2016年11月3日木曜日

「石蔵古本市」でぜひ「入り口の本」を。

新刊書店は大きければ大きいほどよいが、古本屋の場合はそうとは限らない。

最近では、本を買うだけならAmazonで事足りるようになったから、目的の本が決まっているなら、書店に足を運ぶ必要もない。書店に行くのは、本を買うということよりも、どんな本が並んでいるのかを見たり、店頭の本をペラペラめくったり、本の匂いを嗅いだりするためになってきた。要するに、特定の本を買うためではなくて、何かいい本ないかな、と思っていくのがリアルの書店である。

Amazonでもそういう機能は充実してきて、オススメ機能はそれなりにいい本を教えてくれるし、立ち読み機能も有り難い。でも、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」的なオススメのやり方では、自分の興味分野を深めていくことはできても、全く新しい分野への扉を開くということは難しい。

これまで読んだことのなかった分野の本を手に取ってみる、それには、古本屋に行くのが一番だ。

というのは、古本屋は、新刊書店のような本の並べ方をしていない。ブックオフのような店の棚は新刊書店と大同小異だけれども、普通の古本屋はあんなに律儀に分類していない。

味のある古本屋はまず棚の作り方がいい。目的の本を探すためではなく、本そのものが魅力的に見えるように並べてある。雑然とではなく、有機的に、本が配列されている。

ジャンル毎の分類というのはもちろんある。全くのカオスだったら、眺める方も疲れる。だが、歴史の本の隣に文学があったり、人類学の本の隣に素粒子の本があったりする。興味のある分野を眺めながら、同時にこれまで関心がなかった分野の本も目に入ってくる仕掛けになっているわけだ。

私は好奇心旺盛な方だと思うが、やっぱり新刊書店に行ったら、自分の関心ある分野の棚にしか行かない。だから、新たな分野への触手、というのはなかなか伸ばしにくい。でも、古本屋に行ったら、特にそれが小さい古本屋の場合は、端から端まで全ての棚に目を通すようにしている。だって、自分の関心ある本がどこに置かれているかわからないからだ。それで結果的に、これまで手に取る機会のなかった本にまで、触れる機会を持つ。こうして、新たな沃野へ踏み出したことが、これまで何度あっただろう。

東京の自由が丘に東京書房という小さな古本屋があって、東京に住んでいた頃、大学も近かったのでよく足を運んだ。ここがまさにそういうお店で、ほんの6畳もないような店なのに、行くたびに新たな発見があるようなところだった。今考えてみて、ここで出会った一番思い出の本というと、デズモンド・モリス著『人間動物園』だ。

この本をきっかけにして、私は人類進化と心理のあり方に興味を持ち、スティーブン・ピンカーE. O. ウィルソンジョン・メイナード=スミスジェフリー・ミラー日高敏隆、マーク・ハウザーといった社会生物学・進化心理学の諸作を読み漁ることになる。こうした読書体験があったのも、その入り口となる『人間動物園』があったからで、もしこの本と出会わなかったら、この分野に興味を持つことがあったかどうだか分からない。

こういう、「入り口の本」というのが読書人生にはとても重要で、時々「日本文学しか読みません」とか、「推理小説ばっかり読んでます」とかいう人がいるが、そういう人もその分野に強烈なこだわりがあるというよりも、単に他の分野への「入り口の本」に出会っていないだけだったりするのである。

でも「入り口の本」を買うのは、ちょっと勇気がいる。今まで手にとったことのなかった分野、著者、出版社。肌に合うか分からない。読み通せないかもしれない。頑張って読んでも、結局つまらないこともある。そんなリスクがあるものに、1000円も2000円も使いたくないのが人情だ。

だから、古本屋がなおさらいいわけだ。結果的につまらなくても、300円とか500円だったら許せる。気軽に、未知の分野に踏み出せるというものである。

つまり、私にとって古本屋は、ただ安く本が買える場所ではなくて、未知のものに出会うための場所なのである。

というわけで、だいぶ前置きが長くなったが、そういう私がこのたび古本市を企画した。リニューアルしてステキな空間に生まれ変わった丁子屋石蔵(登録有形文化財)をお借りして、鹿児島の古書店5軒に集まってもらい、12月に4日間だけ古本市を開催する。

出張販売だからなおさら棚数は限られる。隅から隅まで棚の本を眺めて欲しい。お気に入りの作家の本を探すのももちろん結構。でもその中で、あなたにとっての「入り口の本」との出会いがあれば、企画者冥利に尽きるというものである。

出版物販売額の実態2016』(日販)によれば、南さつま市の一人あたりの年間出版購入額は5,362円。全国平均は14,260円で、鹿児島県平均は11,136円だそうである(いずれも推計)。つまり南さつま市の人は、全国平均と比べたら1/3しか本を買っていないし、鹿児島県平均と比べてもたったの1/2程度(!)なのだ。

南さつまの将来を考えてみると、これはとても不安な傾向と言わざるをえない。本をことさら素晴らしいものという気はないが、本を通じてしか得られないものは多い。南さつまはタダでさえ僻地で遅れたところなのに、本すら読まないのでは時代に取り残されてしまうのではないか。

でも南さつまの人が、本に関心がないというわけではないと思う。書店の少なさ、図書館の貧弱さ、そうしたものが「入り口の本」との出会いを減らしているだけではないだろうか? 南さつまの人だって、本と出会いたがっているのではないだろうか?

私はそう思っている。だから、古本市の企画に意味があるんじゃないかと考えた。こんなの、本好きの酔狂な道楽なのかもしれない。でも、来てくれた人がたった一人でも、「入り口の本」と出会ったら、すごいことだと思う。その人の人生が変わってしまうかもしれないのだから。

「読書は私たちにまだ見ぬ友人を連れてくる」——バルザック

その友人は、「新しい自分」かもしれないのだ。

【情報】
「石蔵古本市—万世*丁子屋石蔵」
日時:12月9日(金)-12日(月)10:00-17:00(初日13:00〜、最終日〜15:00)
場所 :南さつま市加世田万世 丁子屋石蔵
参加古書店:あづさ書店 西駅店泡沫(うたかた)古書リゼット(レトロフト内)特価書店つばめ文庫
協力:南さつま市立図書館(12月11日(日)11:00より、会場にて除籍本の無料配布を開催) 
主催:南薩の田舎暮らし
Facebookイベントページでも順次案内を差し上げる予定です。

3 件のコメント:

  1. 田舎町に住むと そういった類に餓えてきます。 
    すばらしいイベントですね
    本屋すらない。公共の図書館はさびれた具合で。
    ≪本すら読まないのでは時代に取り残されてしまうのではないか。≫
    同感です。
    人口減で成り立たないのもあり、
    また、偏見かもしれませんが、
    一部の人を除き、知識や情報を取り入れようという
    気持ちがうすいのも田舎の特徴かもしれませんね。

    面白い情報ありがとうございます!!

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  2. 追記ですが。
    指宿山川町の図書館はおもしろいですよ。
    司書さんが意欲的なかたです!!

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    1. コメントありがとうございます。

      公共の図書館がさびれた具合なのは本当残念です。予算の問題だとは思いますが、もう少し充実させたら地域の「知」の拠点になるのになあと思っています。指宿の図書館の噂はよく聞きます。市民がNPOを立ち上げて、そこが運営されてると思いますが、市民の力で図書館をよくするという先駆的事例なのではないかと思います。でも実はまだ行ったことないので、ぜひ行ってみたいですね!

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