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2014年3月29日土曜日

アセロラは霜で全滅

以前、アセロラの栽培に挑戦します、という記事を書いたのだが、そのアセロラが全滅してしまった。

植えている園地は無霜地帯と聞いていたが、今年、実際には数回霜が降りていたようである。何しろ全国的にも大雪で大きな被害があった年だったわけなので諦めるしかないが、私も遅霜被害を受けた。

一番ショッキングだったのはアセロラよりもビニールハウスで栽培しているかぼちゃが壊滅的な被害を受けたことだ。特に3月8日あたりに降った霜は強力で、ビニールハウスの中だったにも関わらず、葉やツルが霜でベランベランに焼けてしまったのである。その後暖かくなって、無事だったツルから新芽を出させてなんとか全滅は免れたが、出荷時期はずれ込むわ、収量は激減が予測されるわで収益的に散々な結果が予見される。

そういう年だったために、耐凍性がほとんどないアセロラが全部枯れてしまったのも当然だろう。ただ、これらは根は完全には死んでいないので5月くらいになったら新芽が出てくるだろうし、来年はベタ掛けシート(不織布)などで被覆してやれば越冬も可能かもしれない。とはいっても、数年に一度であれ強力な霜が降る環境で継続的に栽培するのは難しいので、思い切ってアセロラ栽培は諦めることにした次第である。

ではこの場所に何を植えるか。以前ブログ記事に書いた通り、ここはもしかしたらカンキツに不適な場所かもしれないので、カンキツ以外を考えているが、今のところオリーブが有力候補である。私は「南薩のオリーブ」を作ってみたいと思っていたところだし、南さつま市ではオリーブ苗木への助成も予定されているということなので、ここをオリーブ園にしてみようかと思う。これまた簡単な話ではないが、しばらくは無謀な試みを続けてみることにする。

2014年1月1日水曜日

3種のブルーベリーを植えました

昨年のことであるが、ブルーベリーの苗を50本ばかり定植した。

品種は、ブルーリッジ、ジョージアジェム、サミットという3種類。といっても私自身、これらの品種がどういう特性なのかは十分に理解しておらず、食べたこともない。

ともかくブルーベリーというのは品種の数が膨大であり、収穫時期、味、樹形、樹勢、そして栽培適地の違いによって、千差万別な、そしてある意味では大同小異の品種が生み出されている。正直、訳が分からないくらい品種が多い。その膨大な品種からどうしてこの3つを選定したのかというと、これらは暖地に適していることはもちろん、収穫時期が7月であるということが重要な点で、私の今の作付体系では割合に暇なはずの時期に収穫ができることを見込んだのである。

ところで以前もブルーベリーについては少し触れたが、この作物はジャム作りなどの農産加工と組み合わせることで生産性が高まる。私は比較的マイナーな果樹を中心に農業をやっていこうと思っているが、ブルーベリーというかなりメジャーな作物に取り組んだのは、もちろん「南薩の田舎暮らし」で加工所を開設したということがあるからだ。今時ブルーベリージャムなどというものはどこにでもあるが、だからこそ需要が安定しているとも言えるので、美味しいものができたら販売に期待が持てる。

だがそれと同じくらいに大きいのは、土壌から見てここにブルーベリーが最適ではないかと考えたためだ。ブルーベリーは酸性土壌を好み、根毛がないために水分不足に極端に弱い。ということは、日本の土壌はほとんど酸性土壌なわけだから問題は水で、常に湿り気があって、なおかつ他の園芸野菜等に適さない圃場があればブルーベリーを植える価値がある。今回植えた圃場は、狭く、行きづらいところにある上、日当たりも微妙というところがあるので野菜には使いづらいなあと思っていたところ、昨年の夏の日照りでもさほどカラカラになっていなかったので、ブルーベリーがイケるのではないかと踏んだのだ。

商業的にブルーベリーを作る場合は灌水施設を設けるのが無難、と言われているが、それはそれで投資が必要なので、天水に依存できるならそれに越したことはない。実際に灌水施設なしでブルーベリーを生産している人はたくさんいる。水が切れると割合すぐに枯れてしまう植物だから、来る夏に乾燥すれば怖じ気づいて灌水すると思われるが、そうなるかどうか、実験の1年である。

