2014年12月28日日曜日

無農薬のカンキツが豊作

自分でもビックリなことに、我が農園のカンキツが豊作である。

今年の南薩のカンキツ(ポンカン、タンカン等)はなぜか着果量が少なくおしなべて不作であり、農協に聞いたら「ポンカンは出荷量が例年の3割ほどしかない」と嘆いていた。

ところが、どうしてか我が農園では豊作なのだ。

しかも、もっと意外なことがある。一昨年から私は無農薬・無化学肥料での栽培を開始したので、昨年はもの凄い虫害(リュウキュウミカンサビダニの被害)を受けた。昨年は、なんと果実の8割くらいを廃棄するという悲惨な有様だったのである。そして、このサビダニというやつは、一度発生すると農薬で根絶しないかぎりいなくならず被害を出し続ける、と言われていたので、今年も戦々恐々としていたのだ。

が、蓋を開けてみれば、心配された虫害はさほどでもなく、無農薬としては信じられないくらいキレイな果実が多い。おそらくは天候に恵まれたためと思うが(雨が多いとサビダニの密度が減ると言われている)、農薬の防除を何もしなかったためサビダニの天敵も増えて、圃場生態系のバランスが勝手に適正化したのかもしれない。

というわけで、周りが不作の年にうちは豊作なので大儲けできそうだ…と踏んでいたら、そうは問屋が卸さないようである。何しろ、「無農薬にしたら5年間はマトモに収穫できないことを覚悟しておけ」と有機農業の先輩に脅されて(?)いたので、販路開拓の努力を何もしていなかった! なので、卸先がない。 ポンカンがもう収穫時期を迎えているのに…!

じゃあ農協に出せばいいじゃないか、と言われるかもしれないが、私は農協の基準に沿って栽培していないのでそれは不誠実というものだ。それに実際の問題として、私は収穫前に防腐剤をかけないので、当農園の果実は腐りが早いということがある。防腐剤をかけると2ヶ月くらいは保存ができるはずだが、防腐剤をかけないと1ヶ月くらいしか持たない。だから私が農協に出荷したら、農協の倉庫で腐る可能性があり、そうなると(集荷した果実は他の方のものと混ざるので)他の方の迷惑になる。

それで卸先の算段を今になってつけているところだが、いくら不作の年といっても個人で販路を開拓していくのはなかなか思うようにいかない。農作物の卸を経営している、頼みにしていた友人も「柑橘類は今の時期たくさん出ているし、無農薬といっても普通の人にはさほどアピールしないから無理そう」とか言っていた…。そんなもんなのか。

というわけで、今年はインターネットでの個人販売が頼りかもしれない。既に他の人はバンバン売っているところ、私は1月出荷を行うので今さらだが「予約販売」を開始することにした。みなさん、ご検討をよろしくお願いいたします。

>>【予約販売】無農薬・無化学肥料のポンカン

もちろん、大口顧客は大歓迎である。ぽんかん1キロ300円が当農園の基準価格なので、もしその条件で取り扱ってもよいという業者さんがいたらドシドシご連絡ください。

【参考リンク】ポンカンの本当の旬

2014年12月13日土曜日

「地方創生」にほんとうに必要なこと

先日の記事で、「私は、地方経済を発展させるには国家レベルではどうしたらよいか、ということに関してはある明解な考えを持っている」と書いた。

今回は、それについて少し述べてみたい。

最近「地方創生」が話題になっていて、現在明らかになっている所でいうと「やる気のある地方自治体には交付金をプラスしましょう」という方向性かと思われる(たぶんバブル期の「ふるさと創生事業」で交付金をバラマキした反省だろう)。それは短期的にはさほどの意味はないと思う。しかし長期的には「奮わない自治体の交付金は減額すべし」ということになるかもしれず、それは手痛いことではあるが意味がある。

