2012年8月30日木曜日

頴娃町出身のユニークな音楽家:サカキマンゴー


鹿児島県の頴娃町出身のユニークな音楽家に、サカキマンゴーさんという人がいる。

この人は、地元の祭りで偶然聞いたアフリカ音楽に魅せられ、大学ではスワヒリ語(アフリカ東海岸で話されている言葉)を専攻、休学してアフリカ縦断の旅に出て、その後リンバ(親指ピアノ)という民俗楽器と出会う。そして、「七色の声を持つ男」と呼ばれた著名なリンバ奏者フクウェ・ザウォセ氏になんとタンザニアまで行って弟子入り。

こうして、サカキマンゴーさんは本場のアフリカ音楽を学んだが、自らが演奏するのは、リンバによる浮遊感のあるリズムを活かしながらも、それを日本でも違和感なく聞けるようにアレンジしたオリジナルソングだ。それは、日本語、スワヒリ語、鹿児島弁を自由に行き来した不思議な音楽である。

鹿児島弁で歌詞を書くミュージシャンは長渕 剛氏を筆頭に少なくないが、やはり鹿児島の人に向けて書いている場合が多いような気がする。サカキマンゴーさんの場合は、活動の拠点は東京やアフリカで、必ずしもリスナーに鹿児島県民が多いわけではないように見える(県内で特にCDが売れているとも聞かない)。むしろ、鹿児島弁の土着的な表情がアフリカ音楽に合致しているということで、鹿児島弁を使っているように思われる。

それにしても、頴娃という鹿児島でもかなりディープな(?)地方から、相当にディープなアフリカ音楽を奏でる人が出てくるというのは面白い。冒頭に貼り付けた曲が収録された『オイ!リンバ Oi!limba』というアルバムを購入して聴いてみたが、全体的ポップな感じになっているので、私としては、さらにディープな方向に突き進んでもらいたいと思う。

2012年8月27日月曜日

「加世田かぼちゃ」で作った「かぼちゃのコンフィチュール」

先輩農家と共同で(というか、おんぶにだっこで)秋かぼちゃを作らせてもらえることになって、早速作業が始まっているが、今日は台風の影響でお休み。

水稲収穫後の田んぼを使うのだが、今日だけでなく天気に恵まれず作業が思うように進まない。秋かぼちゃは台風の影響をモロに受けるので博打性が高いらしいが、既に負け博打の様相を呈しており、天候の好転を願うばかり。

ところで、春にかぼちゃを作りますという記事を書いたのだが、その結果を書くのを忘れていた。約100株作って、収穫はコンテナ10個分くらい。個数にして(まともなのは)70個くらいだった。総じて大きさは十分だったが、早く葉が枯れてしまったこともあって、味に濃厚さは足りなかった。やはり農薬を使わなかったのが大きかったと思う。

家内が、そのかぼちゃを使ってコンフィチュールを作ってくれた。コンフィチュールというのは、簡単に言えばフランス風のジャム。素朴なだけに素材の味がよく出て、甘いかぼちゃで作ったこいつはとても美味。我が子(2歳)が喜んでパンに付けて食べている。ついでにそれらしいラベルを作ってみたら、商品としていけそうな気がしてきた。

かぼちゃというと、煮付けで食べるのがスタンダードだと思うが、「加世田かぼちゃ」はせっかくのブランド野菜なのだから、利用法も含めて独自色があってもよいと思う。高級野菜だから料亭等で使われているのだと思うが、それでは一般への認知は進まないし、ブランド野菜としてのアイコン(象徴)的な商品があるといいのではないか。

このコンフィチュールがそのような商材になることを期待するものではいが、金を掛けて大規模なキャンペーンをするのでない限り、草の根の試行錯誤がブランドを作るわけで、美味しいかぼちゃが出来たら、その利用法もいろいろ工夫・発信していきたい(正確には、家内に工夫してもらいたい…)。

