2013年8月27日火曜日

南薩には、かぼちゃのシーズンが年に2回あります

ここのところずっと、何もかもが砂漠のように乾いていたが、昨日久しぶりの本格的な雨が降った。

この雨を期して先週秋かぼちゃの種を植えており、それがちょうど今日発芽していたので、これはまさにベストタイミングな恵みの雨だ。

例によって先輩農家Kさんの絶大なる協力を得て、今年も秋かぼちゃをやらせていただくことになり、惨憺たる有様だった昨年の秋かぼちゃのリベンジを果たそうと目論んでいるところだったので、幸先のよいスタートにひとまず安心である。

ところで、私も特に意識していなかったのだが、南薩ではかぼちゃを春と秋の2回作付するということが特徴の一つである。かぼちゃというのは、夏野菜ではあるけれどやや涼しい気候を好むので、時期を工夫すれば北海道と東北を除く日本の多くの地域で春秋2回の作付が可能であるように思うが、実際に2回作付しているところは少ないようだ(多分、鹿児島以外にはなさそうである)。

その理由はいろいろ考えられるが、第一には経営作物としてあまりうまみのないかぼちゃをわざわざ1年に2回も作る利点がないということがあるだろう。それに連作を嫌うかぼちゃを1年に2回も作っていたら、度重なる土壌消毒などで土がすぐにバカになってしまうという理由もあるかもしれない。

では、なぜ南薩では春秋2回作付するのだろう? 南九州では4月から5月にはかぼちゃが出来て初物として高値で取引されるので、春にかぼちゃが作られるのは合理的としても、どうして秋にも作付するのだろうか?

それは南薩の早期水稲と関係がある。ご存じの通り、南薩の西部は早期水稲の産地で、新米の季節は8月である。普通は、お米の収穫時期は10月だから、米の収穫後に2毛作で何か作ろうとしても時期的に選択肢は限られるが、早期水稲の場合、8月に田んぼと労働力が空くわけなのでその後いろいろ作ることが可能である。

そして8月というのは、かぼちゃを作付するには霜が降るまでに収穫まで漕ぎ付けるギリギリの時期で、南薩のかぼちゃの多くは、この収穫後の田んぼを利用して作られているのである。収穫後の田んぼというのは、何も作らなくてもどうせある程度の管理が必要になるわけで、であれば何か作付する方が得策である。そのため、南薩の早期水稲収穫後には、蕎麦やかぼちゃといった短期集中型の作物が植えられることになる。しかも水稲後の作付は、土壌消毒の必要がなく経済的かつ健康的である。

さらに、12月は北海道からのかぼちゃが切れる時期にあたるので、市場的な価値も高い。…ということになっていたが、今では輸入ものがあるのでスーパーには一年中かぼちゃがあるし、貯蔵施設の整備などで北海道のかぼちゃも随分遅くまであるため、鹿児島の秋かぼちゃの価値が揺らいでいる面がある。

その上、秋は台風シーズンに当たるため、秋かぼちゃは博打性が強い。昨年の秋かぼちゃが惨憺たる有様だったのは、播種時期の長雨ももろんだが、台風が(直撃でなかったとはいえ)4回も来た影響が大きい。天候のことは人の手ではいかんともしがたいわけで、秋かぼちゃの生産は不安定にならざるを得ない。

しかしながら、1年に2回かぼちゃのシーズンがあるということは他にはあまり見られない特色なので、今まで誰もこれをアピールしようとした人はいないみたいだが、何か活かす道があるのではないだろうか。少し考えてみても何も妙案は浮かばなかったが、いいアイデアがある人はぜひご高教願いたい。

2013年8月19日月曜日

オフ会、じゃなくて加工所OPEN記念「茶飲み話の会」を開催します

ちょくちょく、食品加工業に手を出したい、という記事を書いてきたのであるが、「南薩の田舎暮らし 加工所」を8月24日にオープンさせる運びとなった。

まあ、いわゆる農業の6次産業化というやつで、自分で作った農産物や、地域で生産されているものを使って、なんだか楽しい商品を生み出していきたいと思っている。

本来、「農家は、農業自体の生産性向上に心を砕くべき」というのが当然の話で、私のような農業初心者が加工にまで手を出すのは危険なのであるが、やはり加工までできると農業や販路の幅も広がるし、何より地域にある美味しいものを「商品」という形で可視化できるのは大きいのではないかと思っている。