2013年12月13日金曜日

ブラックベリーに取り組んでみます

ブラックベリーの苗を定植した。ブラックベリーというのは、あまり品種改良されていない、野生的な木イチゴである。

ブラックベリーというと、フルーツの名前よりも携帯電話の方が有名かも知れない。しゃれたお菓子に少しトッピングされることはあっても、ブラックベリーそのものの味を知っている人は少ないし、どんな風に栽培されているのかを知っている人はさらに少ない。

というか、私自身知らなかった。どうしてこれに興味を持ったのかというと、イギリスにいる叔父叔母からメールが来て、「ジャム作りをする予定があるなら、イギリスではナショナルトラストが家庭に植えられているグーズベリーやラズベリー、レッドカラントなんかをジャムにして売る事業がとても流行っているから、そっちでもこういう植物の栽培をやってみたらどう?」というような提案をしてくれたからだった。

だが、ここに挙げられているグーズベリーなどというものは、なんだか美味そうだが基本的には北国の植物で、残念なことに南薩の気候とは合致しない。そこで調べて見ると、ベリー類でもブラックベリーが南国の産で、栽培適地はほとんどミカン類と一緒であるという。ここ大浦町ではポンカン、タンカンといったカンキツの生産が盛んなので、これならイケるのでは? と期待したのである。

また、これを植えた場所は開墾地なのだが、土壌が最悪な場所である。釜土(粘土質)で石が多く、作土層が浅い。相当に強い作物でないと栽培の労力が無駄になりそうな、そういう場所である。当初は土壌改善を考えていたが、気長に土壌改善に取り組むような余裕もないし、石はいかんともしがたい。そこで、野生の面影を留めているブラックベリーを植えることにしたわけである。これは、土壌の適応性が大きく、ほとんど場所を選ばずに栽培できるという。

そのかわりデメリットもある。最大の問題は、ツル植物なので自立せず、棚とかフェンスとかを作って仕立ててやらないといけないことだ。台風に耐えるフェンスを自作するのは、多少骨が折れそうだ。強度を持たせるのはワイヤーで張れば簡単だが、今度は草払い等の管理作業の邪魔になる。基本的にはコンクリブロックの小さな基礎を入れて、ステンレスの番線で作ってみようと思っているが、強度と作業性を両立させるにはどうしたらいいものだろうか。そもそも、あまり栽培実績のない作物でもあり、これが正解というのもなさそうなので暫く思案してみよう。

2013年12月3日火曜日

ヘーゼルナッツの木=ハシバミを植えてみました

今般開墾した土地に、仕事と趣味の間のようなプロジェクトとして、西洋ハシバミを13本植えた。西洋ハシバミという名前だとピンと来ないが、これはヘーゼルナッツを収穫する木である。

ヘーゼルナッツというと、ヘーゼルナッツ・ラテのように香り付けに使ったり、お菓子のトッピングになったりと、近年日本でもなじみが出てきた素材。ただ、ヘーゼルナッツがどんな形をしているのか、知っている人は少ないと思う。ヘーゼルナッツというのは、私もそのものを食べたことはないのだが、風味がよく栄養豊富なドングリなのだ。

この実をつけるハシバミという木は、約9000年くらい前のヨーロッパでは、圧倒的な優勢種として森を覆っていたという。日本が縄文時代の頃、ヨーロッパの森といえばハシバミの森だったのである。その後気候が寒冷化したため、カシワ類に取って代わられ、今では世界的生産地はトルコとなっている。

ゲルマン民族が入ってくる前にヨーロッパで栄えたケルト人たちは、このハシバミを随分身近に、そして重要なものと考えていたことは確実で、ケルトの伝説にはハシバミの話が残っているし、ハシバミの枝に神秘的な意味を付与し、水脈や鉱脈を探すのに使ったのだという(ダウジングのようなもの)。

また、減少したとはいえ近代以前のヨーロッパの森にはハシバミが多く、中世の農民の重要な食料だったようだ。ヨーロッパの古い話を読んでいると、ハシバミの実をどうしたとか、ハシバミの枝がどうだということが時々出てくるが、これがヘーゼルナッツのことであるとわかった時は随分意外に感じたものである。

