれが一番である。

こうして日本の昔話に親しんでみると、今度は世界の昔話に興味が出てくる。そこで読んでみたのが矢崎源九郎編『子どもに聞かせる 世界の民話』。日本の昔話に親しんだ後で世界の昔話を読んでみると、一気に多様性が広がってとても面白かった。また、この本の日本語も読みやすく「子どもに聞かせる」と銘打っているだけはある。

なお、児童書の読み聞かせは「耳で聞いてわかる」ということが一番大事で、文学的な表現が使われていると急に理解度が下がる。かといって、「子どもは説明しないとわからないから」と思って説明的すぎるのもよくない。子どもは雰囲気で理解していくので説明するのは下策である。よい児童書は、飾らない素直な日本語で書いてあると思う。

さて、『子どもに聞かせる 世界の民話』は面白かったが、各地域の代表的な話だけでは少し物足りなかった。日本の昔話だって非常に多様であり、各国の昔話をもう少しいろいろ知りたくなってきた。

そこで手に取ったのが、「世界民話の旅」シリーズである。

これは『ギリシア・ペルシアの民話』『ドイツ・北欧の民話』『インド・南方アジアの民話』といった感じで、国よりは大きな広がりで世界の民話をまとめたものである。小澤俊夫さんがまとめた「世界の民話」(ぎょうせい)というシリーズもあるが、これは国ごとにまとめていて全部で30巻以上あるからとてもじゃないが読み聞かせはできない。ちょうどよい分量で読み聞かせられるのがこのシリーズである(でも絶版で入手が困難なのが難点)。

このシリーズの中で一番面白かったのが『ギリシア・ペルシアの民話』に収録された豪傑ロスタムの話!  フェルドウースィー『王書(シャー・ナーメ)』と言えば高校の世界史で習った人も多いだろうが、豪傑ロスタムの話がまさにこの『王書』なのである。もちろん子ども向けに簡略化されているところも多いものの、話の原型はかなりの程度保っている(岩波文庫版の『王書』と比べた)。

豪傑ロスタムの話といえば、本国イランでは誰しもいくらかは暗誦でき、お気に入りの場面があるほどの国民的口誦文学だそうだ。私もすっかりロスタムのファンになってしまった。日本では、桃太郎とか金太郎のような誰でも知る昔話の主人公はいても、こういう大叙事詩に謳われた国民的英雄はいない。

次に面白かったのが、インドネシアの昔話「カンチルの冒険」。これもいくつもの話がまとまったもので、福音館書店から『まめじかカンチルの冒険』として出版されている。マメジカとは、体重2キロくらいしかない偶蹄目の仲間だそうだ。この小さくか弱い鹿のカンチルが、持ち前の知恵と勇気で困難を乗り越えていく。しかも「弱いものが強いものを倒す」という一寸法師式のお話ばかりではなく、最後の方ではカンチルが自分のうぬぼれに気づくなど、長い話ならではの深みがある。どうやら私は長い話を何日もかけて読み聞かせするのが好きらしい。

なおこのシリーズは図書館の除籍本で手に入れたが、『中国・東南アジアの民話』『ソ連・東欧の民話』が手に入らなかったのが残念である。

こうして、昔話や伝説の読み聞かせを相当行ったのだが、実はグリム童話がまだ手つかずだった。そこで、同じく図書館の除籍本で手に入れていた「岩波 世界児童文学集」(の一部)を読み聞かせることにした。

グリム童話については、先述の小澤俊夫さんの専門なので「語るためのグリム童話 全7巻」という非常によいシリーズがある。しかしグリム童話だけで全7巻の読み聞かせをするのはさすがに骨が折れると感じ、「岩波 世界児童文学集」に入っていた相良守峰訳『グリム童話選』を読み聞かせた(これも図書館の除籍本)。

このシリーズで他に読んだのは、大畑末吉訳『アンデルセン童話選』、サカリアス・トペリウス作・永沢まき訳『星のひとみ』、イタロ・カルヴィーノ作・河島英昭訳『みどりの小鳥—イタリア民話選—』だったかと思う。

『アンデルセン童話選』『星のひとみ』は創作童話。昔話と創作童話では読み聞かせの調子がかなり違うと思う。読み聞かせには昔話が適していて、創作童話は子どもが自分で読むのがいいかもしれない。

