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2014年5月7日水曜日

タダで美術館を運営してほしい、というとんでもない募集を南さつま市がやっています

絶景の笠沙美術館に指定管理者制度が導入されるということで、以前、それに期待する記事を書いたのだが、今般その募集が開始された。ところが、この募集が最大級にガッカリな内容だったので、ちょっと愚痴を聞いてもらいたい。

何がガッカリだったかというと、この募集、指定管理料がゼロ円なのである!つまり、タダで美術館の運営をしてください、というとんでもない内容なのだ。お金は支払われないが、指定管理者が行わなくはならない業務はもちろんある。募集要項によれば、
(1)主要な業務
①美術品の展示・保管。常設展示の絵画は3ヶ月ごとに定期的に入替を行う。
②企画展の開催
③施設の日常的維持管理
④展望ミュージアム条例第16条に基づく使用の許可・不許可(注:場所貸し)
⑤展望ミュージアム条例第17条に基づく利用料金の徴収
⑥施設及び周辺部の清掃
⑦保守点検及び小規模な修繕作業
⑧その他市教育委員会が必要と認める業務
(2)施設の運営に関すること
①管理状況について、毎月利用状況報告書を作成し、翌月5日までに報告すること。
(以下略)
というような仕事をタダでやらなくてはならない!笠沙美術館は、博物館法によるところの登録施設ではないので学芸員等を置く必要はないが、それでも美術品の展示・保管、企画展の開催といったものは創意工夫と専門的知識がないとできないことであるから、それをタダでやってもらおうというのは意味がわからない。

こんな募集では誰も手を挙げないだろうと思われるが、市の方の目論見としては、ここでカフェなどの収益事業をやってもらい、その収益でもって美術館を運営してもらいたい、ということらしい。具体的には、募集要項に
指定管理者は、市との協議に基づき指定管理者の創意工夫で飲食等自主事業を行うことができます。
自主事業を行うための施設の改修は、改修計画等を市に提案して協議を行い、市長の許可を受けなければならない。改修工事は市において実施します。
と書いてある。要は、営業のための改修費用は出してあげるからタダで美術館を運営してほしい、ということなのかもしれない。しかし、そもそも市の施設であるので改修を市が行うのは当然のことだし、店舗の改修にいちいち市との協議が必要ということだと商売的には面倒である。

この募集を単純化すると、施設のテナント料をタダにする代わりに、タダで美術館を運営してほしい、という取引を持ちかけているように見える。前も書いた通り、この美術館は日本全国でも屈指の眺望を持ち、しかも著名なデザイナーである水戸岡鋭治氏が建物を設計しているので、施設としての価値は非常に高いとは思う。それに、カフェなどを営業するとすれば、美術館の単純な管理業務(要は入館料の徴収)をあわせて行うのは非常に軽微な労力ですむのは確かだから、もしかしたらこれは悪い取引ではないのかもしれない。

だが、私がガッカリしたのは、タダで美術館を運営してください、という文化行政への意識の低さである。指定管理者制度の導入の目的の一つがコストカットであることはしょうがないにしても、タダで美術館を運営しろということは、市としてこの美術館を活かしていこうという気もなく、やっかい払い的に指定管理者に丸投げしているようにしか見えない。さらには、笠沙美術館の収蔵品はさほど多くないとは思うが、それらの作品はもはやお金を掛けて保管・展示していく価値がない、との市の認識が露見したということでもある。

これは作品を寄贈した黒瀬道則氏にも申し訳ないことで、お金を掛けて保管・展示する気がないのであれば、価値を認める他の美術館に作品を寄贈・売却してしまった方がよほどいいと思う。

本当に市の財政が火の車で、美術館のような「贅沢」な施設にはもうお金が出せない、ということならまだ分かる。だが、先日南さつま市は何千万円もかけて「くじらバス」という観光バスを導入している。こういう話題性はあるが薄っぺらい観光振興をするよりも、年間300万円でもいいから笠沙美術館にお金をかける気はないのか。そもそも、美術館というのは観光の大きな楽しみである。魅力ある美術館とその眺望、そしてステキなミュージアムカフェがあれば、それだけで旅の目的地になり得るというのに。

そして、仮にこの募集に応える事業者があったにしても、美術館の運営部分は収益事業ではないわけだから、美術館部分は縮小・簡素化していかざるをえない。タダで請け負っている事業なのだから、申し訳程度の美術館であればよしとするであろう。しかしそれでよいのか。やはり公益事業としての美術館部分があり、そこに付帯事業としてミュージアムカフェがあるという形でなければ話がおかしい。この募集の内容では、付帯事業のはずのカフェが本業で、美術館はついでにやればよい、というように受け取れる。

ともかく、この募集は文化行政の面から見ても、観光振興の面から見ても、普通のビジネスとしてみても、おかしい所だらけである。正直、募集者なしということで公募自体がやりなおしになって欲しいとさえ思う。文化芸術にちゃんとお金を出す、ということは矜恃ある市民として当然のことで、タダで美術館を運営させるしみったれた市を作ってはならない。

2014年10月2日木曜日

【告知】「笠沙美術館でコーヒーを飲む会(仮)」を開催します!

重要な告知(!)。

来る2014年11月23日(日)、勤労感謝の日に「笠沙美術館でコーヒーを飲む会(仮)」を開催します!

この笠沙美術館は沖秋目島(ビロウ島)を望む絶景の地にあり、そこにある景色自体が一つの芸術品のような美術館である。

コーヒー党の私としては、以前から、ここでコーヒーを飲めたら最高だなあ! と思っていた。先般この施設の指定管理者の公募があって、うまくいけばミュージアムカフェのようになる可能性もあったのだが、条件の折り合いがつかなかったのか応募者がなかったそうである。

というわけで、どうも待っていても笠沙美術館でコーヒーを飲みたいという夢が叶わなそうなので、だったら自分でコーヒーを淹れてしまおうということになった。さらに、せっかくならコーヒー党(?)のみなさんにも呼びかけて「コーヒーを飲む会」にしようというわけである。

さらに、その日は一日美術館全体を借り切って、様々な企画も合わせて開催する予定である。例えば、場所がせっかく美術館なので写真の展示も行う(その内容はまだ秘密。お楽しみに)。それから、ミニマルシェも設ける予定である。「南薩の田舎暮らし」はもちろん出店するし、その他出店者を検討中である(このブログ記事を読んで、是非出店したいという方がいらっしゃったらお気軽にご連絡ください。コメント欄にでも)。

もちろん、コーヒー豆もそれなりにいろいろ準備する予定。ただ、一日だけのイベントでも販売には保健所から営業許可を取得する必要があって、その認可費用がかかるので、今回は販売ではなくコーヒー自体は無料(!)にしてカンパ制にしようと思っている。なのでコーヒー豆の持ち込みも歓迎である。いやこの際、サイフォンだってなんだってマイコーヒー器具を持ってきていただいてかまわない(はず)。ちなみにこちらで準備するのはごく標準的なペーパードリップの器具のみである。

こういうイベントを開催するのは、もちろん自分がコーヒーを飲みたいということも第一だし、それと同じくらい、笠沙美術館に秘められたポテンシャルを発揮させたいという気持ちもある。南さつま市の持つ素晴らしい財産が、今はなんだか死蔵されているような感があってもったいない。そのポテンシャルを活かして、笠沙美術館を若い人たちが面白い企画を実現できる場にしていけないだろうか?

まあそれは大げさでも、この機会にたくさんの人にここに来ていただき、素晴らしい景色を見ながらコーヒーを飲んでいただけたら幸甚である。

詳細はまた後日お知らせします。

2014年2月24日月曜日

笠沙美術館を運営して(ミュージアムカフェをやって)みませんか?

先日の南さつま市議会で、笠沙美術館に関する条例の改正があった。一見地味だがなかなか面白い内容である。

それは、笠沙美術館に指定管理者制度を導入するものだ(第15条)。つまり、この施設の維持管理を民間に委託できるようになった、ということである。

そして、その中のさらに地味な条項であるが、指定管理者が行う業務として、「市長が必要と認める業務」が規定されているのがポイントだ(第16条)。美術館自体の維持管理は、単に入場料を徴集したり、場所貸しをしたりといった仕事であり、民間の創意工夫を生かす余地はないが、この条項があるので、たとえばここをミュージアムカフェにするといったようなことが可能になる。

この笠沙美術館は、以前も紹介したことがあるように「日本一眺めのいい美術館」を標榜してもおかしくないほどの絶景の地にある。この絶景を眺めながらコーヒーの一杯でも飲めたらどんなに幸せだろう、と夢想してきた私にとって、この条例改正は大変喜ばしいものだ。指定管理者は個人で請け負うことができないが、もしそうできれば、私が真っ先に手を挙げたいところである。

また、笠沙美術館は風景がいいだけではない。美術館の建物はクルーズトレイン「ななつ星」などのデザインで知られる水戸岡鋭治氏で南欧風のデザインが瀟洒である。こういう洒落た建物で飲むコーヒーは美味いに決まっているのである。

だが、経営的に見ると少し厳しい点もある。最も心配されるのがあまりにも辺鄙な土地にあるということだろう。しかし、山側の道路を挟んだ向かいには「杜氏の里笠沙」がある。「杜氏の里」は、南さつま市の三セクの中では唯一の黒字団体であり(2012年度)、それなりの客足がある。場所柄は辺鄙で寂しいところだが、決して無人の地ではない。市の方で近年力を入れている「南さつま海道八景」の見所の一つでもあり、ドライブ客が期待できる。

それに、指定管理者には管理料収入が市から支払われる(というか民間で経営が成り立つなら公共の施設にすべきでない)。基本的には、美術館の維持管理のみであれば赤字はないはずで、ほぼリスクなくこういう絶景の地にミュージアムカフェをオープンできるとすれば、事業者にとっては大チャンスである。

だが、市の方ではかなり弱気な姿勢を見せていて、先日の市議会では「応募がなかった場合は現状とならざるを得ないと考えるが…」と随分引き気味なことを述べている。「応募がなかったら」というような消極的なことではなく、創意工夫と経営能力がある事業者が応募してくるように、鹿児島市内はもちろん、北九州や大都市圏でも説明会をするべきだと思うし、そうして、市の方で応募者を厳正に審査するという強気な立場にならなければならないと思う。

一番いけないのは、形式的には公募の形をとりつつ、実際には南さつま市内の適当な事業者に声をかけるだけで広く呼びかけず、結局役所がやるのと変わらない仕事を民間が担うということだと思う。せっかく指定管理者を公募できる規則を作ったのだから、これを生かしてもらいたいというのが一市民としての期待である。そしてもう一つ高望みすれば、こここをミュージアムカフェにしてもらい、沖秋目島を眺めながらコーヒーが飲みたいのである。