2012年8月24日金曜日

スイートコーンの2つの弱点

トウモロコシ(スイートコーン)の収穫である。

実が揃っているし、割ときれいに出来たが、全体として見れば、結果は悪い。というのも、約1割が野生動物(ムジナ?)に食われ、7割がアワノメイガの侵入を受け、全く無傷なのは1割程度、食害部分の除去などでなんとか利用可能のを含めても3割程度しかなく、約1000株のうち出荷可能なのはたったの300株しかない。アワノメイガというのはトウモロコシの大害虫。だが、逆に言えばこいつらさえ防除すれば、トウモロコシに被害を及ぼす病害虫はほとんどない。

もちろん、薬剤散布をして防除すればアワノメイガの被害は防げたわけだが、最初だからあえて無農薬でやってみた。ものの本にも「2〜3回は薬剤散布が必要」と書いてあるし、周りの方にも「薬はかけなきゃだめ」と言われていたけれど、 本当にそうかどうか、実際にやってみないと納得できない性分なので、まあ授業料と思えばよい。なお、除穂(無駄な雌穂を取り除く)の際に食害は気づいていたので、これは予想された結果ではある。

また、こちらは特にこだわりがあったわけではないが、化学肥料を使わず、有機肥料のみで作ったので、一応定義的には有機栽培だ(※)。ただ、「有機栽培」という言葉は、現在の法の枠組みでは認証を受けないと使えないので、販売の際にも有機栽培と言うことは出来ず、別段有利になるわけでもない。 まあ、慣行農法で作った場合に比べてどれだけ安全性や食味が増しているかというと、正直そんなに変わらないような気はするが。

ちなみに、トウモロコシ(スイートコーン)を作った理由は、時期的なものはもちろんだが、穀物として面白いと思ったこともある。米や麦といった穀物は、炭水化物の摂取を主な目的としているので、良質な(美味しい)炭水化物を効率的に大量に産出できるように品種改良が進んだ。一方トウモロコシの場合は、19世紀に入って在来の甘い品種が改良され、スイートコーンが出来た。穀物なのに、甘味を楽しむ方向に品種改良が進んだのは興味深い。「甘い米」や「甘い麦」はないのに、同じイネ科なのに不思議だ。

早速食べてみると、生でも食べられるし、茹でれば甘く美味しい。なにしろ、トウモロコシというのは採ったらその瞬間から劣化していく作物なので、採れたてのスイートコーンが一番美味しい。 ただ、美味しい採れたてを食べられるのは、栽培している人やその周りの人だけなので、アワノメイガ以外のスイートコーンの弱点はまさにそこにあるとも思う。


※ 有機栽培というのは、無農薬(正確には有機認証された農薬以外使わない)かつ化学肥料を使わない栽培。

2012年8月22日水曜日

『万世歴史散策』を届けてもらいました。

南さつま市にある小さな街「万世(ばんせい)」、そこの歴史についての本が自費出版されたというニュースを見て、早速編著者の窪田 巧さんに電話してみた。記事に連絡先が書いてあったからだ。

本を買いたいというと、「もう手元にある分は全部売れちゃったんですよ」とのこと。「でも、鹿児島市内の大木建設設計事務所に販売を卸してるんですが在庫があったかも。連絡してみて下さい」と言われ、そこに電話するとあと2冊だけあるとのこと。取りに伺うと言うと、「自分は大浦出身だから、お盆に帰郷した時についでに持って行きますよ」と言う。世の中には親切な人がいたもんだ。

届けて頂いた際に話を伺うと、大木建設の方と窪田さんが(高校の?)同級生である関係で、鹿児島県内の販売を大木建設が担っているらしい。

早速読んでみると、歴史散策の書名が示すとおり興味の赴くままに、昔話や万世に縁ある事物の取材、地名の由来の推測などが並べられている。書きたいことを書いた、というような内容で、著者自身が「卒業文集の延長」と言うとおり、およそ一般読者のことは考えられていないが、万世出身の人などは涙を流して喜ぶような本だと思う。これぞ自費出版の正しいあり方だ。

私自身にとっても、なるほどと思わせるところが随所にあり、地域史の勉強のよい参考書になった。丁字屋、南薩鉄道、鮫島氏…などなど、個別のことについてはまた改めて気が向いた時に書きたいが、いろいろヒントを与えてもらったと思う。こういう地域の歴史本が、もっとたくさん出てほしいものだ。

それにしても、著者の窪田さん、全盲というのが凄い。奥さんはさぞかし献身的な協力をされたのだと思う。だが、ニュース記事では「妻と二人三脚で」と書いてあったが、本書にはまえがきにも編集後記にも、奥さんへの言及はない。女は黙って俺について来い的な、(でも実際は裏で奥さんが大活躍してる)典型的な鹿児島の夫婦なんだろうか…?

