2023年1月25日水曜日

鹿児島県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか

ボロクソに否定した会議のメンバーに。「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」という記事でお知らせしたように、私は鹿児島県文化協会の「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」に参加している。これまでに2回会合があった。

その会合では、鹿児島県文化協会を今後どうしていくか、どうあるべきかということを話し合うのだが、多くの委員から「そもそも鹿児島県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか」という発言があった。

これはなかなか特徴的なことで、その構成員自らが「我々って本当に必要なの?」と疑義を突き付ける組織はそうそうない。

しかしこうした問いかけがあるたびに、「やっぱり必要だよね」という論調に返っていくのもこの会議の特徴かもしれない。その理由は「交流や連携のためには広域組織が必要だから」と集約できる。しかし本当にそうなんだろうか。私が文化協会のメンバーではないからか、どうもここが腑に落ちない。

以下、前回の記事と重なる点もあるが改めて考えてみたい。

まず、市町村の文化協会(以下これを「単位文化協会」と呼ぶことにする)は、そもそも何のためにあるのかというと、最大の存在理由は地域の「文化祭」の開催である。

例えば、南さつま市の加世田では「加世田地域文化祭」が文化の日付近に開催される。単位文化協会の構成メンバーは、短歌の会、演劇団体、コーラスグループ、お茶やお花のグループ、伝統芸能継承グループ、日本舞踊の会などなどであるが、こうしたグループは単独での発表会を行って多くの観客を集めるのは難しいため、合同発表会として「文化祭」を開催するのである。

しかしここでポイントなのは、この「文化祭」は必ずしも単位文化協会の構成メンバーのみが出演するのではない、ということだ。例えば「加世田地域文化祭」では、地域の高校の書道部や吹奏楽部も出演する。また本部は地域外にある文化団体でも、参加を希望すればそれが受け入れられることが普通だ。単位文化協会は「文化祭」の実行委員会である、と考えたらいいかもしれない。

こうした単位文化協会が集まってできているのが、鹿児島県文化協会である。ただしここでも一つ注意が必要である。鹿児島県の各市町村に単位文化協会があるが、鹿児島市には単位文化協会は存在しない、ということだ(ただし合併前の旧町域にはある。吉田と郡山)。

なぜ鹿児島市にはないのか。私にはよくわからない。だが鹿児島市の場合は、同種の団体が割合に多いので、わざわざ異分野の文化団体と合同発表会を行う必要があまりなかった、ということなのかもしれない。発表会をしたいなら、異分野ではなく同分野でまとまればよいからだ。

例えば各地にあるコーラスサークルや少年少女コーラスのグループは「鹿児島県合唱連盟」を構成していて、年に一度宝山ホールで合同の「合唱祭」がある。鹿児島市の場合はこういう「文化団体連盟」の行う発表会が、他の市町村で単位文化協会が行う「文化祭」の代わりになっているのだろう。

なお、鹿児島市にも年に一度の「鹿児島市民文化祭」があるが、これは単一のイベントではなくていろいろな団体がそれぞれに行う発表(日程・場所もバラバラ)を便宜的に「鹿児島市民文化祭」と呼んでいるだけである。

さて、鹿児島市以外の市町村の文化団体は「文化団体連盟」に加入していないかというとそうでもなく、宝山ホールでの「合唱祭」には南さつま市少年少女合唱団も出演している。つまり鹿児島市以外の市町村の文化団体は、「文化団体連盟」と「単位文化協会」に二重に加入しているということになる。もちろん、どちらにも加入している団体、どちらかにしか加入していいない団体、そしてどちらにも加入せずに活動している団体もある。

そしてこの「文化団体連盟」も、鹿児島県文化協会の構成メンバーなのだ。県文化協会は、単位文化協会と文化団体連盟による連携協力のための互助組織である、といえる。

さらには、これらとは別に、単一の文化団体も若干ではあるが県文化協会に加入している。例えば、劇団「夢飛行プロジェクト」、郷土芸能中之町鉦踊り保存会、田の神を守る会といったものだ。

ややこしくなったのでこの状況を図示すると次の通りである。ただしこの図では、文化団体連盟・単位文化協会に加入している団体のみを描いているが、実際には加入していない団体は多い。

これまでの話をまとめると次のようになる。

<鹿児島県文化協会のメンバー>

  • 鹿児島県文化協会は(1)単位文化協会と(2)文化団体連盟(3)単一文化団体の3種のメンバーで構成されている。
  • 「単位文化協会」は各市町村の文化団体で構成されるが、鹿児島市にはない(旧町域を除く)。
  • 鹿児島市以外の市町村の文化団体では、「文化団体連盟」と「単位文化協会」に二重に加入している場合がある。

そして、県文化協会の主要な事業は何かというと、「県民文化フェスタ」の主催と、会誌「文化かごしま」の発行の2つ。「県民文化フェスタ」は県内全域を対象とした文化祭(場所は持ち回り)であり、「文化かごしま」は情報共有のための機関紙である。

なお、念のためいうが県文化協会は公的機関ではなく、県からのわずかな補助は受けているものの、基本的には互助団体である。

こうした状況を踏まえて、「そもそも鹿児島県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか」という質問を再考してみると、その答えは明らかである。それは「県文化協会は、加盟団体、つまり単位文化協会と文化団体連盟のために存在しており、それらが必要と思えば必要なのだ」ということになる。

「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」のメンバーは、基本的に加盟団体の代表で構成されている(私のような例外もいる)。よってその代表たちが必要と思うなら必要なんだろう。

が! では彼らはなぜ「県文化協会は必要なのか、誰ため、何のためにあるのか」という疑問を抱いたのだろか。その点をちょっと考えてみたい。

前回も書いたように、県文化協会は様々な課題を抱えている。加盟団体の減少、それに伴う収支の悪化、役員の高齢化といったことだ。しかしこうした課題があったとしても、加盟団体が必要と思うならば、「県文化協会を存続させていくためにどうすればいいのか」という議論になるはずで、「必要なのか、誰のため、何のためにあるのか」という論調にはならないはずだ。

そのような発言が出るということは、結局は加盟団体自身が「県文化協会の存在意義がない」と感じていると思わざるをえない。それはおそらく、現在の県文化協会の実態が、会則に掲げられた「県民文化の振興に寄与することを目的とする」との理想と乖離しているためだ。

辛辣な言い方になるが、今の県文化協会は、高齢化した加盟団体の「生きがいづくり」のために存在しているようなところがあり、交流や連携というのもごく一部の関係者間にとどまる。これで県民文化の振興に寄与できているのか、そこが会議のメンバーが突き付けた本当の問いではないか。

とはいっても先述のように、組織の成り立ちから考えれば、県文化協会は広く社会にサービスを提供しなければならない団体ではなく、極端に言えばメンバーが満足すればそれでよい互助団体だ。

しかしこれまでは加盟団体も多く、活動がそれなりに盛り上がって社会になんらかの価値を提供できていた実感があったのだろう。それが、団体数の減少や高齢化によって活動が自己目的化し、何のためにやっているのかわからなくなってきた……といったところかと思う。いくら「県民文化の振興のため」といっても、自分たちの活動が実感として文化振興につながっていると思えなければ、「必要なのか、誰のため、何のためにあるのか」と思うようになってもしょうがない。

そしてその実感のなさの理由をさらに突き詰めていけば、単位文化協会はなんのためにあるのか、というところにまで行きつかざるを得ない。もちろん単位文化協会はたくさんあり、そのおかれた状況は様々だ。我が大浦町の文化協会が2021年、加盟団体数の減少から解散したように解散間際のところもあれば、市町村合併で大きくなり新たな活動を開始しているようなところもある。しかし総じていえば、やはり加盟団体数の減少、役員・メンバーの高齢化、収支の悪化、といったことが共通の課題となっており、活動が低調になっているのが現状だ。

では、単位文化協会の衰退によって県民文化は退潮にあるのだろうか? 

