みなさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年は(昨年も!)、あまりこのブログ記事を書けなかった。その原因はハッキリしていて、他のところで記事を書いているからだ。
私は現在このブログの他に、「南薩の田舎暮らし ブログ」と「石蔵ブックカフェ ブログ」を業務的に書いていて、趣味の読書メモブログ「書径周游」も書いている。それぞれ昨年書いた記事数は、
南薩の田舎暮らし ブログ 31記事
石蔵ブックカフェ ブログ 29記事
書径周游 54記事
ということで、「南薩日乗」以外で114記事書いているわけだ。「南薩日乗」では20記事書いているから、昨年書いたブログ記事数は計134。約3日に1日は何かしらのブログを更新していることになる。改めて集計してみると結構な数だ。
なので、このブログだけを見れば、更新頻度が落ちて情報発信力が落ちているのだが、実際にはブログ記事ばっかり書きすぎなのかもしれない。でも他のブログは半ば義務的に書いている部分がある。趣味の読書メモブログは義務でもなんでもないが、でも読書メモなので本を読んだら義務的に書いている(読んでも書いていない本も多少あるが)。だからフリーハンドで書きたいことを書いているのはこのブログだけである。
私としては、今年はこのブログの更新をもうちょっと積極的にやっていこうと思っている。でも「南薩の田舎暮らし」とか「石蔵ブックカフェ」のブログは必要な広報としてやっているので、他のブログの更新頻度を落とすのも難しい。そうなるとブログをもっと書きまくるしかないんだろうか。
確かに私は文章を書くのが好きである。元々「石蔵ブックカフェ ブログ」なんかは、写真中心で文章はいらないよね、といって始めたはずがいつの間にかテキスト中心のブログになってしまった。中学生の頃に、原稿用紙3枚か4枚書けばいいというような作文で10枚以上も書いていたのだから、もうこれは宿痾みたいなものである。
でもそろそろ、量より質のことを考えてもいい頃合いかもしれない、とも思う。何よりこの、社会の教科書みたいな悪文をどうにかしないと。先日数年前に自分が書いた文章を見直してみたら、まだその頃の方が文学的で、表現に工夫があった。最近は歳のせいか(!?)どうも文章が無味乾燥すぎて自分でも読むに耐えない時がある。もう少し表現に気を遣わないといけない。もちろん内容の方も、より多様化できるとなおよい。
そんなわけで、年頭に少し抱負じみたものを書いておこう。今年はこのブログ「南薩日乗」をもう少し更新し、しかも文章表現をもっと生き生きしたものにしよう。
でも、そのためには時間が必要である。もっと早く書く術を身につけたとしても、やはり記事の執筆には時間がかかる。今これを書いているのも結局深夜になってしまった。それはあまりよくないことである。書いても書かなくてもいいブログ記事の執筆のために生活が振り回されたら本末顚倒だ。だからその前提として、まずは仕事(農業)が順調でないといけない。そして家庭生活も充実していなくてはいけない。そして当たり前のことだが、自分や家族が健康でないといけない。
こうして話は、随分と平凡なところに落ちついてきた。今年一年、公私ともに充実し、家族みんなが健康でありますように!
2020年1月3日金曜日
2019年7月26日金曜日
「プレゼン」への杞憂
最近、「プレゼン」が表現方法として浸透してきた。
ここでいう「プレゼン」とは、多くの場合プロジェクタでスライドを使いながら聴衆に向かって話す、あれである。元々の「プレゼンテーション」はもっと広い概念で、「人に主張を理解してもらうための弁論」というくらいのものだと思うが、とりあえずここでは狭い意味で使う。
プレゼン的なものはずっと前から重要だったが、最近PCスキルが普遍化してきたことやプロジェクタがかなり普及したことで、スライドを使うプレゼンが一般化し、また上手なプレゼンが多くなってきた。
もちろんこれはいいことだ。スライドを見ながら説明すれば複雑なことでもわかりやすく伝えられるし、いろんな情報を盛り込める。弁舌だけで人を熱中させるのは難しいが、写真や図や動画を一緒に使えば話はずっと生き生きする。 私は前から選挙演説を「プレゼン化」して欲しいと思っていて、あれこそプロジェクタを使って図やグラフを用いてやるべきだと思う。
ちょっと前(といってももう数年も前か)、サンデル先生の政治哲学の授業が流行ったことがあったが、あれもプレゼン的な授業だった。サンデル先生はそれほどスライドを使わなかったけれど、黒板ではなくてスライドをメインにして授業をするというのが大学の講義として新しかったと思う(あくまでも当時の日本の常識から見て)。その後TEDが世界中の優れた人たちのとびきりのプレゼンを配信するようになり、日本でもどんどんプレゼンの技術は高まっていった。
プレゼンには、人にうまく考えを伝えるためのノウハウがいっぱいあって、素晴らしいプレゼンは人を昂揚させ、楽しませ、感動させ、インスピレーションを与える。そういうプレゼンが出来る人は、ビジネスでも社会活動でも重宝される。私もプレゼンがもっとうまくなりたいと常々思っている。
が…、何かこの、「これからの社会にはプレゼン能力は必須!」とでも言わんばかりの雰囲気には違和感がある。
いや、上手なプレゼンはいいものだと思っている。問題は、それを聞く聴衆の姿勢の方である。
というのは、うまい話をするよりも、人の話を聞く方がずっと大事なことだと私は思っているからだ。そして、本当に大事なことは、ほとんどの場合、端正なプレゼンによって表明されるのではなく、遠慮がちに、ささやくような声で、むしろ呻きに似た形でしか表に出されないという現実があるからだ。いや、それどころか、人々の心の中にある一番大事な主張は、ずっと胸の奥にしまったままで、一生に一度も外に出されることはない、ということだってよくあることなのである。
そんな馬鹿な! と人は言うかもしれない。「言わなきゃわかんないだろ!」と。黙っていたら誰にも相手されないのだから。しかしそういう人達は、まさにそれが一番大事な主張だからこそ、それが非難され、黙殺され、蹂躙され、なかったことにされるのが怖ろしくて、黙っていたのである。
例えば、「私を一人の”人間”として扱ってほしい」といったような主張がそれだ。これまで人間並みに扱われなかった多くの人々——奴隷、女性、被差別階級といったような——は、そういうたった一つの重要な主張を、一生なしえないでいた。
それは過去の話ではある。でもこれは、現代でもそっくりそのまま当てはまるのだ。確かに奴隷はおおっぴらには存在しない。男女平等の世の中になった。少なくとも名目上は差別は撤廃された。それはそうである。しかし最も儲かる商売が「人を搾取すること」である以上、人を人間以下に貶めることで成り立つ社会構造は温存されているのである。
また、個人の内面の話だって、大事なことほど打ち明けられないのは誰しも経験があることだろう。誰にも理解してもらえない悩みや苦しみを抱えながら、表面的にはにこやかに、幸せそうに暮らしている人を私は何人も知っている。本当は、誰かに分かって欲しいと心の底で願いながら。
そういう人達の一番大事な主張は 、これからも端正なプレゼンで表明されることはないだろう。もちろん例外はあった。キング牧師の「私には夢がある」の演説はそのひとつだ。だがキング牧師の前に、「私を一人の”人間”として扱ってほしい」と主張して撲殺された人達がたくさんいたことを忘れてはならない。その死屍累々があったから、キング牧師が演説できたのである。人として当然の主張を行うにも「名演説」を必要としたのだ、ということは心に留めておかなくてはならない。
話がプレゼンから逸れたようだが、私には何か、プレゼンみたいにわかりやすい、人を魅了する、面白くてためになる、そんな話に慣れてしまうと、人間にとって本当に必要な、虐げられた人々の幽かな声を聞くための力、言葉を奪われた人々の言葉にならない声を聞く力が失われてしまうような、そんな気がして怖ろしいのである。
それは私の杞憂かもしれない。プレゼンは多くの社会的課題に目を向けさせ、貧困や環境問題の克服のためのアイデアを広めている。志も能力も高い人たちが、そのアイデアを世の中に広めるために、今日も聴衆を前に心を摑むプレゼンを行っている。プレゼンは目を背けたい現実を直視させるための手法にもなっている。
もちろん素晴らしいプレゼンを聞いても、その場で「へー!」と思うだけで何も変わらない人もいるだろう。でも聞かないよりはマシである。素晴らしいプレゼンのお陰で、世界は少しずつ良くなっていくと私は信じたい。
でも「これからの社会にはプレゼン能力は必須!」と考えて、なんであれ主張を行うには多くの人の共感を得られるようにスマートにまとめなくてはならない、という風潮になっていくとしたら問題だ。今はまだ、そこまではないとしても。
私たちは、時にはたどたどしい主張にも耳を傾けるべきである。いや、そういうものこそ、意識して聞かなくてはならない。まさか「プレゼンがヘタだ」ということで、主張そのものに聞く価値がないと判断するような社会にしてはいけないと思う。
ここでいう「プレゼン」とは、多くの場合プロジェクタでスライドを使いながら聴衆に向かって話す、あれである。元々の「プレゼンテーション」はもっと広い概念で、「人に主張を理解してもらうための弁論」というくらいのものだと思うが、とりあえずここでは狭い意味で使う。
プレゼン的なものはずっと前から重要だったが、最近PCスキルが普遍化してきたことやプロジェクタがかなり普及したことで、スライドを使うプレゼンが一般化し、また上手なプレゼンが多くなってきた。
もちろんこれはいいことだ。スライドを見ながら説明すれば複雑なことでもわかりやすく伝えられるし、いろんな情報を盛り込める。弁舌だけで人を熱中させるのは難しいが、写真や図や動画を一緒に使えば話はずっと生き生きする。 私は前から選挙演説を「プレゼン化」して欲しいと思っていて、あれこそプロジェクタを使って図やグラフを用いてやるべきだと思う。
ちょっと前(といってももう数年も前か)、サンデル先生の政治哲学の授業が流行ったことがあったが、あれもプレゼン的な授業だった。サンデル先生はそれほどスライドを使わなかったけれど、黒板ではなくてスライドをメインにして授業をするというのが大学の講義として新しかったと思う(あくまでも当時の日本の常識から見て)。その後TEDが世界中の優れた人たちのとびきりのプレゼンを配信するようになり、日本でもどんどんプレゼンの技術は高まっていった。
プレゼンには、人にうまく考えを伝えるためのノウハウがいっぱいあって、素晴らしいプレゼンは人を昂揚させ、楽しませ、感動させ、インスピレーションを与える。そういうプレゼンが出来る人は、ビジネスでも社会活動でも重宝される。私もプレゼンがもっとうまくなりたいと常々思っている。
が…、何かこの、「これからの社会にはプレゼン能力は必須!」とでも言わんばかりの雰囲気には違和感がある。
いや、上手なプレゼンはいいものだと思っている。問題は、それを聞く聴衆の姿勢の方である。
というのは、うまい話をするよりも、人の話を聞く方がずっと大事なことだと私は思っているからだ。そして、本当に大事なことは、ほとんどの場合、端正なプレゼンによって表明されるのではなく、遠慮がちに、ささやくような声で、むしろ呻きに似た形でしか表に出されないという現実があるからだ。いや、それどころか、人々の心の中にある一番大事な主張は、ずっと胸の奥にしまったままで、一生に一度も外に出されることはない、ということだってよくあることなのである。
そんな馬鹿な! と人は言うかもしれない。「言わなきゃわかんないだろ!」と。黙っていたら誰にも相手されないのだから。しかしそういう人達は、まさにそれが一番大事な主張だからこそ、それが非難され、黙殺され、蹂躙され、なかったことにされるのが怖ろしくて、黙っていたのである。
例えば、「私を一人の”人間”として扱ってほしい」といったような主張がそれだ。これまで人間並みに扱われなかった多くの人々——奴隷、女性、被差別階級といったような——は、そういうたった一つの重要な主張を、一生なしえないでいた。
それは過去の話ではある。でもこれは、現代でもそっくりそのまま当てはまるのだ。確かに奴隷はおおっぴらには存在しない。男女平等の世の中になった。少なくとも名目上は差別は撤廃された。それはそうである。しかし最も儲かる商売が「人を搾取すること」である以上、人を人間以下に貶めることで成り立つ社会構造は温存されているのである。
また、個人の内面の話だって、大事なことほど打ち明けられないのは誰しも経験があることだろう。誰にも理解してもらえない悩みや苦しみを抱えながら、表面的にはにこやかに、幸せそうに暮らしている人を私は何人も知っている。本当は、誰かに分かって欲しいと心の底で願いながら。
そういう人達の一番大事な主張は 、これからも端正なプレゼンで表明されることはないだろう。もちろん例外はあった。キング牧師の「私には夢がある」の演説はそのひとつだ。だがキング牧師の前に、「私を一人の”人間”として扱ってほしい」と主張して撲殺された人達がたくさんいたことを忘れてはならない。その死屍累々があったから、キング牧師が演説できたのである。人として当然の主張を行うにも「名演説」を必要としたのだ、ということは心に留めておかなくてはならない。
話がプレゼンから逸れたようだが、私には何か、プレゼンみたいにわかりやすい、人を魅了する、面白くてためになる、そんな話に慣れてしまうと、人間にとって本当に必要な、虐げられた人々の幽かな声を聞くための力、言葉を奪われた人々の言葉にならない声を聞く力が失われてしまうような、そんな気がして怖ろしいのである。
それは私の杞憂かもしれない。プレゼンは多くの社会的課題に目を向けさせ、貧困や環境問題の克服のためのアイデアを広めている。志も能力も高い人たちが、そのアイデアを世の中に広めるために、今日も聴衆を前に心を摑むプレゼンを行っている。プレゼンは目を背けたい現実を直視させるための手法にもなっている。
もちろん素晴らしいプレゼンを聞いても、その場で「へー!」と思うだけで何も変わらない人もいるだろう。でも聞かないよりはマシである。素晴らしいプレゼンのお陰で、世界は少しずつ良くなっていくと私は信じたい。
でも「これからの社会にはプレゼン能力は必須!」と考えて、なんであれ主張を行うには多くの人の共感を得られるようにスマートにまとめなくてはならない、という風潮になっていくとしたら問題だ。今はまだ、そこまではないとしても。
私たちは、時にはたどたどしい主張にも耳を傾けるべきである。いや、そういうものこそ、意識して聞かなくてはならない。まさか「プレゼンがヘタだ」ということで、主張そのものに聞く価値がないと判断するような社会にしてはいけないと思う。
2017年11月1日水曜日
コスト・ダウンをやめ、コスト・アップを図れ
先日、加世田の若手農家Kさんのところにいって、ショウガを仕入れてきた。
「南薩の田舎暮らし」では「ジンジャーエールシロップ」を製造・販売しているが、この原材料となるショウガはKさんから仕入れている。
実は、自分でも2年ほどショウガを作付して作ってみたものの、どうも上手にできなくて、プロのKさんから買った方が美味しくできるのでKさんに頼っているのである。
ところで、今回のショウガの仕入れにあたり、一つ誇りたいことがある。
それは、ショウガの値段を1キロあたり250円から300円に上げてもらったことである。
値上げは、Kさんからお願いされたわけではない。自分の方から、1キロあたり300円で買い取らせて欲しい、と逆の意味での「価格交渉」をしたのである。
Kさんの方からは、別に値上げしてほしいという要望はなかったし、業者にいくらで卸しているのかも知らなかった。でも、自分たちで考えてみて、ショウガが1キロ250円はちょっと安すぎる! このままでは何か悪い感じがする! と思って値上げしてもらったのだ。
このように、仕入れ先からの交渉によらず、自分たちの考えで仕入れの値段を上げるということは普通のビジネスではちょっと考えられないことだと思う。普通は、仕入れの値段を下げようと交渉するものだ。
でも仕入れ値をあえて上げさせているからといって、私が大儲けしているわけではない。もちろん、「ジンジャーエールシロップ」の売れ行きがいいということはあるが、今年ようやく黒字になった程度である。それどころか、国民年金保険料の免除・減額の手続きをしたり、相変わらず貧乏な暮らしは続いているのである。
それでも仕入れ値を上げてもらったのは、1キロあたり250円はフェアでない価格だと思ったからだ。フェアトレード、という考え方は何も途上国相手にだけ適用するべきものでなくて、通常の商売においても常にフェア(公正)を念頭に置くべきだと思う。
そしてもうひとつ強く言いたいことがある。
今の時代、コスト・ダウンではなく、コスト・アップが必要だ、ということだ。
もう20年以上も続く不況によって、ビジネスではコスト・ダウンばかりが叫ばれ、誰もコスト・アップを試みる人はいない。当たり前である。コスト・ダウンをすれば利益が増える。利益が増えれば給料が増える。コスト・ダウンをすれば効率化になる。効率化ということは生産性があがる。生産性があがるということは、GDPが増える、ハズだった。
だが、逆からみればそれは正しくなかった。コスト・ダウンをすると、コストを削減された業者にとっては収入が減るということだった。社会全体がコスト・ダウンばかりしていると、実はみんなの収入が減ってしまう。購買力が落ちるから、ものが売れなくなる。コスト・ダウンによって生産性を上げるどころか、ものが売れなくなって生産性が落ちてしまった。
その上、コスト・ダウンというのは、無駄の削減である場合は必ずしも多くない。
無駄を削れ、とよく言われる。だが、ビジネスのフローにおいて本当に無駄な部分というのは実は少ない。鉄板の厚みを1mm削る、といったことも、単に強度や耐久性を犠牲にしているだけのことが多い。強度や耐久性なんて無駄なんだ! といえばそれまでかもしれない。でも、そういうことを20年も続けてきたおかげで、世の中には軽薄短小な安物ばかりが増えてしまった。
一方で、極限にまで無駄を切り詰めているビジネスの世界で、未だに書類にはハンコが必要だ、といったような馬鹿らしい無駄がはびこっているようにも見える。無駄を省き続けた20年、日本は一切無駄のないスマートな社会になったんだろうか? とてもそうは見えない。本当に省くべき無駄が温存されて、品質や人々の暮らしが犠牲になってきただけなのではないか?
