2014年5月23日金曜日

迷走する「百寿委員会」

以前も書いた「百寿委員会」の続報(愚痴第2弾)である。

前回、委員長の吉田氏が「トンデモ」な方で暗鬱になった、と書いたが、この委員会はそういう面以外でも迷走している。

これまでの委員会の内容は(1)各WGに分かれて、「南さつま市で暮らすためには何が大切か」をブレインストーミングし、(2)WG毎に「どんな南さつま市にしていきたいか」というビジョンをまとめた。というところである。この委員会の正式名称は「南さつま市健康元気まちづくり百寿委員会」だが、ほとんど「まちづくり」のそのものまで検討範囲が広がっている。

例えばどんなビジョンかというと、あるWGでは
地域や人と人とのつながりを大切にし、すべての市民が生きがいを持って元気で笑顔で暮らせるまちにしよう。南さつま市の地域資源を活かし、観光・産業につなげよう。また、雇用や収入を増やすなど、人が集まる仕組みをつくろう。
とまとめている。

今後、各WGのビジョンを統合したビジョンを策定し、それに向けて一人ひとりがどのような取り組みをできるかを提言していくのだそうだ。必要なことは行政の力も借りるが、基本的には委員会の委員がこれからのまちづくりの主役になって、主体的に取り組んで行くことが期待されているらしい。

百寿委員会は、普通の役所の委員会とは随分かけ離れたやり方の委員会で、役所からの諮問に答えるのではなくて、「いい意見がたくさん出ましたから、それにみんなで取り組んで行きましょう!」と委員の発奮を期待するプロジェクトのようである。

ちなみに、仕掛け人の吉田委員長の講話は、トンデモな部分以外は一応マトモではある。私なりに彼女の主張をまとめると、「健康に生きるためには、活気のある場所で暮らさなくてはならないから、街の活性化に取り組みましょう。そのためには一人ひとりがいろいろ取り組んで行くことが大事です」ということで、それ自体はもっともな主張と思うが、問題は委員会の議題として「街の活性化」にまで大風呂敷を広げてしまうと、収拾が付かなくなることである。

というか、この委員会は市役所の保健課が主管しているが、「街の活性化」ということだと保健課の所掌を完全に外れている。おそらく、保健課のみなさんも今頃「こんなことなら最初から企画課にやってもらうんだった」と後悔しているのではないだろうか。

それに、吉田委員長は葉っぱビジネスで有名な上勝町やアーティストの移住で知られた鹿屋の柳谷(やねだん)集落といったところを街の活性化の成功例として挙げるが、こうした特異的な成功例を喧伝して市民の発奮を期待するのはいいとしても、実際には町おこし運動は失敗の連続なわけで、こういったケースの二匹目のドジョウを狙うのは、宝くじが当たるのを待つようなものだ。「やる気さえあれば出来る」というようなことを言っていたが、ビジネスの世界は過酷である。

また、「委員のみなさんが主役になって動いて下さい」とも呼びかけていたが、既に町おこしを頑張っている人はたくさんいるわけで、街の活性化に取り組むならそういう人を応援することから始める方が、吉田さんの話に刺激を受けた委員が何かを始めるのを待つよりもずっと生産的だと思う。例えば、笠沙恵比寿の活性化から取り組んでみてはどうなのか。街の活性化なら、既存施設の有効利用をまず考えなくてはならない。だが、委員会ではそういう話にはならない。あくまで「一人ひとりが主役」なのだ。

この委員会の議論は全てこういう調子で、これまでなされてきた草の根の取り組み、行政の施策や施設、街が持っている財産や前提条件といったものには触れずに、「なりたい自分になるため新しいことに取り組みましょう! 行政に頼ってはダメ!」とけしかける。その結果、非常に表面的で一般的なことだけがきれいにまとまり、地味だが重要な既存施策の改善といった中身のある内容が全く手つかずに終わっている。

