2012年1月23日月曜日

観光と地域興し。指宿で考えたこと

薩摩半島屈指の温泉地、指宿へ一泊二日の旅行に行った。家内、娘、両親、姉とその子供二人、祖母の9人での旅行だった。地域おこしに関心ある自分は観光業にも興味があり、単に温泉に入るだけではなく、観光地としての地域のあり方を考える機会にもなった。ちょっと感じたことなどを備忘録として3点書き留めておきたい。

第1に、観光地として成立するためには、目的地があれば十分だ、ということだ。逆に言えば、目的地がなければ、いくらすばらしい観光資源があったとしても、その地域は観光地にはなれない。南さつま市は、日本屈指の神話の町だと思うし、笠沙〜坊津の景観も絶景、食べ物もおいしくて観光地となりうる材料はいくつもある。

しかし、今のところ、観光の目的地になるようなところ、別の言葉で言えば「目玉」がない。そこにいくためにわざわざ出かけていくというところがない。指宿にはそれがある。それは、温泉だ。温泉は日本中どこにでもあるから、目的地としては、弱い。確かに、ただ温泉に入りたい、というだけの人は、首都圏から指宿には来ないだろう。しかし、温泉に入る、ということはそれだけで立派な旅行の目的になりえる。

観光地を目指すなら、たくさんの観光資源をどう生かすかも大事だけれど、それよりも先立つのは、まず旅行の目的地となりうる何かを持たなくてはならないということだと思う。

第2に、残念ながら、観光地としての成功は、指宿地域の発展にはまだ繋がっていないようだということ。九州新幹線が全面開通したことで、指宿の観光客は非常に増えているらしい。沿線で一番増加率が高いとも聞いた。確かに、泊まったホテル(白水館)は賑わっていた。

さらに中国人観光客の宿泊も多く、外貨の獲得にも貢献している。しかし、駅前の寂れ具合は甚だしい。メインストリートであるはずの、駅前の目抜き通りは、休日だというのにシャッターだらけ。開いている店のほうが少ない。旅館業で上げている利益がまだ地元に還元されていないといえばそれまでだが、ちょっと寂しすぎる印象を持った。

もちろん、温泉だけでも賑わっていることはいいことだ。ホテルだけが儲かるなんてケシカラン、とは思わない。ただ、観光地として成功してもすぐに地域が元気になるわけではない、といういい実例だろう。

第3に、こういう言い方では指宿の方に失礼になるが、日本中どこでも地域ぐるみで頑張れば、お客さんを呼べる地域になれるのではないか、ということだ。

もちろん、温泉街としての指宿はどこにでも真似できるものではない。イブスキ、と言う地名が既に、「湯豊宿」という言葉に起源を持つというくらい、湯が豊富で優れた温泉が多い。でも、それ以外は、そんなに観光資源があるわけではない。

竜宮伝説があったり、大鰻のいる池田湖があったりと、それなりに足を伸ばすところがないではないが、正直、地元の名所の域を出ないところばかりで、観光と言って遠くからわざわざ行くようなものではない。

そして、肝心の温泉宿ですら、まあ満足とはいえるものの、日本に数多い温泉旅館を考えると特段優れているとは言えない。もちろん、名宿に泊まったわけではないから、指宿の温泉宿は凡庸である、と決めつけるわけにはいかないけれども、すばらしいところばかりという評判も聞かないこともまた事実。

単純化してしまうと、指宿が賑わっているというのも、そこそこいい温泉宿があるから、というだけと思えてしまう。もちろん、「そこそこいい温泉宿」というのは実は貴重な存在だから、それで賑わうのは当然だし、それが悪いわけではない。しかし、観光はそれだけではないのだから、もっと努力できるところもあるはずだ。一観光客として、また一県民として、一応全国的に名の知れた指宿だからこそ「鹿児島を満喫してもらうために、もっと頑張れることがあるのではないか」と思った次第である。

逆に言えば、そういう頑張りを地域ぐるみで出来るなら、日本中、どんなところでも観光地になれる可能性はある。第1に述べたように、観光には目的地が必要だし、アクセスが悪いところもあるわけなので、現実的に「どんなところでも」というのは言い過ぎかもしれないが、逆に言えば、目的地になりうる少数の(一つでもよい)観光の拠点さえ持てれば、それは不可能ではない。

地元の旬の食材の料理を出し、歴史と文化を学ぶ機会を用意し、誠意でもてなしをし、「ああ、来てよかった」と思ってもらえる努力を地域ぐるみですれば、どんな地域でも観光地になれるだろう。ただ、言葉でそう書くのは簡単だけれど、実際に地域ぐるみでそんな努力をするのは難しい。

それは、第2に述べたように、たとえ観光地として成功しても、すぐには地域の全員へ恩恵があるわけではないからだ。だから、そういう努力をするのは結局観光業に利害を持つ人だけになってしまい、折角の観光資源が、商業主義的な、刹那的な、凡庸なものになってしまう。

それに、地域興しに観光が必須なわけではない。観光は景気に左右されやすいし、地域の産業の基盤とするにはマーケットが限られているし、余所者が近所を歩き回るのをよしとしない人もいる。それもまた真実である。

しかし、私は、地域興しのためには、「他の地域の人の目」は必要だと思う。自画自賛するのではなくて、「お宅のところはすばらしいですね」と言われることが必要だ。それによって、自分の地域のすばらしさにも気づくし、また、新たな発展の芽も生長していくのではないだろうか。

指宿の豊かな湯に浸かりながら、そんなことを考えた。

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