そもそも、無駄を省くとか、効率性を上げるということは、実はコスト・ダウンを図ることによっては成し遂げられないことだ。効率化するにはむしろ、冗長な部分を作ること、余白を作ること、贅肉をつけることから始めなくてはならない。一度余裕のある状態にしておいて、そこから新しく効率のよい道筋を探るというようにしないと、余裕のないギチギチの状態から無駄をなくそうとしても、部分的には最適化できるかもしれないが全体はどんどんいびつになっていく。
筋トレでも、最初から筋肉をつけるのは難しい。最初はたくさん食べて贅肉をつけ、それをトレーニングによって筋肉に変えていくのが王道である。ただ痩せたいならひたすらトレーニングを続ければ減量はできるが、本当の意味での体作りにはならない。だがこの20年、日本社会はひたすら無駄を省くという過酷なトレーニングをするばかりで、体作りはしてこなかったのではないだろうか。
だから私は提唱したい。コスト・ダウンではなく、今度はコスト・アップを図ってはどうかと。これは簡単である。取引先に行って、これまで100円で仕入れていたものを110円にしてくださいと頼めばいい。断る人は誰もいないだろう。
そんなことをしたら利益がなくなる! と思うかもしれない。これまでギリギリにまで切り詰めていた製造コストを、いきなり上げるなんて不可能だと。確かに、あなたの会社だけがコストを上げるならその通りである。だが、それを社会全体でしたらどうか?
仕入れコストも大きくなるが、ものの値段も少しずつ上がる。だから給料も上がる。社会全体がコスト・アップすれば、基本的には社会全体の収入は増える。そしてもっと重要なことは、100円で卸していたものが110円に値上げできるとすれば、その製造会社には10円分の余力が生まれ、新たな創意工夫の余地が生まれるということなのだ。
コストを切り詰められる、ということは、打てる手がどんどん少なくなっていくことを意味する。100円のものを90円にコスト・ダウンしてくれといわれれば、出来ることは限られる。工程を減らし、原材料を減らし、人件費を安くし、手数はどんどん減っていく。だが、100円のものを110円にしてもよいと言われれば、その10円分は未来に向けて使うことができる。
また、コストを減らすことばかり考えていると、コストを減らすためのコストが見えなくなってくる。役所仕事が典型であるが、100円の無駄を省くために500円かける、なんてことは、実はよくあることなのだ。
先日、あるイベントの会議で、「通訳ボランティアを確保するにはどうしたらいいのか」みたいな議論がされていた。難しいことである。イベントのボランティアを確保するだけでも大変なのに、通訳まで出来る人に協力してもらうのはさらに難しい。
だからその場で「通訳は専門職なのだから、ちゃんと仕事として依頼したらよい」と発言してみた。そうしたら、「そうだよね。ボランティアでやってもらおうとするから難しいだけで、普通に依頼したら簡単だよね」という方向になってほっと一安心したのだが、今の日本社会はこういうことがよくあるのではないか。コストをちょっとでも削りたいがために、難しい課題をクリアしなければならないような場面が。
ちょっとのコストを削減するために知恵を絞るよりも、もっと生産的なことに頭脳を使った方がいいのである。
もちろん、こんな議論は理想論で、現場を知らない空想的なものだ、という批判はあるだろう。生き馬の目を抜く競争社会で、お願いされてもいないコスト・アップなどするのは馬鹿げていると。だが極限にまで無駄を切り詰めたその先には、もはや社会の発展など望めないのではないかと私は思う。
先日、経団連の会長が「国民の痛みを伴う思い切った改革を」と首相に提言したそうである。 ならば、まずは企業が自主的に利益を犠牲にして、コスト・アップを図ってはどうかと思う。取引先に値上げを促せばよい。すぐにでもできることだ。そうすれば、日本経済にどれだけよい効果があるかわからない。一時的には企業も痛みを伴うかもしれないが、長い目でみれば素晴らしい成長策になる。
コスト・ダウンはもう十分なのだ。コスト・アップを社会全体でやる方が、ずっと将来性がある。
私はショウガの仕入れでそれをした。次はあなたの番である。
「南薩の田舎暮らし」では「ジンジャーエールシロップ」を製造・販売しているが、この原材料となるショウガはKさんから仕入れている。
実は、自分でも2年ほどショウガを作付して作ってみたものの、どうも上手にできなくて、プロのKさんから買った方が美味しくできるのでKさんに頼っているのである。
ところで、今回のショウガの仕入れにあたり、一つ誇りたいことがある。
それは、ショウガの値段を1キロあたり250円から300円に上げてもらったことである。
値上げは、Kさんからお願いされたわけではない。自分の方から、1キロあたり300円で買い取らせて欲しい、と逆の意味での「価格交渉」をしたのである。
Kさんの方からは、別に値上げしてほしいという要望はなかったし、業者にいくらで卸しているのかも知らなかった。でも、自分たちで考えてみて、ショウガが1キロ250円はちょっと安すぎる! このままでは何か悪い感じがする! と思って値上げしてもらったのだ。
このように、仕入れ先からの交渉によらず、自分たちの考えで仕入れの値段を上げるということは普通のビジネスではちょっと考えられないことだと思う。普通は、仕入れの値段を下げようと交渉するものだ。
でも仕入れ値をあえて上げさせているからといって、私が大儲けしているわけではない。もちろん、「ジンジャーエールシロップ」の売れ行きがいいということはあるが、今年ようやく黒字になった程度である。それどころか、国民年金保険料の免除・減額の手続きをしたり、相変わらず貧乏な暮らしは続いているのである。
それでも仕入れ値を上げてもらったのは、1キロあたり250円はフェアでない価格だと思ったからだ。フェアトレード、という考え方は何も途上国相手にだけ適用するべきものでなくて、通常の商売においても常にフェア(公正)を念頭に置くべきだと思う。
そしてもうひとつ強く言いたいことがある。
今の時代、コスト・ダウンではなく、コスト・アップが必要だ、ということだ。
もう20年以上も続く不況によって、ビジネスではコスト・ダウンばかりが叫ばれ、誰もコスト・アップを試みる人はいない。当たり前である。コスト・ダウンをすれば利益が増える。利益が増えれば給料が増える。コスト・ダウンをすれば効率化になる。効率化ということは生産性があがる。生産性があがるということは、GDPが増える、ハズだった。
だが、逆からみればそれは正しくなかった。コスト・ダウンをすると、コストを削減された業者にとっては収入が減るということだった。社会全体がコスト・ダウンばかりしていると、実はみんなの収入が減ってしまう。購買力が落ちるから、ものが売れなくなる。コスト・ダウンによって生産性を上げるどころか、ものが売れなくなって生産性が落ちてしまった。
その上、コスト・ダウンというのは、無駄の削減である場合は必ずしも多くない。
無駄を削れ、とよく言われる。だが、ビジネスのフローにおいて本当に無駄な部分というのは実は少ない。鉄板の厚みを1mm削る、といったことも、単に強度や耐久性を犠牲にしているだけのことが多い。強度や耐久性なんて無駄なんだ! といえばそれまでかもしれない。でも、そういうことを20年も続けてきたおかげで、世の中には軽薄短小な安物ばかりが増えてしまった。
一方で、極限にまで無駄を切り詰めているビジネスの世界で、未だに書類にはハンコが必要だ、といったような馬鹿らしい無駄がはびこっているようにも見える。無駄を省き続けた20年、日本は一切無駄のないスマートな社会になったんだろうか? とてもそうは見えない。本当に省くべき無駄が温存されて、品質や人々の暮らしが犠牲になってきただけなのではないか?
そもそも、無駄を省くとか、効率性を上げるということは、実はコスト・ダウンを図ることによっては成し遂げられないことだ。効率化するにはむしろ、冗長な部分を作ること、余白を作ること、贅肉をつけることから始めなくてはならない。一度余裕のある状態にしておいて、そこから新しく効率のよい道筋を探るというようにしないと、余裕のないギチギチの状態から無駄をなくそうとしても、部分的には最適化できるかもしれないが全体はどんどんいびつになっていく。
筋トレでも、最初から筋肉をつけるのは難しい。最初はたくさん食べて贅肉をつけ、それをトレーニングによって筋肉に変えていくのが王道である。ただ痩せたいならひたすらトレーニングを続ければ減量はできるが、本当の意味での体作りにはならない。だがこの20年、日本社会はひたすら無駄を省くという過酷なトレーニングをするばかりで、体作りはしてこなかったのではないだろうか。
だから私は提唱したい。コスト・ダウンではなく、今度はコスト・アップを図ってはどうかと。これは簡単である。取引先に行って、これまで100円で仕入れていたものを110円にしてくださいと頼めばいい。断る人は誰もいないだろう。
そんなことをしたら利益がなくなる! と思うかもしれない。これまでギリギリにまで切り詰めていた製造コストを、いきなり上げるなんて不可能だと。確かに、あなたの会社だけがコストを上げるならその通りである。だが、それを社会全体でしたらどうか?
仕入れコストも大きくなるが、ものの値段も少しずつ上がる。だから給料も上がる。社会全体がコスト・アップすれば、基本的には社会全体の収入は増える。そしてもっと重要なことは、100円で卸していたものが110円に値上げできるとすれば、その製造会社には10円分の余力が生まれ、新たな創意工夫の余地が生まれるということなのだ。
コストを切り詰められる、ということは、打てる手がどんどん少なくなっていくことを意味する。100円のものを90円にコスト・ダウンしてくれといわれれば、出来ることは限られる。工程を減らし、原材料を減らし、人件費を安くし、手数はどんどん減っていく。だが、100円のものを110円にしてもよいと言われれば、その10円分は未来に向けて使うことができる。
また、コストを減らすことばかり考えていると、コストを減らすためのコストが見えなくなってくる。役所仕事が典型であるが、100円の無駄を省くために500円かける、なんてことは、実はよくあることなのだ。
先日、あるイベントの会議で、「通訳ボランティアを確保するにはどうしたらいいのか」みたいな議論がされていた。難しいことである。イベントのボランティアを確保するだけでも大変なのに、通訳まで出来る人に協力してもらうのはさらに難しい。
だからその場で「通訳は専門職なのだから、ちゃんと仕事として依頼したらよい」と発言してみた。そうしたら、「そうだよね。ボランティアでやってもらおうとするから難しいだけで、普通に依頼したら簡単だよね」という方向になってほっと一安心したのだが、今の日本社会はこういうことがよくあるのではないか。コストをちょっとでも削りたいがために、難しい課題をクリアしなければならないような場面が。
ちょっとのコストを削減するために知恵を絞るよりも、もっと生産的なことに頭脳を使った方がいいのである。
もちろん、こんな議論は理想論で、現場を知らない空想的なものだ、という批判はあるだろう。生き馬の目を抜く競争社会で、お願いされてもいないコスト・アップなどするのは馬鹿げていると。だが極限にまで無駄を切り詰めたその先には、もはや社会の発展など望めないのではないかと私は思う。
先日、経団連の会長が「国民の痛みを伴う思い切った改革を」と首相に提言したそうである。 ならば、まずは企業が自主的に利益を犠牲にして、コスト・アップを図ってはどうかと思う。取引先に値上げを促せばよい。すぐにでもできることだ。そうすれば、日本経済にどれだけよい効果があるかわからない。一時的には企業も痛みを伴うかもしれないが、長い目でみれば素晴らしい成長策になる。
コスト・ダウンはもう十分なのだ。コスト・アップを社会全体でやる方が、ずっと将来性がある。
私はショウガの仕入れでそれをした。次はあなたの番である。
2016年5月31日火曜日
マルヤガーデンズで講演をすることになったのですが…。
ここだけの話、今年の11月19日にマルヤガーデンズで講演することになった。演題は未定。今、何をしゃべろうか思案している。
私は東京工業大学の数学科、というバリバリの理系の学校を出ていて、その同窓会(蔵前工業会と言います)の鹿児島県支部では年1回講演イベントを実施している。これは「Tech Garden Salon」といって「アートやカルチャーを楽しむように、テクノロジーの世界を楽しみましょう」というコンセプトの、いわば「テクノロジーをテーマにした社交の場」なんである。そして、今年は私にその講師の役割が回ってきたというわけだ(この同窓会、メンバーがとても少ないのですぐに出番が回ってくる)。
このイベント、初回の一昨年は鹿児島大学の山口教授が「コンクリート」の話を、昨年は鹿児島大学名誉教授の井上先生が「まちづくりと景観」の話をした。教授、名誉教授ときて、学者でもなんでもない、百姓の私の出番なのである。うーん、困った。
同窓会のメンバーからは、「普段何をしているかを話すだけでも面白いと思いますよ」などと茶化され(?)てはいるが、そうなるとほとんどテクノロジーの話が出てこないのでイベントのコンセプトとずれることになる。私の農業は、ブログだけを読むと理論的にやっているように見えるかもしれないが、実際は「理論」は1%だけで残りの99%は「根性」だ。
でも自分の普段やっていることとほとんど関係のないテクノロジーの話なんかすることもできないし、結局話せることといえば、「田舎暮らし」のこと以外にはないような気がする。ただ、「田舎暮らし」について語るといっても、「田舎暮らしは楽しい」と言うつもりもないし(都会暮らしだって楽しいと思う)、特にこれといって主張したいこともない。というより、こちらに移住してきてから4年半も経つが、まだ田舎暮らしに対する確固たる視座というか、立場が定まっていないところがあって、語るに語れない部分がある。
そういう風にウジウジ考えていたのだが、一応仮のテーマを決めましょうということになったので、もう内容は考えずに「田舎」と「工学」を合わせて「田舎工学」について話します、と見得を切った次第である。少しでも「テクノロジー」の要素がないといけないと思うと、やっぱりエンジニアリング=工学の視点が必要なのだ。当然、こんな学問は私の知る限りないので、この架空の学問について話してみようと思う。
さて、「都市工学」というと、これは文字通り都市を作っていく工学で、各種のインフラ設計や都市内のゾーニングといったことを研究対象にする。一方マイナーだが「農村工学」という学問分野もあって、こっちは土地改良(農地の造成)とか水利の問題(農業用ダムの設計や運用)というようなことを扱う。要するに、どちらも「生産性の高い地域を作っていくためのインフラ設計」をテーマにしているわけだ。
そういう考え方でいうと、「田舎工学」の内容はどうなるだろう。「農村工学」と近い部分もあるが、ちょっと根本的に違う気もする。そもそも「田舎」というのが情緒的な概念で、都市とか農村みたいな言葉とは違う。鹿児島市内(南薩の人からすれば都会)は首都圏からみたら「田舎」かもしれないし、そもそも出身地という意味で「田舎」ということもあり、「田舎」を人口密度なんかで定義づけることはできない。
つまり「田舎」は常に「誰かにとっての田舎」なのであり、それを語る「人」を抜きにしては成立しない概念である。ということは、「田舎工学」が田舎を作っていく工学だとしても、まず考えなければならないのはインフラとかより「人」である。そして「田舎」という言葉自体が何か「生産性」と別のベクトルを向いているような気がして、都市工学や農村工学みたいに「発展のためのインフラづくり」そのものを語るのは違うように思う。
講演では、今のところ、私自身がどういう考えで南薩の田舎に移住してきたかということを皮切りにして、 「これからの時代、田舎の方がかえって面白い可能性があるんじゃないか」というような雰囲気を伝え、楽しい田舎暮らしを作っていくとはどういうことなのか、というやや分析的な話に持っていきたいと思っている(現時点で、そういう分析があるわけではありません)。
と、書いてはみたものの、正直いうとどういう話をしたらいいのかやっぱりわからない。私には田舎暮らしに関してこれといって信念とか主張がないのでどうも話の「軸」が定まらない感じである。自分が何を言いたいか、ということより、聴衆が何を聞きたいのか、ということから出発して講演の内容を考えた方が早いかもしれない。
というわけで、ブログの読者のみなさんにお願いである! こんな話が聞きたい、ということがあれば(田舎暮らしに直接関係なくても可)、ぜひご意見をコメント欄にでもお聞かせください。講演内容検討の参考とさせていただきます!