ちなみに『星のひとみ』の作者トペリウスはフィンランドの作家であるが、この人はヘルシンキ大学の学長も務めた学者でもある。学長職を退いた後に子どものための物語を書くことに専心して、できあがったのが「トペリウス童話」である。トペリウス童話は日本ではあまり知られていないが結構面白い。

『みどりの小鳥』は、現代文学で有名なカルヴィーノが編纂したもの。「ドイツのグリム童話に匹敵するイタリアの民話集」をつくるため、すでに『まっぷたつの子爵』などを発表して新進の作家であったカルヴィーノに出版社から白羽の矢が立ったのだ。カルヴィーノは他の一切の作家活動を中止して2年間この仕事に没頭し、出来上がったのが200話からなる『イタリア民話集』。これは第二次世界大戦の敗戦後における、イタリアのアイデンティティを見直す運動の一つとして位置づけられる。『みどりの小鳥』はこれから34話を選んだものである。

この「岩波 世界児童文学集」は大人が読んでも面白い、というか大人こそ読んで面白い本もたくさん入っているので子どものためでなく自分用に手に入れるのもオススメである。

私も「世界民話の旅」を読んでいたころから、「読み聞かせはあくまでも子どものためにやるものだ」という原則はどこかへ飛んでいき、いつしか自分自身が面白いから読み聞かせをするようになっていた。

そして、童話だけではなく、科学的な読み物にもトライしたいと感じ、「科学発見シリーズ」を手に取った。

これは、日本ではSF作家として有名な科学作家アイザック・アシモフが子ども向けに書いたもの。原題の直訳は「…はいかにして発見されたか」で、科学の世界の重要な事項について、その発見の過程を描いた、いわば児童向け科学史のシリーズである。

実はこのシリーズは私の小学生の時の蔵書だ。でも自分が小学生の時は全20冊中3分の1くらいしか読めなかったと思う。小学生が自分で読むのはちょっと難しいシリーズかもしれない。しかし今回は読み聞かせなので全20巻を読破した。

40年前の本なので、さすがに古くなっているところがあるが(特に『恐竜ってなに?』は物足りない)、これは科学そのものではなく「科学史」を語るものなので普遍的な価値がある。そして科学にあまり関心がなくても、人間ドラマとして面白い。

ところで、最近の児童書では科学の本はあまり重厚なものが見当たらない。面白い図鑑や雑学的なもの(例えば『ざんねんないきもの事典』のような)はたくさんあるが、科学の基礎を体系的に取り上げたものは皆無といっていい。科学をテーマにした子どもの本として「たくさんのふしぎ傑作選」は優れたシリーズだが(これは絵本)、これも単発的な作品の集成だ。

科学の世界へのよい導入となるような、体系的な児童書、例えば「科学のアルバム」(天文・地学編、植物編、虫編、動物・鳥編などがある)とか、「カラー自然シリーズ」のような優れたシリーズを、今の時代にもつくってもらいたいものである。

【参考】科学のアルバム
http://bookage.main.jp/album.htm

というわけで、読み聞かせについては一般的な親より多く読んできた。でもその経験から言っても、読み聞かせをすると頭がよくなるとか、物知りになるとか、本を読むようになるとか、勉強が好きになるとか、そういうのはちょっとはあるとしても、たぶんあんまり関係ないと思う。そういうことを期待するのではなく、純粋に親子の楽しみとしてするのが一番だ。

私自身、読み聞かせを通じていろんな世界を知ることができた。10年以上続いてきた習慣なので、もうずっと続けたいくらいだが、子どもが大きくなったら読み聞かせはできない(実際、中学生の娘に読み聞かせをする…というのはナシだ)。わが子に読み聞かせできるのは思いのほか短い間なのだ。

残り少ない読み聞かせの時間を楽しみたい。


2023年1月25日水曜日

鹿児島県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか

ボロクソに否定した会議のメンバーに。「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」という記事でお知らせしたように、私は鹿児島県文化協会の「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」に参加している。これまでに2回会合があった。

その会合では、鹿児島県文化協会を今後どうしていくか、どうあるべきかということを話し合うのだが、多くの委員から「そもそも鹿児島県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか」という発言があった。

