鹿児島市名山町の「レトロフト museo」にて、このたびレトロフトの7周年記念として「AIに勝つ まじないと魔除け展」と題した展示会が開催される。
これに合わせていろいろなイベントが催されるが、特に初日には、『戦国時代の島津家と籤(くじ)』という講演会が予定されている。
【参考】7周年記念講演会『戦国時代の島津家と籤(くじ)』|レトロフト チトセ blog
http://retroft.com/5909
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記念講演会『戦国時代の島津家と籤(くじ)』
講師 尚古集成館 前館長 田村省三氏
日時 2019年4月14日(日)14時−15時
参加費 500円(要予約・先着30名様)
お申し込み コチラ←Clickに「講演会」と記入の上、お名前&連絡先を記入してお送りください。
会場 レトロフトチトセ1階 リゼット広場 鹿児島市名山町2−1 電話099-223-5066
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実はこの講演会の企画のきっかけが、有り難いことに私のこのブログ記事なのだという(!)
【参考】島津家と修験道——大浦の宇留島家
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2012/09/blog-post_26.html
その詳しい内容は上のブログ記事を読んでいただくとして、ごくかいつまんで言えばうちの近所にあった「宇留島家」という修験者の家系(の先祖)が島津家に使えたと言う話。島津家では修験者のひくクジを使って戦の戦略を決めるなど修験者を重用していたのだった。
展示会企画者であるレトロフトのオーナー夫妻は、この記事に検索でたどり着いて興味を持ったという。オーナー夫妻には日頃大変ご高配をいただいているが、それとは関係なく検索に引っかかって注目したということである。本当に有り難いことである。
オーナー夫妻は、私の話を聞きにわざわざ自宅まで来て下さった。ところが専門家でもなんでもない私である。当然ながらたいした話はできなかったが、ブログ記事や私の話を元にしてさらに考究を進め、専門家の田村省三氏にご講話いただくことになったそうだ。こういうフットワークの軽さというか、果敢に切り込んでいく姿勢は大いに見習わないといけない。
ところで展示会のテーマである「まじないと魔除け」というのは、非合理的なものの代表だろう。一言で言えば「迷信」として退けられる類のものである。戦国時代の島津氏も戦の戦略をクジで決めていたというが、生死がかかった戦略をクジで決めるなんて、現代の人からするとちょっと信じられない。例えば社運をかけた新製品の販売戦略をクジで決める社長がいたらどうだろうか?
しかし一方で、社会システムの中に卜占(ぼくせん=うらない)を組み入れなかった古代文明はない。中国では亀甲のひび割れに神意を伺い、ギリシアでは「デルフォイの神託」に代表される各地の神託がそれこそ戦争のやり方から土地の売買、結婚すべきかどうかといったことまで決めていたのである。古代日本でも男王が続いた戦乱の世を終わらせたのは、卑弥呼という巫女(ふじょ)による神権政治であった。
古代の人は迷信深かったから神託などというものを信じたのさ、と人はいうかもしれない。しかしこうも世界中の古代文明が、何らかの形で卜占の体系を備えていたとなると、卜占は文明の根幹にあるなにものかであると考えざるを得ない。人間は合理的であるだけでは文明を創り出せなかった。非合理的なものを「依り代」に使って、社会を「飛躍」させる必要があったのかもしれない。
しかし同時に、社会の中心にあった卜占の体系は、その多くが有害な副作用を持っていた。古代アステカ、マヤ、インカ文明では怖ろしいほど多くの人間が生け贄として神に捧げられた。中世のヨーロッパを支配したローマ・カトリック教会は人間を本質的に罪深いものと見なし、その罪深さを利用して社会を支配し発展を阻害した。さらには近代に至るまで、多くの無実の女性が魔女として火あぶりになった。こういう事例がいくらでも挙げられる以上、卜占とか神託をあまり持ち上げるわけにはいかない。
だが卜占が文明の根幹にあるなにものかなのだとしたら、我々はこれからの文明を作っていくにも、かつての卜占を代替する何かを見いださなくてはならないのだろう。私は、それがAI(人工知能)ではないことは確信できる。それは合理的なだけではたどり着けないところにある何かであると思う。ただ、これからの時代、それは自由な批判精神と共存できるものでなくてはならない。
…ちょっと話が逸れた。たぶんこの展示会はそんな大げさな問題設定をしているわけではないだろう。しかし「まじないと魔除け」も、かつて人類が文明を生みだすのに与った「依り代」としての力があると思う。非合理と切り捨てるのもいいが、「依り代」から何を生みだすかは、それを使う人の技倆にかかっているのである。
【情報】
レトロフト7周年記念「AIに勝つ まじないと魔除け展」
会期 2019.04.14(日)〜2019.04.21(日)
時間 11:00〜18:00
会場 レトロフトMuseo 月曜定休 最終日21:00まで
料金 入場無料
HP http://retroft.com
主催者 レトロフトMuseo
お問合せ 099 223 5066 info@retroftmuseo.com
2019年4月6日土曜日
2017年11月25日土曜日
「罪深き愉しみ」
高校生の頃、NHK-BSで「BSマンガ夜話」という番組があった。
一つのマンガ作品についてとにかく語り明かす! という趣向の番組で、特に筋らしい筋もなく、居並ぶ男たち(稀に女性もいた記憶があります)が熱く語りまくっていた。
「このコマがいいよね〜」という発言が出れば、「そうそう、そしてこっちも」と付箋だらけになったマンガを繰り開いてどんどん話が展開される。そして 「この連載当時、この作家は〜〜で」という裏話に行くと、当時の社会情勢や編集者との関係なども解説されるという調子で、作品についてあらゆる角度から切り込んでいくのだ。これで「オタクに自由にしゃべらせるとどうなるか」ということの一端を見た思いがした。
レギュラーで出ていたのは、司会の大月隆寛、いしかわじゅん、岡田斗司夫、夏目房之介。このいい年こいたオヤジたちが、ちょっと異常なくらい楽しそうにマンガについて語っていて、私は「マンガってこんなに深い楽しみ方が出来たのか!」とすごく影響を受けた。
あの番組を見て、マンガを読みたくならない人はいなかったと思う。まあ、もともとマンガ好きでないと見ない番組でしょ、という指摘は置いといて…。
さて、私はこの12月に再び「石蔵古本市」を開催するが、そこで特別企画としてブックトーク「罪深き愉しみ」というなにやら妖しげなイベントをやる予定である。
【参考】↓昨年の「石蔵古本市」の案内記事
「石蔵古本市」でぜひ「入り口の本」を。
この「罪深き愉しみ」という、ただならぬ名前のイベントを構想するにあたって頭の中にあったのが、この「BSマンガ夜話」だった。
鹿児島は、あまり本に縁がない土地である。その中でも南薩は、もっと本に縁がない地域であり、南さつまの人は全国平均と比べたった3分の1くらいしか本を買っていないという推計がある。以前も書いたように、この秋に加世田の古本屋は閉店したし、本屋の縮小傾向が続いている。このままでは、街から本屋が消えてしまうかもしれない。
それを避けるためには、より多くの人に本を買ってもらうしかない。そのためには、読書の愉しみに目覚めてもらうしかない!
でもどうやって読書の楽しさを伝えればいいというのか。私自身が、「読書楽しい!」というタイプでないことはこのブログの読者はよくご存じだと思う。「本なんか読んですいません」という後ろめたさを感じながら読書しているわけで、とてもじゃないが「読書の楽しさ」など伝導できない。
そういう逡巡の中にあって、ふとあの「BSマンガ夜話」のことが頭に浮かんだのである。オタクが楽しそうに語り尽くす! それだけで、十分ものごとの楽しさは伝わるという見本があの番組だった。
だから、鹿児島の「本のオタク」たちを集めて、とにかく自分が好きなものについて語ってもらったらいいんじゃないだろうか? しかも、「だからみなさん読書しましょうね」という推奨のスタンスよりも、「このディープな世界に足を踏み入れるのは危険だから注意してね」という訓戒のスタンスで臨む方が、ずっと面白いのではないか。
だいたい、私自身が読書は「罪深き愉しみ」だと思っている。つい数日前も、4歳の娘に「本ばっかり読んでないで仕事しろー!」と怒られたばかりだ(下の娘の前ではあまり本を読んでいないはずなのに!)。でも「やるべきこと」でないからこそ、つい手を伸ばしてしまうのもまた人間である。
こうして、ブックトーク「罪深き愉しみ」という企画を考えた。読書を推奨するイベントは数多あれど、ここまでひねくれたイベントも全国有数だと思う。ブックトークというのはテーマに沿ってオススメ本を紹介するイベントで、このテーマも王道なものの他に、ちょっとひねくれたものを考えているところである。
集まるのは、鹿児島を代表する若手の読書家6人。私は年にせいぜい40冊くらいしか本を読まないが、ここに集まるのはその何倍も読んでいる(はずの)人たちばかりである。何倍も罪深い人たちだ(笑)
当日、私はコーディネータということで、要は聞き役を務める。私自身、直接の面識がない人の方が多く、どんな話が聞けるのか本当に楽しみである。
そんなわけで、12月の初旬、ぜひ南さつま市の万世で行われる「石蔵古本市」、そしてブックトーク「罪深き愉しみ」に来て欲しい。きっとあなたも、罪深い世界へ入っていきたくなると思う。
【情報】石蔵古本市 vol.2
日程:12月8日(金)-11日(月)(営業時間は日ごとに違います)
場所 :南さつま市加世田万世 丁子屋石蔵
参加古書店:あづさ書店 西駅店、泡沫(うたかた)、古書リゼット、つばめ文庫
主催:南薩の田舎暮らし
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。
【情報】ブックトーク「罪深き愉しみ」
日時:12月9日(土)18:30〜20:30
場所:南さつま市加世田万世 丁子屋第2石蔵(本店裏)
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。←古本市とは別です。
一つのマンガ作品についてとにかく語り明かす! という趣向の番組で、特に筋らしい筋もなく、居並ぶ男たち(稀に女性もいた記憶があります)が熱く語りまくっていた。
「このコマがいいよね〜」という発言が出れば、「そうそう、そしてこっちも」と付箋だらけになったマンガを繰り開いてどんどん話が展開される。そして 「この連載当時、この作家は〜〜で」という裏話に行くと、当時の社会情勢や編集者との関係なども解説されるという調子で、作品についてあらゆる角度から切り込んでいくのだ。これで「オタクに自由にしゃべらせるとどうなるか」ということの一端を見た思いがした。
レギュラーで出ていたのは、司会の大月隆寛、いしかわじゅん、岡田斗司夫、夏目房之介。このいい年こいたオヤジたちが、ちょっと異常なくらい楽しそうにマンガについて語っていて、私は「マンガってこんなに深い楽しみ方が出来たのか!」とすごく影響を受けた。
あの番組を見て、マンガを読みたくならない人はいなかったと思う。まあ、もともとマンガ好きでないと見ない番組でしょ、という指摘は置いといて…。
さて、私はこの12月に再び「石蔵古本市」を開催するが、そこで特別企画としてブックトーク「罪深き愉しみ」というなにやら妖しげなイベントをやる予定である。
【参考】↓昨年の「石蔵古本市」の案内記事
「石蔵古本市」でぜひ「入り口の本」を。
この「罪深き愉しみ」という、ただならぬ名前のイベントを構想するにあたって頭の中にあったのが、この「BSマンガ夜話」だった。
鹿児島は、あまり本に縁がない土地である。その中でも南薩は、もっと本に縁がない地域であり、南さつまの人は全国平均と比べたった3分の1くらいしか本を買っていないという推計がある。以前も書いたように、この秋に加世田の古本屋は閉店したし、本屋の縮小傾向が続いている。このままでは、街から本屋が消えてしまうかもしれない。
それを避けるためには、より多くの人に本を買ってもらうしかない。そのためには、読書の愉しみに目覚めてもらうしかない!
でもどうやって読書の楽しさを伝えればいいというのか。私自身が、「読書楽しい!」というタイプでないことはこのブログの読者はよくご存じだと思う。「本なんか読んですいません」という後ろめたさを感じながら読書しているわけで、とてもじゃないが「読書の楽しさ」など伝導できない。
そういう逡巡の中にあって、ふとあの「BSマンガ夜話」のことが頭に浮かんだのである。オタクが楽しそうに語り尽くす! それだけで、十分ものごとの楽しさは伝わるという見本があの番組だった。
だから、鹿児島の「本のオタク」たちを集めて、とにかく自分が好きなものについて語ってもらったらいいんじゃないだろうか? しかも、「だからみなさん読書しましょうね」という推奨のスタンスよりも、「このディープな世界に足を踏み入れるのは危険だから注意してね」という訓戒のスタンスで臨む方が、ずっと面白いのではないか。
だいたい、私自身が読書は「罪深き愉しみ」だと思っている。つい数日前も、4歳の娘に「本ばっかり読んでないで仕事しろー!」と怒られたばかりだ(下の娘の前ではあまり本を読んでいないはずなのに!)。でも「やるべきこと」でないからこそ、つい手を伸ばしてしまうのもまた人間である。
こうして、ブックトーク「罪深き愉しみ」という企画を考えた。読書を推奨するイベントは数多あれど、ここまでひねくれたイベントも全国有数だと思う。ブックトークというのはテーマに沿ってオススメ本を紹介するイベントで、このテーマも王道なものの他に、ちょっとひねくれたものを考えているところである。
集まるのは、鹿児島を代表する若手の読書家6人。私は年にせいぜい40冊くらいしか本を読まないが、ここに集まるのはその何倍も読んでいる(はずの)人たちばかりである。何倍も罪深い人たちだ(笑)
当日、私はコーディネータということで、要は聞き役を務める。私自身、直接の面識がない人の方が多く、どんな話が聞けるのか本当に楽しみである。
そんなわけで、12月の初旬、ぜひ南さつま市の万世で行われる「石蔵古本市」、そしてブックトーク「罪深き愉しみ」に来て欲しい。きっとあなたも、罪深い世界へ入っていきたくなると思う。
【情報】石蔵古本市 vol.2
日程:12月8日(金)-11日(月)(営業時間は日ごとに違います)
場所 :南さつま市加世田万世 丁子屋石蔵
参加古書店:あづさ書店 西駅店、泡沫(うたかた)、古書リゼット、つばめ文庫
主催:南薩の田舎暮らし
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。
【情報】ブックトーク「罪深き愉しみ」
日時:12月9日(土)18:30〜20:30
場所:南さつま市加世田万世 丁子屋第2石蔵(本店裏)
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。←古本市とは別です。
2017年5月10日水曜日
「カゴシマニアックス流の南さつま巡り」
鹿児島の皆さんは、「KagoshimaniaX(カゴシマニアックス)」をご存じだろうか?(画像はイメージキャラクター)
「鹿児島をアツくユルく紹介するWEBメディア」、まあ平たく言えば、気軽なノリの地元情報ブログである。
実は、このカゴシマニアックスが、密かに「砂の祭典」とコラボしていたのでここにお知らせしたい(後日、砂の祭典公式HPにも出てくると思います)。
せっかく「砂の祭典」に遠方から来てもらっても、祭典会場を見るだけでとんぼ返りしてしまっては地元民としては少し寂しい。せっかくだからついでにどこかに寄ってもらうとか、別にお金を使わなくてもいいからドライブだけでもして帰ってもらいたいと思う。そもそも、「砂の祭典」はそういう地域への波及効果を目的としてやっているイベントだ。
だから、「砂の祭典」の公式ホームページで南さつまのオススメスポットなんかを紹介していってもよかったのだが、それだとどうも面白味がない。「南さつま海道八景」なんか確かに素晴らしいけれども、そういう定番スポットをいつも通り宣伝するのではなくて、若い人に向けて違った案内ができないか?
そういうことから、鹿児島のナウなヤングに絶大な支持を誇るカゴシマニアックスとコラボして、「カゴシマニアックス流の南さつま巡り」をやってもらおうと思ったのである。
勘違いして欲しくないのは、コラボと言っても、「ここを紹介してくださいね」というような、いわゆる提灯記事は一本もないということだ。カゴシマニアックスの管理人・僕氏こと中園さんの案内は私が買って出たが、私がオススメするスポットをゴリ押ししたわけでもない。それどころか天気にも嫌われて、案内したいところに全然案内できなかった…。基本的には、その場のノリと先方の希望に沿ってユルく案内したわけである。
それでできた記事がこちら!
そして、 一応の趣旨は「地域への波及効果」なのにも関わらず、「砂の祭典」のついでには誰も行かなそうな「内山田七不思議」を巡ったのも、よかった。ヤラセっぽくなくていい。というより、ヤラセは一切なしである。ちなみに、この「七不思議」の取材は体力も時間も使って一番大変だったと思う…。
また、カゴシマニアックスのFacebookページでは、過去記事の中から南さつま関係のものを改めてピックアップしてくださった(「万世ストア」の鳥刺しは必見)。
「砂の祭典」のメインイベント期間はGW中だが、5月中は「セカンドステージ」として入場料が半額で入れる。花火や飲食ブースはないが、砂像の鑑賞という意味ではこっちの方がゆっくり見られるし、土日にはいろんな催しもある。ただ、一日ずっと「砂の祭典」の会場で遊ぶというわけにもいかないので(会場内に飲食があまりない)、ぜひカゴシマニアックスの記事を参考に、南さつま周遊の小旅行を楽しんでいただきたい。
※ちなみに、5月27-28日に行われる「HANAVILLA MARKET-ハナビラ マーケット-」には「南薩の田舎暮らし」も出店します。同日はビーチステージという音楽イベントもありますよ!
【参考】セカンドステージ イベント情報(砂の祭典公式ホームページ)
「砂の祭典」とのコラボ記事に限らず、カゴシマニアックスの発信を見ていて思うのは、「街は自分なりに楽しんだらいい」ということだ。もちろん観光パンフ片手に巡るのでもいい。路地裏ばかりうろついてみるのもいい。史跡を訪ねる、グルメを楽しむ、ドライブする、なんでも楽しければいいのである。
「南さつまに来たらぜひここに行ったらいいよ!」という場所も地元民的にはある。例えば大浦の「亀ヶ丘」。「亀ヶ丘」に来てもらったら地元民的には嬉しい。でも来てくれた人が、南さつまの魅力を自分なりに発見してくれたらもっと嬉しい。カゴシマニアックスとのコラボは、そのための一つのケーススタディかもしれない。
「鹿児島をアツくユルく紹介するWEBメディア」、まあ平たく言えば、気軽なノリの地元情報ブログである。
実は、このカゴシマニアックスが、密かに「砂の祭典」とコラボしていたのでここにお知らせしたい(後日、砂の祭典公式HPにも出てくると思います)。
せっかく「砂の祭典」に遠方から来てもらっても、祭典会場を見るだけでとんぼ返りしてしまっては地元民としては少し寂しい。せっかくだからついでにどこかに寄ってもらうとか、別にお金を使わなくてもいいからドライブだけでもして帰ってもらいたいと思う。そもそも、「砂の祭典」はそういう地域への波及効果を目的としてやっているイベントだ。
だから、「砂の祭典」の公式ホームページで南さつまのオススメスポットなんかを紹介していってもよかったのだが、それだとどうも面白味がない。「南さつま海道八景」なんか確かに素晴らしいけれども、そういう定番スポットをいつも通り宣伝するのではなくて、若い人に向けて違った案内ができないか?
そういうことから、鹿児島のナウなヤングに絶大な支持を誇るカゴシマニアックスとコラボして、「カゴシマニアックス流の南さつま巡り」をやってもらおうと思ったのである。
勘違いして欲しくないのは、コラボと言っても、「ここを紹介してくださいね」というような、いわゆる提灯記事は一本もないということだ。カゴシマニアックスの管理人・僕氏こと中園さんの案内は私が買って出たが、私がオススメするスポットをゴリ押ししたわけでもない。それどころか天気にも嫌われて、案内したいところに全然案内できなかった…。基本的には、その場のノリと先方の希望に沿ってユルく案内したわけである。
それでできた記事がこちら!
南さつま市加世田の幻のパン「田中ベーカリー」を知っているかこの中で一番感心したのは最初の「田中ベーカリー」の記事。私の知ってる範囲では反響も一番大きかった。加世田育ちの人には、なんとも懐かしく、いろんな思い出を引き出すキーになるようなパンが「田中ベーカリー」だと思うが、別に私から何も言ってないのにそれを最初に書いたのにはビックリした。中園さん、ぼーっとしているように見えて(笑)そういう嗅覚が鋭い。実は、私も「田中ベーカリー」についてはブログで紹介しようと思っていたので先を越された「しまった!」感もある。
世界の大迫勇也が愛する味!南さつま市の「萬来ラーメン」
京うどんの名店、南さつま市「彌蔵」で伝説のマンガに出会ったハナシ。
南さつま市「くじらの眠る丘」で伝統の味「こめ飴」に出会った。
南さつま市に伝わる「内山田七不思議」に挑戦してきた結果・・・!
フリーダムな南さつま市の物産販売所「にいななまる」には家づくりに重要なアレが売ってた。
南さつま市加世田のオシャレカフェ「伊太利亜」でパニーニとカツカレーを食べたハナシ。
※加世田の和洋菓子屋「清月堂」の記事もあったはずだかなぜか見つけられず。
そして、 一応の趣旨は「地域への波及効果」なのにも関わらず、「砂の祭典」のついでには誰も行かなそうな「内山田七不思議」を巡ったのも、よかった。ヤラセっぽくなくていい。というより、ヤラセは一切なしである。ちなみに、この「七不思議」の取材は体力も時間も使って一番大変だったと思う…。
また、カゴシマニアックスのFacebookページでは、過去記事の中から南さつま関係のものを改めてピックアップしてくださった(「万世ストア」の鳥刺しは必見)。
南さつま市加世田「万世ストア」の鳥刺しは他とはちょと違う激ウマ。加世田までそれだけの目的で走っていいレベル。さらに、もちろん実際に会場にも行って、現場レポもしてくださった!
南さつま市の阿久根商店のうどんそば自販機でちょっとマニアックなうどんそばが食えるよ。
南さつま市加世田のPico、からあげが有名なんだけど・・・アレが棒状になってた。
砂像!おしゃれカフェ!花火!「吹上浜砂の祭典」はインスタグラマーのパラダイスだ!
「砂の祭典」のメインイベント期間はGW中だが、5月中は「セカンドステージ」として入場料が半額で入れる。花火や飲食ブースはないが、砂像の鑑賞という意味ではこっちの方がゆっくり見られるし、土日にはいろんな催しもある。ただ、一日ずっと「砂の祭典」の会場で遊ぶというわけにもいかないので(会場内に飲食があまりない)、ぜひカゴシマニアックスの記事を参考に、南さつま周遊の小旅行を楽しんでいただきたい。
※ちなみに、5月27-28日に行われる「HANAVILLA MARKET-ハナビラ マーケット-」には「南薩の田舎暮らし」も出店します。同日はビーチステージという音楽イベントもありますよ!
