毎晩の「読み聞かせ」をして10年以上になる。
しかし、下の子ももうすぐ小学校5年生。そろそろ「読み聞かせ」の終わりが見えてきた。
ここ何年かは、絵本ではなくて児童書の読み聞かせを行っている。世の中には、絵本の読み聞かせについての記事はいくらでもあり、おすすめの絵本の情報も氾濫しているが、児童書の読み聞かせについての記事は見たことがない。
そこで、誰かの参考になるとも思えないが、私が読み聞かせをしてきた本、特に児童書(絵本でない、字が中心の子どもの本)についてまとめてみたい。
さて、下の子が初めて絵本に興味を持ったのが、当時流行っていた「妖怪ウォッチ」の『オラ コマさんズラ』という絵本。毎晩、こればかり読んでいた。しかも何回も!
いろいろ名作絵本を読み聞かせしてはいたのに、こういう商業的なキャラクター絵本に惹かれるとは、子どもは思い通りにいかないものである。私も内心、「こんな下らない本じゃなくて、もっといい本に興味を持ってくれないかなあ」と思っていた。しかし、読み聞かせはあくまでも子どものためにやるものだ。名作だとか内容がいいとか関係なく、子どもがもう一度聞きたいと思う本を読んだらいいと思う。親にとっては苦痛もあるが、子どもはどんどん成長するのでほんの一時のことである。
実際、娘が『オラ コマさんズラ』に熱中していたのもふた月くらいのものではなかろうか。その後は普通の絵本を読むようになった。うちは「童話館ぶっくくらぶ」という毎月絵本が送られてくるサービスを使っていたので、基本的にはその定期便の絵本を読みつつ、親が気に入った絵本を追加するような感じで選書していた。
【参考】絵本の定期便 親と子の童話館ぶっくくらぶ
https://douwakan.co.jp/bookclub/
だが、先述の通り、オススメ絵本についてはいくらでも情報があるのでそれらの絵本についての話は全て割愛する。
そして、下の子の場合は割合早く(卒園くらいのタイミング)に絵のない児童書へ移行した。というのは、その時は親が気づいていなかったのだが、下の子は生まれつき遠視であまり絵本の絵が見えていなかったらしい(小学校に入って教科書の文字が読めない、ということで気づいた!)。もちろんお姉ちゃんのために児童書を読み聞かせしていた事情もあるが、遠視のため絵のない本の方がかえってわかりやすかったのだろうと今になってみると思う(悪いことをした…)。
児童書として最初に読み聞かせたのが、おざわとしお再話『日本の昔話 全5巻』(福音館書店)。これは、日本各地に残る代表的な昔話を301話選び、脚色や文学的修辞を加えない原型のまま、シンプルでクリアーな(=子どもが聞いてわかる)現代の標準語によって表現(=再話)したものである。
再話者のおざわとしお(=小澤俊夫)さんは独文学者でグリム童話の専門家であり、日本各地で「昔話大学」を主宰してきた、まさに昔話の第一人者。読み聞かせをする日本の昔話の大系としては決定版的な存在だ。
これを毎晩、1~2話ずつ読んだ。全部で301話なので、1年弱で全5巻が読み終わる。これを2周半くらいしたと思う。日本の昔話なんて退屈だ、と思う人もいるかもしれないが、長い間、多くの人に語り継がれてきただけあって読み飽きるということはなく、特にこのシリーズは日本語の表現が非常に素直で、読んでいて気持ちがいい。これまで様々な絵本・児童書を読んできたが、言葉でひっかからない、ということにかけてはこれが一番である。
こうして日本の昔話に親しんでみると、今度は世界の昔話に興味が出てくる。そこで読んでみたのが矢崎源九郎編『子どもに聞かせる 世界の民話』。日本の昔話に親しんだ後で世界の昔話を読んでみると、一気に多様性が広がってとても面白かった。また、この本の日本語も読みやすく「子どもに聞かせる」と銘打っているだけはある。