私は東京工業大学の数学科、というバリバリの理系の学校を出ていて、その同窓会(蔵前工業会と言います)の鹿児島県支部では年1回講演イベントを実施している。これは「Tech Garden Salon」といって「アートやカルチャーを楽しむように、テクノロジーの世界を楽しみましょう」というコンセプトの、いわば「テクノロジーをテーマにした社交の場」なんである。そして、今年は私にその講師の役割が回ってきたというわけだ(この同窓会、メンバーがとても少ないのですぐに出番が回ってくる)。
このイベント、初回の一昨年は鹿児島大学の山口教授が「コンクリート」の話を、昨年は鹿児島大学名誉教授の井上先生が「まちづくりと景観」の話をした。教授、名誉教授ときて、学者でもなんでもない、百姓の私の出番なのである。うーん、困った。
同窓会のメンバーからは、「普段何をしているかを話すだけでも面白いと思いますよ」などと茶化され(?)てはいるが、そうなるとほとんどテクノロジーの話が出てこないのでイベントのコンセプトとずれることになる。私の農業は、ブログだけを読むと理論的にやっているように見えるかもしれないが、実際は「理論」は1%だけで残りの99%は「根性」だ。
でも自分の普段やっていることとほとんど関係のないテクノロジーの話なんかすることもできないし、結局話せることといえば、「田舎暮らし」のこと以外にはないような気がする。ただ、「田舎暮らし」について語るといっても、「田舎暮らしは楽しい」と言うつもりもないし(都会暮らしだって楽しいと思う)、特にこれといって主張したいこともない。というより、こちらに移住してきてから4年半も経つが、まだ田舎暮らしに対する確固たる視座というか、立場が定まっていないところがあって、語るに語れない部分がある。
そういう風にウジウジ考えていたのだが、一応仮のテーマを決めましょうということになったので、もう内容は考えずに「田舎」と「工学」を合わせて「田舎工学」について話します、と見得を切った次第である。少しでも「テクノロジー」の要素がないといけないと思うと、やっぱりエンジニアリング=工学の視点が必要なのだ。当然、こんな学問は私の知る限りないので、この架空の学問について話してみようと思う。
さて、「都市工学」というと、これは文字通り都市を作っていく工学で、各種のインフラ設計や都市内のゾーニングといったことを研究対象にする。一方マイナーだが「農村工学」という学問分野もあって、こっちは土地改良(農地の造成)とか水利の問題(農業用ダムの設計や運用)というようなことを扱う。要するに、どちらも「生産性の高い地域を作っていくためのインフラ設計」をテーマにしているわけだ。
そういう考え方でいうと、「田舎工学」の内容はどうなるだろう。「農村工学」と近い部分もあるが、ちょっと根本的に違う気もする。そもそも「田舎」というのが情緒的な概念で、都市とか農村みたいな言葉とは違う。鹿児島市内(南薩の人からすれば都会)は首都圏からみたら「田舎」かもしれないし、そもそも出身地という意味で「田舎」ということもあり、「田舎」を人口密度なんかで定義づけることはできない。
つまり「田舎」は常に「誰かにとっての田舎」なのであり、それを語る「人」を抜きにしては成立しない概念である。ということは、「田舎工学」が田舎を作っていく工学だとしても、まず考えなければならないのはインフラとかより「人」である。そして「田舎」という言葉自体が何か「生産性」と別のベクトルを向いているような気がして、都市工学や農村工学みたいに「発展のためのインフラづくり」そのものを語るのは違うように思う。
講演では、今のところ、私自身がどういう考えで南薩の田舎に移住してきたかということを皮切りにして、 「これからの時代、田舎の方がかえって面白い可能性があるんじゃないか」というような雰囲気を伝え、楽しい田舎暮らしを作っていくとはどういうことなのか、というやや分析的な話に持っていきたいと思っている(現時点で、そういう分析があるわけではありません)。
と、書いてはみたものの、正直いうとどういう話をしたらいいのかやっぱりわからない。私には田舎暮らしに関してこれといって信念とか主張がないのでどうも話の「軸」が定まらない感じである。自分が何を言いたいか、ということより、聴衆が何を聞きたいのか、ということから出発して講演の内容を考えた方が早いかもしれない。
というわけで、ブログの読者のみなさんにお願いである! こんな話が聞きたい、ということがあれば(田舎暮らしに直接関係なくても可)、ぜひご意見をコメント欄にでもお聞かせください。講演内容検討の参考とさせていただきます!
2016年5月9日月曜日
子どもが小学生になると親も大変
少数ながらこのブログをチェックしてくれている人がいるのは知っている。……というわけで、最近あまり更新できていなくてすいません。
というのも、タダでさえ4月というのは田植えやら春作の植え付けやらで忙しいのに、上の娘がこの4月で大浦小学校にめでたく入学して、どうもまだ生活リズムが摑めず、ブログを書く時間が取れずにいた。
まだ子どもが小学校に上がっていない人は、子どもが小学生になっても親にはそこまで関係ないだろ、と思うかもしれない。実際、さほど影響を受けないという親もいるので、みんながみんなそうだ、というわけではない。
でもうちの場合は、(自分がだらしないこともあり)小学校に対応するのに親が苦労している。
まず何に苦労するかというと、子どもを早起きさせないといけない。うちは、大浦小学校から2キロくらい離れたところにあって、子どもの足だと45分はかかる。8時までに始業準備を終えることとされているので、7時には子どもを家から出さないといけない。
そのためには、6時には娘を起こさないといけない。朝の準備をもうちょっと能動的にこなせるようになったら出発30分前に起きるくらいでもいいだろうが、今はまだ「制服に着替えなさい」とかいちいち言ってる段階なので、1時間くらいかけてノンビリ準備させる方がこっちの気が楽である。
で、6時に起こすためには夜は8時半に寝かしたい。この頃の子どもは10時間くらい睡眠を必要とするらしいので、理想的には8時就寝がいいが、それだと早すぎて親の方が対応しきれないので8時半にしている。でも8時半でも十分早い。5時過ぎに学童クラブから帰ってきて就寝するまで3時間くらいしかない計算だ。この間に、ご飯を食べてお風呂に入って次の日の準備をして、本を読んで、となると本当にスケジュールが過密である。実際、このスケジュール通りにいってる日は4日に1回くらいかもしれない。
でも早寝させたら、夜に自分の時間を長く取れるので良い面もある……はずだが、下の子の生活リズムはまだそういう風になっていないので、下の子は10時近くまで起きていることがよくある。そして当然ながら朝寝坊である。結局、何が大変かというと、小学校の上の子と、保育園の下の子という二つの違うリズムで動いている相手を世話しないといけないことなんだろう。両方小学校に上がったら、随分楽になる気がする。
ところで、大浦小学校の新一年生は10人。幸いにしてまだ複式学級ではなく、今後数年はその規模が維持される見通し。大浦小学校は、かつて「南薩一のマンモス校」と呼ばれたらしく、児童数が1500人を超えていたこともあったそうだ。広々とした校庭がかつての賑わいの名残である。今では、この校庭は子どもたちには広すぎるくらいだ。
ちなみに、幸いにして、近くに小学生4年生と3年生の先輩がいるので、朝はその子たちと一緒に登校させてもらっている。
入学して2週間くらいは学校近くまで一緒に歩いて慣れさせた。次の2週間は、その先輩のお家まで送っていった。こうして、朝いちいち送っていくのがまた大変だった。でも今日は、先輩のお家へも独りで歩かせてみた。それで、今日めでたく、家を独りで出て行くということができるようになったのである! よかったよかった(小学生に人気のない道を45分も歩かせていいのか、安全面とか大丈夫なのか。という観点からすると全然よくはないのだが、そこは悩ましいところ)。
というわけで、親の方もだんだん小学校の生活リズムに慣れてきて、ようやく新年度の仕事に身を入れていけそうです。
というのも、タダでさえ4月というのは田植えやら春作の植え付けやらで忙しいのに、上の娘がこの4月で大浦小学校にめでたく入学して、どうもまだ生活リズムが摑めず、ブログを書く時間が取れずにいた。
まだ子どもが小学校に上がっていない人は、子どもが小学生になっても親にはそこまで関係ないだろ、と思うかもしれない。実際、さほど影響を受けないという親もいるので、みんながみんなそうだ、というわけではない。
でもうちの場合は、(自分がだらしないこともあり)小学校に対応するのに親が苦労している。
まず何に苦労するかというと、子どもを早起きさせないといけない。うちは、大浦小学校から2キロくらい離れたところにあって、子どもの足だと45分はかかる。8時までに始業準備を終えることとされているので、7時には子どもを家から出さないといけない。
そのためには、6時には娘を起こさないといけない。朝の準備をもうちょっと能動的にこなせるようになったら出発30分前に起きるくらいでもいいだろうが、今はまだ「制服に着替えなさい」とかいちいち言ってる段階なので、1時間くらいかけてノンビリ準備させる方がこっちの気が楽である。
で、6時に起こすためには夜は8時半に寝かしたい。この頃の子どもは10時間くらい睡眠を必要とするらしいので、理想的には8時就寝がいいが、それだと早すぎて親の方が対応しきれないので8時半にしている。でも8時半でも十分早い。5時過ぎに学童クラブから帰ってきて就寝するまで3時間くらいしかない計算だ。この間に、ご飯を食べてお風呂に入って次の日の準備をして、本を読んで、となると本当にスケジュールが過密である。実際、このスケジュール通りにいってる日は4日に1回くらいかもしれない。
でも早寝させたら、夜に自分の時間を長く取れるので良い面もある……はずだが、下の子の生活リズムはまだそういう風になっていないので、下の子は10時近くまで起きていることがよくある。そして当然ながら朝寝坊である。結局、何が大変かというと、小学校の上の子と、保育園の下の子という二つの違うリズムで動いている相手を世話しないといけないことなんだろう。両方小学校に上がったら、随分楽になる気がする。
ところで、大浦小学校の新一年生は10人。幸いにしてまだ複式学級ではなく、今後数年はその規模が維持される見通し。大浦小学校は、かつて「南薩一のマンモス校」と呼ばれたらしく、児童数が1500人を超えていたこともあったそうだ。広々とした校庭がかつての賑わいの名残である。今では、この校庭は子どもたちには広すぎるくらいだ。
ちなみに、幸いにして、近くに小学生4年生と3年生の先輩がいるので、朝はその子たちと一緒に登校させてもらっている。
入学して2週間くらいは学校近くまで一緒に歩いて慣れさせた。次の2週間は、その先輩のお家まで送っていった。こうして、朝いちいち送っていくのがまた大変だった。でも今日は、先輩のお家へも独りで歩かせてみた。それで、今日めでたく、家を独りで出て行くということができるようになったのである! よかったよかった(小学生に人気のない道を45分も歩かせていいのか、安全面とか大丈夫なのか。という観点からすると全然よくはないのだが、そこは悩ましいところ)。
というわけで、親の方もだんだん小学校の生活リズムに慣れてきて、ようやく新年度の仕事に身を入れていけそうです。
2016年1月6日水曜日
恭賀新年
明けましておめでとうございます。
(フライングして普通の記事を昨日書いてしまいましたが)
こちらに移住してきてから4年、そろそろ生活や仕事の基盤ができあがり、暮らしが安定してこなくてはいけない時である。でも今のところまだ基盤づくりすらまだ十分に出来ていない。
昨年の大きな目標は、「ちゃんと収入があるように」やっていきたい、ということだったが、それが達成できなかったのが心苦しい。といっても途中まではそれなりに出来ていたと思う。でも8月に台風直撃を受けて三歩進んで二歩下がる状態になり、様々なことがうまくいかなかった半年だった。柑橘が豊作だったので一昨年よりはマシだと思うが多分去年の所得も100万円未満だろう(ちなみに一昨年は70万円だった)。
年間の所得が100万円未満で、家族4人がどうやって暮らしているのだろうと私自身思う。メディアでは「年収300万円未満の低所得者が…」といった言葉が聞かれるように、年収が200万円台だと多くのことがままならない生活になる。100万円台になると収入のほとんどが必要経費に消えて、裁量的に使えるお金がなくなる。ましてや100万円未満では、現実的に生活ができない。
でも、救いがあるとすれば農村で生活していることで、お金がないと万事どうしようもない都会と違って、田舎でやっていればお金がないなりになんとか暮らしていけるのが不思議である。もちろん貯金も取り崩しながらであるが…。しかし今年は「青年就農給付金」という農業の補助金も遂に支給が終わってしまうので、油断していると本当に生活が破綻する危険がある。
というわけで、今年の目標も引き続き「ちゃんと収入がある農業を実践する」ということにしたい(低レベルな目標ですいません)。具体的には、(1)栽培している植物の管理をしっかり行う、(2)作付面積を増やす、(3)個人販売に力を入れる、の3点である。
とはいっても、目先の収入のことだけを考えていたら面白くないので、収入とは直結しないが、(4)農業の理論的な勉強をする、(5)小菜園でいろいろな野菜を作って物産館に出荷し、野菜作りの経験を積む、(6)耕作放棄地を開墾して果樹類を植える、というようなことにも引き続き取り組んでいこうと思う。
それから、ようやく植物を育てるということのリズム感が摑めてきたので、今年は(7)ハーブの栽培、に取り組んでみたいと思う。以前ちょっとだけつくってみたら、意外と難しくて挫折したので、改めて勉強するつもりでやってみたい。ハーブも全然儲からないと言われているが、経費くらいは出るようにやってみるつもりである。
農業以外の面では、去年は地域情報の発信みたいなことがあまりできなかったので、今年はブログで地域情報(風景や文化や歴史)についてもうちょっと情報発信をしてみたい。需要があるかどうかはともかく、ちゃんと地域のことについて知るということが生活の基本だと思うので、自分のために調べて書いていくつもりだ。
また、今年は本にまつわる何か(イベント?)もやってみたいと思っている。読書メモブログも少しだけリニューアルしたので、本と自分の関わり方も少し変わっていきそうな予感がする。今はしまいっぱなしになっている本たちも、ちゃんとしかるべき本棚に陳列できるように準備をしていこう。
もちろん、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」「公民館 de 夜カフェ」みたいなイベントも引き続きやっていきたい。収入には直結しなくても、楽しいことに前向きに取り組むことが結果的によい展開を生むのではないかと思うし、そもそも楽しくなかったら移住してきた意味もない。あんまり「楽しいこと」に軸足を置きすぎると収入の方が疎かになるのでそこはシビアにバランスを取りつつ、今年一年も笑って暮らせるようにしていきたいものである。
というわけで、今年もよろしくお願いいたします。
(フライングして普通の記事を昨日書いてしまいましたが)
こちらに移住してきてから4年、そろそろ生活や仕事の基盤ができあがり、暮らしが安定してこなくてはいけない時である。でも今のところまだ基盤づくりすらまだ十分に出来ていない。
昨年の大きな目標は、「ちゃんと収入があるように」やっていきたい、ということだったが、それが達成できなかったのが心苦しい。といっても途中まではそれなりに出来ていたと思う。でも8月に台風直撃を受けて三歩進んで二歩下がる状態になり、様々なことがうまくいかなかった半年だった。柑橘が豊作だったので一昨年よりはマシだと思うが多分去年の所得も100万円未満だろう(ちなみに一昨年は70万円だった)。
年間の所得が100万円未満で、家族4人がどうやって暮らしているのだろうと私自身思う。メディアでは「年収300万円未満の低所得者が…」といった言葉が聞かれるように、年収が200万円台だと多くのことがままならない生活になる。100万円台になると収入のほとんどが必要経費に消えて、裁量的に使えるお金がなくなる。ましてや100万円未満では、現実的に生活ができない。
でも、救いがあるとすれば農村で生活していることで、お金がないと万事どうしようもない都会と違って、田舎でやっていればお金がないなりになんとか暮らしていけるのが不思議である。もちろん貯金も取り崩しながらであるが…。しかし今年は「青年就農給付金」という農業の補助金も遂に支給が終わってしまうので、油断していると本当に生活が破綻する危険がある。
というわけで、今年の目標も引き続き「ちゃんと収入がある農業を実践する」ということにしたい(低レベルな目標ですいません)。具体的には、(1)栽培している植物の管理をしっかり行う、(2)作付面積を増やす、(3)個人販売に力を入れる、の3点である。
とはいっても、目先の収入のことだけを考えていたら面白くないので、収入とは直結しないが、(4)農業の理論的な勉強をする、(5)小菜園でいろいろな野菜を作って物産館に出荷し、野菜作りの経験を積む、(6)耕作放棄地を開墾して果樹類を植える、というようなことにも引き続き取り組んでいこうと思う。
それから、ようやく植物を育てるということのリズム感が摑めてきたので、今年は(7)ハーブの栽培、に取り組んでみたいと思う。以前ちょっとだけつくってみたら、意外と難しくて挫折したので、改めて勉強するつもりでやってみたい。ハーブも全然儲からないと言われているが、経費くらいは出るようにやってみるつもりである。
農業以外の面では、去年は地域情報の発信みたいなことがあまりできなかったので、今年はブログで地域情報(風景や文化や歴史)についてもうちょっと情報発信をしてみたい。需要があるかどうかはともかく、ちゃんと地域のことについて知るということが生活の基本だと思うので、自分のために調べて書いていくつもりだ。
また、今年は本にまつわる何か(イベント?)もやってみたいと思っている。読書メモブログも少しだけリニューアルしたので、本と自分の関わり方も少し変わっていきそうな予感がする。今はしまいっぱなしになっている本たちも、ちゃんとしかるべき本棚に陳列できるように準備をしていこう。
もちろん、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」「公民館 de 夜カフェ」みたいなイベントも引き続きやっていきたい。収入には直結しなくても、楽しいことに前向きに取り組むことが結果的によい展開を生むのではないかと思うし、そもそも楽しくなかったら移住してきた意味もない。あんまり「楽しいこと」に軸足を置きすぎると収入の方が疎かになるのでそこはシビアにバランスを取りつつ、今年一年も笑って暮らせるようにしていきたいものである。
というわけで、今年もよろしくお願いいたします。
2015年7月15日水曜日
ジラフェスタオルと寄附の話
ジラフェス(大浦"ZIRA ZIRA" FES)のタオルが納品された!