【補足】
本件に関してご関心ある(南さつま市外の)事業者の方は、コメント欄にでもご連絡ください。市の方に取り次ぐことも可能だと思います。なお、条例上は「指定管理者に業務を行わせることができる」となっているだけで、応募者が想定されない場合は公募されないこともあります。なので、公募があったら検討しようということではなく、公募をするように市の方に働きかけていくくらいの積極性がないとダメかもしれません。

2012年10月7日日曜日

笠沙美術館——日本一眺めのいい美術館

南さつま市笠沙町のリアス式海岸を走る国道沿いに、「笠沙美術館(黒瀬展望ミュージアム)」がある。

展示品は笠沙町出身の画家 黒瀬道則氏の寄贈作品がほとんどで、その好き嫌いは分かれるところだと思うが、この美術館からの眺望は文句なく素晴らしい。

エントランスからパティオに向かうと、東シナ海に浮かぶ沖秋目島(ビロウ島)が望め、それがさながら一幅の絵画のように建物で切り取られる。赤茶けた直線的な建物と、青い空と海が鋭く対比された風景は、むしろ南欧風ですらある。

聞くところでは、もともとこの美術館は展望所として計画されたものであるということで、絶景なのは当然だ。その建物も作品の展示というより、そこから望む風景を主体として設計されているように見える。ちなみに、建物のデザインは「つばめ」や「指宿のたまて箱」など、JR九州の多くの車両をデザインしたことで著名な水戸岡鋭治氏によるものらしい。そのデザインにただ者でないセンスを感じたが、納得である。

笠沙美術館は南さつま市にとって大きな財産だと思うが、来客もまばらであまり利用されていないのは残念だ。黒瀬氏の絵は、ミステリーの表紙になるような絵で面白味はあると思うが、正直なところ、何度も見たくなるようなものではないし、一般受けするものではない。せっかくの素晴らしい美術館が、郷土出身の画家の紹介だけに終わってしまってはもったいない。

そういうことから、私としては、ここをギャラリースペースとして積極的に活用し、多くの人に来てもらえるようにしたらいいと思う。小さなグループの個展などでも家族友人等でそれなりに人が来るので、この風景の素晴らしさを体感してくれれば口コミによる波及効果も期待できる。

ちなみに、今でもそういう利用ができないわけではないが、WEBサイトにも何も書いていないし、そもそも美術館の存在自体が積極的に広報されていない。なお、賃借料はギャラリーのみだと2100円/日で、全体を借りると5250円/日、展望所と駐車場は無料である。せっかくの素晴らしい資源なのだから、前向きに活用してもらいたいものだ。きっとここは、MOA美術館(熱海)や神奈川県立近代美術館(葉山)を越えて、日本一眺めのいい美術館といえるだろうから。

2019年3月12日火曜日

「笠沙恵比寿」をどうするか

今、南さつま市は「笠沙恵比寿」の活用に関して「サウンディング型市場調査」というものをやっている。

笠沙恵比寿というのは、南さつま市の笠沙町の、端っこにある野間池(のまいけ)という小さな港町にある宿泊施設である。

【参考】笠沙恵比寿
 http://www.kasasaebisu.com/

笠沙恵比寿を作ったのは当時(合併前)の笠沙町。私は直接にはその頃を知らないが、かなり力を入れて作られた施設だったようだ。

笠沙町は、昭和40年代には既に過疎問題が始まっていたという過疎地域であり、主要産業である漁業も後継者問題に悩まされ、町の将来への危機感があった。一方で、東シナ海の壮大な景観や豊かな漁業資源に恵まれているという強みもあった。そうしたことから、町は観光による地域振興を模索し、様々なことに取り組んできた。

例えば、海岸沿いを巡る道(当時の県道笠沙枕崎線)を国道226号に昇格させた(1993年頃)。この道は、昔は「この道をよくぞバスが通れたなあ」というような、離合の出来ない、崖をへばりついて進む狭い道だったが、国道昇格後は整備が進み、今ではすばらしいドライブコースになっている。226号線沿いの写真スポット「南さつま海道八景」は、間違いなく日本有数の景観群である。

【参考】これぞ絶景!南さつま海道八景|南さつま市観光協会
https://kanko-minamisatsuma.jp/feature/8038/

また、笠沙には明治以来、数多くの杜氏(とうじ:焼酎づくりの職人)を排出してきた黒瀬という集落がある。この技術の伝承を行い地域おこしにも役立てるため、焼酎造り展示館である「杜氏の里 笠沙」も設立(1992年)。ここのつくる「一っどん(いっどん)」という焼酎は抽選でしか手に入らないほどの人気商品になった。

【参考】杜氏の里 笠沙
http://www.toujinosato.co.jp/

さらに1998年には、杜氏の里 笠沙の近く、沖秋目島という無人島を望む最高の立地に、「笠沙美術館」を設立。景観自体が美術作品のような素晴らしい美術館であり、私自身、南薩で一番好きなのがこの美術館からの眺めで、好きが高じて「海の見える美術館で珈琲を飲む会」というイベントを毎年開催しているくらいである。

そして2000年、こうした取組の集大成として作られたのが「笠沙恵比寿」なのである。

笠沙恵比寿は単なる宿泊施設ではなく、「海」を総合的に楽しむ上質なレジャーを目指すものであった。ホテルやレストランだけでなく、海の博物館までも併設し、釣りやクルージングはもちろん、昔はホエールウォッチングまで楽しめた(記憶があやふやですが)。

設計したのは、今では鉄道車両デザインで著名な水戸岡鋭治氏。館内には水戸岡氏が描いた笠沙に生きる生き物たちの絵がたくさん掲げられ、博物館部分だけでなく施設全体にアート的な雰囲気が横溢する(ちなみに笠沙美術館も水戸岡氏のデザインである)。

笠沙恵比寿は、遠くから「ホンモノ」を求める客を呼び込もうという構想だった。

それはある程度成功したのだと思う。このあたりの相場からは高い宿泊費や食事でも、最初は客が入った。しかし第三セクターによる運営は、どうしても民間的な競争の中ではやっていくことができなかった。

次第に客足は遠のき、売上は右肩下がりになった。客室が10部屋しかないというのもホテルとしては大きな足かせで、上質を求める少数の客を相手にする戦略が裏目に出た。2015年からは指定管理者としてJTBが切り盛りしたものの、どうも挽回とまではいかなかった模様である。こうして、テコ入れを図る必要が生じた。

そういうわけで、この 「サウンディング型市場調査」が行われることになったようである。「サウンディング型市場調査」というのは私も初めて聞いた。要するに、「どうやったら活用できそうか、ゼロベースで意見や提案を下さい」というものらしい。ただし、意見を言えるのは実際にその施設を利用していく可能性がある法人・個人なので、例えば私なんかが意見を出すことはできない。

【参考】笠沙恵比寿の活用に関するサウンディング型市場調査の実施について|南さつま市
http://www.city.minamisatsuma.lg.jp/jigyosha/shigoto-sangyo/shokogyo-kigyo/e021494.html

こういう調査を行うこと自体はよいと思う。何しろ、高級路線の施設というのが公共施設として異色であり、行政による運営に向いていないというのは明白である。笠沙恵比寿の当初のコンセプトを貫徹するならば、民間に売却するのが最も自然かもしれない。

しかし、何にせよいえることだが、「何を」やるかよりも、「どう」やるかの方がずっと重要である。「民間に意見を聞く」のはいいとして、この調査に関する説明会も何もないようだし(参加申し込みした事業者に対する説明会はあるが、「こういう調査をやっているのでぜひ参加して下さい」という説明会がない)、WEB以外のどこで広報しているのか不明である。まさかWEBのみということはないだろうが、積極的に広報している感じがなく、誰に提案してほしいのかという意志をあまり感じない。

先日、鹿児島市が「鹿児島市ブランドメッセージ&ロゴマーク」をみんなの投票で決めようというイベントをしたが、そこにモデル・YouTuberの“ねお”さんを呼んでいたのを見習うべきだ。これは、ただ投票をお願いするだけといえばだけなのであるが、人に意見を聞くためにはどれだけ工夫が必要かというのをまざまざと見せつけられた思いである。「意見を言わない人が悪い」などと言っている時代ではなく、人の意見を聞くためにコストをかけなければ、後で大変な目に合うのが現代である。

【参考】みんなで選ぼう!鹿児島市ブランドメッセージ&ロゴマーク|鹿児島市
https://www.city.kagoshima.lg.jp/kouhousenryaku/citypromo/logo/ivent.html

笠沙恵比寿の場合は、このブランドロゴの場合よりもずっと意見・提案の必要性が大きいわけだから、もっとずっとコストをかけてもいいのである。例えば、東京や大阪などに職員が出張していって、大手デベロッパーやコンサルに話を聞くということから始めてもよいと思う。まずは星野リゾートのようなやり手リゾート運営業者に意見を聞いてみたらどうか。

さらに、些末なことと人はいうかもしれないが、参加した事業者からのヒアリングが1事業者あたり30分〜1時間だそうである。せっかく提案に来てくれた業者に、話を30分にまとめろというのはさすがに短すぎないか。こういうことは言いたくないが、ちょっと「上から目線」を感じる調査なのである(私のこのブログ記事だって上から目線じゃねーか、と言われればその通りなんですが…)。

そしてもう一つ付け加えるべきなのは、民間業者からの意見・提案を聞くのと並行して、やはり地域住民の意見ももっと聞くべきだということだ。これには役所の方も「今までさんざん意見は聞いてきました」と反論するに違いない。それはそうである。しかも住民の方では笠沙恵比寿の高級路線を理解せず、「もっと手頃な価格にしてほしい」といったような意見もあったそうだし、住民の総意に基づいた運営にしたら、たぶん笠沙恵比寿はやっていけない。

しかし、である。公共施設である以上、住民の「こういう町になってほしい」「こうなったらいいな」という夢に基づいていなければならないと私は思う。そのためには、今までさんざん意見は聞いてきたとしても、やはり住民の意見を聞く必要がある。そして、「住民の意見」なるものは、実はもっとも聞き取りづらいもので、本当にホンネの意見を聞こうと思ったら、大げさに言えば「合宿」をしなければならない。少なくとも、WEB上のパブリックコメントなんかでは本当の住民の声は集めることができないと思う。

もちろん役所にしてみれば、生産的かどうかもわからない「住民の声」なるもののためにそんな時間は割けないと言うだろう。それでなくても人が減らされて忙しいのに。でも私は、そういう一見無駄な作業こそが真に生産的なものになると信じている。

笠沙恵比寿をスマートな施設にするだけなら、たぶん星野リゾートに売却するだけで十分だ。きっと今よりは繁盛して、雇用も生まれて、住民も満足するだろう。人が羨むステキな施設になるに違いない。でもたぶん、それでは「こうなったらいいな」という住民の夢を紡ぎ出すという作業は、どこにも介在する余地がない。

南さつま市は「夢を紡ぐまち」を掲げていて、「夢を紡ぐ」という市民歌もある。私は、このスローガンは割とよいと思っている。経営に行き詰まった施設をどう処分するか——というような話では夢がなさ過ぎる。行き詰まった時こそ、理想を語らねばならない。1990年代からの笠沙町の意欲的な観光振興施策の集大成としてできたのが笠沙恵比寿だ。ぜひ前向きに話が進んで欲しい。
 

2015年11月5日木曜日

「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催します

11月15日(日)、「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催します!