例えば、シンデレラ(グリム童話版)では、シンデレラは、産みの母の墓前に挿したハシバミの枝がみるみる成長して、小鳥(妖精)が様々な願いを聞いてくれる舞台となる。どうやら、中世ヨーロッパの人々は、ケルト人から受け継いだのだろうが、ハシバミを不思議な力を持つ木と認識していたようだ。

ちなみに、日本にも種類は違うがハシバミ(榛)は自生しており、古くから食用とされたそうである。しかしそれよりも重要なのは、搾油し、今風に言えばヘーゼルナッツ・オイルを採ったことである。なんでも、灯明としての搾油が行われたのはハシバミを嚆矢とするらしく、7世紀くらいまでの朝廷ではハシバミ油が使われたらしい。堺の遠里小野(おりおの)は古代ハシバミ油製造の拠点だったそうである。

ハシバミはヨーロッパでも日本でも、古代社会において重要な役割を果たした植物といえる。だから栽培してみるというわけでもないが、まず日本にはヘーゼルナッツを生産している人がほとんどいないので、希少価値がある。輸入品に比べて品質はどうかというと心許ないが、面白い商材になりそうな予感がする。この西洋ハシバミ、結実するまで長い時間がかかる、というのが大きな欠点らしいが、何年後に収穫できるだろうか…。

2013年3月17日日曜日

果樹園を拡充。アセロラ栽培に挑戦。

いろいろな人のはからいで、果樹園を借りることができた。笠沙の赤生木(あこうぎ)というところで、面積は3反弱、25aくらいだろうか。

この園地は地主のSさん夫妻が半世紀をかけてつくり上げた素晴らしいカンキツ園の一部で、非常によく管理されている。また、赤生木のこのあたりは無霜地帯ということでカンキツにとって環境は最高である。

現在の樹種構成としては、1/3がタンカン。1/3が不知火(いわゆるデコポン)で、残りの1/3はキンカンとタンカンが混植されているが、枯損木が多い。この1/3のスペースは、元はタンカンが全面に植えられていたそうだが、なぜか植えても植えても枯れてしまったということで、今ではほとんど生産能力がない。土壌の問題なのかなんなのかわからないが、ともかくこの園地の弁慶の泣き所というわけで、ここがあるからこそ私のような若輩者に貸して頂けたのだと思う。

というわけで、この園地のポイントはこの1/3を有効利用することであろう。最初はタンカン以外のカンキツを植えようと思っていたが、もしかするとカンキツ全般にとって何か都合が悪いことがあって次々に枯れてしまったということなのかもしれないので、思い切って全く違う樹を植えてみることにした。

それは、「アセロラドリンク」でおなじみの、あのアセロラである。私自身、アセロラの生の実を食べたことがないのだが、ビタミンCが豊富で健康そうなイメージと、そして未だほとんど流通していないという点を買っての冒険である。

昨年、アセロラの苗を試験栽培してみたが、樹勢が旺盛で昆虫の食害もなく、樹としては非常に強い。だが寒さには極端に弱く、12月くらいまでピンピンしていたのに、霜が降りたらすぐに枯れてしまった。こいつは霜が降りるところでは全くダメな果樹で、現在、日本での生産は沖縄が中心であり、本土の露地栽培では経済生産の実績がないと思われる。しかし、この赤生木が本当に無霜地帯なのであれば、可能性はある。

もう一つアセロラには弱点があって、それは実の痛みがやたらと早いことである。収穫後2〜3時間で痛み始め、次の日くらいには食べられなくなるという。これではほとんど流通は不可能だ。冷蔵・冷凍食品の流通王手であるニチレイが、畑違いの飲料事業となるアセロラドリンクを発売したことの背景も、傷みやすいアセロラを劣化させずに冷凍する技術を持っていたことが関係しているのである。

