【参考】鹿児島県公文書等管理条例(仮称)の骨子案に対する御意見を募集します
https://www.pref.kagoshima.jp/ab04/kobunsyo/jorei/pbcom.html
これがなかなか問題の多いものなので、長くなるが少し考えてみたいと思う。
この「鹿児島県公文書等管理条例(仮称)の骨子案」(以下「骨子案」という)の内容をごくかいつまんで述べると、
(1)意思決定に至る過程等を合理的に跡付け、または検証することができるよう、公文書を作成する。
(2)公文書のうち、重要な情報が記録されたものは、保存期間満了後には知事に移管して「特定歴史公文書」とする。(それ以外は、保存期間が満了したら破棄する。)
(3)知事は「特定歴史公文書」を永久に保存し、その目録を公表し、一般の利用に供する。(4)公文書等に関し諮問するための「公文書管理委員会」を設ける。
というところである。要するに、保存期間が満了した重要な文書を永久保存していくためのルールがないので、それを定めましょう、というものだ。
ところがこの案には、大事なところにポッカリと穴が空いている。それは、「特定歴史公文書」を永久に保存するための方策が全く何も述べられていない、ということである。
文書を永久に保存する…なんて簡単なことではない。火災や水害、虫害、紫外線などから厳重に守らなくてはならないし、散逸や紛失の危険もある。引っ越しだってリスクだ。
実は私が文科省で働いていたとき、庁舎の建て替えがあった。具体的には、新庁舎建設の間、文科省は丸の内のビルに引っ越しし、その後霞ヶ関に戻ってきた。もちろんその時、文書は整理番号を書いたダンボールに入れて引っ越し作業をしたが、ハッキリ言って文書のうちいくらかは訳が分からなくなっていたと思う。なぜなら建て替え期間が4年間あったため、文書をダンボールに封入した人と、開封した人は別だった係が多かったからである。役所の人事異動のスパンは短いのだ。
その後、混乱した資料は霞ヶ関で再び整理しなおされたと信じたいが、あまりそうとも思えない。というのは、保存資料は地下倉庫にダンボールに入れたまま保管されている課が多かったが、そもそも地下倉庫に行くことも少なく、整理の人員も手当てされていなかったからだ。行政の保管する文書の量は膨大であり、片手間で管理していくことはできない。
であるから、国はもちろん、多くの自治体(都道府県)において、公文書を永久保存するための「公文書館」が設立されている。こうした公文書館は、災害を受けにくい立地(津波や水害がない)にあり、館内で火を使わず(ガスの給湯設備がないなど)、十分な耐震性をもった建物に収容されている。すでに全国40の自治体で公文書館が整備されているが、そのこと自体が、「公文書の永久保存には専用の建物が必要である」ことの証左である。
翻って、もう一度「骨子案」を注意深く読んでみると、「知事に移管した特定歴史公文書は,永久に保存するとともに,目録を作成して公表する。」とあるが、文書を物理的にどうするかは一言も述べていない。「知事に移管する」という意味はなんなのだろうか。素直に考えれば、知事直轄で「文書室」のようなものを設立してそこに移管するイメージだが、もしそうであればそう書くはずである。何も書いていない以上、「文書は、管理者を知事に変更した上で、引き続き担当課の書架で保存する」というように理解するのが自然だ。よくても県庁地下倉庫に移すくらいだろう。
この条例の目的の一つは、公文書等を「県民が主体的に利用し得る」ようにすることにあるが、「骨子案」では公表されるのが「目録」だけであるのがそうした脆弱な体制を物語っている。文書館、文書室のようなものがあるならば、目録だけでなく文書自体を公開していくことが可能であるのに、公開対象が「目録」だけなのは物理的にまとめて保存しないためだろう。これで「県民が主体的に利用し得る」のか、甚だ疑問である。
ということで、この「骨子案」の最大の問題は、「特定歴史公文書」を永久に保存するための施設(=公文書館)をどうするのかが書いていないことである。
しかしながら、「骨子案」の問題はこれだけではない。2つめの大きな問題は、保存期間が満了した公文書のうちのどれを永久保存するか、誰が判断するのか、ということである。
「骨子案」には、「実施機関は,保存期間が満了した公文書の取扱いとして,歴史公文書は特定歴史公文書として知事に移管し,その他の公文書は廃棄する。」とある。
ここでいう「歴史公文書」とは重要な公文書のことであるが、どれが重要だと誰がどうやって判断するのだろうか。「実施機関」は県庁とか教育委員会のことなので、「骨子案」を素直に読めば、「担当課が重要だと判断した文書は知事に移管(=永久保存)するが、それ以外は担当課の判断で廃棄する」ということになる。果たしてこれが適切なのか。