タオルへのデザインは初めてだったのでちゃんとイメージ通りの印刷になるか不安だったが、想定以上にちゃんと印刷されていてビックリ。色も業者指定のインクを使わず、自分好みの色を勝手に使ったのにかなり再現性が高かった。業者の方に感謝!
デザインについても、地味すぎるんじゃないかという心配もしていたが、今のところ思った以上に好評をいただいているようである(自画自賛ですいません)。
ちなみに、ポスターでは「当日販売」を謳っているが実際には結構予約で捌けているらしい。「南薩の田舎暮らし」でも予約をとって20枚くらい売れた。このタオルは実用性とかいうよりイベントへの寄附のための商品だから、こうして応援してくれる人がたくさんいるというのは本当にすごいことだと思う。
そういう人が、気分よく500円を払ってくれるようなデザインになっていたら嬉しい。
ちょっと話が逸れるが、お祭りへの寄附をするとタオルならぬ「手ぬぐい」をもらえるところが結構ある。手ぬぐいが欲しくて寄附をする人は皆無だろうが、やっぱり形として何かもらえると寄附というのはしやすい。
それでいつも残念に思うのは、街で高校生がやっている「あしなが育英基金へのご協力をよろしくお願いしまーす」みたいな街頭活動。けなげな高校生が一生懸命頑張っているにしてはお金の集まりがいまいちではないかと心配だ。アレも何か「対価」的なものを準備すれば随分と成果が違ってくるのではないかと思ってしまう。
例えば、アメリカなんかで教会とかクラブ活動のような非営利活動の活動資金集めを行う時に「ベイクセール」というのがある。これは、実質的には寄付集めなのだが、ただ「お金をくださーい」というのではなくて、みんなでドーナツやクッキーなどを焼いて(ベイク=bake)、それを販売するというものである。要するにチャリティバザーを焼き菓子でやるわけだ。
もちろんベイクセールといえば寄附集めであることは道行く人はちゃんとわかっていて、 お菓子を食べたい人を対象にしているというよりは、「がんばってお菓子を焼いたから協力よろしくね」というメッセージを送っているのではないかと思う(実際にベイクセールをやっているところを観たことはないので想像で書いています)。
でもそういう対価があれば、やっぱり寄附はしやすいのが人情なのではないだろうか。対価として釣り合ったものでなくても、何か具体的な形が手に入る方が「ご協力をよろしくお願いしまーす」だけより、財布に手が伸びるような気がする。
ましてやけなげな高校生が作ったお菓子なら、少々高くても買ってあげようという人がいるだろう。そうすれば彼らの寄附集めももっとうまくいくのではないだろうか。
ただ、実際にはこのアイデアを日本で実行するのは難しい。日本では加工食品の販売は規制がやかましく、 アメリカのように気軽に飲食物を販売できないということである(アメリカの規制は未詳ですが)。アメリカでは、庭先でやるレモネードスタンドが子どもの小遣い稼ぎとしてよくあるらしいが、こういうのも日本で(許可を取らないで)やったら違法で、許可を取るには鹿児島県の場合3000円もかかって小遣い稼ぎにならない。
こういう、子どもによる寄附集めとか小遣い稼ぎのようなものの形態にも、食品衛生法の規制みたいな一見無関係なことが遠く影響を及ぼしていて、本当に規制というのは怖ろしいものだと思う。
タオルへのデザインは初めてだったのでちゃんとイメージ通りの印刷になるか不安だったが、想定以上にちゃんと印刷されていてビックリ。色も業者指定のインクを使わず、自分好みの色を勝手に使ったのにかなり再現性が高かった。業者の方に感謝!
デザインについても、地味すぎるんじゃないかという心配もしていたが、今のところ思った以上に好評をいただいているようである(自画自賛ですいません)。
ちなみに、ポスターでは「当日販売」を謳っているが実際には結構予約で捌けているらしい。「南薩の田舎暮らし」でも予約をとって20枚くらい売れた。このタオルは実用性とかいうよりイベントへの寄附のための商品だから、こうして応援してくれる人がたくさんいるというのは本当にすごいことだと思う。
そういう人が、気分よく500円を払ってくれるようなデザインになっていたら嬉しい。
ちょっと話が逸れるが、お祭りへの寄附をするとタオルならぬ「手ぬぐい」をもらえるところが結構ある。手ぬぐいが欲しくて寄附をする人は皆無だろうが、やっぱり形として何かもらえると寄附というのはしやすい。
それでいつも残念に思うのは、街で高校生がやっている「あしなが育英基金へのご協力をよろしくお願いしまーす」みたいな街頭活動。けなげな高校生が一生懸命頑張っているにしてはお金の集まりがいまいちではないかと心配だ。アレも何か「対価」的なものを準備すれば随分と成果が違ってくるのではないかと思ってしまう。
例えば、アメリカなんかで教会とかクラブ活動のような非営利活動の活動資金集めを行う時に「ベイクセール」というのがある。これは、実質的には寄付集めなのだが、ただ「お金をくださーい」というのではなくて、みんなでドーナツやクッキーなどを焼いて(ベイク=bake)、それを販売するというものである。要するにチャリティバザーを焼き菓子でやるわけだ。
もちろんベイクセールといえば寄附集めであることは道行く人はちゃんとわかっていて、 お菓子を食べたい人を対象にしているというよりは、「がんばってお菓子を焼いたから協力よろしくね」というメッセージを送っているのではないかと思う(実際にベイクセールをやっているところを観たことはないので想像で書いています)。
でもそういう対価があれば、やっぱり寄附はしやすいのが人情なのではないだろうか。対価として釣り合ったものでなくても、何か具体的な形が手に入る方が「ご協力をよろしくお願いしまーす」だけより、財布に手が伸びるような気がする。
ましてやけなげな高校生が作ったお菓子なら、少々高くても買ってあげようという人がいるだろう。そうすれば彼らの寄附集めももっとうまくいくのではないだろうか。
ただ、実際にはこのアイデアを日本で実行するのは難しい。日本では加工食品の販売は規制がやかましく、 アメリカのように気軽に飲食物を販売できないということである(アメリカの規制は未詳ですが)。アメリカでは、庭先でやるレモネードスタンドが子どもの小遣い稼ぎとしてよくあるらしいが、こういうのも日本で(許可を取らないで)やったら違法で、許可を取るには鹿児島県の場合3000円もかかって小遣い稼ぎにならない。
こういう、子どもによる寄附集めとか小遣い稼ぎのようなものの形態にも、食品衛生法の規制みたいな一見無関係なことが遠く影響を及ぼしていて、本当に規制というのは怖ろしいものだと思う。
2015年2月4日水曜日
近所の中学校で講演させてもらいました
先日、近所の大笠(だいりゅう)中学校で講演をしてきた。名目としては「立志記念講演」ということで、中学2年生を対象としたもの。
立志式というのは、どうも全国的な風習ではないようだが、要は立志の時(15歳)を迎えたことを祝い、大人になる自覚を深める行事である。最近は「式」のようなことはしないことも多いのだということで、「式」の代わりに講演が行われ、それに呼ばれていったというわけである。
どうして私などに講演を依頼してきたのかはよく分からないが(町内で頑張っている人に話を聞こう、というような趣旨らしい)、「こういう話をしてほしい!」というような明確な要望もなかったので、普段の授業では聞くことがないであろう刺激的な話をしようということにした。
その内容と言えば、「これからの時代を生き抜くための教養講座」と題して、「君たちが大人になる頃は日本にとって大変厳しい時代になっていて、ぼやぼやしているとどうしようもない人生が待っている。しかも田舎モノには大変なハンデがあるのだから、危機感を抱くべきだ。これからの時代を生き抜くため、英語、インターネット、デジタルツールを使いこなそう!」というような感じである。
このメッセージがどれくらい中学生に実感をもって伝わったのか、正直心許ない。なにしろ、与えられた70分という時間の中で、約100ページ(!)ものスライドを使用し、まくし立てるように発表した。今流行りのスティーブ・ジョブズ流のエレガントなプレゼンテーションとは真逆の講演だったと思う。
だが、聴講してくれた中学生(30人くらい?)の一人でも、何か感じとり、これからの人生を歩む参考にしてくれたら望外の喜びである。そして、中学生にとっては内容がぎゅっと詰まった講演だったと思うが、最後まで真面目に聴講してくれたみなさんに感謝である。自分にとってもいい経験になりました。
立志式というのは、どうも全国的な風習ではないようだが、要は立志の時(15歳)を迎えたことを祝い、大人になる自覚を深める行事である。最近は「式」のようなことはしないことも多いのだということで、「式」の代わりに講演が行われ、それに呼ばれていったというわけである。
どうして私などに講演を依頼してきたのかはよく分からないが(町内で頑張っている人に話を聞こう、というような趣旨らしい)、「こういう話をしてほしい!」というような明確な要望もなかったので、普段の授業では聞くことがないであろう刺激的な話をしようということにした。
その内容と言えば、「これからの時代を生き抜くための教養講座」と題して、「君たちが大人になる頃は日本にとって大変厳しい時代になっていて、ぼやぼやしているとどうしようもない人生が待っている。しかも田舎モノには大変なハンデがあるのだから、危機感を抱くべきだ。これからの時代を生き抜くため、英語、インターネット、デジタルツールを使いこなそう!」というような感じである。
このメッセージがどれくらい中学生に実感をもって伝わったのか、正直心許ない。なにしろ、与えられた70分という時間の中で、約100ページ(!)ものスライドを使用し、まくし立てるように発表した。今流行りのスティーブ・ジョブズ流のエレガントなプレゼンテーションとは真逆の講演だったと思う。
だが、聴講してくれた中学生(30人くらい?)の一人でも、何か感じとり、これからの人生を歩む参考にしてくれたら望外の喜びである。そして、中学生にとっては内容がぎゅっと詰まった講演だったと思うが、最後まで真面目に聴講してくれたみなさんに感謝である。自分にとってもいい経験になりました。
2015年1月26日月曜日
突然の訃報に接して
新聞にも出たが、同じ集落の大いなる先輩である窪 俊夫おじさんが先日不慮の事故で亡くなった。
農業の傍ら、教育委員長や森林組合長といった要職を歴任され、勲五等瑞宝章まで受章していたが、全く尊大な感じはなく、誰に対しても気さくな方だった。
それに経歴もさることながら、90歳を超えても未来へ向けた夢を描いているようなところがあって、しかもただ夢を描くだけでなく、老齢にしてそれを少しでも実現しようとする行動力があった。その生きる姿勢にはいつも頭が下がるような思いがしていたところである。
実は昨年、俊夫おじさんに「これまでの人生の話を聞かせてください」と頼んで話を聞かせてもらい、それを筆記して「聞き書きによる自分史」を作ろうと企てていた。しかしこの突然の訃報に接し、あえなくその計画は頓挫した。もちろん、話を聞く時間は作ろうと思えば作れたはずだ。私に少し積極性が足りなかった。でも俊夫おじさんも90歳を超えてもまだまだお元気だし、急ぐこともないだろう、と思っていたのだ。
だから、作りかけの「自分史」は中途半端なところで唐突に打ち切られることになった。本当に残念なことで、生前もっと話を聞いておけばよかったという後悔に堪えない。
しかし作りかけの部分は、既に公表は差し支えないということで確認してもらっていたし、これを公表することが私なりの弔いだと思うので、ここに公表することにする。
これは俊夫おじさんが生まれてから昭和40年くらいまでの人生を語ったもので、特に何かの役に立つものでもない。歴史的に重要な事実が含まれているわけでもない。しかし戦前を生きた人たちが、どんな風に人生を歩んできたのか、ということを考える時、その一例として何かの参考になるのではないかという思いで書き留めたものである。
↓リンクをクリックしてご覧ください(PDF)
『聞き書きによる「俊夫おじさん」の自分史』
農業の傍ら、教育委員長や森林組合長といった要職を歴任され、勲五等瑞宝章まで受章していたが、全く尊大な感じはなく、誰に対しても気さくな方だった。
それに経歴もさることながら、90歳を超えても未来へ向けた夢を描いているようなところがあって、しかもただ夢を描くだけでなく、老齢にしてそれを少しでも実現しようとする行動力があった。その生きる姿勢にはいつも頭が下がるような思いがしていたところである。
実は昨年、俊夫おじさんに「これまでの人生の話を聞かせてください」と頼んで話を聞かせてもらい、それを筆記して「聞き書きによる自分史」を作ろうと企てていた。しかしこの突然の訃報に接し、あえなくその計画は頓挫した。もちろん、話を聞く時間は作ろうと思えば作れたはずだ。私に少し積極性が足りなかった。でも俊夫おじさんも90歳を超えてもまだまだお元気だし、急ぐこともないだろう、と思っていたのだ。
だから、作りかけの「自分史」は中途半端なところで唐突に打ち切られることになった。本当に残念なことで、生前もっと話を聞いておけばよかったという後悔に堪えない。
しかし作りかけの部分は、既に公表は差し支えないということで確認してもらっていたし、これを公表することが私なりの弔いだと思うので、ここに公表することにする。
これは俊夫おじさんが生まれてから昭和40年くらいまでの人生を語ったもので、特に何かの役に立つものでもない。歴史的に重要な事実が含まれているわけでもない。しかし戦前を生きた人たちが、どんな風に人生を歩んできたのか、ということを考える時、その一例として何かの参考になるのではないかという思いで書き留めたものである。
↓リンクをクリックしてご覧ください(PDF)
『聞き書きによる「俊夫おじさん」の自分史』
2015年1月3日土曜日
恭賀新年
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。
というわけで、早いものでこちらに越してきてから丸3年が経過し、4年目に突入したところである。
農業というのは、普通の商売に比べると極端に動きが遅い。大体の作物は(露地栽培だと)1年に1回しか作付できないし、果樹の場合だと植えてから収穫できるまでに何年もかかる。
だから、1年間農業に携わっても、例えば小売業で1年働くのとは訳が違う。農業の時間感覚を普通の商売で置き換えると、農業での3年が普通の1年くらいの感じだと思う。という風に考えると、私は普通の職業でいうところの1年生を、ようやく終えたばかりということになると思う。晴れて研修期間終了、という感じだ。
これまで、あまり収益のことを考えずに農業をやってきた。日銭を稼ぐことより、技術を学んだり、やったことがないことをやってみたり、基盤を作ることを優先してきた。準備期間みたいに考えていたといってもよい。でも今年からは本腰を入れて農業をやっていくことにしたい(今までがホンキだしてないという意味ではないですよ!)。もっと素直に言えば「ちゃんと収入があるように」やっていきたいということだ(苦笑)。
それから、農業の勉強にしても、これまではあまり理論的なことに触れないようにしてやってきたつもりだ。どうも理屈から入るというのは弊害が大きいような気がして、あんまりその筋の本は読んでいなかった。だが、なんとなく植物のこともわかってきたので、これからはそれなりに学術的な勉強もしていきたいと思う。
ところで、一昨年反省点に挙げた「情報発信」については、昨年はよかった部分もあったし悪かった部分もあって、課題を今年へと持ち越した感がある。どこがよくてどこが悪かったのかは書かないが、総じて「単純な情報発信が疎かになり、マニアックなものに力を注ぎすぎてしまう」ということが言える。このブログの場合は趣味なので構わないが、オフィシャル(南薩の田舎暮らし)の方でもそのケがあるので気をつけたいところである。
ちなみに備忘のために書いておくと、このブログの昨年の訪問者(ユニークユーザー)は42,718人、ページビュー数(PV)は151,479だった。月間にすると大体ユーザー数が4000人くらい、PVは1万3000くらいになるようである。これは別に目標があったわけではないので多いとも少ないとも言えない。それに多ければいいというものでもない。
ただ、定期的に訪問してくださる方もいらっしゃるので、そういう方のためにも、近況報告的なものも含め、「単純な情報発信」を増やしていきたい。「柑橘の世界史」のような読者をものすごく限定する話は、話題がないときにやるようにしたいと思う。