もし、私が委員会を進行するならば、既存施策のレビューと市民の健康状態のレビューを行い、公衆衛生と子育て・福祉の面で南さつま市が抱える課題をあぶり出し、短期的・中期的な目標を定めてそれを達成する方策を検討していく、という堅実だがツマラナイやり方になるだろう。そうしてできるのは、やはりツマラナイ施策のパッケージだと思うので、そういういかにも役所的なやり方を賞揚するものではないが、一方で、派手さはないが堅実で重要な仕事というのは、そうしたツマラナイやり方で一歩一歩進んでいかなくては達成できないものだと思う。

吉田さんは一種の山師のような方で、確かに当たれば大きな成果をもたらす才能はあると思う。だが山師であるために、そのやり方で常に成果が得られるとは限らない。特に今回のように、やりたいことが主管課の所掌と外れている場合、いくらその内容が優れていても成功の見込みは小さいと言わざるを得ない。広げすぎた大風呂敷をどうやって畳むのか、未だ先は見えないが、前向きな議論をしていきたいとは思っている。

2014年5月15日木曜日

「大浦ふるさとくじら館」の指定管理者の公募にあたって期待すること

我が大浦町には、「大浦ふるさとくじら館」という物産館がある。

合併して南さつま市になる前の大浦町時代に町が建てて、設立当初から地域の農協が運営してきた。

もともとの名前は「大浦ふるさと館」だったが、敷地の隣に「くじらの眠る丘」という施設が出来たことで2014年4月(くらい)に「大浦ふるさとくじら館」に改名。お隣のくじらの建物のインパクトがすごいので、敢えて改名しなくても地元での呼称が「くじら館」になりつつあったが、実際はくじら(の骨?)を観光資源にしていきたい現市長の意向によるものらしい。

この改名でも何か場当たり的なものを感じるとおり、これまでこの施設は場当たり的なやり方に翻弄されてきたようだ。このあたり一帯は大浦町時代に観光の拠点として整備され、裏の小山やさらにその裏の磯まで遊歩道的なものやトイレ、展望台が作られているし、すぐ裏には市民農園もある。

ちなみに、裏の方は海を臨む眺望が素晴らしいことから某地元企業がホテルを建てる計画もあったそうだし、近くには民間企業がやっていた「ペガサス大浦」という遊興施設の廃墟もある(幾度となく名前と経営者が変わったそうだ…)。

素晴らしい眺望を持ちながら、この一帯が結局観光の拠点としてパッとしていない理由はなんだろうか。民間企業のやっていた施設のことは脇に措くとして、地方自治体がやった取り組みに関しては、せっかくの施設を活かしていく方策については後手に回っていたようなところがある。裏の方の遊歩道なんかは、かなり行きにくいし、その存在自体が知られていない。そこは草がボウボウになっているし、積極的にお知らせしたくないからなのかもしれない。

そしてこの一帯の大きな問題は、この物産館がある敷地の一部が県の所有であることで、具体的には駐車場とトイレが県の持ち物らしい。このせいで、不便な駐車場の改善がいつまでもなされないとか、トイレが物産館と独立していて物産館への動線が悪いとか、施設的な欠陥に手をつけられないでいる。

最近になって、「ふるさとくじら館」の運営にてこ入れしたい行政は、出荷者(農家等)の組織化をしようと動いているが、そもそもこの施設の最大の問題は「店長」のような立場の人がいなくて確固たる「経営」がないことである(!)。各地の物産館の成功例を見ても、その鍵は「行動力と企画力とセンスをもった強力なリーダーの存在」であることは明らかであるから、まず取り組まなければならないのは経営の強化で、出荷者の組織化はその次のステップになると思う。

この「ふるさとくじら館」は、これまでは地域の農協が特に公募等を経ずに指定管理者として指定され運営してきた。公募されていなかったのは、どうも町時代からの経緯によるものらしい。しかし、来期(2015年4月以降)の運営に関しては、公募を行う方向で準備されているという。農協の経営でいいこともあるのだろうが、いかんせん農協の事業規模からすると物産館の運営は小さな仕事になるので、惰性的になる面がある。指定管理者の公募は、経営を強化するいい機会だ。