一般的な知名度はまだ低いが、永久保存するモノの選定・整理・保存・公開のプロを「アーキビスト」といい、欧米諸国では格の高い専門職である。というのは、永久保存するのか、それとも廃棄するのかという究極の選択を行うからであり、ある意味では真贋を見分ける骨董鑑定士のような位置づけがあるともいえる。
これまでの日本の行政では、振り返ってみれば重要な文書が、些細なものと見なされ、あるいは内容を確認すらされずに、書架がいっぱいになったからといった理由で廃棄されてきた。担当課担当係に、改まって文書の価値を問うたならば、もしかしたらそうした文書は残ったかもしれない。しかし多忙な業務の中で、文書の価値を問うというような悠長なことは現場の職員には難しい。やはりアーキビストがそこに一枚噛むことは必要だ。
だからこそ、全国の公文書館には専門の職員が配置されているのである。では「骨子案」ではどうなっているか。そうしたことを検討した形跡は「骨子案」のどこにも見当たらない。どうやら、これを考えた人は、どの文書が重要なのか簡単に判断がつくと考えているようだ。このままでは、文書の重要性の評価は人それぞれなので、ある課のある時期の文書はよく残っているが、隣の課の文書はほとんどない…というような粗密が生じることになるだろう。
というわけで、第1と第2の問題点をまとめると、「骨子案」では「県は、公文書を保存していくための人もカネも出す気がないらしい」ということになる。こうなると、逆に「どうしてこんなやる気のない条例を作る気になったのだろうか?」という気すらしてくる。
実はこの「骨子案」は、県議会からの提言書を受けて出されたものだ。県議会の「政策立案推進検討委員会」によって今年の3月に提言された内容の一つが「公文書管理機能の充実・強化について」だったのだ。
【参考】令和4年3月|政策提言等に関する報告
http://www.pref.kagoshima.jp/ha01/gikai/topix/teigen/iinkai/documents/97389_20220304091431-1.pdf
その内容を乱暴にまとめると、「鹿児島県には保存期間が満了した公文書についての定めがなく、貴重なものが破棄されるおそれがあり、また永久保存の文書についても役所の中で保存されるだけで県民が利用出来ないため、公文書管理の条例を定めるとともに、将来的には公文書館的機能を有する体制を整備していくための検討委員会を設けるべきである」ということだ。
今回の「骨子案」が、これに沿ったものであることは一目瞭然だろう。
ところが! 「骨子案」のどこを見ても、こうした経緯は書いていない。一般の県民には、なぜ今公文書管理条例を定めようとするのか、どのような検討を経てこの案が作成されたのか、全くわからないのである。
一方で、「骨子案」の「条例制定の趣旨」にはこう書いてある。「公文書は,県民共有の知的資源であることを明確にすること等により,県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図るとともに,県民に対する説明責任を果たす。」
この文章は日本語がおかしいが(後段の主語がない)、それはともかく、「 県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図る」のがこの条例の趣旨のはずである。にもかかわらず、この条例自身がどのような経緯で検討されたのかが一言も書いていないとは、随分と皮肉なことだ。透明化を図ろうという気が本当にあるのか。
そもそも、この「骨子案」を一目見て感じるのは、内容があまりに簡略過ぎるということである。先述のように、既に各地の自治体により40の公文書館が設立され、また「公文書管理条例」も多くの自治体で制定されている。鹿児島は最後発の部類になるわけだが、最後発であるということは、いろいろな事例を参照することが出来る有利な立場でもある。各地の事例を研究し、実効的かつ費用対効果に優れた体制を構築すべきであるのに、少なくとも「骨子案」検討の段階ではそうした考えはうかがうことが出来ない。
例えば、日本で初めて公文書館をつくったのは山口県である(国立公文書館より先の昭和34年)。山口県では、旧萩藩主毛利家から寄託された「毛利文書」を中核として「山口県文書館」を作ったので、これは公文書館というより鹿児島で言えば黎明館に近い部分もあったが、より公文書館としての機能を強化すべく、最近「山口県公文書管理条例」の制定を目指している。
