2016年9月23日金曜日

Tech Garden Salon「田舎工学序説」をマルヤガーデンズで開催します

お知らせ。

11月19日(土)に、マルヤガーデンズで講演します。以前もちょっと紹介した「Tech Garden Salon」というイベントで。

演題は、「田舎工学序説」と名付けた。この「序説」というのは便利な言葉で、まだ定まっていない学問分野について述べる時に使う(ことが多い)。「序説」とついていれば割合なんでも盛り込めるというわけだ。

ちなみにこのチラシは、鹿児島を代表するイラストレーターである大寺聡さんに作ってもらったもの。鹿児島マラソンのデザインとかしている人である。

このチラシのウラ面から講演のテーマ説明を抜き出してみると、
みなさんは「田舎工学」と聞いたらどんな学問だと思うでしょうか? 実は、こんな学問はまだ存在していないのです。なぜならこれまで「田舎」は作っていくものではなく、既にあるものだったからです。しかし、近年非常に「田舎」への関心が高まっています。しかも、自分の故郷へ帰るのではなく、新天地を求める人が「田舎」へ向かってきています。自分なりの「田舎」を作っていくことを目指して。
では、どうしたら自分なりの「田舎」が作れるのでしょうか? それには、都市工学とも、従来の農村工学とも違う視点が必要になるでしょう。つまり、行政が中心になって行う上からのインフラ整備ではなく、個人の力で荒野を切り拓いていく草の根の動きが中心になってくるのではないでしょうか。自分自身が楽しく住める「田舎」を作るため、みなさんと一緒に「田舎工学」を考えてみたいと思います。
という内容を予定している。

こういう講演というのは、本来は実績を挙げた人や深く研究している人がやるべきであって、何の実績もない、ただ田舎暮らしをしているだけ(しかも苦労しながら)の私が話してどれだけの価値ある講演になるか実際自分でも疑問である。地域作りには各地で意欲的な取組があり、そういうところの優れたリーダーに来て話してもらった方がよほど面白いのは間違いない。

ただ、これまでそういう「優れたリーダー」の話を農業や地域づくりの研修などで聞いてきたが、結局は「ああ、こういうリーダーがいたからできたことなんだな」という感想を持ってしまうことが多かった。行動力とセンスがあり、人柄もよいリーダーがいれば、どんなプロジェクトでも成功するのは当たり前である。でも普通の田舎にはそういうリーダーはいない。そういう意味では、各地の意欲的な取組はいかにも参考になりそうでいて、実際には真似できないことは多い。

というわけで、普通の人が普通にやれる範囲のことで、田舎をどうやって面白くしていくか、という観点から話ができたら、私みたいな人間が講演する意味もあるかもしれない。そんな話がちゃんと出来るかはまだ不透明だが、だんだん内容が頭の中で固まってきたところである。

主催者の同窓会支部長には「ブログでお知らせしたら15人くらいは来ると思います」と言っておいた。そんなわけで、「南薩日乗」の読者の皆様、ご来場をお待ちしております。

2016年9月13日火曜日

「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」が開催されます

10月30日(日)に、「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」というイベントが南さつま市大浦町で開催される。

「高ボネ山(正式な表記は「高ボ子=たかぼね」らしい)」というのは、大浦の名勝「亀ヶ丘」の隣にある地味な山で、これまで特にどうということもない地域の裏山だった。

ところが、この頂上付近にある岩にハート型の形があることから、高ボネ山を有する有木集落の人たちがその岩を「愛願岩(あいがんいわ)」と名付け、最近新たな縁結びの「パワースポット」として売り出しているのである。

そのため有木集落の人たちは、これまで木々に覆われてしまっていた高ボネ山の登山道をちゃんと通れるよう雑木の伐採を行い、各所に案内版を設置した上、頂上には日本の国旗を立てた(たぶん目印なんだと思う)。さらに、昨年は今回の先蹤となるウォーキングイベントも行い、満を持して、今回「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」を開催する運びとなったわけである。

