2012年10月23日火曜日

「国産紅茶終焉の地」としての枕崎

鹿児島の枕崎市に、「紅茶碑」というのがある。また、インド アッサムから導入した紅茶の原木もある。

曰く「この地に於いて我が国で初めて紅茶栽培が成功した。当時、枕崎町長今給黎誠吾氏は昭和6年印度アッサム種の栽培に着目してこの地に育て…」とのこと。ともかく枕崎は「日本国産紅茶発祥の地」を誇っているのであるが、これは事実だろうか?

私はこれに違和感を感じ、いろいろと調べてみたが、結論を先に言えばこれは事実ではない。残念なことに、枕崎は国産紅茶発祥の地ではないのだ。では、国産紅茶の歴史において枕崎はどのように位置づけられるのだろうか? 非常にマニアックになるが、国産紅茶の歴史を繙き、枕崎における紅茶生産の持つ意味を探ってみたい。

日本紅茶の歴史は、殖産興業に邁進していた明治政府が「紅茶産業が有望では?」と目をつけたことに始まる。明治政府は、静岡に移住し茶栽培に取り組んでいた旧幕臣の多田元吉を役人に取り立て、中国、ついでインドに派遣し栽培・製造方法を習得させる。中国式の製造法はうまくいかなかったが、インド式の製造法で成功し、ここに日本紅茶の生産が開始する。

多田がインドから帰国したのが1877(明治10)年。同年、高知県安丸村に試験場を設けて自生茶を原料として紅茶が作られた。本当の日本紅茶発祥の地は、この高知県安丸村であると言うべきである。ただし、この紅茶はあくまで日本在来の緑茶の樹を使い、製法のみインド式紅茶にしたわけだから本格的な紅茶生産の開始ではない(緑茶の茶葉を紅茶に転用しただけ)。

ちなみに、多田元吉は「近代日本茶業の父」などと呼ばれ、日本の紅茶・緑茶産業の基礎をつくった人物である。多田はアッサムから持ち帰った紅茶の種子を自身の農場である静岡県丸子(まりこ)で栽培するとともに、各地に播種した。紅茶用茶樹の栽培に初めて成功したのはこの静岡県丸子であり、「紅茶碑」にいう「この地に於いて我が国で初めて紅茶栽培が成功した」というのは事実ではない。これは「紅茶碑」の昭和6年に先立つこと50年以上も前の話である。

それからの日本紅茶産業の歴史は波瀾万丈で非常に面白い。紅茶は緑茶と違いグローバル商材であるため、世界情勢に大きな影響を受け、その歴史はまさに世界(主に米国)に翻弄された歴史であった。

まず、多田帰国の翌年である1878年には政府は各地に伝習所(研修施設)を作り、技術の向上に努め、そのおかげで1883年に米国への販路が開けたところが近代紅茶産業の幕開けとなる。ちなみに、それまでは政府は三井物産に委託してロンドンへ紅茶を販売するなどしており、このおかげで三井物産は大もうけし、これは後の日東紅茶へと繋がっていく。

実は、米国は紅茶よりも遙かに多い量の緑茶も日本から輸入していたのだが、1899年、米国はスペインとの戦費調達のため茶に高額な輸入税をかけ、これが日本の緑茶・紅茶業界に打撃を与えた。これは米西戦争後すぐに撤廃されたが、続いて1911年、米国は「着色茶輸入禁止令」を制定。どうもこの頃の日本紅茶は着色料で色つけしていたらしく、これも日本の紅茶業界に衝撃を与えた。明治後半は、米国の政策により茶業界が翻弄された時代といえる。

このように重要顧客である米国への輸出が不安定だった中、1914年に第一次世界大戦が開戦、これにより日本紅茶業界は空前の好況を迎える。これは、イギリスがインド・セイロンからの紅茶輸送船を戦争に徴用して、イギリスからの米国向け紅茶輸出が激減したためであった。しかしこの期に乗じて日本は木茎混入品など低劣な紅茶を大量に輸出。これで米国消費者の不信を買い、流通が正常に戻った戦後は対米輸出はむしろ低迷することになる。折しも1920年、米国は「禁酒法」を制定。インドやセイロン、ジャワなど紅茶産地はこれを好機と見て米国で紅茶の大キャンペーンを開始するが、これに乗り遅れた日本紅茶の存在感はさらに希薄になっていく。空前の好況の後の低迷、これが大正期の日本茶業だった。

1919年、政府は国立茶業試験場を設立し、それまで不十分だった紅茶用の茶樹の育種に取り組み始める。紅茶の価格は国際情勢(というより米国の情勢)に大きく左右され、その品質を高めようというインセンティブが少なかったためか、明治後期に行われていた茶の指定試験(国費により各地の試験場で行われる試験)がこの頃は中止されていたのだった。国立茶業試験場の設立を契機として1929(昭和4)年に指定試験を再開。全国各地で紅茶の指定試験が行われたが、知覧(※1)と枕崎(※2)でもこれが行われた。昭和初期は、紅茶の品質向上が目指された時代だった。

そうした中で1933年、突如として日本の紅茶産業に空前絶後の好況が訪れる。世界恐慌で世界的に紅茶の需要が減り、在庫が激増、価格が半分ほどにまでに下落。これを受けてインド、セイロン、ジャワという紅茶の中心産地が5年間の輸出制限協定を締結し、世界的に紅茶の流通が一気に減少したのだった。そこで日本紅茶への注目が集まったというわけで、輸出量は1年でなんと20倍以上に増え、イギリスまでもが相当量の日本紅茶を買い付けたといわれる。輸出制限の最終年である1937(昭和12)年には、日本紅茶は史上最高の輸出を記録。しかし、これが日本紅茶産業の最後の仇花であった。

