2022年12月31日土曜日

チラシくらい自由における場所が街には必要だ

今年もいろいろイベントを開催した。

10月に「儒学・国学・廃仏毀釈」というトークイベントを天文館図書館で、12月には「鹿児島磨崖仏巡礼 vol.5」を名山町のレトロフトで開催した。このほか「books & cafe そらまど」では不定期に「そらまどアカデミア」という講演会を始め、今年は3回開催した。

ありがたいことに、こうしたイベントではだいたい定員いっぱいのお申し込みがあるので、もしかしたら私は「人集めの上手い人、情報発信が得意な人」と思われているかもしれない。

だが私が一番苦手なのが、まさに集客であり情報発信なのだ。このブログや「南薩の田舎暮らし」のブログを見ている人は、その地味な内容を知っているだろうから、納得してくれるに違いない。

しかしそもそも、こうしたブログは集客にはあまり役立たない。というのは、私のブログ記事は閲覧数が平均して100くらいしかないからだ。Facebookは以前はより広くリーチしている実感があったが、最近は直接の知り合い以外には広がりを感じない。

一方、Twitterはより拡散の可能性があるものの、こちらは地縁よりも興味で繋がっていることが多いのでリアルのイベントでの集客力はあまりないように思う。そしてInstagramでの情報発信は写真の魅力に左右されすぎるので私には難しい。要するに、SNSでの情報発信はあんまり頼りにならない。

「そんなのお前のフォロワー数が少ないからだろ」と言われればそれまでだ。しっかりとコンセプトに沿ってアカウントを運営し、良質なフォロワーを多く獲得してきた人にとってSNSは絶大な力を発揮する。しかしそんなことは、普通の人がそうできることではない。いや、得意な人でもかなりの労力を要する。それにポッと出の若者には、これまでの積み上げが必要な手法は使えない。

そもそも、イベントというのは単発的なものである。「この人が鹿児島に来る機会があるから講演してもらおう」みたいなことで企画されるのがイベントの常だ。そうなった時に、内容よりもSNSの発信力、特にこれまでの積み上げが集客にものをいう現状はハードルが高いなと思う。

もちろん、インターネットもSNSもなかった時代に比べれば、情報発信や集客は格段にやりやすくなった。でも私が言いたいのは、ちょっと前のSNSに比べて情報の拡散が難しくなってきている実感がある、ということだ。

その理由はともかく、そうだとするならリアルの情報発信が大事だ、ということになる。伝統的な手段、つまりポスター、チラシ、知り合いに声をかける……といったことに取り組まなければならない。

ところがここで一つ問題がある。それなりに人通りがあり、ポスターやチラシをある程度自由に設置できる場所が、鹿児島には少ないのだ。

その数少ない場所のひとつが、マルヤガーデンズのD & Department 店頭にあるチラシ置き場である(冒頭写真)。ここには私自身大変お世話になっている。なにしろ、奥まった場所でなくて、店の顔となるフロント部分にチラシ置き場を設置してくれている。「消費者」に少しでもモノを売りつけようと迫り出してくる店が多い中で、こういういい場所を無料のチラシ置き場にしているのは店の見識の高さを感じる。

しかしこの前、あるチラシをここに置いてもらいに行ったら、「今後は内容を精査して、お店のコンセプトに合致するチラシだけに限定するかもしれません」とのことだった。どうやらここにチラシを置きたい人が多く、チラシがあふれかかっているために制限をかける必要に迫られているらしい。

そりゃそうだ、と思う。こんなにいい場所に無審査で(といってもお店の人が内容を確認してはいると思う)チラシを置かせてもらえるのは他にない。

ところで数年前、「マークメイザン」という施設が名山町にオープンした。ここは「クリエイティブ産業の成長のため、多角的に経済成長の手助けとなるネットワークを提供し、クリエイターのためのハブ施設」になることを目指しているそうだ。そんなわけで、ここにチラシを置いてもらえないか、オープン直後に話に行ったことがある。

すると、「置くことは可能だが、審査し決裁が必要」とのことだった。これはオープン直後のことなので今は変わっているかもしれないが、「そんなのクリエイティブでもなんでもない」とあきれてそれ以来足を運んでいない。創造性の最大の敵は、そういう官僚的なしくみなのである。

しかしこれはマークメイザンだけでなく、公共の場所では普通のことである。それどころか公共の施設にチラシを置かせてもらうには、たいてい行政関係の後援を要する。そしてそういう後援は、主催団体がしっかりした組織(組織規則がありメンバーが何人以上など)であることが最低条件になっている。こうなると、私のように個人で(あるいはせいぜい友人と)やるイベントには行政の後援を得ることは不可能なので、結局知り合いのつてを頼ってお店などに置いてもらうことになる。