しかし全体として、巷間言われている議論を見ていると、「地方創生」に本当に必要なことが意識されていない政策であると疑っている。

なぜなら私は、「地方創生」つまり地方経済の発展に必要なことは、逆説的であるが、東京などの大都市の発展しかない、と思っているのである。


おそらく多くの人は、何をバカな! というだろう。それこそ「国土の均衡ある発展」とかいわれていたように、随分前から東京への一極集中をどうやって緩和するか、というのが日本の大きな政策課題だった。「地方創生」が話題になってきたのも、アベノミクスなどで大都市圏の景気が上向きになる中、地方経済が置き去りになっていることが改めて浮かび上がってきたからであろう。

ともかく、「日本の社会・経済はあまりに東京へ一極集中しすぎているので、いつまでも地方経済が浮揚しないのだ」というのがもう数十年来いわれてきたことなのである。

しかし、私は今、それは壮大な誤解であったと言いたい。

なぜか。それは、「地方経済」などというと地方に独立した経済圏が存在しているように思いがちであるが、実際には地方経済というのは大都市の経済に従属しており、ある意味ではその副産物に過ぎないからである。

もちろん「地方経済」と一言で言っても、福岡のような百万都市から、南さつま市のような僻地の小さな街までいろいろある。福岡を大都市の副産物というのも少し過激だろうから(福岡自体が大都市だろう)、もっと穏当に言えば、「農村的地域は大都市に従属した存在である」ということになるだろう。

これは個人的には、農村経済学の基本定理、としたいほど重要な事実である。

農村的地域、つまり田舎(鹿児島県もそれにあたる)で商売をやっている人は、このことは肌で分かっていると思う。文明的な商売を行うためのほとんどの物品や設備は、都会で製造されているからである。そして仕入れ品の価格は、田舎の経済状態(需給バランス)ではなく、それが消費されている都会のそれに応じて決まっているのである。

よって、農村的経済を発展させるには、大都市が豊かになり、その恩恵が受けられるようになることが第一なのだ。

これにはたくさんの反論があるだろう。物事を単純化しすぎだし、脇が甘い議論であることは承知の上だ。

だが考えてみて欲しい。今の田舎がどうして豊かになったのか。私は、「昔はこのあたりはとても貧しくて云々」という話をよく聞かされるのだが、なぜその悲惨な最底辺の生活からそれなりに豊かな生活を送れるようになったのか。

私は「経済発展の根本には「創意工夫」がある」と書いた。 では、昔の人は「創意工夫」がなかったから長い間最底辺の生活に甘んじなければならなかったのだろうか?

だが、伝えられているところによれば、昔の人の方が体は丈夫で、ものすごく勤勉で、しかもかなり前向きに仕事(農業)に取り組んでいたようなのである。今でこそ惰性的組織の代表のように言われる農協だけれども、50年前は農協というのも随分熱い職場で、これからの農業を変えるんだという気概に満ちていたらしい。そういう我々の先祖がどうして貧しかったのだろうか。

答えは簡単である。その頃の日本の都市は、多くの農村を支えられるほど豊かではなかった。都市自体が、貧しかった。もっと素っ気ない言い方をすれば、GDPが低かった。よって、農産物の価格は低かった。現代の社会において、日本の農家よりも遙かにたくさん生産する発展途上国の農家の所得が低いのは、単にその国の購買力(≒GPD)が低いからなのと同じことである。

日本の農業生産高は世界5位くらいの金額があるが、それは農業生産が盛んだ(生産量が多い)ということでなくて、日本が世界で3位の経済大国であるため、農産物が高く買われているからである。

つまり、日本の農村的地域がこの50年で格段に豊かになったのは、日本が技術立国として成長し、貨幣価値が高まり、世界の中での購買力が大きくなって、農林水産物が高い価格で購入されるようになったからなのだ。

もちろん、農林水産物をただ売るだけでなく、それで得た富を投資して地域経済の自給率を高め、生産物を多様化していったことは地方経済にとって重要であった。もしそういうことがなければ、今でもその地域はただ農産物を生産するだけの場所であり続けているだろう。

