鹿児島や沖縄ではメジャーだが、全国的にはマイナーなカンキツにタンカンがある。今南薩の田舎暮らしでは美味な「狩集農園のタンカン」を販売中だが、この商品説明を用意するにあたっても、「そもそもタンカンとは何か?」ということから説明する必要を感じた次第である。
そこでタンカンの来歴を調べると「ポンカンとネーブルオレンジの自然交雑種。中国広東省原産」などと出てくるのであるが、その説明を掘り下げていくと近代の世界史を垣間見る思いがしたので紹介したい。
さて、先ほどの説明だが、ネーブルオレンジと広東省の組み合わせに若干の違和感を感じないだろうか? ポンカンはアジア原産だから広東省にあるのは自然だが、ネーブルオレンジはどうだろう?
ネーブルオレンジはオレンジの突然変異で産まれた品種であり、実は19世紀の初めのブラジルに発祥したものだ。ではブラジルにはもともとオレンジがあったかというとそうではなく、南北アメリカ大陸にはそもそもカンキツ類が存在していなかったのである。
南北アメリカ大陸にオレンジを持ち込んだのは、大航海時代のヨーロッパ人である。だが、話がどんどん遡って恐縮だが、このオレンジというのも元からヨーロッパにあったものではない。よく「古代ギリシアでオリーブとオレンジが作られていた」などと説明されるが、このオレンジは今の甘いオレンジではなくて、日本で言うところのダイダイ(橙)であり酸っぱいオレンジだ。
甘いオレンジの原産は東アジアで、15世紀から16世紀にポルトガルの商人によって中国からヨーロッパに伝播したとされる。最初は気候が合わず生産は奮わなかったらしいが、次第にヨーロッパの気候風土に合致した品種が産まれ、大航海時代にヨーロッパから世界へ広まった。
というのも、オレンジなどのカンキツ類は、当時は嗜好品である以上にビタミンCの補給のために重要だった。長い航海中は生野菜が採れないため、保存食ばかり食べていると壊血病になってしまう。それを防止するためにレモンやオレンジといった保存性のよいカンキツが重要だったのである。
ポルトガルのリスボンは伝統的なレモンの産地であるが、当時のヨーロッパの主要港の近くでレモンやライムの栽培が盛んに行われていたのはそういう理由がある(今でも産地となっている地方も多い)。オレンジがそのレパートリーに加わってからはオレンジも栽培されるようになり、またヨーロッパ外の寄港地においても、食糧補給のためにカンキツを栽培させたのであった。
ポルトガルはブラジル(と今呼ばれている地域)を16世紀に植民地化して砂糖の大規模なプランテーションを作ったが、実は植民地の建設にあたってオレンジも植えさせたらしい。当初はどうやら補給用の細々とした生産だったようだがこれが拡大し、ブラジルでは一大オレンジ産業が成立することになる。ちなみに、ブラジルは今でもオレンジ生産が盛んであり、世界第一位の生産量を誇っている。
このブラジルにおいて、オレンジが突然変異しネーブルオレンジが産まれたのは、植民地化より約300年後のことであった。この食味に優れた新品種の最大の特徴は種がないことで、食べるには便利だが、増やすには挿し木か接ぎ木しかない。つまり、ネーブルオレンジの樹というのは全て、19世紀初頭にブラジルで産まれた最初の樹のクローンなのである。
話がようやく戻ってきたが、このネーブルオレンジが広東省にあったというのはどういうことだろうか? 19世紀というと、アヘン戦争でイギリスが香港を手に入れるのが1842年、ポルトガルがマカオの港を我がものにするのが1845年であり、まさに広東省(の沿岸地域)が植民地化される時代である。
このような時代にネーブルオレンジが広東省で自発的に栽培された可能性はない。というのも、先述のようにネーブルオレンジは接ぎ木か挿し木でしか増やせないため、導入のためにはブラジル(あるいはヨーロッパ)から生きた樹を長い航海により中国へと運んでくる必要があり、そのような事業を当時の中国人が行うはずがないからである。
ということで、この時代に広東省にネーブルオレンジがあったとすれば、ポルトガル商船への食糧補給のため、ポルトガル人によって強制的に栽培させられたものである可能性が極めて高い。15世紀に中国からポルトガルに伝えられたオレンジが、19世紀にはネーブルオレンジとなって中国を「侵略」したことになる。
以上の推測が正しいとすれば、タンカンはせいぜい19世紀に産まれた新しい果実であり、しかも中国の植民地化の産物ということになる。ただし、タンカン(短桶)の語源は中国で行商人が桶に入れて売り歩いたからともいい、この語源説と以上の推測はやや齟齬も感じるところである。もしタンカンが植民地化の産物であるとすれば、そんなのどかなイメージで語られる果物ではないだろう。
さらに、タンカンが中国本土から台湾へ伝播したのが18世紀という話もあるので、タンカンの誕生にネーブルオレンジは関係なく、もっと古くからある果物なのかもしれない。実は、タンカンがネーブルオレンジとポンカンの自然交雑種であるというのも一説に過ぎず、ポンカンとミカン、あるいはポンカンとオレンジではないかという説もあり、正直なところその起源は茫洋としているのである。
ちなみに、タンカンが日本へ伝播するのは、日本が台湾を植民地化したことを契機とする。カンキツだけに言えることではないが、食材の伝播はまさにグローバリゼーションの産物であり、グローバリゼーションの形が植民地化であった時代は、食材の伝播や品種改良は植民地の建設と切り離すことが難しい。タンカンという一つの果物の来歴を探るだけでも、15世紀からの世界史を眺める必要があるのである。
【参考】
「Orange History」
「History and Development of the Citrus Industry」 Herbert John Webber, Walter Reuther, and Harry W. Lawton
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