2012年2月25日土曜日

ポンカンの剪定をしています

本当はもっと早くに終えなければならないのだが、ポンカンの剪定をしている。

「なぜ切るのか、そのまま素直に伸ばしてやればいいではないか」と思うのが人情であろうが、剪定は非常に重要な仕事である。ポンカンに限らず、一般的に果樹は剪定を必要とし、それは施肥とともに最も重要な作業である。

剪定の第一目的は、樹を管理できる形に維持することにある。せっかく実が成っても、収獲できない高所にあっては意味がない。脚立で届く範囲に樹形を留めることは、商品として作物を作る場合には必須である。また、摘果の際のみならず、防虫剤等の散布においても、枝葉が高所まであれば散布が大変だし、また大量の薬品を必要とする。最低限の薬剤使用に留めるためにも、樹形を必要十分なものとすることは重要である。

第二の目的は、混みすぎた枝葉を空き、樹全体に光が当たるようにすることである。自然の木では、剪定されることがないにもかかわらず、効率的に日光を吸収する樹形になっているはずだが、なぜ栽培樹ではこのような作業が必要なのだろう。その最大の理由は、我々が収獲したい果実が、自然には存在しないほど大きく甘いものだからではないだろうか。つまり、自然状態では、小粒の数多くの果実を作るのに効率的な枝葉の構造となっているために、1つひとつの枝葉が必要とする光量が小さい。一方、大きく甘い果実を成らせるには、葉に多くの日光を必要とするために、枝葉を適当に除いてやるという行為が必要になってくる。また、原産地と栽培地の環境の違いというのもこの作業を必要とする理由の1つだと思う(ちなみに、ポンカンの原産地はインドである)。

第三の目的は、収穫量や樹勢の調整である。詳細は説明しないが、枝には役割分担があるので、それぞれの役割の数量バランスを変えることによって、いろいろな調整ができるのである。

剪定が必要な理由は上記のとおりだが、当然ながら剪定はしすぎるとよくない。なぜなら、果実は「根から得た養分」と「葉で行う光合成による養分」の2つのバランスで実るものだからである。剪定では、葉の数は減らせるが、根の方は不変なので、そのバランスが崩れてしまうのだ。だから、必要最低限の剪定に留めなくてはらない。剪定しすぎると、養分が樹の成長により使われることになるので、収穫量が減って樹が余計に成長することになる(この性質を利用して、ちょっと弱った樹などはたくさん剪定を行う)。

その、「必要最低限の剪定」というのがなかなか難しい。私の場合は、つい、切りすぎてしまう。樹形を整えることに気を取られているのかもしれない。 何度も遠くから樹形を見て、不要な枝はどれか、見極める。かっこよく言えば、「樹と対話する」。そのうちに、切りすぎてしまうのだ。対話がちゃんとできていないのだろう。

プロに言わせれば、剪定の作業にそんな時間をかけては商売にならない、という。私は、栽培初年度なので、熟練者の6倍くらい時間をかけてしまった…。来年からは、もっと効率化し、早く剪定できるようにならなければならない。しかし、粗雑になってしまわないように、今のうちから自戒しておこう。仮にも、命あるものの一部を切り捨てるのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