しかし本質的には、今でも農村的地域の経済は都市に多くを負っている。それは、巨大な購買力は都市にしか存在しないからであり、地域の主要生産物が工業製品へと遷移したとしても、重要な顧客はやはり大都市に違いないからである。地方的都市には、需要が絶対的に不足しているのだ。

商売がうまくいくコツの一つは、いかに優良な顧客を摑むか、である。日本の農村にとって、大都市という優良な顧客が存在したからこそ、農村は地方都市へと発展していったのである。

だから今、「地方が疲弊」しているとしたらそれに東京への一極集中はほとんど関係がない。その原因は単に、この20年続く不況のせいである。優良だったはずの顧客の購買力が落ちているからである。すなわち、大都市の経済が停滞しているからである。

そういう観点でいうと、今ものすごく不安な現象がある。最近、若者が大都会から田舎に移住することが多いということだ。それも夢破れて故郷に帰るわけではなく、才覚と意欲を兼ね備えた有能な若者が、フロンティアを目指して田舎に移り住むのである。というか、私もその中の一人かもしれない。

田舎に住む身としては、どんどん面白い人に移り住んできてもらって、地方を活性化してもらいたいと思う。しかし逆から見ると、今の時代、大都会(ほぼ東京だ)の魅力が、そういう目端の利く聡い若者にとって魅力がなくなっているということになる。これは大変ゆゆしき事態である。

最も創意工夫に溢れ、経済発展の原動力となるべき若者が田舎へ行ってしまい、 大都会には二流の人材しか残らなかったらどうなるのだろう。そんな極端なことは起こりえないだろうが、都会から田舎への人材の流出は一つの象徴でもある。東京はもはや有能な人に見捨てられる都市だということだからだ。

そうなると、若者の移住で短期的には田舎が活性化しても、それは早晩行き詰まることになる。なぜなら、巨大な需要を抱えた購買力ある大都市が存在しない限り、田舎の経済は決して発展しないからである。仮に東京が経済的に沈没すれば、田舎も道連れになることは確実だ。生産資材は手に入らず、高度な機器(PCとか)は高価になり、燃料光熱費は高騰する。そういう中で、田舎においてこれまで通りの生産を行うというのは難しいし、もっと言えば文明的生活を送るということ自体がかなり難しくなるだろう。

繰り返すが、地方経済を発展させるただ一つの方法は、大都市の生産性の向上、これに尽きる。地方がいくら生産性を向上させても、その生産物を買う顧客がいない限り、生産性の向上は無駄になる。悪くすれば、生産性が向上した分だけ人の首を切る羽目になる。経済成長のためには生産性の向上は必須であるが、それはマクロ(大局的)に見た話でしかない。

例えば、鹿児島県でトマトの画期的栽培方法が開発されて、今までの3倍収穫できて品質もよいトマトが生産できるようになったとする。すると、鹿児島県は熊本県との競争に勝って熊本のトマト産業を潰滅させることができるだろう。それにより、鹿児島県はこれまで熊本がまかなってきたトマト需要を奪うことができる。

だがそれが「地方創生」なんだろうか? 今までの3倍収穫できるトマトは、熊本県との競争に勝った後、きっと価格が1/3になるに違いない。経済学はそう予言する(価格は限界費用に等しくなるため)。それで勝ったのは誰なのだろう? トマトの価格が1/3になった消費者なんだろうか? 熊本でトマトを生産していた人は失業し、トマトの価格は1/3になってしまい、地方には誰も勝者がいないように見える。

限られたパイの奪い合いにしのぎを削ることは、消費者の利益にはなるが地方を発展させる原動力にはならない。いくら生産性を向上させても、それに応じて大きくなる需要がないかぎり、その努力は無駄になるからだ。だから、パイそのものを大きくしなくてはならない。そのためには、大都市が繁栄することしか道はないのである。地方のパイは、そもそも小さすぎる。

だから、私は、「地方創生」のために是非とも東京の活性化をしてもらいたいのである。 「東京への一極集中」というが、政策的な投資という観点でみたらそれほどでもない。地方への再配分政策が長く続けられてきたので、むしろ東京への投資はこれまで足りなかったくらいである。東京のインフラは世界の活気ある都市と比べて見劣りする。渋滞は日常茶飯事だし、下水道も時代遅れだ。今こそ東京を魅力ある都市に再生すべきである。オリンピックも控えている。東京が生まれ変わる絶好のタイミングではないか。