近年、物産館というのは観光や地域興しの拠点として注目されている。実際、知らない土地に行けば物産館に行きたくなるものだ。コンビニやスーパーに並んでいるものはだいたい同じだから、何か地元っぽいものが買えるところといえば物産館だろう。であるから、物産館というのは、ただ新鮮な野菜が安く買えるところというだけでなくて、域外から来た人へとその土地ならではの価値を提供するべきである、と思う(新鮮野菜が安く買える(だけ)の物産館をけなしているのではありません)。

個人的な希望を述べれば、このあたりには観光案内所的なものがないが、南さつま海道八景の入り口であるこの物産館に観光案内所的な機能を持たすとかして、海道(国道226号線)のドライブをより堪能できる案内(風景だけでなく食事ができる場所の案内をするとか)をしたり、せめて笠沙恵比寿のチラシとか、周辺施設の紹介をすべきだと思う。

それはともかく、地元ならではの価値をどうにかこうにか提供して、この地域やこの物産館のファンになってもらわなくてはならない。そのためには、運営面を強化し、需要に応え日々改善していく努力と、大きな目標に向かって組織を動かしていく体制が必要だ。これは、単に我々出荷者(農家)の所得向上とかいうみみっちい目的のためではなくて、こんな辺鄙なところまで来てくれた人へのせめてものもてなしでもある。

こうしたことは日本全国の多くの物産館の課題であるから、農林水産省がそういう取り組みに補助金を用意している。例えば、『「農」のある暮らしづくり交付金』というのがあって、この交付金を使うと物産館の整備を補助率1/2以内で行える。しかしそうした補助事業の活用なども、「行動力と企画力とセンスをもった強力なリーダーの存在」が不可欠であるから、やはり必要なのは、一言でいうと能力のある経営者である。

この「ふるさとくじら館」の指定管理者の公募に期待するのは、そういう経営者が応募してくれることである。先日笠沙美術館の指定管理者公募の残念な記事を書いたが、この物産館の公募においては、運営者にとって有利な条件を整え、前向きな経営者が挑戦してくれることを期待したい。公募を行う際は、広くお知らせし「南さつま市の業者じゃないとだめ」みたいなケチを言わずに、本当に地元のためになる業者を選定してもらいたい。

2014年5月12日月曜日

アーモンドはじめました

以前、アーモンドの栽培をやってみたい、という記事を書いたのだが、晴れてアーモンド農家になることができた。

その記事に書いたとおり、アーモンドの(プロ用の)苗を取り扱っている業者というのが日本にないらしく、どうやって苗を入手しようかと思案していたが、世の中というのは不思議な縁があるもので、ブログを見てくれている人がある方を紹介してくれ、そこからスペインの主要品種である「マルコナ」のアーモンド苗を入手することができたのである! インターネット万歳!

それで定植したのは約45本。だが定植後、運悪くすぐに寒波が来てしまった。慌ててベタ掛けシートで被覆したものの、ちょうど出始めた芽が霜でゴッソリやられてしまい、数本は早くも枯れてしまった。生き残った他の苗も、随分傷んでしまって元気がなかったが、暖かくなってようやく活力を取り戻してきたようである。

受粉樹用に、特に強壮なスモモ(ハリウッドという品種)を植えているのだが、このスモモとアーモンドの樹勢の違いはたいしたもので、スモモは早くも1mほど枝を伸ばしている一方、アーモンドたちはどうにかこうにか生きている、という感じである。元々弱々しい上に、すぐに虫がついて葉っぱが食べられてしまう。もしかしたら土が悪いのが原因かもしれないが、なんだか先が思いやられる出だしである。

日本で経済栽培の実績がない品種なだけに、今後も手探りの管理が続いていくことになる。運良く実を結ぶまで漕ぎ付けたとしても、収穫の仕方もよくわからない。本場ではぽろぽろ実が落果する時期にツリーシェイカー(木に取り付けて大きな振動を起こし、実を落とす機械)でやっているらしいが、梅雨のある日本の場合、熟すまで樹上に成らしておくと腐ってしまうという話も聞く。収穫時期はいつになるだろうか。

