2015年1月26日月曜日

突然の訃報に接して

新聞にも出たが、同じ集落の大いなる先輩である窪 俊夫おじさんが先日不慮の事故で亡くなった。

農業の傍ら、教育委員長や森林組合長といった要職を歴任され、勲五等瑞宝章まで受章していたが、全く尊大な感じはなく、誰に対しても気さくな方だった。

それに経歴もさることながら、90歳を超えても未来へ向けた夢を描いているようなところがあって、しかもただ夢を描くだけでなく、老齢にしてそれを少しでも実現しようとする行動力があった。その生きる姿勢にはいつも頭が下がるような思いがしていたところである。

実は昨年、俊夫おじさんに「これまでの人生の話を聞かせてください」と頼んで話を聞かせてもらい、それを筆記して「聞き書きによる自分史」を作ろうと企てていた。しかしこの突然の訃報に接し、あえなくその計画は頓挫した。もちろん、話を聞く時間は作ろうと思えば作れたはずだ。私に少し積極性が足りなかった。でも俊夫おじさんも90歳を超えてもまだまだお元気だし、急ぐこともないだろう、と思っていたのだ。

だから、作りかけの「自分史」は中途半端なところで唐突に打ち切られることになった。本当に残念なことで、生前もっと話を聞いておけばよかったという後悔に堪えない。

しかし作りかけの部分は、既に公表は差し支えないということで確認してもらっていたし、これを公表することが私なりの弔いだと思うので、ここに公表することにする。

これは俊夫おじさんが生まれてから昭和40年くらいまでの人生を語ったもので、特に何かの役に立つものでもない。歴史的に重要な事実が含まれているわけでもない。しかし戦前を生きた人たちが、どんな風に人生を歩んできたのか、ということを考える時、その一例として何かの参考になるのではないかという思いで書き留めたものである。

↓リンクをクリックしてご覧ください(PDF)
『聞き書きによる「俊夫おじさん」の自分史』

2015年1月23日金曜日

大浦川の改修工事にこと寄せて

うちの近くに大浦川という川があって、宮園という集落あたりで大きく湾曲している。

川としてはかなり急カーブを描いていることもあり、大雨の時にはけっこうな高さまで水位が上がってくる。そんなわけで、昨年、大規模な川べりの改修工事が行われて(まだ工事は途中だと思う)、かなり広い河川敷が出現した。

この工事による費用対効果はともかく、増水の危険性があったことは事実なので、この公共工事自体に対する異論はない。が、一つ感じることがあった。

それは、このあたりの風景がガラッと変わってしまったにもかかわらず、それについての事前説明などが一切なかったらしいことである(もしかしたら私が移住してくる前に話がついていたのかもしれませんが)。

この川の淵には、幽邃とまではいかないが鬱蒼とした杉林があって、それなりに存在感のある場所だったと思う。それが、この工事によってすっかり切り払われ、のっぺらとした場所になってしまった。その杉林を愛でていた人というのもいないだろうから、さしたる問題ではないのかもしれないが、やはり風景を大きく変えてしまうような工事は事前に地域住民へと説明が必要ではないか。

というのは、風景というのは単にそこにあるものではなく、地域に住む人の「公共財」だと思うからである。それをなくしても誰か損するわけではないが、そこに住む人のアイデンティティを形成したり、毎日の行動の規範(散歩コースになるなど)になったり、風景は思っている以上に生活に影響しているものだ。

そして、公共財である以上、それを維持していく責任も(行政ではなく)地域住民にある。ゴミをポイ捨てしないとか基本的なことはもちろん、自らがその風景の一部となって暮らして行かなくてはならない。これは景観面での個人主義が徹底している日本ではあまり意識されないが、欧米の諸都市では景観と自らの生活を調和させることは公共の重要なマナーとされている。例えば、ヨーロッパの古都では個人住宅の屋根や壁の色が事細かく条例で規定され、街並み全体が住民の協力によって調和したものになるよう努力されている。

そしてそのような努力を行う以上、街並みの変更を伴う公共事業では地域住民への説明が丁寧に行われるのが普通である。それ以上に、そもそもの計画で、なるだけ周囲の環境と違和感がないものになるように考えられる。もちろんそれでも珍奇な構造物ができないわけではない。景観がらみの訴訟もけっこうあるらしい。