そして、「地方創生」に使われるような政策こそ、東京へ向けて使うべきだ。例えば、各種の特区制度は東京でこそ実行してほしい。

そして日本経済の最大の足かせになっている、旧態依然とした経営陣を入れ替える新陳代謝を促す施策が重要だ。私の僅かな経験でいうと、東証1部上場クラスの大企業でも、役員のレベルはあきれるほどである。一方で、50代以下の人にはまともな人が多く、30代以下でいうと人間的にも穏やかで気が利き、真面目で責任感のある人が多い。なにより、インターネットと英語圏への理解が桁違いである。

日本の将来を考えると暗鬱なことばかりであるが、若い人に有能な人が多いというのが唯一の希望である。早いところ上の世代に引退してもらい、若い人が主導権を取れるようになれば東京はもっともっと面白い都市になるはずだ。 そして都合のよいことに東京には大企業の本社がたくさんある。東京で何かちょっとした規制をすれば、ひょっとしてそういうことも可能なのではないか?

文化面でもそれを後押しできるかもしれない。早期退職することが、本当に有能な経営者の証しであるというトレンドができたら面白い。老いてなお現役はいいとしても、引退するまで経営に携わることがみっともないことだという風潮ができないものだろうか。そして人生の後半には、細川護煕のように田舎に隠遁して陶芸をしたり菜園をしたりするのが最高の贅沢だという風にならないだろうか。老人こそ田舎に敬して遠ざけ、都会では若者にチャンスを与えるべきだ。

今、田舎が、有能な若者にとって挑戦しがいのあるフロンティアなのは間違いない。しかし長期的には、大都市が栄えない限り田舎の発展もない。本当に有能な若者には大都会を手中に収める夢を描いて欲しいものである。東京を世界で最も魅力ある都市にすることが、地方の発展にも繋がるのである。

2014年12月11日木曜日

経済が発展する原動力(その2)

(前回から引き続き『発展する地域 衰退する地域』について)

地域の経済発展の大きな原動力が「輸入置換」にある、というのは認めるにしても、多くの地方都市で行われている「工場誘致」もその原動力にならないのだろうか。

日本では(というより世界の多くの都市で)企業の工場を誘致することは重要な経済政策とされている。農村的な地域に工場が一つできるというのは地域経済にとっては随分大きなことで、数百人(または数千人)の雇用が生まれ、それによって人口が増える。また、工場が払う税金(地方法人税や固定資産税)は地方の財政を豊かにする。

特に工場が払う税金は地方政府にとって大きな魅力である。農村的な地域においては住民の住民税というのは微々たるものなので、独自財源の殆どが工場からの納税、というような地域もけっこう多いのではないかと思う。

だから、地方政府(県、市町村)は工場誘致に力を入れることが多い。広い道路に面した安い土地を用意して工業団地を作り、豊富な水や電気、そして教育された労働者(工業高校がありますとか)を売りにして企業を呼び込もうとするのである。そういう努力は、経済発展の原動力にはならないのだろうか?

だが著者は、工場誘致(著者の用語では「移植工場」という)には否定的である。いっときはよいかもしれないが、長い目で見ると経済発展には寄与しないという。

その理由は主に2つある。第1に他地域の資本によって運営される工場は、材料調達などを他地域に負っていることが多いため(要するに地域内に下請けを出さない)、地域内の生産物の多様化に寄与しないということ。第2に、好条件に惹かれて移入してきた工場は、よりよい条件のところが見つかればさっさと出て行ってしまうということ、の2つである。

重要なのはもちろん第1の方で、経済が発展するには地域内で多様な生産活動が行われなくてはならないのに、工場はそれにさほど寄与しない。例えばもしその工場が、系列内で完結した部品調達の仕組みを持っているとすれば、地域の人びとが行うのは組み立て作業に過ぎず、要するにその地域は単純労働者のベッドタウンになってしまう。

