2012年2月2日木曜日

謎の神「馬櫪神」と昔の蒲生~蒲生町めぐり(その3)

日本一の大クスがある蒲生八幡神社の境内の隅に、ひっそりと祀られているのが「馬櫪神(ばれきじん)」である。何気ないものだがいろいろ調べてみると興味深いものだったので紹介したい。

馬櫪神とは馬の守護神といわれるが、謎の神である。辞典等では「両足で猿とセキレイを踏まえ、両手に剣を持つ」との異形を解説されるが、そのような像はどこにも見当たらず、実のところ、誰も馬櫪神の神像を見たことがないのではと疑われる(出典はなんだろうか?)。

馬櫪神は中国の唐代に信仰された神で厩(うまや)の神(「馬櫪」とは「飼い葉桶」の意)と言われるが、実態はよく分からない。そして、日本にいつ頃移入されたのかも不明である。さらに、馬櫪神についての体系的な調査・研究は未だ誰も行っていない。一体、馬櫪神とはなんなのだろうか?

私は民間信仰について詳しくないが、このような状況なので、馬櫪神の来歴について自由に空想するのも許されるだろう。

さて、全国の馬櫪神の実態は不明であるが、どうやら街道沿い、そして宿場町において多く祀られているようだ。宿場の近くでは、多くの馬が養育されていたので、これは当然と言えば当然である。

馬櫪神の石碑の多くは比較的新しいもので、来歴を遡る記録もないため、古い時代の馬櫪神の信仰を辿ることはできないが、馬櫪神が唐代に流行した神ならば、日本への移入はかなり早くなくてはおかしい。唐代といえば日本は奈良時代であり、ちょうど駅伝制が整えられた時期にあたる。

駅伝制では、単に駅を設けたのではなく、リレー式に情報伝達が出来るよう駅馬が5~20頭常備されたのであり、この馬を扱う駅子たちの集団(駅戸)が付随していた。駅は馬の世話をする集団とセットだったのである。

馬が日本に導入されたのは古くとも弥生時代後期、豪族間に普及したのは5世紀中頃、一般化するのがようやく駅伝制が開始されてから、しかも駅伝制は唐の制度の模倣である。要は、馬は先進的な大陸文化だったのであり、導入の際に馬櫪神の信仰も合わせて大陸から持ち込まれたとするのが自然ではないだろうか。

さて、以前述べたように駅伝制ではここ蒲生にも駅が置かれたのであるが、蒲生にも駅子集団が居住していたということになる。馬櫪神とは彼らの信仰だったのではないか。もちろん、古代からの駅子集団が営々として続いたということは考えにくいが、千年を超える間、民俗信仰として細々と祀られてきたとしてもおかしくはない。

なお、蒲生にはかつて米丸村の青敷野というところに馬牧があり、明治3年に廃止されるまで約460年にわたって良馬を生産してきたとされる。例えば関ヶ原の敵陣突破で有名な島津義弘の愛馬「膝突栗毛」はどうやら蒲生の出らしい。古代、駅が置かれたころからの馬の養育文化が連綿と続いてきたとすれば、蒲生は馬の町でもあったのかもしれない。

同様に日本全国で、古代の駅伝制からの馬櫪神信仰が、馬の世話をする庶民の間に受け継がれてきたと考えたい。馬櫪神の古い記録が残っていないのも、身分の低い馬子の土俗的な信仰と化していたからであろう。

これは学術的な裏付けがある仮説ではないし、文献も広く繙いたわけではないので、ぜひどなたかに本格的な馬櫪神の研究をしてもらいたい。民俗学あるいは歴史学専攻の博士課程の方に勧める。唯一無二の研究となるはずなので、すぐさま馬櫪神の第一人者になれるからだ。唐代の信仰の移入ということだと、道教の思想にも取り組まねばならないので少々手応えはあるが、きっと面白い研究になると思う。


【参考】
蒲生町の「本社馬櫪神」の石碑(写真)は、明治維新後、馬牧が廃止になり馬櫪神の祠が荒れ果てていたことを見かねた地元有志が、代々牧司役を務めてきた蒲生士族の吉留氏を中心に、蒲生八幡神社の横にこれを遷社し建立したもの。石碑には「明治二十年九月二十三日遷社」とある。

ご神体は小さな石造りの厩であり、中には同様に石製の馬が数体納められ、石製の飼い葉桶もある。しかし(猿とセキレイを踏まえた)馬櫪神と見られるものは何もない。石造りの厩には「天明三癸卯年三月」の石刻があり、これは1783年にあたる。江戸四大飢饉の一つ「天明の大飢饉」が起こる直前に造られたものだ。

【参考】栃木県の「馬櫪神」「馬歴神」塔まとめ
あまり注目されることのない馬櫪神についてまとめてあり、貴重な調査である。

3 件のコメント:

  1. 時々伺う神社探訪のサイトで「古代の馬や馬具」について話題沸騰なので、、、ついコメントしましたが、この神様も、弘法大師様が布教されたとか、5~7世紀の頃
    馬と云えば日向の駒でした。開聞岳には「トカラ午」が。昔百歳の父と出かけました。懐かしんでいます。

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    1. 今井さま

      サイトを拝見いたしました。神社についてかなり考察をされているんですね。馬櫪神、弘法大師が布教されたという話は初耳です。来歴がどんどん解明されるといいですね!

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  2. ここのブログ拝見して、蒲生八幡の写真を掲載していないのにきずきました。
    この社殿のを早速貼り付けました。ありがとうございます。ふ、ふ。

    http://yorihime3.net/


    この神様の絵は葛飾北斎の挿絵集にあるようです。
    未だ拝見していませんが、一応、ページには借り物で貼り付けています。

    父が馬が好きだったので鹿児島神宮関連の勧請社を追いかけました。
    好い思い出です。

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