【チラシ】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2

昨年の11月23日、vol.1をやって、思いの外多くの人に来ていただいた。ただ眺めのよいところでコーヒーを飲む、というだけのイベントだったが(主観的に)大好評をいただいて、2回目もしようとその場で決めた。

ただ、vol.1の時は振る舞いコーヒーにしたので、私自身がコーヒーを淹れてばかりでそれ以外のことがほとんどできなかった。せっかく遠方から来ていただいた方とロクにお話しすることもできなくて本当に申し訳なかったと思う。

あと、さすがに遠方から来てコーヒー一杯だけというのも、なんかこちらも申し訳ない気分になったので、地元の人以外を呼ぶならやはりそれなりにコンテンツを準備すべきだったとも思った。

そこで、今回はコンテンツを充実させつつ、自分の役割は極力なくして開催することにした。というわけで、少しだけコンテンツのご紹介。

珈琲:天文館の七味小路にある「古本喫茶 泡沫(うたかた)」さんによる出張販売。昨年はふるまいコーヒーだったので無料だったが、今年は普通に販売になる。でも1杯200円くらいと言っていたから格安だ。ちなみに、「泡沫」さんに出張販売を打診したとき「うち、自家焙煎とかじゃないけどいいんですか?」というのが第一声で、それにすごく好感を持った。そして、それに対して私は、「景色がいいから大丈夫です」と答えた。

写真: 小湊在住のプロの写真家・松元省平さんの全面協力(丸投げとも言う)をいただいて、松元省平写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催。これは松元さんが自宅の庭や近所で撮った星空写真の展示会である。昨年はせっかくの展示なのに1日だけだったが、今回は6日間の会期(11月11日〜16日)。やはり美術館でイベントを開催する以上、芸術的な要素もないと寂しい。当日11時からは松元さんに「私の星空散歩」と題してギャラリートークもしていただく予定。

【参考】松元省平 写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催します!

古本: 今回一番悩んだのはここで、コーヒーと芸術(写真)と景色、だけでもイベントとして成立すると思うが、やっぱり本に関することもやりたい、ということで武岡の「つばめ文庫」さんにお願いして古本の出張販売をしてもらうことにした。何しろ、古本といえばコーヒー、コーヒーといえば古本、だと私は思っている。

【参考】「つばめ文庫」の出張販売も楽しみ!

そして、当日14時からは店主の小村勇一さんに「困ったときの本頼み! ー生き方に迷っても」の題でちょっとした講演もしてもらう。小村さん自身が、生き方に迷って古本屋になったような面白い人なので私自身も講演がすごく楽しみである。

本との出会いというのは、内容以前に、どこでどうやって出会ったのかというのが大事だと思う。雄大な景色の中で、もしこのイベントに参加していなかったら一生手に取らなかった本を手にとってもらえたらすごく嬉しい。

プチマルシェ:笠沙美術館の周りは山と海で手近なお食事処がないので、坊津の「食堂勝八」さんにお願いして出張販売していただくことにした。名物「双剣鯖ピザ」と「双剣鯖バーガー」がオススメとのこと。実は「バーガー」の方はまだ食べたことがないので、私もすごく楽しみである。その他、昨年、店主の負傷により参加できなかった知る人ぞ知る「ZAKCAR」さんも出店。もちろん「南薩の田舎暮らし」も出店します。

このイベントは、一種のオフ会(インターネットで知り合った人と実際に会う場、というような意味です)にもなっているので、このブログをよく読んで下さっている方には、特に来ていただきたいと思っている。実は、私はネット上の人格と、実際の人格が大きく乖離しているみたいなので、期待されるような会話はできないと思うが、せめてご高覧の御礼を申し上げたい。

というわけで、当日天気が良ければぜひ笠沙美術館にお越しいただき、壮大な景色の中で、コーヒー片手に写真や古本を物色していただければ幸いです(天気が悪かったらイベントの意味があんまりないのでそっとしておいて下さい)。よろしくお願いします。

【情報】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
日時:2015年11月15日(日) 10:00〜17:00
参加費:100円(子ども無料、+カンパ)
場所:笠沙美術館


2016年11月22日火曜日

「イベントを育てる」ということ

11月13日(日)、3回目となる「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を笠沙美術館で開催した。天気にも恵まれ、多くの方にお越しいただき、主催者としては大成功、と思っている。

ところで、薄々思っている方も多いと思うが、このイベント、第1回、第2回もあんまり内容が変わっておらず、今年はギター演奏が新しい取組だったものの、マルシェも昨年と全く同じメンツだし、それどころかチラシのデザインもほとんど同じである。

マンネリ、と言われたら返す言葉もないのだが、一応自分の中で思っていることがある。というか、迷っていることがある。それは、「イベントを育てていくとはどういうことか」ということである。

私も一昨年に初めてこの「珈琲を飲む会」を開催したときは、「来年はもっと盛り上げるぞ!」と意気込んだし、2回目をやった後も「どんどん発展していったら面白いなー」と思っていた。もちろん3回目が終わった直後の今でも、来年に向けたアイデアを既に考え始めている自分がいるし、来年はもっと盛り上がって欲しいと思っている。でも昨年のイベント後くらいから「お客さんをもっと増やして、マルシェの出店ももっと増やして〜」というような拡大路線はちょっと違うような気がしてきていた。

その気持ちが明確になったのが、(あんまり名前を出すと可哀想だけれど)今年の7月に行われた「ふるまい!宮崎」というイベントの評判を見てから。

このイベント、4500円払って九州各地の名物料理を食べ放題、というような趣旨で行われたが、7月の炎天下の中なのにテントが不十分、会場キャパを遙かに超えるお客さんでごった返して何を食べるにも長蛇の列、しかも飲み物持ち込み禁止となっていたことから熱中症で運ばれる人が続出…、という地獄のイベントだったようだ。

【参考】炎天下で行列、売り切れ続出……宮崎県の食フェスに批判殺到 実行委が謝罪

これ、主催者側の問題を挙げればキリがないが、私なりに考えると、結局「ふるまい」を標榜しながら己の利益しか考えなかった、という一点に集約されると思う。

でも自分だって、イベントをやるとなればやっぱり利益は出て欲しいと思うものだし、というか利益が出なかったら次が続かない。実際、過去2回やってみて、一人当たりコーヒー代込みで500円を徴収しないと赤字になることがわかったから、今回はちょっと値上げして参加費500円にしてみた(高いよ、という人が一人もいなかったので安心)。

そして、利益の源泉は、多くの人に来てもらうということに尽きるし(客単価を上げるという方法もあるが、これはイベントの性質上なかなか難しい)、多くの人に来てもらうことはイベントの趣旨に適う場合も多い。例えば、「珈琲を飲む会」は笠沙美術館からの素晴らしい眺めを知ってもらうということが目的の一つであるが、こういう目的だったらお客さんは多ければ多いほどいいわけだ。

でもだからと言って、見境なくお客さんを呼んでしまうと、誰にとってもよい結果にならない。

今回の体制での、会場キャパシティは1日で230人(うち子どもが1割程度)くらいだったろう。それ以上にお客さんが来てしまうと、コーヒー1杯お渡しするのにも随分お待たせする感じになってしまったのではないかと思う。今回の実際のお客さんの数は約180人だったので、そのキャパを考えるとまだまだ余裕があったが、もしネットでバズって(非常に拡散して)その倍の人が来てしまっていたらイベントが崩壊したはずである。

そもそもコーヒーは、ゆったりした気持ちで飲みたいものだ。出来るなら、座り心地のよいイスも欲しい。心地よい音楽、気の置けない仲間、暑くもなく寒くもない気候、そして見晴らしのよい景色! このイベントは、残念ながら「座り心地のよいイス」だけはないが、その他は大体揃えられる環境で、一緒にゆったりコーヒーを飲もうというものなのに、大勢の人でごった返してしまっては、その意味がなくなってしまう。

じゃあもっと体制を充実させればいいじゃん、と思うかもしれないが、コーヒーの供給能力を高めることは出来ても、会場の広さは同じなわけで、大勢のお客さんが来すぎるとゆっくりできないというのは変わらないと思う。だから「イベントがもっと盛り上がるといいなー」とは今でも思っているが、それは大勢の人が来るというよりは、質的なもの(というより「意味的なもの」)を高めるという方向性だ。

「イベントを育てる」というのは、最初に打ち立てる頃は、とにかく集客力を高めることに違いない。たくさんのお客さんに来てもらえるように、コンテンツを充実させて、広報を頑張る。これはこれでやりがいのあることだし、また難しいことである。「海の見える美術館で珈琲を飲む会」はまだこの段階だ。今年も、いろいろな要因はあったが、結局は自分たちの広報不足で、午前中はだいぶお客さんが少ない時間帯があった。

でもその段階を超えると、お客さんは多ければ多いほどいい、ということはなくなって、そのイベントが本領発揮するだけの人数が集まればいい、ということになってくる。そしてこの段階になると、そもそも「人数」そのものではなくて、「ちゃんと来るべき人が来たか」というようなことの方が重要になってくる(はずだ)。

広報は、闇雲に拡散させるよりも、「こんな人に来て欲しい」という人にこそ届くものにしなくてはならない。もっと大げさなことをいうと、「あなたの人生において、ここに来ることが必要である」というような人に届けたいと思うのである。

先日、マルヤガーデンズで「田舎工学序説」と銘打った講演会を行ったが、そこに非常に意外な人が来て下さっていて驚いた。その人とは、12年ぶりの再会だった。私の講演が、その人にとって必要なものだったとは全然思わないけれども、(ここには書けない事情から)その再会は必要なものだった。いや私にとっても、あの再会のために講演会があったのかもしれない、と思ってしまうような出来事だった。こういう「届き方」があるから、広報というのは侮れない。

そして、時にこういう再会があるものだから、一度打ち立てた「場」というのは、簡単に変えていかない方がいいのかもしれない。同じメンツが一年に一度再会して、同じイベントをする、というのも、一見マンネリに見えるが、そういうやり方でしか提供できない価値もある。でも一方で、メンバーが固定化することは閉鎖的なムードをも産む。やはり開かれた場でないと、内容的な充実は望めない部分があるのでそのあたりのバランスが難しい。基本的にはオープンにしつつ、変わらない何かを持ち続ける、というのが理想のあり方なんだろう。

というわけで、くだくだしく書いてきたけれども、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を、もっとステキな場にしていきたいと思っている。今のところ、そのアイデアは全然ないが、来年やるときも、あんまりこれまでと変わらない感じで、でも何か新しいものをちょっとだけ付け加えて。広報は、(今回はちょっとやらなさすぎたので)2倍くらいに強化して、でもやたらめったら声を大きくするんじゃなく、届けるべき人に届くように。来てくれた人が、ゆっくり景色とコーヒーを楽しめるように。

このイベントは、究極的には「自分が楽しいからやりたい」というエゴでやっている。そういう自分勝手なエゴが中心にあることを自分でも忘れないようにして、自分なりのやり方で「イベントを育てて」いきたい。

2015年11月18日水曜日

「地域活性化」はやるべきではありません

先日、「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催しました。来ていただいた方、本当にありがとうございました!