これは簡単に判断ができるようなことではないが、私の実感としては「県民文化」すなわち県民の文化的な活動は、郷土芸能を除いて決して退潮にはない。

というのは、今はインターネットを通じて文化的な活動をしている人がとてもたくさんいるからだ。YouTubeによってかつてないほど学びの敷居は低くなり、特に楽器の練習は容易となった(うまくなるかは別として)。文芸(短歌・俳句・詩・小説・エッセイ)は気軽に発表できるようになったし、発表というほどでなくても、絵・写真・書道などの作品をFacebookなどで見せている人は多い。手芸についても、アクセサリーや小物づくりなどは今多くの人がプロ並みのものを作り、Instagramを使って集客するマルシェなどで盛んに販売されている。そして生涯学習の面でも、多くの人が通信講座やインターネットを介した勉強で資格試験に果敢にトライし、キャリアアップにつなげている。

一方、単位文化協会を構成する団体は、かつての公民館講座を母体にしたものが多く、書道・華道・茶道・陶芸・踊り・伝統文芸など「旧来型の文化」に属するものがほとんどだ。こういう「旧来型の文化」が退潮にあるからといって、県民の文化活動自体が低調だとはとうてい言えない。

むしろ、県民の文化活動の中心とずれたところに単位文化協会があるから、自然と衰退していった、というのが本当のところではないだろうか。結論的にいうならば、単位文化協会はもはや県民文化を支える存在ではないのである。

そもそも、先ほど述べたように鹿児島市には単位文化協会は最初から存在しない。それでも、鹿児島市民が文化活動をするのに苦労しているという話は聞いたことがない。それだけでも、単位文化協会の存在価値に疑義を抱かせるのに十分だろう。もちろん地域の「文化祭」の実施は大切であるが、逆にいえば「文化祭」の実行委員会の機能さえあればよい。単位文化協会はなくてもいいのである。

だからこそ、その互助団体である県文化協会が「必要なのか、誰のため、何のためにあるのか」と疑問を突き付けられるのだろう。県民文化を支えているわけでもないのに、自分たちは何のためにやっているのか、と感じてしまうのではないのか。

今回の会議=「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」は、あくまでも県文化協会の今後を考えるもので、単位文化協会をどうする、ということを話し合うためのものではない。しかし県文化協会の在り方を考えていくと、単位文化協会の在り方にまで踏み込んでいかざるを得ないと私は思う。この意見に対して、おそらく会議のメンバーは「そんなことを議論すると収拾がつかなくなる」というだろう。しかし課題の根幹はそこにあるのではないか。

私は、単位文化協会などなくしてしまえ! と言いたいわけではない。彼らも互助団体なのだから、私のような外野がとやかくいう権利はない。だが彼ら自身から存在意義の根幹にかかわる疑問が提出されている以上、「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」はそれに真正面から向き合うべきだと思うのだ。

根幹に触れずに価値ある議論ができるのか、私には疑問である。

(つづく)

2023年1月6日金曜日

耕作放棄地の増加は、それ自体は何の問題もない。真の問題は…

以前も書いたことがあるが、私は「農地利用最適化推進委員」というのをしている。農業委員会の下請けのような仕事である。

【参考記事】「農地利用最適化推進委員」になりました
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2021/01/blog-post_18.html

その仕事の中に、農地の利用調査がある。これはなかなか大変な調査で、年に一度、担当地区内の全農地を一筆ごとに実見し、農地が利用されているか、それとも耕作放棄地になっているかを調査するものである。もちろん、この調査は全国で行われている。一筆ごとに日本の全農地の現況を調査するなんて大変なことだ。

しかしながら、この調査には何の意味もないと思う。

政策の基礎として統計データが重要なのは言うをまたない。それは確かだ。だが、農地の現況、特に耕作放棄の状況という情報にどんな意味があるのか、ということである。

「耕作放棄地の増加は日本の農業の大問題じゃないか!」という人もいるかもしれない。そんな人にとって、耕作放棄の現況は確かに知りたい情報だろう。

ところが、田畑が耕作放棄地になること自体は、全然問題でもなんでもないのである。

というのは、農地が放棄されて荒れてしまうのには、相応の理由があるからだ。うちの地域だとその理由は、(1)山奥にある・孤立している・傾斜が激しい(2)狭小・不整形・道路に面していない(3)湿地・排水が悪い・石がごろごろしている(4)土地の名義人が地元にいない・持ち主がわからない、といったところだ。

このうち、(4)はともかくとして、(1)~(3)のような農地は、今の時代はもはや耕作しない方が合理的なのだ。これは私の意見ではなくて、当の農水省の方針である。農水省は、日本の農業を大規模化・機械化・効率化したものに変えようと何十年も取り組んできた。それは、(1)~(3)のような効率の悪い農地ではなく、アクセスがよく、広大で真四角の、土壌改良された農地で農業をやるように誘導することに他ならなかった。

なにしろ、(1)~(3)のような農地は、人手がかかる割には生産性は低く、補助金を投入してもまともな利潤が生まれない。結局そういう場所は専業農家にとって足手まといであり、高度成長期には「3ちゃん農業(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんによって行われる農業)」で維持されたものの、平成に入るくらいで徐々に放棄された。(2)(3)のような場所は、基盤整備事業によって広く四角く排水がちゃんとした農地に造成できるためある程度生まれ変わったが、(1)の土地はほとんど放棄されたと考えていい。もちろんそれは耕作放棄地の増加をもたらしたが、日本の農業全体としてみれば、確かに生産効率は上昇したのである。

こうしたことは何も農業に限らず商売でも同じことだ。例えば駅前やバスターミナルの前は商店街の一等地であったが、車社会になるとそうした場所はシャッター街となり、バイパス沿いの駐車場の広い店が繁盛するようになった。あるいは住宅街の中の小さな精肉店や八百屋はいつの間にかなくなって、大きなディスカウントスーパーが幅を利かせるようになった。もちろん、駅前がシャッター街になったり、個人商店が消えてしまったのは寂しいことではある。だが商売の適地や効率的な規模が変わってしまったのだからしょうがない。商売をやめてしまった人たちも、やっていけないから辞めただけのことなのだ。