全国各地で行われていた紅茶の試験は、この好況の中でも徐々に廃され、1940年度には鹿児島に集約された。その理由は明確でないが、価格の浮沈が激しいだけでなく、国民所得(賃金)の増加によって世界的な競争力を失いつつあった紅茶への関心が薄れ、日本の茶業界が緑茶に収斂していった結果のようである。つまり、国内の誰もが紅茶を見捨てていく中で、鹿児島だけが細々と紅茶研究を続けていく(いかされる)ことになった。しかも、太平洋戦争によって紅茶用茶樹の品種改良は戦前にはあまり成果をあげられなかった。

戦後、高度経済成長によって国産紅茶は国際競争力を失い、国内市場でも緑茶が支配的になる中、1963(昭和38)年3月、枕崎に九州農業試験場枕崎支場が設立され、ここが紅茶栽培奨励と紅茶用品種の開発に邁進することとなる。しかしこれは、紅茶の試験場としては遅すぎる出発だったと言わざるをえない。というのも、同年2月、農林省が「国産紅茶の奨励はもう行わない」ことを決定しているのである。ちなみに、知覧に存在していた農事試験場茶業分場も枕崎支場に統合され、この枕崎支場は国内唯一にして最後の紅茶試験場であった。

なお、枕崎では昭和初期に紅茶の試験地(試験場ではない)が設置されたことから、その栽培もその頃から行われていた。日東紅茶も枕崎に直営の茶園と工場を経営していたし、昭和40年代では県内の紅茶生産量の約半分が枕崎産であった。しかし、枕崎支場が設置された時期には輸出用の紅茶は競争力を完全に失っており、枕崎の生産は国内向けだった。ところが1971年の紅茶輸入自由化で国内消費の命脈も絶たれ、同年紅茶の集荷は中止。高知県安丸村で始まった日本近代紅茶産業の歴史は、ここに枕崎でその幕を下ろしたのである。

つまり、枕崎は「日本国産紅茶発祥の地」というより、「日本国産紅茶終焉の地」なのだ。これでは余りにネガティブな表現だと思われるだろうが、実はこの紅茶奨励にあたった県の職員が、「今になってみれば『何んであのようなボッチな計画を立てたのだろう。』」と当時を苦々しく述懐している。そして自分の仕事は「紅茶産業の終戦処理」だったとまで述べた上、「20数年間にわたり多額の投資をして、紅茶奨励に失敗した過去を反省し、ご迷惑をかけた生産者にお詫び申し上げ、紅茶産業奨励の思い出とする次第です」と結んでいる(※3)。どうも、枕崎の紅茶産業は、既に斜陽化していたものを引き受けさせられた形であり、輝かしい過去といえる過去がないようなのである。

しかし、しかしである。先日紹介したように、現在の枕崎では「姫ふうき」という絶品の紅茶が作られている。そしてこの「姫ふうき」を生み出している「べにふうき」という紅茶用の品種は、多田元吉がアッサムから持ち帰った紅茶の種子を品種改良することで、ようやく1995年になって遅咲きの枕崎支場において生み出されたものなのである。私は、昭和40年代に行われていた紅茶用品種の研究が、細々と続けられてきたことに驚愕した次第である。しかも、この「べにふうき」は日本紅茶開発史の到達点とも言うべき優れた品種なのであるが、それだけではない。この品種に含有されるメチル化カテキンという物質が抗アレルギー作用を有していることが近年明らかになり、花粉症対策などとしてその緑茶が次々と製品化されている。

よく、「鹿児島は周回遅れのトップランナー」と言われる。 この「べにふうき」開発までの長い歴史を見ても、そう感じるのは私だけではないだろう。一度終焉を迎えた日本紅茶が最近各地で復活の兆しを見せているが、その最高峰に枕崎の「姫ふうき」があるのは面白い。残念ながら枕崎にある紅茶の原木と「べにふうき」に系統関係はないが、紆余曲折を経ながらも受け継がれた国産紅茶の歴史が、今後、枕崎でまた新たな展開を見せることを期待している。


※1 正確には、鹿児島県立農事試験場知覧茶業分場
※2 正確には、鹿児島県立農事試験場知覧茶業分場枕崎紅茶試験地
※3 参考文献に挙げた『紅茶百年史』p511 「紅茶産業奨励の思い出」(鹿児島県園芸課 池田高雄)より引用

【参考文献】
『紅茶百年史』1977年、 全日本紅茶振興会

2012年10月21日日曜日

サクラノヤカタでボンチャチーノを飲む

南九州市の川辺に、清水磨崖仏という仏教遺跡があり当地は公園となっているが、そこに「サクラノヤカタ」というカフェがある。

そこで、梵字をあしらったボンチーノ(カプチーノ)、ボンチャチーノ(抹茶ラテ)というものを飲むことができるというので行ってみた。

家内が頼んだボンチーノは、カプチーノとしても美味しいということだったが、ボンチャチーノの方は、味はまあそれなりというものであった。しかし、梵字をあしらった抹茶ラテなど他の場所では飲めないわけで、相当にプレミアム感があり、非常によいメニューだと思う。

