2012年1月25日水曜日

存在感が希薄なポンカンですが、栽培にトライしてみます

ポンカン作りに取り組んでみることにした。

面倒見がよい先輩農家に紹介してもらったのだが、ポンカン栽培をされている方が生産を縮小するということで、そのポンカン畑を貸してくださることになったからだ。

ところで、生産するからには需要がなくてはいけない。ポンカンの需要はどうなんだろうか? 仄聞するところでは、あまり振るわないらしい。かつてポンカンはお歳暮の贈答用果物としてある程度のプレミアがあったが、最近ではあえてお歳暮にポンカンを贈りたいと思う人は多くない。

理由はいろいろあるだろうが、ポンカンの存在感が希薄なことも一因と思う。ミカンと比べて味はどうか、と言う前に、そもそもポンカンの味を想起できる人が少数派だ。「なんだか皮が剝きにくい」とか「皮がきれいじゃない」というくらいの印象を抱いている人は多いが、味の方は「特別マズくはなかったと思うが…」という程度ではないだろうか。

ポンカンは日本では明治29年に栽培が開始された作物で、少なくとも500年は食べられているミカンと比べて浸透度が低いのは当然と言えば当然だ。とはいえ、独特の芳香を持ち、甘みが濃厚で酸味が少なく、「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたほどおいしい果物であればこそ、明治の先人はこれをわざわざ輸入、栽培したのである。ちなみに、良品は皮も剝きやすい。

では、なぜそのようないいイメージが浸透していないのだろうか? 大きくは次の3つの理由があると思う。

第1に、生産量が多くないこと。果樹は植樹から収穫までに時間がかかり、一度植えたら簡単には転作できない。つまり、リスクがあるのでジワジワとしか生産が広まらない。生産量が少なくては、食べた人の数も少ないので、どんな印象であれ浸透しにくいのは当然だ。

第2に、より高品位な果樹が品種改良によってたくさん開発されたこと。ポンカン自体、品種改良されタンカンデコポンを生み出している(正確にはタンカンは自然交配らしいが)。柑橘系のみならず甘みの強い品種が近年数多く生み出されており、正直ポンカン程度の糖度では「甘みが濃厚」とは言えなくなってきている。さらに、品種改良された柑橘類が多く出回ったことにより、ポンカン栽培の歴史は実際には短いにも関わらず、どことなくポンカンが古くさい印象になってしまった可能性もある。

第3に、これまでポンカンの品質管理が十分でなかったということがあるかも知れない。上述の通り、ポンカンにいい印象を持つ人は少ないが、それはこのあたりが産地であるが故に余り物のポンカンを食べ(させられ)てきたことに由来するだろう。柑橘類のみならず、一般に果物の糖度は(日当たりの差などにより)玉ごとに違う。様々な品質のものを「ポンカン」として出荷してきたからこそ、いいイメージが定着しなかったのかもしれない。

実際、デコポンは未だ浸透度が高いとは言えないながら、「甘みの強い柑橘類」というイメージが確立しつつある。なぜなら、デコポンは「不知火」という品種の収穫物のうち、糖度13度以上のもののみを「デコポン」と認定するという品質管理がされているからだ。ちなみに、デコポンは全国統一糖酸品質基準を持つ日本で唯一の果物らしい。

ところで、ポンカンは私の住む鹿児島県南さつま市大浦町の特産品だ。せっかく特産品を栽培するのだから、微力ながらその振興にも寄与したいと思う。もちろん、まずは人様に召し上がって頂くに十分なポンカンを作れるようになることが第一だが、都会からの移住者として新しい風を吹き込むことも期待されているのだと思う。

先述した3点を踏まえると、ポンカンの進むべき道はぼんやりと見えているのではないかと思うが、具体的にどうやって需要を掘り起こしていくか、実際に栽培しながら考えたい。

2 件のコメント:

  1. 度々、紙面をお借りしまして恐縮です。
    いろいろなカテゴリーにおいて、緻密な論理でブログ発信をされていることに驚嘆しながら、お書きになったバックナンバーまで読まさせていただいています。

    ところで私も先だってから申し上げてる試験的な果樹のほかに、ポンカン、タンカン類を約70本、栽培放棄寸前のものを、それまで栽培していた地主から無償で借り受け栽培しています。私が農の実態を考えるようになったのはこのポンカンつくりが原点でした。最初はどこにでもあるような、リタイア後の農業親父の趣味として始めたのですが、いろいろな問題意識が起こりました。

