2014年5月3日土曜日

なぜホテルの朝食にはオレンジジュースが出てくるのか?

大抵、ホテルの朝食にはオレンジジュースが出てくるが、そのわけを深く考えたことのある人は稀だと思う。日本では、朝食にオレンジジュースはさほど定着した習慣ではないが、米英文化圏、特にアメリカでは朝食にはオレンジジュースを飲むものと相場が決まっており、実はホテルのオレンジジュースはこの習慣に基づいている(はず)。

では、なぜアメリカ人は朝食にオレンジジュースを飲むのだろうか? オレンジジュースは健康にいいからとか目覚めにいいからとかいろいろ言われているが、それは後付けの理屈に過ぎない。果物ジュースが体にいいということなら別にオレンジジュースでなくてもいいはずだが、アメリカで朝食のジュースといえば圧倒的にオレンジ(か類するカンキツ)である。これはなぜか。

先日カンキツに関する本を読んでこの疑問が解けたので、(ものすごくどうでもいいことだが)これに関して書いてみようと思う。

話は20世紀初頭、1900のゼロ年代に遡る。その頃カリフォルニアのオレンジ産業は生産過剰に苦しんでいた。前世紀に整備された灌漑システムなどのお陰で生産能力が高まり、樹の生長と新植によって生産量が拡大する一方で消費は伸び悩み、フロリダとの競争(当然、東海岸に近かったフロリダの方が有利だった。カリフォルニアは大陸横断鉄道を使ってオレンジを出荷する必要があったので)でオレンジの価格も低迷していた。

それで、カリフォルニアでは生産調整のために生産者がオレンジの樹をどんどん切り倒すというところまでいっていた。 ちなみに、価格が低迷していたとはいえ、このころのオレンジというのは高級品だった。 アメリカ文化、そしてその祖先であるヨーロッパ文化の中では、柑橘類というのはごく限られた南方の地域でしか穫れないものであったので高級な嗜好品として扱われていたからだ。今はどうだか知らないが、古くはクリスマスのプレゼントとしてオレンジを贈る習慣があったそうである。日本でいうと、御歳暮にミカンやポンカンを贈答する感覚に近いものがあったようだ。

ところが、生産量を野放図に拡大したため、値崩れがしたわけだ。もはやオレンジを高級品として売っていくことは難しかったが、それまで高級な嗜好品としての食べ方しかなかったので、消費を増やすことも難しかった。これは、今の日本で、ミカン類が「こたつでミカン」以外の食べ方があまりないために消費量が低迷しているのと少し似ている(カンキツ類の消費は、日本は諸先進国の中では少ない方である)。

そこで現れるのが、「現代広告業を創った男」といわれるアルバート・ラスカーという男である。若きラスカーは当時世界最大の広告代理店(ロード・アンド・トマス)を率い、低迷するカリフォルニアのオレンジ産業を再興するための大規模な広告戦略を売り込んだのである。

彼の最初の仕事はカリフォルニアのオレンジに冠する統一したブランドづくりだった。カリフォルニアには果物生産者組合(California Fruit Growers Exchange)があったが、組合員はバラバラに自分の名前でオレンジを売っていた。ラスカーはそれに「サンキスト(Sunkist)」という統一ブランドを冠し、ブランドの箱と包装紙をつくって出荷した。まとまって出荷を行うことで価格交渉力が増し、信用も高まった。この「サンキスト」は最初は商品名であったが、ご存じの通り後に社名になっていく。

やがてサンキストのブランドが浸透してくると、サンキストの偽物が横行し始めた。その対策が奮っているのだが、オレンジ12個につきオリジナルスプーンをプレゼントするキャンペーンを行ったのである。こうなると、偽物を買うよりも本物を買った方がスプーンももらえて得になるということで、サンキストの偽物が駆逐されたらしい。サンキストは、初年度には100万本のスプーンを配り、1910年には世界最大のスプーン購入業者になっていた。

だがこうした取り組みよりもラスカーの仕事としてもっとイノベーティブなのは、「Drink An Orange(オレンジを飲もう)」というキャンペーンである。ラスカーは、オレンジを嗜好品として消費させるよりも、ジュースにして大量に消費させる道を示した。当時のジュースは今でいうフレッシュジュースで、オレンジを家庭でわざわざ絞る必要があったが、遅れて冷蔵と低温殺菌の技術が開発されて瓶詰めが登場、オレンジジュースは急速にコモディティ(どこにでもある商品)化していく。

ラスカーはこの「オレンジをジュースにして飲む」という新方式を広めるため、ラジオや雑誌や看板といった新しいメディアを駆使した。大量の宣伝によって消費を喚起するという今では当たり前すぎるこのやり方は、この頃のラスカーらが形作ったものだ。そして広告は、大衆文化そのものを変えてしまうほどの力を持つようになる。その証左の一つが、朝食にオレンジジュースを飲むという新習慣の導入に他ならない。

元々、アメリカにもどこにも、朝食にオレンジジュースを飲む習慣はなかった。その習慣を作ったのは、ラジオや雑誌によってオレンジジュースの「効能」を喧伝して遮二無二これを売り込んだアルバート・ラスカーという男なのだ。彼はこうしたキャンペーンをいくつも成功させ、彼の広告代理店は今では世界4大広告グループの一つである「FCB(Foot, Cone & Belding)」へと引き継がれている。

ラスカーの仕事でアメリカ人の朝食文化が変えられたのと同時に、オレンジ生産の方も様変わりしていった。かつてサンキストの包装はオレンジ1つ1つを紙に包んでいたが、ジュースが工業的に作られるようになるとトン単位のコンテナで果実を運び、潰れたり傷がついたりすることもお構いなしに輸送ができるようになった。かつて過剰だった生産能力が、遺憾なく発揮できるようになったのである。ラスカーのキャンペーンが成功した時(1930年代)、カリフォルニアはフロリダの1.5培のオレンジを生産するようになっていた。

この話から、我々日本の果樹生産農家は何を学ぶべきだろうか? 統一されたブランドの必要性? 売り込みに広告代理店を使うこと?  消費を拡大させるために新しい食べ方・楽しみ方を提案すること? あるいはその全て?

私は、アメリカ流の大量生産・大量消費型農業が目指すべき道だとは思わないが(そもそも日本でカリフォルニアのような果樹生産を行うことは不可能)、これまで日本の果樹産業はあまりに小規模零細的でありすぎたので、アメリカ流の考え方も少しは必要だろう。若者がミカンを食べないといわれて久しい(ホントか嘘かは知らない)。「こたつでミカン」もいいが、新しい時代に合った消費の仕方も生まれて欲しいと思う。それには、「うちのミカンは絶品」とか自画自賛する前に、まずは消費者の方を向く、ということをしなければならないと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