2012年8月21日火曜日

古民家の音響は、素晴らしい

意外かも知れないが、古民家の音響は極めていい。

私は一応ちょっとしたアンプで音楽を聞いているが、スピーカーはいらなくなったミニコンポのスピーカーだし、耳は悪いし、音に特別こだわるタイプではないけれど、それでも違いがわかるくらい、音の質がいい。

古民家の音響がよい理由は、その構造にある。

我が家は昔、天井裏で蚕を飼っていたようで、天井裏に割と広い空間がある。古民家であれば、蚕ならずとも米倉庫や藁置き場になっていたり、天井裏の空間が活用されていたことが多いだろう。

また、部屋の仕切りがあまりないことも相まって、オーディオから発せられた音がこの天井裏の空間を通じて家全体に共鳴し、よく響く。しかも、不明瞭な響き方ではなくて、一音一音が明晰に、繊細に鳴り響く。オーディオから一番離れた部屋にいても、音楽が不思議なくらい自然に聞こえる。これは、鉄筋コンクリートの建物に比べ、無用な音の反射がないからとも思う。コンクリートの壁は、むやみやたらに音を反射させるのでよくない。

つまり、古民家にオーディオを置けば、家そのものが楽器になり共鳴するのだ。特に中低音の響きには艶があり、中音域の奥行きが豊かに聞こえる。ジャズやクラシックを聴くのには最高の環境と思う。ただ、ポップスやロックで、高音がキンキンしているような曲の場合、もしかしたら迫力が削がれてしまっているような気もする。まあ、何事にも一長一短はある。

ちなみに、家そのものが共鳴するため、家の外にも音楽がよく聞こえ、都会であれば騒音問題になりそうなほどだ。ここは田舎で家もまばらだから深夜でもない限り気にする必要はないだろうが…。

古民家は音響がいいというのは何も私だけが言っているのではなく、ネットを見てみると結構いろいろな人が古民家で音響を楽しんでいるみたいだし、先日伺った美山のたけずみ屋さん たけずみ本舗では古民家にバカでかいスピーカーが鎮座して最高の音響環境を演出していた。

音響の基本はまず空間(部屋)であって、そう言う意味では、古民家はオーディオマニアの家として一つの選択肢だと思う。まあ、そのためだけの部屋(オーディオルーム)には及ばないのかもしれないが、リタイア後に、古民家に移り住むオーディオマニアがいてもおかしくないレベルだと思っている(私自身はオーディオマニアではないので戯れ言にすぎないけれど)。

2012年8月19日日曜日

地味な雑草ヤブラン、実は有用?

ポンカン園の下草払いをしたら、雑草の合間にたくさんのヤブラン属の花が咲いていた。ヤブランにしては小さく、また群落が小規模なのでコヤブランかヒメヤブランだろうか。辞典での知識しかないのでよくわからない。

ヤブランは藪蘭と書くが、ランの仲間ではなくユリの仲間(※1)で、日本全国に自生する可憐な花の野草。斑入りの栽培種もあって園芸として育てている人もいる。しかし、見た目の派手さがなく地味なため、あまり好んで植えられているものではないと思う(もしかしたらこれが人気の地域もあるかもしれないが)。

私のポンカン園でも勝手に生えてきているわけで、さらにそれを時々下草払いしているので全く生長が奮わない。私はこういう何気ない小さな花が好きなので、できればこれを残したいと思うが、下草払機をブンブン振り回している時に、小さな草を保護する心の余裕はない…。

そもそも、林床など光の少ないところでよく育つだけでなく、幅広い気候に対応したヤブラン属は日本ではありふれた雑草で、ほとんど有り難がられていない。特に農業ではそうだろう。