しかし翻って日本ではどうか。公共事業自体の是非はさておき、まちづくりの俯瞰的なビジョンなくして予算の流れるままに公共事業が行われた結果、街の景観はとてもいびつなことになっている場合が多い。にもかかわらず、それに対する不満もあまり顕在化していない。

これは、街の景観は自分たちのものだという意識が薄いからだと思う。おそらく、行政が公共事業に先立って説明会をやれば、声が大きくやたらと尊大で、内容のない反対意見を述べる人が湧いてきて、建設的意見を述べるはずのマジョリティが沈黙する、と言う光景が出現するであろう。これは、自分たちは行政サービスの受益者だという権利意識ばかりあって、行政は自分たちで作っていくものだという責任感がないからではないかと思う。

しかし本来は、行政と住民は対立するものではなく、住民自らが行政を形作っていくはずで、それが民主主義である。理想的には、行政が地域住民に対して知恵と協力を期待して公共事業に対する説明会を開催できるようになってほしい。ガス抜きのための説明会ほど虚しいものはない。

大浦川の改修工事においても、こんなに広い河川敷を作るのなら、そこで何らかのことができたかもしれないわけで、地域住民に幅広く説明すべきだった。サッカーコートとかテニスコートとかを作るほどの余裕はなさそうだが、最初から何もできなさそうと諦めては話が終わる。今からでも遅くはない。この空間を有効利用する知恵を出し合うことができないものか。

田舎の経済というのは、公共事業に依っている部分が大きい。だからこそ、公共事業のやり方をもっとスマートなものにしていかなくてはならないと感じる。行政側が住民への説明を丁寧にやるのはもちろん、住民の方も、それは行政の仕事だ、と突き放すのではなく、当事者意識と責任感を以て携わり、少しでも地域がよくなるように工夫していくべきである。そして、少ない予算で大きな効果を上げる公共事業にしていかなくてはならない。

そして田舎では行政と地域住民との距離が近い。都会ではできないようなコミュニケーションが役場と地域住民で可能である。公共事業の変革は田舎でこそ可能だと思う。こうした工事はなかなか文字にできないような難しい事情が潜んでいることも多く、青臭い意見だとは承知の上だが、うやむやの中で難しいことを処理する行政はもう辞めて、全てを白日の下に晒しつつ、妙案をみんなで探っていく行政へと変わってくべき時が来ていると思う。

2015年1月15日木曜日

南薩の不夜城「A-Zかわなべ」でうちのポンカンを販売中

A-Z(エーゼット)というショッピングセンターをご存じだろうか?

これは鹿児島(阿久根、川辺、隼人の3箇所)にあって、店舗がやたらデカく車から仏壇まで何でも置いていて、しかも24時間営業という独特のお店である。この3箇所はどこもさしたる繁華街を持たないような田舎で、だからこそ商圏のニーズを独占している。こういうショッピングセンターはだいたい繁華街から少し離れた郊外に店を構えるものだが、敢えて競争相手のいない田舎に出店するというのが面白い。

しかも、私も詳しくは知らないのだが、仕入れの仕組みが変わっていて、現場担当者の裁量がとても大きいらしい。例えばニシムタ(鹿児島で有名なショッピングセンターです)なんかだと仕入れは全店共通だと思うが、A-Zの場合は売り場担当者がバイヤーとなって店舗で独自に仕入れるそうだ。いうまでもなく、仕入れは全店共通にするのが合理的だ。この一見非合理な、常識と逆のことをやるのがA-Zの面白いところである。

だから、A-Zには、近所のおばちゃんたち(組合)が作ったような漬物とか、ショッピングセンターらしからぬものが置いている。一見普通の大型ショッピングセンターだが、よく見てみると「常識とは逆の経営」をやっているのである。

A-Zがいかに独特な経営をしているかは、WEB上にもいろいろな記事が載っている(→例えばコレとかコレとか)のでその話はこのあたりにして、このたび、地元南薩のA-Zかわなべに「南薩の田舎暮らし」の「無農薬・無化学肥料のポンカン」を買ってもらえる(仕入れてもらえる)ことになった! (というか独特な経営をしているから、私などから仕入れてくれるのだろう)

