2012年3月31日土曜日

絶品の湯を吹上温泉「みどり荘」で味わう

先日、鹿児島県日置市にある吹上温泉に行った。

そこは、日本三大砂丘の一つ「吹上浜」のほど近い山間にある、昔ながらの温泉街である。共同浴場や国民宿舎もあり、鹿児島ならではの生活に身近な温泉がそこにあるのだが、今回宿泊したのは、ちょっと高級な温泉旅館「みどり荘」である。

「旅館」と名前がついてはいても、正直「宿舎」のような温泉宿が多い鹿児島において、このみどり荘は、旅情に溢れたまさに「旅館」である。みどり湖という小さな湖の河畔一周が全て旅館の敷地であり、8室しかない全室離れの部屋からは四季折々の自然が望める。もともと静かな田舎の温泉街ではあるが、世界から隔絶した感すら漂う隠れ家的な旅館だ。

というわけでロケーションは絶好なのだが、本当に一流なのはその泉質である。吹上温泉は「泉質日本一」を謳っているのだが、これが誇大広告ではないことを実感した。ちょっと手を湯に入れただけで、肌がすべすべになってしまう。源泉掛け流しのほのかな硫黄臭の香る湯は、肌触りがよく滑らかであり、湯上がりにはあたかも化粧水をつけたような感じになるのである。

私は自分の肌には何の関心もないが、この泉質は「美人の湯」と言われるだけはある、と唸った。家内も、すっかりこの湯のファンになってしまったようである。疲れが取れるとか、筋肉の痛みに効くとか、体が芯から暖まるとか、温泉にもいろいろあるが、少なくとも肌を洗うという点においては、泉質日本一といってもおかしくはない。

ちなみに、旅館からの説明事項に次のようなことが書いてあった。
●石鹸・シャンプーがないのはなぜ?
良質の天然温泉には垢を洗い落とす成分があり、湯につかるだけで洗浄できるほどです。本来なら何も使用せずに良いのです。
というわけで、私は石鹸もシャンプーも何も使わなかった。それでも湯上がり感はさっぱりで、ちゃんと洗えているらしい。正直、旅館やホテルに置いてある石鹸やシャンプーはあまり好きではないので、これは有り難い。

そして、鹿児島ではここは「高級旅館」の部類に入る施設だと思うが、夕食なしプランであれば1泊1万円を切る価格設定も良心的である。これまでいろいろな温泉に入ったが、「みどり荘」は相当にコストパフォーマンスがよい。入浴のみは500円で、鹿児島の基準では高い方だが、日帰り出来るならば来て絶対に損はない。

なお、みどり荘の創業は昭和5年。元は別荘だったところを改装して開業したようで、斎藤茂吉など文人墨客も多く泊まった宿である。敷地内には随所に歴史を感じさせる文物があり、例えば日本海海戦勝利の記念に東郷平八郎からこの旅館に送られたという砲弾が置かれていたりする。鹿児島の旅館らしく(?)、「おしゃれ」とか「粋」とか「細やかな気遣い」というのはあまりないが、実直で、落ちついていて、何より湯が素晴らしい名宿である。

2012年3月26日月曜日

茶業今昔:茶の栽培にトライしてみたい理由

うちの近所では、このように管理が放棄された茶畑をよく見る。近所にあった製茶工場も2010年に閉鎖されたのだという。私は、いずれ茶の栽培もやってみたいと思っているので、茶業が下火になっているのはちょっと悲しい。

どうして茶業が衰微しているのかというと、その直接的な理由は、茶葉の価格が下がっているからである。統計を見てみると2000年前後をピークにして漸減しており、ピーク時と比べて半値以下になっている茶葉もある。

その減少の背後にあるのは、茶葉の流通・消費の構造の変化である。すなわち、ペットボトル飲料としてのお茶の普及と、自宅用緑茶の消費低迷が挙げられよう。今や茶葉の国内消費量の1/4は、ペットボトル飲料だ。

ペットボトルのお茶が急速に売り上げを伸ばした一方で、それに伴って生産者側が潤ったかというと、そうはなっていない。もちろん、一部にはうまく対応して収益を上げた生産者もいたわけだが、大部分の経営は苦しくなったのだった。なぜなら、ペットボトル用のお茶生産はそれまでと全く違うものが要求されたからである。