これはなかなか特徴的なことで、その構成員自らが「我々って本当に必要なの?」と疑義を突き付ける組織はそうそうない。

しかしこうした問いかけがあるたびに、「やっぱり必要だよね」という論調に返っていくのもこの会議の特徴かもしれない。その理由は「交流や連携のためには広域組織が必要だから」と集約できる。しかし本当にそうなんだろうか。私が文化協会のメンバーではないからか、どうもここが腑に落ちない。

以下、前回の記事と重なる点もあるが改めて考えてみたい。

まず、市町村の文化協会(以下これを「単位文化協会」と呼ぶことにする)は、そもそも何のためにあるのかというと、最大の存在理由は地域の「文化祭」の開催である。

例えば、南さつま市の加世田では「加世田地域文化祭」が文化の日付近に開催される。単位文化協会の構成メンバーは、短歌の会、演劇団体、コーラスグループ、お茶やお花のグループ、伝統芸能継承グループ、日本舞踊の会などなどであるが、こうしたグループは単独での発表会を行って多くの観客を集めるのは難しいため、合同発表会として「文化祭」を開催するのである。

しかしここでポイントなのは、この「文化祭」は必ずしも単位文化協会の構成メンバーのみが出演するのではない、ということだ。例えば「加世田地域文化祭」では、地域の高校の書道部や吹奏楽部も出演する。また本部は地域外にある文化団体でも、参加を希望すればそれが受け入れられることが普通だ。単位文化協会は「文化祭」の実行委員会である、と考えたらいいかもしれない。

こうした単位文化協会が集まってできているのが、鹿児島県文化協会である。ただしここでも一つ注意が必要である。鹿児島県の各市町村に単位文化協会があるが、鹿児島市には単位文化協会は存在しない、ということだ(ただし合併前の旧町域にはある。吉田と郡山)。

なぜ鹿児島市にはないのか。私にはよくわからない。だが鹿児島市の場合は、同種の団体が割合に多いので、わざわざ異分野の文化団体と合同発表会を行う必要があまりなかった、ということなのかもしれない。発表会をしたいなら、異分野ではなく同分野でまとまればよいからだ。

例えば各地にあるコーラスサークルや少年少女コーラスのグループは「鹿児島県合唱連盟」を構成していて、年に一度宝山ホールで合同の「合唱祭」がある。鹿児島市の場合はこういう「文化団体連盟」の行う発表会が、他の市町村で単位文化協会が行う「文化祭」の代わりになっているのだろう。

なお、鹿児島市にも年に一度の「鹿児島市民文化祭」があるが、これは単一のイベントではなくていろいろな団体がそれぞれに行う発表(日程・場所もバラバラ)を便宜的に「鹿児島市民文化祭」と呼んでいるだけである。

さて、鹿児島市以外の市町村の文化団体は「文化団体連盟」に加入していないかというとそうでもなく、宝山ホールでの「合唱祭」には南さつま市少年少女合唱団も出演している。つまり鹿児島市以外の市町村の文化団体は、「文化団体連盟」と「単位文化協会」に二重に加入しているということになる。もちろん、どちらにも加入している団体、どちらかにしか加入していいない団体、そしてどちらにも加入せずに活動している団体もある。

そしてこの「文化団体連盟」も、鹿児島県文化協会の構成メンバーなのだ。県文化協会は、単位文化協会と文化団体連盟による連携協力のための互助組織である、といえる。

さらには、これらとは別に、単一の文化団体も若干ではあるが県文化協会に加入している。例えば、劇団「夢飛行プロジェクト」、郷土芸能中之町鉦踊り保存会、田の神を守る会といったものだ。

ややこしくなったのでこの状況を図示すると次の通りである。ただしこの図では、文化団体連盟・単位文化協会に加入している団体のみを描いているが、実際には加入していない団体は多い。

これまでの話をまとめると次のようになる。

<鹿児島県文化協会のメンバー>

  • 鹿児島県文化協会は(1)単位文化協会と(2)文化団体連盟(3)単一文化団体の3種のメンバーで構成されている。
  • 「単位文化協会」は各市町村の文化団体で構成されるが、鹿児島市にはない(旧町域を除く)。
  • 鹿児島市以外の市町村の文化団体では、「文化団体連盟」と「単位文化協会」に二重に加入している場合がある。

