2012年3月12日月曜日

生活に身近な山をどう生かすか

荒れ果てた山林
うちは、小さいながらも山林を所有している。祖父の時代、その山林にはポンカンや有用木が植えられていたらしいが、今では荒れ地と化し、蔓植物がはびこり、見るも無惨な様相になっている。当然、ポンカンなど全て枯れてしまっている。

今では林地の外からは全く分からないのだが、そこは段々畑状に整地され、崩れやすい要所には石垣が組んである。祖父か、曾祖父の頃に整備されたものだろう。大正か昭和初期の頃ということになる。人力でこのような整備をする労苦はいかばかりかと思うが、それがすっかりと荒れ果てている様子を見ると、ご先祖達はさぞ残念だろう。

この地方の実情はよく分からないが、基本的には薩摩藩では農民の土地私有が一切認められていなかった。土地は全て藩主(島津家)のものという原則があり、農民はその一時的な利用権を付与されていたに過ぎない。農地に至っては、土地に対する愛着を湧かせぬよう、一定期間ごとに場所替えが行われるという徹底ぶりであった。山林についても同様で、共力山(きょうりょくやま)という農民共有林はあったが、私有林は存在しなかったのである。

だから、明治維新後、自分の農地・山林を所有できるようになったということは、鹿児島の農民にとって非常に大きなことだっただろう。それまでの常識では考えられないほど、土地に愛着を持って管理したと思う。だから、狭い面積の山林を、段々畑にし、石垣を組むという労を執る気にもなったのだろう。造林は数十年単位の仕事であり、私有林でなくてはやる気の起こらない仕事である。自分の代ではものにならなくても、子孫のために汗を流すのだ。

さて、この荒れ放題になった山林をどうするか、が目下の課題である。私は、この山をどうにかするために、鹿児島へ帰郷したと言っても過言ではないのである。日本の山林が抱えている問題は数多いが、人工林(スギ林、ヒノキ林)に関してはほぼ答えが出ている。つまり、健全な林業を振興していくことが重要であるということだ。では、所謂「里山」と呼ばれる雑木林はどうだろうか?

管見の限りでは、日本の雑木林をどうしていくかという、明確な方向性はまだ誰も出せていない。具体的な利益はなくても「心のふるさと」として維持していくべきだ、という人もいれば、管理しても意味(収益)がないので、伐採して人工林にするのがよいという人もいる。どちらも頷けるけれども、私はまだどちらの立場にもなれない。

私は、雑木林のような生活に身近な山林をどうしていくか、ということをじっくり考えてみたい。今のところの考えは、こういった身近な山林は、物質循環の要として雑木林のまま生かすべきというものだ。しかしそのためには、それに見合った収益が上がらなくてはならない。具体的に言えば、山の幸(山菜とか)を売るなりして、山林から儲けがなくてはならない。とすれば、私がとりあえずやるべきなのは、そういった収益が上がるようなビジネスモデル=山林経営モデルを作るということになる。

周りの人からは、「山は、どうせ金と手がかかるばかりでなんにもならないから放っておけ」と忠告されるが、取り組み甲斐のある課題だと思っている。

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