【参考】セカンドステージ イベント情報(砂の祭典公式ホームページ)
「砂の祭典」とのコラボ記事に限らず、カゴシマニアックスの発信を見ていて思うのは、「街は自分なりに楽しんだらいい」ということだ。もちろん観光パンフ片手に巡るのでもいい。路地裏ばかりうろついてみるのもいい。史跡を訪ねる、グルメを楽しむ、ドライブする、なんでも楽しければいいのである。
「南さつまに来たらぜひここに行ったらいいよ!」という場所も地元民的にはある。例えば大浦の「亀ヶ丘」。「亀ヶ丘」に来てもらったら地元民的には嬉しい。でも来てくれた人が、南さつまの魅力を自分なりに発見してくれたらもっと嬉しい。カゴシマニアックスとのコラボは、そのための一つのケーススタディかもしれない。
2017年5月4日木曜日
「砂の祭典」の根幹
「2017吹上浜 砂の祭典」が始まった。
会場に林立する素晴らしい砂像の数々。特に海外からの招待作家さんの砂像は精巧で芸術性も高く、祭典終了後に壊すのが惜しいほどだ。
「砂の祭典」はこの砂像が主役なのは間違いない。それだけでも十分楽しめる。
…そうではあるが、せっかくこのイベントに来るのなら、ちょっと足を伸ばして吹上浜の汀(みぎわ)まで行ってみてほしい。会場から県立吹上浜海浜公園に移動して、公園入り口から徒歩10分くらいで海岸まで行ける。
そこには見渡す限り砂浜が続いていて、海の彼方からは波濤の音が響いている。
「砂の祭典」は、元々、この「吹上浜」を活かそうというイベントだった。30年前、アメリカのサンディエゴで勃興しつつあったサンドアートの噂を聞いて、吹上浜の砂をアメリカに送って見てもらい、「きめが細かくサンドアートに適している」と太鼓判をもらったことからこのイベントが始まった。
始まりは、吹上浜の砂だった。
実際、吹上浜まで行って砂に触れてみると分かる。非常にきめが細かくて、パウダースノーのような美しい砂である。この前子どもたちを連れて行ったら、「アナと雪の女王」ごっこをし始めたくらいだ。この砂を、さらさらと手で弄んでいるだけで心が落ちつく。
手で砂をすくい、指の隙間から、砂時計のように砂がこぼれ落ちるのを感じてみる。全て落ちきって、手をはたくと、汚れも何もない。非常に清浄な、気持ちのよい砂である。
では、なぜここに素晴らしい砂があるのだろう。しかも日本三大砂丘の一つとされるほど、長大で、しかも幅が広い砂浜が広がっているのだろうか。
ポイントは2つあると思う。一つは、鹿児島のシラスの土壌である。脆い細粒の土壌が鹿児島を厚く覆っていて、これは浸食も受けやすいことから雨でどんどん川に流れていく。これが砂丘の原料供給を担っている。
もう一つは、吹上浜にそそぐ万之瀬川(やその他のいくつかの川)である。シラスを浸食してきた川は、大量のシラスの土砂を海に放出する。しかし吹上浜の海岸線は、海流的にそうなのか、地形的にそうなのかはわからないが、どんどん土砂を放出するというよりは、割合にこの土砂が溜まっていきやすいようである。だから、吹上浜のような長大な砂丘ができたのであろう。
つまり、「砂の祭典」の元を辿っていくと、鹿児島の人が昔から苦労し続けているシラス土壌に行き着く。この脆い土壌のお陰で、鹿児島は崖崩れなどの風水害が多いし、シラス台地は農業生産性が低く、長く貧乏な農業に甘んじるしかなかった。
「砂の祭典」の中で、そんな地質の話まで遡るのはちょっとハードルが高いのかもしれない。でも人間の文化を育む風土というものは、地質や気候、そこにある自然が作ってきたものだから、せっかくイベントをするのなら、そういう掘り下げもしていったらいいと思う。
そういう考えで、私は「砂の祭典」の広報部員として、今回「吹上浜と砂文化」という7本の記事を公式ホームページに書いた。
1.吹上浜の松林をつくった宮内一族
2.サンディーくんのモデル! 吹上浜のウミガメ
3.国の天然記念物、ハマボウの群落
4.世界で約3000羽しかいない野鳥クロツラヘラサギがやってくる
5.特産「砂丘らっきょう」
6.話題の野菜「長命草」が沿岸に自生
7.吹上浜には多くのクジラやイルカが来遊
こういう記事、書いている自分がいうのもなんだが、集客には全く役に立たないと思う。広報部員としては、もっと集客に繋がる派手な仕事をした方がよっぽど生産的かもしれない。
でも、ただ賑やかなイベントをしていますよ、というだけではなくて、その背景にどんな自然や歴史があるのか、そうした風土とどう人は付き合ってきたのか、ということがないと、はやりイベント事というのは空疎になる。だって、人を集めたいだけなら人気の芸能人を呼んでくる方がよっぽど効果がある。だがそれが中心になってしまうと、なぜ吹上浜でするのか? という根幹が揺らぐ。
こういう記事を読んで勉強したら、イベントが一層楽しくなる、とは言わない。実際あんまりイベント内容と関係ない。でもイベントの主催者側として、やっぱり「砂の祭典」のルーツは吹上浜で、「我々は吹上浜を大切に思っています」という姿勢が見えなかったら、根幹があやふやなな感じがするのである。
「砂の祭典、何のためにやってるの?」という人は多い。イベントとしては赤字だし、波及効果はあると思うもののはっきりとはわからない。関係者は、GWは働きづめになって(しかもボランティアも多い)、疲弊してしまう。
もちろん地域の活性化に一役買っていることは確かだ。熱意ある人も多い。決して無意味なイベントではない。でもやはり、地域活性化というボンヤリとした目的しか見えないところがある。
だから、私としては、「吹上浜の環境保全」を「砂の祭典」の目的(の一つ)に位置づけたらいいと思う。
例えば、広大な松林は、実はマツクイムシやシロアリの被害で枯れたり植樹したりを繰り返している。だから、「砂の祭典」の時に植樹活動なんかできないか。また、「砂の祭典」の時期はちょうど、ウミガメの産卵シーズンにもあたっている。現在は、ウミガメのモニタリングすら十分ではない。ウミガメが産卵しやすい砂浜を維持するための活動(ゴミ拾いとか)も取り入れられる。万之瀬川河口付近の干潟の環境ももっと改善して、野鳥観察会を祭典に組み合わせられないか。ここが九州でも有数の野鳥スポットになったら面白い。ホエールウォッチングだって組み合わせられるかもしれない。「砂の祭典」が、吹上浜の自然のモニタリングと展示機能を備えたら面白い。
こういうアイデアは、やっぱり地味で、集客力はないに決まっている。あるいは、費用対効果が悪すぎる。でもそういう芯のある活動は、どこに出しても恥ずかしくないもので、市民が誇れるものだ。「砂の祭典」のような街ぐるみでやっているイベントは、市民全員が誇れるイベントにならなければならない。
そのためには、「砂の祭典」が立脚しているものがなんなのか、我々は何に価値を感じ、何を次世代に伝えていきたいのか、そういうことを見直さなければならないと思う。
私の書いた7本の記事は、そこまでのスコープは持っていないが、そういう見直しに少しでも役立てば幸いである。
会場に林立する素晴らしい砂像の数々。特に海外からの招待作家さんの砂像は精巧で芸術性も高く、祭典終了後に壊すのが惜しいほどだ。
「砂の祭典」はこの砂像が主役なのは間違いない。それだけでも十分楽しめる。
…そうではあるが、せっかくこのイベントに来るのなら、ちょっと足を伸ばして吹上浜の汀(みぎわ)まで行ってみてほしい。会場から県立吹上浜海浜公園に移動して、公園入り口から徒歩10分くらいで海岸まで行ける。
そこには見渡す限り砂浜が続いていて、海の彼方からは波濤の音が響いている。
「砂の祭典」は、元々、この「吹上浜」を活かそうというイベントだった。30年前、アメリカのサンディエゴで勃興しつつあったサンドアートの噂を聞いて、吹上浜の砂をアメリカに送って見てもらい、「きめが細かくサンドアートに適している」と太鼓判をもらったことからこのイベントが始まった。
始まりは、吹上浜の砂だった。
実際、吹上浜まで行って砂に触れてみると分かる。非常にきめが細かくて、パウダースノーのような美しい砂である。この前子どもたちを連れて行ったら、「アナと雪の女王」ごっこをし始めたくらいだ。この砂を、さらさらと手で弄んでいるだけで心が落ちつく。
手で砂をすくい、指の隙間から、砂時計のように砂がこぼれ落ちるのを感じてみる。全て落ちきって、手をはたくと、汚れも何もない。非常に清浄な、気持ちのよい砂である。
では、なぜここに素晴らしい砂があるのだろう。しかも日本三大砂丘の一つとされるほど、長大で、しかも幅が広い砂浜が広がっているのだろうか。
ポイントは2つあると思う。一つは、鹿児島のシラスの土壌である。脆い細粒の土壌が鹿児島を厚く覆っていて、これは浸食も受けやすいことから雨でどんどん川に流れていく。これが砂丘の原料供給を担っている。
もう一つは、吹上浜にそそぐ万之瀬川(やその他のいくつかの川)である。シラスを浸食してきた川は、大量のシラスの土砂を海に放出する。しかし吹上浜の海岸線は、海流的にそうなのか、地形的にそうなのかはわからないが、どんどん土砂を放出するというよりは、割合にこの土砂が溜まっていきやすいようである。だから、吹上浜のような長大な砂丘ができたのであろう。
つまり、「砂の祭典」の元を辿っていくと、鹿児島の人が昔から苦労し続けているシラス土壌に行き着く。この脆い土壌のお陰で、鹿児島は崖崩れなどの風水害が多いし、シラス台地は農業生産性が低く、長く貧乏な農業に甘んじるしかなかった。
「砂の祭典」の中で、そんな地質の話まで遡るのはちょっとハードルが高いのかもしれない。でも人間の文化を育む風土というものは、地質や気候、そこにある自然が作ってきたものだから、せっかくイベントをするのなら、そういう掘り下げもしていったらいいと思う。
そういう考えで、私は「砂の祭典」の広報部員として、今回「吹上浜と砂文化」という7本の記事を公式ホームページに書いた。
1.吹上浜の松林をつくった宮内一族
2.サンディーくんのモデル! 吹上浜のウミガメ
3.国の天然記念物、ハマボウの群落
4.世界で約3000羽しかいない野鳥クロツラヘラサギがやってくる
5.特産「砂丘らっきょう」
6.話題の野菜「長命草」が沿岸に自生
7.吹上浜には多くのクジラやイルカが来遊
こういう記事、書いている自分がいうのもなんだが、集客には全く役に立たないと思う。広報部員としては、もっと集客に繋がる派手な仕事をした方がよっぽど生産的かもしれない。
でも、ただ賑やかなイベントをしていますよ、というだけではなくて、その背景にどんな自然や歴史があるのか、そうした風土とどう人は付き合ってきたのか、ということがないと、はやりイベント事というのは空疎になる。だって、人を集めたいだけなら人気の芸能人を呼んでくる方がよっぽど効果がある。だがそれが中心になってしまうと、なぜ吹上浜でするのか? という根幹が揺らぐ。
こういう記事を読んで勉強したら、イベントが一層楽しくなる、とは言わない。実際あんまりイベント内容と関係ない。でもイベントの主催者側として、やっぱり「砂の祭典」のルーツは吹上浜で、「我々は吹上浜を大切に思っています」という姿勢が見えなかったら、根幹があやふやなな感じがするのである。
「砂の祭典、何のためにやってるの?」という人は多い。イベントとしては赤字だし、波及効果はあると思うもののはっきりとはわからない。関係者は、GWは働きづめになって(しかもボランティアも多い)、疲弊してしまう。
もちろん地域の活性化に一役買っていることは確かだ。熱意ある人も多い。決して無意味なイベントではない。でもやはり、地域活性化というボンヤリとした目的しか見えないところがある。
だから、私としては、「吹上浜の環境保全」を「砂の祭典」の目的(の一つ)に位置づけたらいいと思う。
例えば、広大な松林は、実はマツクイムシやシロアリの被害で枯れたり植樹したりを繰り返している。だから、「砂の祭典」の時に植樹活動なんかできないか。また、「砂の祭典」の時期はちょうど、ウミガメの産卵シーズンにもあたっている。現在は、ウミガメのモニタリングすら十分ではない。ウミガメが産卵しやすい砂浜を維持するための活動(ゴミ拾いとか)も取り入れられる。万之瀬川河口付近の干潟の環境ももっと改善して、野鳥観察会を祭典に組み合わせられないか。ここが九州でも有数の野鳥スポットになったら面白い。ホエールウォッチングだって組み合わせられるかもしれない。「砂の祭典」が、吹上浜の自然のモニタリングと展示機能を備えたら面白い。
こういうアイデアは、やっぱり地味で、集客力はないに決まっている。あるいは、費用対効果が悪すぎる。でもそういう芯のある活動は、どこに出しても恥ずかしくないもので、市民が誇れるものだ。「砂の祭典」のような街ぐるみでやっているイベントは、市民全員が誇れるイベントにならなければならない。
そのためには、「砂の祭典」が立脚しているものがなんなのか、我々は何に価値を感じ、何を次世代に伝えていきたいのか、そういうことを見直さなければならないと思う。
私の書いた7本の記事は、そこまでのスコープは持っていないが、そういう見直しに少しでも役立てば幸いである。
2017年4月30日日曜日
「砂の祭典」にかける想い——われわれはただ善良な住民であってはならない
たびたび書いてきたように、私は今年の「砂の祭典」の広報部員をしていて、その活動でこのたび「30回記念特別インタビュー」というものが公開されたのでお知らせしたい。
【公式】吹上浜砂の祭典|おかげさまで30回記念
※リンク先半ばくらいにあります。
この「砂の祭典」、一言でいうと「マンネリになっていないか?」というのが最大の課題で、10万人を動員するイベントに成長してはいるものの、「一度行けば十分」みたいな立ち位置にもなってきている。
それで、「例年通りで行きましょう」という雰囲気を壊すため、私は広報部会でもなんやかんやと文句を言ったり提案をしたりしてきた。最初は、「停滞した場で孤軍奮闘しても疲れるだけかも…」という危惧があったが、わざわざ部会に参画してくれた仲間や理解をしてくれたみなさん、受け止めてくれた事務局のおかげで思いの外楽しく充実した活動となり、すごくありがたかった。本当に感謝である。
で、その仲間たちの提案も含めて、今年の「砂の祭典」の広報ではいろいろ新しい取り組みがあるが、今回はその中の一つで私がメインに担当した「インタビュー」の話である。
以前「砂の祭典」についてのブログ記事でこういうことを書いた。
仲間からも同趣旨の提案があったので、「熱い想いインタビュー(企画名)」として「砂の祭典」に熱い想いで関わっている人たちを取り上げることになったのである。
それで、(1)本坊市長(実行委員長)、(2)中村築氏(実行副委員長で砂像製作の縁の下の力持ち的な人)、(3)常潤高校の先生(会場を彩る花の一部を育てている)、(4)六葉煙火(会場で毎夜行われる音楽花火イベントを担当)、(5)鮫島小代子氏(ボランティア・障害者関係)の5名のインタビューを行った。本当はあと3人くらいやりたかったが私の方の力不足もあってここまで…という感じだった。
vol.01 「砂をまちの魅力に」南さつま市長 本坊輝雄(吹上浜砂の祭典実行委員会 会長)
vol.02 「大地と海・松と砂」中村 築 砂の祭典実施推進本部 副本部長(日本砂像連盟所属)
vol.03 「無農薬での花の苗づくり」鹿児島県立加世田常潤高等学校 塩屋先生+福島先生
vol.04 「砂像があって花火が生きる」「六葉煙火」代表取締役社長 古閑潔さん、橘薗光宏さん
vol.05 「"砂"とともに歩んだ人生」(前編)(後編)南さつま市社会福祉協議会
ボランティア連絡会 会長 鮫島小夜子
あ、一応付け加えておくが、このセレクションは、あくまでもご縁に基づくものであって、この方々が「砂の祭典」関係者の中でも特に熱い人、なのかは検証してないのでその点は誤解なきように。砂像製作の人などには、もっともっと熱い人もいると思う。
で、インタビューについては、率直に言って、私自身がすごく面白かった!
やはり、なんでも熱意をもってやっている人の話というのは面白い。それに「砂の祭典」は今年で30回目である。30年もすれば子どもは大人になり、青年は壮年になる。「砂の祭典」はそれぞれの人生に深く関わっていて、このイベントはただ年に一度のお祭りだというだけじゃなく、もはやこの地域の人の人生を左右するほどの存在感があるんだということを再認識させられた。
特に面白かったのはトリに持ってきた鮫島さんのインタビュー。涙なしには語れないほどの話で、予定より1時間半くらい超過して行われたインタビューだった。というわけでvol.05だけでもぜひ読んで欲しい。
そして、このインタビューは、私自身が「砂の祭典」を見直すきっかけにもなった。最初は、確かにマンネリなイベントという印象が強かった。だが、細かく見てみれば、毎年抱負を持って取り組んでいる人がいるし、惰性で続けているだけのイベントではない。運営体制の中に「例年通りで行きましょう」という事なかれ主義が瀰漫しているのは事実としても、関係者の数は膨大だから想いの向かうところもいろいろあって、簡単に変えられるわけではないというのもわかった。そして「砂の祭典」は、外から見えるよりも、面白い場になっていると思った。
でも、だからといって、「砂の祭典はこのままの調子でずっと続けばいいよね」と思っているわけではない。インタビューの中でも、「もっとこうしたらいいのに」という声はたくさんあった。とりわけ「熱い想い」で取り組んでいる人に話を聞いたからこそ、変えていかなければならないという気持ちを新たにしたところである。
鹿児島を代表する民俗学者、下野敏見氏が著書の中で述べている。少し長いが引用する。
「砂の祭典」には、正直、批判的な人も多くいる。毎年、あれだけの予算と労力をかけて意味があるのかとか、そもそも何のためにやっているのか、とか。いや、私自身が、どっちかというとその批判派である。
でも、そういう批判を「批判するだけなら簡単だ」などという言葉で片付けずに、運営側はしっかりと受け止め、地域文化を育む場として成長させていかなければならないと思う。そして批判する側は、ただ言うだけでなく、「よりよい祭りや行事を創造する」力を発揮していかなければならないと思う。「善良な住民」として思考停止するのは論外だが、斜に構えていてもいけない。
今回、私が「どっちかというと批判派」なのに「砂の祭典」の運営に関わったのは、そういう思いである。
…ところで蛇足だが、私の提出した原稿では「「砂の祭典」にかける想い」という企画名だったのに、いざ記事が公開されたら「30回記念特別インタビュー」という事務的なタイトルになっていたので若干残念である。他にも編集方針に言いたいことはあるが、基本的には私の原稿を尊重して掲載してくれた。全部読むと3万字はあると思うので読むのは大変だが、多くの人にぜひ読んでもらいたい。
【公式】吹上浜砂の祭典|おかげさまで30回記念
※リンク先半ばくらいにあります。
この「砂の祭典」、一言でいうと「マンネリになっていないか?」というのが最大の課題で、10万人を動員するイベントに成長してはいるものの、「一度行けば十分」みたいな立ち位置にもなってきている。
それで、「例年通りで行きましょう」という雰囲気を壊すため、私は広報部会でもなんやかんやと文句を言ったり提案をしたりしてきた。最初は、「停滞した場で孤軍奮闘しても疲れるだけかも…」という危惧があったが、わざわざ部会に参画してくれた仲間や理解をしてくれたみなさん、受け止めてくれた事務局のおかげで思いの外楽しく充実した活動となり、すごくありがたかった。本当に感謝である。
で、その仲間たちの提案も含めて、今年の「砂の祭典」の広報ではいろいろ新しい取り組みがあるが、今回はその中の一つで私がメインに担当した「インタビュー」の話である。
以前「砂の祭典」についてのブログ記事でこういうことを書いた。
まずはこのイベントに関わっている人の生き生きとした姿を、どんどん発信していくことから始めたらよい。海外からの招待作家がどんな気持ちで南さつまに来たのか。実行委員会の人たちが何に悩み、何を目指しているのか。ボランティアの人たちの働きぶり。そして実質的な主催者である、南さつま市役所の職員の皆さんの熱い想い! そういうものをSNSとかリーフレットとか、様々な形で伝えていくべきだ。砂像の素晴らしさを訴えるのもよいが、そこに「人」が見えなかったら感動も半減だと思うし、作り手の顔が見えてこそイベントは面白いと私は思うのである。
仲間からも同趣旨の提案があったので、「熱い想いインタビュー(企画名)」として「砂の祭典」に熱い想いで関わっている人たちを取り上げることになったのである。
それで、(1)本坊市長(実行委員長)、(2)中村築氏(実行副委員長で砂像製作の縁の下の力持ち的な人)、(3)常潤高校の先生(会場を彩る花の一部を育てている)、(4)六葉煙火(会場で毎夜行われる音楽花火イベントを担当)、(5)鮫島小代子氏(ボランティア・障害者関係)の5名のインタビューを行った。本当はあと3人くらいやりたかったが私の方の力不足もあってここまで…という感じだった。
vol.01 「砂をまちの魅力に」南さつま市長 本坊輝雄(吹上浜砂の祭典実行委員会 会長)
vol.02 「大地と海・松と砂」中村 築 砂の祭典実施推進本部 副本部長(日本砂像連盟所属)
vol.03 「無農薬での花の苗づくり」鹿児島県立加世田常潤高等学校 塩屋先生+福島先生
vol.04 「砂像があって花火が生きる」「六葉煙火」代表取締役社長 古閑潔さん、橘薗光宏さん
vol.05 「"砂"とともに歩んだ人生」(前編)(後編)南さつま市社会福祉協議会
ボランティア連絡会 会長 鮫島小夜子
あ、一応付け加えておくが、このセレクションは、あくまでもご縁に基づくものであって、この方々が「砂の祭典」関係者の中でも特に熱い人、なのかは検証してないのでその点は誤解なきように。砂像製作の人などには、もっともっと熱い人もいると思う。
で、インタビューについては、率直に言って、私自身がすごく面白かった!
やはり、なんでも熱意をもってやっている人の話というのは面白い。それに「砂の祭典」は今年で30回目である。30年もすれば子どもは大人になり、青年は壮年になる。「砂の祭典」はそれぞれの人生に深く関わっていて、このイベントはただ年に一度のお祭りだというだけじゃなく、もはやこの地域の人の人生を左右するほどの存在感があるんだということを再認識させられた。
特に面白かったのはトリに持ってきた鮫島さんのインタビュー。涙なしには語れないほどの話で、予定より1時間半くらい超過して行われたインタビューだった。というわけでvol.05だけでもぜひ読んで欲しい。
そして、このインタビューは、私自身が「砂の祭典」を見直すきっかけにもなった。最初は、確かにマンネリなイベントという印象が強かった。だが、細かく見てみれば、毎年抱負を持って取り組んでいる人がいるし、惰性で続けているだけのイベントではない。運営体制の中に「例年通りで行きましょう」という事なかれ主義が瀰漫しているのは事実としても、関係者の数は膨大だから想いの向かうところもいろいろあって、簡単に変えられるわけではないというのもわかった。そして「砂の祭典」は、外から見えるよりも、面白い場になっていると思った。
でも、だからといって、「砂の祭典はこのままの調子でずっと続けばいいよね」と思っているわけではない。インタビューの中でも、「もっとこうしたらいいのに」という声はたくさんあった。とりわけ「熱い想い」で取り組んでいる人に話を聞いたからこそ、変えていかなければならないという気持ちを新たにしたところである。
鹿児島を代表する民俗学者、下野敏見氏が著書の中で述べている。少し長いが引用する。
「しかしこの個性豊かな地方文化が現今はご承知のようにばっさりと切られ、あるいは無視されて消滅し去ろうとしている。(中略)かつてのいわゆる善良な民ならいざ知らず、われわれは文化の法則性を知っている上に一つのフェスティバルや一つのイベントに象徴される新文化らしきものを吟味し、批判し、時にはよそと比較して分析し、よりよい祭りや行事を創造することができるのである。それだけの力を地域住民が持っている時代になったのである。したがって、われわれはただ善良な住民であってはならない。その受動性のチャンネルを能動性のものに変えて地域文化の問題に取り組むべきであろう。(強調引用者)」(『東シナ海文化圏の民俗』)
「砂の祭典」には、正直、批判的な人も多くいる。毎年、あれだけの予算と労力をかけて意味があるのかとか、そもそも何のためにやっているのか、とか。いや、私自身が、どっちかというとその批判派である。
でも、そういう批判を「批判するだけなら簡単だ」などという言葉で片付けずに、運営側はしっかりと受け止め、地域文化を育む場として成長させていかなければならないと思う。そして批判する側は、ただ言うだけでなく、「よりよい祭りや行事を創造する」力を発揮していかなければならないと思う。「善良な住民」として思考停止するのは論外だが、斜に構えていてもいけない。
今回、私が「どっちかというと批判派」なのに「砂の祭典」の運営に関わったのは、そういう思いである。
…ところで蛇足だが、私の提出した原稿では「「砂の祭典」にかける想い」という企画名だったのに、いざ記事が公開されたら「30回記念特別インタビュー」という事務的なタイトルになっていたので若干残念である。他にも編集方針に言いたいことはあるが、基本的には私の原稿を尊重して掲載してくれた。全部読むと3万字はあると思うので読むのは大変だが、多くの人にぜひ読んでもらいたい。
2016年12月19日月曜日
「砂の祭典」を一緒にかき混ぜませんか?
