2023年4月7日金曜日

「政治」から遠ざかってしまった選挙

鹿児島県議会議員選挙である。

が、私の住む「南さつま選挙区」は前回に続き無投票である。投票に参加できないどころか、選挙そのものがないのは、民主制の前提を満たしていないと思う。

全国でも、今回の統一地方選挙では立候補者の4人に1人が無投票当選で、4割弱の選挙区で無投票だったそうである。もはや日本の半分近くの地域で、選挙という枠組みが機能していない。

この由々しい事態を受け、立候補者を増やすために「議員報酬を増やそう」「政治への関心を高めよう」といった動きが報道されている。

しかし鹿児島県議の議員報酬は決して安くなく、全国的に見たら平均程度の月額78万円だ。市町村議会議員の報酬はともかく、県議ともなれば地方の水準では十分な報酬になっている。

また政治への関心については、若い人を含め、少なくともここ30年では今が一番高いと思う。それは日々の暮らしが政治によって脅かされている実感があるからだ。少なくとも政治がどこか遠い世界の話だった時代とは違い、今では我々の懐にまで「政治」が手を伸ばしつつある。

であれば、県議選も多くの立候補者が犇めいていてもおかしくない。それなのに現実は、鹿児島の21選挙区中の7選挙区で立候補者が議員定数を越えなかったのだ。

なぜか。少なくともそれは「政治への関心の低さ」だけでは説明できないことは確かだ。無投票の選挙区に住む一人としてちょっと考えてみたい。

県議への立候補者が少ないのは、第1に、市町村合併の影響があるだろう。

県議というのは、市町村議員が目指す場合が多い。だが市町村合併によって自治体の数がかなり減って、当然に市町村議会の数が減ったため、市町村議員は激減した。

例えば南さつま市は1市4町が合併してできた市だが、旧町時代はそれぞれ20人くらい市議・町議がいたので、計100人程度議員がいたと思う。それが合併後には約20人になったわけだから、議員数は5分の1になったことになる。

このように、県議に立候補する可能性が高かった市町村議が減ったことが、県議の立候補者が少ないことの第一の理由であると私は思う。

第2に、市議から県議への鞍替えが減ったことが挙げられる。

平成の大合併の前は、鹿児島の場合は人口1万人程度の「町」が多かったように思う。このサイズだと、町議になるには200票くらい入ればいい。そしてこの時代は、集落の自治会長が町議に立候補するのが定番だった。200票というと、自分の所属する集落の人たちを中心に、知り合いが投票してくれれば当選できた数だ。

だからこの頃は、自治会長をやるような、人付き合いがマメで少し声が大きなオジサンが、町議に立候補するものだったのである。ついでに言えば、自治会長そのものが町議へのステップの一つと見なされていたので、町議を狙うような人が率先して自治会長を担ってくれていたという側面もあったと思う。

しかし市町村合併によって選挙区が広くなると、当選ラインは500~1000票程度へと上がった。都市部の人から考えると500票も十分少なく感じるだろうが、500票になると直接の知り合いだけでは集められない規模になる。どうしても不特定多数の人に訴えなくてはならない。そうなると、「人付き合いがマメで少し声が大きなオジサン」程度では市議にはなれない。そういうわけで、市町村議員になる人はかなり減った。

結果、市町村議も定数がギリギリ(無投票の時も散見される)であるから、市議から県議になろうとするインセンティブが今はない。市民としても、後援している人が市議から県議になろうとするのを応援しづらい。その人が鞍替えするせいで市議選が無投票になるかもしれないのだから。

第3に、今の若い人は従来の選挙のやり方に意義を感じてない、ということがある。だから若い人が立候補しない。従来型の選挙のやり方の定番は、「辻立ち」「選挙カー(街宣カー)」「電話作戦」「ガンバロー集会」といったもので、これらは今でも票集めの活動としてある程度有効だが、政治に関心を持つ若い人はこうした活動を行う気になれない。

「辻立ち」は選挙期間以外でも行われ、街頭で「みなさんおはようございます! いってらっしゃいませ」などと元気よく声をかける活動。これで道行く人からの支持が得られる可能性はわずかだが、後援会のメンバーにとっては「〇〇さんも頑張っているんだから、我々も応援しなくては」という気持ちになる重要な活動である。というか「辻立ち」を疎かにすると後援会から「最近〇〇さんは地域に目が向いていない」「天狗になっている」などと批判されることもしばしばだ。