ちなみに、なぜ「りんどう」かというと、高ボネ山への登山道までは林道を通っていくということと、その林道沿いには竜胆(リンドウ)が咲いているということで、まあ軽いダジャレである。ただハイキングをするだけでなくて、花を見られる時期にやるというのはいいことだ。

実を言うと、私はこの動きを横目で見ながら、最初のうちはちょっと賛同しかねるようなところがあった。というのは単純な話で、私は「パワースポット」というのが好きではないのだ。その場に行くだけで何らかの御利益がある場所、というのがなんだが都合がよすぎるし(巡礼みたいに信仰とセットになった場所だったらわかるのだが)、そもそも何の根拠もなく雰囲気だけで「パワースポット」として扱われている場所が多すぎる。

もちろん、古くからの神社仏閣であっても、それをパワースポットとして消費するのはよくないと思う。こういうところは、歴史や建築、庭園や仏像などの文化財を楽しむべきで、もちろんその神々しい雰囲気に浸るということもあってよいが、そこだけを強調するのは軽佻浮薄ではないか。

とはいっても江戸時代の伊勢参りだって、今のパワースポット詣でとさして変わらなかったのかもしれない。伊勢参りをしていた人々は、ほとんど伊勢神宮の歴史とか関心がなかったようだし、それどころか内宮(天照大神を祀る)に行かずに外宮(豊受大神を祀る)だけ参っていたみたいだから、目の前の御利益を期待して参拝するという意味では昔の人も現代人とあまり変わらない。

だから「パワースポット」にそんなに目くじらを立てる必要はないのかもしれないが、「パワースポットと言っておけば若い人が来るだろう」とか思っている観光地があるような気がして、そういう態度がやっぱり気にくわないし、神社仏閣にしても、本来の価値を発信せずに「パワースポットだから来てね」といわれると逆に行きたくなくなる。要するに、パワースポットと呼ばれる場所には何の恨みもないが、軽々しく「パワースポット」を連呼する広報の方に違和感があるのだ。

ということで、私の中に「パワースポット」に対する不審があって、「愛願岩」を縁結びのパワースポットとして売り出しているのが、なんだか微妙な気持ちだったのである。

しかし、実際に有木集落の人たちが登山道整備をしたり、案内版を立てたりするといった地道なことをやっているのを見ると、こういうことならいいじゃないか、と思うようになった。「パワースポットだから来てね」というだけではなくて、通れなかった所が通れるようになる、どこにあるか分からなかったものが、わかるようになる、というのは、間違いなく価値を創り出す行為だからだ。

つまり高ボネ山の売り出しは、「パワースポット」を奇縁にして地域の自然や風景を見直し、価値を生みだしていく行為になっている。だから好感を持つのである。しかも、そういう活動をする中で、実際に関係者に結婚するものも現れてきて、まさに話が「瓢箪から駒」になってきた。まんざら言ってるだけの「パワースポット」ではないのである。

ところで、このイベントのポスターは実は私がデザインしたものである。通常こういうウォーキングイベントの参加者は団塊世代より上の人たちが多いものだが、主催者からの希望として「縁結びを謳ってるから若い人に来てもらいたい」というのがあったので、タイトルには「ラノベPOP体」というのを使ってみた。全体の雰囲気がラノベっぽくはないからあまり効果はなさそうだが…。

というわけでご関心がありましたらご参加をお願いします!(申込方法はポスターをクリックして内容を確認してください。電話申込です)

2016年9月10日土曜日

草を刈る、という単純な観光政策

いつも気にはなっているが、特に夏には気になることがある。

景観のよいところにはびこる、雑木や雑草だ。

この写真は、南さつま市イチオシの観光ルート「南さつま海道八景」の最初の展望所「高崎山展望所」の眺めである。

ここは、(当たり前だが)昔から眺めのよいところで藩政時代には魚見櫓(うおみやぐら)という見張り番がおかれていたほど、高い位置から縹渺と広がる東シナ海を見下ろせる雄大な絶景の地である。