というわけで、早いものでこちらに越してきてから丸3年が経過し、4年目に突入したところである。
農業というのは、普通の商売に比べると極端に動きが遅い。大体の作物は(露地栽培だと)1年に1回しか作付できないし、果樹の場合だと植えてから収穫できるまでに何年もかかる。
だから、1年間農業に携わっても、例えば小売業で1年働くのとは訳が違う。農業の時間感覚を普通の商売で置き換えると、農業での3年が普通の1年くらいの感じだと思う。という風に考えると、私は普通の職業でいうところの1年生を、ようやく終えたばかりということになると思う。晴れて研修期間終了、という感じだ。
これまで、あまり収益のことを考えずに農業をやってきた。日銭を稼ぐことより、技術を学んだり、やったことがないことをやってみたり、基盤を作ることを優先してきた。準備期間みたいに考えていたといってもよい。でも今年からは本腰を入れて農業をやっていくことにしたい(今までがホンキだしてないという意味ではないですよ!)。もっと素直に言えば「ちゃんと収入があるように」やっていきたいということだ(苦笑)。
それから、農業の勉強にしても、これまではあまり理論的なことに触れないようにしてやってきたつもりだ。どうも理屈から入るというのは弊害が大きいような気がして、あんまりその筋の本は読んでいなかった。だが、なんとなく植物のこともわかってきたので、これからはそれなりに学術的な勉強もしていきたいと思う。
ところで、一昨年反省点に挙げた「情報発信」については、昨年はよかった部分もあったし悪かった部分もあって、課題を今年へと持ち越した感がある。どこがよくてどこが悪かったのかは書かないが、総じて「単純な情報発信が疎かになり、マニアックなものに力を注ぎすぎてしまう」ということが言える。このブログの場合は趣味なので構わないが、オフィシャル(南薩の田舎暮らし)の方でもそのケがあるので気をつけたいところである。
ちなみに備忘のために書いておくと、このブログの昨年の訪問者(ユニークユーザー)は42,718人、ページビュー数(PV)は151,479だった。月間にすると大体ユーザー数が4000人くらい、PVは1万3000くらいになるようである。これは別に目標があったわけではないので多いとも少ないとも言えない。それに多ければいいというものでもない。
ただ、定期的に訪問してくださる方もいらっしゃるので、そういう方のためにも、近況報告的なものも含め、「単純な情報発信」を増やしていきたい。「柑橘の世界史」のような読者をものすごく限定する話は、話題がないときにやるようにしたいと思う。
2014年11月10日月曜日
「都会と田舎の接点」としての葬式
我が町大浦の市街地(といえるほどの市街地はないのだが)を通ると、よく葬式の案内が出ている。
大浦は時代に取り残された高齢者が住んでいるような町だから、それはそれは頻繁にお葬式がある。もちろん単純に数で比較したら都市部の方が圧倒的にお葬式は多いが、こちらでは人口密度あたりの葬式数がすごい。
というように書き出すと、暗い話題のようだけれど、最近、これはこれで価値があることのように思えてきた。
なにしろ、お葬式には遠方から人が集まる。都会へ出て行った人たちがほんの僅かな期間でも地元に帰ってくる。この地にほとんど足を踏み入れたことがない親類もやってくる。南さつま市全体で考えてみても、年間に遠方からやってくる葬式の参列者は、ひょっとしたら観光客数よりも多いのではないだろうか。
ということは、葬式は都会と田舎の重要な接点でもあるような気がする。ここで私は、この都会からの参列者を観光客に見立てて地元の物産でも売りつけたらいいのでは、という提案をしたいわけではない。その人たちは、買い物や観光のために来ているのではないし、遠方から来る人は忙しい仕事の合間を縫って来るわけで、葬式を済ませたらすぐに帰らなくてはならない。
でも、せっかく遠い所からやってきて、葬式だけ済ませて帰って行くのも何か物寂しいものがある。私も経験があるが、お線香一本のためにここまで来たのかなあ、という気持ちを抱くときもあるだろう。もちろん、「お線香一本」の価値を軽んずるわけではない。でもせっかく交通費を出して来るのだから、何か前向きなこともあったらなおよい。
じゃあ葬式とどんなものが組み合わさっていたら、葬式という場が「都会と田舎の接点」としてもっと意義深いものになるだろうか。参列者の立場から言えば、「葬式のためとはいえ南薩に来てよかったなあ」と思えるのはどんなプラスアルファがある時だろうか。そこのところは私にも今アイデアがない。ものの売り買いでもなような気がするので、どちらかというと情報発信の一つの場みたいに捉えたらいいのかもしれない。
思えば、「南薩の田舎暮らし」で製作したポストカード「Nansatz Blue」も、一番コンスタントに捌けているのは、西福寺(近所のお寺です)に置かせてもらっている分である。
とすると、お寺が田舎の情報発信に取り組めばよいのだろうか。でもことはそう簡単ではない。何しろ、お寺はたくさんあるお葬式で忙しい。というか、葬式とか法事とかが不定期にあるので、なかなか落ちついて「これからのお寺は、どうしたら地域の発展に寄与できるか」とか考えるヒマもないと思う。今後、団塊の世代がドンドン鬼籍に入っていくのでお寺はさらに忙しくなる。多分、既に僧侶不足が顕在化しているのではないだろうか。
以前も書いたように、私はお寺は田舎の重要なインフラだと思っている。インフラということは、お寺はただ住職の経営物ということではなくて、地域社会(というのが大げさなら少なくとも檀家)が作っていくものだ。お寺のことをお寺任せにしていてはよくない。葬式の段取りを行うのは最近では葬儀社が普通なので、お寺がどうこうという問題でもないかもしれないが、葬式は宗教儀式である以上お寺(僧侶)を省くことはできない。
というわけで、私は別に信心深い方ではなく、むしろ不熱心なほうだが、「都会と田舎の接点」としての葬式(に伴う南薩への来訪)がより意義深くなるような工夫を考えてみたい。読者のみなさんもお葬式にはいろいろ思うことがあると思うので、グッドアイデアをお寄せいただければ幸甚である(でもお寺に直接言ったらなおよいと思う)。
大浦は時代に取り残された高齢者が住んでいるような町だから、それはそれは頻繁にお葬式がある。もちろん単純に数で比較したら都市部の方が圧倒的にお葬式は多いが、こちらでは人口密度あたりの葬式数がすごい。
というように書き出すと、暗い話題のようだけれど、最近、これはこれで価値があることのように思えてきた。
なにしろ、お葬式には遠方から人が集まる。都会へ出て行った人たちがほんの僅かな期間でも地元に帰ってくる。この地にほとんど足を踏み入れたことがない親類もやってくる。南さつま市全体で考えてみても、年間に遠方からやってくる葬式の参列者は、ひょっとしたら観光客数よりも多いのではないだろうか。
ということは、葬式は都会と田舎の重要な接点でもあるような気がする。ここで私は、この都会からの参列者を観光客に見立てて地元の物産でも売りつけたらいいのでは、という提案をしたいわけではない。その人たちは、買い物や観光のために来ているのではないし、遠方から来る人は忙しい仕事の合間を縫って来るわけで、葬式を済ませたらすぐに帰らなくてはならない。
でも、せっかく遠い所からやってきて、葬式だけ済ませて帰って行くのも何か物寂しいものがある。私も経験があるが、お線香一本のためにここまで来たのかなあ、という気持ちを抱くときもあるだろう。もちろん、「お線香一本」の価値を軽んずるわけではない。でもせっかく交通費を出して来るのだから、何か前向きなこともあったらなおよい。
じゃあ葬式とどんなものが組み合わさっていたら、葬式という場が「都会と田舎の接点」としてもっと意義深いものになるだろうか。参列者の立場から言えば、「葬式のためとはいえ南薩に来てよかったなあ」と思えるのはどんなプラスアルファがある時だろうか。そこのところは私にも今アイデアがない。ものの売り買いでもなような気がするので、どちらかというと情報発信の一つの場みたいに捉えたらいいのかもしれない。
思えば、「南薩の田舎暮らし」で製作したポストカード「Nansatz Blue」も、一番コンスタントに捌けているのは、西福寺(近所のお寺です)に置かせてもらっている分である。
とすると、お寺が田舎の情報発信に取り組めばよいのだろうか。でもことはそう簡単ではない。何しろ、お寺はたくさんあるお葬式で忙しい。というか、葬式とか法事とかが不定期にあるので、なかなか落ちついて「これからのお寺は、どうしたら地域の発展に寄与できるか」とか考えるヒマもないと思う。今後、団塊の世代がドンドン鬼籍に入っていくのでお寺はさらに忙しくなる。多分、既に僧侶不足が顕在化しているのではないだろうか。
以前も書いたように、私はお寺は田舎の重要なインフラだと思っている。インフラということは、お寺はただ住職の経営物ということではなくて、地域社会(というのが大げさなら少なくとも檀家)が作っていくものだ。お寺のことをお寺任せにしていてはよくない。葬式の段取りを行うのは最近では葬儀社が普通なので、お寺がどうこうという問題でもないかもしれないが、葬式は宗教儀式である以上お寺(僧侶)を省くことはできない。
というわけで、私は別に信心深い方ではなく、むしろ不熱心なほうだが、「都会と田舎の接点」としての葬式(に伴う南薩への来訪)がより意義深くなるような工夫を考えてみたい。読者のみなさんもお葬式にはいろいろ思うことがあると思うので、グッドアイデアをお寄せいただければ幸甚である(でもお寺に直接言ったらなおよいと思う)。
2014年9月7日日曜日
書体としてのPOP文字について
先日、POP(店先に掲げる宣伝カード)の描き方の研修会に参加した。
研修会の内容のことはともかく、とても気になったのはPOP文字そのものである。
POP一筋31年というとんでもない講師の指導によれば、POP文字というのは、「①四角の中いっぱいに、②タテ線、ヨコ線はまっすぐに、③線で囲まれるところは強調(「ほ」の右下の丸の部分を大きく書く、など)、④書き始めから終わりまで同じペースで終わりはハネない、⑤できるだけ簡略してもよい」というように書くものらしい。
これを素直に守ると画像のような文字になるが、私からするとちょっと品がない字のように見えてしまう。この文字が書いてあるとすぐにPOPだと分かるとはいえ、どうしてこんな文字を書かなくてはならないのだろうか。ぱっと見では、普通に書いた方が断然にきれいな文字ではなかろうか。
POP文字の場合、普段の字のきれいきたないに関わらずほとんどの人が同じような文字を書けるようになる利点があるらしいので、そこは認めるにしても、あえて品のない文字の書き方を指導されているようで腑に落ちない。
ところで話が随分飛ぶようだが、文字の書体というものは幾度となく変転してきた。甲骨文、金文、篆書、隷書、草書、行書、楷書、明朝体、ゴシック体、などなど。こうした書体はどうして変転していったかいうと、主に筆記用具と書く目的が変化していったことによる。例えば篆書から隷書、草書へと変化していくのは、筆の普及が大きく関係している。
これは現代においても変わらない。石川九楊という書家が考察しているが、女の子が書く丸文字が生まれたわけも筆記具の変化によるらしい。元々漢字もひらがなも、縦方向に繋がっていく性質がある。ところが、大学ノートなどは横書きなので、筆記の際に縦に繋がろうとする力に抵抗しなくてはならない。そこで、一文字一文字を分断させて完結させ、まとまりよく見せようとすると自然に丸っこい文字になるという。さらには、ボールペンまたはシャープペンシルという細字に適した筆記具と、行内に文字を小さく書く必要があることからこの傾向が加速され、丸文字が生まれたらしい。
POP文字が生まれたのも同じ視点から考えられる。これは、太いペンを使って遠くからの視認性をよくし、横書きで収まりよく書こうとした結果として生まれた文字なのだろう。考えてみると同様の目的をもった映画の字幕文字と字形が非常に似ている。
そういうわけで、あまり上品とは言えないPOP文字にも、ある程度の合理性はありそうである。ただ、写植の普及で字幕文字がかなり減ったところを見ると(※)、この文字が素晴らしいから使われているというよりも、手軽な次善の策として普及しているのかもしれない。
一方で、講師の先生によると、この文字をちゃんと使ってPOPを作るだけで売り上げが違ってくるというから、POP文字には視認性だけでなく、購買意欲に繋がる秘密もあるのかもしれない。なによりPOP一筋31年というキャリアを積んできた講師の存在自体がPOP文字の必要性を物語っている。
とはいうものの私自身の好みとして、習ったPOP文字はそのままでは使わないような気がする。ただ、買ってくれる人の立場に立って文字を書くというその精神は尊重しつつ、POPを書く必要がある時は自分なりに納得できる文字を使ってゆきたい。
※字幕文字には古くからの愛好者がいて、また長年いろいろな人が工夫してきたことから一種の文化がある。字幕を手書きすることはなくなったが、敢えて手書き風の字幕書体を使っている映画もある(ハリー・ポッターとか)。だからPOP文字もこの先何十年すると洗練された文化となっていくのかもしれない。字幕の手書き文字が減ったのはもちろん予算の都合も大きい。
【補足】2014年9月19日アップデート
一面的すぎる表現の部分があったので修正しました。
研修会の内容のことはともかく、とても気になったのはPOP文字そのものである。
POP一筋31年というとんでもない講師の指導によれば、POP文字というのは、「①四角の中いっぱいに、②タテ線、ヨコ線はまっすぐに、③線で囲まれるところは強調(「ほ」の右下の丸の部分を大きく書く、など)、④書き始めから終わりまで同じペースで終わりはハネない、⑤できるだけ簡略してもよい」というように書くものらしい。
これを素直に守ると画像のような文字になるが、私からするとちょっと品がない字のように見えてしまう。この文字が書いてあるとすぐにPOPだと分かるとはいえ、どうしてこんな文字を書かなくてはならないのだろうか。ぱっと見では、普通に書いた方が断然にきれいな文字ではなかろうか。
POP文字の場合、普段の字のきれいきたないに関わらずほとんどの人が同じような文字を書けるようになる利点があるらしいので、そこは認めるにしても、あえて品のない文字の書き方を指導されているようで腑に落ちない。
ところで話が随分飛ぶようだが、文字の書体というものは幾度となく変転してきた。甲骨文、金文、篆書、隷書、草書、行書、楷書、明朝体、ゴシック体、などなど。こうした書体はどうして変転していったかいうと、主に筆記用具と書く目的が変化していったことによる。例えば篆書から隷書、草書へと変化していくのは、筆の普及が大きく関係している。
これは現代においても変わらない。石川九楊という書家が考察しているが、女の子が書く丸文字が生まれたわけも筆記具の変化によるらしい。元々漢字もひらがなも、縦方向に繋がっていく性質がある。ところが、大学ノートなどは横書きなので、筆記の際に縦に繋がろうとする力に抵抗しなくてはならない。そこで、一文字一文字を分断させて完結させ、まとまりよく見せようとすると自然に丸っこい文字になるという。さらには、ボールペンまたはシャープペンシルという細字に適した筆記具と、行内に文字を小さく書く必要があることからこの傾向が加速され、丸文字が生まれたらしい。
POP文字が生まれたのも同じ視点から考えられる。これは、太いペンを使って遠くからの視認性をよくし、横書きで収まりよく書こうとした結果として生まれた文字なのだろう。考えてみると同様の目的をもった映画の字幕文字と字形が非常に似ている。
そういうわけで、あまり上品とは言えないPOP文字にも、ある程度の合理性はありそうである。ただ、写植の普及で字幕文字がかなり減ったところを見ると(※)、この文字が素晴らしいから使われているというよりも、手軽な次善の策として普及しているのかもしれない。
一方で、講師の先生によると、この文字をちゃんと使ってPOPを作るだけで売り上げが違ってくるというから、POP文字には視認性だけでなく、購買意欲に繋がる秘密もあるのかもしれない。なによりPOP一筋31年というキャリアを積んできた講師の存在自体がPOP文字の必要性を物語っている。
