2014年11月10日月曜日

「都会と田舎の接点」としての葬式

我が町大浦の市街地(といえるほどの市街地はないのだが)を通ると、よく葬式の案内が出ている。

大浦は時代に取り残された高齢者が住んでいるような町だから、それはそれは頻繁にお葬式がある。もちろん単純に数で比較したら都市部の方が圧倒的にお葬式は多いが、こちらでは人口密度あたりの葬式数がすごい。

というように書き出すと、暗い話題のようだけれど、最近、これはこれで価値があることのように思えてきた。

なにしろ、お葬式には遠方から人が集まる。都会へ出て行った人たちがほんの僅かな期間でも地元に帰ってくる。この地にほとんど足を踏み入れたことがない親類もやってくる。南さつま市全体で考えてみても、年間に遠方からやってくる葬式の参列者は、ひょっとしたら観光客数よりも多いのではないだろうか

ということは、葬式は都会と田舎の重要な接点でもあるような気がする。ここで私は、この都会からの参列者を観光客に見立てて地元の物産でも売りつけたらいいのでは、という提案をしたいわけではない。その人たちは、買い物や観光のために来ているのではないし、遠方から来る人は忙しい仕事の合間を縫って来るわけで、葬式を済ませたらすぐに帰らなくてはならない。

でも、せっかく遠い所からやってきて、葬式だけ済ませて帰って行くのも何か物寂しいものがある。私も経験があるが、お線香一本のためにここまで来たのかなあ、という気持ちを抱くときもあるだろう。もちろん、「お線香一本」の価値を軽んずるわけではない。でもせっかく交通費を出して来るのだから、何か前向きなこともあったらなおよい。

じゃあ葬式とどんなものが組み合わさっていたら、葬式という場が「都会と田舎の接点」としてもっと意義深いものになるだろうか。参列者の立場から言えば、「葬式のためとはいえ南薩に来てよかったなあ」と思えるのはどんなプラスアルファがある時だろうか。そこのところは私にも今アイデアがない。ものの売り買いでもなような気がするので、どちらかというと情報発信の一つの場みたいに捉えたらいいのかもしれない。

思えば、「南薩の田舎暮らし」で製作したポストカード「Nansatz Blue」も、一番コンスタントに捌けているのは、西福寺(近所のお寺です)に置かせてもらっている分である。

とすると、お寺が田舎の情報発信に取り組めばよいのだろうか。でもことはそう簡単ではない。何しろ、お寺はたくさんあるお葬式で忙しい。というか、葬式とか法事とかが不定期にあるので、なかなか落ちついて「これからのお寺は、どうしたら地域の発展に寄与できるか」とか考えるヒマもないと思う。今後、団塊の世代がドンドン鬼籍に入っていくのでお寺はさらに忙しくなる。多分、既に僧侶不足が顕在化しているのではないだろうか。

以前も書いたように、私はお寺は田舎の重要なインフラだと思っている。インフラということは、お寺はただ住職の経営物ということではなくて、地域社会(というのが大げさなら少なくとも檀家)が作っていくものだ。お寺のことをお寺任せにしていてはよくない。葬式の段取りを行うのは最近では葬儀社が普通なので、お寺がどうこうという問題でもないかもしれないが、葬式は宗教儀式である以上お寺(僧侶)を省くことはできない。

というわけで、私は別に信心深い方ではなく、むしろ不熱心なほうだが、「都会と田舎の接点」としての葬式(に伴う南薩への来訪)がより意義深くなるような工夫を考えてみたい。読者のみなさんもお葬式にはいろいろ思うことがあると思うので、グッドアイデアをお寄せいただければ幸甚である(でもお寺に直接言ったらなおよいと思う)。

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