「選挙カー」は選挙期間中のみ可能で、いわゆる「連呼行為」という名前などを繰り返すことのみが走行中に認められている。これは街の人にとっては迷惑以外の何物でもない。しかし特に田舎における選挙においては、「この辺りには選挙カーすら来ない」という声はよく聞かれる。田舎では、地域をせめて一回りするくらいのことはします、という意思表示として受け取られていると思う。ただし都会での意義はたぶんほぼない。

「電話作戦」は、選挙では戸別訪問が禁止されているため、電話で「〇〇さんへの投票をよろしくお願いします」と後援会メンバーが呼びかけるものである。しかし最近の若い人は電話という手段を好んでおらず、できれば出たくないものと考えている節がある。また「電話作戦」は政策を訴えるでもなく、ひたすらに人脈を頼りにするものであるから、人脈の形成途中である若い人にとっては不利である。

「ガンバロー集会」は、決起集会・個人演説会のことを、仮にこう呼んでみた。「ガンバロー!!」という掛け声が特徴的だからである。こうした集会は、今まで挙げたものの中では一番「政治」に近いかもしれない。集会の中では政策を訴えることも稀ではないからだ。しかし多くの「ガンバロー集会」は、「今回の選挙は厳しい戦いだ。一丸となって頑張ろう!」という掛け声のために行われる。候補者の側としては、そもそも集会に出ている時点で出席者を支持者だとみなしているから(だいたい正しい)、その場にいる人に政策を訴えることは必要ではないと思っている。「ガンバロー集会」の目的は、政策を訴えるためではなく、支持者を高揚させ、一体感を抱かせることだ。

これらの旧来型手法は全体として、後援会を中心とした支持者集団を強固にし、そこを起点として露出を増やす活動だと言える。その中では、政策を訴えるとか、現在の政治・行政を批判するといったことは、かえって支持を失う可能性がある行為として忌避される。

今回の鹿児島県議選で、原発の是非や馬毛島のような、政治的な問題について候補者がほぼ沈黙しているのもそのためだ。以前、元SPEEDのメンバーで自民党から参議院議員に立候補した今井絵理子さんが、選挙活動中に記者から「憲法や経済の話は?」と問われ、「今は選挙中なのでごめんなさい」と言ったのは象徴的だ。これは自民党の事情も大きいのだが、野党も含め、有権者の判断が分かれるような問題はできれば触れないでおこうとする傾向はある。

結局のところ、今の選挙は「政治」から遠ざかってしまっているのだ。選挙が政治的であることを避けようとしている、と言い換えてもいい。

私は先ほど「政治への関心については、若い人を含め、少なくともここ30年では今が一番高い」と書いた。政治的な関心が高い若い人を見ていると、一昔前の「人付き合いがマメで少し声が大きなオジサン」などよりずっと真面目に政治を考えている。しかしそういう人にとって、選挙は少々馬鹿馬鹿しく感じられる。政治的な主張をするでもなく、社会の向かうべき道を示すでもなく、支持者との一体感の中で露出競走をするのが今の選挙運動だと。

もちろん彼らとて、いかに選挙が気乗りしないものに感じられようとも、いざとなれば選挙に出るには違いない。そして現実には、多くの人に動いてもらわなければならない選挙運動には、主義主張以前の部分に「政治」があり、はたから見るほど無意味ではないのだ。

しかしいざ彼らが立候補しようと思っても、彼らの考える「政治的な選挙運動」には、まだ多くの人がついてきていないのも現実だ。

例えば、インターネットを使った政治的主張、候補者同士の政策討論会、「ガンバロー!」ではない個人演説会、既存の政党の枠組みとは違う政治活動のやり方、後援会中心ではない選挙運動、といったことが彼らのやりたいことだろうが、実際にそれをやっても、不特定多数の支持が集まるのかどうか、今のところちょっとわからない。やはり「どぶ板」が強い可能性は高い。

ところで、選挙が「政治」から遠ざかったといっても、それは何も今に始まったことではない。少なくとも戦後はそんな感じが続いてきた。

だが、この20年ほどで、政治家に求められる役割はかつてとは違ってきた。かつての市町村議員・県議の役割は、上(国や県)から流れてくる予算の配分を行うことだった。特に高度経済成長期以降は、予算が有り余っている時期があり、そのお金を地域にうまく配分するのが「政治家」の役割だった。