当日の模様については「南薩の田舎暮らし ブログ」の方に書きましたのでよかったらご覧ください。

【南薩の田舎暮らし ブログ】「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」ありがとうございました!

ところで、こういうイベントをしていると、「地域活性化してくれてありがとう!」とか言われることがある。また、新聞記者さんにも「南薩の田舎暮らしは、地域活性化団体とかじゃないんですか?(そうでないと記事に紹介しにくいなあ、みたいなニュアンスで)」と聞かれたりする。

でも、実を言うと私は「地域活性化」には取り組んでいないし、「南薩の田舎暮らし」も商業活動をするときのただの屋号である。ただ、「珈琲を飲む会」とか、先日やった「公民館 de 夜カフェ」なんかは、収益を目的としておらず(というかカンパがなかったら赤字)、気持ちの上では地域貢献活動としてやっているのは確かである。

でも地域貢献は目的の中心ではない。目的の中心は、「自分が楽しいからやりたい」という私のエゴである。美味しいコーヒーを、眺めのよいところで飲んだら美味しい、それを他の人とも共有したい! そういう私のエゴでやっているのが「珈琲を飲む会」である。いわば自分による自分のためのイベントである。地域活性化とか、そういう「高尚な目的」は全然ない。

そもそも、私は「地域活性化」や「地域おこし」はやらない方がいいと思っている。

そういうことに興味があったり、いろいろな取組をしている人と知り合ったりする機会が多いのだが、その現状を見聞きしても、「地域活性化」の内容には問題があることが多い。

そういう取組の最大の問題は、「地域活性化」が一体何を目的としているのか曖昧なことである。「地域」というボンヤリとしたものを相手にしているから、それがどういう状態になったらそれが「活性化」だと言えるのか、あまり考えていない。なので、「とりあえず人の集まるイベントを開いてみよう!」というだけの活動になることが多い。

そうは言っても例えば「地域のお年寄りが喜んでくれたんだからいいじゃないか」みたいに反論する人がいるだろう。でも、最初から「地域のお年寄りを喜ばす」ことが目的なら、その目的に沿って活動を設計すべきであり、「地域活性化」みたいな抽象的な題目ではなく、お年寄りは何を喜ぶのか、という具体的なところから出発するべきである。だが、現実には「結果的に」喜んでくれた、というのが成果として捉えられており、そこに手段と目的と成果の齟齬がある。

これは観光振興なんかでも同じである。「地域活性化」の一つとして、観光振興が注目を集めているが、誰のための観光振興なのか、が曖昧であることが多い。というかほとんどそうである。観光で潤うのは、第1に交通(バス会社とか)と宿泊業、第2に飲食業、第3に物産販売業であるが、こうしたメインのステークホルダーが不在のまま、勝手連的な活動として観光振興が取り組まれることが多い。

我が南さつま市の観光協会の場合どうなのかは知らないが、交通と宿泊業の人はあまり中心的な役割を果たしていないように見える。観光振興というのは、結局はこうした業種の利益を伸ばしていくということが目的なので、まずはこうした業種の企業からプロジェクト毎に協賛金の形でお金を集めて、その範囲でちゃんと利益に繋がる活動をしていくのがよい方法であると思う。

だが、これまで観光地でなかったところは、「観光客が増えるとなんか嬉しいよね!」というようなふわっとした目的の下、観光業には直接関係のない人たちが、良くも悪くも利益を度外視してボランティアで活動しがちである。それは一種のロータリークラブのようなものだから、社会貢献活動をやるフレームワークとしては機能するし、別に悪いことはない。でも長い目で見れば、観光は社会貢献活動ではなく商業活動として成立しなければ意味がない。

だから結局は「○○旅館の売り上げを増やす」というような具体的な成果を見据えていなければ、そういう活動はやりたがり屋の人たちの生きがいづくりの場になってしまう。具体的な成果が想定されていないなら、何かをやったことそれ自体が成果になるからだ。でもそれでは、その活動によって誰が喜ぶのだろうか? この活動を横目に見ている地域の宿泊施設は、実は収益の柱がスポーツ合宿で、観光客なんか全然期待していないのかもしれないのだ。せっかくの「観光振興」なのに、それで喜ぶ業界関係者があまりいなかったら、何のためにやっているのかよくわからない。

つまり何かの活動をする時は、「それによって誰が喜ぶのか」が明確でないといけないと私は思う。 別に、「自分が楽しいから」でも全然問題ない。私は実際、「珈琲を飲む会」は自分が楽しいからしている。また、目的が誰か特定の人を喜ばすことだったらそれももちろんいい。でもよくないのは、「地域の人を喜ばす」とか、「観光客を喜ばす」とか、そういう誰かもわからない人を喜ばそうとすることである。それが「地域活性化」という題目のよくないことだ。

こうなると、「地域活性化」は中身のない「大義」になる。そして「大義」は腐敗の温床であり、その活動に協力的でない人を非難するようになる。「こっちは地域活性化のために頑張ってるのに、あの人は全然協力しない」とか。 でもそれは本当にみんなが参加するべき活動なんだろうか? 実際はやりたい人だけがやればいい活動なのではないだろうか?

というより、「地域活性化」のために「みんなが参加するべき活動」なんてものがあるとすれば、それはもはや「地域活性化」でもなんでもない。参加したくもないものに参加させられるとすれば、地域の活力はなおさら失われるはずだからだ。ただでさえ自分の時間がないなかで、抽象的な「地域活性化」とやらにボランティアで参加しろといわれるなら、そんな地域には住んでいたくない。

だから「やりたい人がやればよい」という活動でない限り、「地域活性化」にはならないと私は思う。一方で、活動の中で、地域のみんなが顔を揃えて話し合いをするとか、そういうことは必要だろうし、自治会などの組織で取り組む場合は、なるだけ多くの人を巻き込む工夫も必須である。正直、全員参加が望ましい活動はある。でも「これに参加することは義務だ」となれば、人心が離れていくのも現実である。この種の活動は、このあたりのバランスがすごく難しい。

結局、「地域活性化」なるものが中身のない理念だからこういう難しい事態が生じるのだろう。だから私は「地域活性化」なんてやめた方がいいと思うのだ。それよりも、個人が、自分がやりたい活動を思い切りやる方が本当の地域活性化になるはずだ。自分の趣味にひたすら没頭するのでもいいし、「地域に花を植えたい」というような活動でもやりたい人でやったらいい。それで喜ぶのが、あくまで「自分」あるいは「自分の知っている人」であるならその活動は健全なものだ。

そして、本当の地域活性化とは、そうした「自分がやりたいこと」をやりやすいように、さまざまなことの心理的・社会的・経済的ハードルを下げることであると思う。私が笠沙美術館を借り切ってイベントをしたことで、「自分も笠沙美術館を借り切ってイベントしてみたい」と思う人が出てきたら、イベントの副次的効果として本当に嬉しい。美術館を借り切ることの心理的ハードルが下がったということだからだ。

「地域活性化」に取り組む人の悪い癖は、「みんな地域資源に気づいていない。地域の魅力を分かっていない。やる気がない」といったように、地域が衰退していくことを不特定多数の人の責任に転嫁しがちなことである。でも地域が衰退していくことは人口動態や経済構造で決まることで、「地域の魅力に無頓着な人」の責任は全くない。

というより、私は「地域の魅力」なんか住民に理解されていなくても、住民一人ひとりがめいめいにやりたいことをしている地域の方がよっぽどいいと思う。むしろ、「地域の魅力」などというものは分かっていない方がいいくらいで、「うちの地域はなんもなくてすいません」というくらいの気持ちでいる方が可愛げがある。

「地域活性化」などという「高尚な目的」よりも、個人の生活の幸せを追求する方が、ずっと大事なことである。

2015年6月15日月曜日

景色の中で本と出会うイベントをやったら楽しそう

こちらに越してきて3年と半年。ようやく本を読む余裕が出てきた。

いや、実を言うと相変わらず生活には余裕がない。本なんか読んでる暇があったらやるべきことが本当はたくさんある。が、そういう諸々の些事をうっちゃって本でも読んじゃおうか…、という精神的余裕(横着ともいう)が出てきた。いいことなのか悪いことなのか。

もちろんこの3年半の間も全く読書をしていなかったわけではないけれども、必要だから読む本とか、調べ物をするために読む本が多く、要は目的のある読書がほとんどだった。でも最近、何の役にも立たない本を読む気になってきた。例えば詩集とか。

それで、ただ自分がなんとなく本を読むだけでなくて、本にまつわる何か(イベント?)をできないかと考えるようになった。

都会では本をテーマにしたイベントが割とあって、読書会、ブクブク交換(物々交換のもじりで本の交換)、ビブリオバトル(本のオススメ合戦)といった草の根のイベントから、数年前の話にはなるが松岡正剛氏のブック・パーティ・スパイラル(本をテーマにした講演+社交会)みたいなハイソサイエティの取り組みまで様々なものがある。

でも、当たり前だが田舎にはそういうものがない。田舎の人は都会の人に比べて総じて本を読まないというのは多分本当で、予算が少ないにしても図書館の貧弱さは目を覆うばかりだし(もちろん自治体によります)、書店・古書店も本当に少ない。でも田舎の人が本を読まないというのは知的レベルの問題ではなくて、ただ「電車通勤」がないからだというのが私の仮説である。