そして、県文化協会の主要な事業は何かというと、「県民文化フェスタ」の主催と、会誌「文化かごしま」の発行の2つ。「県民文化フェスタ」は県内全域を対象とした文化祭(場所は持ち回り)であり、「文化かごしま」は情報共有のための機関紙である。

なお、念のためいうが県文化協会は公的機関ではなく、県からのわずかな補助は受けているものの、基本的には互助団体である。

こうした状況を踏まえて、「そもそも鹿児島県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか」という質問を再考してみると、その答えは明らかである。それは「県文化協会は、加盟団体、つまり単位文化協会と文化団体連盟のために存在しており、それらが必要と思えば必要なのだ」ということになる。

「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」のメンバーは、基本的に加盟団体の代表で構成されている(私のような例外もいる)。よってその代表たちが必要と思うなら必要なんだろう。

が! では彼らはなぜ「県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか」という疑問を抱いたのだろか。その点をちょっと考えてみたい。

前回も書いたように、県文化協会は様々な課題を抱えている。加盟団体の減少、それに伴う収支の悪化、役員の高齢化といったことだ。しかしこうした課題があったとしても、加盟団体が必要と思うならば、「県文化協会を存続させていくためにどうすればいいのか」という議論になるはずで、「必要なのか、誰のため、何のためにあるのか」という論調にはならないはずだ。

そのような発言が出るということは、結局は加盟団体自身が「県文化協会の存在意義がない」と感じていると思わざるをえない。それはおそらく、現在の県文化協会の実態が、会則に掲げられた「県民文化の振興に寄与することを目的とする」との理想と乖離しているためだ。

辛辣な言い方になるが、今の県文化協会は、高齢化した加盟団体の「生きがいづくり」のために存在しているようなところがあり、交流や連携というのもごく一部の関係者間にとどまる。これで県民文化の振興に寄与できているのか、そこが会議のメンバーが突き付けた本当の問いではないか。

とはいっても先述のように、組織の成り立ちから考えれば、県文化協会は広く社会にサービスを提供しなければならない団体ではなく、極端に言えばメンバーが満足すればそれでよい互助団体だ。

しかしこれまでは加盟団体も多く、活動がそれなりに盛り上がって社会になんらかの価値を提供できていた実感があったのだろう。それが、団体数の減少や高齢化によって活動が自己目的化し、何のためにやっているのかわからなくなってきた……といったところかと思う。いくら「県民文化の振興のため」といっても、自分たちの活動が実感として文化振興につながっていると思えなければ、「必要なのか、誰のため、何のためにあるのか」と思うようになってもしょうがない。

そしてその実感のなさの理由をさらに突き詰めていけば、単位文化協会はなんのためにあるのか、というところにまで行きつかざるを得ない。もちろん単位文化協会はたくさんあり、そのおかれた状況は様々だ。我が大浦町の文化協会が2021年、加盟団体数の減少から解散したように解散間際のところもあれば、市町村合併で大きくなり新たな活動を開始しているようなところもある。しかし総じていえば、やはり加盟団体数の減少、役員・メンバーの高齢化、収支の悪化、といったことが共通の課題となっており、活動が低調になっているのが現状だ。

では、単位文化協会の衰退によって県民文化は退潮にあるのだろうか? 

これは簡単に判断ができるようなことではないが、私の実感としては「県民文化」すなわち県民の文化的な活動は、郷土芸能を除いて決して退潮にはない。

というのは、今はインターネットを通じて文化的な活動をしている人がとてもたくさんいるからだ。YouTubeによってかつてないほど学びの敷居は低くなり、特に楽器の練習は容易となった(うまくなるかは別として)。文芸(短歌・俳句・詩・小説・エッセイ)は気軽に発表できるようになったし、発表というほどでなくても、絵・写真・書道などの作品をFacebookなどで見せている人は多い。手芸についても、アクセサリーや小物づくりなどは今多くの人がプロ並みのものを作り、Instagramを使って集客するマルシェなどで盛んに販売されている。そして生涯学習の面でも、多くの人が通信講座やインターネットを介した勉強で資格試験に果敢にトライし、キャリアアップにつなげている。

一方、単位文化協会を構成する団体は、かつての公民館講座を母体にしたものが多く、書道・華道・茶道・陶芸・踊り・伝統文芸など「旧来型の文化」に属するものがほとんどだ。こういう「旧来型の文化」が退潮にあるからといって、県民の文化活動自体が低調だとはとうてい言えない。