    現在、同じ地主のその一帯のポンカン、タンカン栽培は、地主を含めて7世帯の方がそれぞれ1~5枚の畑を栽培しています。全員、加世田や私のように鹿児島市から駆けて作っている方ばかりで、地元の人は一人もいません。地主のご両親が数十年、夫婦で苦労して栽培されてきたものを、このまま耕作放棄地にしたくないという息子さんの思いと、定年後の楽しみとして、また息子さんの思いを受け継ごうという協力者の思いが一致した結果です。しかし皆さん私と同年代で、将来においてこの思いが引き継がれる可能性は、残念ながら皆無だろうと思っています。

    現在、栽培したものは皆さん自家消費ですが、私は人に勧められて、昨年初めて自宅前で少しづつ販売してみました。またブログ(今年廃止)やHPなど自分で作成し活用したPRも試みました。今年からはさらにFBも活用すべく、現在は趣味の範囲ですが開設しました。

    結果、味については自宅販売したものは口コミで評判となり、最終的に僅か300キロ程度の販売でしたが、品不足となりお断りすると同時に、来年の予約さえ頂きました。ネットのほうも、数名の方に試食ということで無料でお送りしましたが、これも屋久島産より美味しいと(お世辞かも知れませんが)2~3の方は数回の追加注文リクエストがあり、来年の予約もいただきました。

    私の地区のポンカンは同じ県内にあって、JAの方も認めるほど味は最高と言われています(少し手前味噌かも)。
    でも、地元の人は、地元の産物の良さを見向こうともしません。
    それは栽培の労が半端ではくそれに見合うものが得られないからです。風狂さんもこれから栽培されるとのことですが、どの程度お作りになるかわかりませんが、年間の70本の作業量は、私も最初の考えが甘かったと今では思っています。

    1)年間4回の除草(草払い)2)1本づつの施肥、3)2回の摘果、4)合間の病虫害の対策、5)台風対策の防風林の手入れ、6)そして畑に至る農道の維持管理 etc
    これらをすべて一人でやらなくてはなりません。
    もっとも、これらをやってでさえ採算に合うものなら、本来県下一円でこのポンカン栽培が、これほど毎年廃れていくはずは無かったでしょうから。でも私は諦めず、ポンカン栽培については今の仲間がいる限り、また新しいネットの世界を駆使しながら、地元の特産としてPRしたいと思っています。
    そこには、お金に代えがたい、人々に喜んでいただける生産する喜びがあるからです。

    最後に、私などは素人で思い入れだけで動いていますが、風狂さんのように、論考、分析、問題提起、の取り組みも、私には大きな参考と、励みになることを申し添えておきます。
    長々と紙面をお借りしてありがとうございます。

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    1. uncle farmerさん

      コメントありがとうございます。また、ブログをお褒め頂きありがとうございます。長く農業に携わって来た方からすると、的外れであったり、カチンとくるところもあるかもしれませんが、何かのお役に立てれば望外の喜びです。

      私にとってもポンカンはちょっと思い入れのある果樹で、確かめたことがないので記事にはしませんでしたが、大浦でポンカン栽培が広まったのは、私の祖父らの運動の結果らしいのです。戦時中台湾に派兵されていて、台湾で凄く美味しいミカンがあるということを知り、戦後にそれを導入したということらしく、うちの畑で数千本の苗木を育ててそれを町内に配ったということです。昔に開墾されたポンカン畑は、重機のない時代に大変な労苦で造成されたらしきところばかりで、これが耕作放棄地になってしまったとしたら本当に残念です。

      また、ポンカンは、近年品種改良で生み出された品種にはない美味しさがあると思っており、タンカンやデコポンといった新参の柑橘よりもある面ではすぐれていると感じています。しかし、「地元の人は、地元の産物の良さを見向こうともしません。」と仰いますように、地元の人にとってポンカンはちょっと時代遅れで採算の取れないもののようですね。私も、ポンカンの新しい魅力をPRしていきたいなと思っておりますので、よろしければ協力しながらやっていけましたら幸いです。

      なお、私は文章はなぜか論理的なのですが、普段はのほほんとしており、勢いだけでこちらに移住してしまったような人間ですので、なかなか力になれるかどうかわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

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