これと同じように、農地にも時代ごとに適地や適正規模がある。農地は何が何でも維持すべきものではなく、移ろってよいものである。だいたい、今の日本の基幹産業は農業ではない。

だが農水省は、耕作放棄地=遊休農地(利用されていない農地)・荒廃農地(荒れた農地)の調査をかなりのコストをかけて実施してきた。それは、耕作放棄地が増えるのは問題であるという意識の下、耕作放棄率を減らす政策を行ってきたからである。

その結果どうなったか。

実は、耕作放棄率が減るような、登記上の手続きが行われるようになった。

具体的には、我々が行う農地の利用調査で耕作放棄地だと明らかになった場所の地目(土地の種類)を、「農地(田・畑)」から「山林」などに変更するという手続きが取られるようになったのである。

土地というのは、地目によって利用形態が決まっている。「田」「畑」「宅地」「山林」などだ。耕作放棄地というのは、このうち「田」「畑」など農地であるにもかかわらず、農地として利用されていない土地のことである。ということは、その土地の地目を例えば「山林」に変えてしまえば、現状を一切変更することなく、耕作放棄地が一筆減る、というわけなのだ。そこはもう、登記上は「農地」ではないのだから。

この方法を使って、利用されていない農地を全部「山林」に変えてしまえば、耕作放棄地は全国から一つもなくなってしまう。もちろん農地の除外はそんなに簡単ではなく、また実際にはそこまでのことはできない。しかしながら、実際に現場ではそのようなことが行われている。とはいっても、ここで農地から除外される土地は、少なくとも(1)〜(3)のような場所なので耕作したい人もおらず、この操作によって実態として農地が減るわけではない。つまり現に農地として扱われていないところを実態にあわせて除外しているだけだから、むしろ望ましいとさえいえる。

問題は、だったら、農地の利用調査には何の意味があるのか? ということだ。

農地の実態を知るのには確かに役立つ。でも知ってどうするのか? 地目を変えるだけならば、5年おきくらいにすれば十分なことだ。毎年やる必要はない。耕作放棄地があることを認識しても、そこを農地から除外するくらいしか打つ手立てがないなら、現況を知ってもしょうがないのだ。

しかし、これから耕作放棄地はもっとずっと増えると予想される。それは、いよいよ農家の数が少なくなってくるからで、きっと今後は(1)〜(4)ではなく、優良な農地なのにもかかわらず利用されない、という真の耕作放棄地が増えてくる。その時にどうするか。今のところ全く打つ手はない。農水省も新規就農者を増やそうとはしているが、その対策は焼け石に水のような規模だ。

農水省は、農家が法人化して大規模化し、土地を集約して機械化・合理化を進めれば農地の利用が可能であるかのようなことを言っているが(「人・農地プラン」→「地域計画」をつくれとの指示)、ものには限度というものがある。アメリカのように広大な土地があるわけではないのだから、新規就農者の増加が絶対的に必要だ、と現場の人間として思う。

もし田畑が耕作放棄地になることが問題だとしたら、それが耕作者の減少・担い手の不足を表しているからであり、真の問題は結局「後継者問題」なのである。

しかし農地調査には熱心だが、そういう真の対策には及び腰なのが、今の農政である。調査をやるなとはいわないが、やるならしっかりとした対策とセットでやるべきだ。

これは何も、私が言っているだけではない。少なくとも南さつま市の農業委員や農地最適化推進委員は、全員思っていることだと思う。

2022年12月31日土曜日

チラシくらい自由における場所が街には必要だ

今年もいろいろイベントを開催した。

10月に「儒学・国学・廃仏毀釈」というトークイベントを天文館図書館で、12月には「鹿児島磨崖仏巡礼 vol.5」を名山町のレトロフトで開催した。このほか「books & cafe そらまど」では不定期に「そらまどアカデミア」という講演会を始め、今年は3回開催した。

ありがたいことに、こうしたイベントではだいたい定員いっぱいのお申し込みがあるので、もしかしたら私は「人集めの上手い人、情報発信が得意な人」と思われているかもしれない。

だが私が一番苦手なのが、まさに集客であり情報発信なのだ。このブログや「南薩の田舎暮らし」のブログを見ている人は、その地味な内容を知っているだろうから、納得してくれるに違いない。

しかしそもそも、こうしたブログは集客にはあまり役立たない。というのは、私のブログ記事は閲覧数が平均して100くらいしかないからだ。Facebookは以前はより広くリーチしている実感があったが、最近は直接の知り合い以外には広がりを感じない。

一方、Twitterはより拡散の可能性があるものの、こちらは地縁よりも興味で繋がっていることが多いのでリアルのイベントでの集客力はあまりないように思う。そしてInstagramでの情報発信は写真の魅力に左右されすぎるので私には難しい。要するに、SNSでの情報発信はあんまり頼りにならない。

「そんなのお前のフォロワー数が少ないからだろ」と言われればそれまでだ。しっかりとコンセプトに沿ってアカウントを運営し、良質なフォロワーを多く獲得してきた人にとってSNSは絶大な力を発揮する。しかしそんなことは、普通の人がそうできることではない。いや、得意な人でもかなりの労力を要する。それにポッと出の若者には、これまでの積み上げが必要な手法は使えない。

そもそも、イベントというのは単発的なものである。「この人が鹿児島に来る機会があるから講演してもらおう」みたいなことで企画されるのがイベントの常だ。そうなった時に、内容よりもSNSの発信力、特にこれまでの積み上げが集客にものをいう現状はハードルが高いなと思う。

もちろん、インターネットもSNSもなかった時代に比べれば、情報発信や集客は格段にやりやすくなった。でも私が言いたいのは、ちょっと前のSNSに比べて情報の拡散が難しくなってきている実感がある、ということだ。

その理由はともかく、そうだとするならリアルの情報発信が大事だ、ということになる。伝統的な手段、つまりポスター、チラシ、知り合いに声をかける……といったことに取り組まなければならない。

ところがここで一つ問題がある。それなりに人通りがあり、ポスターやチラシをある程度自由に設置できる場所が、鹿児島には少ないのだ。

その数少ない場所のひとつが、マルヤガーデンズのD & Department 店頭にあるチラシ置き場である(冒頭写真)。ここには私自身大変お世話になっている。なにしろ、奥まった場所でなくて、店の顔となるフロント部分にチラシ置き場を設置してくれている。「消費者」に少しでもモノを売りつけようと迫り出してくる店が多い中で、こういういい場所を無料のチラシ置き場にしているのは店の見識の高さを感じる。

しかしこの前、あるチラシをここに置いてもらいに行ったら、「今後は内容を精査して、お店のコンセプトに合致するチラシだけに限定するかもしれません」とのことだった。どうやらここにチラシを置きたい人が多く、チラシがあふれかかっているために制限をかける必要に迫られているらしい。