手がけるのは、さしあたりジャム製造。これは保健所の許可が取りやすくて食品加工の初心者には最適な業種である。最初の商品は、以前ブログに書いたことがある「かぼちゃのコンフィチュール」で、つい先日、家内との試行錯誤と激論の末にようやくラベルのデザインが決まったところである。既に当地でかぼちゃの季節は終わっているので、冷蔵庫に保管している分しか原材料がなく、すぐに本格製造というわけにはいかないが、とりあえず第一号の商品は初志貫徹でこれに決めた。逆に言えば、すぐに第二号の商品が必要になるのだが、それについては検討中である。

要するにこれは、緻密に計画されたというよりも、走りながら考えればいいや、というやや先走りのオープンである。それでも、やはりセレモニー的なものがあった方がよかろうということで、8月24日(土)には「加工所OPEN記念 茶飲み話の会」を開催することにした。

文字通り「茶飲み話」をするということで、それ以上のものではないが、近所の方にも「あれは何を作るところなんだろう?」と不思議に思っている方もいるだろうし、お披露目というか、申し開き(?)の機会としてもいいのではないかと思う。

それに、嬉しいことに、地域の方にもこのブログを読んで下さっている方もたくさんいるようなので、私としてはオフ会(=オフラインの会合。ネットでしか知らない人と現実に会う機会、みたいな意味です)の意味も兼ねてお知らせしたい。ということで、別段食品加工に興味はなくてもかまわないので、「ブログ見てるよ!」という暖かい言葉を掛けてくださる場合は、ぜひ「茶飲み話の会」にお越し下さい。

【情報】南薩の田舎暮らし 加工所OPEN記念 「茶飲み話の会」
ネットショップ「南薩の田舎暮らし」の小さな食品加工所が出来ました!
最初に作るのは、特産のかぼちゃを使ったコンフィチュール(ジャム)です。

これから地域の食材を使った加工品を作っていく予定ですので、どうぞよろしくお願いします☆


加工所OPEN記念「茶飲み話の会」

 8月24日(土)
 16:00~19:00

冷たい飲み物や手作りのお菓子、お土産をご用意してお待ちしています。

少し風が出てくる夕暮れ時、加工所の前に出したテーブルを囲んで、お茶をしたりお話したりしましょう。文字通り「茶飲み話」なのでアルコールはありません!持ち込みは可です(笑)
「ちょっと5分だけ」の方も、「初めまして」の方も大歓迎!お気軽にお立ち寄り下さい(*^^*)

<場所>
南薩の田舎暮らし 加工所
南さつま市大浦町10951-1
当日連絡先:090-5767-9768(窪)
【行き方】
(1)南さつま市役所大浦支所前、県道272号線を南下
(2)西福寺のある三叉路を右折
(3)「原」のバス停を過ぎてから300mほど先に右手に「亀ケ丘登山口」という小さな看板がある交差点があるので、そこを左折 (←ここがわかりにくいです)
(4)道なりに行くと右手に真新しい小さな建物がありますのでそこが加工所です。
※google mapsでは正確な位置が表示されません。

2013年8月17日土曜日

加世田には鹿児島に2店舗しかないマックカフェの第1号店がなぜかあるんです

少し前の話だが、加世田マックカフェ(McCafe by Barista)が出来たというので行ってみた。

都会にいた頃はよくスターバックスやエクセルシオールカフェで勉強したり、読書したりしていたが、こちらに越してきてからはそういう場所も(お金も)ないので少し寂しく思っていた。

そんなわけで、都会にいる時はマックカフェなんて歯牙にも掛けなかったのに、むしろ物珍しいくらいの気持ちでマックカフェに行くことにしたのである。田舎に住んでいると都会に普通にあるものに憧れるようになるんだなあ、としみじみ感じるし、逆に考えれば、都会にいる人は田舎に普通にあるものに価値を見いだすんだろう。都市も田舎もお互いに無い物ねだりをしているわけで、人間というのは単純である。

さて、このマックカフェ、BGMが安っぽいことを除けばとても都会っぽい出来で、割といいシートが使われているし、電源用コンセントもある。それになにより無料のWi-fiが使える。これで加世田でもノマドぶって仕事できる(=特定のオフィスを持たずにカフェなどで仕事することやそういう人を、最近「ノマド」と言う)が、加世田でどういう使われ方をすることを想定して作ったのか分からない。加世田にはまさかノマドはいないと思うが…。

純粋に収益性だけで考えた場合、このおしゃれな(しかも24時間営業の!)マックカフェよりもごく普通のマックの店舗の方が田舎の場合はいいと思うし、だからこそ鹿児島県にはマックカフェは加世田と易居町の2店舗しかない。というか鹿児島県で最初のマックカフェがこの加世田店らしいのだが、どうしてここに最初に作ろうと思ったのかが謎だ。いわゆるリープフロッグ型発展(何もない途上国の方が既得権的なものが存在しないので、かえって最新の技術が先進国より早く導入される現象)みたいなものだろうか?