とはいうものの私自身の好みとして、習ったPOP文字はそのままでは使わないような気がする。ただ、買ってくれる人の立場に立って文字を書くというその精神は尊重しつつ、POPを書く必要がある時は自分なりに納得できる文字を使ってゆきたい。
※字幕文字には古くからの愛好者がいて、また長年いろいろな人が工夫してきたことから一種の文化がある。字幕を手書きすることはなくなったが、敢えて手書き風の字幕書体を使っている映画もある(ハリー・ポッターとか)。だからPOP文字もこの先何十年すると洗練された文化となっていくのかもしれない。字幕の手書き文字が減ったのはもちろん予算の都合も大きい。
【補足】2014年9月19日アップデート
一面的すぎる表現の部分があったので修正しました。
2014年2月22日土曜日
鯖でダシを取る「加世田そば」もとい「長屋そば」(と佃煮)
加世田の竹田神社とナフコの間に、「加世田そば」の店がある。ここのお蕎麦がなかなかよい。
加世田そばは、今でこそこういう呼び名だが、元は「長屋(ながや)そば」という。加世田の長屋集落に伝わる蕎麦である。発端は10年くらい前に遡ると思うが、行政が主導した集落の地域興し活動で生まれた「長屋そば部会」が発展し、店を構え、雇用を生んでいるということで、こういう活動の数少ない成功事例でもある。
メニューは、かけそば(420円)、かけそば大盛り(525円)、うどん、ご飯というシンプルなラインナップ。厨房もかなり簡易な感じなので、これが精一杯なのかもしれない。
さて、その長屋そば、特徴はなんといってもダシである。魚介のうまみが豊かで、一見平凡なおそばのツユなのに、どこかいつものそばのツユと違う。
その秘密は、普通はそばやうどんのツユは鰹節と昆布でダシを取ると相場が決まっているが、このツユは鯖(サバ)でダシを取っているのである(※)。長屋では、昔、小湊(こみなと)から運ばれてくる鯖でダシを取ってそばのツユを作ったということで、今でも鰹節ではなく、生鯖節でダシを取っているのである。これは、鰹節のように乾燥した素材ではなく、削って使うのでもない、一般にはあまり使われていないダシの素だと思う。
この、「加世田そば」の店では、ダシを取った後の鯖節を佃煮にして、各テーブルに「ご自由にどうぞ」と置いてある。この鯖の佃煮が大変おいしくて、ダシの副産物とはいえ気前がよい。鹿児島では漬けものが食べ放題の店は多いが、こんなおいしい鯖の佃煮が食べ放題な店は、多分鹿児島でもここだけだろう。
ちなみに、麺の方はと言えば、こちらも伝統的な十割そばで、つなぎの小麦粉などは一切入っていない。そのためにブチブチ切れていて、ツルっと食べるわけにはいかず、味は素朴でおいしいが、私としては食感がイマイチである。それに、小さくちぎれたおそばをドンブリの底からかき集めるのも面倒だ。でも、こういう素朴なそばは、普通の蕎麦屋さんではまず味わうことができないから貴重ではあると思う。
長屋そばは、「加世田そば」の店に行かなくても、吹上浜海浜公園の売店でも食べられる。でもこちらでは、アピールがヘタなのか、そばではなくてみんなうどんを注文しているようだ。このうどんは、地場のものではなくて普通の冷凍うどんを使っている平凡な商品である(だから安いが)。
南さつま市民の間でも、「加世田そば」または「長屋そば」の知名度はまだまだ低いようであるが、一度は味わう価値があるそばだと思う。ちなみに鯖の佃煮はお店では販売もしているので、酒飲みのおつまみに最適だ。ヘタなB級グルメなんかよりずっと美味しいから是非試して欲しい。
※ 鯖以外のツユの材料としては、昆布出汁は入っているが、他に鰯のダシも入っているかもしれない。詳しい配合は不明。
加世田そばは、今でこそこういう呼び名だが、元は「長屋(ながや)そば」という。加世田の長屋集落に伝わる蕎麦である。発端は10年くらい前に遡ると思うが、行政が主導した集落の地域興し活動で生まれた「長屋そば部会」が発展し、店を構え、雇用を生んでいるということで、こういう活動の数少ない成功事例でもある。
メニューは、かけそば(420円)、かけそば大盛り(525円)、うどん、ご飯というシンプルなラインナップ。厨房もかなり簡易な感じなので、これが精一杯なのかもしれない。
さて、その長屋そば、特徴はなんといってもダシである。魚介のうまみが豊かで、一見平凡なおそばのツユなのに、どこかいつものそばのツユと違う。
その秘密は、普通はそばやうどんのツユは鰹節と昆布でダシを取ると相場が決まっているが、このツユは鯖(サバ)でダシを取っているのである(※)。長屋では、昔、小湊(こみなと)から運ばれてくる鯖でダシを取ってそばのツユを作ったということで、今でも鰹節ではなく、生鯖節でダシを取っているのである。これは、鰹節のように乾燥した素材ではなく、削って使うのでもない、一般にはあまり使われていないダシの素だと思う。
この、「加世田そば」の店では、ダシを取った後の鯖節を佃煮にして、各テーブルに「ご自由にどうぞ」と置いてある。この鯖の佃煮が大変おいしくて、ダシの副産物とはいえ気前がよい。鹿児島では漬けものが食べ放題の店は多いが、こんなおいしい鯖の佃煮が食べ放題な店は、多分鹿児島でもここだけだろう。
ちなみに、麺の方はと言えば、こちらも伝統的な十割そばで、つなぎの小麦粉などは一切入っていない。そのためにブチブチ切れていて、ツルっと食べるわけにはいかず、味は素朴でおいしいが、私としては食感がイマイチである。それに、小さくちぎれたおそばをドンブリの底からかき集めるのも面倒だ。でも、こういう素朴なそばは、普通の蕎麦屋さんではまず味わうことができないから貴重ではあると思う。
長屋そばは、「加世田そば」の店に行かなくても、吹上浜海浜公園の売店でも食べられる。でもこちらでは、アピールがヘタなのか、そばではなくてみんなうどんを注文しているようだ。このうどんは、地場のものではなくて普通の冷凍うどんを使っている平凡な商品である(だから安いが)。
南さつま市民の間でも、「加世田そば」または「長屋そば」の知名度はまだまだ低いようであるが、一度は味わう価値があるそばだと思う。ちなみに鯖の佃煮はお店では販売もしているので、酒飲みのおつまみに最適だ。ヘタなB級グルメなんかよりずっと美味しいから是非試して欲しい。
※ 鯖以外のツユの材料としては、昆布出汁は入っているが、他に鰯のダシも入っているかもしれない。詳しい配合は不明。
2013年12月30日月曜日
年末なので今年の反省をしてみました。
信じられないが、もう年末である。時の流れは早い。そして、こちらへ越してきてから丸2年が経過したということになる。
そういえば今年の正月に、昨年の反省と共に抱負を述べたのだが、自分自身への備忘のためにその結果を記しておこうと思う。まず、2012年の反省に対する今年の結果は次の通り。
次に今年の抱負として掲げた3点であるが、
(1)作付体系の検討→果樹と園芸作物という基本的枠組みで考えているが、珍奇な作物をいくつか導入して試行錯誤するという段階である。まだ効率的な作付体系の姿は見えない。
(2)農産加工所の開設→これは実現することができた。ブログでも少し触れてきたが、いずれもう少し突っ込んだ内容を発信していきたい。
(3)有機栽培への挑戦→挑戦だけはしてみた、というところ。正直、成功にはほど遠く、「やらないほうがよかった」というレベルである。しかし、有機栽培が一体何であるかということがボンヤリと見えてきた気もするので、(やめておけという人もいるが)来年も引き続き挑戦してみたい。
というわけで、今年の抱負として掲げた点については、結果はまだ出ていないといえる。農産加工所を開設できたのはよかったが、これも本格的な稼働はこれからであるし、今年の抱負は来年に持ち越しという感じだ。
さて、上記以外に今年の反省点として、情報発信不足ということがあったと思う。ブログ更新の頻度が低下しているということがその象徴だ。原因の一つは、次女こよみが昨年12月に誕生し、夜は寝かしつけや夜泣きのためにPC作業の時間が確保できなかったということがある。しかし最近はお利口さんになってきて夜も寝てくれるようになったので、それも理由にはならない。
情報発信が不足してきた最大の原因は、日々の作業の新規性が薄れ、新鮮な目で「田舎の暮らし」を見られなくなりつつあることだろう(私はそもそも田舎もんであるし)。一方で、興味分野の郷土史などに関してはやたらとマニアックな記事を書くようになってしまったが、これは理解が深くなってきたということだから(読者にとって面白いかは別として)いいことだ。ただ、マニアックな内容を書くにはリサーチが必要なため記事の数が減ってしまう面がある。
新規性が薄れるのはしょうがないことだから、その代わりに深い理解に基づいた記事を書きたいと思っているし、来年は今まで家内に任せていた「南薩の田舎暮らし」(ショップサイト)のブログについても私もちょくちょく書かせてもらうことにして、今までと別の面でも情報発信をしていきたい。来年もよろしくお願いいたします。
そういえば今年の正月に、昨年の反省と共に抱負を述べたのだが、自分自身への備忘のためにその結果を記しておこうと思う。まず、2012年の反省に対する今年の結果は次の通り。
- 農業倉庫建築、機械購入など農業基盤整備があまりできなかった。→未だに倉庫は出来ていないのだが、メドが立ったところ(来年3月には建つと思う)。機械については、先輩農家Kさんの力に負う部分が未だ大きいが、とりあえず間に合う程度には揃えられた。
- 山の整備と利用が進まなかった。→藪と化していたところを開墾して、アボカドとブラックベリー、そしてヘーゼルナッツを植えた(計17a)。だがまだまだ山は残っているので、来年も開墾を進めたい。
- 栽培した作物の管理もあまりよくなかった。→これが農家としては一番重要だが、今年も同様に管理がよくなかった。反省である。
- 農業に関して、いろいろな記録をちゃんとやっていなかった。→いずれブログにも書こうと思うが、農業記録をクラウド化したので、今後しばらくこれを試してみたい。
次に今年の抱負として掲げた3点であるが、
(1)作付体系の検討→果樹と園芸作物という基本的枠組みで考えているが、珍奇な作物をいくつか導入して試行錯誤するという段階である。まだ効率的な作付体系の姿は見えない。
(2)農産加工所の開設→これは実現することができた。ブログでも少し触れてきたが、いずれもう少し突っ込んだ内容を発信していきたい。
(3)有機栽培への挑戦→挑戦だけはしてみた、というところ。正直、成功にはほど遠く、「やらないほうがよかった」というレベルである。しかし、有機栽培が一体何であるかということがボンヤリと見えてきた気もするので、(やめておけという人もいるが)来年も引き続き挑戦してみたい。
というわけで、今年の抱負として掲げた点については、結果はまだ出ていないといえる。農産加工所を開設できたのはよかったが、これも本格的な稼働はこれからであるし、今年の抱負は来年に持ち越しという感じだ。
さて、上記以外に今年の反省点として、情報発信不足ということがあったと思う。ブログ更新の頻度が低下しているということがその象徴だ。原因の一つは、次女こよみが昨年12月に誕生し、夜は寝かしつけや夜泣きのためにPC作業の時間が確保できなかったということがある。しかし最近はお利口さんになってきて夜も寝てくれるようになったので、それも理由にはならない。
情報発信が不足してきた最大の原因は、日々の作業の新規性が薄れ、新鮮な目で「田舎の暮らし」を見られなくなりつつあることだろう(私はそもそも田舎もんであるし)。一方で、興味分野の郷土史などに関してはやたらとマニアックな記事を書くようになってしまったが、これは理解が深くなってきたということだから(読者にとって面白いかは別として)いいことだ。ただ、マニアックな内容を書くにはリサーチが必要なため記事の数が減ってしまう面がある。
新規性が薄れるのはしょうがないことだから、その代わりに深い理解に基づいた記事を書きたいと思っているし、来年は今まで家内に任せていた「南薩の田舎暮らし」(ショップサイト)のブログについても私もちょくちょく書かせてもらうことにして、今までと別の面でも情報発信をしていきたい。来年もよろしくお願いいたします。
2013年11月26日火曜日
大学の同窓会の活動として、小学校で「先生」をしてきました。
ボランティア活動で、小学校で出前授業をしてきた。
私は東京工業大学という「有名な無名大学」の数学科を卒業しているのであるが、この東工大の同窓会を蔵前工業会といって(東工大は、関東大震災の前には国技館の対岸あたり=蔵前にあった)、この蔵前工業会の行う社会貢献事業が「蔵前理科教室ふしぎ不思議」(通称「くらりか」)というケッタイな名前の出前教室である。
要は、大学の同窓会で理科教室の出前授業をやっていて、それに参画しているわけである。ちなみに蔵前工業会鹿児島県支部では、諸事情を踏まえて本部がやっている「くらりか」とは少し毛色の違う出前授業を行っている。まず、小規模特認校を対象として全学年一緒に授業を行うという点、そして、本家は「科学の原理」をテーマにした実験を行っているが、テーマはそれに限らないという点である。
昨年は単なる手伝いだったのだが、今年は何の因果か私自身が授業をすることになり、本日、鹿児島市立一倉小学校(喜入)で「ペンローズ・タイルできれいな模様をつくろう」という授業を行った。
ペンローズ・タイルについては興味があればWikipediaなどで調べてもらえばよいが、とても簡単に言うと、冒頭に掲げた画像のように、どこまでいっても繰り返しがない、でも規則的に並んだ美しい幾何学模様である。
小学生に(も大人にも)なじみがない材料で、しかも小学校1年生にも分かるように説明しなくてはならないということで、「これってきれいでしょ!? 面白いでしょ!?」以上のことを伝えられたか心許ない(というか多分伝えられていないと思う)。
だが、小学生のみんなが熱心に聞いてくれ、やや時間配分で失敗した点もあったが大過なく終われたことに今はホッとしている。年明けには、伊佐市立南永小学校というところでも授業をするので、今日よりも完成度が高い授業ができるようにしていきたい。
ところで、通常、大学の同窓会のボランティア活動などというものは、金も時間も有り余った退職組が活躍するもので、私のようなガキが出る幕はないのが普通である。しかしながら当同窓会はメンバーが少なく、実働部隊となれる人がほとんどいないこともあり、自分の生活すら成り立っていない私が、なぜかボランティア活動をしているというわけだ。そんな暇があるなら生業に励むべきという気もするが、こういう活動が、生業の面でも何か次の展開に結びついたらいいなと思っている(あんまり期待してないが)。
私は東京工業大学という「有名な無名大学」の数学科を卒業しているのであるが、この東工大の同窓会を蔵前工業会といって(東工大は、関東大震災の前には国技館の対岸あたり=蔵前にあった)、この蔵前工業会の行う社会貢献事業が「蔵前理科教室ふしぎ不思議」(通称「くらりか」)というケッタイな名前の出前教室である。
要は、大学の同窓会で理科教室の出前授業をやっていて、それに参画しているわけである。ちなみに蔵前工業会鹿児島県支部では、諸事情を踏まえて本部がやっている「くらりか」とは少し毛色の違う出前授業を行っている。まず、小規模特認校を対象として全学年一緒に授業を行うという点、そして、本家は「科学の原理」をテーマにした実験を行っているが、テーマはそれに限らないという点である。
昨年は単なる手伝いだったのだが、今年は何の因果か私自身が授業をすることになり、本日、鹿児島市立一倉小学校(喜入)で「ペンローズ・タイルできれいな模様をつくろう」という授業を行った。
ペンローズ・タイルについては興味があればWikipediaなどで調べてもらえばよいが、とても簡単に言うと、冒頭に掲げた画像のように、どこまでいっても繰り返しがない、でも規則的に並んだ美しい幾何学模様である。
小学生に(も大人にも)なじみがない材料で、しかも小学校1年生にも分かるように説明しなくてはならないということで、「これってきれいでしょ!? 面白いでしょ!?」以上のことを伝えられたか心許ない(というか多分伝えられていないと思う)。
だが、小学生のみんなが熱心に聞いてくれ、やや時間配分で失敗した点もあったが大過なく終われたことに今はホッとしている。年明けには、伊佐市立南永小学校というところでも授業をするので、今日よりも完成度が高い授業ができるようにしていきたい。