以前書いたように、私は「吹上浜 砂の祭典」の実施推進本部というののメンバーになった。それで最初の会議で強く主張したことがいくつかあるが、そのうち一つが主催者側のメンバー公募である。
何しろ、ごく僅かの例外を除いて、「砂の祭典」に関わっている人たち(=各部会の部員)は、ほとんど当て職的にメンバーにさせられていて、「やりたくてやっている人」というのがものすごく少ない。こう言っては何だが、「毎年のことだからしょうがないよねー」というような気持ちでやむなく席に着いている人が多いような気がしている。
でも、そんなので面白いイベントができるわけがない。主催者側が楽しんでやっていないものを、お客さんが楽しむわけがないのである。
そしてもう一つ大事なことは、イベントでも何でも、やっている人が同じである以上、結果も同じにしかならないということである。今までの「砂の祭典」がまるでダメというつもりはないが、数々の課題を抱えているのも事実である。次回は第30回の記念大会ということで改革の道を踏み出すいい機会である。ここらで、新メンバーを入れることには意味があると思う。
そういうことで、メンバー公募をやるべきという主張をしたら、それがすんなりと通って、私も最近気づいたが「砂の祭典」のWEBサイトに下のように掲示されていた。
ちなみに、ここの別添資料(xls)に掲げられた部会は以下の通り。(1)総務部会、(2)広報部会、(3)イベント部会、(4)砂像部会、(5)施設部会、(6)物産部会。このうち、私自身は(2)広報部会に在席することになった。
それで、先日広報部会が開催されたので出席してきたが、「基本的に例年通りのことをやりましょう」という話だったので呆れてしまった。前年までの反省も、今回の目標も、何もない。驚くべきことに、予算書すら出てこない。広報に、一体いくらの予算をかけられるのかも分からない。そんな中で、どうやって広報の実施計画を立てればよいというのだろう。
例えば、広報の予算が200万円あって、それをどう使えば効果的に広報できるだろうか? と考えるのが企画ではないのか。逆に、誰に訴えたいのか、どれくらいの人に届けたいのか、そのためにはいくら予算が必要なのか? それを考えるのが企画ではないのか。どちらからでもいいが、目的と予算があって、目的を達成するために何をすべきなのか考えるのが我々の仕事なのではないかと思う。
それなのに、「前年通りやりましょう」以外のこともなく、いきなりチラシ配りに行く人員の話などするからおかしくなる。これまでの反省を踏まえ、課題を抽出し、目標を設定し、限られた予算をどう使うかと頭をひねる。そういう当たり前のことがこのイベントには全く欠けている。私は、イベントを盛り上げるアイデアは全然湧いてこないつまらない人間であるが、こういう当たり前のことを当たり前にするだけで、物事というのはどんどんよくなっていくという信念がある。
だから、会議の場でも一人でギャーギャーわめいてきたところである。正直、そのわめきがどれだけ受け止められていたかは自信がない。でも、必要以上の「熱量」をもって主張したつもりである。というのは、こういうマンネリズムに陥った場を変えるのは、グッドアイデアでもなければ、非の打ち所がない正論でもないからだ。 いくら「なるほどなー」という的確な意見を述べても納得されるのはその場限りで、いつのまにか「前年通りやりましょう」の波に押されてしまうものである。
つまるところ、こういう場を変えられるのは、一人の人間の「熱意」しかないのである。主張が完全には理解されなくても、「○○さんがあそこまで言ってるんだから、ちょっとはやんなきゃな」という気持ちにさせたら勝ちである。
そして、そんな人が二人三人といたら、場が変わっていかないわけがない。というわけで、このメンバー公募も既に期限が迫っている状態であるが、我こそはと思う人はぜひ砂の祭典事務局へと申し出てほしい。
私としては、むしろ「アンチ砂の祭典派」の人にこそ入ってもらったらいいのではないかと思う。思う存分、場をかき乱していただきたい。といっても、「砂の祭典大好き」な人だったらなおさら歓迎なのは言うまでもない。よろしくお願いいたします!
何しろ、ごく僅かの例外を除いて、「砂の祭典」に関わっている人たち(=各部会の部員)は、ほとんど当て職的にメンバーにさせられていて、「やりたくてやっている人」というのがものすごく少ない。こう言っては何だが、「毎年のことだからしょうがないよねー」というような気持ちでやむなく席に着いている人が多いような気がしている。
でも、そんなので面白いイベントができるわけがない。主催者側が楽しんでやっていないものを、お客さんが楽しむわけがないのである。
そしてもう一つ大事なことは、イベントでも何でも、やっている人が同じである以上、結果も同じにしかならないということである。今までの「砂の祭典」がまるでダメというつもりはないが、数々の課題を抱えているのも事実である。次回は第30回の記念大会ということで改革の道を踏み出すいい機会である。ここらで、新メンバーを入れることには意味があると思う。
そういうことで、メンバー公募をやるべきという主張をしたら、それがすんなりと通って、私も最近気づいたが「砂の祭典」のWEBサイトに下のように掲示されていた。
2017吹上浜砂の祭典を一緒に盛り上げよう!
吹上浜砂の祭典実行委員会から南さつま市に関連する団体・会社若しくは南さつま市民の方へお知らせいたします。
吹上浜砂の祭典は2017年に30回の節目の年を迎えます。この機会に砂の祭典に携わってみたい方を募集いたします。業務内容については別添資料(6部会の業務内容)をご覧ください。申込期限については12月28日締め切りといたします。
詳しくは吹上浜砂の祭典実行委員会事務局へお尋ねください。積極的な参加をお待ちしております。
連絡先→吹上浜砂の祭典実行委員会
〒897-8501 鹿児島県南さつま市加世田川畑2648番地
(南さつま市役所観光交流課内)
TEL:0993-53-2111←市役所の代表電話
FAX:0993-53-5465
(砂の祭典WEBサイトより引用)
ちなみに、ここの別添資料(xls)に掲げられた部会は以下の通り。(1)総務部会、(2)広報部会、(3)イベント部会、(4)砂像部会、(5)施設部会、(6)物産部会。このうち、私自身は(2)広報部会に在席することになった。
それで、先日広報部会が開催されたので出席してきたが、「基本的に例年通りのことをやりましょう」という話だったので呆れてしまった。前年までの反省も、今回の目標も、何もない。驚くべきことに、予算書すら出てこない。広報に、一体いくらの予算をかけられるのかも分からない。そんな中で、どうやって広報の実施計画を立てればよいというのだろう。
例えば、広報の予算が200万円あって、それをどう使えば効果的に広報できるだろうか? と考えるのが企画ではないのか。逆に、誰に訴えたいのか、どれくらいの人に届けたいのか、そのためにはいくら予算が必要なのか? それを考えるのが企画ではないのか。どちらからでもいいが、目的と予算があって、目的を達成するために何をすべきなのか考えるのが我々の仕事なのではないかと思う。
それなのに、「前年通りやりましょう」以外のこともなく、いきなりチラシ配りに行く人員の話などするからおかしくなる。これまでの反省を踏まえ、課題を抽出し、目標を設定し、限られた予算をどう使うかと頭をひねる。そういう当たり前のことがこのイベントには全く欠けている。私は、イベントを盛り上げるアイデアは全然湧いてこないつまらない人間であるが、こういう当たり前のことを当たり前にするだけで、物事というのはどんどんよくなっていくという信念がある。
だから、会議の場でも一人でギャーギャーわめいてきたところである。正直、そのわめきがどれだけ受け止められていたかは自信がない。でも、必要以上の「熱量」をもって主張したつもりである。というのは、こういうマンネリズムに陥った場を変えるのは、グッドアイデアでもなければ、非の打ち所がない正論でもないからだ。 いくら「なるほどなー」という的確な意見を述べても納得されるのはその場限りで、いつのまにか「前年通りやりましょう」の波に押されてしまうものである。
つまるところ、こういう場を変えられるのは、一人の人間の「熱意」しかないのである。主張が完全には理解されなくても、「○○さんがあそこまで言ってるんだから、ちょっとはやんなきゃな」という気持ちにさせたら勝ちである。
そして、そんな人が二人三人といたら、場が変わっていかないわけがない。というわけで、このメンバー公募も既に期限が迫っている状態であるが、我こそはと思う人はぜひ砂の祭典事務局へと申し出てほしい。
私としては、むしろ「アンチ砂の祭典派」の人にこそ入ってもらったらいいのではないかと思う。思う存分、場をかき乱していただきたい。といっても、「砂の祭典大好き」な人だったらなおさら歓迎なのは言うまでもない。よろしくお願いいたします!
2016年12月15日木曜日
農業と「人文知」
先日、「石蔵古本市」というイベントを開催した。
これについての詳細はいずれ書くオフィシャルブログの記事に任せることにして、今日はちょっと言い訳を書いてみようと思う。
というのは、私の本業は言うまでもなく農業である。そして12月は、南薩の農家は忙しい。かぼちゃの収穫はしなくてはならないし、柑橘類の収穫準備もある、すぐそこまで来ている霜の季節に備える作業もしなくてはならない。読書のような「道楽」に興じている暇はないのだ。それも、役に立つ実用書ではなくて、思想や文学や歴史といった人文の本に!
が、農業にとって、こういう「人文知」がただの道楽かというと、実はそうでもない。それどころか、農業にとっては必要不可欠だとすら言えるのである。
それをわきまえていたのが、「少年よ、大志を抱け」で有名なウィリアム・S・クラークだ。
クラークは、明治9年の札幌農学校(北海道大学農学部の前身)の開校にあたりアメリカから招聘された。それまでは「開拓使仮学校」というのが東京に設けられ、開校準備にあたる教育を行っていたがどうもうまくいかない。実地の経験が不足して教育が学理に傾き、「農学校」であるにも関わらず専門的教育があまり行われていなかったのである。その反省に基づいて農学校の形を作っていくことが、教頭兼農場長に任命されたクラークの使命だった。
クラークの赴任期間は僅か8ヶ月という短いものだったが、その間に彼は同校の事実上の統率者としてアメリカ流の開拓者教育を行った。
ちなみに明治政府はこの頃、イギリスやドイツから次々と農学者を招聘するが、何百年も耕してきた土地の生産性をさらに上げるための農業と、森林を切り拓いて畑にしていく農業は自ずから異なるのは当然で、北海道開拓にはイギリスやドイツの進んだ農学は役に立たなかった。北海道に必要とそれたのは、まだまだ未開の沃野に溢れていたアメリカの、どんどん開拓していく農学だったのである。であるから、当時の日本は全体としてはヨーロッパ農学の輸入に努めながらも、北海道だけはアメリカ農学を基準として農業振興・開拓が進められていくことになる。これは後々まで続く北海道農業の特異性の基礎になった。
さて、そのクラークの教育を一言で言えば、「キリスト教に依拠する開拓者精神の鼓吹」ということになる。彼の教育は常に具体的・実践的であり、しかも教育の主眼は「心田(しんでん)」の耕耘にあった。同じ頃東京で、駒場農学校(東京大学農学部の前身)が現実の課題と遊離した象牙の塔的な農学を構築しつつあったのとは対蹠的に、札幌農学校では北海道の実地調査を行って開拓の課題を探り、それを教育に活かして行くという取り組みをしていた。要するに、クラークは学生たちに現実を変えていくための精神力とそれに見合う技能・知識をつけようとしていたのである。
といっても、クラークが「何が何でも根性で乗り切れ」的な根性論の開拓者精神を植え付けようとしていたと誤解してはならない。むしろ彼はそういう精神論はよくないと考えていたフシがある。例えば、クラークは学生の農業実習には労働時間に応じて賃金を与えた。農業実習といえば勉強であるから無給は当然と考えられていたが、これは学生たちに固着していた古い観念を大いに払拭したという。労働を精神の面からのみ見るのではなく、しっかり実利とセットで見せようとしたクラーク流のやり方だった。
クラークに期待されていたのは、こうした実用的な教育であったが、意外なことに彼は英文学史や心理学といった人文関係の諸科目に大きなウエイトを置いた。具体的・実践的な技能や知識の教授とあわせて、こうした人文教育はクラークの「全人教育」の要諦でもあった。
ところで、「農学栄えて、農業滅ぶ」という有名な言葉がある。これは、いろんな人がいろんな解説をしているが、要するに、「現実の農業が抱えている課題は切実なものなのに、農学者はそんなことをお構いなしに自分の研究に邁進するばかりだから、どんどん研究成果は出るかもしれないが実際には役に立たずに農業は衰退していく」というようなことを短い警句にまとめたものである。
【参考】やまひこブログ
↑「農学栄えて、農業滅ぶ」という言葉について徹底的な調査をしているブログ
例えば、現在の農業の抱えている課題というと高齢化とか人手不足であるが、農学はそれに対してどのようなアプローチをしているだろうか。この課題に対し、高齢者でも農作業が楽に出来るように、ということでパワースーツのようなものの開発が進められているようだが、モノを持ち上げるだけのことに何十万円もするパワースーツを買わなければならないとしたら、そんな農業はやっていけないのは自明である。必要なのはパワースーツの開発よりも、省力的に栽培できる作物なのかもしれないし、新規参入者を促す農業のやり方なのかもしれない。とにかく、普通の農家が現実的に導入できるものでないと役に立たないのである。
これが、実学としての農学がいつも対峙しなくてはならない視点であって、どんなに学理が進んでも、普通の農家に応用出来ない限り、どんな高度な技術も知識も役に立たない。ところが実際には、研究をしているうちに目的が(悪い意味で)「真理の探究」とか「限りない品質向上」とかになり、現実と遊離していくというのが、これまでの農学が辿ってきたお決まりのパターンなのである。それを戒めたのが「農学栄えて、農業滅ぶ」という言葉である。
クラークが人文教育を重視したのも、この言葉の戒めるものと同根であろう。農業に必要となる技術・知識、それはもちろん身につけなくてはならない。しかしそれを一歩下がった立場で冷静に見つめる目、それがなかったら、人間は技術や知識を絶対のものとして、それを使うことに疑問を持たなくなる。言い換えると、進むことしか知らない人間になってしまう。時には、立ち止まったり、横道に逸れたり、後戻りしたりすることが必要だ。そうでないと、普段の仕事では見落としがちな、別のやり方、別の目的、別の生き方を選択することができなくなる。
そもそも農業というのはサラリーマン仕事とは違って、生活と一体化しているところがある。農業をよくしていくというのは、農家の生活を良くしていくこととほとんど同義である。農業の生産性の向上というのは、ただ農作業のうまいやり方を開発することではなくて、農家の生き方そのものをよくしていくものでなければならない。そういう視点で農業を改善していこうと思ったら、農学だけをいくら学んでいてもダメで、農業そのもののあり方に疑問を突きつけ、人間の生き方を再考し、自分の在り方に再検討を加えていかなくてはならない。そのためには、思想や文学や歴史——「人文知」が必要なのである。
しかし、クラークの後継者たちはこれを十分に理解しなかった。クラークが充実させた人文系の学科は、彼の転籍後には徐々に縮小されていく。例えば、「心理学」と「倫理学」は廃されて「歴史哲学」となり、後にこれは「欧州史」となって、明治24年には遂に「農業史」となってしまった。人文系の学科は非実用的な「形而上学」と見なされ、そうしたものを難ずる世間の風潮に押されて消えていったのであった。
だがその後の歴史、太平洋戦争まで進んでいく我が国の突撃と玉砕の歴史を見れば、クラークが重視した非実用的な「形而上学」こそが必要なものだったことは明瞭である。時代が大正、昭和と進むと、「人文知」のような「平和的」な学問はどんどん立場が弱くなり、「歩兵術」のような「実用的」なカリキュラムに置き換わっていった。哲学や文学の学徒は「穀潰し」と難ぜられ、白い目で見られるようになった。そして誰も、立ち止まって物事の本質を考えるということをしない社会になっていた。その場しのぎで「実用的」なことをやるだけで、無駄なものは何一つ出さないように社会が切り詰められていった。
でも、立ち止まったり、横道に逸れたり、後戻りしたりすること、それができなくなったら、農学のみならず社会の発展は望めない。それが人間の営為そのものだからである。ひたすらに進んでいく農業、ひたすらに進んでいく社会、ひたすらに進んでいく国というのは、もはや衰退の一途を辿るしかない。
一日一日働くこと、それは素敵なことだ、と私は思う。私は仕事が好きである。しかしふとその手を休めて、本当にそれでよいのか自省する自分をいつも持っていたい。そのためには、「人文知」が必要なのだ。時には哲人皇帝マルクス=アウレリーウスの独白に耳を傾けたり、道元の禅へ思いを馳せたり、バルザックの描く人間模様に浸ってみたりしなくてはならない。そういう、普段の生活では絶対に味わえない人間性の高みへと出かけていって、自分の暮らしを俯瞰してみないことには、一体自分たちが今どこへ向かっているのかも分からなくなってしまうからだ。
だから私は、農業にも「人文知」は絶対不可欠だと思うのだ。クラークがそう確信していたように。そして道楽も、時々は必要である。立ち止まったり、横道に逸れたり、後戻りしたりすること、そのためのきっかけをくれるのが、道楽なのである。
【参考文献】
『日本農学史—近代農学形成期の研究—』1968年、斎藤之男
これについての詳細はいずれ書くオフィシャルブログの記事に任せることにして、今日はちょっと言い訳を書いてみようと思う。
というのは、私の本業は言うまでもなく農業である。そして12月は、南薩の農家は忙しい。かぼちゃの収穫はしなくてはならないし、柑橘類の収穫準備もある、すぐそこまで来ている霜の季節に備える作業もしなくてはならない。読書のような「道楽」に興じている暇はないのだ。それも、役に立つ実用書ではなくて、思想や文学や歴史といった人文の本に!
