日新公(じっしんこう)とは、日新斎と号した島津忠良のことである。島津忠良は「島津家中興の祖」と呼ばれ、戦国時代に島津家による鹿児島統治の基礎を築いた人物。晩年は加世田に隠棲したことから、南薩では郷土にゆかりある偉人として今でも敬慕されている。
島津忠良は領内をよく統治し、深く禅宗に帰依して学問に励むとともに、政治・経済・文化の各面で善政を施したのでその徳は領外にも聞こえたという。「日新公いろは歌」は、忠良が人として生きる道を説いたものであり、後に「郷中教育の聖典」「薩摩論語」と呼ばれたように、約400年にわたって薩摩藩での子弟教育に用いられた。
さて、この「日新公いろは歌」の内容については、47首をずらずらと並べている解説はよくあるのだが、体系的に紹介されているものは見かけないので、この機会にまとめてみる。
そのテーマを大まかに分類すると、儒教(15)、仏教(7)、心の持ちよう(7)、生活習慣(5)、自己啓発(5)、リーダー論(5)、兵法(3)となる(括弧内は歌の数)。通読すると、「心」についての歌が多いということに気づく。自己のありよう、組織の運営、戦争に至るまで、肝要なのは心であることが繰り返し説かれている。日新斎がこの47首に込めたメッセージの一つは、「何事も心次第」ということだ。
次に、それぞれのテーマ毎にいろは歌を私なりに要約してみる。通常はいろは順で紹介されることが多いが、テーマ毎に並べた方が全体を理解しやすい。
■儒教
誠実・正道:苦しくとも正道をゆけ(く) 身を捨てる覚悟で正しい道を歩め(み) 誠実にせよ(ね) 義を守れ(お)
研鑽・修身:寸暇を惜しみ勉学せよ(は) 人を鑑に研鑽せよ(よ) 礼儀も軽蔑も自分に返ってくる(れ) 過ちはすぐに正せ(せ) 敵こそ自らの先生である(て) 優れた人と付き合え(に) 名誉が大事(ら)
組織の秩序:目上の人の話はよく聞け(る) 私心を捨てて主君に仕えよ(わ) 先祖の祀りと忠孝は大事(め)
統治論:法令は人民によく説明せよ(も)
■仏教
因果応報:憎しみは何も生まない(つ) 傲慢には報いが来る(む) 三世の報いを思え(う)
修身:悪心に身を任せるな(た) 迷妄を払え(あ)
慈悲:孤独なものを憐れめ(ひ) 敵味方関係なく弔え(へ)
■心の持ちよう
何事も心次第:世界の見え方は心次第(き) 貴賤は心にある(ろ) 心は見透かされる(し)
良心:良心に問え(ほ) 心を堅持せよ(ぬ)
慢心するな:技術があっても慢心するな(ま)
覚悟:平時から覚悟を決めよ(の)
■生活習慣
努力:積み重ねが大事(へ) 勉強は夜にするのがよい(か) 寸暇を惜しめ(い)
飲酒・生活:酒に目を曇らすな(え) 足るを知れ(す)
■自己啓発
努力:凡人も偉人も同じ人間だ(な) 技芸・学問を身につけよ(ち) 安易な道を選ぶな(り) 安易を選ぶと堕落する(を)
実践:実践が大事(い)
■リーダー論
人事・信賞必罰:人事は重要だが難しい(け) アメと鞭が両方必要(や) 罰は慎重に(と)
部下を大事に:部下からの批判は役に立つ(そ) 部下を細やかに思いやれ(さ)
■兵法
何事も心次第:戦いは戦闘員の数で決まらない(ふ) 軍隊の心を一つにすることが重要(こ) 成功も失敗もリーダーの心次第(ゆ)
こうして全体を眺めて見ると、その教えは普遍的であり、現代にも通用する部分は多い。確かにこの歌は、剛毅木訥で質実剛健な薩摩の気風の醸成に一役かったのかもしれない。だが、そうして修養に努めた歴代藩主や武士たちのしたことと言えば、全国的にも苛烈な農民支配だった。
いくら聖賢の道を説いたところで、結局、島津家支配の歴史は農民にとっては苦しみの歴史だったのであり、 島津忠良自身は善政をしいたのだとしても、その教えは後の世の農民には虚しかった。日新公いろは歌の基調は儒教であるが、儒教による統治の理想は、天子の徳に人民がなびき、統治されていること自体忘れてしまうという「鼓腹撃壌」の状態にあるわけで、薩摩藩の実際の統治は、その理想とはほど遠かった。
まさに、薩摩の支配階級は、このいろは歌の冒頭「い」の歌に学ぶべきだったのである。
いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし
(大意)昔の賢者の教えを聞いたり、それを教えたりしても、自分が実践しなければ何の意味もない。
【参考】
各首のリンク先は「エモダカフ日記」さんによる解説である。全て読んだわけではなく、私の解釈と違う点もあると思うが、 このように一首ごとに解説・コメントがある紹介は稀有なので紹介する次第である。
なお、各首のテーマ分類は(言うまでもないが)私の独断である。
神仏習合の八百万の成人を頂く日本人の心の原点を感じます。出羽三山信仰の湯殿山の即神仏のココロと共通していると思いました。
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