2023年9月21日木曜日

指宿枕崎線の「悪あがき」

「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくりプロジェクト」というものに参加することになった。

これは、「指宿枕崎線を活用してなんか面白いことをやろう」という企画である(南薩地域振興局からの委託事業で中原水産(株)が実施する)。

なお、「指宿枕崎線」は鹿児島中央駅から枕崎駅までの路線だが、これは特に「指宿〜枕崎間」を活かそうという話である。

それで、先日開催された第1回の会議に参加してきた。第1回は基調講演の後に顔合わせがある程度だったが、面白かったのは会議後の懇親会。ここでは書けない鹿児島の公共交通にまつわるタブー(?)が次々と俎上に載せられていて、「これを会議でやればよかったのに」と思った次第である。このプロジェクト、実は内心「アホか」と思っていたのだが、そうではなかったようだ(←関係者のみなさん、すみません)。

というのは、「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくり」という概念が、まずちょっとおかしい。普通、鉄道はまちづくりそのもので、鉄道の駅を基点として街が形成されていくのが普通だ。「まちづくり」に鉄道を活かすならわかるが、「鉄道」をまちづくりに活かすとはどういうことなのだろう。これは要するに、「指宿枕崎線は街の役に立っていないから、街の方で指宿枕崎線を活かそう」という倒錯した考えなのである。

このような倒錯が生じているのは、指宿枕崎線(の指宿〜枕崎間)が非常に不幸な路線であるからだ。実は、これは需要に応じて開通した路線ではないのである。詳しいことは聞けなかったが、どうやら当時の政治家が「鉄道をひっぱてきた」という実績をつくりたいために無理に鉄道を枕崎まで延伸させたものらしい。

その時の大義名分は、「薩摩半島に環状線を!」ということだったとか。当時はまだ南薩線(伊集院〜枕崎)があったから、指宿〜枕崎が開通すれば、薩摩半島を鉄道で一周できるようになる、ということだったらしい。しかし指宿と枕崎は相互に交通する意味があまりない地域で、人口も少ない。沿線上はさらに少ない。環状線の意味は大都市の周りを回ることにあり、薩摩半島を一周する人は誰もいないのである。だから開通してたった5年で(!)、廃止の検討がスタートした。鉄道だけにすごいスピードだ(笑)

そのうち南薩線が廃止になって(昭和58年)、環状線でもなくなった。今年は指宿枕崎線全面開通60周年、という記念の年であるが、そのうちの55年が廃線の危機にあったという、ベテランの赤字路線が指宿〜枕崎区間なのである。

実際、先日(9月6日)、JR九州が線区別の利用状況を公表しており、指宿〜枕崎区間の平均通過人員(輸送密度=1kmあたりの1日の平均利用者数)は220人で、九州全体ではワースト3の少なさである。赤字額は3億3700万円/年で、九州全体でみれば中堅程度(!?)の赤字額だが、平均通過人員あたりの赤字額でいうと九州でワースト2である。

【参考】線区別ご利用状況(2022年度)
https://www.jrkyushu.co.jp/company/info/data/senkubetsu.html

公共の交通機関は赤字が常態化しているため、3億3700万円の赤字というのがピンと来ないかもしれないが、この状態が10年続けば合計33億7000万円。これだけのお金がJR九州から南薩に投下されることになる。有り難いといえば有り難いが、このお金をもっと有効な事業に振り分ければ、そっちの方が沿線住民にとっても嬉しいかもしれない。

というのは、このような赤字が続いているのは、当然利用が低迷しているからで、先ほども書いたように指宿と枕崎は相互に交通する意味があまりなく、わずかな高校生の通学需要があるに過ぎない。なんと通勤定期は1名しか購入していないそうである。指宿〜枕崎間は、生活路線としては不要というのが残念ながら明白である。

そういうわけで、私としては「地域住民の利用が増加することがありえない以上、廃止はやむを得ない」という立場である。むしろズルズル延命するよりも、JR九州にも地域にも余力があるうちに廃止した方がいいような気さえする。今なら、廃止にあたってJR九州からいろいろ引き出せるかもしれない。長い目で見れば何十億円ものお金が浮くわけだから、少しくらいサービスしてもらえそうである。

ということで、私はハナから指宿枕崎線(の指宿〜枕崎区間)には価値はない、と思いこんでいたのであるが、やはり詳しい人の話をじっくり聞いてみると、そうでもないことがわかってきた。

先述の通り、鉄道はまちづくりそのもので、その存在には地域住民の人生と財産が関わっている。例えば、東京である路線が廃止になったとすると、その沿線に住んでいた人の多くが通勤難民になり、また不動産価格がガタ落ちになって大混乱になるだろう。当然、鉄道が新しくできるとなればその逆のことが起こり、人々の生活や財産は一変する。よって鉄道は政治家の活動と密接に関わっており、「鉄道と政治」はこれまで華々しい(?)話題を提供してきた。

これは廃線の危機にあるような路線でも同じで、とっくに誰も使わなくなったような路線すらも「廃線絶対反対!」の運動が行われるのは、住民の自発的運動というよりは、路線存続を政治的手柄としたい政治家の策動の結果ということは珍しくないのである。 

ところが! 指宿〜枕崎区間の場合、こういうややこしい「政治」は一切無いらしい。指宿〜枕崎区間はあまりに寂れているため票田にならないからか、それとも廃線の危機が55年も続いたおかげ(?)だろうか。もちろん、住民からの関心も薄い。こういうことは、普通ならば弱みなのかもしれない。だが、廃線間近で「悪あがき」したい、というこのプロジェクトにとってはこの上ない強みだろう。

というのも、指宿〜枕崎区間で、どんな「悪あがき」のみっともない活動をしても、結果うまくいかなくて廃線になってしまっても、それほど大きな問題にならないからだ。それどころか、変な「政治」が登場しないことは、廃線すらもスマートに進められる可能性がある。経営が行き詰まってやむなく廃線にするのではなく、日本の廃線のモデルとなるような、「先進的な廃線」がここで実現できるかもしれない。こういう夢想ができるというだけでも、指宿〜枕崎区間は面白い路線ではないだろうか。

「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくりプロジェクト」は、来年の1月までに4回会議をして、何をやるかをまとめるそうである。私が考えていることは主催者側とはちょっとズレているかもしれないが、俄然楽しみになってきたところである。

1 件のコメント:

  1. 神戸の薩摩人2024年3月16日 13:37

     時々読ませて頂き、頷くこと多い元気を頂くブログです。ありがとうございます。
     この1月に鹿児島中央駅から始発に乗り、初めて開聞岳へ登ってきました。関西で生まれましたが父が鹿児島(旧伊敷村)の出身だった縁で子供時代7年鹿児島市に住みました。その頃の指宿枕崎線はC12型蒸気機関車が数量の客車を引いていました。墓参りの機会に、鹿児島中央駅から始発に乗り山川駅で乗り継いで開聞駅へ、ゆっくり登頂して午後の列車で鹿児島まで帰りました。帰りの列車には団体の方々が薩摩川尻?から乗って来られたのでにぎやかでした。指宿枕崎線には活用の道があるように思います。南薩の海山、花、海産、農畜産物を活かした訪れて食して豊かな心持になれる地域です。

    返信削除