当たり前のことだけど、田舎にも読書家はいるし、何かよい本があれば読みたいというくらいに思っている人はたくさんいる、と思う。そして、自分の世界を広げてくれるような本や体験を待っている人もそれなりにいる。少なくとも私自身はそう思っている。私はたいそうな読書家というわけではないし、愛書家でもないけれども、「本と出会う」のは好きである。そういうイベントをしたら自分も楽しいし喜ぶ人もいるかもしれない。

ただ、良書を探すというような単純な話になると、別に田舎とか都会とか関係ないし、インターネット上で探す方が効率がいい。ひょっとすると、Amazonのオススメ機能くらいで事足りるのかもしれない。

つまり、ただ「情報」を目的とするなら「田舎」でやる意味はない。それは都会でやっていることのミニチュア版をやるだけの取り組みになってしまいそうな気がする。

それに価値がないというわけではないだろうが、でもせっかく田舎で何かやるなら、都会ではできないようなことをした方がもっと楽しい。

例えば、本に関するイベントをするのでも、景色の素晴らしいところでやってみるとか。景色と本は全然関係ないでしょ、と思うのは早計だ。本というのはただ情報が詰め込まれた紙の束ではなくて、人格と同じように「本格」がある。その本とどこでどうやって(誰の紹介で!)出会ったのかというのは意外と(どころではなく超弩級に)重要だ。

そう考えると、昨年やった「笠沙美術館で珈琲を飲む会」のvol.2(今年も是非やりたい)のテーマとして「本」を取り上げたら面白いかもしれないと思いついた。実は去年のvol.1の時も、古書店に出張販売してもらう構想はあったのだ。だが、雨天の時の対応が大変なのと直前まで決まらなかったいろいろなことがあってできなかった。

今年はこの構想をもう少しちゃんと考えて、笠沙美術館で珈琲を飲みつつ景色と本を眺める会にしてみよう。日本のコーヒー文化では、「コーヒーと(JAZZと)古本」が分かちがたく結びついているので筋はいいはずである。ついでに、あとJAZZがあれば最高だ。

というわけで、何かボンヤリと企画のアイデアがあるが、でもやっぱりボンヤリとして茫洋としている段階である。もしグッドアイデア(やご希望)があればドシドシお寄せください(他力本願)。

2016年2月7日日曜日

寄り道と街の発展

イオンのショッピングモール
前回の記事で、「イケダパン跡地を有効利用したら?」ということを書いたら、思いの外賛同の声があったので、調子に乗ってまちづくりについてもうちょっと語ってみることにする。

さて、加世田には、南さつまの中心街として物足りないことが一つある。

それは、「歩いて楽しむ通り」がないことだ。都市には、いくら車がたくさん通行していてもそれで十分ではなく、「人通り」のある場所が必要だ。

歩道がいくらでもあるじゃん、と思うなかれ。言いたいのは、歩道があるとかないとかそういうことではなくて、なんとなく歩いても楽しく、いつも幾ばくかの人が歩いていて、できればステキな店へと通じているような、そんな通りがないということである。

…ところで、いきなり話が変わるようだが、東京から田舎に越してくるとみんな運動不足になる。東京では電車移動が中心で、駅から目的地まで歩くのは当然として、乗り換えでだって駅で結構な距離を歩かされるから日常生活で結構歩くのだ。通勤通学するだけで2キロや3キロ歩いている人はザラではないだろうか。

その上、街は歩いて回遊するように出来ているから、散歩すると楽しい。私も東京に暮らしていたとき随分散歩が好きだった。道すがらいろんなお店を見つけたり、史跡に出会ったりするのがとても楽しかった。今でも散歩は好きである。でも、やっぱり田舎だと車移動が中心になる。これはしょうがないことだとは思う。

でも街のどこかに「歩いて巡る場所」がなければ、その街は衰退していかざるをえないように感じている。歩くことと文化・経済の発展とは、意外に大きな関連があると思うからだ。

東京で街中を散歩すれば、楽しいがやっぱり疲れる。歩くのは結構な運動だ。そして疲れるから休みたくなる。だからカフェに入って休憩する。そこで見知らぬ人との出会いがあったり、立ち止まって物事を考えたりする。それが人生に新たな展開を生む。それが都市に生きることの醍醐味だと私は思う。歩く、買う、休む、そしてまた歩く、そのリズムが都会の通奏低音になっているような気がする。

車文化の田舎だとそういうことがない。目的地から目的地まで車で行けてしまう。ドアからドアまで歩かないから疲れない。疲れないから休まない。休まないから田舎にカフェは少なく、見知らぬ人々が交錯する場が少ないのかもしれない。

カフェがあるのかどうかと「文化・経済の発展」という大上段の話がどう繋がるのかピンと来ない人のために少し事例を出せば、フランスのサロン(これは正確にはカフェではなく会員制クラブみたいなものであるが)が科学・哲学・文学・音楽といったフランス近代文化を揺籃したことはよく知られているし、イギリスのコーヒーハウスはかつて経済人の交わりの中心的装置であって、世界の保険業界を牛耳るロイズ保険組合を生みだしたほどだ。ロイズは、カフェ店そのものが発展して保険組合にまでなっており、カフェ文化の申し子である。

カフェはただコーヒーや紅茶を飲んで一服入れる場所ではなく、文化や経済の発展に重要な役割を担っているのである。私も年に1回、笠沙美術館を借り切って「海の見える美術館で珈琲を飲む会」というカフェみたいな催しを開催しているが、これは私がコーヒーが大好きというだけでなく、コーヒーを共に楽しむことが誰か(もちろん私含む!)の人生に何か面白い展開をもたらすことを期待している部分もあるのだ。

話を戻すと、歩くことの効用はカフェの存在だけではない。

歩いてどこかへ行くことの最大の利点は、寄り道がしやすいということである(もちろんカフェも寄り道の一種だ)。車やバイクでも寄り道はできる。が、徒歩や自転車での寄り道とは比べるべくもない。寄り道もまた、文化や経済の発展に非常に重要な役割を担っている。特に、文化と寄り道の関係は切っても切れぬものである。

というより、文化そのものが寄り道や回り道みたいなものだ。例えば、茶席でお茶を喫する時、わざわざ茶碗を3度回して正面に向けて飲む。いやそれだけでなく、ただお茶を飲むだけのことに数え切れないくらいの作法と仕草が決められている。めんどくさい作法を決めずにただ飲む方がよほど無駄がないのに、 なぜ小うるさい作法や仕草によって遠回りするのか。

それは、ややこしくしたり、小難しくしたり、遠回りしたりすることこそが文化の本質で、目的に対して合理的なだけの直線的なやり方をするのはむしろ野蛮に近いからであろう。極端に言えば、目的地へ最短で到達するのは(文明的ではあっても)文化的ではなく、目的地へ着くまでに寄り道したり、敢えて遠回りしたりする方が遙かに文化的なのだ。

これは、学問なんかにも当てはまる。効率よく学ぶには公文式のようなやり方が合理的だが、興味関心の赴くままに寄り道しながら非効率的に学ぶ方が、結果的には深い洞察へと到達することが多い。人工知能が今よりずっと発展すれば、単なる学習ということでは人間はコンピュータに太刀打ちすることは出来なくなることは明白だが、それでも(たぶん)コンピュータに「寄り道」はできないということが、ギリギリのところで人間の優位性を確かにするような気がする。

目的地への最短経路を探すのはコンピュータでもできるが、寄り道するのは人間にしかできないのだ。それが、人間らしさの大事なところだと思う。

そういう、理念的な話だけでなく、寄り道には現実的な効用もある。それはスモールビジネスが発展するには、寄り道が必要だということだ。ショッピングセンターとドライブスルーにしか人が行かないような車移動の街では、どうしても新たな客商売の立ち上げというのは難しい。

そういう街では、大通りに面した広い駐車場の入りやすい店でないと成功はおぼつかないが、商売を始める時にいきなりそういう大型投資は難しい。やはり路地裏の5坪くらいの店から始めるのが、スモールビジネスのスタートとしては気が利いている。でも、車社会で寄り道のない街だと、そういう店は成り立っていかないのだ。だから、かなりの程度成功が確約された、無難なチェーン店ばかりの街になってしまう。

もちろんチェーン店が悪いというわけではない。でもそういう店ばかりで、地元の小さな手作りの店が参入していく余地のないような街は、結局街として消費者の地位に甘んじるしかない。都会でつくられたサービスを受け入れるだけの街に。逆に、新たな価値を生みだしていく街になるためには、そこから小さなビジネスが巣立っていく場所にならなければならないと私は思う。

そのために、街の中心部には「歩いて楽しむ通り」があるべきだ。

気軽に寄り道が出来るような「歩いて楽しむ通り」は、街の人々の小さな夢を育てていくゆりかごになる。裏通りのささやかな店が成り立っていく街であるためには、街の中心にそんな通りが絶対必要なのである。

そんな通りを南さつま市にもつくるとしたら、候補地は(前回書いたイケダパン跡地の他に)本町の商店街だろう(通称ゆめぴか通り)。

本町の商店街には既に歩きやすい歩道が設置されており、幸か不幸か空き店舗も多い。私は下水道の敷設には反対だが、この通りをより魅力的にするために再開発するというならば大賛成である。

そして私がこの通りに可能性を感じる最大のポイントは、通りが一直線ではなく微妙にカーブしていることで、実は「歩いて楽しむ通り」の(必須ではないが)かなり重要な要件は、カーブしていて見通しがよすぎないということなのだ。

ところで、歩くことをよく理解しているなと感じるのはイオンのショッピングモールだ。イオンのショッピングモールは、直線的でなくカーブを描いて専門店街が構成されており、非常に歩きやすい。実は徒歩移動は直線が苦手で、ずっと遠くまで見渡せる直線道路というものは歩いていると疲労感があり寄り道もしづらく、それどころが目的地すら「あんなに遠いなら今日はパス」となりがちである。

それが不思議なことに、微妙にカーブしていて目的地が見通せないと結構遠くまで苦もなく歩くことができ、さらに重要なことに、いろんなお店の店構えが自然と目に入ってきて寄り道(つまり衝動買い)を誘うということがある。

そして買い物は結構疲れるので、休憩しようとフードコードに入るとやっぱりここも微妙にカーブしてお店が配置されていて、非常に目移りしやすいようになっている。真四角のスペースに碁盤の目上にお店を配置するほうがよほど合理的であるが、実際にはやや不整形なスペースにやや不規則にお店がある方が人々は移動の苦を感じず、余計な購買を誘うようである。