が、農業にとって、こういう「人文知」がただの道楽かというと、実はそうでもない。それどころか、農業にとっては必要不可欠だとすら言えるのである。
それをわきまえていたのが、「少年よ、大志を抱け」で有名なウィリアム・S・クラークだ。
クラークは、明治9年の札幌農学校(北海道大学農学部の前身)の開校にあたりアメリカから招聘された。それまでは「開拓使仮学校」というのが東京に設けられ、開校準備にあたる教育を行っていたがどうもうまくいかない。実地の経験が不足して教育が学理に傾き、「農学校」であるにも関わらず専門的教育があまり行われていなかったのである。その反省に基づいて農学校の形を作っていくことが、教頭兼農場長に任命されたクラークの使命だった。
クラークの赴任期間は僅か8ヶ月という短いものだったが、その間に彼は同校の事実上の統率者としてアメリカ流の開拓者教育を行った。
ちなみに明治政府はこの頃、イギリスやドイツから次々と農学者を招聘するが、何百年も耕してきた土地の生産性をさらに上げるための農業と、森林を切り拓いて畑にしていく農業は自ずから異なるのは当然で、北海道開拓にはイギリスやドイツの進んだ農学は役に立たなかった。北海道に必要とそれたのは、まだまだ未開の沃野に溢れていたアメリカの、どんどん開拓していく農学だったのである。であるから、当時の日本は全体としてはヨーロッパ農学の輸入に努めながらも、北海道だけはアメリカ農学を基準として農業振興・開拓が進められていくことになる。これは後々まで続く北海道農業の特異性の基礎になった。
さて、そのクラークの教育を一言で言えば、「キリスト教に依拠する開拓者精神の鼓吹」ということになる。彼の教育は常に具体的・実践的であり、しかも教育の主眼は「心田(しんでん)」の耕耘にあった。同じ頃東京で、駒場農学校(東京大学農学部の前身)が現実の課題と遊離した象牙の塔的な農学を構築しつつあったのとは対蹠的に、札幌農学校では北海道の実地調査を行って開拓の課題を探り、それを教育に活かして行くという取り組みをしていた。要するに、クラークは学生たちに現実を変えていくための精神力とそれに見合う技能・知識をつけようとしていたのである。
といっても、クラークが「何が何でも根性で乗り切れ」的な根性論の開拓者精神を植え付けようとしていたと誤解してはならない。むしろ彼はそういう精神論はよくないと考えていたフシがある。例えば、クラークは学生の農業実習には労働時間に応じて賃金を与えた。農業実習といえば勉強であるから無給は当然と考えられていたが、これは学生たちに固着していた古い観念を大いに払拭したという。労働を精神の面からのみ見るのではなく、しっかり実利とセットで見せようとしたクラーク流のやり方だった。
クラークに期待されていたのは、こうした実用的な教育であったが、意外なことに彼は英文学史や心理学といった人文関係の諸科目に大きなウエイトを置いた。具体的・実践的な技能や知識の教授とあわせて、こうした人文教育はクラークの「全人教育」の要諦でもあった。
ところで、「農学栄えて、農業滅ぶ」という有名な言葉がある。これは、いろんな人がいろんな解説をしているが、要するに、「現実の農業が抱えている課題は切実なものなのに、農学者はそんなことをお構いなしに自分の研究に邁進するばかりだから、どんどん研究成果は出るかもしれないが実際には役に立たずに農業は衰退していく」というようなことを短い警句にまとめたものである。
【参考】やまひこブログ
↑「農学栄えて、農業滅ぶ」という言葉について徹底的な調査をしているブログ
例えば、現在の農業の抱えている課題というと高齢化とか人手不足であるが、農学はそれに対してどのようなアプローチをしているだろうか。この課題に対し、高齢者でも農作業が楽に出来るように、ということでパワースーツのようなものの開発が進められているようだが、モノを持ち上げるだけのことに何十万円もするパワースーツを買わなければならないとしたら、そんな農業はやっていけないのは自明である。必要なのはパワースーツの開発よりも、省力的に栽培できる作物なのかもしれないし、新規参入者を促す農業のやり方なのかもしれない。とにかく、普通の農家が現実的に導入できるものでないと役に立たないのである。
これが、実学としての農学がいつも対峙しなくてはならない視点であって、どんなに学理が進んでも、普通の農家に応用出来ない限り、どんな高度な技術も知識も役に立たない。ところが実際には、研究をしているうちに目的が(悪い意味で)「真理の探究」とか「限りない品質向上」とかになり、現実と遊離していくというのが、これまでの農学が辿ってきたお決まりのパターンなのである。それを戒めたのが「農学栄えて、農業滅ぶ」という言葉である。
クラークが人文教育を重視したのも、この言葉の戒めるものと同根であろう。農業に必要となる技術・知識、それはもちろん身につけなくてはならない。しかしそれを一歩下がった立場で冷静に見つめる目、それがなかったら、人間は技術や知識を絶対のものとして、それを使うことに疑問を持たなくなる。言い換えると、進むことしか知らない人間になってしまう。時には、立ち止まったり、横道に逸れたり、後戻りしたりすることが必要だ。そうでないと、普段の仕事では見落としがちな、別のやり方、別の目的、別の生き方を選択することができなくなる。
そもそも農業というのはサラリーマン仕事とは違って、生活と一体化しているところがある。農業をよくしていくというのは、農家の生活を良くしていくこととほとんど同義である。農業の生産性の向上というのは、ただ農作業のうまいやり方を開発することではなくて、農家の生き方そのものをよくしていくものでなければならない。そういう視点で農業を改善していこうと思ったら、農学だけをいくら学んでいてもダメで、農業そのもののあり方に疑問を突きつけ、人間の生き方を再考し、自分の在り方に再検討を加えていかなくてはならない。そのためには、思想や文学や歴史——「人文知」が必要なのである。
しかし、クラークの後継者たちはこれを十分に理解しなかった。クラークが充実させた人文系の学科は、彼の転籍後には徐々に縮小されていく。例えば、「心理学」と「倫理学」は廃されて「歴史哲学」となり、後にこれは「欧州史」となって、明治24年には遂に「農業史」となってしまった。人文系の学科は非実用的な「形而上学」と見なされ、そうしたものを難ずる世間の風潮に押されて消えていったのであった。
だがその後の歴史、太平洋戦争まで進んでいく我が国の突撃と玉砕の歴史を見れば、クラークが重視した非実用的な「形而上学」こそが必要なものだったことは明瞭である。時代が大正、昭和と進むと、「人文知」のような「平和的」な学問はどんどん立場が弱くなり、「歩兵術」のような「実用的」なカリキュラムに置き換わっていった。哲学や文学の学徒は「穀潰し」と難ぜられ、白い目で見られるようになった。そして誰も、立ち止まって物事の本質を考えるということをしない社会になっていた。その場しのぎで「実用的」なことをやるだけで、無駄なものは何一つ出さないように社会が切り詰められていった。
でも、立ち止まったり、横道に逸れたり、後戻りしたりすること、それができなくなったら、農学のみならず社会の発展は望めない。それが人間の営為そのものだからである。ひたすらに進んでいく農業、ひたすらに進んでいく社会、ひたすらに進んでいく国というのは、もはや衰退の一途を辿るしかない。
一日一日働くこと、それは素敵なことだ、と私は思う。私は仕事が好きである。しかしふとその手を休めて、本当にそれでよいのか自省する自分をいつも持っていたい。そのためには、「人文知」が必要なのだ。時には哲人皇帝マルクス=アウレリーウスの独白に耳を傾けたり、道元の禅へ思いを馳せたり、バルザックの描く人間模様に浸ってみたりしなくてはならない。そういう、普段の生活では絶対に味わえない人間性の高みへと出かけていって、自分の暮らしを俯瞰してみないことには、一体自分たちが今どこへ向かっているのかも分からなくなってしまうからだ。
だから私は、農業にも「人文知」は絶対不可欠だと思うのだ。クラークがそう確信していたように。そして道楽も、時々は必要である。立ち止まったり、横道に逸れたり、後戻りしたりすること、そのためのきっかけをくれるのが、道楽なのである。
【参考文献】
『日本農学史—近代農学形成期の研究—』1968年、斎藤之男
2016年11月29日火曜日
「本で町を豊かにする」
今、すっごく行ってみたい古本屋がある。
長野県上田市にある「NABO(ネイボ)」というブックカフェである。
ここは、古本業界の風雲児「バリューブックス」が経営する古本屋だ。Amazonで本を買う人なら、「Vaboo」という古本(やCDとか)の買取サービスを一度は見たことがあると思う。この「Vaboo」をやっているのが「バリューブックス」という会社である。
この会社、基本的にはAmazonで古本を売る、ということに特化した古本屋で、2007年の設立以来、急速に成長を遂げてきた。本の在庫は約180万冊もある(2016年11月現在)。これは、ちょっとやそっとの図書館では太刀打ちできないような量である。もちろん図書館とは違って重複資料がほとんどだろうから、単純には比べられないが、蔵書数だけでいったら、国内最大の公立図書館である東京都立図書館と同じ規模なのだ。
「バリューブックス」は、長野県上田市にある。でも実は、設立当初には確か東京が拠点だったはずである。 でも商売がどんどん拡大するにつれて、倉庫費用の安い長野に完全に移っていった。ドデカい倉庫が必要だからである。それに、インターネットを通じて商売をする以上、どこの街で商売をするかは関係がなく、東京に拠点がある意味もほとんどない。
古本屋は、基本的には儲からない商売である。恥ずかしながら、私も若い頃に古本屋(正確に言えばブックカフェ)を経営することを考えたことがある。でもどう考えても利益がでない。当時は古本業界のことをよく分かっていなかったから、今になって考えてみると随分間違った計算だったけれど、「死なない程度の暮らし」しかできないような商売だ、と思ってその考えは有耶無耶になってしまった。
ところが、「バリューブックス」はかなりの利益を現実に出している。社員15人、アルバイト300人、といった(古本屋としては度外れた)雇用を生んでいるし、何より、その大量の蔵書のほとんど(記憶では95%)が、1年以内に売れていくというのである。この蔵書の回転率は驚異的だ。私の知っているリアルの古本屋では、こんなどんどん変わっていく書棚は見たことがない。
……とまあ、この「バリューブックス」の風雲児っぷりは、インターネットでちょっと調べればどんどん出てくるはずなのでこのあたりで辞めることにしよう。とにかく、ここはインターネット(特にAmazon)専門の非リアル古書店として、大成功している会社なのである。
この波は、既存の古書店も避けることはできない。聞くところによると、鹿児島の古書店も9割(!)は、実店舗を廃業させ、インターネット専業の形態へと移行してしまったそうである。実際、リアルの古書店を開いているより、インターネットに出品する方がコンスタントに売れるのだから、そこに比重が移っていくのは無理からぬことである。正直言って、私も本の半分くらいはインターネットで買っているし(地元の本屋さんすいません)、ある面ではリアル書店(新刊・古書店共に)はインターネットに太刀打ちできない。
さらに正直言うと、このド田舎に移住してきたのも、「いざとなればインターネットで大抵のものは手に入るだろう」という気安さがあってこそであって、多分、Amaonがなかったら、私はまだ首都圏で働いていただろうと思う。
では、このまま古本業界はインターネットに飲み込まれていくのか、というと、どうだろう。そこがわからないところである。理屈で言えば、凡百のリアル古本屋が生き残っていく道はなさそうだ。最近では、ブックオフですらインターネット出品の比重を大きくしてきていて、もはやリアル店舗での古本販売は余技に近い雰囲気が感じられる。
ところが、例の「バリューブックス」、2014年に初のリアル古書店「NABO」をオープンさせた。全然儲からないはずの実店舗の古書店を。そしてこの店のテーマがいい。「本で町を豊かにする」だそうだ。そうそう、それだよ! と膝を打つテーマではないか。
「バリューブックス」は、「本を通して、人の生活を豊かにする」というコンセプトを掲げていて、これはこれで素晴らしい。が、悪く言えば当たり前のことである。それこそが読書の効用そのもの、と言えるのだから。
でも、「本で町を豊かにする」は、かなり野心的な言葉である。「本で社会を豊かにする」みたいなもっと広漠とした言い方なら、逆に穏当な言葉と思えるが、ここで話題になっているのは、まさにこの会社が所在する、「長野県上田市」を豊かにしようという宣言なのだから。
そしてこの言葉、ただ言ってるだけの空文ではなくて、実際に「NABO」は町を豊かにする取り組みをしているようである。例えば、180万冊の蔵書を活かして、「NABO」では3ヶ月に一度、棚の本の全取っ替えをするそうだ。それだけで、町の知性を刺激するクリエイティブな行為だと、私は思う。その他、「NABO」は実験の場と位置づけられて本に関するイベントなどを積極的に開催しているらしい。
では、どうして、ネット専業の風雲児たる「バリューブックス」は、わざわざリアル古書店をオープンさせたんだろうか? 一つは、(つまらない考えだけれど)税金対策で、どうせ利益が税金でもって行かれるなら、損失は織り込み済みで面白い店舗をつくってみようという、経営判断があると思う。行ってみないと本当のところは分からないが、たぶん、この店舗単体で利益を出すようなビジネスモデルにはなっていないと思う。
でももう一つには、やっぱり、実際に本を読む人と、直截のつながりを持ちたい、という、人として当たり前の考えがあるのではないだろうか。
インターネット専門の古書店の仕事は、データの入力と発送作業がメインになるが、ほとんどは機械的な作業の連続で、それあたかも工場のベルトコンベア式のそれと変わるところがないと想像される。ベルトコンベアが悪いとかいうつもりはないが、こういう仕事ばかりしていると、「なんのために仕事してるんだろ」的な気持ちになってくる。
純粋に利益のために仕事をするならそれでもいいかもしれないが、(そこで働いているに違いない)本好きな人たちは、それで満足できるような人たちではない、というのもまた事実である。
本は、人生にある種の「化学反応」を起こす力がある。人に本を紹介する、ということは、その「化学反応」の発端になるかもしれない、という行為だし、そうであればその結果を見届けたいと思う。小さな「化学反応」は、ほんの少しのエネルギーを放出して、それが次の「化学反応」を起こすかもしれない。いつしか、それは「連鎖反応」になって、本当に「町を豊かに」するかもしれないのである。
実際に、私はある一冊の本が奇縁になって、一人の女性と出会い、その人と結婚したという実績(!)がある。その一冊の本がなければ、私は全然違う人生を送っていただろう。本を読むと賢くなるとか、ものしりになれるとか、感受性が豊かになる、といった煽り文句(?)はほとんど嘘だと思うが、「本は人生を豊かにする」は本当のことだ。
でもこれは、インターネットの画面を見てみても、窺い知ることはできないことである。どうしても、本は物理的な場所に置かれ、そこに誰かが訪れなくては、物語は始まらない。効率的に最安値の古本を探すならインターネットで検索すればよいが、「化学反応」を起こすような本を手に取るためには、絶対に物理的な舞台が必要なのだ。
といっても、「NABO」が実際には何のためにつくられた店なのかは知らない。私の妄想なんか、ものの数に入らないくらい高度な戦略に基づいてつくられた店かもしれないし、逆にただの勢いでつくった店なのかもしれない。でも、実際に行って見てみたら、インターネット専門古書店の先にある何かが見えそうな気がして、興味が湧くのである。
既に案内しているとおり、私は今年の12月に「石蔵古本市」という古書販売のイベントを主催する。ここに出店していただく5軒の古本屋も、営業のメインはインターネットであると思われる。そのうち1店舗、加世田の「特価書店」は、かつてはリアル店舗で営業していたが、今やインターネット専業になった店だ。
新刊書店の撤退という波と相まって、街からはどんどん本が失われていっている。インターネットで買えるからいいじゃん、と思っていたらいけないような気がする。なぜかは知らないが南薩はもともと古本屋の不毛地帯で、以前から古本屋は少ないのだが、これではつまらないと思う。
私は単純に、本がある風景、本がある街、本がある人生が好きなのだ。たぶん「本」そのものよりも。 「本」もそれなりに読むが、愛書家かといわれたら違うと思うし、それに読む本の数も読書家と言えるほどのものではない。正直、「本好き」のカテゴリには入らないと思う。でも一冊の本をポケットに忍ばせる行為が、大好きなのだ。
「NABO」の試みになぞらえるわけではないが、ド田舎で古書市を開催してみようというのは、私なりにこれからの「本と街」の姿を見たいと思う、密かな企みである。どうせ市を開催するなら、人がたくさん来る街中でやる方がいいに決まっている。でも、これは、合理的に検討して、戦略的に決定した開催地ではない。ただ、自分の街で古書市をやりたいという、もっと人として原初的な欲望に基づいた企画なのである。
だからあんまり偉そうなことは言わないようにしよう。あるべき本と街の関係とか。これからの書店業界がどうあるべきかとか。そもそも部外者なんだし。いや、古書店関係者でもなんでもない、ただの百姓である私が、古本市を主催するということ自体がおこがましい。
ただ、私としては、ほんのいっときでも、我が南さつま市に、本が集う風景を、出現させたいだけなのかもしれない。そして、ぜひ、これを読んでいるあなたにも、その風景の一部になってもらいたい。
【情報】
「石蔵古本市—万世*丁子屋石蔵」
日時:12月9日(金)-12日(月)10:00-17:00(初日13:00〜、最終日〜15:00)
場所 :南さつま市加世田万世 丁子屋石蔵
参加古書店:あづさ書店 西駅店、泡沫(うたかた)、古書リゼット(レトロフト内)、特価書店、つばめ文庫
協力:南さつま市立図書館(12月11日(日)11:00より、会場にて除籍本の無料配布を開催)
主催:南薩の田舎暮らし
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。
長野県上田市にある「NABO(ネイボ)」というブックカフェである。
ここは、古本業界の風雲児「バリューブックス」が経営する古本屋だ。Amazonで本を買う人なら、「Vaboo」という古本(やCDとか)の買取サービスを一度は見たことがあると思う。この「Vaboo」をやっているのが「バリューブックス」という会社である。
この会社、基本的にはAmazonで古本を売る、ということに特化した古本屋で、2007年の設立以来、急速に成長を遂げてきた。本の在庫は約180万冊もある(2016年11月現在)。これは、ちょっとやそっとの図書館では太刀打ちできないような量である。もちろん図書館とは違って重複資料がほとんどだろうから、単純には比べられないが、蔵書数だけでいったら、国内最大の公立図書館である東京都立図書館と同じ規模なのだ。
「バリューブックス」は、長野県上田市にある。でも実は、設立当初には確か東京が拠点だったはずである。 でも商売がどんどん拡大するにつれて、倉庫費用の安い長野に完全に移っていった。ドデカい倉庫が必要だからである。それに、インターネットを通じて商売をする以上、どこの街で商売をするかは関係がなく、東京に拠点がある意味もほとんどない。
古本屋は、基本的には儲からない商売である。恥ずかしながら、私も若い頃に古本屋(正確に言えばブックカフェ)を経営することを考えたことがある。でもどう考えても利益がでない。当時は古本業界のことをよく分かっていなかったから、今になって考えてみると随分間違った計算だったけれど、「死なない程度の暮らし」しかできないような商売だ、と思ってその考えは有耶無耶になってしまった。
ところが、「バリューブックス」はかなりの利益を現実に出している。社員15人、アルバイト300人、といった(古本屋としては度外れた)雇用を生んでいるし、何より、その大量の蔵書のほとんど(記憶では95%)が、1年以内に売れていくというのである。この蔵書の回転率は驚異的だ。私の知っているリアルの古本屋では、こんなどんどん変わっていく書棚は見たことがない。
……とまあ、この「バリューブックス」の風雲児っぷりは、インターネットでちょっと調べればどんどん出てくるはずなのでこのあたりで辞めることにしよう。とにかく、ここはインターネット(特にAmazon)専門の非リアル古書店として、大成功している会社なのである。
この波は、既存の古書店も避けることはできない。聞くところによると、鹿児島の古書店も9割(!)は、実店舗を廃業させ、インターネット専業の形態へと移行してしまったそうである。実際、リアルの古書店を開いているより、インターネットに出品する方がコンスタントに売れるのだから、そこに比重が移っていくのは無理からぬことである。正直言って、私も本の半分くらいはインターネットで買っているし(地元の本屋さんすいません)、ある面ではリアル書店(新刊・古書店共に)はインターネットに太刀打ちできない。
さらに正直言うと、このド田舎に移住してきたのも、「いざとなればインターネットで大抵のものは手に入るだろう」という気安さがあってこそであって、多分、Amaonがなかったら、私はまだ首都圏で働いていただろうと思う。
では、このまま古本業界はインターネットに飲み込まれていくのか、というと、どうだろう。そこがわからないところである。理屈で言えば、凡百のリアル古本屋が生き残っていく道はなさそうだ。最近では、ブックオフですらインターネット出品の比重を大きくしてきていて、もはやリアル店舗での古本販売は余技に近い雰囲気が感じられる。
ところが、例の「バリューブックス」、2014年に初のリアル古書店「NABO」をオープンさせた。全然儲からないはずの実店舗の古書店を。そしてこの店のテーマがいい。「本で町を豊かにする」だそうだ。そうそう、それだよ! と膝を打つテーマではないか。
「バリューブックス」は、「本を通して、人の生活を豊かにする」というコンセプトを掲げていて、これはこれで素晴らしい。が、悪く言えば当たり前のことである。それこそが読書の効用そのもの、と言えるのだから。
でも、「本で町を豊かにする」は、かなり野心的な言葉である。「本で社会を豊かにする」みたいなもっと広漠とした言い方なら、逆に穏当な言葉と思えるが、ここで話題になっているのは、まさにこの会社が所在する、「長野県上田市」を豊かにしようという宣言なのだから。
そしてこの言葉、ただ言ってるだけの空文ではなくて、実際に「NABO」は町を豊かにする取り組みをしているようである。例えば、180万冊の蔵書を活かして、「NABO」では3ヶ月に一度、棚の本の全取っ替えをするそうだ。それだけで、町の知性を刺激するクリエイティブな行為だと、私は思う。その他、「NABO」は実験の場と位置づけられて本に関するイベントなどを積極的に開催しているらしい。
では、どうして、ネット専業の風雲児たる「バリューブックス」は、わざわざリアル古書店をオープンさせたんだろうか? 一つは、(つまらない考えだけれど)税金対策で、どうせ利益が税金でもって行かれるなら、損失は織り込み済みで面白い店舗をつくってみようという、経営判断があると思う。行ってみないと本当のところは分からないが、たぶん、この店舗単体で利益を出すようなビジネスモデルにはなっていないと思う。
でももう一つには、やっぱり、実際に本を読む人と、直截のつながりを持ちたい、という、人として当たり前の考えがあるのではないだろうか。
インターネット専門の古書店の仕事は、データの入力と発送作業がメインになるが、ほとんどは機械的な作業の連続で、それあたかも工場のベルトコンベア式のそれと変わるところがないと想像される。ベルトコンベアが悪いとかいうつもりはないが、こういう仕事ばかりしていると、「なんのために仕事してるんだろ」的な気持ちになってくる。
純粋に利益のために仕事をするならそれでもいいかもしれないが、(そこで働いているに違いない)本好きな人たちは、それで満足できるような人たちではない、というのもまた事実である。
本は、人生にある種の「化学反応」を起こす力がある。人に本を紹介する、ということは、その「化学反応」の発端になるかもしれない、という行為だし、そうであればその結果を見届けたいと思う。小さな「化学反応」は、ほんの少しのエネルギーを放出して、それが次の「化学反応」を起こすかもしれない。いつしか、それは「連鎖反応」になって、本当に「町を豊かに」するかもしれないのである。
実際に、私はある一冊の本が奇縁になって、一人の女性と出会い、その人と結婚したという実績(!)がある。その一冊の本がなければ、私は全然違う人生を送っていただろう。本を読むと賢くなるとか、ものしりになれるとか、感受性が豊かになる、といった煽り文句(?)はほとんど嘘だと思うが、「本は人生を豊かにする」は本当のことだ。
でもこれは、インターネットの画面を見てみても、窺い知ることはできないことである。どうしても、本は物理的な場所に置かれ、そこに誰かが訪れなくては、物語は始まらない。効率的に最安値の古本を探すならインターネットで検索すればよいが、「化学反応」を起こすような本を手に取るためには、絶対に物理的な舞台が必要なのだ。
といっても、「NABO」が実際には何のためにつくられた店なのかは知らない。私の妄想なんか、ものの数に入らないくらい高度な戦略に基づいてつくられた店かもしれないし、逆にただの勢いでつくった店なのかもしれない。でも、実際に行って見てみたら、インターネット専門古書店の先にある何かが見えそうな気がして、興味が湧くのである。
既に案内しているとおり、私は今年の12月に「石蔵古本市」という古書販売のイベントを主催する。ここに出店していただく5軒の古本屋も、営業のメインはインターネットであると思われる。そのうち1店舗、加世田の「特価書店」は、かつてはリアル店舗で営業していたが、今やインターネット専業になった店だ。
新刊書店の撤退という波と相まって、街からはどんどん本が失われていっている。インターネットで買えるからいいじゃん、と思っていたらいけないような気がする。なぜかは知らないが南薩はもともと古本屋の不毛地帯で、以前から古本屋は少ないのだが、これではつまらないと思う。
私は単純に、本がある風景、本がある街、本がある人生が好きなのだ。たぶん「本」そのものよりも。 「本」もそれなりに読むが、愛書家かといわれたら違うと思うし、それに読む本の数も読書家と言えるほどのものではない。正直、「本好き」のカテゴリには入らないと思う。でも一冊の本をポケットに忍ばせる行為が、大好きなのだ。
「NABO」の試みになぞらえるわけではないが、ド田舎で古書市を開催してみようというのは、私なりにこれからの「本と街」の姿を見たいと思う、密かな企みである。どうせ市を開催するなら、人がたくさん来る街中でやる方がいいに決まっている。でも、これは、合理的に検討して、戦略的に決定した開催地ではない。ただ、自分の街で古書市をやりたいという、もっと人として原初的な欲望に基づいた企画なのである。
だからあんまり偉そうなことは言わないようにしよう。あるべき本と街の関係とか。これからの書店業界がどうあるべきかとか。そもそも部外者なんだし。いや、古書店関係者でもなんでもない、ただの百姓である私が、古本市を主催するということ自体がおこがましい。
ただ、私としては、ほんのいっときでも、我が南さつま市に、本が集う風景を、出現させたいだけなのかもしれない。そして、ぜひ、これを読んでいるあなたにも、その風景の一部になってもらいたい。
【情報】
「石蔵古本市—万世*丁子屋石蔵」
日時:12月9日(金)-12日(月)10:00-17:00(初日13:00〜、最終日〜15:00)
場所 :南さつま市加世田万世 丁子屋石蔵
参加古書店:あづさ書店 西駅店、泡沫(うたかた)、古書リゼット(レトロフト内)、特価書店、つばめ文庫
協力:南さつま市立図書館(12月11日(日)11:00より、会場にて除籍本の無料配布を開催)
主催:南薩の田舎暮らし
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。
2016年11月24日木曜日
11月25日(金)カタルバーで、「田舎工学序説」再び
11月25日(金)、天文館のKENTA STOREで行われる「KATARU bar(カタルバー)」というイベントに出る。
実は私も行ったことがないが、カタルバーはこれまで6回開催されていて、要するに、ゲストを招いて、そのゲストを中心に集まったメンバーで一緒にゆるく語りましょう、というイベントみたいである。私は今回、そのゲストになったわけだ。
正直言うと、私はこういうのに積極的に出るタイプではない。どちらかというと事務方タイプというか、裏方で地味な作業をするのが好きである。まあ、人と会うのは嫌いではない。割と出会いを楽しむタイプだとは思う。でも実を言うと、初対面の人と内容のある話をするのが苦手で、無難な話題で終始してしまうところがある。要するに、こういう場にいても、つまらない人間かもしれない。
そんな私がなんでわざわざこのイベントに出ることになったか、というと、ぶっちゃけて言うと「営業」のためなんである。「営業」というには実際は緩すぎるかもしれないので、もう少し適切な言葉でいうと「プロモーション」である。
というのは、我が「南薩の田舎暮らし」、割と販売に苦しんでいるわけだ。
特に加工食品の中心商材である「南薩コンフィチュール」(ジャム)。自分で言うのも何だが割と評判はいい。地元ではかなり浸透してきたと思うし、物産館でも徐々に売れてきた。「とっても美味しかった!」というご感想をいただくことも多く、有り難いことである。
……が、これまで「売れる分だけ製造しよう」という安全策を取ってきたために、販路というものが未だにほとんど構築されていない。だから、評判がいい割には、売れ行きがよろしくない。当然である。売っている場所がほとんどないのだから!