ちなみに、この店には同様に梵字をあしらった「梵字プリン」や「梵字ロール(ロールケーキ)」もあり、こちらもなかなか面白い。

「どうして抹茶ラテに梵字が?」というのがわからない人のために一応解説すると、これは清水磨崖仏に由来している。この磨崖仏は、平安後期から明治までの長い間に断崖絶壁に刻まれた一群の仏教彫刻を指すが、特に秀麗なのが「月輪三大梵字」(鎌倉時代)と、日本一大きな五輪塔表現と言われる「大五輪塔」(平安時代後期)であり、ともに梵字の薬研彫り表現が素晴らしい。

つまり梵字は清水磨崖仏を象徴するものであり、これをカプチーノや抹茶ラテに配することで「いかにも清水磨崖仏」な雰囲気を出しているというわけだ。梵字というと、なぜか血気盛んな男性に人気があり、最近はシルバーアクセサリーなどによく使われるが、この場所で梵字を使うことはわざとらしくもなく、特別感もあり、素晴らしい工夫だと思う。こういうちょっとした工夫をしてくれるだけで、満足感は全く違ったものになる。

ちなみにこの「サクラノヤカタ」、建物がめっぽう変わっている。川辺仏壇の工芸の技を活かして作られた建物ということで、池に浮かぶ金閣や銀閣を模しており、立派な柱と工芸品を使った丁寧かつ豪華な作りであるだけでなく、その奇怪な外観とは裏腹に非常に心地よい空間である。

だが、どうしてこの磨崖仏の地に室町文化の金閣銀閣なのだろう? 磨崖仏文化のピークは平安から鎌倉であり、室町はあまり中心的でない。さらに、金閣も銀閣も禅寺の建築であるが、磨崖仏は密教(真言宗・天台宗)と修験道の文化であり、禅とは関係がない

つまり、室町時代の禅院を模したこの建物は、時代的にも教義的にも磨崖仏にそぐわない。だからダメとはいわない(むしろ建築としては面白いし居心地もいい)が、やはりチグハグ感は否めない。 しかも、サクラノヤカタという名称は、平安から鎌倉期へかけて当地を支配した川邊氏の館である「桜の屋形」にちなむ。その館の遺跡は残っていないが、当然ながら室町期の禅院様式であったはずではなく、どうしてこのようなコンセプトでこの建物が作られたのか理解に苦しむ。

この建物は総工費1億6千万円(平成6年竣工)だそうだが、金をかけてチグハグなものを作るより、ボンチャチーノのようにちょっとした工夫でその場に即したものを作る方が、私にはよほどスマートに見える。ただ、この建物は、コンセプトはチグハグであっても居心地はよいので、何度も行きたくなる素敵な場所である。

2012年10月19日金曜日

一人あたり医療費の地域間格差

医療費の地域格差指数
南さつま市の一人あたり医療費は、なぜか異常に高い」という記事を書いたら、家内から「いつもに比べて冴えていない。内容が浅い」という痛い指摘があった。確かに「すごく高くてびっくりした」以上の内容はないので、その指摘はもっともである。

さらに、先輩農家Kさんから「医療費が高い理由は、薬の処方が多かったり、通院の回数が多かったり、医者への信頼度が高くて無批判的に診療を受けるからでは?」という示唆もいただいた。ということで、なぜ南さつま市の一人あたり医療費が異常に高いのか、改めて考えてみたい(以下、「一人あたり医療費」を単に「医療費」と略す)。

ただ、南さつま市の詳しい医療費のデータは公表されていないので個別の分析は不可能であり、あくまで一般論、全国的な傾向を元にした話になることをお断りしておく。

まず、医療費にはかなり大きな地域間格差があるのはご存じだろうか。医療費の多寡は高齢化率と相関があるが、仮に世代構成が等しかったと仮定して計算しても、その差は大きい。これを医療費の地域格差指数といい、毎年厚生労働省がデータを公表している。具体的には、全国平均を1として、一人あたりの医療費が全国平均の何倍であるかを示したものである(図を参照)。

図を見てすぐにわかることは、赤っぽく示される医療費の高い地域が西日本と北海道に偏っていることである。これを俗に「医療費の西高東低北高」という。なぜこのような格差が存在するのかというのはで定説はないが、西日本や北海道の人が生来的に不健康ということはあり得ないので、病院との関わり方に違いがあると考えられている。

ちなみに、南さつま市の地域間格差指数は約1.3(つまり全国平均の1.3倍の医療費がかかっている)で、全国27位である。これは1700以上ある基礎自治体での27位であるから全国的にトップクラスである。これによって、当市の医療費の高さの原因が高齢化ではないことがわかる。なお、本市と比較可能な規模の市レベルでは、全国9位となる。

ところで、よく言われるのは、医療費は人口あたりの医師数と病床数に強い相関があるということだ。このことから、西日本は医療体制が充実しているから人々がよく病院に行き、結果として医療費が高くなるのではないかと考える人もいる。南さつま市も、過疎地の割には病院が多くあり、この理屈が当てはまりそうな気もする。

ただ、この相関は論理関係が逆なのかもしれない。つまり、人々がよく病院に行くから、結果的に病院がたくさん出来たということも考えられる。私の感覚だと、どちらかというとこちらの方がしっくり来る。病院というのは、高齢者でない限り身近にあるから頻繁に行くというものではない。

ここでKさんの指摘をもう少し紹介する。私自身は南さつま市で診療を受けたことがないのでわからないが、若干誇張して言えば、当地の医療は「お医者さんが絶対的に信頼されていて、診察しても病名も説明されないし、薬は大量に処方されるし、無闇に通院させられたりするが、それを疑問に思う人もいない」というものらしい。家内や子供が行く病院ではこういうことはないようなので、地域全体の医療機関がこうだとは思わないが、そういうところが多いのかもしれない。