むしろ、県民の文化活動の中心とずれたところに単位文化協会があるから、自然と衰退していった、というのが本当のところではないだろうか。結論的にいうならば、単位文化協会はもはや県民文化を支える存在ではないのである。

そもそも、先ほど述べたように鹿児島市には単位文化協会は最初から存在しない。それでも、鹿児島市民が文化活動をするのに苦労しているという話は聞いたことがない。それだけでも、単位文化協会の存在価値に疑義を抱かせるのに十分だろう。もちろん地域の「文化祭」の実施は大切であるが、逆にいえば「文化祭」の実行委員会の機能さえあればよい。単位文化協会はなくてもいいのである。

だからこそ、その互助団体である県文化協会が「必要なのか、誰のため、何のためにあるのか」と疑問を突き付けられるのだろう。県民文化を支えているわけでもないのに、自分たちは何のためにやっているのか、と感じてしまうのではないのか。

今回の会議=「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」は、あくまでも県文化協会の今後を考えるもので、単位文化協会をどうする、ということを話し合うためのものではない。しかし県文化協会の在り方を考えていくと、単位文化協会の在り方にまで踏み込んでいかざるを得ないと私は思う。この意見に対して、おそらく会議のメンバーは「そんなことを議論すると収拾がつかなくなる」というだろう。しかし課題の根幹はそこにあるのではないか。

私は、単位文化協会などなくしてしまえ! と言いたいわけではない。彼らも互助団体なのだから、私のような外野がとやかくいう権利はない。だが彼ら自身から存在意義の根幹にかかわる疑問が提出されている以上、「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」はそれに真正面から向き合うべきだと思うのだ。

根幹に触れずに価値ある議論ができるのか、私には疑問である。

(つづく)

2023年1月6日金曜日

耕作放棄地の増加は、それ自体は何の問題もない。真の問題は…

以前も書いたことがあるが、私は「農地利用最適化推進委員」というのをしている。農業委員会の下請けのような仕事である。

【参考記事】「農地利用最適化推進委員」になりました
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2021/01/blog-post_18.html

その仕事の中に、農地の利用調査がある。これはなかなか大変な調査で、年に一度、担当地区内の全農地を一筆ごとに実見し、農地が利用されているか、それとも耕作放棄地になっているかを調査するものである。もちろん、この調査は全国で行われている。一筆ごとに日本の全農地の現況を調査するなんて大変なことだ。

しかしながら、この調査には何の意味もないと思う。

政策の基礎として統計データが重要なのは言うをまたない。それは確かだ。だが、農地の現況、特に耕作放棄の状況という情報にどんな意味があるのか、ということである。

「耕作放棄地の増加は日本の農業の大問題じゃないか!」という人もいるかもしれない。そんな人にとって、耕作放棄の現況は確かに知りたい情報だろう。

ところが、田畑が耕作放棄地になること自体は、全然問題でもなんでもないのである。

というのは、農地が放棄されて荒れてしまうのには、相応の理由があるからだ。うちの地域だとその理由は、(1)山奥にある・孤立している・傾斜が激しい(2)狭小・不整形・道路に面していない(3)湿地・排水が悪い・石がごろごろしている(4)土地の名義人が地元にいない・持ち主がわからない、といったところだ。

このうち、(4)はともかくとして、(1)~(3)のような農地は、今の時代はもはや耕作しない方が合理的なのだ。これは私の意見ではなくて、当の農水省の方針である。農水省は、日本の農業を大規模化・機械化・効率化したものに変えようと何十年も取り組んできた。それは、(1)~(3)のような効率の悪い農地ではなく、アクセスがよく、広大で真四角の、土壌改良された農地で農業をやるように誘導することに他ならなかった。

なにしろ、(1)~(3)のような農地は、人手がかかる割には生産性は低く、補助金を投入してもまともな利潤が生まれない。結局そういう場所は専業農家にとって足手まといであり、高度成長期には「3ちゃん農業(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんによって行われる農業)」で維持されたものの、平成に入るくらいで徐々に放棄された。(2)(3)のような場所は、基盤整備事業によって広く四角く排水がちゃんとした農地に造成できるためある程度生まれ変わったが、(1)の土地はほとんど放棄されたと考えていい。もちろんそれは耕作放棄地の増加をもたらしたが、日本の農業全体としてみれば、確かに生産効率は上昇したのである。