それは、年間を通じた供給の安定と、品質の均一さ、低価格であった。これは、従来のお茶生産と真逆である。なぜなら、お茶は新茶が重要視され季節性が強いものであると同時に、産地毎の微妙な違いを楽しむものでもあり、多品種少量の生産・消費が一般的であったからである。そのため、産地毎に味や香りに特徴を出すとともに、いかに特徴ある新茶を高く売るかということに重点を置いた生産・販売の体系が作られてきたのであった。

当地、南さつま市大浦町のお茶栽培は大正期に開始されたものだが、これも通常の八十八夜より1ヶ月早いという「走り新茶」を大阪へ売り込んで盛んになったものだ。これは、当時としては日本一早い新茶だったらしく、一時期は「大浦茶」として世に聞こえたらしい。

しかし、ペットボトルのお茶にとっては、新茶など何の意味もないのである。また、産地毎の特徴に至っては、品質管理上の障害にしかならない。これまでの茶業が依って立ってきたビジネスモデルが一気に裏目に出たのである。そのため茶葉の国内生産量は据え置かれつつ、近年、茶葉の輸入が増えてきている。

そもそも、日本の茶業は輸出産業として発展した。明治から大正にかけての貴重な外貨獲得の手段は、紅茶の輸出だったのである(紅茶と緑茶は製法が違うだけで茶の木は同じ)。古くからの産地ではなかった静岡が茶の一大生産地となったのも、輸出のための海路(横浜港・清水港)に恵まれていたということが大きかった。

戦中戦後は茶業も低迷したが、高度成長期には国内消費が増えたために生産が国内向けに転換されるとともに急速に増産が行われた。茶業にとっては、ある意味でこの時期に負の遺産が形成されたと言ってもよい。お茶の消費増は、嗜好飲料がまだ十分なかった高度経済成長期の一時的な現象だったと考えられるわけで、その時期に作付け面積を拡大させたことは、長期的には過剰生産体質の原因となった。

つまり、「昔の人はお茶をたくさん飲んでいたが、今の若者はあまり飲まない」というのは嘘なのだ。昔、お茶は贅沢な嗜好品であり、庶民はさほど飲んでいたわけではない。お茶をたくさん飲むライフスタイルが形作られたのは、高度経済成長期という割と最近のことなのである。

しかもこの時期、お茶が生活に浸透したのは(茶業界にとって)よかったが、一方でお茶があまりにも身近になりすぎ、飲食店等では「お茶はタダで出てくるもの」という常識が形成されてしまった。これでは、外食産業における茶の消費は期待できないというものである。

そう考えると、最近の茶業の低迷は、長期的なトレンドとしては致し方ない。茶は嗜好品である以上、コーヒーや紅茶、ジュースといった他の嗜好飲料が充実すれば消費量が減るのは当然である。しかも、緑茶は身近になりすぎて、嗜好品としての競争力が低下している。ペットボトルのお茶が普及したことで、お茶の消費量が堅調に推移していることは、茶業にとってはむしろ僥倖といえよう。

今後の日本の茶業をマクロ的に考えると、自宅用煎茶の生産は縮小し高品質化・高価格化を目指す一方、ペットボトル用には省力化・大規模化による均質な茶葉生産体制を形成することが重要だと思う。事実、南九州ではペットボトル用のお茶生産に適応して生産量を伸ばしている産地もある。

また、緑茶をあまりに身近な日常的な飲み物ではなく、本来の嗜好品の地位に戻してやることが必要だし、それが現今の流れでもある。 都市部で流行っている「nana's green tea」とか「祇園辻利」といった店は、嗜好品としてのお茶にはまだまだ可能性があることを示している。なにしろ、米国のスターバックスでも、抹茶ラテは売っているのだ。

そして、こうした店が煎茶ではなく抹茶を売りにしていることは、嗜好品としてのお茶の方向性を示唆している。嗜好品である以上、身近になりすぎた煎茶よりも、プレミアム感がある抹茶が有利なのは当然である。