さらに、そもそも今のところ需要がゼロの「国産アーモンド」を誰にどうやって買ってもらうかというのも大問題だ。多くの人にとって、アーモンドはおつまみやお菓子の材料に過ぎず、敢えて国産を選びたいという人は少ないだろうし、その上品質だって本場のものより劣るのは必定であるから、難しい商材なのは間違いない。だがそういう難しいことにトライするのが楽しいというところでもあるので、これから試行錯誤しながらアーモンド栽培に取り組んでいきたい。

2014年5月7日水曜日

タダで美術館を運営してほしい、というとんでもない募集を南さつま市がやっています

絶景の笠沙美術館に指定管理者制度が導入されるということで、以前、それに期待する記事を書いたのだが、今般その募集が開始された。ところが、この募集が最大級にガッカリな内容だったので、ちょっと愚痴を聞いてもらいたい。

何がガッカリだったかというと、この募集、指定管理料がゼロ円なのである!つまり、タダで美術館の運営をしてください、というとんでもない内容なのだ。お金は支払われないが、指定管理者が行わなくはならない業務はもちろんある。募集要項によれば、
(1)主要な業務
①美術品の展示・保管。常設展示の絵画は3ヶ月ごとに定期的に入替を行う。
②企画展の開催
③施設の日常的維持管理
④展望ミュージアム条例第16条に基づく使用の許可・不許可(注:場所貸し)
⑤展望ミュージアム条例第17条に基づく利用料金の徴収
⑥施設及び周辺部の清掃
⑦保守点検及び小規模な修繕作業
⑧その他市教育委員会が必要と認める業務
(2)施設の運営に関すること
①管理状況について、毎月利用状況報告書を作成し、翌月5日までに報告すること。
(以下略)
というような仕事をタダでやらなくてはならない!笠沙美術館は、博物館法によるところの登録施設ではないので学芸員等を置く必要はないが、それでも美術品の展示・保管、企画展の開催といったものは創意工夫と専門的知識がないとできないことであるから、それをタダでやってもらおうというのは意味がわからない。

こんな募集では誰も手を挙げないだろうと思われるが、市の方の目論見としては、ここでカフェなどの収益事業をやってもらい、その収益でもって美術館を運営してもらいたい、ということらしい。具体的には、募集要項に
指定管理者は、市との協議に基づき指定管理者の創意工夫で飲食等自主事業を行うことができます。
自主事業を行うための施設の改修は、改修計画等を市に提案して協議を行い、市長の許可を受けなければならない。改修工事は市において実施します。
と書いてある。要は、営業のための改修費用は出してあげるからタダで美術館を運営してほしい、ということなのかもしれない。しかし、そもそも市の施設であるので改修を市が行うのは当然のことだし、店舗の改修にいちいち市との協議が必要ということだと商売的には面倒である。

この募集を単純化すると、施設のテナント料をタダにする代わりに、タダで美術館を運営してほしい、という取引を持ちかけているように見える。前も書いた通り、この美術館は日本全国でも屈指の眺望を持ち、しかも著名なデザイナーである水戸岡鋭治氏が建物を設計しているので、施設としての価値は非常に高いとは思う。それに、カフェなどを営業するとすれば、美術館の単純な管理業務(要は入館料の徴収)をあわせて行うのは非常に軽微な労力ですむのは確かだから、もしかしたらこれは悪い取引ではないのかもしれない。

だが、私がガッカリしたのは、タダで美術館を運営してください、という文化行政への意識の低さである。指定管理者制度の導入の目的の一つがコストカットであることはしょうがないにしても、タダで美術館を運営しろということは、市としてこの美術館を活かしていこうという気もなく、やっかい払い的に指定管理者に丸投げしているようにしか見えない。さらには、笠沙美術館の収蔵品はさほど多くないとは思うが、それらの作品はもはやお金を掛けて保管・展示していく価値がない、との市の認識が露見したということでもある。

これは作品を寄贈した黒瀬道則氏にも申し訳ないことで、お金を掛けて保管・展示する気がないのであれば、価値を認める他の美術館に作品を寄贈・売却してしまった方がよほどいいと思う。