今では常識となっているインフォームド・コンセントとか、セカンド・オピニオンジェネリック医薬品とかいったものは日本の端っこである南さつま市にはまだ十分に普及していないのかもしれないし、これが医療費を押し上げていてもおかしくはない。つまり、医療体制が充実しているのではなく、逆に医療体制が効率的でないために医療費が高いという可能性がある。ただ、福岡など都市部を含め西日本の広範囲で医療費が高い現象が見られ、一方で東北の僻地でも医療費は低いので、この仮説だけでは医療費の高さを説明しきれない。

ちなみに、西日本の医療費を押し上げているのは主に入院費用である。入院は、診察や治療の他にホテル的な費用がかかるので金額的な影響が大きい。実は、西日本の人は入院する時は長期に入院するという傾向がある。データはないが、もしかしたら頻繁に入院するということもあるかもしれない。つまり、西日本では入院に対する心理的障壁が低く、たいしたことでなくても入院し、必要最低限の期間を超えて入院するのではないか。

病床数が限られている場合、病院側は必要日数以上の入院はさせないので、病床が不足傾向にある東日本では入院が抑制されていると考えられる。病床数が余り気味の西日本ではそうした抑制がきかないので、必要以上の入院がされている可能性は大きい。特に鹿児島は平均在院日数(入院期間)が長く、全国平均を10日以上超える47.8日となっており、都道府県別ではダントツの1位なのである。最短の岐阜(28.3日)と比べると約20日も違い、この差は鹿児島県民の異常な入院好きを示しているとしか思えない。

ところで、病床数や医師数が西日本に比べ少ない東日本では、人々が十分な医療を受けられず苦労したり、それが原因で深刻な病状に陥ったりしているのだろうか? 実はこれが一番衝撃的なデータなのであるが、実は総じて東日本の人の方が健康寿命が長い。健康寿命とは、介護などを受けず健康に過ごせる期間のことを言う。つまり、東日本では医療体制は充実していないのに、人々は健康で過ごせる期間が長いのである。これだけ見ると、病院にはなるべく行かない方が長く健康で過ごせるということになりそうである。

なお、健康寿命と医療費の地域間格差には相関がある。健康寿命が短ければ、闘病や介護の期間が長いということだから医療費が嵩むのは当然だ。しかし、ここでちょっとした謎がある。実は、鹿児島の健康寿命は長い方なのである。これはどう考えるべきか。

図をもう一度よく見てみると、その答えがわかる。見えにくいが、実は鹿児島県でも大隅半島の方は地域格差指数が低い。医療費に関しては、薩摩半島と大隅半島で著しい対照があるのだ。細かいデータはないので明言できないが、鹿児島県民の健康寿命を押し上げているのは、大隅半島の人だと思う。逆に言えば、薩摩半島には不健康な人が多いということになる。

さて、いろいろとデータを見てみたが、南さつま市特有の原因は特定できないながら、まとめると一般論として次のような医療費高騰の原因が考えられる。
  • ジェネリック医薬品など、廉価な医療が未だ普及していない。
  • 医師への信頼性が高く、高額な医療行為を鵜呑みに受け入れている。
  • 病床数や医師数に余裕があるため、来院・入院の心理的障壁が低い。特に入院期間が長い。
  • 健康寿命が短く、そもそも不健康な期間が長い。
これらを見るとわかるように、医療費の地域間格差は人々の健康に格差があるというより、どちらかといえば文化的・風土的問題、もっと言えば社会慣習と人々の考え方に起因する部分が大きいと考えられ、その意味では低減へ向けた希望もある。

すなわち、行政が主導して、廉価な医療の導入や入院期間の短縮化を図る努力をすれば改善できる余地があるということだ。具体的には、(これまではタブーであった)医療機関の評価を行い、市民に公表することにより、効率的で低廉な医療を提供している医療機関が一目瞭然になれば公正な競争が期待できる。これは、もし実施すれば全国的に注目を集めるような施策であり、鹿児島大学等と協力して学術的にもしっかりとしたものを実施すれば医療費の高騰にあえぐ他の自治体の役にも立つだろう。

それはさておき、今回いろいろなデータを調べてみて、医療費の西高東低北高という地域間格差の原因が謎とされていることにまず驚かされた。今後さらに負担が増すと考えられている医療費の問題を考える上で、このような基礎的で重要なことがしっかりと研究されていないというのは不可解だ。医療費高騰というと、新聞等では「高齢化の影響で」と不可避的な書き方がされるが、実は私たちの心のありようを変えるだけで、相当違ってくるものなのかもしれない。

【参考データ】
医療費の地域差(医療費マップ)」平成22年度 厚生労働省
推計1入院当たり医療費の動向等 -都道府県別、制度別及び病床規模別等-」(平成22年度のデータ) 厚生労働省
健康寿命の算定結果」平成22年度 健康寿命における将来予測と生活習慣病対策の費用対効果に関する研究班
国民医療費の謎(2)-医療費の地域格差」瀬岡 吉彦
国民医療費抑制策の実施とその課題」松井 宏樹

2012年10月15日月曜日

南さつま市の一人あたり医療費は、なぜか異常に高い

我が家の移住後の生活において、最も金銭的負担が大きいのは、実は国民健康保険の保険料(国保税)である。

国保税は、市民税・県民税などと同じく前年の所得に応じて算定されるため、移住によってほとんど無収入になっても大きな負担を払わなくてはならない。派遣切りなど、自己都合でない収入減の場合は減免措置があるが、自己都合で収入が減った場合にはそういった救済措置はない。日本の税体系は終身雇用のサラリーマン社会を前提としているから、こういうことになるのだろう。農家を始めとして、所得が不安定な人はこのおかげで随分割を食っていると思う。