つまり、最も力のない(お金もない)個人が行政の支援から外れてしまうという、お決まりのあの現象がこんなところでも起きてしまうのである。日本の行政は、ある程度組織化され形式的に整った団体には比較的緩い条件で支援が可能であるが、個人の場合はどんなにその内容が世間的に評価されるものでも相手にしない。内容よりも形式を重視するという官僚制が、ここでも幅を利かせているのだ。

……少し話が発散したが、私が言いたいのは、情報発信したい人がそれをやりやすいように、せめてチラシくらい自由における場所が街には必要だ、ということだ。

かつて、街にはビラやチラシが勝手に貼られていた時代がある。電話ボックスにいろんな小さなチラシが貼られていたなんて、今の若い人には想像がつかないだろう。しかしそうしたものは次第に「浄化」された。もちろんそれはよいことの方が多かった。しかしそれと並行して、私の感覚ではビラやチラシを置いたり貼ったりしてよいところも少なくなった気がする。昔は、街にもっと掲示板のような場所があったような。

今はそういう場所はインターネットが代替しているのだから、問題はないといえばない。だが先述のとおり、最近のインターネットは使いこなすのがかえって難しくなってきている。ポスターやチラシなど、リアルの力が大事になってきているのに、それが街から締め出されている現状があるのはいただけない。

本当は、D & Departmentのチラシ置き場のような場所を行政が作ればいい。きっと若い人の挑戦を後押しできる場所になると思う。費用も労力もさほどかからない。人が集まる公共施設の畳一畳分くらいを提供すればいいだけなのだから。

でも行政がすると、すぐに後援が、審査が、と官僚的な運営になってしまう。そうなると結局、ポッと出の若者には使えない。これはむしろ民間企業や通り会(商店街振興組合)がやる方がうまくいくかもしれない。

チラシ置き場の話くらいで大げさだなあ、と読者のみなさんは思うだろう。しかしそんな簡単なことすら、実行しているのは鹿児島ではD & Departmentだけなのだ。もちろんもっと小規模な店ではやっているところは多い。しかし繁華街にある大きな店ではここだけだと思う。それは先ほど書いたように、人通りのある場所に無料でチラシを置くスペースを作るのは、この厳しい経済状況の中では高い見識のいることだからである。

講演会、展示会、即売会、演奏会……そういう小さなイベントが、個人を飛躍させる出会いやきっかけになることは多い。その小さな挑戦を応援するために、多くの人が目にする場所にチラシを置けるようにするくらいの街でありたいものである。

2022年12月11日日曜日

南さつま市民会館を建て替えるなら、薩南病院跡地の利用と絡めては?

今、加世田にある「南さつま市民会館」を建て替える動きがあるのだという。

これは市役所周辺にある公共施設のひとつで、大きな講堂といくつかの研修室・展示スペース等で構成され、2階には教育委員会事務局が入っている。

建設された正確な年はわからないが、見た目でもわかるほど経年劣化しているため、建て替えが検討されているものと思われる。

施設の建て替えはまちづくりには大きなチャンスである。市民会館周辺を見回してみると、今けっこう問題がある。これを解決する建て替えになってもらいたいものである。

第一の問題は、駐車場が絶対的に不足していることである。市民会館の駐車場は、昔加世田川だったところを埋め立てて作った駐車場があるが、これがキャパ不足で、イベントの時などは横の車道に縦列駐車が並ぶ。市民会館の向かいには「ふれあいかせだ」があるが、こちらも駐車場は少ししかないので、両方の施設でイベントがある時は全然車が駐められない。

なにしろ南さつま市は公共交通機関が脆弱であるため、これらの施設を利用する場合はほとんど自家用車が必要だ。両施設の収容人数を考えると駐車場は今の倍くらい必要である。なお、大きなイベントの時には近くの加世田小学校横の駐車場も開放されるが、こちらは施設から600mほど離れている上、小学校の前の細い道路を通っていくため登下校時には危なくて使えない。やはり駐車場の増設は必要だ。

第二の問題は、市民会館と「ふれあいかせだ」という似たような施設が並んでいることだ。市民会館の講堂はフラットで、「ふれあいかせだ」にある「いにしへホール」はフラット+立体座席になっているという違いこそあれ、収容人数も似たようなものだし、市民会館がなくても困らないのではないかと思う。となると建て替え自体が無駄である。