こうしたことは何も農業に限らず商売でも同じことだ。例えば駅前やバスターミナルの前は商店街の一等地であったが、車社会になるとそうした場所はシャッター街となり、バイパス沿いの駐車場の広い店が繁盛するようになった。あるいは住宅街の中の小さな精肉店や八百屋はいつの間にかなくなって、大きなディスカウントスーパーが幅を利かせるようになった。もちろん、駅前がシャッター街になったり、個人商店が消えてしまったのは寂しいことではある。だが商売の適地や効率的な規模が変わってしまったのだからしょうがない。商売をやめてしまった人たちも、やっていけないから辞めただけのことなのだ。

これと同じように、農地にも時代ごとに適地や適正規模がある。農地は何が何でも維持すべきものではなく、移ろってよいものである。だいたい、今の日本の基幹産業は農業ではない。

だが農水省は、耕作放棄地=遊休農地(利用されていない農地)・荒廃農地(荒れた農地)の調査をかなりのコストをかけて実施してきた。それは、耕作放棄地が増えるのは問題であるという意識の下、耕作放棄率を減らす政策を行ってきたからである。

その結果どうなったか。

実は、耕作放棄率が減るような、登記上の手続きが行われるようになった。

具体的には、我々が行う農地の利用調査で耕作放棄地だと明らかになった場所の地目(土地の種類)を、「農地(田・畑)」から「山林」などに変更するという手続きが取られるようになったのである。

土地というのは、地目によって利用形態が決まっている。「田」「畑」「宅地」「山林」などだ。耕作放棄地というのは、このうち「田」「畑」など農地であるにもかかわらず、農地として利用されていない土地のことである。ということは、その土地の地目を例えば「山林」に変えてしまえば、現状を一切変更することなく、耕作放棄地が一筆減る、というわけなのだ。そこはもう、登記上は「農地」ではないのだから。

この方法を使って、利用されていない農地を全部「山林」に変えてしまえば、耕作放棄地は全国から一つもなくなってしまう。もちろん農地の除外はそんなに簡単ではなく、また実際にはそこまでのことはできない。しかしながら、実際に現場ではそのようなことが行われている。とはいっても、ここで農地から除外される土地は、少なくとも(1)〜(3)のような場所なので耕作したい人もおらず、この操作によって実態として農地が減るわけではない。つまり現に農地として扱われていないところを実態にあわせて除外しているだけだから、むしろ望ましいとさえいえる。

問題は、だったら、農地の利用調査には何の意味があるのか? ということだ。

農地の実態を知るのには確かに役立つ。でも知ってどうするのか? 地目を変えるだけならば、5年おきくらいにすれば十分なことだ。毎年やる必要はない。耕作放棄地があることを認識しても、そこを農地から除外するくらいしか打つ手立てがないなら、現況を知ってもしょうがないのだ。

しかし、これから耕作放棄地はもっとずっと増えると予想される。それは、いよいよ農家の数が少なくなってくるからで、きっと今後は(1)〜(4)ではなく、優良な農地なのにもかかわらず利用されない、という真の耕作放棄地が増えてくる。その時にどうするか。今のところ全く打つ手はない。農水省も新規就農者を増やそうとはしているが、その対策は焼け石に水のような規模だ。

農水省は、農家が法人化して大規模化し、土地を集約して機械化・合理化を進めれば農地の利用が可能であるかのようなことを言っているが(「人・農地プラン」→「地域計画」をつくれとの指示)、ものには限度というものがある。アメリカのように広大な土地があるわけではないのだから、新規就農者の増加が絶対的に必要だ、と現場の人間として思う。

もし田畑が耕作放棄地になることが問題だとしたら、それが耕作者の減少・担い手の不足を表しているからであり、真の問題は結局「後継者問題」なのである。

しかし農地調査には熱心だが、そういう真の対策には及び腰なのが、今の農政である。調査をやるなとはいわないが、やるならしっかりとした対策とセットでやるべきだ。

これは何も、私が言っているだけではない。少なくとも南さつま市の農業委員や農地最適化推進委員は、全員思っていることだと思う。