ところで、我が南さつま市は「一人あたりの医療費が高い」とよく言われているのだが、どれくらい高いのか疑問に思い、厚生労働省のデータベース(平成22年度)で調べてみた。

結果は、全国の市町村においてなんと28位。全国で1700以上ある基礎自治体の中での28位だからこれは本当に高い。ちなみに一人あたり年間42万円程度。

さらによくデータを見てみると、一位の和歌山県北山村は54万円だが人口500人たらずの小さな村であり、同村を始めとして人口千人以下と思われる過疎の村が上位のほとんどを占める。28位以上の自治体の規模(被保険者数)を調べてみると、なんと本市より規模の大きな自治体は北海道小樽市(23位)しかない。

同サイズと言えそうなのは、同じ鹿児島県のいちき串木野市(18位)だけで、その他はほとんど零細自治体である。つまり、本市と比較可能な市レベルで言えば、本市の一人あたり医療費は全国3位だということだ。

しかも、平成23年度のデータでは本市の一人あたり医療費がさらに増えて45万円を越えており、他の自治体の額にほぼ変動がないとすれば、平成23年度には本市の一人あたり医療費は市レベルでは日本一になる(全国のデータは未発表)。

一人あたり医療費は高齢化率と相関があり、要は年寄りばかりの自治体はこれが高くなるのは当然であるが、実は、本市の高齢化率は全国的に突出して高いわけではない。具体的には、本市の高齢化率は35%で全国264位であり、高いとはいえこれだけでは医療費の高さを説明できない。

こうしたデータだけから見ると、(実際どうなのかはよくわからないが)本市には不健康な人が多いということになりそうである。本市の一人あたり医療費が異様に高い本当の理由はさらに詳細なデータを確認しなくてはならないが、不名誉なランキングであることだけは間違いない。

これは財政面でも危機的状況なのは言うまでもないことで、今年度から本市の国保税は一気に13.6%も負担が引き上げられた。しかしこの問題の本質的な解決のためには、なぜ本市の一人あたり医療費がやたらに高いのかという理由を究明して、これを低減させていく努力が必要だ。

国民健康保険の財政的危機は、このまま高齢化が進むにつれどこの自治体でも顕在化してくる話だ。本市はこれを先取りしている上に、さらに何かの要因で医療費が高くなっているわけで、課題先進地域として問題に果敢に取り組んで、医療費低減の方策を見つけ、発信していただきたいと思う。シンプルに言えば、本市が病院に頼らなくても長生きできる地域になって欲しいと切に願う。

ちなみに、一人あたりの医療費が高いということは、要は国民健康保険から病院に払われているお金が一人あたりで多いということだ。これを逆に言うと、南さつま市民が行っている病院には一人あたりで高い代金が支払われている、つまり客単価が高いということになる。では、本市の病院はやたらに儲けているのだろうか? ぜひともこの統計を見てみたいものである。

【参考データ】
医療費の地域差(医療費マップ)」(平成22年度) 厚生労働省
平成22年度国勢調査 都道府県・市区町村別統計表」 総務省

2012年10月12日金曜日

増えるイノシシ被害へどう対処するか

最近、若いイノシシが庭に来るようになって困っている。

そこら中に穴を掘るのはまだ許せるとして、裏庭にほぼ毎日糞をしていくのは本当に辞めて欲しい。我が家はすっかりお散歩コースになってしまったようだ。

近隣の農地においても被害は多発しており、電柵を設置している圃場が多い。しかし獣害対策は本質的には駆除が必要であり、個人による対処療法的な方法では限界が見えている。

野生動物と共存できないのか? という意見もあるだろうが、残念ながら現代の日本では駆除は必須だ。というのも、日本の森林の生態系の頂点であったニホンオオカミが絶滅してしまっているからだ。近年全国的にシカ害やイノシシ害が深刻化している一因は、オオカミ不在の影響がジワジワ効いてきたからということが大きい。

捕食動物は生態系のバランスの要石であって、これが不在になると草食動物が野放図に増殖し、森林の若木等も食い尽くしてしまって、農地のみならず自然の植生体系も攪乱される。オオカミを絶滅させてしまった以上、自然のバランスを保つためにはシカやイノシシは人間が責任を持って一定数駆除しなくてはならないのである。

その一方で、銃刀法改正によって猟銃保持は一層難しくなり(※)、猟銃を返納する人が多いと聞く。猟友会は高齢化し、若手のハンターが加入しないため今後の駆除体制が不透明になりつつある。人力での駆除には限界があるということで、日本にもオオカミを再導入してはどうかという議論もあるが、政治的に困難であり、これからも従来型の駆除に頼らざるをえないことを考えるとこの状況は危機的だ。

害獣の駆除問題は全国的に深刻化しているが、一方で新しい動きもある。ジビエを地域振興に役立てようという取り組みだ。フランス料理では、カモや野ウサギ、シカといった狩猟による野生動物の肉をジビエといい、食肉の中でもとりわけ貴重で上等な食材とされる。先日、増えるエゾシカに対処するため北海道が「エゾシカ対策条例(仮)」を検討中というニュースがあったが、その中でもシカ肉の消費拡大を盛り込む予定らしい。

