2012年2月22日水曜日

残してきた謎~蒲生町めぐり(その9)

約1ヶ月弱に及んだ蒲生町への滞在も遂に終わりとなった。

いろいろ見て回ったことについて、つい冗漫な文章を書いてしまったが、書き漏らしたことも多い。記事にできなかった点について、備忘として書いておきたい。

まず、「武家門」である。蒲生町は、「日本一の巨樹 蒲生の大クスと武家門の町」ということで武家門の存在を誇りとしているのであるが、私に藩政時代の建築の知識がないことで、どうもこれがよくわからない。「随分立派な門だなあ」という小学生レベルの感想しか湧かないのである。

この町にある門が、特殊なものなのか、それともありふれたものなおかすらわからない。石高によって形式が決まっていたそうだが、門の形式についても全くわからない。そういうわけで、記事にすることが出来なかった。

武士は、なぜこんな立派な門を作らなければならなかったのだろう。権威だ、見栄だ、といえばそれまでであるが、本当にそうなのだろうか? こんな基本的な疑問をも解決できずに時が過ぎてしまった。

次に、蒲生八幡神社に所蔵されている、多数の銅鏡と王面(おうめん)である。蒲生八幡神社には、百枚以上の銅鏡が奉納されているが、なぜ、銅鏡が神社に奉納されたのだろう? 何かの祈願だったのだと思うが、銅鏡を奉納することはかつて一般的だったのだろうか? そういった知識がなく、多数の銅鏡がここに存在している理由も意味もよくわからなかった。

また、王面は、もっと謎である。王面とは、伎楽面に似た大ぶりの面だが、何に使われたのか、そして蒲生八幡神社にこれが残っていることの意味はなんなのか、よく分からなかった。王面は、蒲生八幡神社だけでなく、南九州の寺社には他にも残っているものがあるので、今後機会があれば改めて調べてみたいと思う。

次に、蒲生氏の本城であった「蒲生城」。これに関しては、思うところもあるが、中世城郭としてはよく遺跡が残っていることや整備がしっかりされていることで、実は中世城郭のマニアにはそれなりに知られているようだ。そのためネットにも多くの記事があり、敢えて専門外の私が記事を書くまでもないと思ったので遠慮した。

そして最後に「漆の庚申塔」。蒲生には県内最古という庚申塔が漆地区に残っているということで、是非一見したかったのだが、これについては機会を逸して見逃してしまった。いつか、また蒲生に来た際に見てみたいと思う。庚申塔は、路傍の石のようなつまらない石塔に思われるが、実は、いろいろな謎が詰まっていて面白い。

おそらく、蒲生町にこんな長期滞在をすることは今後ないと思うので、蒲生に残してきた謎は、ほったらかしになってしまうと思うが、いつかまた、ここに戻ってきたい。そのときは、また新たな切り口でこの町を見られたらいいと思う。

ブログでは伝わらないことは承知の上だが、約1ヶ月間お世話になった蒲生町の方々に感謝したい。快く挨拶を交わしてくれた小学生や中学生のみんなにも。また、しばしば目を楽しませてくれた多くの猫たちにも。

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