ところで、通常、大学の同窓会のボランティア活動などというものは、金も時間も有り余った退職組が活躍するもので、私のようなガキが出る幕はないのが普通である。しかしながら当同窓会はメンバーが少なく、実働部隊となれる人がほとんどいないこともあり、自分の生活すら成り立っていない私が、なぜかボランティア活動をしているというわけだ。そんな暇があるなら生業に励むべきという気もするが、こういう活動が、生業の面でも何か次の展開に結びついたらいいなと思っている(あんまり期待してないが)。
2013年11月14日木曜日
南さつま市長・市議選挙、ですが…
2013年11月11日〜17日(投票日)で、南さつま市長選挙、及び市議会議員選挙が行われている。なので、選挙カーがそこら中を走り回っており、大変にやかましい。ドイツでは選挙カーや街頭演説が禁止され、「静かな選挙」が行われていると聞くが、日本もそうあって欲しい。
そもそも、選挙カーも政治的理念を述べるとか、何か意味のある主張をするのならばいいのだが、単に候補者の名前を連呼し、「ご支援をお願いいたします」とか言うだけだから、(私にとっては)ほとんど意味がない。
というか、選挙カーだけでなく、選挙においてほとんど政治的主張がなされないというのもまた違和感がある。正確を期すれば、選挙公報には少しはそういうことも書いてあるし、個人演説会などで確認はしていないので、全くないというわけではないのだろうが、少なくとも選挙の中心は政策論争ではない。
では選挙(投票行動)の中心に何があるか、というと、「誰から投票をお願いされたか」ということだと思う。日頃お世話になっている人に協力をお願いされて、その候補者が特に悪そうな感じもなく、他の候補者がよく知らない人ばかりとなれば、その人に投票するのは自然だろう。もちろん、実際に誰に投票したかはお願いした方にはわからないから、しがらみ云々というより、誰からお願いされるかということが、候補者のスクリーニング(篩い分け)として機能していると考えた方がよい。それはそれで、悪いことではないのかもしれない。
しかし、市政というものを市民全員が考える数年に一度のチャンスでもあるし、静かに市政の在り方を見つめ直し、議論することがあってもいいのではないだろうか。
というわけで、自分なりに選挙の争点らしきものを考えてみた。
第1に、人口減及び高齢化への対応である。全国で問題になっていることであり、移住定住の促進といったパイの奪い合い的な対処ではなく、少ない生産人口で街の活力をどうやって維持・増加させるかという観点が必要と思う。産業政策、文化政策、観光政策などを複合的に組み合わせ、停滞した街の雰囲気を打破することが必要だ。もちろん、高齢者を福祉の受益者とだけ見るのではなく、高齢者の力をどう活かすかということも重要である。
人口減というのは、ある意味で子育ての終了にも似ている面がある。子どもが家を巣立っていけば、子ども部屋はいらなくなるし、広いリビングもいらなくなる。家の中は年老いた夫婦だけになり、家庭の活力はある面では失われる。しかし、いらなくなった子ども部屋は何か別のことにも使えるし、定年を迎えるとお金は減るが自由に使える時間は増える。不要な部屋や空いた時間をどう使うかということは、老夫婦の見識次第で素晴らしい可能性も持っている。人口減と高齢化も非常に大きな問題ではあるが、それと同じように、これまでと別の資産が増えるという側面もある。
例えば、人口減により、近年当市では小学校及び中学校の閉校が続いているが、閉校した学校の校舎は実は大きな資産である。大きすぎる公民館として使うのが無難なのだろうが、こういった遊んでいる資産をどう使うか、それが行政の腕の見せ所ではないだろうか。ぜひ前向きな活用を期待したいものである。
第2に、前項と関連するが財政の健全化。南さつま市は全国的に見ても異常に国民健康保険からの支出が大きい(一人当たり医療費が高い)という問題があり、国民健康保険及び介護保険は市の支出の約1/3を占めているので、この問題は大きく取り上げ、改善していく必要がある。今回の市議選でも、福祉の充実を訴えている候補者は多いが、「健康で長生きできる環境」を整えることを訴えている候補者がいないようなのは残念だ。医療費の抑制については、数値目標を定めて意欲的な取り組みをしていくべきである。
市の方もこれに関しては専門家に分析をお願いする予定にしているらしいが、私としてはかなり深刻な問題と思うので、政治的なレベルで取り上げていただきたいと思う。全国的な比較をしてみれば分かる通り、医療水準を低下させずに、医療費をどうやって下げるかということに関しては、南さつま市は日本で最も先端的な取り組みをすべき自治体である。
第3に、合併効果の顕在化。当市は2005年に5つの自治体が合併して誕生したが、既に合併より8年経っており、自治体の寄せ集めではない、南さつま市としての形を見せていく段階に来ている。市議選では、「支所はなくさせない」とか、「各地区の均衡ある発展を」とかいう主張を見るけれども、(私も支所がなくなったらイヤだが)実際には資源配分には冷徹な判断が必要である。もちろん、合併により住民サービスを向上させるべき部分もあってしかるべきだし、合併すなわち過疎地の切り捨てであってはならない。
これに関して隣の南九州市では面白い取り組みがある。南九州市でのお茶の銘柄茶を「知覧茶」に統一しようという動きである。南九州市は市町村として全国一の荒茶の生産量を誇るが、統一した茶のブランドを持っていなかった。これを、市町村合併及び(予定されている)JAの合併に合わせて知名度の高い「知覧茶」にしようという話である。面白いのは、生産量で言えば知覧より頴娃(えい)の方が大きいということで、量が多い方に合わせるという普通の考えでいけば「えい茶」になってもおかしくなかったし、間を取って「南九州茶」という新たなブランドを立ち上げる案もあっただろう。しかし、「知覧茶」の知名度による今後の発展を考えて、あえて生産量の小さな「知覧茶」に統一することにしたのである。
知覧の人には、これまでコツコツと積み上げてきたブランドを他の地区の人に乗っ取られたように思う人もいるかもしれないし、頴娃には「えい茶」がなくなって寂しく思う人もいるかもしれない。というか確実にいるだろう。でも、「知覧茶」に統一する方が未来があると賭けるわけだ。私は、こういうのが合併効果なのではないかと思う。小さな地域の何かが断絶しても、より大きな何かが発展していくような政策が南さつま市でも求められているのではないだろうか。少なくとも、合併を前向きに捉え、それを活用していこうとする考えはあるべきだ。
例えば、些末なことではあるが「加世田郷土資料館」、「笠沙恵比寿」、「輝津館(坊津)」、「歴史交流館金峰」と各地区にある博物館的施設をどう運営していくか。現在はこれらの学芸員間の組織的交流すらもないようだが(伝聞です)、南さつま市の豊かな歴史という資産をどう活用していくのか、各地区でのバラバラの展示から一つ上の段階に進むべき時期だと思う。
以上の3点は、真剣に検討して書いたものではないので、これ以上に重要なことがあるかもしれない。いや、市長選、市議選に出るような人には、もっと深く、広く検討し、我々が気づかない部分まで熟考していて欲しい。だからこそ、ワンフレーズ選挙ですらない、選挙協力だけが踊る選挙が残念だ。各候補者とも、実際には熱い思いを抱いた人なのだろうから、ぜひ中身の濃い選挙活動が展開されることを希望する。
そもそも、選挙カーも政治的理念を述べるとか、何か意味のある主張をするのならばいいのだが、単に候補者の名前を連呼し、「ご支援をお願いいたします」とか言うだけだから、(私にとっては)ほとんど意味がない。
というか、選挙カーだけでなく、選挙においてほとんど政治的主張がなされないというのもまた違和感がある。正確を期すれば、選挙公報には少しはそういうことも書いてあるし、個人演説会などで確認はしていないので、全くないというわけではないのだろうが、少なくとも選挙の中心は政策論争ではない。
では選挙(投票行動)の中心に何があるか、というと、「誰から投票をお願いされたか」ということだと思う。日頃お世話になっている人に協力をお願いされて、その候補者が特に悪そうな感じもなく、他の候補者がよく知らない人ばかりとなれば、その人に投票するのは自然だろう。もちろん、実際に誰に投票したかはお願いした方にはわからないから、しがらみ云々というより、誰からお願いされるかということが、候補者のスクリーニング(篩い分け)として機能していると考えた方がよい。それはそれで、悪いことではないのかもしれない。
しかし、市政というものを市民全員が考える数年に一度のチャンスでもあるし、静かに市政の在り方を見つめ直し、議論することがあってもいいのではないだろうか。
というわけで、自分なりに選挙の争点らしきものを考えてみた。
第1に、人口減及び高齢化への対応である。全国で問題になっていることであり、移住定住の促進といったパイの奪い合い的な対処ではなく、少ない生産人口で街の活力をどうやって維持・増加させるかという観点が必要と思う。産業政策、文化政策、観光政策などを複合的に組み合わせ、停滞した街の雰囲気を打破することが必要だ。もちろん、高齢者を福祉の受益者とだけ見るのではなく、高齢者の力をどう活かすかということも重要である。
人口減というのは、ある意味で子育ての終了にも似ている面がある。子どもが家を巣立っていけば、子ども部屋はいらなくなるし、広いリビングもいらなくなる。家の中は年老いた夫婦だけになり、家庭の活力はある面では失われる。しかし、いらなくなった子ども部屋は何か別のことにも使えるし、定年を迎えるとお金は減るが自由に使える時間は増える。不要な部屋や空いた時間をどう使うかということは、老夫婦の見識次第で素晴らしい可能性も持っている。人口減と高齢化も非常に大きな問題ではあるが、それと同じように、これまでと別の資産が増えるという側面もある。
例えば、人口減により、近年当市では小学校及び中学校の閉校が続いているが、閉校した学校の校舎は実は大きな資産である。大きすぎる公民館として使うのが無難なのだろうが、こういった遊んでいる資産をどう使うか、それが行政の腕の見せ所ではないだろうか。ぜひ前向きな活用を期待したいものである。
第2に、前項と関連するが財政の健全化。南さつま市は全国的に見ても異常に国民健康保険からの支出が大きい(一人当たり医療費が高い)という問題があり、国民健康保険及び介護保険は市の支出の約1/3を占めているので、この問題は大きく取り上げ、改善していく必要がある。今回の市議選でも、福祉の充実を訴えている候補者は多いが、「健康で長生きできる環境」を整えることを訴えている候補者がいないようなのは残念だ。医療費の抑制については、数値目標を定めて意欲的な取り組みをしていくべきである。
市の方もこれに関しては専門家に分析をお願いする予定にしているらしいが、私としてはかなり深刻な問題と思うので、政治的なレベルで取り上げていただきたいと思う。全国的な比較をしてみれば分かる通り、医療水準を低下させずに、医療費をどうやって下げるかということに関しては、南さつま市は日本で最も先端的な取り組みをすべき自治体である。
第3に、合併効果の顕在化。当市は2005年に5つの自治体が合併して誕生したが、既に合併より8年経っており、自治体の寄せ集めではない、南さつま市としての形を見せていく段階に来ている。市議選では、「支所はなくさせない」とか、「各地区の均衡ある発展を」とかいう主張を見るけれども、(私も支所がなくなったらイヤだが)実際には資源配分には冷徹な判断が必要である。もちろん、合併により住民サービスを向上させるべき部分もあってしかるべきだし、合併すなわち過疎地の切り捨てであってはならない。
これに関して隣の南九州市では面白い取り組みがある。南九州市でのお茶の銘柄茶を「知覧茶」に統一しようという動きである。南九州市は市町村として全国一の荒茶の生産量を誇るが、統一した茶のブランドを持っていなかった。これを、市町村合併及び(予定されている)JAの合併に合わせて知名度の高い「知覧茶」にしようという話である。面白いのは、生産量で言えば知覧より頴娃(えい)の方が大きいということで、量が多い方に合わせるという普通の考えでいけば「えい茶」になってもおかしくなかったし、間を取って「南九州茶」という新たなブランドを立ち上げる案もあっただろう。しかし、「知覧茶」の知名度による今後の発展を考えて、あえて生産量の小さな「知覧茶」に統一することにしたのである。
知覧の人には、これまでコツコツと積み上げてきたブランドを他の地区の人に乗っ取られたように思う人もいるかもしれないし、頴娃には「えい茶」がなくなって寂しく思う人もいるかもしれない。というか確実にいるだろう。でも、「知覧茶」に統一する方が未来があると賭けるわけだ。私は、こういうのが合併効果なのではないかと思う。小さな地域の何かが断絶しても、より大きな何かが発展していくような政策が南さつま市でも求められているのではないだろうか。少なくとも、合併を前向きに捉え、それを活用していこうとする考えはあるべきだ。
例えば、些末なことではあるが「加世田郷土資料館」、「笠沙恵比寿」、「輝津館(坊津)」、「歴史交流館金峰」と各地区にある博物館的施設をどう運営していくか。現在はこれらの学芸員間の組織的交流すらもないようだが(伝聞です)、南さつま市の豊かな歴史という資産をどう活用していくのか、各地区でのバラバラの展示から一つ上の段階に進むべき時期だと思う。
以上の3点は、真剣に検討して書いたものではないので、これ以上に重要なことがあるかもしれない。いや、市長選、市議選に出るような人には、もっと深く、広く検討し、我々が気づかない部分まで熟考していて欲しい。だからこそ、ワンフレーズ選挙ですらない、選挙協力だけが踊る選挙が残念だ。各候補者とも、実際には熱い思いを抱いた人なのだろうから、ぜひ中身の濃い選挙活動が展開されることを希望する。
2013年11月1日金曜日
『南薩の昭和』に写真を提供しました
今般『写真アルバム 南薩の昭和』という本が刊行された。昭和の頃の南薩の写真を、地域の人達や行政からかき集めた、そんな本である。パラパラとめくってみると、なかなか興味深い写真が並んでいる。
実は、これに私も十枚程度の写真を提供したので、今日謹呈で贈られてきたところである。
この写真提供に関しては、少し心残りがある。
というのも、我が家に残っていた古い写真からいくつかをピックアップして出版者の方に提供したのだが、編集の最終段階になって、大浦地域の写真提供が他の地域に比べて極端に少ないということを伺った。既に写真提供の締め切りは過ぎていたが、改めて我が家の写真庫を見直したところ、未整理の写真や大浦小学校・中学校の古い卒業アルバムが出てきて、例えば亀ヶ丘の頂上に巨大なパラボラアンテナがあった様子など、大浦の昭和を垣間見ることができる写真が結構たくさん見つかったのである。
だが、締め切りが過ぎていたため、当然だがそれらの写真を提供することはできなかった。提供して掲載された写真もそれなりの写真だったと思うが、それらと同じくらい貴重な写真をこういう機会にアーカイブに残せなかったことが残念である。
それにしても、こういう、地域の写真アルバムの制作はこんなものなのかも知れないが、制作の仕方には驚かされた。写真提供ができるという連絡をしたら出版社(の下請け?)が写真をスキャンしに来て、それだけで終わりだったからだ。写真の謂われとか、背景情報などを取材するのかと思っていたのだが、話をしてもメモすら取らなかったので不審に思っていたところ、キャプションの執筆は各地域で適当な人に下請けさせていたようだ。
キャプションの執筆を担った人も、写真提供者からの話がないと書きにくかっただろう。というより、提供者からの話を元に書くのが当然の制作の仕方だと思うが、出版社はどう考えていたのだろう。
一応付言しておくと、私が提供した分の写真に関しては、そのキャプションは私が執筆や確認に関与しているので、他の写真も結局はそういう対応を取ったのかもしれない。しかし、であれば、最初に写真のスキャンをする時についでに取材していればより効率的であり、やはり出版社のやり方は謎である。せめて雑談のメモぐらい取ればキャプション執筆者の労苦は半減したはずだ。
というように、編集に関してはどうも怪しいところがあるものの、南薩の昭和を覗く貴重な写真がたくさん並んでいるアルバムに、僅かではあれ我が家から写真を提供できたことは喜ばしい。自分としても記念になったし、枯れ木も山の賑わい程度ではあっても社会貢献になったのではないだろうか。
実は、これに私も十枚程度の写真を提供したので、今日謹呈で贈られてきたところである。