私は、南さつま市も、僻地にあるという条件を活かして、シシ肉による地域振興に取り組んだらいいと思う。当地には、お隣の南九州市の川辺牛のようなブランド肉もないので、役所的にも推進しやすいだろう。役所が窓口になりイノシシを買い取り、食肉加工を民間に委託して商品開発を行ってはどうか。幸いなことに、当市には食肉加工企業であるスターゼンの工場もある。ここと協力できれば独自性が出せるし、猪鍋や焼き肉といった無骨な料理が中心のイノシシも、ハムやパストラミにすると新しい美味しさが発見できるかもしれない。

最初は官製の取り組みであっても、世間の耳目を集めて消費が拡大すればイノシシの価格が上昇し、狩猟の規模拡大が期待できる。単に駆除ではなく、その肉を食べるのであれば駆除に対する心理的抵抗感も少ない。当地大浦町は、かつて島津氏の鷹狩りの猟場であったとされ、狩集(かりあつまり)という地名・人名も残るなど歴史との関連で話題性も期待できる。獣害対策一つにしても、いろいろな手法やアイデアを組み合わせて、解決策を探っていく必要があると思う。


※ 銃刀法改正…猟銃の所持のために、医師の診断書、技能講習の受講、実弾の帳簿付けなどが義務化された。猟銃の所持がものすごく面倒くさくなった感じ。2009年施行。

2012年10月11日木曜日

自家製ブルーベリーのタルト

先日、家内がブルーベリータルトを作ってくれた。

これがとても美味い。特に台となるクッキー様の生地が美味しく、ここに限って言えばケーキ屋さんなどで売っているものを越えていると思う。サクッとした食感は時間と共に失われていくから、作りたてが美味しいのは当然だが、それにしても美味しい。

ブルーベリーは、家庭菜園で採れたものと知人からもらったものを使ったのだが、味は市販されているものと遜色がない。ブルーベリーは熟しているかどうかの判断が意外に面倒で、若干熟していない実も入っていたと思うが、一粒ずつ食べるような果物ではないのであまり気にしなくてもいいのかもしれない。

ブルーベリーは寒冷地の果物と思われているが、暖地向けの品種もあって沖縄以外の日本全土で栽培可能である。健康によいということで注目を集めたためか、2000年頃から日本での生産量は急激に拡大しており、この10年間で生産量は2倍以上になった。ブルーベリーは背が高くならず管理が簡単なこと、無農薬栽培が容易であることから女性や高齢者にも栽培が可能であり、遊休地の活用作物としても有望視されている。反収も高い。

逆に作物としての難点は、順々に実が熟していくため収穫作業を何度もしなくてはならないことと、鳥に食べられやすいことである。そして最大の難点は、近年生産が急拡大しているとは言っても生産量がまだ少ないため流通が未熟であり、卸先が普通はないことだ。また、生食もされるがケーキのトッピングなどとして使われることが多く、単体で生の果実を食べることが少ないため、一般消費者が未加工のブルーベリーを購入することは稀だ。

そのため、ブルーベリーの栽培はジャムなどの加工とセットで行われる必要があり、それが作物生産としての限界を定めている面がある。しかし逆に言えば、加工所と組み合わされれば非常に有望な作物と言える。というのも、ブルーベリーは冷凍に強く、冷凍しても品質があまり劣化しないので通年加工が可能になるからだ。

事実、このタルトに使ったブルーベリーも冷凍したものを使っていて、初夏の味覚であるブルーベリーを、初秋の今タルトにして食べられるのもこの性質のおかげだ。実は、暖地のブルーベリーは味がイマイチなのではないかという危惧があったがそれは杞憂だったようなので、加工所との組み合わせができそうならブルーベリーの栽培もやってみたいと思っている。

2012年10月9日火曜日

地域審議会に初参加

大浦地域審議会なるものの委員になり、本日会議が開かれた。

私も出席するまでその位置づけを正確に理解していなかったが、これは、市町村合併に伴って地域の実情が役所へ伝えづらくなることから、合併後10年間はまちづくり計画等に関して旧自治体ごとに意見を聞きましょう、ということらしい。

本日の内容は、今年度の市政推進状況に関して市役所から説明があり、それをマクラにして委員から意見を述べるという形だった。最初はあまり積極的な発言はなかったが、こういう委員会の常として後半になって発言が相次ぎ、最後は時間切れのような形になったため、残念ながら私自身は発言することができなかった。

市政全体に関することでいろいろ発言したいことはあったが、この会議は大浦地域の実情や要望を聞くことが目的だと思うので、次回か、別の機会に改めて発言したいと思う。発言はできなかったが、いろいろな話を聞けて勉強になり、このような機会をいただいたことに感謝したい。

ちなみに、市役所から配付されて説明があった「市政推進状況資料」というのは、なかなかよくまとまっていて現在の市政の重点がわかるよい資料だと思った。特に公表して差し支えがある部分があるようにも思えないので、南さつま市のWEBサイトに掲載したらいいと思う。

というより、地域審議会で配布する資料は全て市のWEBサイトで公表したらいい。もっというと、地域審議会だけでなく、市民が参加するあらゆる検討会や審議会の資料は、公表するべきだと思う。

国政では、既に審議会等の資料は公表することが原則であり、多くの場合は議事録も公開される。国政と市政では影響の大きさが桁違いだから別に議事録などは作成する必要はないと思うが、資料の公表くらいは国政に倣ってもよい。

それから、話が変わるが市からの説明の中で「くじら座礁10周年記念事業」として、大浦ふるさと館のくじらモニュメントの裏手(横?)に座礁したマッコウクジラの骨格を展示する「くじらの眠る丘」という施設を建設するという話があったが、その施設のデザイン案が凄かった。ちらっと見ただけだが、なんと、クジラ型の建物を作る案だったのである。