ということで、アセロラは普通には売れない商品なのであるが、ジャムなどに加工することで商品化できるかもしれない。先行きは不透明であるが、今年には加工施設も作りたいと思っているので、見込みがないわけではない。他の人がやらなそうなことをやってみる、ということが新参者に期待されていることだと思うので、失敗覚悟で取り組んでみる所存である。

ところで、アセロラドリンクは今でも「ニチレイ」の名を冠して販売されているが、実は事業はサントリーに売却されている。ニチレイは飲料事業をアセロラドリンクしか持っていなかったので、経営の効率化を図るために飲料事業を切り離したのである。今でも原材料の供給はニチレイが担っているが、サントリーになってからどうも品質が劣化したようで残念だ。昔の濃厚なアセロラドリンクを、もう一度飲みたいものだ。

2012年11月24日土曜日

果樹の有機栽培を(理屈はともかく)実践的に述べた本

来期から果樹生産を有機栽培に切り替えたいなあ、と思って『有機栽培の果樹・茶つくり』(小祝 政明 著)でお勉強。

著者の主張は単純で、農薬を使わずに病害虫を防除するためには植物体自体を充実させなくてはダメで、そのためにはミネラルと有機のチッソが重要だ、という。

ミネラルは植物の生育に必須なものであるにも関わらず、意識して投与しないと不足がちになるのでわかるが、「有機のチッソ」というのはなんだかよくわからない。要はアミノ酸のことらしいが、著者曰く「有機のチッソはそのまま細胞づくりに使えるので、光合成でつくられた炭水化物の消費が少なく、糖度を高めることができる」(p.31)とのこと。

植物は無機物の窒素(硝酸とか、アンモニウムとか)だけを吸収すると思われているが、実は有機物の窒素(アミノ酸の一部として存在する窒素)も少量ながら吸収するようだ、と最近言われ始めた。じゃあどのくらい有機物の窒素を吸収するのか、というのは手元に資料がないが、多分無機物の窒素吸収率とオーダー(桁)が一つ違うと思う。

つまり、植物がアミノ酸を吸収できないとは言わないが、アミノ酸では直接は肥料にならないのではなかろうか。そのあたりの疑問に対しては本書は何も答えない。実際にそれでうまくいっているのだから理屈にはこだわらない、ということだと思う。

ところで、有機栽培の本にしては珍しく、本書にはほとんど土壌微生物の話が出てこない。有機栽培の要諦は土作りだと思うが、そのための土壌微生物の活発化・安定化が触れられないというのは奇異である。というか、有機の窒素=アミノ酸肥料を投与すると、これを直接的に栄養にするのは土壌微生物なわけだから、著者が「そのまま細胞づくりに使える」という「有機のチッソ」こそ土壌微生物の活発化の話なのではないか

しかも、本書では「施肥は早めにやった方がいい。春肥は降雪前に」と述べるのだが、これは、アミノ酸を土壌微生物が分解して窒素を無機態にするために時間がかかるからだと解釈できる。 本書では早めの施肥の理由を「肥料分が土壌に浸透するのに時間がかかるから」と解説しているが、微生物の働きを考えた方が合理的だ。

ちなみに、著者は農家や学者ではなくてジャパンバイオファームという農業資材屋さんであり、本書には自社資材の普及の意図もあるのかもしれないが、そういう広告めいた記載は全くなく、基本的には信頼できる。その理屈の部分では疑問符がつくようなところもあるが、果樹の有機栽培について実践的に述べた本は少ないので、貴重な本ではある。ぜひ来期のポンカン栽培に生かしたい。本書でも「中晩柑類の有機栽培はこれから非常に面白い局面を迎えるのではないか」(p.190)とあって勇気づけられた。

2012年10月11日木曜日

自家製ブルーベリーのタルト

先日、家内がブルーベリータルトを作ってくれた。

これがとても美味い。特に台となるクッキー様の生地が美味しく、ここに限って言えばケーキ屋さんなどで売っているものを越えていると思う。サクッとした食感は時間と共に失われていくから、作りたてが美味しいのは当然だが、それにしても美味しい。

ブルーベリーは、家庭菜園で採れたものと知人からもらったものを使ったのだが、味は市販されているものと遜色がない。ブルーベリーは熟しているかどうかの判断が意外に面倒で、若干熟していない実も入っていたと思うが、一粒ずつ食べるような果物ではないのであまり気にしなくてもいいのかもしれない。