この写真提供に関しては、少し心残りがある。
というのも、我が家に残っていた古い写真からいくつかをピックアップして出版者の方に提供したのだが、編集の最終段階になって、大浦地域の写真提供が他の地域に比べて極端に少ないということを伺った。既に写真提供の締め切りは過ぎていたが、改めて我が家の写真庫を見直したところ、未整理の写真や大浦小学校・中学校の古い卒業アルバムが出てきて、例えば亀ヶ丘の頂上に巨大なパラボラアンテナがあった様子など、大浦の昭和を垣間見ることができる写真が結構たくさん見つかったのである。
だが、締め切りが過ぎていたため、当然だがそれらの写真を提供することはできなかった。提供して掲載された写真もそれなりの写真だったと思うが、それらと同じくらい貴重な写真をこういう機会にアーカイブに残せなかったことが残念である。
それにしても、こういう、地域の写真アルバムの制作はこんなものなのかも知れないが、制作の仕方には驚かされた。写真提供ができるという連絡をしたら出版社(の下請け?)が写真をスキャンしに来て、それだけで終わりだったからだ。写真の謂われとか、背景情報などを取材するのかと思っていたのだが、話をしてもメモすら取らなかったので不審に思っていたところ、キャプションの執筆は各地域で適当な人に下請けさせていたようだ。
キャプションの執筆を担った人も、写真提供者からの話がないと書きにくかっただろう。というより、提供者からの話を元に書くのが当然の制作の仕方だと思うが、出版社はどう考えていたのだろう。
一応付言しておくと、私が提供した分の写真に関しては、そのキャプションは私が執筆や確認に関与しているので、他の写真も結局はそういう対応を取ったのかもしれない。しかし、であれば、最初に写真のスキャンをする時についでに取材していればより効率的であり、やはり出版社のやり方は謎である。せめて雑談のメモぐらい取ればキャプション執筆者の労苦は半減したはずだ。
というように、編集に関してはどうも怪しいところがあるものの、南薩の昭和を覗く貴重な写真がたくさん並んでいるアルバムに、僅かではあれ我が家から写真を提供できたことは喜ばしい。自分としても記念になったし、枯れ木も山の賑わい程度ではあっても社会貢献になったのではないだろうか。
2013年8月10日土曜日
南薩のポストカードを制作中
実は今、南薩のポストカードを作っている。
きっかけは何だったか忘れたが、南さつま市が近年「南さつま海道八景」のプロモーションに力を入れているように、南薩のこのあたりは絶景の宝庫であるにも関わらず、なぜかポストカードの一枚も販売されていないため、「ないなら自分たちで作っちゃえ!」と軽い気持ちで始めたのが昨年のこと。
私の写真の腕前はドシロウトであるため、高校の同級生でセミプロカメラマンA君の絶大な協力をお願いして快諾をもらい、また笠沙の現代アート写真家こと向江 新一さんからの写真提供もあって、写真についてはあまり心配していなかったが、いざ撮影をお願いする段階になると(ここをこんな風に撮って欲しいと具体的にお願いしたわけではないが)結構難しい仕事であることに気づいた。
というのも、単なる風景写真ではなくてポストカードにするものだから、見る人が「美しい」と感動するだけでなくて、風景を自分のものとして共感して、それを人にあげたいと思ってもらわなくてはいけない。また、コンテストで入賞するような写真は、撮影者の独自の視点であったり、他の人が見逃していた美しさなどが表現されていることが多いと思うが、ポストカードの場合はあまり独自性がありすぎてもいけないと思う。それは、ポストカードの風景は、撮影者だけのものではなくて、手紙を出す人のものでもあるべきだと思うからだ。
だから、凡百の観光地のポストカードは、誰も文句が言えないような、代表的な絶景を無難に配置するということになっているのだと思う。そして、それで十分な場合もあるだろう。けれども、せっかく私のような一個人が発案して作る風景ポストカードなわけだし、そういう無難なやり方ではなく、これまでにない南薩の表情を切り取ってみたいという欲もある。
このあたりのことは、実際に写真を撮るA君が考え抜き、また悩み抜いたであろうことで、写真を選ぶ(という傲岸な立場の)私はあまり考える必要はなかったのかもしれない。だが、南薩の絶景でポストカードを作る以上、自己満足で終わらせずに、地域の多くの人に実際に使ってもらいたいと思っているし、しかもタダで配るのではなく、大浦ふるさと館等で販売して、経費分くらいは回収したい。ビジネス的にそのくらいできなくては、ただの素人の遊びになってしまう。
それに、この数ヶ月間、A君は写真撮影のために貴重な休日の多くを費やしているわけで、私の方としても自然に、ポストカードを作るということが本当はどういうことなのか、なんとなく考え続けてきた次第である。
そして、ついに、A君からも素晴らしい写真の数々が入稿され、今、印刷段階に入っているところである。5種類作る予定で、シリーズタイトルだけ事前告知しておくと「Nansatz Blue」という。別に青をテーマとしたポストカードというわけではなかったのだが、入稿された写真を見ていると美しい青の写真が多い! ということから、今回は青に絞ってポストカードを作ることになった。「今回」ということは「次回」があるはずで、まだ何も完成品を出していないうちから次回のことを考えるなんて笑止千万とは思うが、A君の撮ったたくさんの写真を目の前にして、5種類とはいわずまだまだ作るべきだ、という思いが強くなった。やはり、南薩は美しい。
うまくいけば発売は8月末か9月初旬である。改めてお知らせするので是非注目してほしい。
きっかけは何だったか忘れたが、南さつま市が近年「南さつま海道八景」のプロモーションに力を入れているように、南薩のこのあたりは絶景の宝庫であるにも関わらず、なぜかポストカードの一枚も販売されていないため、「ないなら自分たちで作っちゃえ!」と軽い気持ちで始めたのが昨年のこと。
私の写真の腕前はドシロウトであるため、高校の同級生でセミプロカメラマンA君の絶大な協力をお願いして快諾をもらい、また笠沙の現代アート写真家こと向江 新一さんからの写真提供もあって、写真についてはあまり心配していなかったが、いざ撮影をお願いする段階になると(ここをこんな風に撮って欲しいと具体的にお願いしたわけではないが)結構難しい仕事であることに気づいた。
というのも、単なる風景写真ではなくてポストカードにするものだから、見る人が「美しい」と感動するだけでなくて、風景を自分のものとして共感して、それを人にあげたいと思ってもらわなくてはいけない。また、コンテストで入賞するような写真は、撮影者の独自の視点であったり、他の人が見逃していた美しさなどが表現されていることが多いと思うが、ポストカードの場合はあまり独自性がありすぎてもいけないと思う。それは、ポストカードの風景は、撮影者だけのものではなくて、手紙を出す人のものでもあるべきだと思うからだ。
だから、凡百の観光地のポストカードは、誰も文句が言えないような、代表的な絶景を無難に配置するということになっているのだと思う。そして、それで十分な場合もあるだろう。けれども、せっかく私のような一個人が発案して作る風景ポストカードなわけだし、そういう無難なやり方ではなく、これまでにない南薩の表情を切り取ってみたいという欲もある。
このあたりのことは、実際に写真を撮るA君が考え抜き、また悩み抜いたであろうことで、写真を選ぶ(という傲岸な立場の)私はあまり考える必要はなかったのかもしれない。だが、南薩の絶景でポストカードを作る以上、自己満足で終わらせずに、地域の多くの人に実際に使ってもらいたいと思っているし、しかもタダで配るのではなく、大浦ふるさと館等で販売して、経費分くらいは回収したい。ビジネス的にそのくらいできなくては、ただの素人の遊びになってしまう。
それに、この数ヶ月間、A君は写真撮影のために貴重な休日の多くを費やしているわけで、私の方としても自然に、ポストカードを作るということが本当はどういうことなのか、なんとなく考え続けてきた次第である。
そして、ついに、A君からも素晴らしい写真の数々が入稿され、今、印刷段階に入っているところである。5種類作る予定で、シリーズタイトルだけ事前告知しておくと「Nansatz Blue」という。別に青をテーマとしたポストカードというわけではなかったのだが、入稿された写真を見ていると美しい青の写真が多い! ということから、今回は青に絞ってポストカードを作ることになった。「今回」ということは「次回」があるはずで、まだ何も完成品を出していないうちから次回のことを考えるなんて笑止千万とは思うが、A君の撮ったたくさんの写真を目の前にして、5種類とはいわずまだまだ作るべきだ、という思いが強くなった。やはり、南薩は美しい。
うまくいけば発売は8月末か9月初旬である。改めてお知らせするので是非注目してほしい。
2013年7月30日火曜日
次女の産まれてからの7ヶ月が虚空に消えるところでした。
愛用のPCが、壊れてしまった…。
愛用、というか、仕事のほぼ全てをそれでこなしていたために、事務仕事ができないという意味で致命的だったし、大切なデータもたくさん入っていたので、もしHDDが死んでしまっていたら…と怖くなったが、どうやらHDDは無事らしい。
Appleのサポートと数回相談した結果、(最初からそうだろうと思っていたが)どうやら原因はソフトウェアではなく、ハードウェアで、おそらくロジックボードの交換になるだろうということになり、めでたく工場に直送されることにあいなったわけである。
これまでPCのクラッシュにはたびたび泣かされてきたが、あまり懲りる方ではないのか、このPCに関しては壊れるまで一度もバックアップを取ってこなかった。MacにはTime Machineというとても優秀な(とAppleが言っている)バックアップ機能があるが、壊れてからようやくこれを起動させた次第である。壊れたといっても、PCが全く使えないわけではなく、セーフモードという必要最低限のシステムで起動するモードでは動かすことができ、またセーフモードでもTime Machineが使えることができたので首の皮一枚で繋がったというところだろうか。
なにしろ、産まれてからまだ一枚もプリントしていない、次女こよみの写真がPCの中に全て入っていて、他にはどこにもバックアップを取っていないという状態だったので、もしPCが完全にお亡くなりになったとしたら、生まれてから約7ヶ月間のこよみちゃんの写真は虚空に消え去るところだった。仕事ができないのは別段たいしたことではないが、長女のアルバムは大量にあるのに、こよみちゃんの写真は一枚もない…というのは重大なことだ。
PCが工場から無事生還したら、まずはこよみちゃんの写真をプリントしたい。
愛用、というか、仕事のほぼ全てをそれでこなしていたために、事務仕事ができないという意味で致命的だったし、大切なデータもたくさん入っていたので、もしHDDが死んでしまっていたら…と怖くなったが、どうやらHDDは無事らしい。
Appleのサポートと数回相談した結果、(最初からそうだろうと思っていたが)どうやら原因はソフトウェアではなく、ハードウェアで、おそらくロジックボードの交換になるだろうということになり、めでたく工場に直送されることにあいなったわけである。
これまでPCのクラッシュにはたびたび泣かされてきたが、あまり懲りる方ではないのか、このPCに関しては壊れるまで一度もバックアップを取ってこなかった。MacにはTime Machineというとても優秀な(とAppleが言っている)バックアップ機能があるが、壊れてからようやくこれを起動させた次第である。壊れたといっても、PCが全く使えないわけではなく、セーフモードという必要最低限のシステムで起動するモードでは動かすことができ、またセーフモードでもTime Machineが使えることができたので首の皮一枚で繋がったというところだろうか。
なにしろ、産まれてからまだ一枚もプリントしていない、次女こよみの写真がPCの中に全て入っていて、他にはどこにもバックアップを取っていないという状態だったので、もしPCが完全にお亡くなりになったとしたら、生まれてから約7ヶ月間のこよみちゃんの写真は虚空に消え去るところだった。仕事ができないのは別段たいしたことではないが、長女のアルバムは大量にあるのに、こよみちゃんの写真は一枚もない…というのは重大なことだ。
PCが工場から無事生還したら、まずはこよみちゃんの写真をプリントしたい。
2013年3月28日木曜日
「南薩の田舎暮らし」のブログはこちら
お気づきの方もいると思うが、本ブログのサイドに「うちの奥さんが書いているショップブログはこちら。」という表示をつけた。
ショップサイト「南薩の田舎暮らし」のブログだが、実態はお店の情報発信だけでなく、私たち家族の日々の暮らしの紹介にもなっている。私自身、ネット通販でお店のブログを見る時は、お店の情報を知りたいというより、お店をやっている方の人柄を見ることが目的であることが多い。そんなわけで、そういう内容にしてもらいたいと家内にお願いして書いてもらっている。
このブログ、(私が言うのもなんだが)なかなかよい。読者の共感を惹起する、というと小難しいが、要は親しみやすく人間味がある。私もそういう文章を書ければよいのだが、私の場合はどうしても教科書調というか、論理展開重視の文章になってしまうので、情報を伝えるにはよいが情緒がない。
そもそも、本ブログ「南薩日乗」も「田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ」と謳って書き始めたのだが、書き綴るうちに次第に日常生活から遊離し、なんだか蘊蓄ブログみたいになってきてしまった。蘊蓄を語ることは目的ではないのだが、せっかくこのブログを訪問してくれた読者に少しでも有用な情報を提供したいと思うと、自然とそういう方向になってしまう。それに、私自身がオタク的な性向を持っていることも大きいだろう。
このブログは単なる趣味だからそれでもよいが、お店のブログというのは仕事であるし、読者を選ぶような(?)私のスタイルでは広報力に限界がある。なにより、私が「南薩の田舎暮らし」で主要ターゲットにしたいと思っている小さな子どもがいる若い女性には全く受けないことが目に見えている。だからわざわざショップブログは家内に書いてもらっているのである。
私が書けないことを、私が書けないスタイルで書いているので、これは車の両輪としていいバランスだと思っている。まだご覧になっていない方は、一度ご訪問いただければ幸いである。
ショップサイト「南薩の田舎暮らし」のブログだが、実態はお店の情報発信だけでなく、私たち家族の日々の暮らしの紹介にもなっている。私自身、ネット通販でお店のブログを見る時は、お店の情報を知りたいというより、お店をやっている方の人柄を見ることが目的であることが多い。そんなわけで、そういう内容にしてもらいたいと家内にお願いして書いてもらっている。
このブログ、(私が言うのもなんだが)なかなかよい。読者の共感を惹起する、というと小難しいが、要は親しみやすく人間味がある。私もそういう文章を書ければよいのだが、私の場合はどうしても教科書調というか、論理展開重視の文章になってしまうので、情報を伝えるにはよいが情緒がない。
そもそも、本ブログ「南薩日乗」も「田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ」と謳って書き始めたのだが、書き綴るうちに次第に日常生活から遊離し、なんだか蘊蓄ブログみたいになってきてしまった。蘊蓄を語ることは目的ではないのだが、せっかくこのブログを訪問してくれた読者に少しでも有用な情報を提供したいと思うと、自然とそういう方向になってしまう。それに、私自身がオタク的な性向を持っていることも大きいだろう。
このブログは単なる趣味だからそれでもよいが、お店のブログというのは仕事であるし、読者を選ぶような(?)私のスタイルでは広報力に限界がある。なにより、私が「南薩の田舎暮らし」で主要ターゲットにしたいと思っている小さな子どもがいる若い女性には全く受けないことが目に見えている。だからわざわざショップブログは家内に書いてもらっているのである。
私が書けないことを、私が書けないスタイルで書いているので、これは車の両輪としていいバランスだと思っている。まだご覧になっていない方は、一度ご訪問いただければ幸いである。
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