市役所の方がいろいろ検討した結果としての案なのだろうし、まだ何も公表されていない時点で批判めいたことは言いたくはないが、クジラ型の建物というのは悪趣味だし、そもそも既にクジラのモニュメントがある場所に2頭目のクジラを作るというのは重複感が否めない。特注品的な建物はメンテナンスも面倒だ。これは再考していただきたいというのが率直な感想である。

2012年10月7日日曜日

笠沙美術館——日本一眺めのいい美術館

南さつま市笠沙町のリアス式海岸を走る国道沿いに、「笠沙美術館(黒瀬展望ミュージアム)」がある。

展示品は笠沙町出身の画家 黒瀬道則氏の寄贈作品がほとんどで、その好き嫌いは分かれるところだと思うが、この美術館からの眺望は文句なく素晴らしい

エントランスからパティオに向かうと、東シナ海に浮かぶ沖秋目島(ビロウ島)が望め、それがさながら一幅の絵画のように建物で切り取られる。赤茶けた直線的な建物と、青い空と海が鋭く対比された風景は、むしろ南欧風ですらある。

聞くところでは、もともとこの美術館は展望所として計画されたものであるということで、絶景なのは当然だ。その建物も作品の展示というより、そこから望む風景を主体として設計されているように見える。ちなみに、建物のデザインは「つばめ」や「指宿のたまて箱」など、JR九州の多くの車両をデザインしたことで著名な水戸岡鋭治氏によるものらしい。そのデザインにただ者でないセンスを感じたが、納得である。

笠沙美術館は南さつま市にとって大きな財産だと思うが、来客もまばらであまり利用されていないのは残念だ。黒瀬氏の絵は、ミステリーの表紙になるような絵で面白味はあると思うが、正直なところ、何度も見たくなるようなものではないし、一般受けするものではない。せっかくの素晴らしい美術館が、郷土出身の画家の紹介だけに終わってしまってはもったいない。

そういうことから、私としては、ここをギャラリースペースとして積極的に活用し、多くの人に来てもらえるようにしたらいいと思う。小さなグループの個展などでも家族友人等でそれなりに人が来るので、この風景の素晴らしさを体感してくれれば口コミによる波及効果も期待できる。

ちなみに、今でもそういう利用ができないわけではないが、WEBサイトにも何も書いていないし、そもそも美術館の存在自体が積極的に広報されていない。なお、賃借料はギャラリーのみだと2100円/日で、全体を借りると5250円/日、展望所と駐車場は無料である。せっかくの素晴らしい資源なのだから、前向きに活用してもらいたいものだ。きっとここは、MOA美術館(熱海)や神奈川県立近代美術館(葉山)を越えて、日本一眺めのいい美術館といえるだろうから。

2012年10月5日金曜日

南さつま市定住化促進委員会(その3)

南さつま市定住化促進委員会も第3回である。

今回は、事務局がこれまで出された意見に基づき施策体系案を出してくれた。私が出した「起業家支援」も一応入っていてよかった。ただ、施策をバラバラに並べた感じがして焦点がぼやけているので、これをどんな風にまとめるか? どんなキャッチフレーズで推進するか? という話の流れになった。

そして会議の最後に、委員のI氏から大変いい意見が出た。要約すると、
(1)「あなたの移住トコトン応援!」をキャッチフレーズにし、
(2)役所には「南さつまコンシェルジュ」を置き移住者の種々の相談に対応、
(3)それぞれの分野に知識と人脈を持つ市民による「移住応援団」を作り、移住者の問題解決を支援。
という感じになる。 南さつまの売りは何なのか、という意見が前回にもあったが、これは移住者へのケア体制を充実させること自体を売りにしてはどうかという意見だと思う。補助金など金銭面の支援が中心になると、どうしても同種の補助を行う自治体との価格競争になるが、お金より熱意の支援体制であれば差別化ができる。

「あなたの移住トコトン応援!」、これは大変よいキャッチフレーズと思ったが、一方では、移住してくる人にとって移住はあくまでも手段で、南さつま市でどういう暮らし(仕事、生活、子育て等)をするか、ということが目的だ。

そう考えると、キャッチフレーズはさらに大風呂敷を広げた方がよく、「夢の実現をお手伝いします」くらいの方がいいのではないだろうか。里帰りも含めて、移住してくる人はそれぞれこんな暮らしをしたいという夢があると思う。自然が豊かなところで子育てしたいとか、古民家で暮らしたいとか、家庭菜園付きの家に住みたいとか。また、私が提案した起業家も、こんな店を持ちたいといった夢があるはずだ。移住はその夢を実現するための手段にすぎない。とすれば、夢の実現まで支援をしてみてはどうか。

すなわち、
(1)「南さつま市はあなたの夢の実現をお手伝いします」をキャッチフレーズとし、
(2)役所には「夢実現コンシェルジュ」を置き市民や移住者からの相談に対応、
(3)それぞれの分野に知識と人脈を持つ市民による「夢実現応援団」を作り、市民や移住者の問題解決を支援。
としてはどうか。そしてそれを支えるものとして、起業家支援や生活支援の具体的施策を位置づける。

単に移住を支援している自治体はたくさんあると思うが、そこでの理想の暮らしを実現するための支援をしている自治体などないと思う。「夢実現コンシェルジュ」を置くだけで、NHKが取材に来るレベルだろう。そしてこれは、移住者だけでなく現に今住んでいる人にとっても有意義なものだ。この仕組みがあったら、例えば私なら農産物加工所の開設のノウハウを聞いてみたい。