ブルーベリーは寒冷地の果物と思われているが、暖地向けの品種もあって沖縄以外の日本全土で栽培可能である。健康によいということで注目を集めたためか、2000年頃から日本での生産量は急激に拡大しており、この10年間で生産量は2倍以上になった。ブルーベリーは背が高くならず管理が簡単なこと、無農薬栽培が容易であることから女性や高齢者にも栽培が可能であり、遊休地の活用作物としても有望視されている。反収も高い。

逆に作物としての難点は、順々に実が熟していくため収穫作業を何度もしなくてはならないことと、鳥に食べられやすいことである。そして最大の難点は、近年生産が急拡大しているとは言っても生産量がまだ少ないため流通が未熟であり、卸先が普通はないことだ。また、生食もされるがケーキのトッピングなどとして使われることが多く、単体で生の果実を食べることが少ないため、一般消費者が未加工のブルーベリーを購入することは稀だ。

そのため、ブルーベリーの栽培はジャムなどの加工とセットで行われる必要があり、それが作物生産としての限界を定めている面がある。しかし逆に言えば、加工所と組み合わされれば非常に有望な作物と言える。というのも、ブルーベリーは冷凍に強く、冷凍しても品質があまり劣化しないので通年加工が可能になるからだ。

事実、このタルトに使ったブルーベリーも冷凍したものを使っていて、初夏の味覚であるブルーベリーを、初秋の今タルトにして食べられるのもこの性質のおかげだ。実は、暖地のブルーベリーは味がイマイチなのではないかという危惧があったがそれは杞憂だったようなので、加工所との組み合わせができそうならブルーベリーの栽培もやってみたいと思っている。

2012年9月3日月曜日

「日本版アグロフォレストリー」という考え方


アグロフォレストリー(Agroforestry)をご存じだろうか? 私は、鹿児島でこれを実行できたらいいなと思っている。

アグロフォレストリーとは、Agro=農とForestry=林業を組み合わせた言葉で、普通「農林複合経営」とか「混農林業」と訳される。これは環境にやさしい持続可能な農法であるとともに、森林の再生にも役立ち、かつ農家の収入の安定も図られるということで、近年、熱帯地域途上国の農業戦略として非常に注目を集めている。

具体的にどのようなものかというと、熱帯雨林を伐採(または焼畑)した跡地を利用するのだが、ここに例えばトウモロコシやコショウをまず植える。そして平行してバナナやカカオを植える。さらにマホガニーなど換金性の高い材となる樹も植える。ついでに、アサイーなどの果樹も植えておく。

するとどうなるか。1、2年目はトウモロコシが収穫できる。3年目くらいになるとコショウやバナナが収穫できる。6年くらい経つとカカオが収穫できる。カカオは高収益をもたらす樹木だが、定植からしばらく収入がないのがネックだ。このやり方だと、カカオによる収益がない間、収入を得ることができる上、日陰を好むカカオにマホガニーなどによって樹陰を提供することもできる。

アグロフォレストリーの面白いのはここからで、カカオの単一栽培が目的ではなく、アサイー(高木の果樹)が採れたり、他の果樹からの収入も細々と確保しながら農業を続け、30〜40年後にはマホガニーも伐採することができ一時的ではあるが高収入が得られる。結果として、多様な樹種が育つ森が再生することから、アグロフォレストリーは「森をつくる農業」とも言われる。

これを始めたのは、ブラジルのトメアスというところに入植した日本人、日系人である。彼らは最初、コショウの農園を経営していた。入植者の常として、必死に働いていたのだと思う。しかし、ある時コショウが病害虫の被害を受けて破産状態になってしまう。そのとき現住民の暮らしを見て思う。「なぜ、彼らは必死に働いているわけでもないのに飢えないのだろうか?」

現住民は、手近にあるいろいろな果樹を利用して、どんな気候や病害虫が発生してもなんらかの食料が確保できるように暮らしていたのであった。「これを自分たちもできないだろうか?」こうしてアグロフォレストリーが始まった、と言われる。