しかしこのヤブラン、150〜200年前に日本から米国に移入されており、米国の特に南西部では被覆植物として非常にメジャーな存在になっている。米国での使われ方は、芝と似ており、芝の生やしにくい場所や歩道との境界などに植えているケースが多いようだ。そのため、ヤブランは英語ではlilyturf(ユリ芝)とかborder grass(境界草)という(※2)。芝よりも手入れの手間が少なく、花も楽しめて、土壌と気候の適応性が大きいということで、ヤブランは公園整備やガーデニングの脇役として重要な地位を占めているのだ。

より身近なはずの日本でそのような使われ方があまり見ないのは不思議だ。私はポンカン園の林床をヤブランにしてしまったら、下草刈りの手間が激減するのではないかと思っているが(※3)、具体的にはどうやって増やすかがちょっと課題だ。ジワジワと拡大させるのは可能だが、ヤブランは実生で増やすのが難しく、確実には株分けで増やすらしいが、これは現実的ではないからだ。

さらについでに書くと、ヤブランの種子は進化的に面白い存在だ。被子植物なのに果実の部分がなくて、黒くてまん丸い、まるで実のような種だけがついている。これは果実を作るエネルギーを節約し、種を果実に擬態させることで、鳥が果実と間違えて食べることを期待しているのではないか、と言われている。具体的にはイヌツゲとかアオツヅラフジの実に似ているというが、全体像が違いすぎるのでこんなのに騙される鳥がいるのか疑問もある…。

以前イネ科植物はほぼ果実を作らないということを書いたのだが、ヤブランの場合は果実を完全に捨て去っていて種は剝きだしであり、被子植物の果実進化の極北ともいうべき存在であると思う。ヤブランは進化的にも面白く、ガーデニングにも有用なのに、ほとんど注目されないのである。ちなみに、その根は大葉麦門冬という漢方薬にもなるらしいのだが。


※1 APG植物分類体系では、ユリ科ではなく、スズラン科またはクサスギカズラ科に分類されており、まだ確定していないものと見受けられる。

※2 細かい話だが、grassは正確にはイネ科の雑草を指すので訳がちょっと不正確…。

※3 カンキツのヤブランによる草生栽培というのは既に試験した人がいるらしいが、その結果は知らない。(『農業技術体系』の8巻に記載があるらしい)

2012年8月14日火曜日

カリフォルニアに移住した下村ルイさんの話

以前少しだけ紹介した『続・ぼくの鹿児島案内。』に大浦と枕崎に関する記事があるので紹介したい。

本書は、北海道出身の編集者である岡本 仁さんが、鹿児島の友人知人に紹介されたり、ふとしたきっかけで知った「鹿児島のよかもん」を紹介する本の第2弾である。観光案内のガイドブックではなく、生活者としての素朴な感性から、地元にいるとなかなか気づかない素敵な場所を紹介してくれている。

本書の内容は、鹿児島のあれこれに関する岡本氏のエッセイと氏の友人知人による鹿児島のいいもの紹介なのだが、そこに「ルイさん聞いた話。」というカリフォルニアで出会った鹿児島出身の方の話が唐突に挟まっていて、これが写真を除くと3ページしかないのだが興味深い。

この話は余韻が豊かで、要約するとその滋味が失われるが紹介のためにまとめると、
  • 下村ルイ(旧姓:長野)さんは、今カリフォルニアで、一人で農業をして暮らしている。ルイさんが作る日本式の野菜はファーマーズ・マーケットでも評判だ。
  • ルイさんは枕崎の西鹿篭で生まれたが、父親は若い頃渡米しスタンフォード大学で学んでおり、帰朝後には立神の区長もしていた人物。
  • ルイさん自身はアメリカへの興味はなかったが、仕事にしていた洋裁は鹿児島では需要が少なく、アメリカに行けば暮らしが立つと思い1960年に渡米。しかしアメリカ人は既製服を着こなせることがわかり洋裁を断念。
  • やはりアメリカに住んでいた義姉の紹介で、カリフォルニアで農業をしていた大浦出身の男性を紹介され(なかば無理矢理?)結婚。それ以来夫婦で農業をして生活していたが旦那さんが亡くなり、ファーマーズ・マーケットへの出店もやめていたが、しばらくして一人で再開。
  • 鹿児島には母親が亡くなった1987年に帰ったのが最後。
ということだ。

