2013年4月23日火曜日

ビロウという奥深い植物

南薩に越してきてから、ビロウの木をよく見かけるので気になっていた。田中一村の「ビロウとアカショウビン」で有名な、あのビロウ(蒲葵)である。

ヤシ科の植物というのは大体が不思議な形をしているが、ビロウは細かく切り込まれた長い葉が垂れ下がっている様子が魁偉であり、見た目のインパクトが大きい。

笠沙美術館の前には沖秋目島という無人島が横たわっているが、これも別名枇榔島(ビロウ島)という。おそらくビロウが繁茂していたからそういう名前がついたのだろう。枇榔島という島は鹿児島では志布志佐多にもあるし、宮崎にもある。ビロウ島という地名が各地にあることは、昔の人が、これの繁茂していることを捨てておけない特徴として見た証左に感じられる。

このビロウという植物、調べてみるとなかなか奥深い。

古代、ビロウは神聖視されたと考えられていて、現在でも沖縄では多くの御嶽(ウタキ)の神木となっているし、天皇即位に伴う神事である大嘗祭では、ビロウで葺いた屋根の仮屋(百子帳)が重要な役割を果たす。当然天皇の身近にはビロウは存在していなかったわけで、わざわざ南方からビロウの葉を取り寄せて大嘗祭に使ったのであるが、どうしてこの重要な神事でビロウを使わなくてはならなかったのか、非常に気になるところである。

また、このビロウは古代日本が誇る発明品である「扇」の起源であるとも考えられている。能、舞踊、落語など多くの日本芸能において扇が重要な役割を果たす淵源には、かつてビロウが神聖視された名残では、という説もある。

ところが、今の鹿児島ではこれを神聖視するような姿勢は感じられないし、魁偉な見た目は神聖というより不気味な感じで受け取られているように思う。ありふれていることもあり、特に大事にしなくてはならないものという意識もないだろう。しかし上述のように、少なくともかつては神聖で重要な植物であったのは間違いなく、昔の人がビロウにどのように接したのか、というのは興味深い問題だ。そして同時に、それがいつのまにか特別でない木に零落してしまったのはどうしてか、というのも気になるところである。

先日、「南薩の田舎暮らし」では新たな取り組みとして千日紅のアクセサリーの販売を開始したが、私としてはこのビロウの葉もアクセサリーなどに加工してもらいたいと思っている。とても南っぽさを感じるものであるし、かつては神聖なものであったわけで、もし作れたら言われも面白く、ユニークなものになるはずだ。

【参考文献】
扇―性と古代信仰』1970年、吉野 裕子

2 件のコメント:

  1. コバんゾイ(コバ草履)
    昔々(50数年前)の大木場んむいではコバ(枇榔)ん木は、屋敷周り等に植えられて、それは大事に育てられていたもんです。
    若芽を乾燥させてしごいた物を藁草履の鼻緒や足裏となる部分に巻いて、見栄えと丈夫さを兼ね備えさせたものだったのです。
    そう言った屋敷周りのコバん木も、いつか根こそぎ掘られて町へ運び出され、いつしか数少なくなってしまいました。

    隣イの直喜爺ちゃんあたりが、詳しくご存じかも知れません。
    折角のコバん木を、是非とももう少し踏み込んでなさってみて下さいね・・・。

    つよし

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    1. つよしさん

      とても参考になるコメント、ありがとうございます。ビロウはコバって言うんですね。大事に育てられていたというのは、草履や何かに使えるからということでしょうか。それとも、その他にも理由があったのですか?

      直喜お爺ちゃんにも聞いてみようと思います。コバん木の在りし日の姿をもう少し調べてみたいです!

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