そりゃそうだ、と思う。こんなにいい場所に無審査で(といってもお店の人が内容を確認してはいると思う)チラシを置かせてもらえるのは他にない。

ところで数年前、「マークメイザン」という施設が名山町にオープンした。ここは「クリエイティブ産業の成長のため、多角的に経済成長の手助けとなるネットワークを提供し、クリエイターのためのハブ施設」になることを目指しているそうだ。そんなわけで、ここにチラシを置いてもらえないか、オープン直後に話に行ったことがある。

すると、「置くことは可能だが、審査し決裁が必要」とのことだった。これはオープン直後のことなので今は変わっているかもしれないが、「そんなのクリエイティブでもなんでもない」とあきれてそれ以来足を運んでいない。創造性の最大の敵は、そういう官僚的なしくみなのである。

しかしこれはマークメイザンだけでなく、公共の場所では普通のことである。それどころか公共の施設にチラシを置かせてもらうには、たいてい行政関係の後援を要する。そしてそういう後援は、主催団体がしっかりした組織(組織規則がありメンバーが何人以上など)であることが最低条件になっている。こうなると、私のように個人で(あるいはせいぜい友人と)やるイベントには行政の後援を得ることは不可能なので、結局知り合いのつてを頼ってお店などに置いてもらうことになる。

つまり、最も力のない(お金もない)個人が行政の支援から外れてしまうという、お決まりのあの現象がこんなところでも起きてしまうのである。日本の行政は、ある程度組織化され形式的に整った団体には比較的緩い条件で支援が可能であるが、個人の場合はどんなにその内容が世間的に評価されるものでも相手にしない。内容よりも形式を重視するという官僚制が、ここでも幅を利かせているのだ。

……少し話が発散したが、私が言いたいのは、情報発信したい人がそれをやりやすいように、せめてチラシくらい自由における場所が街には必要だ、ということだ。

かつて、街にはビラやチラシが勝手に貼られていた時代がある。電話ボックスにいろんな小さなチラシが貼られていたなんて、今の若い人には想像がつかないだろう。しかしそうしたものは次第に「浄化」された。もちろんそれはよいことの方が多かった。しかしそれと並行して、私の感覚ではビラやチラシを置いたり貼ったりしてよいところも少なくなった気がする。昔は、街にもっと掲示板のような場所があったような。

今はそういう場所はインターネットが代替しているのだから、問題はないといえばない。だが先述のとおり、最近のインターネットは使いこなすのがかえって難しくなってきている。ポスターやチラシなど、リアルの力が大事になってきているのに、それが街から締め出されている現状があるのはいただけない。

本当は、D & Departmentのチラシ置き場のような場所を行政が作ればいい。きっと若い人の挑戦を後押しできる場所になると思う。費用も労力もさほどかからない。人が集まる公共施設の畳一畳分くらいを提供すればいいだけなのだから。

でも行政がすると、すぐに後援が、審査が、と官僚的な運営になってしまう。そうなると結局、ポッと出の若者には使えない。これはむしろ民間企業や通り会(商店街振興組合)がやる方がうまくいくかもしれない。

チラシ置き場の話くらいで大げさだなあ、と読者のみなさんは思うだろう。しかしそんな簡単なことすら、実行しているのは鹿児島ではD & Departmentだけなのだ。もちろんもっと小規模な店ではやっているところは多い。しかし繁華街にある大きな店ではここだけだと思う。それは先ほど書いたように、人通りのある場所に無料でチラシを置くスペースを作るのは、この厳しい経済状況の中では高い見識のいることだからである。

講演会、展示会、即売会、演奏会……そういう小さなイベントが、個人を飛躍させる出会いやきっかけになることは多い。その小さな挑戦を応援するために、多くの人が目にする場所にチラシを置けるようにするくらいの街でありたいものである。

2022年12月11日日曜日

南さつま市民会館を建て替えるなら、薩南病院跡地の利用と絡めては?

今、加世田にある「南さつま市民会館」を建て替える動きがあるのだという。

これは市役所周辺にある公共施設のひとつで、大きな講堂といくつかの研修室・展示スペース等で構成され、2階には教育委員会事務局が入っている。

建設された正確な年はわからないが、見た目でもわかるほど経年劣化しているため、建て替えが検討されているものと思われる。

施設の建て替えはまちづくりには大きなチャンスである。市民会館周辺を見回してみると、今けっこう問題がある。これを解決する建て替えになってもらいたいものである。

第一の問題は、駐車場が絶対的に不足していることである。市民会館の駐車場は、昔加世田川だったところを埋め立てて作った駐車場があるが、これがキャパ不足で、イベントの時などは横の車道に縦列駐車が並ぶ。市民会館の向かいには「ふれあいかせだ」があるが、こちらも駐車場は少ししかないので、両方の施設でイベントがある時は全然車が駐められない。

なにしろ南さつま市は公共交通機関が脆弱であるため、これらの施設を利用する場合はほとんど自家用車が必要だ。両施設の収容人数を考えると駐車場は今の倍くらい必要である。なお、大きなイベントの時には近くの加世田小学校横の駐車場も開放されるが、こちらは施設から600mほど離れている上、小学校の前の細い道路を通っていくため登下校時には危なくて使えない。やはり駐車場の増設は必要だ。

第二の問題は、市民会館と「ふれあいかせだ」という似たような施設が並んでいることだ。市民会館の講堂はフラットで、「ふれあいかせだ」にある「いにしへホール」はフラット+立体座席になっているという違いこそあれ、収容人数も似たようなものだし、市民会館がなくても困らないのではないかと思う。となると建て替え自体が無駄である。

この二点を考えると、市民会館は建て替えるのではなく、つぶして駐車場にするのが合理的だ、ということになる。

だがもうちょっと視野を広げてみると、別の考えが浮かぶ。というのは、今の南さつま市には薩南病院跡地の利用をどうするか、という懸案があるからだ。

県立薩南病院は、今は加世田から車で5分ちょっとの万世にある。それが老朽化のために加世田市街地に移転することになった。新薩南病院の稼働は2024年を予定しているそうだ。これで加世田中心部はさらに賑わうことになるだろう。

それはいいとして、万世の薩南病院跡はどうなるのか。南さつま市ではただでさえ加世田中心地への一極集中が進み、周辺がどんどん寂れてきている。県としてもまだ跡地利用については検討していないそうだが、昨今の県政の縮小傾向を考えると、跡地に新たな施設を県が建設することはまず考えられない。南さつま市が主体的に活用を考えていかないかぎり更地にして終わりであろう(隣接する海浜公園への編入が想定される)。