とすれば、鹿児島県は全国2位のお茶の生産量があるにもかかわらず、なぜか抹茶の生産はほとんど行われていないわけだが、これからは抹茶生産が重要になるかもしれない。私が茶の生産にもトライしてみたいと思うのも、これまで抹茶生産の伝統や蓄積がない鹿児島だからこそ、面白い経営ができるのではないかと思ってのことなのである。

どのように抹茶を生産・販売するかということは工夫が必要だが、いつか、鹿児島産の抹茶を世に問うてみたいと思っている。

2012年3月23日金曜日

郷中教育の聖典、日新公いろは歌

鹿児島県加世田市(合併前)では以前、「いろは歌といぬまきの町 加世田」というキャッチコピーがよく使われていた。この「いろは歌」というのは、「いろはにほへと〜」という歌ではなくて、「島津日新公いろは歌」のことを指す。

日新公(じっしんこう)とは、日新斎と号した島津忠良のことである。島津忠良は「島津家中興の祖」と呼ばれ、戦国時代に島津家による鹿児島統治の基礎を築いた人物。晩年は加世田に隠棲したことから、南薩では郷土にゆかりある偉人として今でも敬慕されている。

島津忠良は領内をよく統治し、深く禅宗に帰依して学問に励むとともに、政治・経済・文化の各面で善政を施したのでその徳は領外にも聞こえたという。「日新公いろは歌」は、忠良が人として生きる道を説いたものであり、後に「郷中教育の聖典」「薩摩論語」と呼ばれたように、約400年にわたって薩摩藩での子弟教育に用いられた。

さて、この「日新公いろは歌」の内容については、47首をずらずらと並べている解説はよくあるのだが、体系的に紹介されているものは見かけないので、この機会にまとめてみる。

そのテーマを大まかに分類すると、儒教(15)、仏教(7)、心の持ちよう(7)、生活習慣(5)、自己啓発(5)、リーダー論(5)、兵法(3)となる(括弧内は歌の数)。通読すると、「心」についての歌が多いということに気づく。自己のありよう、組織の運営、戦争に至るまで、肝要なのは心であることが繰り返し説かれている。日新斎がこの47首に込めたメッセージの一つは、「何事も心次第」ということだ。

次に、それぞれのテーマ毎にいろは歌を私なりに要約してみる。通常はいろは順で紹介されることが多いが、テーマ毎に並べた方が全体を理解しやすい。
■儒教
誠実・正道:苦しくとも正道をゆけ() 身を捨てる覚悟で正しい道を歩め() 誠実にせよ() 義を守れ(
研鑽・修身:寸暇を惜しみ勉学せよ() 人を鑑に研鑽せよ() 礼儀も軽蔑も自分に返ってくる() 過ちはすぐに正せ() 敵こそ自らの先生である() 優れた人と付き合え() 名誉が大事(
組織の秩序:目上の人の話はよく聞け() 私心を捨てて主君に仕えよ() 先祖の祀りと忠孝は大事(
統治論:法令は人民によく説明せよ(

仏教
因果応報:憎しみは何も生まない() 傲慢には報いが来る() 三世の報いを思え(
修身:悪心に身を任せるな() 迷妄を払え(
慈悲:孤独なものを憐れめ() 敵味方関係なく弔え(

心の持ちよう
何事も心次第:世界の見え方は心次第() 貴賤は心にある() 心は見透かされる(
良心:良心に問え() 心を堅持せよ(
慢心するな:技術があっても慢心するな(
覚悟:平時から覚悟を決めよ(

生活習慣
努力:積み重ねが大事() 勉強は夜にするのがよい() 寸暇を惜しめ(
飲酒・生活:酒に目を曇らすな() 足るを知れ(

自己啓発
努力:凡人も偉人も同じ人間だ() 技芸・学問を身につけよ() 安易な道を選ぶな() 安易を選ぶと堕落する(
実践:実践が大事(

リーダー論
人事・信賞必罰:人事は重要だが難しい() アメと鞭が両方必要() 罰は慎重に(
部下を大事に:部下からの批判は役に立つ() 部下を細やかに思いやれ(

兵法
何事も心次第:戦いは戦闘員の数で決まらない() 軍隊の心を一つにすることが重要() 成功も失敗もリーダーの心次第(

こうして全体を眺めて見ると、その教えは普遍的であり、現代にも通用する部分は多い。確かにこの歌は、剛毅木訥で質実剛健な薩摩の気風の醸成に一役かったのかもしれない。だが、そうして修養に努めた歴代藩主や武士たちのしたことと言えば、全国的にも苛烈な農民支配だった。