コショウの大規模栽培の方が収益は高いが、ひとたび病害虫が発生すれば大きな被害を受ける。つまり大規模栽培はハイリスク・ハイリターンなのだ。一方、様々な果樹を混植し、その樹陰で野菜を栽培することは効率は落ちるが、病害虫の被害を受けにくく、定常的な収益が期待できる。つまりローリスク・ローリターンだ。

しかし、単一作物大規模栽培と違って、流通が複雑になるという決定的弱点をアグロフォレストリーは持っている。いくら定常的に果樹が収穫できても、それが少量であれば、遠方まで売ることは難しく、現金収入に結びつかない。今、ブラジル政府は国を挙げてアグロフォレストリーを推進しているが、彼らがやっているのは他品種生産のジュース工場の建設だ。個別の農家の収穫は少なくても、それをジュースにしてパックすれば長く保管できるし遠方まで出荷できる。最近、東京などでは見慣れない熱帯果実のジュースを売るスタンドを見かけるが、これはアグロフォレストリーの成果でもあると思う。

アグロフォレストリーは新しい言葉だが、世界中で、特に東アジアでは古くから行われていた農法だ。日本でかつて行われていた焼畑農法も一種のアグロフォレストリーで、焼畑の後数年間はソバ、ヒエ、ダイコン、カブ、サトイモ、マメなどを育て、さらにコウゾやミツマタなどを植えて換金性の高い植物で10年くらい利用した後、スギの植林を行うというスギの造林法があった。特に土佐ではそういう造林が最近まで行われていたという。

また、単一作物の大規模栽培が世界中で進んだ結果、病害のグローバル化と深刻化の度合いは増している。植物検疫の制度は今のところなんとか機能しているが、人とモノの移動の活発化によってリスクは増大する一方だ。一方アグロフォレストリーは、作物の他品種少生産によって病害虫リスクも低減でき、ほとんど農薬を使わずにすむという。

こういうことから、アグロフォレストリーは途上国政策を行う者にとって非常に重要なツールになりつつあるが、私は、これは熱帯途上国だけに有効な手法ではないと思う。 熱帯雨林は実は土地が痩せていて、一度伐採すると森林の再生が難しいということからアグロフォレストリーの一つの存在意義がある。対して日本では耕作放棄地は勝手に森へと戻っていくので、わざわざ「森を作る農業」は必要ないのではないか、という人もいるだろう。

しかし、アグロフォレストリーは、元々森林の再生を目的として発想されたのではなくて、持続可能でローリスクな農業を目指してできたものだ。その理念や方法は日本でもあり得るのではないか。流通が複雑化するという欠点も、インターネットを通じた直販を利用すれば克服できるような気がする。

つまり私が実行してみたいのは、「日本版アグロフォレストリー」だ。日本人・日系人がブラジルで考案したアグロフォレストリーを、改めて日本でやってみたらどうか。実は、この入植者には鹿児島出身の人も多くいたのだ。熱帯雨林ではない、温帯気候の下でどんなアグロフォレストリーができるのかわからないが、賞揚されてやまない「里山」も一種のアグロフォレストリーであったわけで、きっと面白いことができると思っている。


【参考URL】
「アグロフォレストリー 森をつくる農業(1)(2)(3)」 3本立ての動画(youtube)。見るのに時間はかかるが、この動画を見るのが一番わかりやすい。冒頭の動画はこれ。 
「アグロフォレストリー」という発想。 竹の専門家でもある内村悦三氏が語ったアグロフォレストリー。
アマゾンの里山 トメアスでのアグロフォレストリーを取材した記事。
多様性保つ「森をつくる農業」アグロフォレストリーの先進地 毎日新聞の記事。
World Agroforestry Center ケニアのナイロビにあるアグロフォレストリー研究の総本山(英語)。南米で始まったアグロフォレストリーを、アフリカでも根付かせようと活動している。

2012年6月13日水曜日

「大浦ふるさと館」はスモモの穴場?