そのために必要な資質が、マメな人付き合いや、分断をつくらないための曖昧な態度であったと言えるかもしれない。そして政治家本人よりも「後援会」の方に活動の本体があり、「神輿は軽い方がいい」と俗にいうとおり、個人の政治的主張よりも、お金の分配を求める地域の総意を代弁することが「政治家」に期待されていた。

もちろん、例えばダム建設予定地となって反対運動が起こったような場所では、こういうわけにはいかず、利害関係の対立を解消する、本来の意味での政治が繰り広げられた。しかし日本の大部分の地方では、そのような先鋭的な政治的対立はおこらず、上から流れてくるお金を大過なく分配しているだけで、それなりに発展してきたのである。

だが周知のとおり、そういうフェーズは過去のものとなった。今の日本は、政治的な問題に向き合わずにはいられない。これからの政治家は、お金を分配するのではなく、負担を分配するという、ややこしい仕事をしなくてはならない。

だから、真面目に政治を考えている若者に選挙に出てもらう他ない。そのために私たちができることは何だろうか?

少なくとも今回の県議選では、少しでも「政治」を語っている候補者に一票を入れることだろう。「政治」から遠ざかった選挙に、もう一度「政治」を取り戻さなくてはならない。

どこかの新聞に書いてあった。今は政治への関心は高いが、不信もまた根深いと。政治への不信があるからこそ、選挙では政治が避けられる。だがいつまでも政治を避けて通っていては、日本社会が変わっていくことはできない。

選挙がもっとまじめに「政治」に向き合うものとなれば、きっと多くの若い人が立候補するのではないかと、私は期待している。

2023年4月4日火曜日

過疎で高齢化しているが、子だくさんの町=大浦町から少子化対策を考える

私の住む南さつま市大浦町は、人口1600人の過疎の町である。

1600人というと、町というよりは村かもしれない。(合併後は、南さつま市の大字(おおあざ)として「大浦町」が設定されているのでそもそも自治体ではないが。)

大浦町の人口減少は甚だしく、平成17年(2005)に2678人だった人口が、15年後の令和2年(2020)には1674人にまで減ってしまった。その減少率は37%。そして令和5年(2023)3月末時点で人口がちょうど1600人になった。

当然に子どもの数は少なく、うちの集落では、我が子が最後の小学生になる見込みである。

このまま大浦町は消滅する運命なのだろうか?

遠くない将来、そうなるのかもしれない。しかし、ここに一つだけ明るいデータがある。

ここに掲載したのは、2020年の国勢調査データから作成した大浦町の人口ピラミッドだ。65~70歳くらいにピークがあり、かなり高齢化した様子がうかがえるが、実は子どもの数は、若い女性の数に比べてそんなに少なくはない。というより、結構多い。

実際、うちの子の同級生には、4人きょうだいが珍しくない。例えば、小5の娘の同級生はたった7人しかいないが、そのうち4人きょうだいなのが2人もいる(ちなみに3人きょうだいも2人)。「過疎の町」というイメージからは意外だろうが、大浦町はそれぞれの女性に注目すれば、たくさんの子どもが生まれる町なのである(ただその母数となる女性の数が少ないので、出生数は少ない)。

とはいっても印象だけで語るのは少し危ういので、ちょっとデータを出してみる。

これは、先ほどと同じく2020年の国勢調査から日本の人口ピラミッドを作成し、比較のために大浦町の人口ピラミッドと並べたものである。

左(日本全体)の横軸1目盛りは10万人、右(大浦町)の横軸1目盛りは1人である。

これを見てみると、日本全体では40歳以下の世代は減り続けているが、大浦町では10~14歳に小さいながらもピークがあり、単調な減少ではないことがわかる。

15~19歳でいきなりガクンと減るのはなぜかというと、大浦町には自宅から通える場所に大学や専門学校がなく、進学のためには必ず町外に出るからである。ついでに言うと就職もほとんどが町外になる。

さらに、数値でも比べてみよう。本当は大浦町の合計特殊出生率を算出できればよいが、合計特殊出生率の算出にはややこしい計算が必要なので、ざっくりとした数字を出してみたい。

具体的には、「20~49歳の女性の数」を、「0~14歳の子どもの数」で割ることとする。大浦町の場合は、「20~49歳の女性の数」が140人、そして「0~14歳の子どもの数」が123人なので、この値は0.88になる。子どもを産む年代の女性一人につき、0.88人の子どもが誕生している、ということだ。仮にこの値を「出生率もどき」と呼ぶことにする。