本当に市の財政が火の車で、美術館のような「贅沢」な施設にはもうお金が出せない、ということならまだ分かる。だが、先日南さつま市は何千万円もかけて「くじらバス」という観光バスを導入している。こういう話題性はあるが薄っぺらい観光振興をするよりも、年間300万円でもいいから笠沙美術館にお金をかける気はないのか。そもそも、美術館というのは観光の大きな楽しみである。魅力ある美術館とその眺望、そしてステキなミュージアムカフェがあれば、それだけで旅の目的地になり得るというのに。

そして、仮にこの募集に応える事業者があったにしても、美術館の運営部分は収益事業ではないわけだから、美術館部分は縮小・簡素化していかざるをえない。タダで請け負っている事業なのだから、申し訳程度の美術館であればよしとするであろう。しかしそれでよいのか。やはり公益事業としての美術館部分があり、そこに付帯事業としてミュージアムカフェがあるという形でなければ話がおかしい。この募集の内容では、付帯事業のはずのカフェが本業で、美術館はついでにやればよい、というように受け取れる。

ともかく、この募集は文化行政の面から見ても、観光振興の面から見ても、普通のビジネスとしてみても、おかしい所だらけである。正直、募集者なしということで公募自体がやりなおしになって欲しいとさえ思う。文化芸術にちゃんとお金を出す、ということは矜恃ある市民として当然のことで、タダで美術館を運営させるしみったれた市を作ってはならない

2014年5月3日土曜日

なぜホテルの朝食にはオレンジジュースが出てくるのか?

大抵、ホテルの朝食にはオレンジジュースが出てくるが、そのわけを深く考えたことのある人は稀だと思う。日本では、朝食にオレンジジュースはさほど定着した習慣ではないが、米英文化圏、特にアメリカでは朝食にはオレンジジュースを飲むものと相場が決まっており、実はホテルのオレンジジュースはこの習慣に基づいている(はず)。

では、なぜアメリカ人は朝食にオレンジジュースを飲むのだろうか? オレンジジュースは健康にいいからとか目覚めにいいからとかいろいろ言われているが、それは後付けの理屈に過ぎない。果物ジュースが体にいいということなら別にオレンジジュースでなくてもいいはずだが、アメリカで朝食のジュースといえば圧倒的にオレンジ(か類するカンキツ)である。これはなぜか。

先日カンキツに関する本を読んでこの疑問が解けたので、(ものすごくどうでもいいことだが)これに関して書いてみようと思う。

話は20世紀初頭、1900のゼロ年代に遡る。その頃カリフォルニアのオレンジ産業は生産過剰に苦しんでいた。前世紀に整備された灌漑システムなどのお陰で生産能力が高まり、樹の生長と新植によって生産量が拡大する一方で消費は伸び悩み、フロリダとの競争(当然、東海岸に近かったフロリダの方が有利だった。カリフォルニアは大陸横断鉄道を使ってオレンジを出荷する必要があったので)でオレンジの価格も低迷していた。

それで、カリフォルニアでは生産調整のために生産者がオレンジの樹をどんどん切り倒すというところまでいっていた。 ちなみに、価格が低迷していたとはいえ、このころのオレンジというのは高級品だった。 アメリカ文化、そしてその祖先であるヨーロッパ文化の中では、柑橘類というのはごく限られた南方の地域でしか穫れないものであったので高級な嗜好品として扱われていたからだ。今はどうだか知らないが、古くはクリスマスのプレゼントとしてオレンジを贈る習慣があったそうである。日本でいうと、御歳暮にミカンやポンカンを贈答する感覚に近いものがあったようだ。

ところが、生産量を野放図に拡大したため、値崩れがしたわけだ。もはやオレンジを高級品として売っていくことは難しかったが、それまで高級な嗜好品としての食べ方しかなかったので、消費を増やすことも難しかった。これは、今の日本で、ミカン類が「こたつでミカン」以外の食べ方があまりないために消費量が低迷しているのと少し似ている(カンキツ類の消費は、日本は諸先進国の中では少ない方である)。