自家用のスモモが収穫時期だ。

スモモというと「酸桃」という字から連想されるように酸っぱいという印象を持つ人が多く、事実昔のスモモは酸っぱかったらしいが、近年の栽培種は爽やかな甘さで大変美味しい。

ただし、スモモは非常に傷みやすいため、商品として売る場合は完熟する前に収穫することが多い。そのため販売されているスモモはやや酸っぱいものが多いようだ。

ともかく、傷みやすいというのは市場流通の上では致命的で、運んでいるうちに商品価値が下がってしまうようなものは卸売りが手を出したがらないのは当然である。そのため、スモモというと誰でも知っている身近な果物だが、実は他の主要果実に比べ生産量が桁一つ少なく、約2万トン/年ほどしかない。あまり日本産がないキウイフルーツでも3万トン/年くらいあるわけで、実はとても貴重な果物なのだ(※1)。

実際、ネットショッピングだと1キロあたり2000円以上するような高級スモモばかりが見つかるが、普通のスモモを細心の注意を払って冷蔵輸送するのは割が合わないためだと思う。そういう事情から、安くて美味しいスモモは産地でないと手に入りにくい。

しかも、スモモは山梨・和歌山・長野・山形の4県で生産量の約8割を占めており、全国で栽培可能なのにも関わらずなぜか産地がかなり偏っている。そんな事情から、スモモは多くの人に身近に感じられながら、実際にはほとんど食べられない果物、という不思議な存在だ。

しかし、ここ大浦町では以前スモモ栽培を奨励して苗を配ったことがあるとかで(※2)、多くのスモモが栽培されているらしい。そのため、地元の物産館(大浦ふるさと館)ではシーズンになると1キロあたり250円というかなりの低価格でスモモが売り出されるという。地元の人はこの低価格を当然と思っているが、実はここはスモモの穴場なのではないだろうか。

私も、自家用やおすそわけで消費できない分を「大浦ふるさと館」で売っているが、なかなか市場流通しない樹上完熟・無農薬栽培のスモモを一袋(500g)150円で出している。樹上完熟させたスモモの美味しさは格別で、自分でいうのも何だが1キロあたり300円というのは相当にお買い得だと思う。本当に「大浦ふるさと館」がスモモの穴場として情報通に知られるようになったら面白いのだが。


(※1)ちなみに、以前ビワのことを「全国的には希少」と書いたが、ビワの生産量はさらに桁一つ少なく、5000トン/年くらいである。ビワは暖地でないと育たないのだが、スモモは日本では比較的どこでも栽培可能であることが、この差を生んでいると思う。しかしスモモと同様に傷みやすいビワの場合は、輸送に有利な大都市近郊が産地となっているのに、スモモの産地はそういうことはなく、どうして本文中の4県が産地になったのか不思議だ。

(※2)間違っているかもしれない。未詳。

2012年6月12日火曜日

『果樹栽培の基礎』

本日も雨なので農業の勉強。ということで『果樹栽培の基礎 (農学基礎セミナー)』(杉浦 明 編著)を読む。

先日読んだ『農業の基礎』と同じく、基本的な考え方を学ぶ本であり、もとは高校の果樹の教科書として執筆されたものということで実践的ではなく、具体の栽培技術については概念的に書かれている程度である。

その内容は、まずは果樹生産の歴史や世界的状況を外観し(第1章)、果樹の生長や果実肥大の仕組みについて解説してから(第2章)、果樹管理の基礎的な技術(剪定、施肥、灌水、施設栽培、加工など)を述べる(第3章)。そして後半は、落葉果樹の栽培・利用法(第4章)、常緑果樹の栽培・利用法(第5章)について概説する、というもの。落葉果樹としては、リンゴ、ナシ、ブドウ、カキ、モモ、スモモ、オウトウ、ウメ、クリ、キウイフルーツ、ブルーベリー、イチジクが取り上げられており、常緑果樹ではカンキツとビワである。

『農業の基礎』と比べて気づくことは、果樹では施肥などの管理にあまり厳密さを求めていないことで、施肥量については『農業の基礎』では複雑な計算式を使って求めていたのに、本書では「果樹のような永年作物では、この算出はきわめて困難である。(中略)標準施肥量を与えてみて、そのときの木の栄養状態をみてかげんする」(p.53)という一見おおざっぱなやり方になっている。