衝動買い、無駄遣いはよくない、というのは一面のことに過ぎず、商売をやっている人からすればできるだけお客さんには衝動買いや無駄遣いをして欲しいわけだし、このイオンの戦略は(道義的に)悪いものではない。だいたい、必要なものを必要なだけ、最も合理的な方法で手に入れるというだけだったら、もうコンピュータが自動的に生活必需品を発注するような仕組みがそこまで来ているわけで、人間の購買はいらない。むしろ衝動買いや無駄遣いこそ人間らしい消費のあり方だとさえ言えるのである。

また、こういう人間心理を上手く衝いているのが「カルディコーヒーファーム」で、見通しが悪い店内に不整形な棚を配置し、ちょっとカオス気味に商品を陳列させて店内を探索する楽しみを与えているのが上手だと思う。商品はわかりやすく、探しやすくあるべき、というのがかつての小売りの常識だったと思うが、それの真逆を行っているわけだ。

「カルディ」は消費者が求めている商品を提供する店ではなく、消費者が今まで知らなかった(探していない)新しくて面白い商品をどんどん提案する店なのである。同様の手法をとった店として、「ヴィレッジ・ヴァンガード」や(ちょっと違うが)「ドン・キホーテ」を挙げることも出来るだろう。

他にも、東京にかつてあった「松丸本舗(丸善のインショップ)」なんかは、書店であるにもかかわらず、どこに何の本があるかがにわかには分からず、本同士の有機的な連環にそって本が配置されているという革命的な手法が面白かった。この本屋も、四角いスペースに四角い棚という普通の本屋ではなく、回廊的な不整形の棚の配置をしていた。そしてもちろん、この本屋も、「探していた本を見つける」ための場所ではなく(それならもはやAmazonで十分)、ここに来ていなかったら出会わなかったかもしれない一冊と出会うための場所として構想されたのである。

少し事例が煩瑣に過ぎたかもしれないが、クリック一つで欲しいものにアクセス出来る時代になっており、田舎においてもリアルの購買活動の比重は「予期せぬものとの出会い」に移って来つつあるのではないか。その際に求められるのは、碁盤の目上に整然と区画された合理的な空間設計ではなく、ゆるくカーブした道にやや不規則にものが配置されていくという(前時代的なものとされていた!)かつての商店街的な場所なのだ。カーブしているかしていないかなんて些末なことと感じるかもしれないが、土地の構造は人間の心理に意外なほど大きな影響を及ぼしている。

そういう意味で、本町の商店街にはリノベーションのチャンスがあると思っている。適度にカーブして見通しはよくないが閉鎖感はなく開放的な場所。商売のインフラとして、本町の商店街の地相には魅力がある。

地相と言えば、天文館が中央駅前の開発で随分さびれたと言われても、やはり歩いて楽しい街としては中央駅なんかより天文館の方が断然上で、そのことだけでも暫くは天文館は生まれ変わり続けるという確信が持てる。事実、最近天文館はかつてとは違った街としてまた盛り上がって来ているような気がする。

同じように、加世田の本町もこのあたりで生まれ変わってみてはどうだろうか。

※冒頭画像はイオン九州のサイトより拝借しました。

2014年5月15日木曜日

「大浦ふるさとくじら館」の指定管理者の公募にあたって期待すること

我が大浦町には、「大浦ふるさとくじら館」という物産館がある。

合併して南さつま市になる前の大浦町時代に町が建てて、設立当初から地域の農協が運営してきた。

もともとの名前は「大浦ふるさと館」だったが、敷地の隣に「くじらの眠る丘」という施設が出来たことで2014年4月(くらい)に「大浦ふるさとくじら館」に改名。お隣のくじらの建物のインパクトがすごいので、敢えて改名しなくても地元での呼称が「くじら館」になりつつあったが、実際はくじら(の骨?)を観光資源にしていきたい現市長の意向によるものらしい。

この改名でも何か場当たり的なものを感じるとおり、これまでこの施設は場当たり的なやり方に翻弄されてきたようだ。このあたり一帯は大浦町時代に観光の拠点として整備され、裏の小山やさらにその裏の磯まで遊歩道的なものやトイレ、展望台が作られているし、すぐ裏には市民農園もある。

ちなみに、裏の方は海を臨む眺望が素晴らしいことから某地元企業がホテルを建てる計画もあったそうだし、近くには民間企業がやっていた「ペガサス大浦」という遊興施設の廃墟もある(幾度となく名前と経営者が変わったそうだ…)。

素晴らしい眺望を持ちながら、この一帯が結局観光の拠点としてパッとしていない理由はなんだろうか。民間企業のやっていた施設のことは脇に措くとして、地方自治体がやった取り組みに関しては、せっかくの施設を活かしていく方策については後手に回っていたようなところがある。裏の方の遊歩道なんかは、かなり行きにくいし、その存在自体が知られていない。そこは草がボウボウになっているし、積極的にお知らせしたくないからなのかもしれない。

そしてこの一帯の大きな問題は、この物産館がある敷地の一部が県の所有であることで、具体的には駐車場とトイレが県の持ち物らしい。このせいで、不便な駐車場の改善がいつまでもなされないとか、トイレが物産館と独立していて物産館への動線が悪いとか、施設的な欠陥に手をつけられないでいる。

最近になって、「ふるさとくじら館」の運営にてこ入れしたい行政は、出荷者(農家等)の組織化をしようと動いているが、そもそもこの施設の最大の問題は「店長」のような立場の人がいなくて確固たる「経営」がないことである(!)。各地の物産館の成功例を見ても、その鍵は「行動力と企画力とセンスをもった強力なリーダーの存在」であることは明らかであるから、まず取り組まなければならないのは経営の強化で、出荷者の組織化はその次のステップになると思う。

この「ふるさとくじら館」は、これまでは地域の農協が特に公募等を経ずに指定管理者として指定され運営してきた。公募されていなかったのは、どうも町時代からの経緯によるものらしい。しかし、来期(2015年4月以降)の運営に関しては、公募を行う方向で準備されているという。農協の経営でいいこともあるのだろうが、いかんせん農協の事業規模からすると物産館の運営は小さな仕事になるので、惰性的になる面がある。指定管理者の公募は、経営を強化するいい機会だ。

近年、物産館というのは観光や地域興しの拠点として注目されている。実際、知らない土地に行けば物産館に行きたくなるものだ。コンビニやスーパーに並んでいるものはだいたい同じだから、何か地元っぽいものが買えるところといえば物産館だろう。であるから、物産館というのは、ただ新鮮な野菜が安く買えるところというだけでなくて、域外から来た人へとその土地ならではの価値を提供するべきである、と思う(新鮮野菜が安く買える(だけ)の物産館をけなしているのではありません)。

個人的な希望を述べれば、このあたりには観光案内所的なものがないが、南さつま海道八景の入り口であるこの物産館に観光案内所的な機能を持たすとかして、海道(国道226号線)のドライブをより堪能できる案内(風景だけでなく食事ができる場所の案内をするとか)をしたり、せめて笠沙恵比寿のチラシとか、周辺施設の紹介をすべきだと思う。

それはともかく、地元ならではの価値をどうにかこうにか提供して、この地域やこの物産館のファンになってもらわなくてはならない。そのためには、運営面を強化し、需要に応え日々改善していく努力と、大きな目標に向かって組織を動かしていく体制が必要だ。これは、単に我々出荷者(農家)の所得向上とかいうみみっちい目的のためではなくて、こんな辺鄙なところまで来てくれた人へのせめてものもてなしでもある。

こうしたことは日本全国の多くの物産館の課題であるから、農林水産省がそういう取り組みに補助金を用意している。例えば、『「農」のある暮らしづくり交付金』というのがあって、この交付金を使うと物産館の整備を補助率1/2以内で行える。しかしそうした補助事業の活用なども、「行動力と企画力とセンスをもった強力なリーダーの存在」が不可欠であるから、やはり必要なのは、一言でいうと能力のある経営者である。

この「ふるさとくじら館」の指定管理者の公募に期待するのは、そういう経営者が応募してくれることである。先日笠沙美術館の指定管理者公募の残念な記事を書いたが、この物産館の公募においては、運営者にとって有利な条件を整え、前向きな経営者が挑戦してくれることを期待したい。公募を行う際は、広くお知らせし「南さつま市の業者じゃないとだめ」みたいなケチを言わずに、本当に地元のためになる業者を選定してもらいたい。

2014年10月8日水曜日

人と人との新しいつながりを増やす、素朴なアイデア

以前、かなり否定的な紹介をした「百寿委員会」の続報である。

細かいことはともかく、今どんな検討をしているのかというと、WG毎にいくつかやることを決めて、それの具体的な計画を作っているところである。例えば、ラジオ体操をもっと広めようとか、人材バンクを作ろうとか(活躍の場を増やす)、マップづくりをしよう(交流のきっかけにする)といったことを検討している。

私の所属するWGは、健康づくりのための活動というよりは、その前段階となる、人と人とのつながりに関わる活動がメインターゲットである。

人と人とのつながりというと、交流の機会を設けることが必要となるが、既に自治会単位、校区単位で老人会的なサロンのようなものは行われているわけで、そういったものを活かしていこう、というのが基本的な方向性になる。

本委員会の性格を考えると、それは妥当な方向性だと思う。でも私は、自治会単位とか校区単位でない交流の方が自由で好きだし、それに趣味の集まりのような交流と同じくらい、経済活動の一環としての交流も重要だと思っている。つまり、ものを売ったり買ったりすることも交流の一種なのだから、「非営利的な交流」だけを考える必要もないと思う。

それで、私自身、今「笠沙美術館でコーヒーを飲む会」というイベントを計画していて我田引水ではあるのだが、「イベントの中身は問わないで、○○人以上の人が集まるようなイベントには一律5000円くらいの補助金を出すのはどうだろう?」と提案してみた。この提案は「それもいいかもね」程度で流れてしまったのだけど(そもそも役所の予算を審議する委員会ではないし)、改めて考えてみてグッドアイデアな気がするので備忘のために書き留めておく。

言い添えておくと、南さつま市には「市民活動応援事業」というものがあって、イベントの開催などに補助が出る。NPO等が使える30万円までの事業(補助率1/2)と、5人以上の団体が使える10万円(全額補助)の2種類のメニューがあり、それなりにいい事業だと思う。

でもこの「市民活動応援事業」は年度初めに申請しなくてはならないので、年度の途中で企画されたイベントには使えない。それに、小規模のイベントを行う場合にはちょっと敷居が高い。そこで、年度途中でもいつでも申請できる代わり補助金額は5000円で一律にしたメニューを作ってはどうかというわけだ。