よって、市民会館を建て替えるのではなく、むしろ薩南病院跡地にそれに代わる施設を(できれば県と協力して)新たに建設する方がずっと意味があると思う。

ではどんな施設を建設するのがいいかというと、私は図書館を中心とした複合型コミュニティスペースがよいと思う。

というのは、南さつま市の図書館事情は貧弱なのだ。特に市民会館の隣にある加世田の図書館(南さつま市立図書館中央図書館)は、建物が小さすぎるという致命的な欠点がある。開架スペースと閲覧室が小さく、蔵書数は約7万5000冊しかない。これは、例えばお隣の日置市の中央図書館(伊集院)が約8万3000冊あるのと比べると見劣りする。そんなに大きな差ではないと思うかも知れないが、市全体で比べると、南さつま市は加世田以外には大きな図書館がないため総蔵書数が約13万冊なのに対し、日置市では約21万冊。総蔵書数では倍近い開きがあるのだ。ちなみに人口は日置市の方が1万人くらい多い。

しかし実際には、両市の図書館利用についてはこれ以上の差がある。なんと日置市民は、鹿児島市立図書館の本も借りることができるのである(鹿児島市が隣接自治体に図書館の広域利用を許可しているため)。鹿児島市立図書館の蔵書数は約146万冊。日置市民はこの大量の蔵書にアクセスできるのだ。南さつま市民がいかに図書館に恵まれていないかわかる。

また、最近は地方行政において図書館を中核としたまちづくりが注目されている。あの話題になったツタヤ図書館こと佐賀県武雄市の図書館は賛否両論あったが(個人的には邪道な図書館だと思う)まちづくりとしては成功事例に属する。その武雄市の人口が、日置市とほぼ同じの4万8000人だから、南さつま市にとっても参考になるだろう。

ともかく、図書館を中心として、市民がイベントやマルシェに活用できるスペースを設けた複合施設を作れば、南さつま市に新しい人の流れや活躍・挑戦の場ができるのではないかと思う。

ついでに言えば、鹿児島県としても南薩地区の施設に課題がないわけではない。まずは、加世田にある南薩地域振興局の合同庁舎が老朽化していることである。数年前の耐震化工事の実施により延命されているが、裏手にはプレハブの庁舎が存在している。さらに加世田保健所、南薩教育事務所も老朽化しており、特に加世田保健所は建物の構造上使い勝手がとても悪い(駐車場の立地など)。こうした施設のいくつかは、万世に集約させた方が維持管理コストも減り、鹿児島市から通勤してくる職員にとっては交通の便もよい。複合型施設の一部は県の庁舎にするのが一案である。

…と、いろいろ勝手なことを書いたが、実のところ市民会館の建て替えがどのような形になろうとも、ある一つの条件さえクリアすればいいと思っている。その条件とは「市民の声を聞いて決めること」である。何しろ”市民”会館である。他の行政施設だって市民の声を聞いて作って欲しいが、市民会館をどうするかについては、市民が主役であるべきだ。

市民会館の建て替えは、おそらくはまだ具体的な議論になってはいない。だが建物の老朽化を考えると早晩その必要はやってくる。さらには2024年には薩南病院移転が控えており、そのタイミングで県に有効な提案を持っていきたいものである。

南さつま市役所の腕の見せどころであろう。

【2022.12.12 追記】
上の書き方だと加世田の図書館を廃止するような印象になるが、加世田図書館は特に学習室利用を中心に需要があるので、それは残して分館にし、新たに本館を万世に建設する、という考えである。

2022年10月27日木曜日

「鹿児島県公文書等管理条例(仮称)」に熱意はあるのか?(意見募集中)

現在、「鹿児島県公文書等管理条例(仮称)の骨子案」に対するパブリックコメントが行われている。

【参考】鹿児島県公文書等管理条例(仮称)の骨子案に対する御意見を募集します
https://www.pref.kagoshima.jp/ab04/kobunsyo/jorei/pbcom.html

これがなかなか問題の多いものなので、長くなるが少し考えてみたいと思う。

この「鹿児島県公文書等管理条例(仮称)の骨子案」(以下「骨子案」という)の内容をごくかいつまんで述べると、

(1)意思決定に至る過程等を合理的に跡付け、または検証することができるよう、公文書を作成する。
(2)公文書のうち、重要な情報が記録されたものは、保存期間満了後には知事に移管して「特定歴史公文書」とする。(それ以外は、保存期間が満了したら破棄する。)
(3)知事は「特定歴史公文書」を永久に保存し、その目録を公表し、一般の利用に供する。(4)公文書等に関し諮問するための「公文書管理委員会」を設ける。

というところである。要するに、保存期間が満了した重要な文書を永久保存していくためのルールがないので、それを定めましょう、というものだ。

ところがこの案には、大事なところにポッカリと穴が空いている。それは、「特定歴史公文書」を永久に保存するための方策が全く何も述べられていない、ということである。

文書を永久に保存する…なんて簡単なことではない。火災や水害、虫害、紫外線などから厳重に守らなくてはならないし、散逸や紛失の危険もある。引っ越しだってリスクだ。

実は私が文科省で働いていたとき、庁舎の建て替えがあった。具体的には、新庁舎建設の間、文科省は丸の内のビルに引っ越しし、その後霞ヶ関に戻ってきた。もちろんその時、文書は整理番号を書いたダンボールに入れて引っ越し作業をしたが、ハッキリ言って文書のうちいくらかは訳が分からなくなっていたと思う。なぜなら建て替え期間が4年間あったため、文書をダンボールに封入した人と、開封した人は別だった係が多かったからである。役所の人事異動のスパンは短いのだ。

その後、混乱した資料は霞ヶ関で再び整理しなおされたと信じたいが、あまりそうとも思えない。というのは、保存資料は地下倉庫にダンボールに入れたまま保管されている課が多かったが、そもそも地下倉庫に行くことも少なく、整理の人員も手当てされていなかったからだ。行政の保管する文書の量は膨大であり、片手間で管理していくことはできない。

であるから、国はもちろん、多くの自治体(都道府県)において、公文書を永久保存するための「公文書館」が設立されている。こうした公文書館は、災害を受けにくい立地(津波や水害がない)にあり、館内で火を使わず(ガスの給湯設備がないなど)、十分な耐震性をもった建物に収容されている。すでに全国40の自治体で公文書館が整備されているが、そのこと自体が、「公文書の永久保存には専用の建物が必要である」ことの証左である。

翻って、もう一度「骨子案」を注意深く読んでみると、「知事に移管した特定歴史公文書は,永久に保存するとともに,目録を作成して公表する。」とあるが、文書を物理的にどうするかは一言も述べていない。「知事に移管する」という意味はなんなのだろうか。素直に考えれば、知事直轄で「文書室」のようなものを設立してそこに移管するイメージだが、もしそうであればそう書くはずである。何も書いていない以上、「文書は、管理者を知事に変更した上で、引き続き担当課の書架で保存する」というように理解するのが自然だ。よくても県庁地下倉庫に移すくらいだろう。