同様に日本全体で「出生率もどき」を求めてみると、0.70になる。ちなみに、これは合計特殊出生率1.33(2020年度)よりずいぶん低いように見えるが、合計特殊出生率とは、女性が15~49歳の間に産む子どもの合計数であるため、これから生まれる子どもを計算に入れなくてはならないからだ(なお「出生率もどき」に1.91を掛けると合計特殊出生率を近似的に計算できる)。

さて、「出生率もどき」で比べてみると、大浦町は日本の平均よりもずっと子どもが生まれている町だということになる。次に、どのくらいこの数値が高いのかを理解するため、都道府県別にこの数値を出し、ランキングにしてみた。



最高は沖縄県の0.93で、鹿児島県は2位の0.86。大浦町の0.88はこの間に位置し、全国的に見てかなり高い。最低は東京都の0.54。東京は大浦町よりもずっと子どもが生まれない街である。

ここまでデータがあれば、「大浦町は過疎で高齢化しているが、子だくさんの町でもある」ということは言い切ってよいだろう。

では、どうして大浦町は子だくさんの町なのだろうか。 

ここからの考察はデータに基づいたものではないが、4点それらしき理由が挙げられる。

第1に、結婚の年齢が早いことである。これは大浦町だけでなく、鹿児島の田舎に共通して言える。私が22歳で大学を卒業した時、小中学校の同級生(男)はすでに2回結婚して2回離婚していた。しかもそれぞれのパートナーとの間に子どもがあった。田舎では人生がずいぶん早く進む。

それは、大学進学率が低いことが影響している。特に鹿児島は女性の大学進学率が全国最低レベルに低い。要は大学に行かないから結婚が早い。また、田舎の場合はアウトドアとパチンコ以外の娯楽はあまりなく、男女の営みくらいしかやることがないという事情もありそうである(極論)。

第2に、大学進学率が低いために子どもの教育費を心配しなくてもよく、多産になる傾向があるということである。例えば4人きょうだいで全員が大学進学するとすれば、国公立大学のみであったとしてもその学費は総額1000万円を軽く超える。こうなるとなかなか多産はできないというのが一般的だ。

大浦町でも、子どもが大学に行きたいといえば行かせるのが普通だし、行くとなれば絶対に自宅からは通えないので、都会に住んでいる人よりも学費・生活費は高くつく。それでも、「子どもを全員大学まで行かせられるかどうか心配だ」との声はあまり聞かない。これは「大学は全員行くものではない」という楽観(?)に支えられていると思う。 

第3に、単純に家が広いということがある。といっても、大浦町はあまり経済的に豊かな地域ではなく、立派で大きな家はむしろ少ない。しかし土地は本当に安い。家を新築するときは、土地の値段はほとんど無視できる。だからすごく大きな家が多いわけではないが、都会に比べたら家はゆったりしている。つまり多産するのに住居が制約になりにくい。

第4に、これが一番大きいが、実家・義実家が近くにあり、子育ての手助けを得やすいということである。大浦町の住民は、ほとんどが元からの地元民である。だから実家・義実家が近い。しかも、これは南薩地区の特徴なのかもしれないが、両親同居の割合が低い。

というのは、このあたりでは伝統的に、子どもが結婚すると老夫婦は三畳一間ほどの「隠居小屋」を建てて敷地内別居していた。今では「隠居小屋」の風習は廃れたが親子別居の慣習は残り、核家族化したのである。

結果的に、大浦町では若い夫婦は実家の近くに別に住んでいるのが普通になった。これは二世帯同居よりも子作りの面では有利であるし、何やかやと実家・義実家の手伝いを得られるという、子育てには最高の環境である。習い事の送り迎えや、学校のない日の昼食(特に夏休み中)など、実家・義実家に頼れることはすごく助かる。逆に、例えば4人きょうだいでそれぞれに習い事があるような場合は、実家・義実家の送迎能力なしでは立ちゆかない。

以上4点が、私が考える大浦町が子だくさんな理由である。

それから、念のために付言するが、大浦町では女性への子どもを産むプレッシャーが大きいということは、(私の見るかぎりでは)ないと思う。大浦町はド田舎で遅れた地域であることは確かだ。だから「ここは男尊女卑で、女性の人権は無視されてて、子どもを産むのがプレッシャーだから多産なのだろう」と考える人もいるかもしれない。