私も正確な経緯はよくわからないものの、A-Zとして有機農産物などの取り扱いを強化していこうという動きがあり、それに載っからせてもらった形である。

もし、A-Zにポンカンを仕入れてもらえなければ、個人販売でチマチマ売りつつ、「腐れとの戦い」(というのは防腐剤を掛けていないので)をしなければならなかったので、本当に助かった。

しかも最初は、様子見程度の仕入れなのかなあと思っていたのだが、売り場担当はの方がPOPまで作って下さり、また私が手渡した小さなチラシもわざわざ多数印刷して頒布してくれているではないか。A-Zのご担当の方に、結構力を割いてもらっていると感じる。

こうして、せっかく仕入れてもらったこのポンカンが、無事売り切れて欲しいというのが私の切なる願いである。ここまでやっもらって腐るまで売れ残るということはないと思うが、なかなか売れないとなれば次の仕入れに繋がらない。そして売り場担当の方に申し訳ない感じがする。

というわけなので、南薩の皆さんはA-Zかわなべにお越しの際は、「無農薬・無肥料のポンカン」をよろしくお願いします。A-Zには基本的にチラシがないそうなので、口コミだけが頼りです。なお、一袋(たぶん1kgくらい)380円で売っていました。

2015年1月14日水曜日

サビダニの不思議な被害

既に書いたように、うちは今年、柑橘類が豊作である。しかも、無農薬としてはかなりキレイな果実が多い。

去年はリュウキュウミカンサビダニという害虫の被害を受けて8割以上の果実を廃棄するという散々な有様だったのが、今年は何の対策もしていないのにほとんどサビダニが出なかった。

これはうちだけでなくて、他の生産者でも同じような状況らしい(ただしハウス栽培については知らない)。多分、ほどよく雨が降ったので、ダニの密度が減ったということが一番の原因だと思う。

ところで、被害がないといっても全くないわけではない。ところどころ、やはりサビダニの魔の手に冒されているところがある。この様子がちょっと不思議な感じがしたので、備忘のために書いておこうと思う。

というのも、写真にあるように、極めてスポット的に被害が生じたのだ。隣の果実にはなんの被害もないのに、孤立して、全体を酷く食害された実が存在しているのである。どうしてこんな風になったのだろう?

サビダニたちは元は葉っぱに住んでいて、徐々に果実に移動してくるようだからこのように孤立的に被害が発生するということはないように思うが、実際は今回発生した被害のパターンは全部こんな感じだった。不思議だ。

サビダニ被害が少なかった原因が雨だけなら、こんな風にはならないと思う。雨はダニの密度を満遍なく全体的に下げるからだ。降雨がその大きな要因であるのは間違いないにしても、このような被害の状況を見ると他の要因もあったのではないかと推測される。

でもそれが何なのかは分からない。生態系がバランスし、天敵が増えて被害が収まるということもあるだろうが、それにしてもスポット的な被害の理由が分からないし…。うーん、よくわからない。

ちなみに、このリュウキュウミカンサビダニという害虫は、柑橘の害虫としては新参者の部類である。発見されたのは1978年(於エジプト)、日本での初見は1991年(於沖縄)である。そしてだんだんと被害は拡大している。

サビダニの仲間は昔からいて、昔からのミカンサビダニは防除方法もある程度確立しているようであるが、このリュウキュウミカンサビダニという新参者は割合に農薬に強く、なかなか根絶が難しいらしい。農薬を使っての防除はうまくやらないと効果が出ないようだ。今ちょうどいろいろ研究されているところのようなので、このスポット的な被害の本当の原因もこれから分かるかもしれない。

というか、現時点でも分かる方がいらっしゃれば、御高教を賜りますようお願いいたします。

2015年1月6日火曜日

『鹿児島西本願寺の草創期』という冊子を作りました

昨年の初め、このブログ上で「鹿児島本願寺派小史」という続き物の記事を書いた。鹿児島にはなぜ浄土真宗が多いのか、という疑問から出発した、真宗の意外な鹿児島布教について述べたものである。