いくら聖賢の道を説いたところで、結局、島津家支配の歴史は農民にとっては苦しみの歴史だったのであり、 島津忠良自身は善政をしいたのだとしても、その教えは後の世の農民には虚しかった。日新公いろは歌の基調は儒教であるが、儒教による統治の理想は、天子の徳に人民がなびき、統治されていること自体忘れてしまうという「鼓腹撃壌」の状態にあるわけで、薩摩藩の実際の統治は、その理想とはほど遠かった。

まさに、薩摩の支配階級は、このいろは歌の冒頭「い」の歌に学ぶべきだったのである。
いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし

(大意)昔の賢者の教えを聞いたり、それを教えたりしても、自分が実践しなければ何の意味もない。

【参考】
各首のリンク先は「エモダカフ日記」さんによる解説である。全て読んだわけではなく、私の解釈と違う点もあると思うが、 このように一首ごとに解説・コメントがある紹介は稀有なので紹介する次第である。
なお、各首のテーマ分類は(言うまでもないが)私の独断である。

2012年3月21日水曜日

雑草という奥深い世界

今日はポンカン園の草刈りをした。半日使って、できたのは1/4程度(約350 ㎡)。もう少し効率を上げなくてはならない。

ところで、草刈りをしていて気づいたことがある。それは、思った以上に雑草の植生が変化に富んでいるということだ。簡単に言えば、場所によって生えている雑草が違う。同じ園内なので、気温や雨量などの基本条件は共有しているわけだが、日当たりや管理の微妙な違いによって優勢な種類が異なっているのだ。

残念ながら、雑草の知識が薄弱なので何が生えているのかよくわからないのだが、マメ科植物が生えているところもあれば、イネ科らしき植物が生えていたり、本当にたった数メートル離れるだけで雑草の様相ががらっと変わる。

雑草は、全体としては根絶できないやっかいな存在ではあっても、個々の植物は、実は思っている以上にフラジャイルなのかもしれない。つまり、環境の微妙な変化で他の植物に取って代わられる、過酷な競争が雑草間にあり、雑草の栄枯盛衰は意外に激しいのではないだろうか。

とすれば、雑草の様相をつぶさに観察すると、土壌や日当たりについていろいろなことが分かりそうな気がしてきた。「雑草学(Weed Science)」という学問があるくらいなので、当たり前といえば当たり前なのだが。

雑草の世界が環境の変化に敏感だとしたら、ちょっと意外だ。植生遷移の最終的な平衡状態である極相においては、単一種が優勢な地位を確立することが多い。例えば、白神山地のブナ林とか、屋久島のスギ林とか、古い森は唯一の優勢種を中心にして植生が構成されている。山の土壌や日当たりは一様でないにもかかわらず、樹木に関しては総体として優勢な種が一つに決まるということを考えると、どうして雑草が微妙な環境の変化を敏感に反映するのか不思議である。同じような環境の下で生育しているので、普通に考えれば園全体が似たような雑草植生になりそうなものだが…。

ともかく、改めて雑草の知識が薄弱なことが悔やまれる。栽培植物と同様に、雑草にも実は奥深い世界があるのだと思う。農業とは直接関係ないと思うが、以前からずっと気になっていた『柳宗民の雑草ノオト』を是非読んでみたい。

2012年3月20日火曜日

果樹の無農薬栽培は難しい

昨日、初めてポンカン園に薬剤散布を行った。動力噴霧器という機械を使って、水に薄めた薬剤をホースで噴射するという作業である。ポンカン作りの指導を受けているSさんという先輩農家に教えてもらいながらの作業だった。

散布したのは、デランフロアブルコサイドDFという薬剤。これらはカンキツがよく冒されるかいよう病黒点病そうか病炭疽病といった病気の原因となる細菌を消毒するものである。1時間半ほどの散布だったが、やはり飛沫が自分にも掛かるので、気分悪くなってしまった。

自分としては、いずれ無農薬栽培をしてみたいと思うが、栽培1年目なのでとりあえず農協の防除歴に従った基本のやり方でやっている。そもそも、果樹の無農薬栽培は、農業技術としては難しい部類に入る。