これは、計算式による施肥量の算出が難しいことも一因ではあるが、一回限りの収穫となる一年草の野菜と違い、果樹のような永年作物では、樹勢・樹齢・目的とする樹形などに応じて経年的に管理していく必要があるからだと思う。つまり、計算式に基づいた管理より、樹勢や収量を見ながらの状況に応じた管理が重要になるわけだ。

ちなみに、いろいろな果樹の管理法をざっと眺めていて取り組んでみたいと思ったのは、クリの栽培だ。その理由は、所用労働時間が極端に短いことによる。主要な果樹は年200〜300時間(10aあたり)の労働を要するが、クリでは年100時間を切る。ということで、アクセスのよくない山林に植えるのはぴったりな気がする。放置林になっているうちの山(どこにあるかもよく分からない)をクリ林として活用出来たら面白い。

2012年5月19日土曜日

鹿児島ではありふれているが、全国的には希少な果物:ビワ

庭にあるビワがたわわに実っている。しかし、剪定をあまりしてこなかったために高木化しており、上の方の果実は収穫不可能。

下の方にある実だけ採ったが、果実の8割は収穫できない高所にあるので恨めしい。8月になったら剪定し、来年はより多くの実が収穫できるようにしたい。

鹿児島ではビワは非常によく見る庭木で、初夏の果物としてありふれているが、全国的には希少価値がある。というのも、ビワはとても傷みやすいので市場流通がしにくく、大都市近郊の限られた産地でしか大規模生産が行われておらず生産量が少ない。埼玉生まれの家内も食べたことがなかったそうだ。ビワを食べてみた第一印象は、「ナシの味に似てる…」とのこと。

 これは鋭い感想で、ビワはバラ科ナシ亜科に属し、ナシとは近縁なのだそうだ。

ところで、ビワは我が国でかなり古くから栽培されてきた植物で、少なくとも奈良時代からの1000年以上の栽培の歴史がある。もっとも、江戸時代以前のビワは小さくあまり甘くなかったようで、実を食べていたと言うより、薬用樹として葉や根を採っていたようだ。今でも、ビワは葉で皮膚病(ニキビとかイボとか)を治したり、ビワ茶として飲んだり、民間療法でよく使われている。

ちなみに、これに関し
仏典『大般涅槃経』の中でビワは大薬王樹と呼ばれ、優れた薬効があると伝えられる。
例えば、「大薬王樹、枝、葉、根、茎ともに大薬あり、病者は香をかぎ、手に触れ、舌で舐めて、ことごとく諸苦を治す」と記されている。
という情報がネットにはまことしやかに書かれているが、これは本当だろうか。

気になって『大般涅槃経』を調べてみたが、そういう記載はない。確かに薬になる樹として「薬王」というのが出てくるが、これがビワであるとは一言も書いておらず、また「枝、葉、根、茎ともに大薬あり…」云々という記載もない。どうも、誰かがうろ覚えで書いたことが広まってしまったように見受けられる。

なお、鑑真が中国から枇杷療法を伝えたという伝説もあるらしい。しかし、こちらの伝説も信憑性は怪しい。もしかしたら、枇杷療法に権威付けをしたい人がお経や鑑真を利用し、故事来歴を捏造したということなのかもしれない。1000年以上続く民間療法なのだから、今さらそんな権威付けなど必要ないような気がするのだが。

【補足】
『大般涅槃経』の英訳はあるが、日本語訳は部分的にしかチェックしていないので、もしかしたら私が見ていない部分にビワ=大薬王樹の記載があるのかもしれない。が、英訳で省かれるようなものではないし、同経の話の筋からして、多分ないと思う。「薬王」の記載も、「仏の教えは薬王と同じくらいありがたいものだ」という譬えの中で出てくる。

【補足2】2012/6/20アップデート
大乗仏典の現代語訳をされている加藤康成先生にtwitterでご教示願ったところ、やはり『大般涅槃経』にはビワの記載はないということだった。これはネットにはびこる誤情報の一つということが分かってすっきりした。加藤先生にはこの場を借りて改めて御礼申し上げたい。