なお、児童書の読み聞かせは「耳で聞いてわかる」ということが一番大事で、文学的な表現が使われていると急に理解度が下がる。かといって、「子どもは説明しないとわからないから」と思って説明的すぎるのもよくない。子どもは雰囲気で理解していくので説明するのは下策である。よい児童書は、飾らない素直な日本語で書いてあると思う。
さて、『子どもに聞かせる 世界の民話』は面白かったが、各地域の代表的な話だけでは少し物足りなかった。日本の昔話だって非常に多様であり、各国の昔話をもう少しいろいろ知りたくなってきた。
そこで手に取ったのが、「世界民話の旅」シリーズである。これは『ギリシア・ペルシアの民話』『ドイツ・北欧の民話』『インド・南方アジアの民話』といった感じで、国よりは大きな広がりで世界の民話をまとめたものである。小澤俊夫さんがまとめた「世界の民話」(ぎょうせい)というシリーズもあるが、これは国ごとにまとめていて全部で30巻以上あるからとてもじゃないが読み聞かせはできない。ちょうどよい分量で読み聞かせられるのがこのシリーズである(でも絶版で入手が困難なのが難点)。
このシリーズの中で一番面白かったのが『ギリシア・ペルシアの民話』に収録された豪傑ロスタムの話! フェルドウースィー『王書(シャー・ナーメ)』と言えば高校の世界史で習った人も多いだろうが、豪傑ロスタムの話がまさにこの『王書』なのである。もちろん子ども向けに簡略化されているところも多いものの、話の原型はかなりの程度保っている(岩波文庫版の『王書』と比べた)。
豪傑ロスタムの話といえば、本国イランでは誰しもいくらかは暗誦でき、お気に入りの場面があるほどの国民的口誦文学だそうだ。私もすっかりロスタムのファンになってしまった。日本では、桃太郎とか金太郎のような誰でも知る昔話の主人公はいても、こういう大叙事詩に謳われた国民的英雄はいない。
次に面白かったのが、インドネシアの昔話「カンチルの冒険」。これもいくつもの話がまとまったもので、福音館書店から『まめじかカンチルの冒険』として出版されている。マメジカとは、体重2キロくらいしかない偶蹄目の仲間だそうだ。この小さくか弱い鹿のカンチルが、持ち前の知恵と勇気で困難を乗り越えていく。しかも「弱いものが強いものを倒す」という一寸法師式のお話ばかりではなく、最後の方ではカンチルが自分のうぬぼれに気づくなど、長い話ならではの深みがある。どうやら私は長い話を何日もかけて読み聞かせするのが好きらしい。
なおこのシリーズは図書館の除籍本で手に入れたが、『中国・東南アジアの民話』『ソ連・東欧の民話』が手に入らなかったのが残念である。
こうして、昔話や伝説の読み聞かせを相当行ったのだが、実はグリム童話がまだ手つかずだった。そこで、同じく図書館の除籍本で手に入れていた「岩波 世界児童文学集」(の一部)を読み聞かせることにした。
グリム童話については、先述の小澤俊夫さんの専門なので「語るためのグリム童話 全7巻」という非常によいシリーズがある。しかしグリム童話だけで全7巻の読み聞かせをするのはさすがに骨が折れると感じ、「岩波 世界児童文学集」に入っていた相良守峰訳『グリム童話選』を読み聞かせた(これも図書館の除籍本)。このシリーズで他に読んだのは、大畑末吉訳『アンデルセン童話選』、サカリアス・トペリウス作・永沢まき訳『星のひとみ』、イタロ・カルヴィーノ作・河島英昭訳『みどりの小鳥—イタリア民話選—』だったかと思う。
『アンデルセン童話選』『星のひとみ』は創作童話。昔話と創作童話では読み聞かせの調子がかなり違うと思う。読み聞かせには昔話が適していて、創作童話は子どもが自分で読むのがいいかもしれない。