そこで現れるのが、「現代広告業を創った男」といわれるアルバート・ラスカーという男である。若きラスカーは当時世界最大の広告代理店(ロード・アンド・トマス)を率い、低迷するカリフォルニアのオレンジ産業を再興するための大規模な広告戦略を売り込んだのである。

彼の最初の仕事はカリフォルニアのオレンジに冠する統一したブランドづくりだった。カリフォルニアには果物生産者組合(California Fruit Growers Exchange)があったが、組合員はバラバラに自分の名前でオレンジを売っていた。ラスカーはそれに「サンキスト(Sunkist)」という統一ブランドを冠し、ブランドの箱と包装紙をつくって出荷した。まとまって出荷を行うことで価格交渉力が増し、信用も高まった。この「サンキスト」は最初は商品名であったが、ご存じの通り後に社名になっていく。

やがてサンキストのブランドが浸透してくると、サンキストの偽物が横行し始めた。その対策が奮っているのだが、オレンジ12個につきオリジナルスプーンをプレゼントするキャンペーンを行ったのである。こうなると、偽物を買うよりも本物を買った方がスプーンももらえて得になるということで、サンキストの偽物が駆逐されたらしい。サンキストは、初年度には100万本のスプーンを配り、1910年には世界最大のスプーン購入業者になっていた。

だがこうした取り組みよりもラスカーの仕事としてもっとイノベーティブなのは、「Drink An Orange(オレンジを飲もう)」というキャンペーンである。ラスカーは、オレンジを嗜好品として消費させるよりも、ジュースにして大量に消費させる道を示した。当時のジュースは今でいうフレッシュジュースで、オレンジを家庭でわざわざ絞る必要があったが、遅れて冷蔵と低温殺菌の技術が開発されて瓶詰めが登場、オレンジジュースは急速にコモディティ(どこにでもある商品)化していく。

ラスカーはこの「オレンジをジュースにして飲む」という新方式を広めるため、ラジオや雑誌や看板といった新しいメディアを駆使した。大量の宣伝によって消費を喚起するという今では当たり前すぎるこのやり方は、この頃のラスカーらが形作ったものだ。そして広告は、大衆文化そのものを変えてしまうほどの力を持つようになる。その証左の一つが、朝食にオレンジジュースを飲むという新習慣の導入に他ならない。

元々、アメリカにもどこにも、朝食にオレンジジュースを飲む習慣はなかった。その習慣を作ったのは、ラジオや雑誌によってオレンジジュースの「効能」を喧伝して遮二無二これを売り込んだアルバート・ラスカーという男なのだ。彼はこうしたキャンペーンをいくつも成功させ、彼の広告代理店は今では世界4大広告グループの一つである「FCB(Foot, Cone & Belding)」へと引き継がれている。

ラスカーの仕事でアメリカ人の朝食文化が変えられたのと同時に、オレンジ生産の方も様変わりしていった。かつてサンキストの包装はオレンジ1つ1つを紙に包んでいたが、ジュースが工業的に作られるようになるとトン単位のコンテナで果実を運び、潰れたり傷がついたりすることもお構いなしに輸送ができるようになった。かつて過剰だった生産能力が、遺憾なく発揮できるようになったのである。ラスカーのキャンペーンが成功した時(1930年代)、カリフォルニアはフロリダの1.5培のオレンジを生産するようになっていた。

この話から、我々日本の果樹生産農家は何を学ぶべきだろうか? 統一されたブランドの必要性? 売り込みに広告代理店を使うこと?  消費を拡大させるために新しい食べ方・楽しみ方を提案すること? あるいはその全て?

私は、アメリカ流の大量生産・大量消費型農業が目指すべき道だとは思わないが(そもそも日本でカリフォルニアのような果樹生産を行うことは不可能)、これまで日本の果樹産業はあまりに小規模零細的でありすぎたので、アメリカ流の考え方も少しは必要だろう。若者がミカンを食べないといわれて久しい(ホントか嘘かは知らない)。「こたつでミカン」もいいが、新しい時代に合った消費の仕方も生まれて欲しいと思う。それには、「うちのミカンは絶品」とか自画自賛する前に、まずは消費者の方を向く、ということをしなければならないと思う。