この条例の目的の一つは、公文書等を「県民が主体的に利用し得る」ようにすることにあるが、「骨子案」では公表されるのが「目録」だけであるのがそうした脆弱な体制を物語っている。文書館、文書室のようなものがあるならば、目録だけでなく文書自体を公開していくことが可能であるのに、公開対象が「目録」だけなのは物理的にまとめて保存しないためだろう。これで「県民が主体的に利用し得る」のか、甚だ疑問である。

ということで、この「骨子案」の最大の問題は、「特定歴史公文書」を永久に保存するための施設(=公文書館)をどうするのかが書いていないことである。

しかしながら、「骨子案」の問題はこれだけではない。2つめの大きな問題は、保存期間が満了した公文書のうちのどれを永久保存するか、誰が判断するのか、ということである。

「骨子案」には、「実施機関は,保存期間が満了した公文書の取扱いとして,歴史公文書は特定歴史公文書として知事に移管し,その他の公文書は廃棄する。」とある。

ここでいう「歴史公文書」とは重要な公文書のことであるが、どれが重要だと誰がどうやって判断するのだろうか。「実施機関」は県庁とか教育委員会のことなので、「骨子案」を素直に読めば、「担当課が重要だと判断した文書は知事に移管(=永久保存)するが、それ以外は担当課の判断で廃棄する」ということになる。果たしてこれが適切なのか。

一般的な知名度はまだ低いが、永久保存するモノの選定・整理・保存・公開のプロを「アーキビスト」といい、欧米諸国では格の高い専門職である。というのは、永久保存するのか、それとも廃棄するのかという究極の選択を行うからであり、ある意味では真贋を見分ける骨董鑑定士のような位置づけがあるともいえる。

これまでの日本の行政では、振り返ってみれば重要な文書が、些細なものと見なされ、あるいは内容を確認すらされずに、書架がいっぱいになったからといった理由で廃棄されてきた。担当課担当係に、改まって文書の価値を問うたならば、もしかしたらそうした文書は残ったかもしれない。しかし多忙な業務の中で、文書の価値を問うというような悠長なことは現場の職員には難しい。やはりアーキビストがそこに一枚噛むことは必要だ。

だからこそ、全国の公文書館には専門の職員が配置されているのである。では「骨子案」ではどうなっているか。そうしたことを検討した形跡は「骨子案」のどこにも見当たらない。どうやら、これを考えた人は、どの文書が重要なのか簡単に判断がつくと考えているようだ。このままでは、文書の重要性の評価は人それぞれなので、ある課のある時期の文書はよく残っているが、隣の課の文書はほとんどない…というような粗密が生じることになるだろう。

というわけで、第1と第2の問題点をまとめると、「骨子案」では「県は、公文書を保存していくための人もカネも出す気がないらしい」ということになる。こうなると、逆に「どうしてこんなやる気のない条例を作る気になったのだろうか?」という気すらしてくる。

実はこの「骨子案」は、県議会からの提言書を受けて出されたものだ。県議会の「政策立案推進検討委員会」によって今年の3月に提言された内容の一つが「公文書管理機能の充実・強化について」だったのだ。

【参考】令和4年3月|政策提言等に関する報告
http://www.pref.kagoshima.jp/ha01/gikai/topix/teigen/iinkai/documents/97389_20220304091431-1.pdf

その内容を乱暴にまとめると、「鹿児島県には保存期間が満了した公文書についての定めがなく、貴重なものが破棄されるおそれがあり、また永久保存の文書についても役所の中で保存されるだけで県民が利用出来ないため、公文書管理の条例を定めるとともに、将来的には公文書館的機能を有する体制を整備していくための検討委員会を設けるべきである」ということだ。

今回の「骨子案」が、これに沿ったものであることは一目瞭然だろう。

ところが! 「骨子案」のどこを見ても、こうした経緯は書いていない。一般の県民には、なぜ今公文書管理条例を定めようとするのか、どのような検討を経てこの案が作成されたのか、全くわからないのである。

一方で、「骨子案」の「条例制定の趣旨」にはこう書いてある。「公文書は,県民共有の知的資源であることを明確にすること等により,県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図るとともに,県民に対する説明責任を果たす。」

この文章は日本語がおかしいが(後段の主語がない)、それはともかく、「 県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図る」のがこの条例の趣旨のはずである。にもかかわらず、この条例自身がどのような経緯で検討されたのかが一言も書いていないとは、随分と皮肉なことだ。透明化を図ろうという気が本当にあるのか。

そもそも、この「骨子案」を一目見て感じるのは、内容があまりに簡略過ぎるということである。先述のように、既に各地の自治体により40の公文書館が設立され、また「公文書管理条例」も多くの自治体で制定されている。鹿児島は最後発の部類になるわけだが、最後発であるということは、いろいろな事例を参照することが出来る有利な立場でもある。各地の事例を研究し、実効的かつ費用対効果に優れた体制を構築すべきであるのに、少なくとも「骨子案」検討の段階ではそうした考えはうかがうことが出来ない。

例えば、日本で初めて公文書館をつくったのは山口県である(国立公文書館より先の昭和34年)。山口県では、旧萩藩主毛利家から寄託された「毛利文書」を中核として「山口県文書館」を作ったので、これは公文書館というより鹿児島で言えば黎明館に近い部分もあったが、より公文書館としての機能を強化すべく、最近「山口県公文書管理条例」の制定を目指している。

つまり、ちょうど今、鹿児島と同じく山口県では公文書管理条例を検討しているわけだが、その内容を見てみると雲泥の差がある。検討会の概要や配付資料を見て、その中身の充実ぶりに驚いた。

【参考】山口県公文書管理条例検討会について
https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/3/100391.html

特に好感を持った点は、第1に、これまでの公文書管理が十分でなかったという反省に基づき課題を抽出し、特に電子化に対応した措置も踏まえた条例を検討していること。第2に、これまでの文書管理と永久保存までのフローを詳細に見直すとともに、「特定歴史公文書」の範囲を明確に定義しようとしていること。第3に、そもそも公文書をちゃんと残していこうという意識で条例を制定しようとしていることである。

この検討会資料を見てから鹿児島の「骨子案」を改めて見てみると、そこに大きく欠落しているものに気付く。それは「課題」であり「危機感」だ。鹿児島の「骨子案」には、これまでの公文書管理が十分ではなかったという課題意識もなければ、しっかりとした体制を整えなければ公文書が散逸・破損してしまうかもしれないという危機感もない。だから切実感がなく、「人もカネも出す気がない」案を作ってしまうのだろう。

ところで、急に話が変わるようだが、江戸時代の鹿児島に伊地知季安(すえよし)という学者がおり、この人がまとめた『旧記雑録』という史料がある。これは薩摩藩関係の古文書の一大集成であり、薩摩藩研究にはかりしれない重要性を持っている。伊地知季安が『旧記雑録』をまとめなければ失われていた文書が多数収録されているからだ。今日の薩摩藩研究ができるのは伊地知季安のおかげと言っても過言ではない。