というわけで、ここにいるとなんだかとても場違いな場所にいるような気分になってしまう。でも同時に、少し東京時代を思い出してなつかしくもある。先日は近くにある古本屋「ほんダフル」に寄ったらソルジェニーツィンの『収容所群島(第1巻)』が100円で(!)投げ売りされていたので喜んで買い、そしてこのマックカフェに入ったのだが、古本屋で掘り出し物を見つけて、それをカフェで眺めるという極めて都会的な行為が加世田でもできるようになったわけだ。年に2度くらいは、そういう日があったらいいと思う。

2013年8月14日水曜日

農産物の世界の「言葉狩り」

各国の有機認証ロゴ
無農薬」という言葉は、今や使わない方がいい言葉、ということになっているのをご存じだろうか?

ついでに言うと、「減農薬」も使わない方がいいし、「無化学肥料栽培」なんてのもそうである。例えば、現在「南薩の田舎暮らし」で発売中の狩集農園の「お家で食べているお米」は「減農薬」又は「無農薬」に該当しているのだが、積極的にはそう書いていない。

どうしてダメか? というと、実は農林水産省に「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」というのがあって、このガイドラインの中で「無農薬」などの言葉は使用が禁止されているのである。

ではこれまでの「無農薬」は、農水省のガイドラインに沿って正しく言い直すとどうなるのかというと、「特別栽培農産物(農薬:栽培期間中不使用)」というやたら長ったらしい表現になってしまうのである! ただし、正確にはこれは無農薬なだけでなくて、化学肥料も慣行よりも5割以上削減していた場合で、そうでないと「特別栽培農産物(この言い方自体がもの凄く野暮ったい感じの悪いネーミングだと思う)」に該当しないので、ガイドライン上はそもそも表現することができない。

どうしてそんなバカなガイドラインが出来たのかというと、一応の理屈はある。「減農薬」「無農薬」といった言葉が農家それぞれの考えで使われてきた結果(※)、一般と比べて大して使用農薬が少ないわけでもないのに「減農薬」と表示されたり、残留農薬の可能性がある(前作に農薬を使っていたなど。根菜類とかの場合)のに「無農薬」と表示されたりということがあり、消費者にとって実態がわかりにくい状態になっていたため、これをわかりやすく整理し、適正な表現に改めるため制定された、というのが建前である。

しかしまことしやかに言われているのは、一部の有機農家から『「無農薬」が「有機栽培」よりいいものだと勘違いする消費者が多いので、「無農薬」という言葉を使わせないで欲しい!』という強い要望が提出されていたため、という説だ。

「無農薬」と「有機栽培」の違いが分かっていない人は確かに多いし、「無農薬」の方が優れていると誤解している人も多いだろうが、だからといって「無農薬」という言葉を使わせないようにするというのは、ちょっと行き過ぎである。「無農薬」というある程度市民権を得た言葉の命脈を絶って、「特別栽培農産物」という役所的な言葉で代替しようとするのはそもそも無理がある。「特別栽培農産物」と表示されていても、どれくらい有り難いのかよくわからないから消費者が手を出さない。消費者が手を出さないから普及しない。結果的に、特別栽培(化学肥料5割減、農薬5割減のこと=ちょっと環境に優しい農業)を普及させようという意図とは逆に、消費者の嗜好は、慣行か有機か、に二極化しつつあるように見える。

そしてガイドラインの認知度がいまいちなためか、今でも「無農薬」と謳われた農作物はたくさん売られている。このガイドラインには法的拘束力もないので、別に違反しても罰則があるわけではない。それ以上に、あまり浸透していないので、「無農薬」という言葉は使わない方がいい、ということ自体が食品業界でもまだ明確には意識されていないように思われる。法的拘束力のないガイドラインなどで安易に言葉を捨て去るべきではないし、それでいいのだろう。