インターネットでも販売しているが、送料の関係でこれはなかなか難しいので、やはりリアルの店舗で売られる必要がある。そのためには、まずは鹿児島市内では唯一、南薩の田舎暮らしの商品を置いていただいている「KENTA STORE」での販売が好成績にならなくてはいけない。闇雲に新規開拓をするより、今おつきあいある所でしっかり成功するのが大事だと思う(もちろん新規開拓も大事ですよ。卸先募集中!)。
というわけで、微力ながらKENTA STOREでの売上に貢献したいし、せめて顔見せすることで親近感を持ってもらおうという、そういう魂胆である。
でも実はこれも建前で、本当のことをいうと、自分へのプレッシャーというか、人前に出て「ちゃんとやんなきゃ」みたいな気持ちを再確認するという意味合いの方が本質かもしれない。なにしろ、普段は植物ばかり相手にしているので、なんだかちゃんとした社会生活が営めないほどにノンビリした感覚になりがちである(暇という意味では全然ないですよ)。いっちょここらで、「ビジネス」の荒波に揉まれておかないといけない。
当日は何を話すかというと、先日マルヤガーデンズで講演した「田舎工学序説」のスライドを再利用する。
再利用は手抜きかもしれないけれども、「行きたかったけど行けなかった」という声もチラホラとあったので、そういう人に向けて改めて話してみることにした。そもそも、カタルバーは何かを発表する場というよりは、雑談がメインと聞いている。酒の肴になればいいという程度に、自己紹介の代わりとしての「田舎工学序説」の説明をしたい。もちろん、(先日の講演でも言ったように)さらに突っ込んで「田舎工学」について聞きたい人が、疑問をぶつける場として捉えるのも結構である。
ということで、11月25日(金)にKENTA STOREにてお会いしましょう!
【情報】
KATARU bar #07
日時:11月25日(金) 19:00-22:00 ← ご都合のよい時間にくればOK
場所:KENTA STORE(天文館、こむらさきのちょっと先)
参加無料ですが、バーと言ってるくらいなので、たぶん飲み物をオーダーしていただくことになると思います(あやふやですいません)。 が、別にお酒を飲む必要はないです。というより私自身がノンアルコールです。あと、出来れば「南薩の田舎暮らし」の商品も買って下さいね!
実は私も行ったことがないが、カタルバーはこれまで6回開催されていて、要するに、ゲストを招いて、そのゲストを中心に集まったメンバーで一緒にゆるく語りましょう、というイベントみたいである。私は今回、そのゲストになったわけだ。
正直言うと、私はこういうのに積極的に出るタイプではない。どちらかというと事務方タイプというか、裏方で地味な作業をするのが好きである。まあ、人と会うのは嫌いではない。割と出会いを楽しむタイプだとは思う。でも実を言うと、初対面の人と内容のある話をするのが苦手で、無難な話題で終始してしまうところがある。要するに、こういう場にいても、つまらない人間かもしれない。
そんな私がなんでわざわざこのイベントに出ることになったか、というと、ぶっちゃけて言うと「営業」のためなんである。「営業」というには実際は緩すぎるかもしれないので、もう少し適切な言葉でいうと「プロモーション」である。
というのは、我が「南薩の田舎暮らし」、割と販売に苦しんでいるわけだ。
特に加工食品の中心商材である「南薩コンフィチュール」(ジャム)。自分で言うのも何だが割と評判はいい。地元ではかなり浸透してきたと思うし、物産館でも徐々に売れてきた。「とっても美味しかった!」というご感想をいただくことも多く、有り難いことである。
……が、これまで「売れる分だけ製造しよう」という安全策を取ってきたために、販路というものが未だにほとんど構築されていない。だから、評判がいい割には、売れ行きがよろしくない。当然である。売っている場所がほとんどないのだから!
インターネットでも販売しているが、送料の関係でこれはなかなか難しいので、やはりリアルの店舗で売られる必要がある。そのためには、まずは鹿児島市内では唯一、南薩の田舎暮らしの商品を置いていただいている「KENTA STORE」での販売が好成績にならなくてはいけない。闇雲に新規開拓をするより、今おつきあいある所でしっかり成功するのが大事だと思う(もちろん新規開拓も大事ですよ。卸先募集中!)。
というわけで、微力ながらKENTA STOREでの売上に貢献したいし、せめて顔見せすることで親近感を持ってもらおうという、そういう魂胆である。
でも実はこれも建前で、本当のことをいうと、自分へのプレッシャーというか、人前に出て「ちゃんとやんなきゃ」みたいな気持ちを再確認するという意味合いの方が本質かもしれない。なにしろ、普段は植物ばかり相手にしているので、なんだかちゃんとした社会生活が営めないほどにノンビリした感覚になりがちである(暇という意味では全然ないですよ)。いっちょここらで、「ビジネス」の荒波に揉まれておかないといけない。
当日は何を話すかというと、先日マルヤガーデンズで講演した「田舎工学序説」のスライドを再利用する。
再利用は手抜きかもしれないけれども、「行きたかったけど行けなかった」という声もチラホラとあったので、そういう人に向けて改めて話してみることにした。そもそも、カタルバーは何かを発表する場というよりは、雑談がメインと聞いている。酒の肴になればいいという程度に、自己紹介の代わりとしての「田舎工学序説」の説明をしたい。もちろん、(先日の講演でも言ったように)さらに突っ込んで「田舎工学」について聞きたい人が、疑問をぶつける場として捉えるのも結構である。
ということで、11月25日(金)にKENTA STOREにてお会いしましょう!
【情報】
KATARU bar #07
日時:11月25日(金) 19:00-22:00 ← ご都合のよい時間にくればOK
場所:KENTA STORE(天文館、こむらさきのちょっと先)
参加無料ですが、バーと言ってるくらいなので、たぶん飲み物をオーダーしていただくことになると思います(あやふやですいません)。 が、別にお酒を飲む必要はないです。というより私自身がノンアルコールです。あと、出来れば「南薩の田舎暮らし」の商品も買って下さいね!
2016年11月22日火曜日
「イベントを育てる」ということ
11月13日(日)、3回目となる「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を笠沙美術館で開催した。天気にも恵まれ、多くの方にお越しいただき、主催者としては大成功、と思っている。
ところで、薄々思っている方も多いと思うが、このイベント、第1回、第2回もあんまり内容が変わっておらず、今年はギター演奏が新しい取組だったものの、マルシェも昨年と全く同じメンツだし、それどころかチラシのデザインもほとんど同じである。
マンネリ、と言われたら返す言葉もないのだが、一応自分の中で思っていることがある。というか、迷っていることがある。それは、「イベントを育てていくとはどういうことか」ということである。
私も一昨年に初めてこの「珈琲を飲む会」を開催したときは、「来年はもっと盛り上げるぞ!」と意気込んだし、2回目をやった後も「どんどん発展していったら面白いなー」と思っていた。もちろん3回目が終わった直後の今でも、来年に向けたアイデアを既に考え始めている自分がいるし、来年はもっと盛り上がって欲しいと思っている。でも昨年のイベント後くらいから「お客さんをもっと増やして、マルシェの出店ももっと増やして〜」というような拡大路線はちょっと違うような気がしてきていた。
その気持ちが明確になったのが、(あんまり名前を出すと可哀想だけれど)今年の7月に行われた「ふるまい!宮崎」というイベントの評判を見てから。
このイベント、4500円払って九州各地の名物料理を食べ放題、というような趣旨で行われたが、7月の炎天下の中なのにテントが不十分、会場キャパを遙かに超えるお客さんでごった返して何を食べるにも長蛇の列、しかも飲み物持ち込み禁止となっていたことから熱中症で運ばれる人が続出…、という地獄のイベントだったようだ。
【参考】炎天下で行列、売り切れ続出……宮崎県の食フェスに批判殺到 実行委が謝罪
これ、主催者側の問題を挙げればキリがないが、私なりに考えると、結局「ふるまい」を標榜しながら己の利益しか考えなかった、という一点に集約されると思う。
でも自分だって、イベントをやるとなればやっぱり利益は出て欲しいと思うものだし、というか利益が出なかったら次が続かない。実際、過去2回やってみて、一人当たりコーヒー代込みで500円を徴収しないと赤字になることがわかったから、今回はちょっと値上げして参加費500円にしてみた(高いよ、という人が一人もいなかったので安心)。
そして、利益の源泉は、多くの人に来てもらうということに尽きるし(客単価を上げるという方法もあるが、これはイベントの性質上なかなか難しい)、多くの人に来てもらうことはイベントの趣旨に適う場合も多い。例えば、「珈琲を飲む会」は笠沙美術館からの素晴らしい眺めを知ってもらうということが目的の一つであるが、こういう目的だったらお客さんは多ければ多いほどいいわけだ。
でもだからと言って、見境なくお客さんを呼んでしまうと、誰にとってもよい結果にならない。
今回の体制での、会場キャパシティは1日で230人(うち子どもが1割程度)くらいだったろう。それ以上にお客さんが来てしまうと、コーヒー1杯お渡しするのにも随分お待たせする感じになってしまったのではないかと思う。今回の実際のお客さんの数は約180人だったので、そのキャパを考えるとまだまだ余裕があったが、もしネットでバズって(非常に拡散して)その倍の人が来てしまっていたらイベントが崩壊したはずである。
そもそもコーヒーは、ゆったりした気持ちで飲みたいものだ。出来るなら、座り心地のよいイスも欲しい。心地よい音楽、気の置けない仲間、暑くもなく寒くもない気候、そして見晴らしのよい景色! このイベントは、残念ながら「座り心地のよいイス」だけはないが、その他は大体揃えられる環境で、一緒にゆったりコーヒーを飲もうというものなのに、大勢の人でごった返してしまっては、その意味がなくなってしまう。
じゃあもっと体制を充実させればいいじゃん、と思うかもしれないが、コーヒーの供給能力を高めることは出来ても、会場の広さは同じなわけで、大勢のお客さんが来すぎるとゆっくりできないというのは変わらないと思う。だから「イベントがもっと盛り上がるといいなー」とは今でも思っているが、それは大勢の人が来るというよりは、質的なもの(というより「意味的なもの」)を高めるという方向性だ。
「イベントを育てる」というのは、最初に打ち立てる頃は、とにかく集客力を高めることに違いない。たくさんのお客さんに来てもらえるように、コンテンツを充実させて、広報を頑張る。これはこれでやりがいのあることだし、また難しいことである。「海の見える美術館で珈琲を飲む会」はまだこの段階だ。今年も、いろいろな要因はあったが、結局は自分たちの広報不足で、午前中はだいぶお客さんが少ない時間帯があった。
でもその段階を超えると、お客さんは多ければ多いほどいい、ということはなくなって、そのイベントが本領発揮するだけの人数が集まればいい、ということになってくる。そしてこの段階になると、そもそも「人数」そのものではなくて、「ちゃんと来るべき人が来たか」というようなことの方が重要になってくる(はずだ)。
広報は、闇雲に拡散させるよりも、「こんな人に来て欲しい」という人にこそ届くものにしなくてはならない。もっと大げさなことをいうと、「あなたの人生において、ここに来ることが必要である」というような人に届けたいと思うのである。
先日、マルヤガーデンズで「田舎工学序説」と銘打った講演会を行ったが、そこに非常に意外な人が来て下さっていて驚いた。その人とは、12年ぶりの再会だった。私の講演が、その人にとって必要なものだったとは全然思わないけれども、(ここには書けない事情から)その再会は必要なものだった。いや私にとっても、あの再会のために講演会があったのかもしれない、と思ってしまうような出来事だった。こういう「届き方」があるから、広報というのは侮れない。
そして、時にこういう再会があるものだから、一度打ち立てた「場」というのは、簡単に変えていかない方がいいのかもしれない。同じメンツが一年に一度再会して、同じイベントをする、というのも、一見マンネリに見えるが、そういうやり方でしか提供できない価値もある。でも一方で、メンバーが固定化することは閉鎖的なムードをも産む。やはり開かれた場でないと、内容的な充実は望めない部分があるのでそのあたりのバランスが難しい。基本的にはオープンにしつつ、変わらない何かを持ち続ける、というのが理想のあり方なんだろう。
というわけで、くだくだしく書いてきたけれども、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を、もっとステキな場にしていきたいと思っている。今のところ、そのアイデアは全然ないが、来年やるときも、あんまりこれまでと変わらない感じで、でも何か新しいものをちょっとだけ付け加えて。広報は、(今回はちょっとやらなさすぎたので)2倍くらいに強化して、でもやたらめったら声を大きくするんじゃなく、届けるべき人に届くように。来てくれた人が、ゆっくり景色とコーヒーを楽しめるように。
このイベントは、究極的には「自分が楽しいからやりたい」というエゴでやっている。そういう自分勝手なエゴが中心にあることを自分でも忘れないようにして、自分なりのやり方で「イベントを育てて」いきたい。
ところで、薄々思っている方も多いと思うが、このイベント、第1回、第2回もあんまり内容が変わっておらず、今年はギター演奏が新しい取組だったものの、マルシェも昨年と全く同じメンツだし、それどころかチラシのデザインもほとんど同じである。
マンネリ、と言われたら返す言葉もないのだが、一応自分の中で思っていることがある。というか、迷っていることがある。それは、「イベントを育てていくとはどういうことか」ということである。
私も一昨年に初めてこの「珈琲を飲む会」を開催したときは、「来年はもっと盛り上げるぞ!」と意気込んだし、2回目をやった後も「どんどん発展していったら面白いなー」と思っていた。もちろん3回目が終わった直後の今でも、来年に向けたアイデアを既に考え始めている自分がいるし、来年はもっと盛り上がって欲しいと思っている。でも昨年のイベント後くらいから「お客さんをもっと増やして、マルシェの出店ももっと増やして〜」というような拡大路線はちょっと違うような気がしてきていた。
その気持ちが明確になったのが、(あんまり名前を出すと可哀想だけれど)今年の7月に行われた「ふるまい!宮崎」というイベントの評判を見てから。
このイベント、4500円払って九州各地の名物料理を食べ放題、というような趣旨で行われたが、7月の炎天下の中なのにテントが不十分、会場キャパを遙かに超えるお客さんでごった返して何を食べるにも長蛇の列、しかも飲み物持ち込み禁止となっていたことから熱中症で運ばれる人が続出…、という地獄のイベントだったようだ。
【参考】炎天下で行列、売り切れ続出……宮崎県の食フェスに批判殺到 実行委が謝罪
これ、主催者側の問題を挙げればキリがないが、私なりに考えると、結局「ふるまい」を標榜しながら己の利益しか考えなかった、という一点に集約されると思う。
でも自分だって、イベントをやるとなればやっぱり利益は出て欲しいと思うものだし、というか利益が出なかったら次が続かない。実際、過去2回やってみて、一人当たりコーヒー代込みで500円を徴収しないと赤字になることがわかったから、今回はちょっと値上げして参加費500円にしてみた(高いよ、という人が一人もいなかったので安心)。
そして、利益の源泉は、多くの人に来てもらうということに尽きるし(客単価を上げるという方法もあるが、これはイベントの性質上なかなか難しい)、多くの人に来てもらうことはイベントの趣旨に適う場合も多い。例えば、「珈琲を飲む会」は笠沙美術館からの素晴らしい眺めを知ってもらうということが目的の一つであるが、こういう目的だったらお客さんは多ければ多いほどいいわけだ。
でもだからと言って、見境なくお客さんを呼んでしまうと、誰にとってもよい結果にならない。
今回の体制での、会場キャパシティは1日で230人(うち子どもが1割程度)くらいだったろう。それ以上にお客さんが来てしまうと、コーヒー1杯お渡しするのにも随分お待たせする感じになってしまったのではないかと思う。今回の実際のお客さんの数は約180人だったので、そのキャパを考えるとまだまだ余裕があったが、もしネットでバズって(非常に拡散して)その倍の人が来てしまっていたらイベントが崩壊したはずである。
そもそもコーヒーは、ゆったりした気持ちで飲みたいものだ。出来るなら、座り心地のよいイスも欲しい。心地よい音楽、気の置けない仲間、暑くもなく寒くもない気候、そして見晴らしのよい景色! このイベントは、残念ながら「座り心地のよいイス」だけはないが、その他は大体揃えられる環境で、一緒にゆったりコーヒーを飲もうというものなのに、大勢の人でごった返してしまっては、その意味がなくなってしまう。
じゃあもっと体制を充実させればいいじゃん、と思うかもしれないが、コーヒーの供給能力を高めることは出来ても、会場の広さは同じなわけで、大勢のお客さんが来すぎるとゆっくりできないというのは変わらないと思う。だから「イベントがもっと盛り上がるといいなー」とは今でも思っているが、それは大勢の人が来るというよりは、質的なもの(というより「意味的なもの」)を高めるという方向性だ。
「イベントを育てる」というのは、最初に打ち立てる頃は、とにかく集客力を高めることに違いない。たくさんのお客さんに来てもらえるように、コンテンツを充実させて、広報を頑張る。これはこれでやりがいのあることだし、また難しいことである。「海の見える美術館で珈琲を飲む会」はまだこの段階だ。今年も、いろいろな要因はあったが、結局は自分たちの広報不足で、午前中はだいぶお客さんが少ない時間帯があった。
でもその段階を超えると、お客さんは多ければ多いほどいい、ということはなくなって、そのイベントが本領発揮するだけの人数が集まればいい、ということになってくる。そしてこの段階になると、そもそも「人数」そのものではなくて、「ちゃんと来るべき人が来たか」というようなことの方が重要になってくる(はずだ)。
広報は、闇雲に拡散させるよりも、「こんな人に来て欲しい」という人にこそ届くものにしなくてはならない。もっと大げさなことをいうと、「あなたの人生において、ここに来ることが必要である」というような人に届けたいと思うのである。
先日、マルヤガーデンズで「田舎工学序説」と銘打った講演会を行ったが、そこに非常に意外な人が来て下さっていて驚いた。その人とは、12年ぶりの再会だった。私の講演が、その人にとって必要なものだったとは全然思わないけれども、(ここには書けない事情から)その再会は必要なものだった。いや私にとっても、あの再会のために講演会があったのかもしれない、と思ってしまうような出来事だった。こういう「届き方」があるから、広報というのは侮れない。
そして、時にこういう再会があるものだから、一度打ち立てた「場」というのは、簡単に変えていかない方がいいのかもしれない。同じメンツが一年に一度再会して、同じイベントをする、というのも、一見マンネリに見えるが、そういうやり方でしか提供できない価値もある。でも一方で、メンバーが固定化することは閉鎖的なムードをも産む。やはり開かれた場でないと、内容的な充実は望めない部分があるのでそのあたりのバランスが難しい。基本的にはオープンにしつつ、変わらない何かを持ち続ける、というのが理想のあり方なんだろう。
というわけで、くだくだしく書いてきたけれども、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を、もっとステキな場にしていきたいと思っている。今のところ、そのアイデアは全然ないが、来年やるときも、あんまりこれまでと変わらない感じで、でも何か新しいものをちょっとだけ付け加えて。広報は、(今回はちょっとやらなさすぎたので)2倍くらいに強化して、でもやたらめったら声を大きくするんじゃなく、届けるべき人に届くように。来てくれた人が、ゆっくり景色とコーヒーを楽しめるように。
このイベントは、究極的には「自分が楽しいからやりたい」というエゴでやっている。そういう自分勝手なエゴが中心にあることを自分でも忘れないようにして、自分なりのやり方で「イベントを育てて」いきたい。
2016年11月3日木曜日
「石蔵古本市」でぜひ「入り口の本」を。
新刊書店は大きければ大きいほどよいが、古本屋の場合はそうとは限らない。
最近では、本を買うだけならAmazonで事足りるようになったから、目的の本が決まっているなら、書店に足を運ぶ必要もない。書店に行くのは、本を買うということよりも、どんな本が並んでいるのかを見たり、店頭の本をペラペラめくったり、本の匂いを嗅いだりするためになってきた。要するに、特定の本を買うためではなくて、何かいい本ないかな、と思っていくのがリアルの書店である。
Amazonでもそういう機能は充実してきて、オススメ機能はそれなりにいい本を教えてくれるし、立ち読み機能も有り難い。でも、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」的なオススメのやり方では、自分の興味分野を深めていくことはできても、全く新しい分野への扉を開くということは難しい。
これまで読んだことのなかった分野の本を手に取ってみる、それには、古本屋に行くのが一番だ。
というのは、古本屋は、新刊書店のような本の並べ方をしていない。ブックオフのような店の棚は新刊書店と大同小異だけれども、普通の古本屋はあんなに律儀に分類していない。
味のある古本屋はまず棚の作り方がいい。目的の本を探すためではなく、本そのものが魅力的に見えるように並べてある。雑然とではなく、有機的に、本が配列されている。
ジャンル毎の分類というのはもちろんある。全くのカオスだったら、眺める方も疲れる。だが、歴史の本の隣に文学があったり、人類学の本の隣に素粒子の本があったりする。興味のある分野を眺めながら、同時にこれまで関心がなかった分野の本も目に入ってくる仕掛けになっているわけだ。
私は好奇心旺盛な方だと思うが、やっぱり新刊書店に行ったら、自分の関心ある分野の棚にしか行かない。だから、新たな分野への触手、というのはなかなか伸ばしにくい。でも、古本屋に行ったら、特にそれが小さい古本屋の場合は、端から端まで全ての棚に目を通すようにしている。だって、自分の関心ある本がどこに置かれているかわからないからだ。それで結果的に、これまで手に取る機会のなかった本にまで、触れる機会を持つ。こうして、新たな沃野へ踏み出したことが、これまで何度あっただろう。
東京の自由が丘に東京書房という小さな古本屋があって、東京に住んでいた頃、大学も近かったのでよく足を運んだ。ここがまさにそういうお店で、ほんの6畳もないような店なのに、行くたびに新たな発見があるようなところだった。今考えてみて、ここで出会った一番思い出の本というと、デズモンド・モリス著『人間動物園』だ。
この本をきっかけにして、私は人類進化と心理のあり方に興味を持ち、スティーブン・ピンカー、E. O. ウィルソン、ジョン・メイナード=スミス、ジェフリー・ミラー、日高敏隆、マーク・ハウザーといった社会生物学・進化心理学の諸作を読み漁ることになる。こうした読書体験があったのも、その入り口となる『人間動物園』があったからで、もしこの本と出会わなかったら、この分野に興味を持つことがあったかどうだか分からない。
こういう、「入り口の本」というのが読書人生にはとても重要で、時々「日本文学しか読みません」とか、「推理小説ばっかり読んでます」とかいう人がいるが、そういう人もその分野に強烈なこだわりがあるというよりも、単に他の分野への「入り口の本」に出会っていないだけだったりするのである。
でも「入り口の本」を買うのは、ちょっと勇気がいる。今まで手にとったことのなかった分野、著者、出版社。肌に合うか分からない。読み通せないかもしれない。頑張って読んでも、結局つまらないこともある。そんなリスクがあるものに、1000円も2000円も使いたくないのが人情だ。
だから、古本屋がなおさらいいわけだ。結果的につまらなくても、300円とか500円だったら許せる。気軽に、未知の分野に踏み出せるというものである。
つまり、私にとって古本屋は、ただ安く本が買える場所ではなくて、未知のものに出会うための場所なのである。
というわけで、だいぶ前置きが長くなったが、そういう私がこのたび古本市を企画した。リニューアルしてステキな空間に生まれ変わった丁子屋石蔵(登録有形文化財)をお借りして、鹿児島の古書店5軒に集まってもらい、12月に4日間だけ古本市を開催する。
出張販売だからなおさら棚数は限られる。隅から隅まで棚の本を眺めて欲しい。お気に入りの作家の本を探すのももちろん結構。でもその中で、あなたにとっての「入り口の本」との出会いがあれば、企画者冥利に尽きるというものである。
『出版物販売額の実態2016』(日販)によれば、南さつま市の一人あたりの年間出版購入額は5,362円。全国平均は14,260円で、鹿児島県平均は11,136円だそうである(いずれも推計)。つまり南さつま市の人は、全国平均と比べたら1/3しか本を買っていないし、鹿児島県平均と比べてもたったの1/2程度(!)なのだ。
南さつまの将来を考えてみると、これはとても不安な傾向と言わざるをえない。本をことさら素晴らしいものという気はないが、本を通じてしか得られないものは多い。南さつまはタダでさえ僻地で遅れたところなのに、本すら読まないのでは時代に取り残されてしまうのではないか。
でも南さつまの人が、本に関心がないというわけではないと思う。書店の少なさ、図書館の貧弱さ、そうしたものが「入り口の本」との出会いを減らしているだけではないだろうか? 南さつまの人だって、本と出会いたがっているのではないだろうか?