野菜の無農薬栽培は、簡単ではないにしろある程度の方法論が確立されているため、やってやれないことはない。しかし、果樹のような永年作物の無農薬栽培は、まだ一般的ではないためどうしたらいいのか私もよく分からない。

なぜ果樹の無農薬栽培が難しいかというと、第1に栽培場所が固定されていることが挙げられる。野菜であれば、土壌や周囲に病害虫が固定化しないように転作することが容易であるが、果樹ではそのようなことは不可能である。だから、一度病害虫が圃場に侵入してしまうと、薬剤を使わなければ駆除は難しい。

第2に、病害虫によって枯れてしまうと、損失が大きいということもある。野菜であれば、仮に害虫によってその年の野菜が全滅しても、来年また作ればよい。しかし、果樹の場合、一度全滅すればまた苗から育てなくてはならず、リスクが大きい。

しかも、一般的に、無農薬栽培できるところと、そもそも無理なところがあるため、どこでも無農薬栽培にトライできるというわけでもない。例えば、通常の農薬を使った圃場が隣接していれば、隣接の薬剤散布により益虫なども防除されやすいし、また病害虫も相互に進出してしまう。無農薬栽培しやすいのは、病害虫が近隣から進出されないような孤立したところで、しかも山間でないようなところ(山間だと、山から通常とは別の害虫などが来るため)である。しかし、こんな条件を満たし、かつ栽培に適したところはあまりない。特に産地であればそうである。

だから、不可能といわれたリンゴの無農薬栽培で話題になった『奇跡のリンゴ』が「奇跡」なのも大げさではない。といっても、カンキツの場合は無農薬栽培をやっている人がいないわけではないので、リンゴのようには難しくはないのだと思う。

とはいえ、借りているポンカン園で無農薬栽培にトライするのはやはりリスクが大きい。もし枯らしてしまった場合、どういうことになるのだろうか。栽培を辞める予定だったところといっても、資産価値はゼロではないので、やはり遠慮してしまう。

ところで、永年作物でも無農薬栽培が当たり前、というか農薬を使う必要が全くない作物がある。それは、タケノコである。竹にはほぼ病害虫の被害がないのである。竹というのは、つくづく強い植物だと思う。

2012年3月19日月曜日

カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであるということ

先日、大浦町で生産されているカンキツはマイナーなものばかりだ、という記事を書いたのだが、逆にメジャーなカンキツとはどんなものか考えてみた。手元にちゃんとした統計資料がないので主観であるが、消費量から考えてメジャーなカンキツというと、温州ミカングレープフルーツ柚子オレンジレモンイヨカン夏ミカンというところだろうか。

さて、こうして並べてみて気づくことは、あまり甘い果物がないことである。もちろん、温州ミカンは甘いが、これは我が国で約500年もの歴史がある果物だし、種もなく、果実の大きさも適当で皮も剝きやすいという、ほぼ欠点らしい欠点のない優れた果物であるので別格だろう。その他については、香りを楽しむ柚子を筆頭に、酸味を付けるレモン、酸っぱさを楽しむグレープフルーツや夏ミカンなど、オレンジとイヨカン以外は甘さではない味覚・香りが主体の果物と言える。

つまり、温州ミカン以外のメジャーなカンキツは、甘さよりも、酸っぱさや香りを楽しむものとなっているのだ。そもそもカンキツは、柚子、ダイダイ、カボス、スダチ、シークヮーサー、ライムなど料理やお酒にアクセントを付けるための利用が非常に多い。カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであると言い切ってもいいと思う。

近年、品種改良によりデコポンなどの甘味の強いカンキツが生み出されているが、そのように考えると、甘味をプッシュする戦略は、カンキツ生産地にとって必ずしもよいものではないのかもしれない。甘いものが食べたければ、ケーキでもチョコレートでも、カンキツの及ばないほど甘いものがたくさんあり、甘味でこれらに勝負することはできない。消費者の側としても、「甘いものが食べたくてカンキツの果実に手を伸ばす」という人は、いないのではないか。むしろ、人々がカンキツに求めているものは清涼感である、と私は思う。