以前書いたように、南薩からは多くのカリフォルニア移民があったので、時代といえばそれまでだが、興味のなかったアメリカに移民し、しかも本来の目的である洋裁での自立ができずに、写真だけで結婚を決めた旦那さんと農業で暮らしていくことになるという、今から考えるとちょっと場当たり的な人生が興味深い。

それ以上に興味深いのは、数奇な運命といえなくもないものの、こうして、一般的には平凡な女性の人生のスケッチが3ページとはいえ本書で紹介されていること自体だ。この女性の親類は、この記事を知っているのだろうか。そして旦那さんの姓は下村で、大浦では上ノ門集落の方と見受けられるが、どなたかルイさんをご存じの方はいるだろうか。

特に立派なことが書かれているわけでもないし、知人なら知っている話なのかもしれないが、誰か、彼女を知っている方に、この記事をぜひ読んでもらいたいと思った次第である。こうして、思いもよらない所で、彼女の人生が紹介されているということを。

2012年8月12日日曜日

複雑な来歴を持つ素朴な行事——お盆

お盆である。引っ越してきてから初めてのお盆で、こちらではどういう風にお盆を過ごすべきなのかよくわからない。スーパーなどにはお盆用の飾り付け(干菓子とか灯籠とか)が売っているが…。

お盆は、日本の三大休暇の一つであり誰にとってもなじみ深い行事だが、実はなかなか奥が深い。これは一般的には仏教行事と思われているが、実は仏教との関連は薄く、教義的な意味合いも曖昧であり、不思議で複雑な習俗である。

お盆の直接的な由来となっているのは仏教行事の「盂蘭盆(うらぼん)」であるが、お盆は盂蘭盆そのものではなく、特に「祖先の霊が帰ってくる」というお盆の中心的観念はもともとの仏教にはない。丁稚が実家への帰省するかつての習慣である「藪入り」と、祖先の霊が帰ってくるという民間信仰、そして盂蘭盆が習合したのがお盆ということになるだろう。

さらに盂蘭盆というのも、実はインド由来の仏教にはない。これは「盂蘭盆経」という中国で作られた経典を典拠としているが、その内容を要約すると「祖先の供養のために7月15日には僧に供物を差し上げなさい」ということで、お供えの対象は祖先の霊ではなく僧になっている。もともとの仏教では祖霊祭祀の観念は希薄であったわけで、忠孝を重視する中国人が、僧への供物を中国的に合理化した結果が盂蘭盆経なのだろう。

そして、その供物を差し上げる日が7月15日というのは、道教の中元節に関連して設定されたものだろう。中元節というのは、中元の日=旧暦7月15日に、人間を愛してその罪を許してくれる中元地官(または地官大帝)という神にお供え物をして、日頃犯した罪の許しを乞うというイベントであり、日本の「お中元」の起源でもある。仏教側とすれば、7月15日にお供え物をする習慣を利用して、その対象を僧や寺院に変えようとしたに違いない。

また、盂蘭盆という不思議な名称の起源に関してはいろいろな説があるが、この行事はゾロアスター教の祖霊祭との類似が指摘されており、古代イランの言葉で霊魂を意味する「ウルヴァン」が語源ではないかという説が提出されている。ゾロアスター教は、日本人にはなじみの薄い宗教だが、シルクロードを通じてかなり大きな影響を日本文化に与えており、その可能性は十分にある。

このように考えてみると、お盆の成立には、ゾロアスター教、道教、仏教、日本の民間信仰とさまざまな宗教や民俗が混淆しており、歴史的に大変複雑な由来を持っている。しかし、実際のお盆というのは、親戚が集まり、先祖に感謝するというとても素朴な行事であって、難しい教義的な意味づけを要しないし、夏の一番暑い時に休むという合理的な目的もあり、日本社会によく合っている。

祖霊祭祀はもともとの仏教にはないとか、教義的純粋性をいいだすとお盆は仏教的には不純なのであるが、私はこういう民間信仰の素朴な行事は大切にすべきではないかと思う。だが、素朴であるだけにその内容は各地で異なり、鹿児島の場合、そうめんを食べるとか、大豆入りの味噌汁を飲むとかいろいろあるらしいが、全体像がよくわからない。それが受け継いでいくべき伝統なのかどうかすらわからないのだが、一度は伝統的な鹿児島のお盆を過ごしてみたいと思う。