私はそう思っている。だから、古本市の企画に意味があるんじゃないかと考えた。こんなの、本好きの酔狂な道楽なのかもしれない。でも、来てくれた人がたった一人でも、「入り口の本」と出会ったら、すごいことだと思う。その人の人生が変わってしまうかもしれないのだから。
その友人は、「新しい自分」かもしれないのだ。
【情報】
「石蔵古本市—万世*丁子屋石蔵」
日時:12月9日(金)-12日(月)10:00-17:00(初日13:00〜、最終日〜15:00)
場所 :南さつま市加世田万世 丁子屋石蔵
参加古書店:あづさ書店 西駅店、泡沫(うたかた)、古書リゼット(レトロフト内)、特価書店、つばめ文庫
協力:南さつま市立図書館(12月11日(日)11:00より、会場にて除籍本の無料配布を開催)
主催:南薩の田舎暮らし
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。
最近では、本を買うだけならAmazonで事足りるようになったから、目的の本が決まっているなら、書店に足を運ぶ必要もない。書店に行くのは、本を買うということよりも、どんな本が並んでいるのかを見たり、店頭の本をペラペラめくったり、本の匂いを嗅いだりするためになってきた。要するに、特定の本を買うためではなくて、何かいい本ないかな、と思っていくのがリアルの書店である。
Amazonでもそういう機能は充実してきて、オススメ機能はそれなりにいい本を教えてくれるし、立ち読み機能も有り難い。でも、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」的なオススメのやり方では、自分の興味分野を深めていくことはできても、全く新しい分野への扉を開くということは難しい。
これまで読んだことのなかった分野の本を手に取ってみる、それには、古本屋に行くのが一番だ。
というのは、古本屋は、新刊書店のような本の並べ方をしていない。ブックオフのような店の棚は新刊書店と大同小異だけれども、普通の古本屋はあんなに律儀に分類していない。
味のある古本屋はまず棚の作り方がいい。目的の本を探すためではなく、本そのものが魅力的に見えるように並べてある。雑然とではなく、有機的に、本が配列されている。
ジャンル毎の分類というのはもちろんある。全くのカオスだったら、眺める方も疲れる。だが、歴史の本の隣に文学があったり、人類学の本の隣に素粒子の本があったりする。興味のある分野を眺めながら、同時にこれまで関心がなかった分野の本も目に入ってくる仕掛けになっているわけだ。
私は好奇心旺盛な方だと思うが、やっぱり新刊書店に行ったら、自分の関心ある分野の棚にしか行かない。だから、新たな分野への触手、というのはなかなか伸ばしにくい。でも、古本屋に行ったら、特にそれが小さい古本屋の場合は、端から端まで全ての棚に目を通すようにしている。だって、自分の関心ある本がどこに置かれているかわからないからだ。それで結果的に、これまで手に取る機会のなかった本にまで、触れる機会を持つ。こうして、新たな沃野へ踏み出したことが、これまで何度あっただろう。
東京の自由が丘に東京書房という小さな古本屋があって、東京に住んでいた頃、大学も近かったのでよく足を運んだ。ここがまさにそういうお店で、ほんの6畳もないような店なのに、行くたびに新たな発見があるようなところだった。今考えてみて、ここで出会った一番思い出の本というと、デズモンド・モリス著『人間動物園』だ。
この本をきっかけにして、私は人類進化と心理のあり方に興味を持ち、スティーブン・ピンカー、E. O. ウィルソン、ジョン・メイナード=スミス、ジェフリー・ミラー、日高敏隆、マーク・ハウザーといった社会生物学・進化心理学の諸作を読み漁ることになる。こうした読書体験があったのも、その入り口となる『人間動物園』があったからで、もしこの本と出会わなかったら、この分野に興味を持つことがあったかどうだか分からない。
こういう、「入り口の本」というのが読書人生にはとても重要で、時々「日本文学しか読みません」とか、「推理小説ばっかり読んでます」とかいう人がいるが、そういう人もその分野に強烈なこだわりがあるというよりも、単に他の分野への「入り口の本」に出会っていないだけだったりするのである。
でも「入り口の本」を買うのは、ちょっと勇気がいる。今まで手にとったことのなかった分野、著者、出版社。肌に合うか分からない。読み通せないかもしれない。頑張って読んでも、結局つまらないこともある。そんなリスクがあるものに、1000円も2000円も使いたくないのが人情だ。
だから、古本屋がなおさらいいわけだ。結果的につまらなくても、300円とか500円だったら許せる。気軽に、未知の分野に踏み出せるというものである。
つまり、私にとって古本屋は、ただ安く本が買える場所ではなくて、未知のものに出会うための場所なのである。
というわけで、だいぶ前置きが長くなったが、そういう私がこのたび古本市を企画した。リニューアルしてステキな空間に生まれ変わった丁子屋石蔵(登録有形文化財)をお借りして、鹿児島の古書店5軒に集まってもらい、12月に4日間だけ古本市を開催する。
出張販売だからなおさら棚数は限られる。隅から隅まで棚の本を眺めて欲しい。お気に入りの作家の本を探すのももちろん結構。でもその中で、あなたにとっての「入り口の本」との出会いがあれば、企画者冥利に尽きるというものである。
『出版物販売額の実態2016』(日販)によれば、南さつま市の一人あたりの年間出版購入額は5,362円。全国平均は14,260円で、鹿児島県平均は11,136円だそうである(いずれも推計)。つまり南さつま市の人は、全国平均と比べたら1/3しか本を買っていないし、鹿児島県平均と比べてもたったの1/2程度(!)なのだ。
南さつまの将来を考えてみると、これはとても不安な傾向と言わざるをえない。本をことさら素晴らしいものという気はないが、本を通じてしか得られないものは多い。南さつまはタダでさえ僻地で遅れたところなのに、本すら読まないのでは時代に取り残されてしまうのではないか。
でも南さつまの人が、本に関心がないというわけではないと思う。書店の少なさ、図書館の貧弱さ、そうしたものが「入り口の本」との出会いを減らしているだけではないだろうか? 南さつまの人だって、本と出会いたがっているのではないだろうか?
私はそう思っている。だから、古本市の企画に意味があるんじゃないかと考えた。こんなの、本好きの酔狂な道楽なのかもしれない。でも、来てくれた人がたった一人でも、「入り口の本」と出会ったら、すごいことだと思う。その人の人生が変わってしまうかもしれないのだから。
「読書は私たちにまだ見ぬ友人を連れてくる」——バルザック
その友人は、「新しい自分」かもしれないのだ。
【情報】
「石蔵古本市—万世*丁子屋石蔵」
日時:12月9日(金)-12日(月)10:00-17:00(初日13:00〜、最終日〜15:00)
場所 :南さつま市加世田万世 丁子屋石蔵
参加古書店:あづさ書店 西駅店、泡沫(うたかた)、古書リゼット(レトロフト内)、特価書店、つばめ文庫
協力:南さつま市立図書館(12月11日(日)11:00より、会場にて除籍本の無料配布を開催)
主催:南薩の田舎暮らし
★Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。
2016年10月13日木曜日
「砂の祭典プラス」
2017吹上浜砂の祭典実施推進本部会議というののメンバーになった。
以前、「人間讃歌としての砂の祭典へ」という「砂の祭典」批判の記事を書いた。正直言うと、「砂の祭典」の時期は農繁期なので会議のメンバーになるのはあんまり前向きではなかったが、こういう発信をしている以上、公の席で意見をいう機会が与えられたら断るのはフェアではない。
というわけで、先日初回会議があったので出席してきた。
内容は、来年2017年の「砂の祭典」をどうしていきましょうか、というものだ。でも出席してみてわかったのは、これは「実施推進本部」という名前はついてはいるが、その実態は「連絡会議」のようなもので、青年会議所とか文化協会とか、それから役所の他部署といった関係機関に対する事前説明と調整を行う場だということだ。
だから企画立案機能なんかはほとんどなくて、それはこの会議に付属(?)している「デザイン会議」というのが担っているらしい。
どうやら、元々はこの実施推進本部で企画立案をしていこうということだったらしいが、各団体の代表者が席を連ねている関係上、「意見ありませんか?」…シーン…みたいなことが続いて、 検討機能が失われ、説明機能だけが残っていったみたいである。
要するに、この会議のメンバーにはアイデア面はあまり期待されていないようだ。が、黙って席に座っているのは無駄なので、自分なりに意見を言っていきたい。
さて、先日の会議ではまず、「このイベントの目的は何で、費用対効果は何で測定しているのか」と質問してみた。それに対し、「地域活性化を目的としていて、費用対効果は毎年計測しているわけではないが、3年ほど前に鹿児島経済研究所(鹿児島銀行の関係機関)に市内の経済効果を見積もってもらったところ3億円くらいあり、それが効果だと考えている」といった回答があった。
その後、来年の「砂の祭典」の検討状況の説明があり、来年は30回記念なので例年とは違ったことをやりましょうということで、大まかには「派手なことをやる」「市民の参加を促す」の2つの方向性が示された。「派手」については私はあまりアイデアがない人間なので措くとして、ここでは「市民の参加を促す」について考えてみたい。
会議では、祭典会場で「郷土芸能を披露」とか「旧市町村ごとの物産販売」とかのアイデアが示されていて、そういうのもいいと思うが、そもそもこのイベントに求める「効果」が地域経済への貢献なのだとしたら、直接的にそれを形にする方がよいように思われる。せっかく何万人もの人がこのイベントに訪れるのだから、砂の祭典だけを見て帰るのではなく、市内の他のところにも足を伸ばしてほしい。
そのためには、砂の祭典そのものの内容を充実させるのと同時に、砂の祭典とコラボした(というより同時期に他の場所でやる)イベントの実施や、市内の他の観光情報の発信が重要だと思う。そもそも、砂の祭典公式WEBサイトを見ても、これまで市内の観光情報一つ載っていなくて、イベントの説明に終始しているので、これをまず改めるべきだと思う。波及効果を望むのであれば、祭典の周辺の情報も発信していかなくてはならない。
それで参考になるのが、蒲生という街の「カモコレ」という取組だ。
「カモコレ」は、「蒲生ワクワクコレクション」の略称で、これは例年2月〜3月の約1ヶ月間、蒲生町内で行われるさまざまなイベントを寄せ集めたものである。「寄せ集め」というと言葉が悪いかもしれないが、これが偉いのは「ちゃんと寄せ集めている」ところで、「カモコレ」という冊子を作って全イベントの情報をまとめ、しかも申込事務局を一元化(lab蒲生郷というNPO法人が担当)しているのである。
イベントの企画というのは、ちょっと何かやっている人はすぐに思いつくものだが、結局苦労するのは人集めである。普通の人は知り合いに声を掛けるくらいしか手段がない。インターネットでお知らせすればいいじゃんと思うかもしれないが、インターネットの力は実際には(特に田舎では)ものすごく小さい。だから、「アイデアはいいけど、人が集まらないよね、きっと」ということでポシャる場合がとても多いと思う。
「カモコレ」の場合、共通の冊子やWEBサイトで事務局が広報してくれるわけだから、この一番苦労する人集めが自然にできる仕組みになっているのである。しかも、一度カモコレ(の中のどれかのイベント)に参加した人は、他のイベントも少なくとも冊子上は目にすることになり、「今度はこれにも参加しようかな」という人も出てくる。それぞれのイベントの集客力は僅かでも、それを寄せ集めることによって大きな広報力になるのである。
こうしたことから、最初は本当に寄せ集め的だったイベントが徐々に充実してきた。「こういう仕組みがあるなら私もイベントをやってみたい」という新規参入者が増えてきたからだ。共通の仕組みがあることでイベントの質も高まってきた。そして最近ではワークショップ・講座系の取組が周年で行われるようになり、「学びのカモコレ」と題した一種のカルチャーセンターみたいになってきている。
結局、「カモコレ」の本質的な価値は、町内各所で行われていた小さなイベントの情報をまとめ、実施時期を揃え、可視化することで集客力を高め、イベントをやるハードルを下げて町民の自主性と企画力を育てていったことである。こういう取組が、「砂の祭典」でもできないものか。
「砂の祭典」は実施期間が約1ヶ月ある。「カモコレ」とほぼ同じくらいの期間である。この間に、市内各所で行われるイベントの情報をまとめて「砂の祭典」のWEBサイトやチラシで合わせてお知らせするのはどうだろう。「砂の祭典」を見に来た人も、それだけを見て帰るより、ついでにどこか行ってみたいと思っているはずである。つまり「砂の祭典」に少し「プラス」してみたいはずだ。
何をプラスのメニューにできるのかは市民の方で考える。イベントといっても、最初から大それたことを考えるのではなく、お店の特売みたいなものでもいいと思う。今あるイベント(えびす百縁市みたいな)の時期をずらしてくるのでもいい。とにかく、せっかく遠方から砂像を見にお客さんが来てくれるのだから、南さつま市を巡ってもらう、その足がかりになればよい。
「砂の祭典」に「市民の参加を促す」のはいいとしても、よくないパターンとしては、別にやりたくもないことをやらされたり(郷土芸能を本当に会場で披露したいと思うんだろうか?)、買いたくもないチケットを買わされたり、小学校や中学校といった動かしやすいところが強制参加させられたりすることだ。こういうことをすると、動員をかけられた方は本当に疲れてしまう。主体性なく関わったイベントというのは本当に疲れるのである。
疲れたら、「地域活性化」とは逆である。「地域活性化」という目的そのものが曖昧だ、と私は思うが、少なくとも地域活性化を掲げるなら、市民の元気が出る「砂の祭典」にしないといけない。「砂の祭典」で疲れてしまって、本当にやりたかった他のことができなくなってしまったら本末顚倒である。
地域活性化とは、結局は市民の自主性が高まり、活動量が高まることだと私は思う。活性化した地域というのは、住民が、それぞれやりたいことに楽しく取り組んでいる地域だ。 これが「砂の祭典」の目指すところなのであれば、ことさらに「市民の参加を促す」よりも、「砂の祭典」をうまく活用してもらって、それぞれがやりたいことを実現できるプラットフォームになっていくべきだ。
来年の「砂の祭典」は第30回記念。これを期に、「砂の祭典」は「砂の祭典プラス」へ。「砂の祭典+スキューバダイビング」「砂の祭典+物産館めぐり」「砂の祭典+カフェでまったり」といった楽しみ方ができるように、もっと正確に言えば、そういう楽しみ方を可視化できるように、そしてそのマーケットに気軽に参入できるようになってもらいたい。
以前、「人間讃歌としての砂の祭典へ」という「砂の祭典」批判の記事を書いた。正直言うと、「砂の祭典」の時期は農繁期なので会議のメンバーになるのはあんまり前向きではなかったが、こういう発信をしている以上、公の席で意見をいう機会が与えられたら断るのはフェアではない。
というわけで、先日初回会議があったので出席してきた。
内容は、来年2017年の「砂の祭典」をどうしていきましょうか、というものだ。でも出席してみてわかったのは、これは「実施推進本部」という名前はついてはいるが、その実態は「連絡会議」のようなもので、青年会議所とか文化協会とか、それから役所の他部署といった関係機関に対する事前説明と調整を行う場だということだ。
だから企画立案機能なんかはほとんどなくて、それはこの会議に付属(?)している「デザイン会議」というのが担っているらしい。
どうやら、元々はこの実施推進本部で企画立案をしていこうということだったらしいが、各団体の代表者が席を連ねている関係上、「意見ありませんか?」…シーン…みたいなことが続いて、 検討機能が失われ、説明機能だけが残っていったみたいである。
要するに、この会議のメンバーにはアイデア面はあまり期待されていないようだ。が、黙って席に座っているのは無駄なので、自分なりに意見を言っていきたい。
さて、先日の会議ではまず、「このイベントの目的は何で、費用対効果は何で測定しているのか」と質問してみた。それに対し、「地域活性化を目的としていて、費用対効果は毎年計測しているわけではないが、3年ほど前に鹿児島経済研究所(鹿児島銀行の関係機関)に市内の経済効果を見積もってもらったところ3億円くらいあり、それが効果だと考えている」といった回答があった。
その後、来年の「砂の祭典」の検討状況の説明があり、来年は30回記念なので例年とは違ったことをやりましょうということで、大まかには「派手なことをやる」「市民の参加を促す」の2つの方向性が示された。「派手」については私はあまりアイデアがない人間なので措くとして、ここでは「市民の参加を促す」について考えてみたい。
会議では、祭典会場で「郷土芸能を披露」とか「旧市町村ごとの物産販売」とかのアイデアが示されていて、そういうのもいいと思うが、そもそもこのイベントに求める「効果」が地域経済への貢献なのだとしたら、直接的にそれを形にする方がよいように思われる。せっかく何万人もの人がこのイベントに訪れるのだから、砂の祭典だけを見て帰るのではなく、市内の他のところにも足を伸ばしてほしい。
そのためには、砂の祭典そのものの内容を充実させるのと同時に、砂の祭典とコラボした(というより同時期に他の場所でやる)イベントの実施や、市内の他の観光情報の発信が重要だと思う。そもそも、砂の祭典公式WEBサイトを見ても、これまで市内の観光情報一つ載っていなくて、イベントの説明に終始しているので、これをまず改めるべきだと思う。波及効果を望むのであれば、祭典の周辺の情報も発信していかなくてはならない。
それで参考になるのが、蒲生という街の「カモコレ」という取組だ。
「カモコレ」は、「蒲生ワクワクコレクション」の略称で、これは例年2月〜3月の約1ヶ月間、蒲生町内で行われるさまざまなイベントを寄せ集めたものである。「寄せ集め」というと言葉が悪いかもしれないが、これが偉いのは「ちゃんと寄せ集めている」ところで、「カモコレ」という冊子を作って全イベントの情報をまとめ、しかも申込事務局を一元化(lab蒲生郷というNPO法人が担当)しているのである。
イベントの企画というのは、ちょっと何かやっている人はすぐに思いつくものだが、結局苦労するのは人集めである。普通の人は知り合いに声を掛けるくらいしか手段がない。インターネットでお知らせすればいいじゃんと思うかもしれないが、インターネットの力は実際には(特に田舎では)ものすごく小さい。だから、「アイデアはいいけど、人が集まらないよね、きっと」ということでポシャる場合がとても多いと思う。
「カモコレ」の場合、共通の冊子やWEBサイトで事務局が広報してくれるわけだから、この一番苦労する人集めが自然にできる仕組みになっているのである。しかも、一度カモコレ(の中のどれかのイベント)に参加した人は、他のイベントも少なくとも冊子上は目にすることになり、「今度はこれにも参加しようかな」という人も出てくる。それぞれのイベントの集客力は僅かでも、それを寄せ集めることによって大きな広報力になるのである。
こうしたことから、最初は本当に寄せ集め的だったイベントが徐々に充実してきた。「こういう仕組みがあるなら私もイベントをやってみたい」という新規参入者が増えてきたからだ。共通の仕組みがあることでイベントの質も高まってきた。そして最近ではワークショップ・講座系の取組が周年で行われるようになり、「学びのカモコレ」と題した一種のカルチャーセンターみたいになってきている。
結局、「カモコレ」の本質的な価値は、町内各所で行われていた小さなイベントの情報をまとめ、実施時期を揃え、可視化することで集客力を高め、イベントをやるハードルを下げて町民の自主性と企画力を育てていったことである。こういう取組が、「砂の祭典」でもできないものか。
「砂の祭典」は実施期間が約1ヶ月ある。「カモコレ」とほぼ同じくらいの期間である。この間に、市内各所で行われるイベントの情報をまとめて「砂の祭典」のWEBサイトやチラシで合わせてお知らせするのはどうだろう。「砂の祭典」を見に来た人も、それだけを見て帰るより、ついでにどこか行ってみたいと思っているはずである。つまり「砂の祭典」に少し「プラス」してみたいはずだ。
何をプラスのメニューにできるのかは市民の方で考える。イベントといっても、最初から大それたことを考えるのではなく、お店の特売みたいなものでもいいと思う。今あるイベント(えびす百縁市みたいな)の時期をずらしてくるのでもいい。とにかく、せっかく遠方から砂像を見にお客さんが来てくれるのだから、南さつま市を巡ってもらう、その足がかりになればよい。
「砂の祭典」に「市民の参加を促す」のはいいとしても、よくないパターンとしては、別にやりたくもないことをやらされたり(郷土芸能を本当に会場で披露したいと思うんだろうか?)、買いたくもないチケットを買わされたり、小学校や中学校といった動かしやすいところが強制参加させられたりすることだ。こういうことをすると、動員をかけられた方は本当に疲れてしまう。主体性なく関わったイベントというのは本当に疲れるのである。
疲れたら、「地域活性化」とは逆である。「地域活性化」という目的そのものが曖昧だ、と私は思うが、少なくとも地域活性化を掲げるなら、市民の元気が出る「砂の祭典」にしないといけない。「砂の祭典」で疲れてしまって、本当にやりたかった他のことができなくなってしまったら本末顚倒である。
地域活性化とは、結局は市民の自主性が高まり、活動量が高まることだと私は思う。活性化した地域というのは、住民が、それぞれやりたいことに楽しく取り組んでいる地域だ。 これが「砂の祭典」の目指すところなのであれば、ことさらに「市民の参加を促す」よりも、「砂の祭典」をうまく活用してもらって、それぞれがやりたいことを実現できるプラットフォームになっていくべきだ。
来年の「砂の祭典」は第30回記念。これを期に、「砂の祭典」は「砂の祭典プラス」へ。「砂の祭典+スキューバダイビング」「砂の祭典+物産館めぐり」「砂の祭典+カフェでまったり」といった楽しみ方ができるように、もっと正確に言えば、そういう楽しみ方を可視化できるように、そしてそのマーケットに気軽に参入できるようになってもらいたい。
2016年9月23日金曜日
Tech Garden Salon「田舎工学序説」をマルヤガーデンズで開催します
お知らせ。
11月19日(土)に、マルヤガーデンズで講演します。以前もちょっと紹介した「Tech Garden Salon」というイベントで。
演題は、「田舎工学序説」と名付けた。この「序説」というのは便利な言葉で、まだ定まっていない学問分野について述べる時に使う(ことが多い)。「序説」とついていれば割合なんでも盛り込めるというわけだ。
ちなみにこのチラシは、鹿児島を代表するイラストレーターである大寺聡さんに作ってもらったもの。鹿児島マラソンのデザインとかしている人である。
このチラシのウラ面から講演のテーマ説明を抜き出してみると、
こういう講演というのは、本来は実績を挙げた人や深く研究している人がやるべきであって、何の実績もない、ただ田舎暮らしをしているだけ(しかも苦労しながら)の私が話してどれだけの価値ある講演になるか実際自分でも疑問である。地域作りには各地で意欲的な取組があり、そういうところの優れたリーダーに来て話してもらった方がよほど面白いのは間違いない。
ただ、これまでそういう「優れたリーダー」の話を農業や地域づくりの研修などで聞いてきたが、結局は「ああ、こういうリーダーがいたからできたことなんだな」という感想を持ってしまうことが多かった。行動力とセンスがあり、人柄もよいリーダーがいれば、どんなプロジェクトでも成功するのは当たり前である。でも普通の田舎にはそういうリーダーはいない。そういう意味では、各地の意欲的な取組はいかにも参考になりそうでいて、実際には真似できないことは多い。