この二点を考えると、市民会館は建て替えるのではなく、つぶして駐車場にするのが合理的だ、ということになる。

だがもうちょっと視野を広げてみると、別の考えが浮かぶ。というのは、今の南さつま市には薩南病院跡地の利用をどうするか、という懸案があるからだ。

県立薩南病院は、今は加世田から車で5分ちょっとの万世にある。それが老朽化のために加世田市街地に移転することになった。新薩南病院の稼働は2024年を予定しているそうだ。これで加世田中心部はさらに賑わうことになるだろう。

それはいいとして、万世の薩南病院跡はどうなるのか。南さつま市ではただでさえ加世田中心地への一極集中が進み、周辺がどんどん寂れてきている。県としてもまだ跡地利用については検討していないそうだが、昨今の県政の縮小傾向を考えると、跡地に新たな施設を県が建設することはまず考えられない。南さつま市が主体的に活用を考えていかないかぎり更地にして終わりであろう(隣接する海浜公園への編入が想定される)。

よって、市民会館を建て替えるのではなく、むしろ薩南病院跡地にそれに代わる施設を(できれば県と協力して)新たに建設する方がずっと意味があると思う。

ではどんな施設を建設するのがいいかというと、私は図書館を中心とした複合型コミュニティスペースがよいと思う。

というのは、南さつま市の図書館事情は貧弱なのだ。特に市民会館の隣にある加世田の図書館(南さつま市立図書館中央図書館)は、建物が小さすぎるという致命的な欠点がある。開架スペースと閲覧室が小さく、蔵書数は約7万5000冊しかない。これは、例えばお隣の日置市の中央図書館(伊集院)が約8万3000冊あるのと比べると見劣りする。そんなに大きな差ではないと思うかも知れないが、市全体で比べると、南さつま市は加世田以外には大きな図書館がないため総蔵書数が約13万冊なのに対し、日置市では約21万冊。総蔵書数では倍近い開きがあるのだ。ちなみに人口は日置市の方が1万人くらい多い。

しかし実際には、両市の図書館利用についてはこれ以上の差がある。なんと日置市民は、鹿児島市立図書館の本も借りることができるのである(鹿児島市が隣接自治体に図書館の広域利用を許可しているため)。鹿児島市立図書館の蔵書数は約146万冊。日置市民はこの大量の蔵書にアクセスできるのだ。南さつま市民がいかに図書館に恵まれていないかわかる。

また、最近は地方行政において図書館を中核としたまちづくりが注目されている。あの話題になったツタヤ図書館こと佐賀県武雄市の図書館は賛否両論あったが(個人的には邪道な図書館だと思う)まちづくりとしては成功事例に属する。その武雄市の人口が、日置市とほぼ同じの4万8000人だから、南さつま市にとっても参考になるだろう。

ともかく、図書館を中心として、市民がイベントやマルシェに活用できるスペースを設けた複合施設を作れば、南さつま市に新しい人の流れや活躍・挑戦の場ができるのではないかと思う。

ついでに言えば、鹿児島県としても南薩地区の施設に課題がないわけではない。まずは、加世田にある南薩地域振興局の合同庁舎が老朽化していることである。数年前の耐震化工事の実施により延命されているが、裏手にはプレハブの庁舎が存在している。さらに加世田保健所、南薩教育事務所も老朽化しており、特に加世田保健所は建物の構造上使い勝手がとても悪い(駐車場の立地など)。こうした施設のいくつかは、万世に集約させた方が維持管理コストも減り、鹿児島市から通勤してくる職員にとっては交通の便もよい。複合型施設の一部は県の庁舎にするのが一案である。

…と、いろいろ勝手なことを書いたが、実のところ市民会館の建て替えがどのような形になろうとも、ある一つの条件さえクリアすればいいと思っている。その条件とは「市民の声を聞いて決めること」である。何しろ”市民”会館である。他の行政施設だって市民の声を聞いて作って欲しいが、市民会館をどうするかについては、市民が主役であるべきだ。

市民会館の建て替えは、おそらくはまだ具体的な議論になってはいない。だが建物の老朽化を考えると早晩その必要はやってくる。さらには2024年には薩南病院移転が控えており、そのタイミングで県に有効な提案を持っていきたいものである。

南さつま市役所の腕の見せどころであろう。

【2022.12.12 追記】
上の書き方だと加世田の図書館を廃止するような印象になるが、加世田図書館は特に学習室利用を中心に需要があるので、それは残して分館にし、新たに本館を万世に建設する、という考えである。