【参考文献】
道教百話』 1989年、窪 徳忠
ゾロアスター教』 2008年、青木 健

2012年8月9日木曜日

南さつま市定住化促進検討委員会

「南さつま市定住化促進検討委員会」なるものの委員になった。

これは、南さつま市役所が移住・定住施策の充実を図るために設置したもので、具体的には、秋までにそのための施策を検討して報告することとなる。私は、一応首都圏からの移住者だから、その経験を踏まえた意見が求められているわけだ。

ちなみに、移住・定住を促進する目的だが、
  • 南さつま市は毎年約600人が人口減少しており、高い高齢化率とも相まって街の活力が低下している。
  • そこで、街の活力を呼び戻すことを第一の目的として移住・定住の促進を行いたい。税収増などは直接の目的ではない。
ということだ。

先日初回の委員会が開催されたが、意見交換の内容を要約すると、
  • 移住にあたっては人との繋がりが重要。
  • 移住・定住が成功し長続きする人は、何を目指しどういう生活をしたいのかという目的意識が明確な人が多い。
  • 南さつま市の魅力が何なのか明確でない。そこを明確にすることも必要では。
  • 移住・定住してもらいたいターゲットをどう設定するかによって施策が変わってくる。対象者をセグメンテーションして対象ごとの施策案を事務局に考えてもらう。
というところか。

人口減少は多くの地方自治体にとって大問題で、程度の差こそあれ移住・定住促進はかなりの自治体が取り組んでいるし、少しくらいの補助金を出すくらいでは明確な効果はないだろう。もしやるなら、やはり地の利を活かした、独自性のある、目立つ施策をやらなくては税金の無駄になる。

南さつま市は日本の辺境に位置した自然と歴史の豊かな土地なのだから、そこを活かさなくてはならない。そして、目的は「街の活力」なので、単純に人を増やすということではなくて、活力を呼び起こすようなタイプの人に移住してもらう必要がある。そう考えてみると、例えば「起業や事業所開設への手厚い補助」なんて施策はどうだろう?

結局、仕事がなければ移住は出来ないのだし、ただでさえ雇用環境が厳しい中で生産年齢の方をむやみに移住奨励することは今の住民に不利益になる。であれば自ら事業を営む方に来て頂き、できるなら人を雇用してもらえれば一挙両得である。こんな辺境の地で起業なんかするわけがない! というのは思い込みで、今はインターネット環境さえあればグローバルに仕事ができる時代だし、「変化は辺境から始まる」のだから、真にクリエイティブな仕事がこの南薩でこそできるかもしれない。

もちろん、そんな大仰なことでなくても、焼き鳥屋を開くとか、美容室をオープンさせるとか、そういうことでもいいのである。結局は経済活動が盛んであることが街の活力なのだから、どういう事業を営むかはともかく、起業家精神が旺盛な人に来てもらうのが一番だ。

「日本の端っこで起業しませんか?」をキャッチフレーズに、起業資金の補助、無利子融資、土地の斡旋、広報の協力、インターネット環境の整備(光ケーブル)、法務の支援、税制の優遇(5年間無税とか)などなどを行い、南さつま市が「日本一起業家に優しい街」になれば、きっと日本中から起業家が移住してくると思うがどうだろうか。

とはいえ、野心ある起業家はアクの強い人間だったり、旧習を無視したりして、地元の人間と軋轢を起こすことも多い。しかし、「地元でうまくやっていける人間」だけを求めていては、閉鎖的な社会構造を変えることができずに、人口流入は期待できないと思う。自らが変わっていく覚悟があってこそ、外の人間を受け入れることができるのではないだろうか。

2012年8月5日日曜日

適地にこだわって作った「お家で食べているお米」

私が大変お世話になっている先輩農家Kさんの作ったお米(コシヒカリ)が、郵便局で(米農家が)「お家で食べているお米」として販売されている。南薩は早期水稲の地域なので、新米の季節は8月だ。

私の家に東京から友人が泊まりに来るということが話に出ると、Kさんから「せっかくだから新米を食べてもらって!」と、私もその米を少し(結構な量)いただいた。私の田んぼの稲刈りは友人の来訪に間に合わないので、気を利かせてくれたのだ。有り難い。