これ、マニアックな割には意外と評判がよかった記事なのだが、ただそれだけで終わる話、のはずだった。

が、この記事を書くにあたり協力してくれた万世の丁子屋さんへの恩義もあるし、それに鹿児島の真宗興隆に大きな貢献をしながらすっかり忘れ去られてしまった森田寿香、そして吉峯次右衛門のことを伝えていく人間は、僭越ながら多分私の他はいないだろうと思われた。このまま何もしなければ、その記事も去りゆく過去のささやかな墓碑銘にすぎない。

そこで、この一連の記事を少し手直しして『鹿児島西本願寺の草創期』という小論にまとめ、多少の散財をして冊子を製作した。たった30ページくらいの薄い本である。WEBに残っていれば気づく誰かもいるかもしれないが、このブログもいつまで残っているか分からないし、何かを残そうと思えば結局は紙が一番確実である。それに冊子にすれば、誰かに送りつけるのも容易である!

というわけで、この数日、少しでも関心がありそうな人にこの冊子を送りつけている。例えば昨日は、鹿児島純心女子大学の国際文化研究センターに謹呈した(もちろんここのセンターの方に面識はない)。ここは、南方新社から出ている「新薩摩学」という郷土史論考集の編纂をしているところなので、もしかしたらこういうことに関心がある先生もいるかもしれないと思ったのである。

そして、これからは図書館に送付しようと思っている。南さつま市の図書館はもちろん、県立図書館、そして国会図書館にも送りつけてみよう。国会図書館に送りつけるとは大それたことだ、と自分でも思うのだが、 国会図書館法に規定するところによれば、国内の誰であっても、図書を発行した場合は国会図書館に1部納入または寄贈しなくてはならず(第25条)、もし違反した場合は小売価格の5倍を罰金として払わなくてはならない(第25条の2)。

この冊子が図書にあたるかは微妙だが、罰金を科されてはかなわないので国会図書館にも謹呈することにしたわけである(笑)。

ちなみに、国会図書館法の前文はカッコイイ。
国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。
素晴らしい言葉だと思う。何が真理なのか、とか小難しい議論は置いておいて、難しい時代だからこそ、こういう青臭い確信を、いつまでも持ち続けるべきだ。

でも私がまとめたのは、こういう大上段な真理ではなくて、別に忘れられても誰も困らない、些末な歴史である。それを知ったからと言って、誰かを自由にするわけでもない。ただ自分の趣味を押し売りするためならば、冊子にして配るようなことはなかっただろう。私がこれを頒布しているのは、ただ、ささやかな企みのためである。それは、私が何もしなければ、まるで忘れ去られてしまうに違いない森田寿香と吉峯次右衛の二人の記憶を、どこかに留めておこうという企みだ。

というわけで、このブログの読者でもし冊子が欲しいという人がいればご連絡ください。1部であれば無料で送付します。2部以上でしたら、1冊300円で送付いたします(支払い方法などは後から考えます)。頒布のアテはないのに200部も刷りましたのでよろしくお願いします。

【WEB版】『鹿児島西本願寺の草創期 なぜ鹿児島には浄土真宗が多いのか』

2015年1月4日日曜日

農業で出てくるゴミを処分する話

ゴミ捨てに困っている。

昨年、農業用倉庫を建てた時に一緒に農業用の廃棄物ボックスも設置する筈だった。が、それがもう半年以上もできないでいる。

このあたりで農業をやっている人は、写真のような廃棄物ボックスを設置している人が多い。多いというか、全ての農家にあると思う。何しろ、農業というのは意外とゴミが大量に発生する。肥料袋、廃ビニール、廃プラスチック、廃塩ビ管、などなど。 だからこういう廃棄物ボックスを借りてそういう雑多なゴミをバカスカ投げ込み、時期が来たら業者に回収してもらうわけだ。これ、一部の例外を除き分別が不要なためものすごく便利な仕組みだと思う。

というか、こういうのがないと農業で発生するゴミはなかなか処理しがたい。家庭用のゴミに混ぜて回収してもらうのも一つの手だが、ちょっとサイズが大きすぎてゴミ袋に入らないものも多いし、そもそも産業廃棄物は自治体には回収の義務がないので家庭ゴミに紛れ込ませるのは厳密に言えば違法である。

で、私もこの廃棄物ボックスを設置しようと熱望していたのだが、なんと、このボックスが人気過ぎて(?)全然手配できないのである。南薩では、枕崎にある2業者(写真のボックスの豊留建設と茅野産業)がこういう事業をやっているが、どちらも新規のボックス設置を見合わせている状態だという。どうやら在庫が全くないらしい(工事現場用の一時的な設置は別です)。