ちなみに『星のひとみ』の作者トペリウスはフィンランドの作家であるが、この人はヘルシンキ大学の学長も務めた学者でもある。学長職を退いた後に子どものための物語を書くことに専心して、できあがったのが「トペリウス童話」である。トペリウス童話は日本ではあまり知られていないが結構面白い。
『みどりの小鳥』は、現代文学で有名なカルヴィーノが編纂したもの。「ドイツのグリム童話に匹敵するイタリアの民話集」をつくるため、すでに『まっぷたつの子爵』などを発表して新進の作家であったカルヴィーノに出版社から白羽の矢が立ったのだ。カルヴィーノは他の一切の作家活動を中止して2年間この仕事に没頭し、出来上がったのが200話からなる『イタリア民話集』。これは第二次世界大戦の敗戦後における、イタリアのアイデンティティを見直す運動の一つとして位置づけられる。『みどりの小鳥』はこれから34話を選んだものである。
この「岩波 世界児童文学集」は大人が読んでも面白い、というか大人こそ読んで面白い本もたくさん入っているので子どものためでなく自分用に手に入れるのもオススメである。
私も「世界民話の旅」を読んでいたころから、「読み聞かせはあくまでも子どものためにやるものだ」という原則はどこかへ飛んでいき、いつしか自分自身が面白いから読み聞かせをするようになっていた。
そして、童話だけではなく、科学的な読み物にもトライしたいと感じ、「科学発見シリーズ」を手に取った。これは、日本ではSF作家として有名な科学作家アイザック・アシモフが子ども向けに書いたもの。原題の直訳は「…はいかにして発見されたか」で、科学の世界の重要な事項について、その発見の過程を描いた、いわば児童向け科学史のシリーズである。
実はこのシリーズは私の小学生の時の蔵書だ。でも自分が小学生の時は全20冊中3分の1くらいしか読めなかったと思う。小学生が自分で読むのはちょっと難しいシリーズかもしれない。しかし今回は読み聞かせなので全20巻を読破した。
40年前の本なので、さすがに古くなっているところがあるが(特に『恐竜ってなに?』は物足りない)、これは科学そのものではなく「科学史」を語るものなので普遍的な価値がある。そして科学にあまり関心がなくても、人間ドラマとして面白い。
ところで、最近の児童書では科学の本はあまり重厚なものが見当たらない。面白い図鑑や雑学的なもの(例えば『ざんねんないきもの事典』のような)はたくさんあるが、科学の基礎を体系的に取り上げたものは皆無といっていい。科学をテーマにした子どもの本として「たくさんのふしぎ傑作選」は優れたシリーズだが(これは絵本)、これも単発的な作品の集成だ。
科学の世界へのよい導入となるような、体系的な児童書、例えば「科学のアルバム」(天文・地学編、植物編、虫編、動物・鳥編などがある)とか、「カラー自然シリーズ」のような優れたシリーズを、今の時代にもつくってもらいたいものである。
【参考】科学のアルバム
http://bookage.main.jp/album.htm
というわけで、読み聞かせについては一般的な親より多く読んできた。でもその経験から言っても、読み聞かせをすると頭がよくなるとか、物知りになるとか、本を読むようになるとか、勉強が好きになるとか、そういうのはちょっとはあるとしても、たぶんあんまり関係ないと思う。そういうことを期待するのではなく、純粋に親子の楽しみとしてするのが一番だ。
私自身、読み聞かせを通じていろんな世界を知ることができた。10年以上続いてきた習慣なので、もうずっと続けたいくらいだが、子どもが大きくなったら読み聞かせはできない(実際、中学生の娘に読み聞かせをする…というのはナシだ)。わが子に読み聞かせできるのは思いのほか短い間なのだ。
残り少ない読み聞かせの時間を楽しみたい。
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