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2013年6月11日火曜日

大木場山神のナギの大木

大浦の大木場山神(やまんかん)、いわゆる大山祇神社に、大浦で唯一のナギ(梛)の大木があるというので見に行った。

ナギということでてっきり御神木だと思っていたが、御神木っぽいものは樹齢200年ほどのクス(たぶん)の大木で、ナギは見当たらない。よく探してみるとクスの陰に控えめにあるのがナギの木だ。

大木と聞いていたが、意外に周囲は太くない。でも樹高は高くて、多分20mくらいある。樹齢は(あまり大きなナギを見たことがないので)全く不明だが、生長の遅いナギのことであるからゆうに100年以上はあるのだろう。

ナギというと、九州には自生していたのではという説もあるが基本的には人が植えないと単体で存在する植物ではないので、100年か200年、あるいはもっと前に誰かがここに植えたということになる。

ナギを御神木とするのは熊野信仰が有名だ。熊野速玉大社(和歌山県)には樹齢1000年を越えるナギがあって、今でも信仰を集める。江戸時代には熊野詣でのお土産に神社がナギの葉を配っていたとか、勧進(寄附集め)にナギの葉を配ったという話もあり、神聖な近寄りがたい樹、というより、その葉が親しまれる身近な樹である。

というのも、ナギは針葉樹ながらまるで広葉樹のような幅広の葉を持っている変わった植物で、非常に独特なその葉は一見してナギと分かるアイコンだ。ナギ以外にこんな葉を持つ植物を私は知らない。

さらに葉の繊維がとても丈夫なことから、男女の結びつきを強めるという信仰もあり、今では縁結びのアイテムにもなっている。また少し眉唾だが、ナギ=凪ぎと通じることから航海安全を願う漁民もこれを崇めたともいう。

とまあ、ナギという植物は古来より信仰を集め、また実用性もあった樹だけにネット上にも様々な情報がある。興味のある向きは検索すれば沢山出てくるので調べて見て欲しい。

さて、このナギがどうして大木場山神にあるのだろうか? 昔のことなので実際のところは分からないが、かつて山伏たちが熊野信仰を積極的に広めていた折、ナギの実か苗を持ってこのあたりを回っていたのではないかと想像する。それで、山伏からもらったそれを神社に植えたのだと思う。

このあたりだと、未見だが加世田の益山八幡神社にもナギの大木があるという。もしかしてこれは同じ山伏が配ったものなのではないか、だとすれば話が出来すぎだが、向こうのナギも特に御神木ではないらしい。「これはありがたいものだから」という山伏に勧められて半信半疑で植えたナギ、というのが、クスの陰に追いやられている、特に尊崇も受けていない(らしい)大木場山神のあのナギの真相ではないかと思っている。

2012年5月23日水曜日

秋目のアコウ——集落の永遠のモニュメント

鑑真上陸の地、南さつま市坊津町秋目に、「絞め殺しの木」として知られるアコウの巨樹がある。

目通り幹囲9.3m、樹高11m。容貌魁偉で堂々としたアコウである。樹齢は500年とも1000年とも言われる。その横には墓石など江戸時代の石造物も多数佇立しており、夜にこれを見たら、相当に怖ろしい姿であると思われる。

このアコウは、大きさが飛び抜けているわけではないが、際だった特徴が2つある。

1つ目は、(写真には写っていないが)藤と共生していることである。季節になると美しい藤と面妖なアコウの競演を楽しむことができるという。残念ながら今年は藤の季節は終わっていたので、来年リベンジしたい。このように藤と共生するアコウは、非常に珍しい

2つ目は、写真左下にあるように支柱根が門状に形成されており、その下に道が通っているということである。この道は、アコウの門をくぐって階段を上り、今では廃校となった秋目小学校跡地へと続く。在りし日は、小学生たちが毎日このアコウをくぐって登下校をしていたわけだ。子供たちは、この奇妙なアコウの門をどんな気持ちで通ったのだろう。怖かっただろうか、それともよき遊び友達として、木登りやかくれんぼを楽しんだのだろうか。

ちなみに、秋目小学校は昭和46年に大浦小学校に委託統合され消滅した。秋目集落は、その地形の急峻さ、交通の不便さから人口の減少が続き、空き屋が目立つとても寂しいところになりつつある。そんな人の営みをよそに、このアコウは魁偉な姿で旺盛に葉を茂らせ、未だ樹勢が衰える気配はない。この巨樹は、寂しくなりゆくこの集落の、永遠のモニュメントであるような気がした。

2012年4月14日土曜日

鹿児島とクスノキの深い関係

昨日、「千本楠」について書いたのだが、クスノキと鹿児島には深い縁がある。日本一の巨樹「蒲生の大クス」を始めとして、鹿児島にはクスの巨木が多いということもあるけれども、縁はそれだけではない。

それは、クスノキの葉や枝から取れる樟脳が、かつて鹿児島の特産品だったということだ。江戸初期から大正期にかけて、薩摩藩・鹿児島県は日本一の樟脳の輸出元だった。18世紀初頭では、日本が輸出する樟脳のほぼ全量が薩摩藩製で、樟脳はヨーロッパでは医薬品(カンフル剤)として利用されていたが、これが「サツマカンフル」と呼ばれ珍重されたとのことだ。なんと、当時ヨーロッパで使用されていた樟脳の大部分が薩摩藩製であったという記録もあるらしい。

樟脳貿易でもたらされる利益は、77万石とは言っても実際はその半分ほどしか石高がなかった薩摩藩の貴重な収入源であり、明治維新直前に積極的な対外政策を実行できたのは、樟脳のおかげと考える人もいる。