2014年4月15日火曜日

レアなカンキツ栽培のスタート

最近、苗木の定植に忙しかった。

以前、ベルガモットというカンキツの苗木を定植したという話題を書いたが、その後もライムを30本、ピンクグレープフルーツを30本、ブラッドオレンジを50本定植したのである。ベルガモット20本とあわせて、計130本植えたわけだ。

苗木を植えるのはそんなに手間ではないように思えるだろうが、大変なのは圃場準備である。ベルガモットの圃場は藪だったところだったが、それ以外はポンカンやタンカンが植わっているところを、あえて伐採して植えたので、伐採作業に手間がかかった。というか伐採作業がないなら、定植自体はさほど大変な仕事ではない。

今年植えたカンキツたちは、別に狙ったわけではないのだがレアものばかりになってしまった。多分日本では経済栽培されていないベルガモットを筆頭にして、捌けるか不安があるライム、輸入物との競争力があるかどうか不明なピンクグレープフルーツとブラッドオレンジということで、冒険的なカンキツ栽培のスタートである。

このあたりでは、ポンカンおよびタンカンの栽培が盛んなのであるが、物産館ではそれ以外にもいろんな種類のカンキツを見ることができる。サワーポメロ、文旦などの伝統的(?)なものから、紅甘夏、スイートスプリング、それから最近出てきた種々雑多な晩柑類。そういうものが物産館で売っているということは、地域の人が果敢に新品種に挑戦してきた結果である。とはいえ、私ほど向こう見ずな品種選択をしている人はいないだろう。

だが、グレープフルーツとかブラッドオレンジとかは輸入してまで食べているわけで、そういう品種は輸入品との競争にはなるけれども、需要が確かにあるという意味では有望だ。問題は、そういうレアなカンキツの場合、販路をどうするのか、誰にどうやって売るのかということだ。例えば、国産のブラッドオレンジを求めている人というのはそんなに多くないと思うが、その人たちにどう売っていくのか。インターネットは少数者へのリーチに向いているようだが、それは王手が売り出す場合であって、個別に売っていたら誰にも見てもらえない可能性の方が高い。

この問題に対する回答が今あるわけではないが、結実して経済生産できるようになるのは早くても4年後くらいになるだろうから、その時に向けてゆっくりと体制を作っていきたい。冒険的であるからこそ、今からとても楽しみである。

2014年4月3日木曜日

「JAグループ営農・経済革新プラン」を吟味する


本日(4月3日)、全中(全国農業協同組合中央会)が「JAグループ営農・経済革新プラン」なるものを発表した。内容は中間報告段階で発表されていたものとほぼ同じだったが、この機会に内容を吟味してみたい。

まず、このようなプランが出た背景であるが、端的に言えばJAを改革せねばならない、とする外圧のためである。JA改革の必要性は政府内でも随分前からいろいろな方面から叫ばれていて、農水省のみならず経産省からもそういう声が大きかったと聞く。特に最近、政府の規制改革会議が農業分野の規制改革について検討しており、昨年11月27日には、農業ワーキング・グループが「今後の農業改革の方向について」という報告書を出している。

それによれば、農協については
それぞれの組合が個々の農業者の所得増大に傾注できるよう、コンプライアンスの充実など組織運営のガバナンスについての見直しを図るとともに、行政的役割の負担軽減や他の団体とのイコール・フッティングを促進するなど、農政における農業協同組合の位置付け、事業・組織の在り方、今後の役割などについて見直しを図るべき(強調引用者)
といわれている。

強力な政治力を持つ(とされる)全中のことであるから、こうした会議で何を言われようと痛くも痒くもないかもしれないが、今年6月に出る予定の正式な答申に備え、「自己改革によって指摘されている課題については十分に応えることができます」と主張する目的をもって、冒頭のプランの発表に至ったわけであろう。

そこでプランの内容であるが、大まかに言えば
  • 直販事業へのマーケティング支援や大手小売りとの提携、6次産業化支援、直売所の活用などで販売力を強化する。
  • 農業の大規模化に向けたJA出資法人の設立や農家へのサポートを強化する。
  • 農家を理事に積極的に登用したり、営農担当の理事を置いたりして経営面での農業の扱いを厚くする。
ということになろう。(ちなみに全中の資料では「農家」は「担い手」と表現されている)