とすれば、地域内の人びとがインプロヴィゼーション(あり合わせのもので行う創意工夫)を行う余地はないわけだ。だから経済発展に寄与しないというのである。

しかしこれは、あまりに単純すぎるストーリーではなかろうか。仮にその地域が単純労働者のベッドタウンになるにしても、ある程度の人口が維持されるならそこにはそれなりにビジネスチャンスが生まれるであろう。焼き鳥屋ができたり、クリーニング店ができたりする。そういうものは、小さいながら「輸入置換」の一環であるし、地域住民の才覚を発揮する場にもなるのである。

だから、第1の理由は私にとってはあまり説得力がない。しかしながら、工場誘致は次善の策であるということもまた事実である。工場誘致のアピールポイントである、安い土地、豊富な水や電気、それに教育された労働者、そういうものが本当に地域にあるのなら、他の地域の誰かにそれを使ってもらうのではなく、他ならぬ自分たち自身で使う方がよいのである。

著者が何度も強調して述べているのは、経済発展のためには、「他地域のためだけでなく、自分たち自身のために豊かに多様に生産」することが必要だ、ということである。地域が発展していくということは、地域の人びとが自分たち自身のために生産し、消費し、投資していくという循環的プロセスがなくてはならない。どこかの活気ある都市に供給するだけの経済には限界がある。要するに、持てる力は自分たちのために使うべきなのである。

ついでに、第2の点にも反論したいことがある。著者は、好条件に惹かれてやってきた工場はすぐに移転してしまうというが、それは地域発祥の企業でも同じことではないだろうか。

いきなり話が地元の具体例になるが、加世田にかつてイケダパンというパン屋の工場があった。鹿児島の人はよく知っている企業だと思う。イケダパンは、加世田時代には随分郷土愛があって、地元の祭りやスポーツ大会に出場するなど、地域の活動にかなり貢献していたようである。しかし商売が大きくなるにつれ、僻地にあるデメリットが大きくなり、重富の方へ移転していった。こちらには高速道路も鉄道もあり、空港も近い。高速道路も鉄道なく空港からも遠い加世田は、大きな商売をするには適していないから、出て行ったのは当然だ。

商売が適地を求めて移動していくのは自然の摂理であって、地域の人のために生産する企業だったら移動していかない、というのは幻想に過ぎないと思う。

ただ、他所から好条件を求めてやってきた工場は、地元発祥の企業に比べて移動していきやすい、ということは言えるだろう。著者がこのことを問題にするのは、冒頭に述べたように工場誘致は農村経済にとって大きな影響があるため、それがどこかへ移っていってしまったあとの経済的空白もまた大きいからである。

そして一度都市的になった地域は、かりに都市的生産が衰退しても、元の農村的地域に戻ることはない。なぜなら、農村とはただ人家がまばらで自然が豊かな場所だということではなく、農村の文化がある場所だからである。一度失われた文化を再興するのは非常に困難なことで、百年単位の時間がかかる大仕事なのだ。そして衰退した都市的地域は、最悪の場合スラム化する。

であるから、工場誘致はリスキーだというわけである。

にしても、ケインズがいうように「長期的にみたら我々は全て死んでいる」のであり、衰退した後のことまで考えて経済発展を躊躇するのは深謀遠慮が過ぎる。せいぜい、工場による景気は一時的なものだから、経済が盛んなうちに地域の自生的な産業を育成しましょう、という教訓として受け取るのがよいと思う。

というわけで、著者は工場誘致に対して否定的で、地域の経済発展の原動力になりえないという立場を取るが、私はそれには懐疑的である。

ただ、工場誘致が次善の策であることも事実だし、それ以上に重要なことは、決して、望み通りのおあつらえ向きな工場が、都合よく来てくれるわけがないという非情なる現実である。いつまでも工場が移入してこないことを不満に思うくらいなら、持てる力を自分たちで使うべきだ。