ついでに言うと、ガイドライン制定の経緯に影響しているかどうかはともかくとして、「無農薬」が「有機栽培」より優れている、という誤解は未だに根強いものがある。しかしその誤解を解く方法は、「有機栽培」の良さを地道に浸透させていくことこそ王道で、「無農薬」を亡き者にすることではないはずだ。

ちなみに「有機栽培」とか「オーガニック」という言葉も認証を受けなければ使えないことになっていて、仮に本当の有機栽培であっても認証を受けずに「オーガニック」などと表示して販売すると、農水省から改善の命令が下り、改善しない場合は販売を中止させられることになる。こちらはガイドラインではなく法律(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律第19条の15)で定まっているので守らなくてはならない。

こうして「有機」の言葉が法律上強く守られている理由は私にはよくわからないのだが、どうやら国際的なものらしく、認証を受けずに「有機」を謳ってはいけないという条文は世界のスタンダードに合わせて制定されたようである(未詳)。

そこまでしても、「有機栽培」が「無農薬」に負けてしまうというのは不思議な気がするが、一つ思うのは法律に基づく「有機」の表示ロゴがかっこわるい、ということである。まるで「特別栽培農産物」という表現のように生硬な感じがする。そもそも、ロゴの少ないスペースにあまり浸透していないJAS(日本農林規格)という言葉を入れているあたり、バランス感覚が欠如しているのではなかろうか…。

「有機栽培」にプレミア感を持たせ、消費者・生産者ともに魅力を感じてもらいたいと思うのであれば、他の類似の言葉の使用を禁じるのではなく、まずは認証ロゴをかっこよく、またわかりやすくしなくてはならないだろう。諸外国のロゴを並べてみてもあまり魅力的なものはないが、少なくとも他国は「有機=organic又はbio」を全面に出している(EU除く)わけで、なぜ日本が「有機」の文字を出していないのか不可解である。これで消費者に通じると思ったのであろうか?

それに、無認証のものがあってこそ認証済みのものが有り難いわけで、「有機栽培」という言葉を無認証には使わせないという施策は有機栽培推進の上でも誤りだと思う。めいめいの農家が自分なりの「有機栽培」をやり、いろんな「有機栽培」があるからこそ、一定の基準をクリアした「認証有機栽培」が光ってくるのではなかろうか。

無認証のものを黙認すると、「本当には有機栽培とは言えないものが有機栽培として売られるかも知れない!」と危惧される方もいるかもしれない。でもそれなら認証されたものだけ買えばいいわけで、認証されていなくても性善説に立って買おうという人もいるのだから、無認証の有機農産物の販売を禁止する必要はない。

これは「無農薬」であれ「無化学肥料栽培」であれ同じで、こうした言葉を禁止する必要はなく、農家の言葉を信じられない方は「特別栽培農産物」を買えばいいだけの話である(特別栽培農産物は、認証を受ける必要はないが、適切なチェック体制を整え、また使用農薬や肥料などを表示することになっている)。

そもそも、言葉がその当たり前の意味で使われ、誰に保証されなくてもそれを素直に信じる、というのは社会を構成する最も重要な基盤であって、コミュニティに必要不可欠な信頼関係と連帯意識を作るものである。言語を使う上での最低限の条件であると言ってもいい。それを言っているヤツはウソつきかも知れない、という疑いを抱き始めると、究極的には信じられるものは何もなくなってしまう。

こういうことを言うと、「でも現実に悪いヤツはいる」という反論があるだろう。しかし悪いヤツを排除するために無闇に言葉狩りをしていると、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたように、我々はダブルスピーク(思っていることと違うことを言う話し方)をしなくてはならなくなる。「言葉狩り」というと大げさだが、「無農薬」とか「有機」とかを自由に使えない、という問題は、些末なことに見えて実は、我々の社会のほころびを暗に示しているのかもしれないと感じている。

※正確には、「無農薬」などの言い方も「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」になる前の旧ガイドラインで規定されていたもので自由に使われていたわけではない。

2013年8月10日土曜日

南薩のポストカードを制作中

実は今、南薩のポストカードを作っている。

きっかけは何だったか忘れたが、南さつま市が近年「南さつま海道八景」のプロモーションに力を入れているように、南薩のこのあたりは絶景の宝庫であるにも関わらず、なぜかポストカードの一枚も販売されていないため、「ないなら自分たちで作っちゃえ!」と軽い気持ちで始めたのが昨年のこと。