でも、展望所のすぐ前にある雑木と雑草のせいで、その絶景の価値はかなり殺がれてしまっていると言わざるをえない。そしてこういう残念な場所は、高崎山に限らない。

確かに「南さつま海道八景」は、南さつまの自画自賛ではなくて、本当に素晴らしい名勝の地揃いだ。まだ見たことがない人は、一度ドライブしてみたらいい。鹿児島に、こんな圧倒的な景観の続く場所があったのかと驚くはずだ。国道226号線の、高崎山から耳取峠までがそれに当たる。

海側に広がる絶景、また絶景——。ここは日本屈指の眺望を持つ道路だと誇ってよい。

おそらくこれが南さつま市最大の「観光資源」で、事実自転車レースの「ツール・ド・南さつま」やウォーキングイベントの「鑑真の道歩き」といった各種の催しが開催されるなど、行政もこの道の売り出しに頑張っている。

だが、そういうイベントには予算を掛ける一方で、肝心の眺望の維持にはさほど関心がないようである。除草作業をやっていないわけではない。時々は、草払いはされてもいる(雑木の除去はやっているのかいないのかよくわからないが……)。でも私の目から見たら十分ではない。特に夏季には、南薩の雑草の勢いは怖ろしいほどになる。草払いしても、2週間後にはまた伸びてくる。相当頻繁に除草作業をしなくてはならない。でもそれが、ここへ来てくれた人への一番大事な「おもてなし」なんじゃないかと思う。

観光政策というと、最近はいろいろな手法が開発されていて、アニメとの連携とか道の駅の活性化とか、一昔前の観光政策には全然出てこなかったような新しい発想による取組が実際に成功してきている。もちろん、そういうものにも積極的に取り組んでいい。しかし観光の要(かなめ)の価値、ここでは「風景の価値」をしっかりと守り、高める努力をするというのが最も重要な観光政策だと私は思う。別にこれといったことをしなくても、「南さつま海道八景」を訪れた人が、しっかりとその風景を堪能できるように草払いを頻繁化する、それだけで立派な観光政策だ。

もちろん、雑木の除去とか草払いといったものは、簡単そうに見えていろいろ難しいことがある。道沿いの土地が公有地とは限らない。私有地の方が多い。地権者にいちいち許可を得ないといけないし(その上不在地主も多い)、土地の管理は地権者が行うべきものだから、それを行政が代わって行うことの是非もある。

また、私は地元大浦の亀ヶ丘にある「星降る丘展望台」というところの雑木を大胆に伐採して眺望を改善してもらいたいと思っているが、これは坊野間県立自然公園の一部で保護区域なので、たとえ雑木でも伐採には県の許可がいる。でも、そういう許可を地道に取って徐々に伐採を進めることこそ、真面目な観光政策だろう。

このくらいのことは、別に私が声高に求めなくても市役所の担当者は分かっているだろう。でも観光交流課というのは、イベントに次ぐイベントに駆り出され、席の温まる暇もないほどである。こういう地味なことは、ついつい後回しになっていくのが世の常だ。だからこそ、市民の声として言い続けていきたい。つい先日も観光交流課に行って、直接要望してきたところである。

草を刈るなんて単純なことだが、大事なことはいつも単純だ。せっかく来てくれた人が、雑草に邪魔されずに素晴らしい風景を堪能できること。道にゴミが落ちていないこと。街が清潔であること! 結局、観光というのは美しいものに触れるためにやってくるのだから、街も自然も、美しくあらねばならない。そしてそれは観光客だけでなく、現に今ここに住んでいる私たちの生活の質をも向上させる。真の観光政策は、観光客のためだけでなく、住民の暮らしをもよくしていくものであると思う。