2013年3月12日火曜日

南薩の捕鯨と「くじらの眠る丘」

大浦ふるさと館(物産館)の横に、「くじらの眠る丘」というクジラの骨格標本を展示する施設がオープンした。

14頭のクジラの群れが当地に座礁するという事件が2002年にあったのだが、これはそのうちの1頭の骨格を標本化し、座礁10周年を記念して展示したものである(なお、1頭のみ救出されたが、残り13頭は死亡した)。

どうせ骨だろ、とタカをくくっていたが、実際に見てみるとまるで恐竜の化石のような迫力がある。クジラの骨の展示というのは珍しいそうなので、一見の価値はあろう。

大浦ふるさと館では、この施設が併設されたことを契機としてクジラ関連商品を充実させており、甑島の「くじらカレー」や 「くじらベーコン」も取り寄せられている。近いうちに試してみたい。

実は、南さつま市とクジラは因縁浅からぬものがあり、笠沙沿岸(片浦港)では古くから捕鯨が行われていた。豪壮な捕鯨でクジラを捕まえるだけでなく、定置網にクジラがかかると鯨肉を塩漬けにして肥前や肥後に出荷し浦が潤った、ということでお祭り騒ぎになったらしい。年間数頭から10頭くらいのクジラが獲れたという。

そういうわけで、明治中期から大正中期頃には鯨肉は笠沙の特産品であった。鹿児島で捕鯨を組織的にやっていたことがわかっているのは、笠沙と奄美大島しかないそうだ。

ちなみに、笠沙の赤生木(あこうぎ)というところにクジラキイ(鯨切り)というクジラの解体集団がいて、クジラの解体は漁民ではなく彼らが担当したのだということだ。クジラの解体は、もしかすると山で狩猟をしていた人々が担ったということなのかもしれない。

黒潮がぶつかる笠沙の野間半島は、おそらくクジラの回遊の道にあたっており、南さつまにはしばしばクジラが打ち上げられ、またホエールウォッチングもできる(※)。「くじらの眠る丘」は14頭のクジラ座礁10周年を記念し、新たな地域観光資源とするための施設ということだが、せっかくクジラに注目するのであれば、南さつまとクジラとの歴史的な関わりを掘り起こしたり、気軽にホエールウォッチングが出来る機会を設けたりするというような工夫も有効ではないだろうか。

※以前はやっていたようだが、今やっているのかどうか未詳。

【参考】
鹿児島県の捕鯨」2007年、不破 茂、米原 正晃
笠沙恵比寿の博物館スペースには、笠沙の捕鯨について解説した小さなスペースがある。 「くじらの眠る丘」が出来たことを契機として、内容をさらに充実させてもらえれば有り難い。

2 件のコメント:

  1. 大変面白い記事をありがとうございます。阪神間に住んでいる古代史ファンのリタイア人です。
     大浦の「くじらの眠る丘」はぜひ行って見たいですね。全国にはクジラの墓や石碑が沢山あるようです。
     クジラは、「漂流の神」でもあり「恵みの神」でもあったんですね。それで、そのすぐ近くに「蛭子島」というのがあるのが気になったのですが、蛭子神社、恵比寿、夷、西宮などの神社などはないでしょうか?
     その島の所にはメヒルギの自生地と地図にはありますが、雌蛭木ですから、そこから名前がきているのか?
     古代から日本近海ではクジラが沢山とれたのですが、クジラは子供を連れていたり、雌だと胎児がお腹にいて、それは食べずに祀ったとか。それらを「蛭子の神」として祀ったのかも知れません。
     赤生木に鯨切りの人がいたというのは、凄く興味ありますね。特に山の民ではないかと。古代史ファンですと、「赤生」
    という字を見るだけで、これは金属に関係する集団だと想像しますね。例えば「丹生(にゅう)」などがそうです。
     それで地図を見ますと、黒瀬とか鉈山、赤碕、笠石川とかの地名がありますね。さらに笠沙の沙は砂、つまり砂鉄を連想させます。
     それから久志地とか、久志という地名もありますが、クジラの当て字は色々ありますが、名前の由来は、黒と白色からクシラとなったという説もあります。
     万葉集などでは勇魚イサナというのが、クジラやシャチ、サメなどを含めた大きな魚だったとか。
     もし、何か分かることがあれば教えていただければ、大変嬉しいです。

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    1. コメントありがとうございます。

      クジラに関しては私もあまり詳しくないものですから、ご指摘の点について参考となる情報を差し上げられなくて残念ですが、分かるところを二三申し上げます。

      まずは、鯨塚(クジラの霊を弔う墓)についてですが、私も気にしているのですがこのあたりではどうも発見できません。笠沙の人々はクジラを年間数頭から10数頭も獲っていたようですから、供養というようなことは考えていなかったようです。しかし、本文中に書きました「くじらの眠る丘」にはクジラのモニュメントが併設されておりまして、亡くなった13頭のクジラを表す13本の石柱があり、これが慰霊の意味になっています。クジラを弔う文化はなかったようですが、現代の人もクジラを弔わずにおれなかったのかなと感じた次第です。

      蛭子島についてですが、恵比寿神社(祠のようなものです)があります。メヒルギについては昔からここにあったものではないので(近年植樹された)、名前の由来には無関係かと。しかしクジラ=蛭子という御説がはなかなか興味深いものがあります。ただ、この海岸一帯は恵比寿信仰が盛んでしたので、素直にそっちの方が由来でしょう。笠沙には「笠沙恵比寿」という宿泊施設兼博物館がありますので、気になりましたら是非お越し下さい。

      地名については、私もよくわかりません。製鉄に関しては、藩政時代は盛んだったようですが、それが古代から続くものであるのか不詳です。ちなみに笠沙という地名は最近(昭和初期だったと思います)つけられたものです。

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