どうしてこのボックスが人気なのかはよくわからない。特に人気ということはなくて、単に解約しない人(さほど廃棄物は出ないけど便利だから置いている人)がジワジワ累積しているだけなのかもしれない。でも、南さつま市も南九州市も資源ゴミの分別がすごく細かくて大変な上に回収が月一回しかないので、それでこの「分別不要」のボックスを重宝している人が多そうである。

ともかく、このボックスがないとゴミ捨てが不便なのだ。もちろん、このボックス自体が重要なのではなくて、自分でゴミ置き場を作って、定期的に軽トラックでゴミを産業廃棄物処理業者に持っていけばそれで済む話ではある。でもそれが面倒で、ゴミ置き場を作るのも気が進まないので、やっぱりこのボックスがあった方がよい。

そういうわけで、ちょっと時が経てば在庫も出てきやしないか、と期待して半年待ってみた。それで先日改めて2業者に聞いてみてがやはり在庫はないらしい…。しょうがないのでゴミ置き場を作って定期的に持っていく形にしようと思う。ちなみに、産業廃棄物処理業者に持込すると、軽トラック1台分で1万数千円だそうだ。

それにしても、南薩に先の2業者しかないのかどうかもよく分からないのだが、他の地域ではどうしているのだろうか。農業で出てくるゴミを各地域がどのように処理しているのか、というのを調べたら面白そうである。

【2015年1月12日補記】
インターネット経由で教えてもらった「丸山喜之助商店」にボックス設置をお願いし無事設置できました! ありがとうございます。

2015年1月3日土曜日

恭賀新年

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。

というわけで、早いものでこちらに越してきてから丸3年が経過し、4年目に突入したところである。

農業というのは、普通の商売に比べると極端に動きが遅い。大体の作物は(露地栽培だと)1年に1回しか作付できないし、果樹の場合だと植えてから収穫できるまでに何年もかかる。

だから、1年間農業に携わっても、例えば小売業で1年働くのとは訳が違う。農業の時間感覚を普通の商売で置き換えると、農業での3年が普通の1年くらいの感じだと思う。という風に考えると、私は普通の職業でいうところの1年生を、ようやく終えたばかりということになると思う。晴れて研修期間終了、という感じだ。

これまで、あまり収益のことを考えずに農業をやってきた。日銭を稼ぐことより、技術を学んだり、やったことがないことをやってみたり、基盤を作ることを優先してきた。準備期間みたいに考えていたといってもよい。でも今年からは本腰を入れて農業をやっていくことにしたい(今までがホンキだしてないという意味ではないですよ!)。もっと素直に言えば「ちゃんと収入があるように」やっていきたいということだ(苦笑)。

それから、農業の勉強にしても、これまではあまり理論的なことに触れないようにしてやってきたつもりだ。どうも理屈から入るというのは弊害が大きいような気がして、あんまりその筋の本は読んでいなかった。だが、なんとなく植物のこともわかってきたので、これからはそれなりに学術的な勉強もしていきたいと思う。

ところで、一昨年反省点に挙げた「情報発信」については、昨年はよかった部分もあったし悪かった部分もあって、課題を今年へと持ち越した感がある。どこがよくてどこが悪かったのかは書かないが、総じて「単純な情報発信が疎かになり、マニアックなものに力を注ぎすぎてしまう」ということが言える。このブログの場合は趣味なので構わないが、オフィシャル(南薩の田舎暮らし)の方でもそのケがあるので気をつけたいところである。

ちなみに備忘のために書いておくと、このブログの昨年の訪問者(ユニークユーザー)は42,718人、ページビュー数(PV)は151,479だった。月間にすると大体ユーザー数が4000人くらい、PVは1万3000くらいになるようである。これは別に目標があったわけではないので多いとも少ないとも言えない。それに多ければいいというものでもない。

ただ、定期的に訪問してくださる方もいらっしゃるので、そういう方のためにも、近況報告的なものも含め、「単純な情報発信」を増やしていきたい。「柑橘の世界史」のような読者をものすごく限定する話は、話題がないときにやるようにしたいと思う。