この内容は、規制改革会議で指摘されている問題点には応えていない部分が多い。そもそも規制改革会議自体が、JAの現状を十分に理解した上で議論していないように見えるので、彼らが挙げている問題点に完全に対応している必要はない。が、こうしたプランを出して全国のJAを巻き込み何らかの取り組みをしていく以上、JAの抱える課題を少しでも解決していくものでなくてはならない。

そういう観点からこのプランを見てみると、どうも物足りない気がしてならない。販売力強化は必要だと思うが、具体策を見ると、全農が小売企業と資本提携をしたり合弁会社を作ったりということが書かれている。全農はそもそも食品の直販事業を(畜産関係を中心として)やっているわけだから、問題になっているはずの単協(地域のJA)の販売力強化とは少しずれる部分がある。具体策はこれのみではないが、他の部分でも「営農・経済革新」を銘打つような内容はなく、何か「今までやっていることの延長線」感がぬぐえない

では、どういう内容があればナルホドと思うだろうか。人それぞれいろいろあるだろうが、それはJAの抱える重要な課題は何か、ということに帰着すると思う。私も十分にJAを理解しているわけではないが、すぐに思いつく課題としては、
  1. 農産物の流通が構造的に収益部門になっていないので、優秀な人材や予算が収益部門である金融・共済部門に流れがちである。結果として、単協には農産物の販売に関するノウハウや体制が十分にない。
  2. 職員の能力向上に無関心であり、ややもすれば使い捨て傾向があり離職率が高い。
  3. 監査体制が極めて不透明であり、帳簿の管理が杜撰であるため不正が多く、財務状況が経営者にとってもわかりにくい。
  4. 農産物の流通において不透明な部分があることなどで農家からの不信感を招いており、地域の力を糾合することが難しい。
というようなことがある。もちろん状況は地域によって違い、こうした課題をクリアしている農協もあるだろう。それでも、もっと大きな視野で見てみると、農協を取り巻く各種の組織のあり方(経済連や全中や全共連や農林中金)や事業形態が適切・効率的なのかという問題や、そもそも法律(農協法)に規定しているような農協の社会的役割は既に終わったのではないかという疑義すらある。

しかし一方で、私は「普通の農家」にとっては農協はやはり重要な組織であると考えている。特に南薩のような僻地にいると個々の農家が販路を開拓していくというのは大変困難なことであるから、農協の力というのは有り難い。最近流行りの「攻めの農業」をするような優秀な人には農協はもはや不要かもしれないが、私のような零細で技術の未熟な農家には農協は大事な存在である。

であるからこそ、全中にはもう少し真剣に農協改革に取り組んでいただきたいと切望する。農産物流通の収益化などはとても難しい課題であるので後回しにするとして、まずやってもらいたいのが職員の能力向上への傾注である。共済などの無理な推進活動(いわゆるノルマ)を辞めて職員が本来の職務に集中できるようにし、長期的なキャリアパスを描いた上で専門性を高めていけるような人事考課に変えるべきである。特に農産物の生産・流通部門における職員の業績を明確化して、栽培だけでなく産地づくりも含めた農業のプロを養成し、農産物の販売面で単協が経済連・全中に頼らなくてもすむ体制づくり・人づくりを地道に進めてはどうか。人が育てば、農産物流通の収益化も後からついてくるかもしれない。

もちろん、こうしたことは全中の「プラン」などなくても、個別の農協で取り組んでいけることである。中央の指示を唯々諾々と聞いていては、いつまで経っても上意下達的ヒエラルキーに支配された農協組織を変えることはできない。まずは、南さつま農協を農家側から少しでもよくしていければと思う。きっと、南さつま農協の職員も、それを望んでいるのではないかと思っている。

【注意】
私は農協の経営については本当の現場は(職員でも理事でもないため)知りませんので、もしかしたらトンチンカンなことを書いているおそれがあります。間違いなどございましたらご指摘いただければ幸甚です。