早速食べてみると、新米だから美味しいのは当たり前だが、うちの米に比べて濃厚な感じがする。去年までうちは父が(田植えや稲刈りは農家に委託して)お米を作っていたのだが、無農薬で作られたその米も美味しいとは思っていたものの、追肥をしていなかったので、もしかしたら養分の乗りがよくなかったのかもしれない。

ところで、我が大浦町には干拓によって造成されただだっ広い水田があるが、Kさんは干拓地ではなく、山手側の狭い田んぼ数十枚でお米を作っている。干拓地は一枚の田んぼが広く作業効率はよいが、美味い米を作るには山手側の田んぼの方が適しているという。

まず、干拓地も客土によって改善されているとはいえ、山手の方が土壌が豊かである。そして水が清涼である。干拓地は水系として下流に位置するため、どうしても他からの排水が混じるし、場合によってはそこに残留農薬も入ってしまう。さらに、干拓地では大規模作付けということでヘリコプターによる共同の薬剤散布を行っているため、農家個人での減農薬を行いにくい。Kさんは減農薬米を作っているのである。

こうした理由から、 Kさんは敢えて手間のかかる山手の田んぼを使っている。私も少しだけ作業を手伝わせてもらったので実感したが、一枚の田んぼが狭く不整形であると、1反(10a)あたりの生産コストはだだっ広い田んぼに比べて非常に高い。田植えや稲刈りも面倒だし、畦の管理(草払い)も大変だ。要は、作業効率が悪い。それなのに生産物である米の価格は農協による取引だと大規模生産による田んぼと同じなので、はっきり言って条件はよくない。

Kさんも、そういう理由から営農当初は干拓地での水稲生産を目指していたそうだが、美味しいお米を生産するためには山手の田んぼが適しているということで、生産の中心を山手側に移していったそうだ。こうして適地にこだわって作った米が美味くないわけがないだろう。

ちなみに郵便局での販売は、どうやらWEBではやっていないみたいで、実際に郵便局に行って注文する必要がある。しかも、注文用紙は南薩の郵便局でしかおいていないようだ(どこが北限なんだろうか…?)。5kgで2,800円、10kgで5,200円。現在の注文用紙の有効期間は8月17日までのようなので、ご賞味ありたい方は南薩の郵便局まで早めに足を運ばれたい。

2012年8月3日金曜日

農業経営の基礎知識

先日来の「農業基礎講座」の最終回。今回のテーマは農業経営について。その要諦は極めて簡潔だ。すなわち、

(1)経営状態を改善するには現状把握が大切であり、そのためには数値化が必須
(2)数値化のためには、複式簿記・青色申告の利用は当然として、業務日誌などをつけて作物毎に労働時間を把握することなども必要になる。
(3)そうして、収入・経費・借入金の償還・労働時間・収益の使途などを把握することによって経営者としての判断が可能になる。
(4)また、家族経営協定や認定農業者制度の活用は、各種制度資金等の利用が可能になるのみならず、曖昧だった家族労働の形態や経営の目標を明確化するというメリットがある。

(1)〜(3)は農業に限らず、事業を経営する場合は当然のことであって、その基本理念は単純明快だ。だが、その具体的管理方法は、業界ごとにさまざまあるものの決定打のようなものはないのが普通だ。例えば、業務日誌をつけよというが、これは具体的にどんなものだろうか?

企業的にプロジェクト管理の考え方でやると、作物別に管理表があって、それに記帳していく方式もあるだろうし、日毎に1シートを使うまさに日誌型の管理もありうるだろう。会計の管理はスタンダードがあるが、業務管理には王道はない。中心となる商材、経営のおかれた状況、労働の体系によっても最適な方法は変わってくる。

しかし、農業経営というのはかなり確立した世界なのだから、最適とはいわなくても基本の管理方法というのは(私が知らないだけで)あるのではないだろうか。こういう研修では、基本的な考え方だけでなく、そういう具体的な好事例を紹介してもらえると有意義ではないかと思った。例えば、話題の農業生産法人ではどういう業務日誌を使い、どういう会計管理をしているのか、そういうことがわかったら面白い。

2012年8月1日水曜日

私の先祖はお酒の飲めない商人?