つまり、クスノキには樟脳利権があったと思われるわけで、事実、薩摩藩ではその1本1本が厳格に管理されていた。これが、神木ならずともクスノキの巨木が鹿児島に多く残されている理由なのかもしれない。

しかし、かつて鹿児島を賑わわせた樟脳生産は、昭和初期には台湾などの安い外国産のものに押されたこと、さらに類似の化学合成品に取って代わられたことなどの理由で、急激に衰退していく。ちなみに、台湾にあったクスノキのプランテーションは(当時台湾を植民地としていた)日本政府が経営していたものだったことは、明治維新を主導した鹿児島としてはちょっとした皮肉である。

それでも、鹿児島の樟脳製造は、細々ながら昭和の終わりあたりまで続いたらしい。鹿児島には各地に樟脳製造のためのクスノキの山があり、またその製造工場があった。そのため、今でも「樟脳山」(川辺、金峰)とか「樟脳木屋」(加世田)、「楠木原(くすのきばる)」(知覧)といったクスノキや樟脳に関する地名が南薩にもかなり残っている。

今では、クスノキの巨樹というと、(トトロに出てくるように)田舎の郷愁を感じさせるものだが、かつては鹿児島の歴史を動かした存在だったことは、もっと記憶されてもよいと思う。

【参考文献】
南九州の地名」青屋昌興、2008年

2012年4月13日金曜日

非常に珍しいクスの巨木群「千本楠」

鹿児島県日置市吹上町に「千本楠」というクスノキの巨樹群落がある。

クスノキは南方由来の外来種で、多くが人為的に植えられたらしいこともあり、群落は珍しいが、この千本楠はさらに非常な奇観を呈している。それは、クスノキが横へ横へと伸びていることだ。当地の案内板では「二十数株の大楠があたかも竜が寝ているかのように連なり…」と形容するが、そこに立つとまさしくそんな感じがする。

ただし、「千本楠」という名称は大げさで、楠が千本もあるわけではない。引用によって明らかなように実際には二十数株しかないのであるが、この群落形成の過程が非常に変わっている。それが、クスが横へ横へと伸びた理由でもあるのだが、実は、これら二十数株は元は一本の巨大なクスノキだったらしいのだ。

明治のある夜、根回り18m、樹冠は50a(!)に及んだという巨大なクスが、風もないのに大音響とともに倒れ、付近の人々は恐れおののいたという。そのクスの支幹が根付いたのが千本楠となったと伝えられる。といっても、倒木が根付いたわけではなく、倒壊の前から接地していた支幹からすでに根が出ていたのだろう。クスの幹には巨大な空洞ができやすいので、その重さに耐えかねて倒れることや、支幹が接地するほど下垂するのは十分にありえる。

千本楠を構成するクスノキはどれも幹周10m弱なので、クスノキとしてはそんなに大きなものではない。また、クスノキは非常に樹形の個性が強い樹種なので、変わった形になっているクスノキも全国に多い。しかし、横へ横へと伸びたり、元は一本の木だったという由来があるクスノキ群は唯一無二なのではないか。

ちなみに、この千本楠は大汝牟遅(おおなむち)神社の神域にあるのだが、実はこの大汝牟遅神社、明治以前は大汝牟遅八幡神社と呼ばれていたのであり、ここでも八幡神社とクスノキがセットになっているのであった。八幡神社とクスノキの結びつきは、いつか解いてみたい謎である。

2012年4月10日火曜日

ひっそりと存在するタブノキの巨木

近所になんとなく気になる場所があった。県道のすぐそばだが、ちょっとした土手の上に何かがあるような気がしたので、ある日思い切って行ってみると、そこにはとても大きなタブノキ(椨)があった。

外からは、こんな大木が隠れていようとは思いも寄らない場所である。堂々とした巨木が突然姿を現し、すっかりびっくりしてしまった。

樹の下には石造りの社と、明和年間に建立された古い墓石群、それからさらに古そうな五輪塔があり、幽邃な雰囲気である。

私は巨木が好きでいろんな巨木を見てきたが、「ここに巨木があります!」というアピールが樹からも人間(の造作物)からもあるのが普通だ。こういう、自己主張せずひっそりと存在している巨木は、珍しい。

説明板なども何もなかったが、調べてみると、これは「原(はる)のタブノキ」といって「かごしまの名木2001」にも選ばれており、幹周8.9mはタブノキとしては日本で五指に入る。樹齢は300年という。十分に注目される価値のある樹である。

原集落の方に伺うと、「確かに立派な樹だけれど、あそこは怖いから私は行かない」とのことだった。確かに墓石はあるし、ただならぬ雰囲気もあるので、怖いから行かないという気も分かる。また、タブノキは古来神木として祀られることも多く、人を畏れさせる何かがあるのかもしれない。

それにしても、こんな立派な樹なのにもかかわらず、市や県が何の紹介もしていないのは少し残念だ。私も「なんとなく気になる」という不思議な感覚がなければ、ずっと知らずに過ごしていたかもしれない。地元の社ということで、おそらく私有地にあるためという事情もあるのだろうが、説明板の一つでも付けたらよいのにと思った。

ただ、県はこの樹に無関心というわけでもないらしく、足下には近年樹木医によって行われた治療記録の立て札がある。樹木医は秋元智雄氏。指宿で造園業を営みつつ、(女流ならぬ)男流のいけばな環境教育のインストラクターなどにも取り組んでおられる多才な方のようだ。機会があれば、この樹について語り合ってみたいものだと思った。