というわけで、普通の人が普通にやれる範囲のことで、田舎をどうやって面白くしていくか、という観点から話ができたら、私みたいな人間が講演する意味もあるかもしれない。そんな話がちゃんと出来るかはまだ不透明だが、だんだん内容が頭の中で固まってきたところである。
主催者の同窓会支部長には「ブログでお知らせしたら15人くらいは来ると思います」と言っておいた。そんなわけで、「南薩日乗」の読者の皆様、ご来場をお待ちしております。
11月19日(土)に、マルヤガーデンズで講演します。以前もちょっと紹介した「Tech Garden Salon」というイベントで。
演題は、「田舎工学序説」と名付けた。この「序説」というのは便利な言葉で、まだ定まっていない学問分野について述べる時に使う(ことが多い)。「序説」とついていれば割合なんでも盛り込めるというわけだ。
ちなみにこのチラシは、鹿児島を代表するイラストレーターである大寺聡さんに作ってもらったもの。鹿児島マラソンのデザインとかしている人である。
このチラシのウラ面から講演のテーマ説明を抜き出してみると、
みなさんは「田舎工学」と聞いたらどんな学問だと思うでしょうか? 実は、こんな学問はまだ存在していないのです。なぜならこれまで「田舎」は作っていくものではなく、既にあるものだったからです。しかし、近年非常に「田舎」への関心が高まっています。しかも、自分の故郷へ帰るのではなく、新天地を求める人が「田舎」へ向かってきています。自分なりの「田舎」を作っていくことを目指して。という内容を予定している。
では、どうしたら自分なりの「田舎」が作れるのでしょうか? それには、都市工学とも、従来の農村工学とも違う視点が必要になるでしょう。つまり、行政が中心になって行う上からのインフラ整備ではなく、個人の力で荒野を切り拓いていく草の根の動きが中心になってくるのではないでしょうか。自分自身が楽しく住める「田舎」を作るため、みなさんと一緒に「田舎工学」を考えてみたいと思います。
こういう講演というのは、本来は実績を挙げた人や深く研究している人がやるべきであって、何の実績もない、ただ田舎暮らしをしているだけ(しかも苦労しながら)の私が話してどれだけの価値ある講演になるか実際自分でも疑問である。地域作りには各地で意欲的な取組があり、そういうところの優れたリーダーに来て話してもらった方がよほど面白いのは間違いない。
ただ、これまでそういう「優れたリーダー」の話を農業や地域づくりの研修などで聞いてきたが、結局は「ああ、こういうリーダーがいたからできたことなんだな」という感想を持ってしまうことが多かった。行動力とセンスがあり、人柄もよいリーダーがいれば、どんなプロジェクトでも成功するのは当たり前である。でも普通の田舎にはそういうリーダーはいない。そういう意味では、各地の意欲的な取組はいかにも参考になりそうでいて、実際には真似できないことは多い。
というわけで、普通の人が普通にやれる範囲のことで、田舎をどうやって面白くしていくか、という観点から話ができたら、私みたいな人間が講演する意味もあるかもしれない。そんな話がちゃんと出来るかはまだ不透明だが、だんだん内容が頭の中で固まってきたところである。
主催者の同窓会支部長には「ブログでお知らせしたら15人くらいは来ると思います」と言っておいた。そんなわけで、「南薩日乗」の読者の皆様、ご来場をお待ちしております。
2016年7月13日水曜日
現代焼酎産業の源流、黒瀬杜氏
黒瀬海岸(神渡海岸) |
山あいの、耕地面積が少なく、今では耕作放棄地と空き家が目立つ、一見どこにでもあるさびれた集落。でもこの黒瀬という集落こそが、鹿児島、というより九州の現代焼酎産業の源流の一つなのである。
時は明治30年代、後に「黒瀬杜氏(とうじ)」と呼ばれることになる、焼酎造りの技術集団がこの集落に育っていた。彼らは、鹿児島、そして九州一円、時に四国にまで赴き、杜氏として焼酎を造ったのだという。焼酎造りは季節労働である。彼らが各地の焼酎蔵に赴いたのは、出稼ぎの季節労働者としてだった。
杜氏といえば、焼酎づくりの製造責任者である。出稼ぎの風来坊に製造責任者をお任せする、というのが今から考えると奇妙かもしれないが、焼酎造りの各種機械化が行われる前は、この出稼ぎの技術者に焼酎造りを委ねるのが普通だった。鹿児島の焼酎は、この黒瀬集落から焼酎蔵に赴いた人たちが作ったものだったのだ。いや、鹿児島だけでなく、九州のかなりの焼酎蔵が黒瀬杜氏を招いていた。もし黒瀬杜氏がいなかったら、九州の焼酎製造業の様子はかなり違ったものになっていたかもしれない。
とはいっても、鹿児島の焼酎は約500年の歴史がある。たかが明治時代に勃興した杜氏集団が、「焼酎産業の源流の一つ」とは少し大げさ過ぎるのではないかと思うかもしれない。実は、私自身がつい最近までこのことには懐疑的だった。「たくさんある源流の一つ」なのではないか、よくあるご当地自慢のたぐいではないのか、と疑っていたのである。本当に、黒瀬杜氏は鹿児島の焼酎造りに中心的な役割を果たしていたのだろうか。
そんな疑問を抱いていたとき、一つの調査報告を見つけた。1983(昭和58)年に、鹿児島経済大学教授(当時)の豊田謙二らが行った焼酎業界の現況調査である。これは鹿児島県内62の酒造所を対象に杜氏の状況などを調査しており、それによると、杜氏を置いている酒造所(41軒)の約60%にあたる24軒の酒造所で黒瀬杜氏が働いていた。また別のヒアリング調査の結果も加味すると、この時点で鹿児島県内で働いていた黒瀬杜氏は35人と推測されるという。
杜氏がいなかった酒造所はほとんど規模の小さいところであるから、大規模な酒造所の半数以上では黒瀬杜氏が焼酎造りを担っていたわけだ。黒瀬杜氏は、その最盛期の1960年頃には約350人の杜氏・蔵人(くらこ:杜氏の部下)を擁したという。焼酎造りの機械化や理論的な解明(醸造学)が進むにつれて黒瀬杜氏の存在感は小さくなっていくが、最盛期の350人からかなり人数が減少した1983年時点でも60%の酒造所で黒瀬杜氏が活躍していたことを考えると、最も活躍が大きかった時代においては、鹿児島の県内のかなり多くの酒造所で黒瀬杜氏が焼酎造りを担っていたと推測できる。
確かに、黒瀬杜氏は鹿児島の焼酎造りを支えた存在だった。それは誇張でもご当地自慢でもなんでもない。事実、今でも黒瀬杜氏を売りにした焼酎蔵はこの地元以外にもたくさんあって、例えばそのものずばりの「黒瀬杜氏伝承蔵」を銘打っている阿久根の鹿児島酒造や「野海棠」の祁答院蒸留所などが挙げられる。
一方、地元笠沙には、この黒瀬杜氏という存在を文化遺産として継承・発信するために「杜氏の里 笠沙」という施設が作られ、展示だけでなく、まさに黒瀬杜氏が腕を振るった焼酎の製造・販売も行っている。ここで作られている、なかなか手に入らない銘酒「一どん(いっどん)」は鹿児島県内では有名な焼酎だ(抽選でしか手に入らない)。
だが、黒瀬杜氏とはどんな存在なのか、地元の人にもあまり知られていないのが実情かももしれない。私自身、ほとんどアルコールを飲まないこともあり、つい最近までよく知らなかった。せっかく地元に「焼酎産業の源流」があるのにも関わらず、それを地元の人自身があまり認識していなかったらちょっともったいない。
というわけで(なのかどうかホントのところは知らないが)、今般、南さつま市観光協会の女性グループ(mojoca)が主催して、「ゆかたまつり in南さつま with焼酎杜氏」または「浴衣フェス〜黒瀬杜氏 vs 南薩女子〜」というイベントが7月24日(日)に開催されることになった(なぜイベントタイトルが2種類あるのかは不明。ネット上は前者で、チラシでは後者でお知らせされている模様…)。
このイベントは、普段は焼酎とはちょっと縁が遠い女性が中心になって、浴衣でオシャレをしながら杜氏に焼酎の手ほどきを受けてしまおうという趣旨、なんだと思う。当日いらっしゃる杜氏2人は、実は黒瀬杜氏ではないが、地元本坊酒造と宇都酒造の若手の杜氏であり、若いプロの視点から南さつまの杜氏や焼酎を語っていただけるのではないかと楽しみだ。そして実は、「南薩の田舎暮らし」もちょっとだけこれに参画する予定である。
で、その申込〆切がなんと明日7月14日(木)らしい(申込フォームにはそう書いていないが、チラシにはそうある)。浴衣のレンタルなんかも用意されている模様。気になったら即申し込みありたい。
ところで、このイベントのことはさておき、黒瀬杜氏が現代の焼酎産業を彩ってきた歴史は、それ自体がとても興味深いものである。また、どうしてこんな薩摩半島のすみっこにある集落が源流になりえたのか、他の地域ではありえなかったのか、といった疑問は尽きない。私は焼酎を飲むということもほとんどないし、焼酎の歴史にも門外漢なのであるが、この身近な地元の近代史を自分なりに紐解いてみたい。
(つづく)
2016年7月5日火曜日
7月15日、「加世田かぼちゃ闇市」と「南薩日乗サロン」を開催

まずは「加世田かぼちゃ闇市」の方から。レトロフトでは毎週金曜日に半地下スペースで出張販売を行う「レトロフト金曜市」という催しが開催されている。これは、そこに出店させてもらって、私の農業経営における主要作物である「加世田のかぼちゃ」を販売しようという取組だ。ではなんで「闇市」なのかというと、「加世田のかぼちゃ」というブランド野菜は農協が商標を持っているので、本来は農協以外が「これは加世田かぼちゃですよ」といって販売してはいけない。農協に出荷するものと同じ基準を満たしていても、個人で販売する場合は、あくまでただの「かぼちゃ」として売らないといけない。
だが、「加世田のかぼちゃ」というブランド自体が県内でもあんまり認知されておらず、またほとんどが東京や大阪に出荷されてしまうことから、鹿児島市では売っているところを見たことがない。せっかく立派なブランド野菜があるのに、鹿児島市の人は見たことも聞いたことも、当然食べたこともない、というような存在になってしまっている。
もちろん、東京や大阪の人たちに高いお金を出して買ってもらったら、いわゆる外貨獲得になるのでいいことである。でも地元の人たちには手に入らない、というのは残念だ。というわけで、 敢えて商標の禁を犯して、私の育てたかぼちゃを「加世田のかぼちゃ」として、レトロフトで「闇販売」してみることにした。もちろん農協に「加世田のかぼちゃ」として出荷したものと同じものである。
鹿児島市で「加世田のかぼちゃ」が手に入る機会は本当に少ないと思うので、この機会にぜひお試しあれ! なお、当日は包丁を持っていって、量り売りする予定である(1個そのままも持っていきます)。そして、かぼちゃを使ったお菓子なども販売するし、もちろんいつも通り南薩コンフィチュール「うめ」も持っていく予定。
で、次の「南薩日乗サロン」がこの記事の本題。
以前、「マルヤガーデンズで講演をすることになったのですが…。 」という記事を書いた。 要するに、「秋に田舎暮らしについて講演することになったのだけど、何をしゃべったらいいのかいまいちピンと来ないんです」という話である。
で、この記事を読んだレトロフトのオーナーから連絡があり、「もしレトロフトがお役に立てるなら、予行練習として金曜市の時間帯かで、隣の空いたブースで『田舎暮らし座談会』とかされてもいいですよ。少人数での気楽な茶話会でも。」というお話があったのである。
こんな風に言われたら、やらないワケにはいかない。
最初は「懇話会」みたいなものを考えていたが、それだと参加者同士の話が中心みたいな雰囲気になるし、一応自分が中心で話すという趣旨は明確にしつつ、お茶やお菓子を食べながら気軽に話すという意味を込めて「サロン」としてみた(「サロン」は、元々は主人が取り仕切るサークルのことを言う)。内容は、基本的に「南薩の田舎暮らし」(というより私?)の活動紹介を行いつつ、田舎暮らしについての考えをボツボツとしゃべってみるというもの。でもそもそも、「何をしゃべったらいいのかいまいちピンと来ない」というところから始まっているので、話が支離滅裂になるかもしれない(でも一応、資料なんかも持っていこうと思っている)。
よって、あるテーマについて語る会、というよりも、一種の「オフ会」みたいなものとしてやってみることにした(このブログを見ている人くらいしか参加者が想定されないですしね)。だからタイトルが「南薩日乗サロン」なんである。
時間は、金曜市をやっている最中の14:00〜16:00くらい。この時間帯はお客さんが少なくなるので、ちょっとだけ販売を中座させてもらってサロンを行う。一応「サロン」と銘打っているので、飲み物とお菓子を準備する予定である(お菓子代を300円〜500円くらいとるかも)。
その準備の都合もあるので、参加したいという方はコメント欄にでも書き込むか(もちろん匿名で可)、
秋の講演のテーマは「田舎工学」としているけれども、それだけにこだわらず、鹿児島に生きる皆さんが、生活する上でどういうことに関心を持っているかということを学ばせてもらい、本番の講演内容の検討に活かしたいと思うので、ぜひよろしくお願いいたします!
【情報】レトロフト金曜市
2016年7月15日(金)11:00〜19:00
鹿児島市名山町のレトロフトの半地下スペース
当日は、「南薩の田舎暮らし」の他に「笹野製茶」も出店します。
2015年11月24日火曜日
景観をテーマにした講演会@マルヤガーデンズ
Tech Garden Salonというイベントのご案内。
私は東京工業大学、というごつい名前の(鹿児島では)無名の大学を卒業していて、その大学の同窓会が「蔵前工業会」というこれまたごつい名前なのだが、その同窓会活動の一環で今回マルヤガーデンズで12月5日に講演会を行う。
これは、「科学技術がテーマの講演会だとどうしても聴衆にオヤジが多いので、少し砕けた感じにして女性にも聞いてもらえるようなイベントを開こう」ということで始まったもので(あくまでも私の理解です)、今年で2回目である。
今年のテーマは「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」で、講師は東工大の卒業生で鹿児島大学名誉教授の井上佳朗先生。
井上先生は大学時代は機械系だったが心理学の研究室が近かったことから心理学の方に興味を惹かれ、大学院で社会開発工学を専攻、鹿児島大学に赴任して法文学部の教授になったという面白い経歴の人である。
工業大学になぜ心理学の研究室があったのかというと、昔、東工大は随分人文教育に力を入れていて、心理学の宮城音弥とか文学の伊藤 整や江藤 淳、文化人類学の川喜田二郎といった独特な人たちが教授を務めていた。ある意味では人文社会学と科学技術を融和させようとする風土があったから、井上先生も機械系から心理学へ移行するキャリアを積むことが出来たのである。
井上先生の専門は(たぶん)都市計画・開発工学における心理的側面で、要するに街が形成されていく時に、その構造や景観によってどのように居住者の心理が影響されるのかということである。例えば、鹿児島市はJRの線路によって東西が分断されているが、そういうことが住民の気持ちやコミュニティの形成にどう影響を及ぼすのかというようなことなんじゃないかと思う。
井上先生は鹿児島市の景観審議会の会長も務めていて、実務面でも学術面でも鹿児島の景観学をリードする方なのではと私は思っているが、その井上先生から「景観」をテーマにした講義を聞けるということで私もすごく楽しみにしている。
私も景観というものは人の心を考える上ですごく重要な要素だと思っていて、これまでブログでもいくつか景観に関わる記事を書いた。でも正直に言うと、まだ景観の意味を摑みきれないでいる。例えば、いくら景観が重要なものだといっても、景観の価値はどれくらいあるんだろうか?
ヨーロッパの諸都市では、景観をそれこそ共同体の顔や体というくらいに思っていて、第二次大戦で街が灰燼に帰した後も、戦後の金がない時なのにそっくりそのまま(というのは言い過ぎかもしれないがほとんど元通りに)街を古風な景観の通りに再建したほどである。 つまり、欧州諸都市の人間にとって、景観はなけなしの金を出しても惜しくないほど価値があるものだった。
一方日本ではどうか。日本人はほとんど景観に気を掛けないことはよく知られたことで、街を覆う電線、無秩序な看板とネオンサイン、「消費税完納推進の街」みたいな無意味な横断幕、統一感のない街並み、貧弱な街路樹、「立ち入り禁止」「ゴミを捨てるな」といった過剰にうるさい標識といったものが景観を乱しに乱していて、都市と言うよりも街全体が工場のようである。
でも日本人が景観に全く注意を払わないかというとそうではなく、日本人の観光の中心はバカンスとかショッピングよりも「美しい風景を見る」ということに傾いているようで、普段の生活で適わない「美しい風景」を求めて観光地へゆくという面があるような気がする。つまり貴重な時間やお金を使う価値が、風景にはあるわけだ。なのに、普段生活する都市の景観には無頓着であるのは謎の一つで、このあたりから私の思索はこんがらがっていく。
日本人にとって、景観とはどんな価値があるんだろうか? ヨーロッパやアメリカの諸都市とは違った意味づけを日本人はしてきたのだろうか? そして、景観の価値というものがあるなら、それをどうやって計測可能なものにできるのだろうか? そういうことは、素晴らしい風景に囲まれて暮らしている私にとって、最近非常にホットな問題提起なのだ。
たぶん、今回の講演会はこうした理念的な疑問に答えるものというよりは、もっと具体的なテーマを扱うのではないかと思うが、私にとっても風景学のよい入り口になるのではないかと期待している。
ちなみにイベントの当日は、(もちろん有料だけど)ちょっとした飲み物も注文できて、ほんの少しだけサロン的な雰囲気にもなる予定である。東京工業大学同窓会主催のイベントというと随分堅そうで関係者ばっかりというイメージがあると思うが、そのコンセプトは
【情報】
Tech Garden Salon
講演テーマ「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」
講師:鹿児島大学名誉教授(生活環境論、社会開発論) 井上佳朗
日時 2015年12月5日(土)15:30-17:00(15:00開場)
場所 マルヤガーデンズ 7F 入場無料(定員50名)
→詳しくはこちら
私は東京工業大学、というごつい名前の(鹿児島では)無名の大学を卒業していて、その大学の同窓会が「蔵前工業会」というこれまたごつい名前なのだが、その同窓会活動の一環で今回マルヤガーデンズで12月5日に講演会を行う。
これは、「科学技術がテーマの講演会だとどうしても聴衆にオヤジが多いので、少し砕けた感じにして女性にも聞いてもらえるようなイベントを開こう」ということで始まったもので(あくまでも私の理解です)、今年で2回目である。
今年のテーマは「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」で、講師は東工大の卒業生で鹿児島大学名誉教授の井上佳朗先生。
井上先生は大学時代は機械系だったが心理学の研究室が近かったことから心理学の方に興味を惹かれ、大学院で社会開発工学を専攻、鹿児島大学に赴任して法文学部の教授になったという面白い経歴の人である。
工業大学になぜ心理学の研究室があったのかというと、昔、東工大は随分人文教育に力を入れていて、心理学の宮城音弥とか文学の伊藤 整や江藤 淳、文化人類学の川喜田二郎といった独特な人たちが教授を務めていた。ある意味では人文社会学と科学技術を融和させようとする風土があったから、井上先生も機械系から心理学へ移行するキャリアを積むことが出来たのである。
井上先生の専門は(たぶん)都市計画・開発工学における心理的側面で、要するに街が形成されていく時に、その構造や景観によってどのように居住者の心理が影響されるのかということである。例えば、鹿児島市はJRの線路によって東西が分断されているが、そういうことが住民の気持ちやコミュニティの形成にどう影響を及ぼすのかというようなことなんじゃないかと思う。
井上先生は鹿児島市の景観審議会の会長も務めていて、実務面でも学術面でも鹿児島の景観学をリードする方なのではと私は思っているが、その井上先生から「景観」をテーマにした講義を聞けるということで私もすごく楽しみにしている。
私も景観というものは人の心を考える上ですごく重要な要素だと思っていて、これまでブログでもいくつか景観に関わる記事を書いた。でも正直に言うと、まだ景観の意味を摑みきれないでいる。例えば、いくら景観が重要なものだといっても、景観の価値はどれくらいあるんだろうか?
ヨーロッパの諸都市では、景観をそれこそ共同体の顔や体というくらいに思っていて、第二次大戦で街が灰燼に帰した後も、戦後の金がない時なのにそっくりそのまま(というのは言い過ぎかもしれないがほとんど元通りに)街を古風な景観の通りに再建したほどである。 つまり、欧州諸都市の人間にとって、景観はなけなしの金を出しても惜しくないほど価値があるものだった。
一方日本ではどうか。日本人はほとんど景観に気を掛けないことはよく知られたことで、街を覆う電線、無秩序な看板とネオンサイン、「消費税完納推進の街」みたいな無意味な横断幕、統一感のない街並み、貧弱な街路樹、「立ち入り禁止」「ゴミを捨てるな」といった過剰にうるさい標識といったものが景観を乱しに乱していて、都市と言うよりも街全体が工場のようである。
でも日本人が景観に全く注意を払わないかというとそうではなく、日本人の観光の中心はバカンスとかショッピングよりも「美しい風景を見る」ということに傾いているようで、普段の生活で適わない「美しい風景」を求めて観光地へゆくという面があるような気がする。つまり貴重な時間やお金を使う価値が、風景にはあるわけだ。なのに、普段生活する都市の景観には無頓着であるのは謎の一つで、このあたりから私の思索はこんがらがっていく。
日本人にとって、景観とはどんな価値があるんだろうか? ヨーロッパやアメリカの諸都市とは違った意味づけを日本人はしてきたのだろうか? そして、景観の価値というものがあるなら、それをどうやって計測可能なものにできるのだろうか? そういうことは、素晴らしい風景に囲まれて暮らしている私にとって、最近非常にホットな問題提起なのだ。
たぶん、今回の講演会はこうした理念的な疑問に答えるものというよりは、もっと具体的なテーマを扱うのではないかと思うが、私にとっても風景学のよい入り口になるのではないかと期待している。
ちなみにイベントの当日は、(もちろん有料だけど)ちょっとした飲み物も注文できて、ほんの少しだけサロン的な雰囲気にもなる予定である。東京工業大学同窓会主催のイベントというと随分堅そうで関係者ばっかりというイメージがあると思うが、そのコンセプトは
私たちの日常に当り前にある様々なモノの裏には多くの知恵と技術が隠れています。それを知れば世の中の見方さえ変わってしまうかも。アートやカルチャーを楽しむように、今宵はテクノロジーの世界を気軽に楽しんでみませんか。というもので、部外者歓迎というか、むしろごくごく一般の人のために開催するものなので、ぜひお越し下さい。申込不要です。ちなみに、私も当日は一番の下っ端として雑務をする予定。
【情報】
Tech Garden Salon
講演テーマ「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」
講師:鹿児島大学名誉教授(生活環境論、社会開発論) 井上佳朗
日時 2015年12月5日(土)15:30-17:00(15:00開場)
場所 マルヤガーデンズ 7F 入場無料(定員50名)
→詳しくはこちら
2015年11月5日木曜日
「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催します
11月15日(日)、「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催します!