カンキツ産直の市場に行くと、どこでも甘さを売りものにしているのであるが、食糧事情が厳しかった戦後ならばいざ知らず、甘味が溢れている現代において、カンキツが甘味で勝負していくことが難しいのは自明である。むしろ、カンキツ本来の強みである酸味や香りをアピールしていくことが、これからの有効な戦略なのではないか。

だからこそ、私はポンカンには将来性があると思うのである。強い甘さはないが、甘さと酸っぱさのバランスがよく、独特の芳香を有するというポンカンは、カンキツのまさに王道をゆく存在といえよう。

とはいえ、実際にカンキツを食べていると、やはり甘いものがよいのは当然である。酸っぱさをおいしさと感じるバランスは非常に微妙なので、甘い果実を作る方が無難なのは確かだ。周りの方からも「ポンカンなんて流行らないから、デコポンを作った方がよい」と言われるが、甘さと酸っぱさのバランスのおいしさを確立できたなら、ポンカンも多くの人に受け入れられる果物ではないだろうか。

2012年3月18日日曜日

規格外のポンカンで加工品を作りたい

これは、1月のポンカン園の様子である。たくさんのポンカンが落ちているが、これは、自然に落ちたものではない。商品にならない果実を、全て落としてしまった場面なのである。もちろん、普通はこんなに廃棄しないのだが、このポンカン園は生産を停止する予定であったために手入れを簡略化しており、廃棄が大量に生じたのだ。栽培を辞める予定だったところなので、私のような素人に貸してくれたわけである。

というわけで、今年は普通より相当多い量のポンカンが廃棄されたが、一般的に、一次産業の食品廃棄はかなり多い(と思う)。食品の廃棄というと、コンビニなど小売りでの廃棄が問題視されがちであるが、実際は消費者の手元に至るまでの様々な段階で廃棄は生じているのであり、目につく小売りでの廃棄のみを悪者視するのはおかしい。

農業において、生産物の廃棄が生じる原因は主に2つある。

第1に、豊作すぎて農産物の価格が暴落し、出荷するコストより生産物の価格が安くなってしまう場合。これは、ある意味ではやむを得ない。生鮮食料品は保存しにくく、消費量には限界があるため、消費量以上に収穫された農産物は、たとえ現場で廃棄しなかったとしても、どの道どこかで処分せざるをえないからだ。

第2に、収穫物が規格外のものだった場合。流通をスムーズにするためには、生産物の規格化は必須であるが、規格化によって、必然的に「規格外商品」が生じる。曲がったキュウリ、二股になった大根などだ。見た目だけでなく、味でも規格外は生じる。果実で糖度が足りない場合などがそれに当たる。

第1の場合は仕方ないとして、第2の場合ができるだけないように生産者は努力しなければならない。私も、今年はできるだけポンカンの廃棄がないように努力していきたいと思う。しかし、第2の場合は流通の問題でもあるので、ぜひ流通側においてもロスが少なくなるように工夫してもらいたいと思うところである。

また、規格外を減らすといっても、自然のものだから一定の割合でどうしても規格外になってしまう。それを廃棄せずに生かすためには、加工品を生産するのが一般的だ。加工品なら、原材料の見た目が悪くてもあまり関係ない。だから、果実では規格外のものはよくジュースやジャムの原料になる。

現在、大浦町でのポンカンの加工品に、これと言って目立ったものはない。もちろんないわけではないけれども、際だった商品はないと言わざるを得ない。ポンカンは加工に向いていると言われており、各地でもいろいろな商品化がなされているが、特に人気商品となっているような有名な商品はないようだ。

もしかしたら、「果物はそのまま食べてもらうのが一番で、加工品は余り物を処分するための次善の策」という考えがどこかにあって、果物の加工食品作りが盛んにならなかったのかもしれない。しかし、鹿児島のような大消費地から離れたところにある生産地では、食品を加工し、重量や嵩を減らしてから輸送することは、規格外生産物の有無にかかわらず重要なことである。

私は自分で生産することだけでなく、今ある資源をどう生かしていくか、ということに強い興味がある。だから、来年は収穫されたポンカンを使って、何か加工食品を作ってみたい。もちろん、すぐに商品化云々というわけではないけれども、ポンカンのうまい加工法を探りたいと思う。