日本各地に、入居者待ちの「工業団地」がある。定員一杯というのは稀だろう。広い区画が丸々空いていることも多い。そういう土地をいつまでも遊ばせておくより、それを地域の人びとで使うべきだ。資本がない、人材がいない、販路がない、ノウハウがない。商売を始めない理由なら山ほどある。しかし地域を発展させる根源的な力は、地域の人びとの中にしかない。工場誘致はそれが表出するきっかけを作るだけなのだ。

2014年12月9日火曜日

経済が発展する原動力(その1)

「地方創生」が話題になっている。

地方経済の発展というのは、もう何十年も前から「喫緊の課題」とされていて、それこそ「国土の均衡ある発展」(by田中角栄)とか、これまでも様々な面で唱導されてきた、ある意味で使い古された政策課題である。しかし落日の途(みち)にある日本にとっては、改めて重要な課題であることも間違いない。

私は、地方経済を発展させるには国家レベルではどうしたらよいか、ということに関してはある明解な考えを持っているが、それについては後日述べるとして、地方のレベルでどうしたらよいかについて最近読んだ本を紹介しつつ考えてみたいと思う。

それは、『発展する地域 衰退する地域』(ジェイン・ジェイコブス著)という本である。本書は、経済発展と衰退のダイナミズムを都市を単位として物語るもので、その内容については読書メモ(別ブログ)の方にも書いておいた(本稿と重なる部分もある。読書メモは自分のために書いているので)。

さて、いきなり本題に入るが、経済が発展する原動力はなんだろうか? もう少しイメージが湧くように述べれば、田んぼと僅かな人家しかなかったような村に、工場が建ち、商店が並び、鉄道が通るようになる、その根底にはどのような力が働いているのだろうか?

その原動力を、著者は「輸入置換」という現象に見る。輸入置換とは、これまで他の都市から輸入されていた財を、自ら生産するようになること、つまり「輸入品を地場品で置換すること」である。

先ほど例で言えば、その村は文明的な生活を送るために必要な財を、都市部からの購入に頼っているのは確実だ。そのうちのただ一つ——例えば玄関マットやヤカンのような単純な品——だけでも、村で作るようになれば、それまでその購入に充てていた費用を節約して、他のモノの購入に振り向けることができるし、なにより玄関マットやヤカン製造のための雇用も生まれるというわけである。こうした自給できる物品が次々に増えていけば、そこは次第に都市的な地域へと変貌していくであろう。

しかし、「輸入置換」を成長の原動力と見るこの考えを、額面通りに受け取るわけにはいかない。なぜなら、マクロ経済学の基本的な考えの一つに「比較優位」というものがあって、要するに、相対的に容易に生産できるものに労働力を集中した方が経済は効率的になるからである。

先ほどの村に立ち返ると、玄関マットやヤカンといった、これまで全くノウハウも設備もないものの製造に手を出すより、村の特産品(例えばお米)の生産と販売に精を出す方が全体として儲かるというわけである。玄関マットやヤカンは都市から購入するにしても安価でよいものが手に入るのに、わざわざ村で自給しようとすれば逆に高くついてしまうことは容易に想像できる。

この考えは実際に農村の地域振興においてもよく見られる。特産品の生産に力を入れることで、集荷場や販売の体系が確立しその生産・販売活動も効率的になり、村の経済も全体として効率的になるのである。

しかし、この点に関して著者は強く異議申し立てするのである。もし、この特産品に注力する経済が効率的であるとすれば、第三世界の農村地域にあるモノカルチャー経済が最も効率的だということになる。ひたすらカカオ豆の生産だけをするような、コートジボアールの村が世界で一番効率的な経済体であるということになってしまわないか。

そういう経済がよしんば「効率的」だとしても、発展の展望はほとんどないのは明らかだ。要するにそういう経済は、短期的・近視眼的に「効率的」であるに過ぎない。

著者は力強く、「住民のそれぞれの技術、関心、創造力に応えるような様々の適切な場がないような経済は、効率的でない」と断定する。確かにそうだと思う。特産品の生産がいくら儲かる仕事だったとしても、ひたすら同じことを繰り返すだけの経済には、個人の才覚を活かす場がなく、そこには発展の余地がない。発展の余地を残すためには、生産物を多様化することが是非とも必要だ。