つまり、ちょうど今、鹿児島と同じく山口県では公文書管理条例を検討しているわけだが、その内容を見てみると雲泥の差がある。検討会の概要や配付資料を見て、その中身の充実ぶりに驚いた。
【参考】山口県公文書管理条例検討会について
https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/3/100391.html
特に好感を持った点は、第1に、これまでの公文書管理が十分でなかったという反省に基づき課題を抽出し、特に電子化に対応した措置も踏まえた条例を検討していること。第2に、これまでの文書管理と永久保存までのフローを詳細に見直すとともに、「特定歴史公文書」の範囲を明確に定義しようとしていること。第3に、そもそも公文書をちゃんと残していこうという意識で条例を制定しようとしていることである。
この検討会資料を見てから鹿児島の「骨子案」を改めて見てみると、そこに大きく欠落しているものに気付く。それは「課題」であり「危機感」だ。鹿児島の「骨子案」には、これまでの公文書管理が十分ではなかったという課題意識もなければ、しっかりとした体制を整えなければ公文書が散逸・破損してしまうかもしれないという危機感もない。だから切実感がなく、「人もカネも出す気がない」案を作ってしまうのだろう。
ところで、急に話が変わるようだが、江戸時代の鹿児島に伊地知季安(すえよし)という学者がおり、この人がまとめた『旧記雑録』という史料がある。これは薩摩藩関係の古文書の一大集成であり、薩摩藩研究にはかりしれない重要性を持っている。伊地知季安が『旧記雑録』をまとめなければ失われていた文書が多数収録されているからだ。今日の薩摩藩研究ができるのは伊地知季安のおかげと言っても過言ではない。
学者としての季安の特徴は、自ら歴史書を書くのではなく、その根本となる史料(当時の公文書にあたる文書(もんじょ))の収集と整理に執念を燃やしたことである。彼はもちろん自身でも歴史書も書いており、例えば薩摩藩における儒学の系譜を述べる『漢学起源』は重要な著作である。しかし、彼は自分の歴史研究だけでなく、歴史を残すために重要な古文書を残らず『旧記雑録』に収録しようとした。現実には、その編纂は季安(とその子の季通)を中心とした僅かな人員しか携わっていないので、完全というわけにはいかなかったものの、一個人がなし得る範囲を遙かに超えた文書群を作りあげた。彼こそは、鹿児島が誇る大アーキビストと言えるだろう。
他にも、朝河貫一によって有名になった中世からの貴重な文書群『入来文書』、戦国末期の地方政治のリアルを伝える『上井覚兼日記』、そして国宝『島津家文書』など、鹿児島には貴重な文書群が残されている。今でこそ鹿児島は過去の記録があまり大事にされていないが、古文書の世界を見てみれば、鹿児島は比較的多くの古文書(やその写し)が残っているところであるといえる。そしてそうした文書群が残ったのは、後世に伝えようと熱意を持って取り組んできた伊地知季安のような人たちがいたからこそなのだ。吹けば飛んでしまうような紙切れを何百年も保存してゆくためには尋常ならざる情熱が必要なのは間違いない。
「骨子案」を作った政策担当者に、そういう情熱はあるのだろうか。今まで述べてきたように、それが、どうもなさそうなのだ。とりあえずルールだけ作っておけばよし、というようなことにならないか心配だ。
もしかしたら、私の心配は杞憂なのかもしれない。山口県の「公文書等の管理に関する条例(仮称)素案」を見ても、実は鹿児島の「骨子案」とほぼ同様な内容だ(細かい点で雲泥の差はあるが)。県の担当者はこうしたものを参考にして「骨子案」をまとめたことは間違いない。公文書館の設立についても、県議会の提言の通り、条例に基づき設置される「公文書管理委員会」で検討する腹づもりなのだと思う。
しかし、であればこそ、そうした腹案がありながらも、形式的な内容の「骨子案」のパブリックコメントを出したのだとしたら問題だ。「県民に対して政策形成過程のより一層の透明化を図る」つもりがあるならば、丁寧に経緯を説明し、今後のロードマップを出した上で意見募集をしてもらいたいものだ。
意見募集の提出期限は11月21日まで。みなさんからもご意見をだしていただければ幸いである。
↓冒頭リンクと同じ
【参考】鹿児島県公文書等管理条例(仮称)の骨子案に対する御意見を募集します
https://www.pref.kagoshima.jp/ab04/kobunsyo/jorei/pbcom.html
※冒頭画像は、内閣府の「地方公共団体における公文書管理の取組調査」の資料から抜粋したものです。
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