2012年1月11日水曜日

向江新一さんと笠沙町の名勝巡り

今日は、知人の紹介で南さつま市笠沙町に住む向江新一さんを訪ねた。

向江さんは、関西で左官のお仕事をされていたが、10年前に故郷である笠沙町に戻ってこられ、代行業を営む傍ら地域興しに奮闘されている熱い方。

名刺には「鹿県関西総連合笠沙会名誉会長」「笠沙育成会会長」「現代アート写真家」と並び、紹介してくれた方が「いろいろやっている面白い人」と評していた通り。

ホンの挨拶だけと思っていたのだが、「ちょっと案内してあげるから」と言われ車に載せてもらうと、なんとそこから3時間以上も笠沙町の名所を巡って頂いた。

海幸彦と山幸彦が喧嘩したという伝説を持つ仁王崎を出発し、大当石垣群の里、東シナ海を臨む高崎鼻笠沙恵比寿、九州最西南端の絶景野間岬、皇孫ニニギノミコトが宮居を置いたという伝説を持つ宮ノ山遺跡、沖秋目島を望む景勝の地後藤鼻を巡り、笠沙町を一周した格好。また、薩摩型和船の最後の職人である吉行 昭(よけあきら)さんの工房にも案内していただいた(2012年1月15日まで笠沙恵比寿で企画展「薩摩の船 船大工と伝統技術展」が開催中)。

そして、写真家ならではの視点で、名所旧跡ならずとも眺望のよい場所で停車してくれるという心遣いも。普通の観光旅行ならこれだけで数千円は取られるだろうというメニューで、すっかり恐縮してしまった。

ちなみに、昼食は漁港野間池にある「海鮮どころ野間池」で刺身定食をごちそうになった。網元が経営するというその店の刺身、その圧倒的な新鮮さには驚いた。

向江さんは笠沙町に戻られてからの10年間、人を繋ぎ、地域の資産の重要さを説き、地道に活動されてきたということ。そして、ようやく行政も動き始めたという。

「田舎の人は、いままでの方法を変えようとはしない。都会の考え方を受け入れてくれないんだ。どんどん衰退していく地域をなんとかするためには、新しい方法が必要だと思うんだけど」向江さんはそう語り、苦笑いした。

もちろん、簡単に昔のやり方、生き方を捨ててこなかったからこそ、この九州の端っこに伝統や名勝旧跡が残ってきたのだと思う。しかし、人口が減少し、経済活動が停滞している現代、昔の生き方を保存していく力はもはやこの地域にはないのかも知れない。

木に竹を接ぐような地域振興をしては意味がない。神話や伝統技能、郷土の歴史と文化を基盤とした地域興しをしていくことが必要だ。多くを語らなかったけれども、向江さんの理想もそのあたりにあるのではないかと感じた。

なお、冒頭の画像は向江さんの現代アート作品。「これ持ってって」と気軽に渡されたが、その真価は残念ながら私には分からない。惜しいことに、題名を伺うのを失念した。

2 件のコメント:

  1. 初めまして まっきぃです。・・・このブログとは直接関係ありませんが、大浦から発信するHPが少なく<WEB笠沙>が故郷の情報源でした。このHPもWEB笠沙で知りました。これからも南さつまの情報発信を待っています。

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    1. まっきぃさん

      コメントありがとうございます。大浦町ご出身なんですね。私は移住したてで生活基盤が確立していない状態のため、地元の情報発信までなかなか手がまわりませんが、ご期待に添えるよう頑張っていきたいです。

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