「イベントの中身は問わないで」といっても、スーパーの特売がイベントに当たるかというとそれはないと思うし、営利的な交流がOKといってもやはり普段の販売と違う要素がないとだめだとは思う。でも逆に、普段の販売と違う要素さえあれば、お店で行うイベントだって対象にしてかまわない。経済活動が盛んになり、交流も盛んになれば一石二鳥だ。

ちなみに「コーヒーを飲む会」は今のところ収支はトントンか赤字の見込み(!)であるが、赤字ではイベントは続けられない。やはり僅かでも収益があってこそ継続性が見込めるわけで、そこに5000円でも補助があったらものすごく嬉しいというのが実感である。こういうことを言うと、随分小さな金額の話でしみったれてるなあと思うかもしれない。でもそういう草の根の小さな交流の機会がたくさん増えたら、新しい活動のきっかけも増えるし、新しい友人も増える。ひいては街の活性化に繋がる。5000円の補助を100件のイベントが受けてもたったの50万円。

街の予算を50万円使うだけで、人と人が出会う機会が100回も増えたら、ステキなことではないか? もちろん、こういう制度があったらそれを悪用(?)する人もいるだろう。不特定多数が来るのではない、内輪の集まり(何かの定例会とか)をそれらしく見せて申請したりする人もいるかもしれない。でもそういう事例がいくつか出てきたら、事後の監査をしっかりとして制度を改善していけばいいだけの話である。

「百寿委員会」ではこのアイデアはあえなくボツになったようだが、また機会あるときに役所の人に提案してみたい。

2013年4月23日火曜日

ビロウという奥深い植物

南薩に越してきてから、ビロウの木をよく見かけるので気になっていた。田中一村の「ビロウとアカショウビン」で有名な、あのビロウ(蒲葵)である。

ヤシ科の植物というのは大体が不思議な形をしているが、ビロウは細かく切り込まれた長い葉が垂れ下がっている様子が魁偉であり、見た目のインパクトが大きい。

笠沙美術館の前には沖秋目島という無人島が横たわっているが、これも別名枇榔島(ビロウ島)という。おそらくビロウが繁茂していたからそういう名前がついたのだろう。枇榔島という島は鹿児島では志布志や佐多にもあるし、宮崎にもある。ビロウ島という地名が各地にあることは、昔の人が、これの繁茂していることを捨てておけない特徴として見た証左に感じられる。

このビロウという植物、調べてみるとなかなか奥深い。

古代、ビロウは神聖視されたと考えられていて、現在でも沖縄では多くの御嶽(ウタキ)の神木となっているし、天皇即位に伴う神事である大嘗祭では、ビロウで葺いた屋根の仮屋(百子帳)が重要な役割を果たす。当然天皇の身近にはビロウは存在していなかったわけで、わざわざ南方からビロウの葉を取り寄せて大嘗祭に使ったのであるが、どうしてこの重要な神事でビロウを使わなくてはならなかったのか、非常に気になるところである。

また、このビロウは古代日本が誇る発明品である「扇」の起源であるとも考えられている。能、舞踊、落語など多くの日本芸能において扇が重要な役割を果たす淵源には、かつてビロウが神聖視された名残では、という説もある。

ところが、今の鹿児島ではこれを神聖視するような姿勢は感じられないし、魁偉な見た目は神聖というより不気味な感じで受け取られているように思う。ありふれていることもあり、特に大事にしなくてはならないものという意識もないだろう。しかし上述のように、少なくともかつては神聖で重要な植物であったのは間違いなく、昔の人がビロウにどのように接したのか、というのは興味深い問題だ。そして同時に、それがいつのまにか特別でない木に零落してしまったのはどうしてか、というのも気になるところである。

先日、「南薩の田舎暮らし」では新たな取り組みとして千日紅のアクセサリーの販売を開始したが、私としてはこのビロウの葉もアクセサリーなどに加工してもらいたいと思っている。とても南っぽさを感じるものであるし、かつては神聖なものであったわけで、もし作れたら言われも面白く、ユニークなものになるはずだ。

【参考文献】
『扇―性と古代信仰』1970年、吉野 裕子

2015年10月26日月曜日

南さつまの観光政策への放言

前回の記事にも書いたように、南さつま市観光協会のメンバーになった。というわけで、今のうちに南さつま市の観光政策について思うことを書いておきたい。

というのは、私自身観光業に携わっていなくても、観光協会のメンバーとしていろいろな活動に関与していけば、ブログで好き放題論評するというわけにもいかなくなりそうなので、まだ何も役目をいただいていないうちに、観光政策の問題点についてつれづれなるままに放言しておこうという次第である(関係者の皆さんは気分を悪くされると思うので読まないで下さい。すいません)。

まず第1に、インターネットでの情報発信がヘタすぎる。

例えば、本市の最大のウリだと私が思っている「南さつま海道八景」だが、市役所のWEBページには写真だけしか載っておらず、「海道」といいながら全く道について触れられていない。これだけだと、海道八景がどこにあるのかすら分からないという有様。

観光協会のWEBページには、若干の説明があるが、この説明がマウスオーバーで現れる(マウスが写真の上にあるときだけ説明が読める)といういただけない仕様になっている。HTMLをいじるのが面白いとついこういう仕掛けをやってしまうものだが、シンプルに写真とテキストが書いてあった方がよい。なぜなら、実際に観光に来る人が、このページを印刷する可能性があるからで、マウスオーバーテキストだとそれが印刷できない(その上リンク先があるかどうかわかりにくい)。しかも、なんと観光協会のWEBサイトにも「南さつま海道八景」がどこにあるのか、その説明が全くない! せめて国道226号線沿いだというだけでも説明しないと、このページだけでは観光に行きたい人に役立たない。

「南さつま海道八景」については、それなりにちゃんとしたパンフレットを作っているので、パンフレットをそのまま掲載するくらいはしたらよいと思う。

でももしかしたら、「南さつま海道八景」を「本市最大のウリ」だと思っているのは私だけなのかもしれない。「砂の祭典」こそ最大のウリでは? と思う人もいるだろう。しかし、市役所のWEBページを見ても、観光協会のWEBページを見ても「砂の祭典」が本市の一大イベントであるとは全然わからない。観光協会のWEBページなんか、公式ページへのリンクもなく(なぜ?)、随分あっさりした書きぶりになっている。数万人を動員する「砂の祭典」からしてこうだから、他は推して知るべしで、必要な情報、必要なリンク先が全く出てこないというのを強く感じる。

要するに、市役所も観光協会も、インターネットで「南さつま市へ観光に来たい人」に対して必要な情報をほとんど提供していない。何が書いてあるかというと「南さつま市にはこんな観光スポットがあるんですよ!」というアピールである。

しかもそのアピールもヘタクソで、アピールである以上、「押し」や「ウリ」といったものが明確に分からなくてはならないのに、それがなくてあらゆる情報が並列的に載っている。要するに、何かのついでがあれば観たらいいよ、という「田の神」のようなものと、南さつまに来たら是非観るべき、という「南さつま海道八景」のようなものがほぼ同列に並んでいる。これではアピールにならない。

観光というのは、「あれも行きたいこれも行きたい」といってどこかへ行くわけではなく、目的地は大抵一つである。例えば群馬県の水上温泉に行きたい、というときは、まず温泉を調べる。そして温泉だけだと子どもたちが楽しめないから他にないか、といってロープウェイなど近場のレジャー情報を調べ、さらに何か美味しいものが食べられないか、といってグルメ情報を調べる。この場合最も重要なのは「温泉」の情報で、それ以外は「温泉」に付随しているに過ぎない(温泉がなかったら調べなかった情報だということ)。だからアピールするなら、観光地の核となる情報を発信し、それ以外の観光情報はその下に付随する形にしているべきだ。要するに観光情報の階層化が必要なのだ。もっと簡単に言えば、「そのためだけに南さつま市に来る価値がある所」はどこかをしっかり見極めて、アピールはそこだけに注力したらよいと思う。

なお余談ながら、私の考えでは、それは「南さつま海道八景」「亀ヶ丘」「吹上浜(京田海岸)」の3つである。

しかし、実のところを言えば、こうした公の機関は、インターネットで観光スポットをアピールする必要は全然ない。なぜなら、こうしたサイトを訪問している以上、そのページを見ている人は既に何かのきっかけで「南さつま市に行きたいな〜」と思っているはずで、その人は、どの季節に訪問するのがよく、どこをどう巡ったら楽しいか、という具体的な情報を欲しているからである。

そもそも観光協会も市役所も、どこかにアピールポイントを置いた公報というのは苦手である。役所が作った「南さつま海道」のプロモーションビデオにも、金峰町の人から「金峰が入ってない」という意見があったそうだから、役所でこういうのを作るのは本当に難しいと思う。だからやりにくいアピールをやるよりも、既に南さつまに行きたいと思っている人に対して、そういう人が必要とする情報を愚直に出して行く方がよいと思う。

具体的には、観光マップをしっかり作るべきだ。観光協会のWEBサイトは、情報はいろいろあるのに肝心な観光マップがないのが最大の問題だと思う。市役所のWEBサイトも、一応観光マップと銘打っているものはあるが、全く使えないもので残念である。「ちゃんとパンフレットでは観光マップを用意しています。来て頂ければお渡しできます」と考えているとしたらそれは傲慢である。あるならばそれをインターネットに載せるくらいのことはするべきだ。

ついでに言うと、インターネットでの発信はぜひ英語でもすべきだと思う。英語で発信したって見る人はいないでしょ、と思うのは間違いで、日本の観光情報は外国の人にとって常に不足しているので需要はある。他の自治体がなかなか英語での発信ができていない中、南さつま市が英語発信に積極的に取り組めばすぐに頭一つ抜け出ることができるはずだ。

第2に、今あるものを大事にしよう・活用しようという考えが希薄で、イベント的な一過性の取組が多すぎる。

南さつま市は他の観光地に比べて、景観はかなり勝れていると思う。だがその肝心の景観を大事にしようという考えが希薄である。といっても、これは日本の観光地一般に言えることであって、実は南さつま市だけではない。歴史ある京都の街並みでも電柱の埋設が進んでいないし、品のない看板が多い。京都駅の駅舎は街並みとは異質なデザインだし、京都タワーは景観を乱していて本当にない方がいいと思う。京都の人は景観をどう考えているのだろうか。

 「南さつま海道八景」も、道脇の草がボウボウである、朽ちた看板がある(しかも内容が「海や川をきれいにしましょう」みたいなものだったりする。看板自身が景観を乱しているというのに)、人工物が邪魔している(ガードレールや電線や廃屋)、といったことで非常に惜しい状況である。