私の写真の腕前はドシロウトであるため、高校の同級生でセミプロカメラマンA君の絶大な協力をお願いして快諾をもらい、また笠沙の現代アート写真家こと向江 新一さんからの写真提供もあって、写真についてはあまり心配していなかったが、いざ撮影をお願いする段階になると(ここをこんな風に撮って欲しいと具体的にお願いしたわけではないが)結構難しい仕事であることに気づいた。

というのも、単なる風景写真ではなくてポストカードにするものだから、見る人が「美しい」と感動するだけでなくて、風景を自分のものとして共感して、それを人にあげたいと思ってもらわなくてはいけない。また、コンテストで入賞するような写真は、撮影者の独自の視点であったり、他の人が見逃していた美しさなどが表現されていることが多いと思うが、ポストカードの場合はあまり独自性がありすぎてもいけないと思う。それは、ポストカードの風景は、撮影者だけのものではなくて、手紙を出す人のものでもあるべきだと思うからだ。

だから、凡百の観光地のポストカードは、誰も文句が言えないような、代表的な絶景を無難に配置するということになっているのだと思う。そして、それで十分な場合もあるだろう。けれども、せっかく私のような一個人が発案して作る風景ポストカードなわけだし、そういう無難なやり方ではなく、これまでにない南薩の表情を切り取ってみたいという欲もある

このあたりのことは、実際に写真を撮るA君が考え抜き、また悩み抜いたであろうことで、写真を選ぶ(という傲岸な立場の)私はあまり考える必要はなかったのかもしれない。だが、南薩の絶景でポストカードを作る以上、自己満足で終わらせずに、地域の多くの人に実際に使ってもらいたいと思っているし、しかもタダで配るのではなく、大浦ふるさと館等で販売して、経費分くらいは回収したい。ビジネス的にそのくらいできなくては、ただの素人の遊びになってしまう。

それに、この数ヶ月間、A君は写真撮影のために貴重な休日の多くを費やしているわけで、私の方としても自然に、ポストカードを作るということが本当はどういうことなのか、なんとなく考え続けてきた次第である。

そして、ついに、A君からも素晴らしい写真の数々が入稿され、今、印刷段階に入っているところである。5種類作る予定で、シリーズタイトルだけ事前告知しておくと「Nansatz Blue」という。別に青をテーマとしたポストカードというわけではなかったのだが、入稿された写真を見ていると美しい青の写真が多い! ということから、今回は青に絞ってポストカードを作ることになった。「今回」ということは「次回」があるはずで、まだ何も完成品を出していないうちから次回のことを考えるなんて笑止千万とは思うが、A君の撮ったたくさんの写真を目の前にして、5種類とはいわずまだまだ作るべきだ、という思いが強くなった。やはり、南薩は美しい。

うまくいけば発売は8月末か9月初旬である。改めてお知らせするので是非注目してほしい。

2013年8月8日木曜日

桜井製菓の「ミルクキャンデー」から地産地消を考える

近所に馬場店(ばばみせ)と呼ばれているとってもレトロなお店がある。おじいちゃんとおばあちゃんが生活の傍らで営んでいるようなそんな店なのだが、そこにおいてある(というよりここ以外で見たことがない!)「ミルクキャンデー」が逸品だ。

今のデザイン事務所には不可能なバランスが絶妙に崩れた文字にまず惹かれる。そして食べてみて分かったがアイスの棒にはなんと割り箸が使われている。パッケージから何から手作り感満載だ。

味は「昔なつかし」が謳い文句だが、私にとってはあまり懐かしさを感じない。たぶんこの「ミルクキャンデー」がなつかしの対象としているのは、私が産まれるよりもずっと前、「三丁目の夕日」みたいな頃なのかもしれない。

ちなみにこの「ミルクキャンデー」を作っているのは、金峰町にある桜井製菓というところだが、WEBサイトにもこれの紹介がないようなのが不思議だ。姉妹商品に「ソーダキャンデー」とか「パインキャンデー」とかこれまたレトロなアイスキャンデーがあるので、気になる人はうちの近所のレトロな馬場店まで来て欲しい。

ところで話は変わるが、役所の人に勧められて鹿児島県がやっている「地産地消推進サポーター」なるものになった。 これは、要は「鹿児島県の美味しいものの情報発信をしましょう」というボランティア活動である。