だから、発展を目指すためには、少々無様で非効率的であっても、玄関マットやヤカンを生産するという段階に入らなくてはならないのである。しかしそれは簡単ではない。先進都市には普通にあるような環境(下請け工場など)は村にはないし、設備や材料も手に入らないことがある。だから、あり合わせのもので工夫して製造していく必要がある。そういう即興的な工夫を、著者は「インプロヴィゼーション」と呼ぶ。

玄関マットやヤカンを物財の乏しい村で生産するとなれば、都市で作られるようなおしゃれで機能的な商品ではなく、村に豊富にあるような材料を使うなどして、普通のそれとは違う特徴を持った商品になるに違いない。あり合わせのものでなんとかする工夫が新しい商品を生む。つまり、不利な中で生産することそのものが、事業家の創造力を惹起する

主流派経済学においても、経済成長の原動力は広い意味での「技術革新」にあるとされている。 「広い意味での」というのは、これまで縦に置いていたものを横に置く、というような工夫も含めて「技術革新」としているからである。経済学では経済の生産性のうち、資本と労働の生産性に帰すことが出来ない部分をひっくるめて「全要素生産性(TFP)」と呼んでいて、経済成長のためには(資本と労働の生産性はほとんど前提条件的で、かつ相補的な動きをするため)この全要素生産性を高めることが要諦なのだ。

換言すれば、経済成長というのは、大小様々な「技術革新」の積み重ねによって達成できるのである。しかし問題が一つある。どうやったら技術革新が次々生まれるように出来るのか、その処方箋の全体像は解明されていないのだ。

その処方箋の一つは教育だと考えられている。高度な教育を受けた人材が多い経済は、そうでないところに比べ技術革新が起きやすいであろう。規制緩和も処方箋の一つである。

著者のいう「輸入置換」も、そういう処方箋の一つに位置づけられるのかもしれない。不利な中で財を自給することそのものが、「インプロヴィゼーション」すなわち創意工夫を呼び起こすからである。

もちろん、このことも額面通りには受け取れない。地方的都市で自給する商品は、都市で生産されているそれに比べ、性能が劣ったり、価格が高かったり、見た目がよくなかったりする。生産過程でいくらインプロヴィゼーションがあったとしても、結果として都市の作る製品に比べ、競争力が劣っていることがままある。ということで、いくら頑張って作っても、売れなかったら事業は続かない。流通が不完全だった50年前だったらどうかわからないが、クリック一つで大概のものが買える現代においては、ここが大問題である。

この点に関して、著者は何も述べていない。試行錯誤がなければ成功はないのだから、ともかく試行錯誤が大事なのだ、ということなのかもしれない。しかし生産物を多様化するという目的を考えてみると、経済の自給率を高めるという「輸入置換」だけが発展の原動力でもなかろうと思う。

むしろ、最近の流行りで言えば、最初から販売ターゲットを都市にして、「都市住民に受ける商品」を開発する方が得になるのではなかろうか? ある種の農村にとっては、都市から安価で購入できるものを苦労して自給するより、都市に作れない、農村的な(しかもセンスがいい)ものを作る方が儲かるのは明らかだ。

これについても著者は何も述べていない。しかし、著者の論じる「地域」というのは、日本で言うと「鹿児島県」くらいのスコープを持つものである。確かに南さつま市くらいの狭い地域を考えると経済の自給率を高めるよりも、都会で売れる商品を作る方が経済発展に重要だ。だが鹿児島県全体で見た時、都会で売れるものだけを作っていては経済は発展しないだろう。

なぜなら、そういうやり方だけで発展が維持できるほど、鹿児島県は小さくないからである。そしてもっと重要なことに、巨大な需要を持った活気ある都市はほんの僅かしかないが、そこにものを売りたいという供給地域はものすごく多い。活気ある都市(たぶん日本では東京だろう)は、たくさんある供給地域からそれぞれ最良の商品だけを選ぶわけで、経済発展のフィールドがそれしかないとすれば、とんでもない競争になってしまい、そこに勝ち残るのはどの地域にとっても困難なことである。