学者としての季安の特徴は、自ら歴史書を書くのではなく、その根本となる史料(当時の公文書にあたる文書(もんじょ))の収集と整理に執念を燃やしたことである。彼はもちろん自身でも歴史書も書いており、例えば薩摩藩における儒学の系譜を述べる『漢学起源』は重要な著作である。しかし、彼は自分の歴史研究だけでなく、歴史を残すために重要な古文書を残らず『旧記雑録』に収録しようとした。現実には、その編纂は季安(とその子の季通)を中心とした僅かな人員しか携わっていないので、完全というわけにはいかなかったものの、一個人がなし得る範囲を遙かに超えた文書群を作りあげた。彼こそは、鹿児島が誇る大アーキビストと言えるだろう。

他にも、朝河貫一によって有名になった中世からの貴重な文書群『入来文書』、戦国末期の地方政治のリアルを伝える『上井覚兼日記』、そして国宝『島津家文書』など、鹿児島には貴重な文書群が残されている。今でこそ鹿児島は過去の記録があまり大事にされていないが、古文書の世界を見てみれば、鹿児島は比較的多くの古文書(やその写し)が残っているところであるといえる。そしてそうした文書群が残ったのは、後世に伝えようと熱意を持って取り組んできた伊地知季安のような人たちがいたからこそなのだ。吹けば飛んでしまうような紙切れを何百年も保存してゆくためには尋常ならざる情熱が必要なのは間違いない。

「骨子案」を作った政策担当者に、そういう情熱はあるのだろうか。今まで述べてきたように、それが、どうもなさそうなのだ。とりあえずルールだけ作っておけばよし、というようなことにならないか心配だ。

もしかしたら、私の心配は杞憂なのかもしれない。山口県の「公文書等の管理に関する条例(仮称)素案」を見ても、実は鹿児島の「骨子案」とほぼ同様な内容だ(細かい点で雲泥の差はあるが)。県の担当者はこうしたものを参考にして「骨子案」をまとめたことは間違いない。公文書館の設立についても、県議会の提言の通り、条例に基づき設置される「公文書管理委員会」で検討する腹づもりなのだと思う。

しかし、であればこそ、そうした腹案がありながらも、形式的な内容の「骨子案」のパブリックコメントを出したのだとしたら問題だ。「県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図る」つもりがあるならば、丁寧に経緯を説明し、今後のロードマップを出した上で意見募集をしてもらいたいものだ。

意見募集の提出期限は11月21日まで。みなさんからもご意見をだしていただければ幸いである。

↓冒頭リンクと同じ
【参考】鹿児島県公文書等管理条例(仮称)の骨子案に対する御意見を募集します
https://www.pref.kagoshima.jp/ab04/kobunsyo/jorei/pbcom.html

※冒頭画像は、内閣府の「地方公共団体における公文書管理の取組調査」の資料から抜粋したものです。

2022年10月17日月曜日

ボロクソに否定した会議のメンバーに。「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」

ひょんなことから、「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」という会議のメンバーになった。

この会議は、「鹿児島県文化協会(会長:原口泉さん)」が主催するもので、「鹿児島の文化振興ビジョンを作りあげること」と目標には掲げているが、実際には「今後の文化協会はどうしていくべきなのか」という危機感に基づいている。

みなさんは、文化協会というものをご存じだろうか。多くの自治体で地域の「文化フェスタ」とか「文化祭」を開催しているのが文化協会である、と思っていただいて間違いない。

例えば、南さつま市の場合は「南さつま市文化協会」があり、これは旧市・町の5地区の文化協会で構成される団体である。うち「加世田文化協会」は例年文化の日に文化祭を開催している。こういう団体が各市町村にあって、その連合会が「鹿児島県文化協会」である。

【参考】 鹿児島県文化協会
http://www.ka-bunkyo.com/index.php

では、各地の文化協会は誰が加入しているのかというと、いわゆる文化団体がこれに当たる。例えば、短歌の会、演劇団体、コーラスグループ、お茶やお花のグループ、伝統芸能継承グループ、エッセイクラブ、日本舞踊の会などなど、である。こういう会は、元は公民館講座だったり、自然発生的な活動であったりするが、とにかく小さな団体が多い。ということは、なかなか単独で発表の場を設けられないし、横の連携もやりづらい。

ということで、そうした小さな団体が寄り集まって「文化祭」をやったり、会報を出したりすることで活動をやりやすくしましょう…というのが地域の文化協会の設立趣旨である。これは自然に出来たのではなく、国が「これからは生涯学習の時代だ」と旗を振って、地方自治体に呼びかけた結果である。それが約50年前。

その頃は、日本は高度経済成長の時期で、サラリーマンと専業主婦が出来て、特に専業主婦が日中の余った時間を有効に活用するために「生涯学習」に勤しむようになった時代でもあった。しかしご存じのように、その後が続かなかった。バブル崩壊後、人々の生活には余裕がなくなり、例えば日本舞踊を習うような、そんな雰囲気は無くなったのである。また人々が学ぶ内容も、時代とともに移り変わっていった。

結果として、その時に出来た文化団体はそのまま高齢化していったところが多い。設立当時に20歳や30歳だった人が、今でも70歳や80歳になって続けているばかりで、若い人があまりいないという状況になっている。もちろん、それでも続けているところは立派で、多くの団体は解散してしまった。特に舞踊関係の壊滅ぶりは、滄海変じて桑田と為す観があるという。

そういう文化団体の連合会が「鹿児島県文化協会」だから、当然にここの将来は暗い。会員団体数の減少、役員や運営を担ってくれる人の高齢化など、単位団体が抱える問題と同じ課題が襲ってきている。

ちなみに、「鹿児島県文化協会」にはほとんど補助金も投入されておらず、会員団体が納入する会費が頼みである。となると、このままでは運営が立ちゆかなくなるのは必定なのだ。

…というようなことを考えていくと元気がでないので、もっと前向きに「鹿児島の文化振興ビジョンを作りあげること」を名目として、文化協会の運営に限らない夢のある話をしよう! ということで招集されたのが冒頭の「かごしま文化未来創造プロジェクト会議」なのである。

で、私に白羽の矢が立った理由は、このコアメンバーである南さつま市文化協会のK会長からの推輓による。先日、K会長が訪問されて、会議の意義を縷々説明してくださった。

それに対し、私は初対面であるにも拘わらず「こんな会議は時間の無駄」とボロクソに否定した(関係者のみなさんスミマセン)。

というのは、資料の最初に「新しい文化を創造します」と書いてあったからで、今の文化を守っていくことすら出来ていないのに、新しい文化なんか出来るわけがなく、「新しい文化を創造します」などと言っている人は文化のなんたるかを全く理解していないと思ったからである。

もちろん資料の最初からこの調子だから、全体的にツッコミどころが多く、当然に会議メンバーを断るつもりだったのだが、意外や意外、K会長が「そういう話をしてほしいんです!」というものだから、断ることができずに引き受けてしまった。