このサポーターに登録したお陰で、鹿児島の農産物に関する資料が送られてきたが、どうも鹿児島の特産品を地産地消しましょうみたいな感じがあり、何か違和感がある。

そもそも地産地消は何のために推進するのだろうか。健康のために身の回りで穫れた野菜をたくさん食べましょう、というのは当然として、より重要なことは、高度経済成長期に農村が急速に市場経済化したことの副作用である。高度経済成長期以前には、農村経済が自給自足的であったために現金収入が少なく、そのために各地の自治体は「一村一品運動」などを行って農村の現金収入を向上させる施策を実施した。「一村一品運動」というのは、村に一つは特産品を作って、それを外に売りましょう! という運動だ。

こうしたことから、農村経済も次第に市場経済に組み込まれていったわけだが、1980年代に至って、地域農産物の多くが市場出荷されてしまい、ダイコンのようなありふれた野菜ですら地域外から仕入れた品に置き換わってしまうという現象が生じた。もちろん経済的な合理性からそうなったわけで、それ自体は悪いことではない。だが、ありふれたものまで外から買い入れていては、ただでさえ少ない農村の現金収入を費消することになってしまう。要は、地域の中でお金が回らない

例えば、同じアイスを買うのでも、「ガリガリ君」では地域に還元される部分は少ないが、桜井製菓の「ミルクキャンデー」を買えば、地域の中でお金が回るわけだ。これも地産地消の重要な目的ではないだろうか。一方で、特産品に関しては、そもそも外に売って現金収入を得るということが目的なのだから、地産地消というよりは、積極的に対外販売に力を入れていくべきだ。

だから、私の考えでは、地産地消推進サポーターの役割は、とても美味しい特産品の情報を発信するというより、大企業の商品と代替可能な「地域のありふれた品」を紹介することだ。桜井製菓の「ミルクキャンデー」のような、他の地域に積極的に売っていく品ではないけれど、なんだか楽しい、地元の何気ないものを紹介できたらいいと思っている。

2013年8月6日火曜日

うちの(たいしたことはない)米がGNJで供される予定です!

南薩では早くも新米の季節である。南薩(金峰、加世田、大浦)では「早期米」といって、早く植えて早く収穫する水稲栽培が行われているから、新米の季節は10月ではなくて8月だ。

先輩農家Kさんの協力を得て、うちでもお米の収穫を終えることができた。Kさん自身の水田の収穫作業もままならない中だったと思うが、優先的に機械を貸して下さったことに感謝である。

うちでは、お米は基本的には売り物としては作っていない。むしろ趣味的にお米を作っていて、(父母が作っていた時期も含めて)ずっと農薬を使わずにやっているし、来年は化学肥料も使わずに作りたいと思っている。そういう取組を真面目に大規模にやれば、有機栽培米として付加価値も産まれるだろうが、米に関してはそれを実行する資本力がないので、商売としての水田耕作に踏み出すつもりは今のところない。

自家消費して余る部分は、今年初めて農協に出荷してみたが、これを拡大させていこうという気持ちもない。むしろ趣味を加速させて、お金にはならなくても何か面白い取組をしてみたいと思っているところである。

そんなことで(詳細は書かないが)いろいろ策動してみたところ、今年は川辺で行われる音楽フェス「Good Neighbors Jamboree 2013」(GNJ)に出店する「かごの島食堂」にうちの新米を無償提供させてもらえることになった(無償なのは、うちから「売り物ではないので無償で提供させてもらいたい」と申し出たからである。念のため)。本当は、同食堂を運営する「サクラ島大学」さんと連携してプレイベントとしてお米の掛け干しの体験をやってみたいと思っていたが、今回はこちらの事情で中止せざるをえなかった。というわけで、原材料を提供するだけになり少し寂しいが、単に売るよりも有意義な使い方になったような気がする。

ただ、米農家Kさんのお米と食べ比べて思ったのだが、やはりKさんの米の方が美味しく、うちの米は(新米だからある程度美味しいのは当然としても)なんとなく食味が物足りない。遠方からGNJへ来たお客さんから、「南薩の早期水稲はこの程度か」と思われないか心配である。だが、8月に南薩で行われるイベントとなれば、一番のご馳走は新米だと思うので、オシャレな食べものより、ただのおにぎりを是非食べていってもらいたいと願う次第である。