だから、鹿児島県くらいのレベルで考えると、「輸入置換」は必要なのだ。つまり、(再三の説明にはなるが)経済が自給できるものを増やし、生産品を多様化させ、それによって人びとの創意工夫を呼び起こすことが重要なのである。そしてこの中で最も重要なことは、経済発展の根本には、「創意工夫」があるということである。ある意味ではその前段部分は「創意工夫」のためのお膳立てをしているに過ぎない。

翻って我々が考えなくてはならないのは、地方自治体や経済団体はその発展のために、どのような施策を行っているのだろうかということだ。人びとから創意工夫を引き出す取組をどれくらい行っているだろうか?

いや、地方に生きる我々一人ひとりが、「創造的な環境」を創り出す努力をしているだろうか? ということも考えなくてはならないのかもしれない。

(つづく)

2014年12月1日月曜日

大正時代の本棚がうちに来ました

先日、大叔母の身辺整理を手伝った。身辺整理というか、「もう家財道具のほとんどはいらない、何か欲しいものがあったら持っていって」というので、ただもらいに行ったという方が正しい。

それで、なかなか味のある本棚をもらってきた!

話を聞いてみると、これは元々私の曾祖父が持っていたもので、それを大叔父が引き継ぎ、それをさらに大叔母がもらったものらしい。話が随分ややこしいが、要は私の曾祖父の遺品の一つである。

(もう随分前に死んだ人だから名前を出してもいいと思うが)この本棚の持ち主であった私の曾祖父は丹下 栄之丞(えいのじょう)という人で、名門に生まれながら生来の冒険心の赴くままに生きて随分家族に苦労させたそうである。

例えば、錫鉱山の開発をしようと錫山を購入したものの、結局錫が出なくて大損したとか(ちゃんと調査せずに買ったんだろうか?)。他にも新規事業に手を出して無一文になったこともあるらしい。無一文になった曾祖父は、ツテから口永良部島の島守(しまもり)の職について家族で島へ移住したそうだ。「島守」というのが具体的になんなのか分からないが、大叔母によれば町長の次席にあたるもので、他の親戚によると竹林造成に関係する職だったともいう。

そんなわけで私の祖母は、口永良部島(屋久島の少し西にある島です)で少女時代を過ごし、一日三食とも魚を食べて育ったそうである。

ところで丹下家というのがどういう家柄なのかイマイチよく分からないのだが、丹下栄之丞は第11代目にあたり、初代は文久2年(1862年)に死んだ丹下 仙左衛門という人。丹下家の分家には女性で初めて帝国大学を卒業した丹下 梅子もいる。それなりの家格がある武家だったようである。

私は、そういう家系図的なことはさほど関心がないけれども、昔話は好きである。その栄之丞という人が、好き勝手して身代を取りつぶした話なんかは面白い。冒険心はあったがお人好しですぐに騙されるような人だったらしく、事業家には全然向いていなかったそうだ。ついでに言うと、その奥さん(つまり私の曾祖母)の方が立派な人だったということで、大叔母などが生きているうちにもっと話を聞いておきたいと思う。

ともかく、この本棚はそういういわれでもらってきたものである。ざっと考えて、丹下栄之丞は今から90年くらい前の人になるから、この本棚は約100年前の大正時代のものと考えて差し支えないだろう。蔵書も込みでもらってきたが(というのは、蔵書も不要なため処分してほしいとのことで)明治20年代の万葉集の注解書があったので、これはもしかしたら栄之丞の蔵書だったのではないかと夢想した次第である。

約100年前の(一般的な感覚からは)ぼろい書棚といっても、作りが非常にしっかりしていてガタピシ感もないし、何より古民家の我が家にぴったりだ。ステキな本棚が手に入ったので、これから本が入っていくのが楽しみである。