これから数回の会議を行い、1年ほどかけて議論をまとめるそうである。正直、場を乱すことくらいしかできそうにないが、せっかく参加させてもらうことになったので、真面目に考えていきたい。

(つづく)

↓「文化かごしま 124号」抜粋




2022年8月24日水曜日

波紋を広げた一つの記事「インフラックスが子ども食堂に寄付」

7月16日、南日本新聞にこういう記事が載った。

「インフラックスが子ども食堂に寄付」「同社は伊集院こどもふれ愛食堂に50万円寄付した」「同食堂を通じ日置市内4カ所の子ども食堂にも配分する」

何も知らない人は、「社会貢献をする企業えらいな」と素直に思うかもしれない。だがこのニュースは一部の人にはすごく評判が悪かった。

というのは、このインフラックスという企業は、今、吹上浜沖に大規模な洋上風力発電施設を建設しようとしているところだからである。

このブログをご覧いただいている方はご存じの通り、この件についてはこれまで3つの記事を書いており、私自身もこの洋上風力発電事業については反対である。

【参考】吹上浜沖に世界最大の洋上風力発電所を建設する事業が密かに進行中(今なら意見が言える)
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2020/07/blog-post.html

【参考】インフラックス社が実現可能性の低い巨大風力発電事業を計画する理由

【参考】洋上風力発電は、結局、全部カネの話。
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2022/07/blog-post_25.html

なので私も、この記事を読んだときに「これをどのように評価すればいいのだろうか?」と考えてしまった。

現在、インフラックスは事業の実現へ向けて着々といろいろな調査をしている。1本1億円するという海底のボーリング調査を何本も行ったり(伝聞)、小湊には風況調査のための60mのタワーが建設された。

にもかかわらず、地域住民には事業の丁寧な説明がなされているとはいいがたい。みんなの海を大きく改変する事業であるのに、一方的に進められているという印象である。当然、この事業に反発している人は多く、反対する市民の会もできて署名活動が行われている。

こうした中、インフラックスが日置市の子ども食堂にお金を寄付したというのは、どう考えても偽善的行為というか、一種の「売名」である。「地域貢献もしていますよ」という姿勢を見せることで、企業イメージの向上を図っているわけだ。

当然、反対派の市民はこれに反発し、噂では南日本新聞社に「インフラックスの売名行為を宣伝して加担するのか」と抗議したとかしないとか。なお、「日置市内4カ所の子ども食堂にも配分する」とあったがこれは誤報で、実際には吹上のこども食堂はインフラックスからの寄付はもらいたくないということで断ったそうだから、報道としても少し脇の甘いところはあったようだ。

私としても、市民への説明をちゃんとしないのに、企業イメージの向上だけには熱心なのはいただけないと思う。新聞といえば、今年4月9日の南日本新聞にはインフラックスの全面広告が掲載されたが、その広告にしても吹上浜沖の洋上風力発電事業のことは一言も触れず、「「風」を力に、街を豊かに」のキャッチコピーの下「地域のエネルギーを活かして町を豊かにしたい」とだけ語ったのには怒りすら覚えた。本当に街を豊かにする事業だったら、正々堂々と事業内容について説明したらいいのに。

とは思うものの、新聞社にこれを掲載するなというのはお門違いだろう。確かにインフラックスは誠実な企業とはいいがたいが、今のところ法律違反などはしていない。新聞社として広告を断る理屈はない。日置市の子ども食堂の件も、「売名行為を報道しやがって」という気持ちはわかるが、これは報道する方が正しいだろう。

いや、「売名」とか「偽善」とか言っても、子ども食堂への寄付そのものは非難されるべき要素は一つもない。俳優・杉良太郎さんが東日本大震災の支援について「偽善や売名だといわれることもあると思いますが…」と問われ「偽善で売名ですよ。あなたもやったらいい」と答えたように、「やらない善より、やる偽善」。インフラックスのことは気に食わないが、子ども食堂への支援は立派だと、素直に認めるほかない。

それに、子ども食堂の関係者に政治力がある人たちがいるようにも思えない。これは「売名」ではあるかもしれないが「買収」ではない。周辺の漁協に補償金をチラつかせるのは明らかに買収を意図しているし、権利を持っている人にお金を配ろうというのだから、こういうお金は全く評価できないが、子ども食堂への寄付はそういうのではない。

あえて非難する点を言えば、ボーリングや風況調査など数億円規模の調査事業を実施しながら、子ども食堂には50万円とは少しケチすぎるのではないか、ということくらいだ。

そして、吹上の子ども食堂が寄付を断ったことは尊重するにしても、逆にもらった子ども食堂もやましい思いをする必要はないと思う。反対派の人には「インフラックスから金をもらいやがって…」という思いを抱く人もいるかもしれないが、寄付を受けたこと自体は全く問題がないということをここで明確にしておきたい。

何度も言うが、問題は、インフラックスが地域住民に事業計画をまともに説明せず、対話もしていない。ということである(ほかにもいろいろ問題はあるが、私にとって一番の問題がこれだということ)。

だからこそ言いたい。インフラックスのやることだからといって、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式に否定していては対話そのものができない、と。子ども食堂への寄付そのものは「地域貢献」として認めなくては、インフラックスとしても地域への譲歩ができない。「偽善」が否定されたら、「善」に行かずに「悪」に行くかもしれない。同じお金なら、評価されない偽善に使うよりは、住民の買収(や恫喝)に使った方がいいからだ。

私としては、インフラックスと対話するために、常に是々非々の姿勢で臨んでいきたい。インフラックスを全否定していたら対話ができない。対話がなければ譲歩もなく、事業の変更もない。結局、向こうの思惑通りに進むだけだと思う。だから素直に、今回の子ども食堂への寄付は一定の評価をするべきだと考える。とはいえ、だからといってたったこれだけのことでは事業に賛成するほどにはならない。だが今後インフラックスが住民と協働して地域貢献事業を幅広く実施していく、というなら、やはり斟酌せざるを得ないだろう。

こういうことを書くと、「インフラックスの肩を持つ気か!」と反対派の人からは怒られるかもしれない。しかしちょっと待ってほしい。全ての市民活動が陥りやすい罠がそこにある。それは、賛成か、反対かという白黒式で市民を二分してしまう危険性である。しかし世の中の多くの人はグレーである。グレーであることを敵視したら、世の中の多くの人を敵にすることになる。多くの市民活動が「過激な少数派の市民がやっていること」として社会の賛同を得られず瓦解していった歴史を想起すべきだ。

私も、吹上浜沖洋上風力発電事業の反対派の一人である。計画を中止に追い込むだけでなく、インフラックスを、できれば「ぎゃふん」と言わせたいと思っている。でも反対運動は市民を賛成派と反対派に二分するものであってはならないと思うし、インフラックスと対話していくために、自らも対話的であらねばならないと思う。「話の分かる人間」になる危険性はあるが(=丸め込まれる危険性はあるが)、私は「話の通じない人間」にはなりたくないのである。