お茶やコーヒーはたくさん飲む…
私は、お酒が飲めない。だから農作業の後はビールで乾杯! などということはなく、もっぱらソフトドリンクなんである…。まあ一杯くらいは飲めるのだがすぐに赤くなるし、何より体が不調になるのでそれ以上は飲まない。大酒飲みがたくさんいる鹿児島では、もちろんこれは不利な体質だが、下戸の背景を知ると面白い。

もともと人類はアルコールを分解する能力を備えていたが、2万年ほど前、現在の中国南部(江南地方)で「お酒が飲めなくなる」突然変異が生じたようだ。そして、この突然変異は人類史上でただ一回だけのものらしい。つまり、お酒が飲めない人は、その系譜を遡れば少なくとも祖先の一人は江南人ということになる(※1)。

私も、祖先の一人は中国南部で暮らしていた誰かなのだ。では、どれくらい遡ればそこに到達するのだろうか? 

基本的に、縄文時代の日本人はお酒が飲めただろうと言われている。一方で大陸からの新しい移住集団である弥生人はお酒が飲めない人が多かったようで、弥生人の影響が大きい近畿地方にはお酒が飲めない人が多く、その影響が小さかった東北や九州南部ではお酒の強い人が多い(※2)。

鹿児島に酒豪がたくさんいるというのはそのためで、おおざっぱに言えば縄文人的特徴が濃いということになる。アルコール度数の高い焼酎が普及したのも、鹿児島人の多くがお酒に強かったからだ。だが、鹿児島には鎌倉時代以降に江南地方からかなりの集団が移住してきており、そこからお酒が飲めない遺伝子が持ち込まれてもいる。

特に南薩地方は、南西諸島からの中継貿易を行った坊津、宋との交易で栄えた万之瀬川流域等があり、外来文化の玄関口だった。加世田には唐仁原とか当房(唐房)という地名があるし、坊津や笠沙には唐人墓がある。ここにはかつて海外から多くの商人が住み込み、舶来の品を並べる商店が軒を連ねていたという。今でこそ南薩は田舎であるが、中世には先進文化の中継地・受容地として殷賑を極めたのである。万之瀬川からは、龍泉窯の青磁の優品が多数出土しているが、それだけでもかつての繁栄の一端が窺える。

どうして日本の端に位置する南薩が先進文化の中継地となったかというと、中国大陸の政治状況による。中国文明は唐代までは北部が中心で、南部はずっと農村地帯であったのだが、五胡十六国時代から宋代では北方の遊牧民族からの圧迫を受け、江南がその中心地となった。それまで日本は朝鮮半島を経由して北方の中国文化を取り入れてきたが、宋代、日本でいえば鎌倉時代になるに至って、江南から南九州への黒潮を通じたルートが確立し、直接南方の中国文化を取り入れることになるのである。

南九州には、江南由来を思わせる習俗や文化も多く、宋から大きな影響を受けているように思われる。だが、現在ではその痕跡は必ずしも明瞭ではない。ただ、意外に「お酒が全く飲めない人」というのは多いように感じられ、それは宋代にこの地へ移り住んだ江南の商人の子孫ではないかと思う。それが、かつての殷賑を偲ばせる数少ない徴のようにも思える。

私の祖先も、江南から黒潮に乗ってやってきた、お酒の飲めない商人だったのだろうか。


※1 ちなみに、アフリカ、ヨーロッパ、オーストラリアの原住民にはお酒が飲めない人は全くいない。世界的に見ると、お酒の飲めない人の分布は日本と中国南部が中心で、中国北部がそれに続き、東南アジア、ポリネシアがちょっと、南北アメリカ大陸とインドにわずか、西アジアにごくごく僅か、という感じになる。中国北部と南部より、中国南部と日本の方が似ているというのが面白い。

※2 日本人の成立というのはうかなり複雑で、従来言われていたような「縄文人/弥生人」というような安易なくくりで成立したものではない。なので「縄文人」とか「弥生人」という単語は学術的にはかなり怪しい部分もあるのだが、ここではあまり本質的ではないのでこの用語を使う。

【参考文献】
日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造』 2007年、篠田 謙一