南さつま市は自然も豊かで、今若者に人気が出始めている一次産業も農林漁業が揃っている。一次産業は実は参入ハードルが高いので、役所が積極的に参入を支援してくれれば、首都圏から若者も移住してくるかもしれない。もちろん、「私の夢はフェラーリに乗ること」みたいな人もいるわけだが、さすがにそんな人は役所に来ないと思うので、「夢というと範囲が広すぎる」という心配は無用と思う。

少なくとも私は、こんな取り組みをしている自治体があったら、そこの住民を羨ましいと思うのだが、どうだろうか。

【参考リンク】
南さつま市定住化促進委員会(第1回)
南さつま市定住化促進委員会(第2回)

2012年10月2日火曜日

最高に美味しい枕崎の紅茶「姫ふうき」

枕崎に「手摘み 姫ふうき」というかなり高価な紅茶がある。

この紅茶はGreat Taste Awardsというイギリスの食品国際コンテストで2009年に日本からの出品として初めて三つ星金賞を取得している。飲んでみると、非常に上品で爽やかであり、芳醇な香りも素晴らしい。特に味や香りに際だった特徴があるというものではなく、全ての面でクオリティが高いという王道の紅茶である。

Great Taste Awardsというのは、1994年開始のどちらかというとイギリスローカルなコンテスト。人口に膾炙しているモンドセレクションは味のコンテストではなくて品質管理の認証だが、こちらは正真正銘の味のコンテストで、Webサイトの説明によると「イギリスの美味しいものをお知らせ」するためにイギリスの食品組合(The Guild of Fine Food)によって行われている。俗に「食のオスカー賞」と呼ばれ、三つ星金賞を5回獲ったら英国王室御用達になると言われるほど権威があるらしい(多分噂だろうが)。

私はアルコールがあまり飲めないので茶、紅茶、コーヒーなどは高価なものを飲んできた方だと思うが、確かにこの紅茶はこれまでで一番美味しいと思った。銀座の紅茶専門店で飲んだものよりも上だ。だが、実は価格も一番高かった。40gで1500円というのはかなり特別な紅茶なのは間違いない(まあ、10杯飲めると思えば一杯あたり150円だが…)。

とはいっても、この高価格には訳があり、有機栽培でしかも手摘みらしい。このため年間生産量は100〜150kgとかなり貴重だ。お茶と言えば機械化が当たり前の時代、手摘みの紅茶を作るなんてかなり異端と思うが、紅茶の本場であるイギリスで三つ星金賞を獲るくらいだから、異端も極めれば王道になるということだろうか。

ところで、日本にはこのGreat Taste Awardsの三つ星金賞を獲った紅茶がもう一つある。それは、知覧にある薩摩英国館の「夢ふうき」である。「夢ふうき」は「姫ふうき」に先立って2007年から金賞を連続受賞していたが、今年9月に発表されたGreat Taste Awards 2012において念願の三つ星金賞を受賞。これは薩摩英国館Webサイトにもまだ出ていない情報で、さっき検索していたら偶然知ったものだ。ちなみにこちらも有機栽培、手摘みである。

「夢ふうき」「姫ふうき」と名前が似ているが、この二つの紅茶は同じ「べにふうき」という品種の紅茶用茶樹から作られている。「べにふうき」は日本紅茶開発史の到達点とも言うべき優れた品種であり、本品種を擁した枕崎は「日本紅茶発祥の地」としてこれを誇っているのであるが、このことについてはまた稿を改めて書きたいと思う。


【長い蛇足】
Great Taste Awardsについて日本語ではちゃんとした(雰囲気が伝わる)紹介がなかったので、備忘のためにここに書いておきたい。

Webサイトや公表された審査風景などを見ると、このコンテストは「権威ある」という言葉から想像されるようなものではなく、もっと気軽な、お祭り気分のものだ。ヨーロッパでは、イギリス料理はまずいものの代表のように思われているが、そういう風潮に対して「イギリスにだってうまいものはあるんだからね!」という主張をするためにやっているようなところがあり、そもそもコンテストの趣旨の一つが「イギリスで一番うまいものを決めよう」なのである。

星ごとの評価も、一つ星「だいたい完璧」、二つ星「欠点なし」、三つ星「わお、これは是非食べるべき!」となっており、随分気楽な表現になっている。

こうした気楽なコンテストであるが、というかだからこそ審査はやたらと気合いが入っており、 一流シェフ、料理研究家などが大勢あつまってガチンコの審査をするわけである。その模様はBBCがレポートしているが、雰囲気としてはかつての「TVチャンピオン」に近い。

結果公表も、イギリスの地域ごとで三つ星を紹介するようなかたちになっており、「お住まいの近くにも美味しいものがあるから是非行ってください!」みたいな感じである。こんなガチンコのうまいもん発掘コンテストだからこそ、基本的にはイギリスローカルにも関わらず各国から食品が出品されているというわけで、海外からの食品は「TVチャンピオン」に譬えるなら「今回はアメリカから刺客が登場!」みたいな感じで扱われることになる。

というわけで、基本的にはイギリスのうまいもんを発掘・認定するためのコンテストにおいて、まさにイギリスのお家芸ともいうべき紅茶部門で日本からの出品が三つ星金賞を獲ったということは驚異的なことだと思う。このあたりのことが、日本のWEBサイトにはどこにも書いておらず、その意味があまり正確に理解されていないようなのは残念なことだ。