しかし大浦町が九州の平均くらいに男尊女卑であることは否定しないが、ひどく男尊女卑であるとは思わない。むしろ男女が対等である場面も、都市部よりも多いくらいだ。それは大浦町が純農村地帯であり、高度経済成長期を含めずっと貧しかったからで、ここでは「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」という図式がついに一般的にならなかった。共に働くことが当たり前で、妻が夫に経済的に従属していなかったから、ひどい男尊女卑にならなかったのだと思われる。

さて、上述の4つの理由を眺めてみると、第3の「家が広い」は別として、残りは全ていわゆる「遅れた社会」の特徴を形成しているものばかりだと気付く。結婚の早さ、大学進学率の低さ、人の移動の少なさ(実家と近い)といったものだ。そもそも「遅れた社会」は、大抵は高い出生率を伴っていた。だから「遅れた社会」の特徴を色濃く残した大浦町が、子だくさんなのは当たり前なのかもしれない。

ところで、今、岸田政権は「異次元の少子化対策」を行うこととしているらしい。それはいいことだが、大浦町の子だくさん事情を踏まえれば、この話題について財政支出だけが議論の焦点になっているのはちょっと不安だ。

もちろん、子育て支援には大規模な財政支出が必要だ。なぜなら、原子的個人に分断された「近代社会」においては、地域の相互互助や実家等からの手伝いなどは得られない以上、お金しか頼るものがないからである。

しかし、過疎地の大浦町が子だくさんの地域でもありえるのは、お金の問題ではないことは縷々説明したとおりである。それにお金が少子化を解決するなら、全国で一番平均所得が高い東京は一番子だくさんでなければならないが、現実には東京が一番出生率が低いのである。少子化対策には財政支出も必要であるが、社会の仕組みまで含めていろいろ変えて行かなくてはならない。

例えば、大浦町の事情から導き出されることだけでも、(1)学歴を諦めなくても早く結婚出来、(2)結婚・出産がキャリア形成に影響しないようにすることや、(3)高等教育の低額化や給付型奨学金の拡充、ついでに(4)子育て世代への住宅事情の改善などが考えられる。

逆説的だが、「遅れた社会」である大浦町から見ることで、かえって改善すべきことが明確になる気がするのだ。

それというのも、かつて日本中のどこにでもあった「遅れた社会」は、実は人間が生きていくのにちょうどよい間尺にデザインされたものだったからだ。もちろんその社会に生きていた全ての人が幸せだったとは思わない。自分の希望した生き方ができなかったり、差別があったり、貧困に苦しんだりした人は多かった。「遅れた社会」のままでよかった、とは思わない。だがその社会では、子どもを5人も6人も育てるような、今から考えると大変なことを、なんでもないことであるかのように普通にこなしていたのである。

一方、「進んだ社会」は、人間が生きていくためにデザインされたものではなかった。例えば「転勤族」というライフスタイルは、生活に相当犠牲が出るものだ。ギュウギュウに詰め込まれた満員電車に乗って通勤することだけでも、負担は大きい。どんな「お客様」にもマニュアル通りに笑顔で接客しなければならないことは、ほとんど非人間的だと私は思う。それが「働く」の当たり前だとしたら、それがおかしいのだ。生きるためではなくて、働くため、もっといえば「労働者を働かせる」ためにデザインされたのが、「進んだ社会」の一側面だったのではないか。

私は、高学歴化とか、女性の社会進出の進展、価値観の多様化、人の流動性の向上、ジェンダー平等といった「進んだ社会」のあり方は、基本的によいものだと思っている。そして、これは子どもを産んだり子育てしたりする上でもよいもののはずだ。出生率にはマイナスの影響を及ぼす「女性の社会進出の進展」だって、ある程度女性が働くのが当たり前になるとむしろ出生率がプラスに転じることは世界の国々が立証している。

それでも、日本以外の多くの先進国でも少子化が問題になっているのだから、「進んだ社会」は少子化を宿命づけられているのかもしれない。人を働かせることばかりに熱心で、人が生きることには冷淡なのが「進んだ社会」だとしたら、そうだろう。

だから少子化対策は、「進んだ社会」を「より進んだ社会」に変えていくことでなければならない。人々が、社会の駒としてではなく、自然体で、自分の幸福のために生きていくことができる社会にすることが、真の少子化対策になると私は信じる。

「異次元の少子化対策」が、まさか大浦町のような「遅れた社会」に逆戻りさせるということではないのを祈っている。