【チラシ】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
昨年の11月23日、vol.1をやって、思いの外多くの人に来ていただいた。ただ眺めのよいところでコーヒーを飲む、というだけのイベントだったが(主観的に)大好評をいただいて、2回目もしようとその場で決めた。
ただ、vol.1の時は振る舞いコーヒーにしたので、私自身がコーヒーを淹れてばかりでそれ以外のことがほとんどできなかった。せっかく遠方から来ていただいた方とロクにお話しすることもできなくて本当に申し訳なかったと思う。
あと、さすがに遠方から来てコーヒー一杯だけというのも、なんかこちらも申し訳ない気分になったので、地元の人以外を呼ぶならやはりそれなりにコンテンツを準備すべきだったとも思った。
そこで、今回はコンテンツを充実させつつ、自分の役割は極力なくして開催することにした。というわけで、少しだけコンテンツのご紹介。
珈琲:天文館の七味小路にある「古本喫茶 泡沫(うたかた)」さんによる出張販売。昨年はふるまいコーヒーだったので無料だったが、今年は普通に販売になる。でも1杯200円くらいと言っていたから格安だ。ちなみに、「泡沫」さんに出張販売を打診したとき「うち、自家焙煎とかじゃないけどいいんですか?」というのが第一声で、それにすごく好感を持った。そして、それに対して私は、「景色がいいから大丈夫です」と答えた。
写真: 小湊在住のプロの写真家・松元省平さんの全面協力(丸投げとも言う)をいただいて、松元省平写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催。これは松元さんが自宅の庭や近所で撮った星空写真の展示会である。昨年はせっかくの展示なのに1日だけだったが、今回は6日間の会期(11月11日〜16日)。やはり美術館でイベントを開催する以上、芸術的な要素もないと寂しい。当日11時からは松元さんに「私の星空散歩」と題してギャラリートークもしていただく予定。
【参考】松元省平 写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催します!
古本: 今回一番悩んだのはここで、コーヒーと芸術(写真)と景色、だけでもイベントとして成立すると思うが、やっぱり本に関することもやりたい、ということで武岡の「つばめ文庫」さんにお願いして古本の出張販売をしてもらうことにした。何しろ、古本といえばコーヒー、コーヒーといえば古本、だと私は思っている。
【参考】「つばめ文庫」の出張販売も楽しみ!
そして、当日14時からは店主の小村勇一さんに「困ったときの本頼み! ー生き方に迷っても」の題でちょっとした講演もしてもらう。小村さん自身が、生き方に迷って古本屋になったような面白い人なので私自身も講演がすごく楽しみである。
本との出会いというのは、内容以前に、どこでどうやって出会ったのかというのが大事だと思う。雄大な景色の中で、もしこのイベントに参加していなかったら一生手に取らなかった本を手にとってもらえたらすごく嬉しい。
プチマルシェ:笠沙美術館の周りは山と海で手近なお食事処がないので、坊津の「食堂勝八」さんにお願いして出張販売していただくことにした。名物「双剣鯖ピザ」と「双剣鯖バーガー」がオススメとのこと。実は「バーガー」の方はまだ食べたことがないので、私もすごく楽しみである。その他、昨年、店主の負傷により参加できなかった知る人ぞ知る「ZAKCAR」さんも出店。もちろん「南薩の田舎暮らし」も出店します。
このイベントは、一種のオフ会(インターネットで知り合った人と実際に会う場、というような意味です)にもなっているので、このブログをよく読んで下さっている方には、特に来ていただきたいと思っている。実は、私はネット上の人格と、実際の人格が大きく乖離しているみたいなので、期待されるような会話はできないと思うが、せめてご高覧の御礼を申し上げたい。
というわけで、当日天気が良ければぜひ笠沙美術館にお越しいただき、壮大な景色の中で、コーヒー片手に写真や古本を物色していただければ幸いです(天気が悪かったらイベントの意味があんまりないのでそっとしておいて下さい)。よろしくお願いします。
【情報】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
日時:2015年11月15日(日) 10:00〜17:00
参加費:100円(子ども無料、+カンパ)
場所:笠沙美術館
【チラシ】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
昨年の11月23日、vol.1をやって、思いの外多くの人に来ていただいた。ただ眺めのよいところでコーヒーを飲む、というだけのイベントだったが(主観的に)大好評をいただいて、2回目もしようとその場で決めた。
ただ、vol.1の時は振る舞いコーヒーにしたので、私自身がコーヒーを淹れてばかりでそれ以外のことがほとんどできなかった。せっかく遠方から来ていただいた方とロクにお話しすることもできなくて本当に申し訳なかったと思う。
あと、さすがに遠方から来てコーヒー一杯だけというのも、なんかこちらも申し訳ない気分になったので、地元の人以外を呼ぶならやはりそれなりにコンテンツを準備すべきだったとも思った。
そこで、今回はコンテンツを充実させつつ、自分の役割は極力なくして開催することにした。というわけで、少しだけコンテンツのご紹介。
珈琲:天文館の七味小路にある「古本喫茶 泡沫(うたかた)」さんによる出張販売。昨年はふるまいコーヒーだったので無料だったが、今年は普通に販売になる。でも1杯200円くらいと言っていたから格安だ。ちなみに、「泡沫」さんに出張販売を打診したとき「うち、自家焙煎とかじゃないけどいいんですか?」というのが第一声で、それにすごく好感を持った。そして、それに対して私は、「景色がいいから大丈夫です」と答えた。
写真: 小湊在住のプロの写真家・松元省平さんの全面協力(丸投げとも言う)をいただいて、松元省平写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催。これは松元さんが自宅の庭や近所で撮った星空写真の展示会である。昨年はせっかくの展示なのに1日だけだったが、今回は6日間の会期(11月11日〜16日)。やはり美術館でイベントを開催する以上、芸術的な要素もないと寂しい。当日11時からは松元さんに「私の星空散歩」と題してギャラリートークもしていただく予定。
【参考】松元省平 写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催します!
古本: 今回一番悩んだのはここで、コーヒーと芸術(写真)と景色、だけでもイベントとして成立すると思うが、やっぱり本に関することもやりたい、ということで武岡の「つばめ文庫」さんにお願いして古本の出張販売をしてもらうことにした。何しろ、古本といえばコーヒー、コーヒーといえば古本、だと私は思っている。
【参考】「つばめ文庫」の出張販売も楽しみ!
そして、当日14時からは店主の小村勇一さんに「困ったときの本頼み! ー生き方に迷っても」の題でちょっとした講演もしてもらう。小村さん自身が、生き方に迷って古本屋になったような面白い人なので私自身も講演がすごく楽しみである。
本との出会いというのは、内容以前に、どこでどうやって出会ったのかというのが大事だと思う。雄大な景色の中で、もしこのイベントに参加していなかったら一生手に取らなかった本を手にとってもらえたらすごく嬉しい。
プチマルシェ:笠沙美術館の周りは山と海で手近なお食事処がないので、坊津の「食堂勝八」さんにお願いして出張販売していただくことにした。名物「双剣鯖ピザ」と「双剣鯖バーガー」がオススメとのこと。実は「バーガー」の方はまだ食べたことがないので、私もすごく楽しみである。その他、昨年、店主の負傷により参加できなかった知る人ぞ知る「ZAKCAR」さんも出店。もちろん「南薩の田舎暮らし」も出店します。
このイベントは、一種のオフ会(インターネットで知り合った人と実際に会う場、というような意味です)にもなっているので、このブログをよく読んで下さっている方には、特に来ていただきたいと思っている。実は、私はネット上の人格と、実際の人格が大きく乖離しているみたいなので、期待されるような会話はできないと思うが、せめてご高覧の御礼を申し上げたい。
というわけで、当日天気が良ければぜひ笠沙美術館にお越しいただき、壮大な景色の中で、コーヒー片手に写真や古本を物色していただければ幸いです(天気が悪かったらイベントの意味があんまりないのでそっとしておいて下さい)。よろしくお願いします。
【情報】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
日時:2015年11月15日(日) 10:00〜17:00
参加費:100円(子ども無料、+カンパ)
場所:笠沙美術館
2015年6月15日月曜日
景色の中で本と出会うイベントをやったら楽しそう
こちらに越してきて3年と半年。ようやく本を読む余裕が出てきた。
いや、実を言うと相変わらず生活には余裕がない。本なんか読んでる暇があったらやるべきことが本当はたくさんある。が、そういう諸々の些事をうっちゃって本でも読んじゃおうか…、という精神的余裕(横着ともいう)が出てきた。いいことなのか悪いことなのか。
もちろんこの3年半の間も全く読書をしていなかったわけではないけれども、必要だから読む本とか、調べ物をするために読む本が多く、要は目的のある読書がほとんどだった。でも最近、何の役にも立たない本を読む気になってきた。例えば詩集とか。
それで、ただ自分がなんとなく本を読むだけでなくて、本にまつわる何か(イベント?)をできないかと考えるようになった。
都会では本をテーマにしたイベントが割とあって、読書会、ブクブク交換(物々交換のもじりで本の交換)、ビブリオバトル(本のオススメ合戦)といった草の根のイベントから、数年前の話にはなるが松岡正剛氏のブック・パーティ・スパイラル(本をテーマにした講演+社交会)みたいなハイソサイエティの取り組みまで様々なものがある。
でも、当たり前だが田舎にはそういうものがない。田舎の人は都会の人に比べて総じて本を読まないというのは多分本当で、予算が少ないにしても図書館の貧弱さは目を覆うばかりだし(もちろん自治体によります)、書店・古書店も本当に少ない。でも田舎の人が本を読まないというのは知的レベルの問題ではなくて、ただ「電車通勤」がないからだというのが私の仮説である。
当たり前のことだけど、田舎にも読書家はいるし、何かよい本があれば読みたいというくらいに思っている人はたくさんいる、と思う。そして、自分の世界を広げてくれるような本や体験を待っている人もそれなりにいる。少なくとも私自身はそう思っている。私はたいそうな読書家というわけではないし、愛書家でもないけれども、「本と出会う」のは好きである。そういうイベントをしたら自分も楽しいし喜ぶ人もいるかもしれない。
ただ、良書を探すというような単純な話になると、別に田舎とか都会とか関係ないし、インターネット上で探す方が効率がいい。ひょっとすると、Amazonのオススメ機能くらいで事足りるのかもしれない。
つまり、ただ「情報」を目的とするなら「田舎」でやる意味はない。それは都会でやっていることのミニチュア版をやるだけの取り組みになってしまいそうな気がする。
それに価値がないというわけではないだろうが、でもせっかく田舎で何かやるなら、都会ではできないようなことをした方がもっと楽しい。
例えば、本に関するイベントをするのでも、景色の素晴らしいところでやってみるとか。景色と本は全然関係ないでしょ、と思うのは早計だ。本というのはただ情報が詰め込まれた紙の束ではなくて、人格と同じように「本格」がある。その本とどこでどうやって(誰の紹介で!)出会ったのかというのは意外と(どころではなく超弩級に)重要だ。
そう考えると、昨年やった「笠沙美術館で珈琲を飲む会」のvol.2(今年も是非やりたい)のテーマとして「本」を取り上げたら面白いかもしれないと思いついた。実は去年のvol.1の時も、古書店に出張販売してもらう構想はあったのだ。だが、雨天の時の対応が大変なのと直前まで決まらなかったいろいろなことがあってできなかった。
今年はこの構想をもう少しちゃんと考えて、笠沙美術館で珈琲を飲みつつ景色と本を眺める会にしてみよう。日本のコーヒー文化では、「コーヒーと(JAZZと)古本」が分かちがたく結びついているので筋はいいはずである。ついでに、あとJAZZがあれば最高だ。
というわけで、何かボンヤリと企画のアイデアがあるが、でもやっぱりボンヤリとして茫洋としている段階である。もしグッドアイデア(やご希望)があればドシドシお寄せください(他力本願)。
いや、実を言うと相変わらず生活には余裕がない。本なんか読んでる暇があったらやるべきことが本当はたくさんある。が、そういう諸々の些事をうっちゃって本でも読んじゃおうか…、という精神的余裕(横着ともいう)が出てきた。いいことなのか悪いことなのか。
もちろんこの3年半の間も全く読書をしていなかったわけではないけれども、必要だから読む本とか、調べ物をするために読む本が多く、要は目的のある読書がほとんどだった。でも最近、何の役にも立たない本を読む気になってきた。例えば詩集とか。
それで、ただ自分がなんとなく本を読むだけでなくて、本にまつわる何か(イベント?)をできないかと考えるようになった。
都会では本をテーマにしたイベントが割とあって、読書会、ブクブク交換(物々交換のもじりで本の交換)、ビブリオバトル(本のオススメ合戦)といった草の根のイベントから、数年前の話にはなるが松岡正剛氏のブック・パーティ・スパイラル(本をテーマにした講演+社交会)みたいなハイソサイエティの取り組みまで様々なものがある。
でも、当たり前だが田舎にはそういうものがない。田舎の人は都会の人に比べて総じて本を読まないというのは多分本当で、予算が少ないにしても図書館の貧弱さは目を覆うばかりだし(もちろん自治体によります)、書店・古書店も本当に少ない。でも田舎の人が本を読まないというのは知的レベルの問題ではなくて、ただ「電車通勤」がないからだというのが私の仮説である。
当たり前のことだけど、田舎にも読書家はいるし、何かよい本があれば読みたいというくらいに思っている人はたくさんいる、と思う。そして、自分の世界を広げてくれるような本や体験を待っている人もそれなりにいる。少なくとも私自身はそう思っている。私はたいそうな読書家というわけではないし、愛書家でもないけれども、「本と出会う」のは好きである。そういうイベントをしたら自分も楽しいし喜ぶ人もいるかもしれない。
ただ、良書を探すというような単純な話になると、別に田舎とか都会とか関係ないし、インターネット上で探す方が効率がいい。ひょっとすると、Amazonのオススメ機能くらいで事足りるのかもしれない。
つまり、ただ「情報」を目的とするなら「田舎」でやる意味はない。それは都会でやっていることのミニチュア版をやるだけの取り組みになってしまいそうな気がする。
それに価値がないというわけではないだろうが、でもせっかく田舎で何かやるなら、都会ではできないようなことをした方がもっと楽しい。
例えば、本に関するイベントをするのでも、景色の素晴らしいところでやってみるとか。景色と本は全然関係ないでしょ、と思うのは早計だ。本というのはただ情報が詰め込まれた紙の束ではなくて、人格と同じように「本格」がある。その本とどこでどうやって(誰の紹介で!)出会ったのかというのは意外と(どころではなく超弩級に)重要だ。
そう考えると、昨年やった「笠沙美術館で珈琲を飲む会」のvol.2(今年も是非やりたい)のテーマとして「本」を取り上げたら面白いかもしれないと思いついた。実は去年のvol.1の時も、古書店に出張販売してもらう構想はあったのだ。だが、雨天の時の対応が大変なのと直前まで決まらなかったいろいろなことがあってできなかった。
今年はこの構想をもう少しちゃんと考えて、笠沙美術館で珈琲を飲みつつ景色と本を眺める会にしてみよう。日本のコーヒー文化では、「コーヒーと(JAZZと)古本」が分かちがたく結びついているので筋はいいはずである。ついでに、あとJAZZがあれば最高だ。
というわけで、何かボンヤリと企画のアイデアがあるが、でもやっぱりボンヤリとして茫洋としている段階である。もしグッドアイデア(やご希望)があればドシドシお寄せください(他力本願)。
2014年11月25日火曜日
「海の見える美術館で珈琲を飲む会」みなさんありがとうございました!
11月23日、無事「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を盛会の裡に終了することができました!
当日は、午後は少し雲も出てきて夕日が見られなかったのが憾みではあるものの、割合に天気にも恵まれた。正確にカウントしていないが、多分120人くらいの来館者があったと思う。子どもも入れると140人くらいになるだろうか。
この場を借りて、来館した方、開催に当たってご協力いただいた方、告知にご協力いただいた方など関わりがあった全ての方にお礼を申し上げます。ありがとうございました!
また、会を通じてご縁をいただいた方もたくさんいて本当に嬉しかった。Twitterだけでの知り合いに実際に会えたり(しかも2人も!)、地元にいながらお互いに知らなかった人と知り合えたりもした。特に、地元の全く知らない若い女性3人組が来てくれたのは心に残った。地元の暮らしを楽しくしたいという思いがあってやっていることなので、地元の人が喜んでくれるのはとてもありがたい。
もちろん、鹿児島市内からわざわざ来てくれたお客さんはもっとありがたい。初めて笠沙の景観に触れた人もけっこういたのではないかと思うが、いかがだっただろうか? これを機に、南薩の素晴らしい景色のファンになってくれたら望外の喜びである。
それから、当日はカンパ制ということでカンパボックスを設置させてもらったが(なにしろ参加費200円だけだと少し赤字になるので)、たくさんのカンパをいただき、写真展を担当してくれた海来館さんにも少しだが経費を渡すことができた(でも海来館さんはだいぶ赤字になってしまったのではないかと心配)。カンパをいただいた皆さん、本当にありがとうございました!
でも次回(次回もやりますよ!)もカンパ制というわけにもいかないので、カンパをいただかなくてもペイするように工夫がいると思う。イベント事というのは赤字だと続けることが難しい。タダみたいな費用で参加できるという基本は踏襲しつつ、どこか別の点で収益を生むような形を考えたい(コーヒーを1杯500円にするとかはあまりやりたくない。そもそもコーヒー屋ではないので)。やっぱり特産品の販売なんだろうか? 参加された方の意見を聞きたいものである。
ところで、少し反省点もある。それは、わざわざ来てくれたお客さんに、ちゃんと応対ができなかったことである。遠方から来て下さった方も多いので、反省と言うより後悔が近い。本当にもうしわけありませんでした…。
それというのも、自分がひたすらコーヒーを淹れ続けなければならない、という事態に陥ったためである。見込みでは来場者数は70人となっていて、来館者との会話を楽しむことができるはずだった。だがその約2倍の来館者があったので、私にとっては本当にコーヒーを淹れるだけの日になってしまった。嬉しい誤算ではあるのだが…。
そのために、ほとんど写真を撮ることもできなかった! 特に午前中は天候がよく、海もべた凪で絶好の写真日和でもあったのに、風景写真はおろか会場の様子の写真すら一枚もないという有様…。お客さんが途切れた16時頃にようやく写真を撮ったが時既に遅しという感じであった。
こういうイベントをするときは、主催者はやることがなくてヒマ、というくらいでなくてはならないと思う。次回やるときは何らかの手はずを整えて、お客さんとゆっくり話ができるようにするのでよろしくお願いします。
当日は、午後は少し雲も出てきて夕日が見られなかったのが憾みではあるものの、割合に天気にも恵まれた。正確にカウントしていないが、多分120人くらいの来館者があったと思う。子どもも入れると140人くらいになるだろうか。
この場を借りて、来館した方、開催に当たってご協力いただいた方、告知にご協力いただいた方など関わりがあった全ての方にお礼を申し上げます。ありがとうございました!
また、会を通じてご縁をいただいた方もたくさんいて本当に嬉しかった。Twitterだけでの知り合いに実際に会えたり(しかも2人も!)、地元にいながらお互いに知らなかった人と知り合えたりもした。特に、地元の全く知らない若い女性3人組が来てくれたのは心に残った。地元の暮らしを楽しくしたいという思いがあってやっていることなので、地元の人が喜んでくれるのはとてもありがたい。
もちろん、鹿児島市内からわざわざ来てくれたお客さんはもっとありがたい。初めて笠沙の景観に触れた人もけっこういたのではないかと思うが、いかがだっただろうか? これを機に、南薩の素晴らしい景色のファンになってくれたら望外の喜びである。
それから、当日はカンパ制ということでカンパボックスを設置させてもらったが(なにしろ参加費200円だけだと少し赤字になるので)、たくさんのカンパをいただき、写真展を担当してくれた海来館さんにも少しだが経費を渡すことができた(でも海来館さんはだいぶ赤字になってしまったのではないかと心配)。カンパをいただいた皆さん、本当にありがとうございました!
でも次回(次回もやりますよ!)もカンパ制というわけにもいかないので、カンパをいただかなくてもペイするように工夫がいると思う。イベント事というのは赤字だと続けることが難しい。タダみたいな費用で参加できるという基本は踏襲しつつ、どこか別の点で収益を生むような形を考えたい(コーヒーを1杯500円にするとかはあまりやりたくない。そもそもコーヒー屋ではないので)。やっぱり特産品の販売なんだろうか? 参加された方の意見を聞きたいものである。
ところで、少し反省点もある。それは、わざわざ来てくれたお客さんに、ちゃんと応対ができなかったことである。遠方から来て下さった方も多いので、反省と言うより後悔が近い。本当にもうしわけありませんでした…。
それというのも、自分がひたすらコーヒーを淹れ続けなければならない、という事態に陥ったためである。見込みでは来場者数は70人となっていて、来館者との会話を楽しむことができるはずだった。だがその約2倍の来館者があったので、私にとっては本当にコーヒーを淹れるだけの日になってしまった。嬉しい誤算ではあるのだが…。
そのために、ほとんど写真を撮ることもできなかった! 特に午前中は天候がよく、海もべた凪で絶好の写真日和でもあったのに、風景写真はおろか会場の様子の写真すら一枚もないという有様…。お客さんが途切れた16時頃にようやく写真を撮ったが時既に遅しという感じであった。
こういうイベントをするときは、主催者はやることがなくてヒマ、というくらいでなくてはならないと思う。次回やるときは何らかの手はずを整えて、お客さんとゆっくり話ができるようにするのでよろしくお願いします。
2014年10月12日日曜日
「海の見える美術館で珈琲を飲む会」チラシできました!
先日お知らせした「コーヒーを飲む会」の続報。
イベントのチラシを作成したのでここで発表します!
http://nansatz.html.xdomain.jp//archive/museum-cafe-kasasa.pdf
(内容は下の画像と同じもの)
決定事項としては、
ちなみに、本日(10月12日)MBCラジオでやっている「じゃっど! すっど! きばっど! 南さつま!」(”!”マークが多い…)という番組に出演させてもらい、元々の目的である大浦まつり(10月19日)の広報のついでに本イベントもお知らせしたのだが、なんと日程を「12月23日」と間違って告知してしまった模様…。正しくは11月23日(勤労感謝の日)です。
Facebookでも「海の見える美術館で珈琲を飲む会」イベントページを作成しているので、Facebookを利用される方は「参加」ボタンを押していただければ幸甚です。
イベントのチラシを作成したのでここで発表します!
http://nansatz.html.xdomain.jp//archive/museum-cafe-kasasa.pdf
(内容は下の画像と同じもの)
決定事項としては、
- イベント名称を「海の見える美術館で珈琲を飲む会」に決定(長いですが)。
- 入館料を200円徴収することに(なにしろコーヒーが無料なので)。
- 「ダイビングステーション 海来館」さんの協力を得た写真展「生命あふれる 南さつまの海!」を同時開催。
ちなみに、本日(10月12日)MBCラジオでやっている「じゃっど! すっど! きばっど! 南さつま!」(”!”マークが多い…)という番組に出演させてもらい、元々の目的である大浦まつり(10月19日)の広報のついでに本イベントもお知らせしたのだが、なんと日程を「12月23日」と間違って告知してしまった模様…。正しくは11月23日(勤労感謝の日)です。
Facebookでも「海の見える美術館で珈琲を飲む会」イベントページを作成しているので、Facebookを利用される方は「参加」ボタンを押していただければ幸甚です。
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