海道八景沿いだけでも、「老朽化した看板の撤去」「新たに設置する看板への規制」「道路清掃作業の頻繁化(国道なので市がやれる範囲で)」「景観を乱す人工物を目立たなくする(例えばガードレールを周囲の環境と調和したものに)」「景観の邪魔になる木の伐採」といった景観の向上への取組が必要だと思う。

他にも、例えば「笠沙美術館」は素晴らしい立地の美術館で、ここだけでも観光の目的地になりうる場所だと思うが、観光に全く役立っていない。私は個人的にここがすごく気に入っているので「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を今年も企画しているが、市役所も積極的に使ったらよい。しかしここも、建設以降ほとんど改修が行われていないので各所の扉がさび付いて開けなくなっており、施設を適正に使うことができない。

また、非常につまらないことと思うかもしれないが、公共施設のトイレを清潔に保ったり、現代的に改修したり、入りやすいようにするといったこともすごく大事である。田舎に越してきてつくづく思うことは、トイレに関しては鹿児島は東京に20年遅れているということである。

行く先のトイレにおむつ替えシートがあるかどうかというようなことが、子連れでどこか行くときにすごく重要だし、それ以前に利用したいと思うトイレであることが大事で、「できれば入りたくない」というようなトイレが存在していること自体が(実際に入らなくても)観光客にとっては負担である。

「南さつま海道八景」沿いだけでも、今一度公共トイレの施設設備や清掃体制をチェックすべきだ。例えばトイレが県の施設で管理できないという場合は、県から施設を譲渡・購入して市が管理できるようにし、ストレスなく使えるトイレに変えていったらよい。そして、インターネットやチラシでどこにどのようなトイレがあるかちゃんと発信したらよい。こういう地味なことをするのが本当の観光政策だと私は思う。

しゃかりきになってイベントを企画しなくても、こうした今ある施設や観光スポットをちゃんと維持管理・整備し、ポテンシャルを引き出すことが十分に魅力づくりになるのではないだろうか。

第3に、観光の拠点となる場所がよく分からない。

鹿児島の北の方に蒲生(かもう)という町があって、そこは「蒲生の大クス」という日本一大きなクスノキがあるのが最大のウリなのだが、大クスがある蒲生八幡神社の入り口に蒲生観光交流センターがある。ちょっとしたお土産品とか、観光パンフとかが置いてあって、そのもの自体はどうということはない所だが、こういう施設が最大の観光スポットに付随しているのはうまいと思う。

というのは、まだまだ日本ではインターネットの情報は現実の後追いであることが多く、紙のパンフレットなどの方が情報豊富で正確である。だからパンフレットを各所で配布することは重要なのだが、観光客は律儀に市役所に寄ったりしないし、それ以上に土日は市役所が閉まっている。だから観光協会での配布が重要になるが、南さつま市の観光協会は加世田の市街地にあって観光スポットとは縁がなく、観光ルートと離れている。というより、今の観光協会のオフィスは(リアルの)情報発信の拠点と位置づけられていないから、WEBサイトに開館日や開館時間すら書いていないので観光客には全く使えない。

南さつま市で唯一観光ルート上にあるそういう施設は、坊津の観光案内所だがここも有効に活用されているとは言えない。

私としては、「南さつま海道八景」のちょうど入り口に立地している物産館「大浦ふるさとくじら館」の一部を観光案内所と位置づけて、観光協会が間借りし、そこを情報発信の拠点にしたらよいと思う。物産館は年末・正月を除いてほぼ年中無休なので今の観光協会のように人が居ない日があるという問題も回避できる。そもそも「大浦ふるさとくじら館」は、合併前の大浦町時代に観光案内所的な意味合いもあって作ったものだと聞く。それがいつの間にか物産館だけの施設になっているので、もう一度原点に返るべきだ。これは第2に述べた「今あるものの活用」という話とも繋がる。

観光客というものは、意外と無計画に観光地へとやってくるものなので(私も観光に行くときは大概そうしている)、観光の拠点へと自然と足が延びるというのは大事である。南さつま市の場合、そういう場所がどこなのか私自身判然としないので、わかりやすい観光の拠点を作って、そこを中心としてリアルでの情報発信をしていくのがいいと思う。

第4に、観光の基盤となる歴史と文化に対し、ほとんど関心が払われていない。

多くの観光客は、美しい風景や気持ちの良い温泉、美味しい料理があれば満足すると思われているがそれは大きな間違いで、確かにそういうことは観光の中心ではあるがそれが全てではない。旅行というのは、ただ上質なサービスを受けるためだけに行くのではない。もの凄く美味しい料理を食べたいなら東京の一流レストランに行く方が間違いないし、圧倒的な絶景を観たいなら手つかずの自然が残る外国に行く方がいい。じゃあ、あまりお金をかけないで行く国内旅行が貧乏人のための次善のものかというと実はそうではない。

旅行というものは、自分の生きる土地と違う風土に触れて、暮らしやなりわいの多様性を体験するということも重要な目的だから、国内旅行だって十分に贅沢なのである。つまり風景や温泉や料理そのものも重要だが、それが自分とは異質な風土の元に営まれていることに一層の価値がある。

そして風土というのは、気候や地勢ももちろんだが、それ以上に独自の歴史と文化が重要な構成要素である。歴史とか文化とかは一部の好事家のためのもので、多くの観光客には無縁と考えるのは早計で、そうしたものを是非学びたいと言う人は少数派でも、旅先で聞く風変わりな(歴史の教科書に出てこない)歴史話は多くの人が耳を傾けて「へ〜」と頷くものだ。なぜならそれは「自分は今、違う文化圏に来ているんだ」と確認できることだからである。

そういう意味で、土地の神社仏閣は言うに及ばず、博物館や埋蔵文化財センターといった地味な施設も実は観光にすごく重要な意義を有している。それは直接観光客が訪れる所ではないかもしれないが、観光に深みを与え、ただの街歩きを歴史の重みを感じる散策に変える基盤を提供するものだからである。

南さつま市には、そういう施設として「歴史交流館 金峰」「坊津歴史資料センター 輝津館」「笠沙恵比寿(の展示室)」があるが、最も博物館として充実している「輝津館」ですらWEBサイトを持っていないのが残念だ。「輝津館」は学芸員も擁しているし、企画展も意欲的に開催しているので、その情報を実直に発信していけば南さつまの観光にもっと寄与すると思う。

さらに言えば、こうしたものの裾野を成す各地の「史談会」なんかも意外と重要で、観光ガイドの質は「史談会」を抜きにしては語れないと私は思う。これまでの行政は「史談会」を良くて文化活動、ひょっとすると年寄りの暇つぶしと見ていた節があるが、公益的な価値があるものとして取り上げ、史談会誌の発行を助成するなどの支援をしたらいい。

ともかく、今の南さつま市は「どんな歴史や文化を持っているのか?」という観光客の疑問に対してぴったりとした答えを持っていないように感じる。鑑真が上陸したとか、島津日新公の拠点であったとか、断片的なことしか語られていない。市制施行10周年でもあることだし、簡単でもよいから「南さつま市の歴史と文化」についてまとめたらよいと思う。

・・・というわけで、とりあえず4点述べたが、真面目に考えたらもっとたくさん出そうな気がする。でも最初に「関係者の方は読まないで下さい」と書いたように、私としては「この意見を採り上げろ」とは全然思っていない(というかブログの記事なんか現実的に影響力が全然ないので)。


でも間違えて関係者の方が読んでしまった場合、何かの参考になれば幸いである。

2014年11月25日火曜日

「海の見える美術館で珈琲を飲む会」みなさんありがとうございました!

11月23日、無事「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を盛会の裡に終了することができました!

当日は、午後は少し雲も出てきて夕日が見られなかったのが憾みではあるものの、割合に天気にも恵まれた。正確にカウントしていないが、多分120人くらいの来館者があったと思う。子どもも入れると140人くらいになるだろうか。

この場を借りて、来館した方、開催に当たってご協力いただいた方、告知にご協力いただいた方など関わりがあった全ての方にお礼を申し上げます。ありがとうございました!

また、会を通じてご縁をいただいた方もたくさんいて本当に嬉しかった。Twitterだけでの知り合いに実際に会えたり(しかも2人も!)、地元にいながらお互いに知らなかった人と知り合えたりもした。特に、地元の全く知らない若い女性3人組が来てくれたのは心に残った。地元の暮らしを楽しくしたいという思いがあってやっていることなので、地元の人が喜んでくれるのはとてもありがたい。

もちろん、鹿児島市内からわざわざ来てくれたお客さんはもっとありがたい。初めて笠沙の景観に触れた人もけっこういたのではないかと思うが、いかがだっただろうか? これを機に、南薩の素晴らしい景色のファンになってくれたら望外の喜びである。

それから、当日はカンパ制ということでカンパボックスを設置させてもらったが(なにしろ参加費200円だけだと少し赤字になるので)、たくさんのカンパをいただき、写真展を担当してくれた海来館さんにも少しだが経費を渡すことができた(でも海来館さんはだいぶ赤字になってしまったのではないかと心配)。カンパをいただいた皆さん、本当にありがとうございました!

でも次回(次回もやりますよ!)もカンパ制というわけにもいかないので、カンパをいただかなくてもペイするように工夫がいると思う。イベント事というのは赤字だと続けることが難しい。タダみたいな費用で参加できるという基本は踏襲しつつ、どこか別の点で収益を生むような形を考えたい(コーヒーを1杯500円にするとかはあまりやりたくない。そもそもコーヒー屋ではないので)。やっぱり特産品の販売なんだろうか? 参加された方の意見を聞きたいものである。

ところで、少し反省点もある。それは、わざわざ来てくれたお客さんに、ちゃんと応対ができなかったことである。遠方から来て下さった方も多いので、反省と言うより後悔が近い。本当にもうしわけありませんでした…。

それというのも、自分がひたすらコーヒーを淹れ続けなければならない、という事態に陥ったためである。見込みでは来場者数は70人となっていて、来館者との会話を楽しむことができるはずだった。だがその約2倍の来館者があったので、私にとっては本当にコーヒーを淹れるだけの日になってしまった。嬉しい誤算ではあるのだが…。

そのために、ほとんど写真を撮ることもできなかった! 特に午前中は天候がよく、海もべた凪で絶好の写真日和でもあったのに、風景写真はおろか会場の様子の写真すら一枚もないという有様…。お客さんが途切れた16時頃にようやく写真を撮ったが時既に遅しという感じであった。

こういうイベントをするときは、主催者はやることがなくてヒマ、というくらいでなくてはならないと思う。次回やるときは何らかの手はずを整えて、お客さんとゆっくり話ができるようにするのでよろしくお願いします。