2015年1月23日金曜日

大浦川の改修工事にこと寄せて

うちの近くに大浦川という川があって、宮園という集落あたりで大きく湾曲している。

川としてはかなり急カーブを描いていることもあり、大雨の時にはけっこうな高さまで水位が上がってくる。そんなわけで、昨年、大規模な川べりの改修工事が行われて(まだ工事は途中だと思う)、かなり広い河川敷が出現した。

この工事による費用対効果はともかく、増水の危険性があったことは事実なので、この公共工事自体に対する異論はない。が、一つ感じることがあった。

それは、このあたりの風景がガラッと変わってしまったにもかかわらず、それについての事前説明などが一切なかったらしいことである(もしかしたら私が移住してくる前に話がついていたのかもしれませんが)。

この川の淵には、幽邃とまではいかないが鬱蒼とした杉林があって、それなりに存在感のある場所だったと思う。それが、この工事によってすっかり切り払われ、のっぺらとした場所になってしまった。その杉林を愛でていた人というのもいないだろうから、さしたる問題ではないのかもしれないが、やはり風景を大きく変えてしまうような工事は事前に地域住民へと説明が必要ではないか。

というのは、風景というのは単にそこにあるものではなく、地域に住む人の「公共財」だと思うからである。それをなくしても誰か損するわけではないが、そこに住む人のアイデンティティを形成したり、毎日の行動の規範(散歩コースになるなど)になったり、風景は思っている以上に生活に影響しているものだ。

そして、公共財である以上、それを維持していく責任も(行政ではなく)地域住民にある。ゴミをポイ捨てしないとか基本的なことはもちろん、自らがその風景の一部となって暮らして行かなくてはならない。これは景観面での個人主義が徹底している日本ではあまり意識されないが、欧米の諸都市では景観と自らの生活を調和させることは公共の重要なマナーとされている。例えば、ヨーロッパの古都では個人住宅の屋根や壁の色が事細かく条例で規定され、街並み全体が住民の協力によって調和したものになるよう努力されている。

そしてそのような努力を行う以上、街並みの変更を伴う公共事業では地域住民への説明が丁寧に行われるのが普通である。それ以上に、そもそもの計画で、なるだけ周囲の環境と違和感がないものになるように考えられる。もちろんそれでも珍奇な構造物ができないわけではない。景観がらみの訴訟もけっこうあるらしい。

しかし翻って日本ではどうか。公共事業自体の是非はさておき、まちづくりの俯瞰的なビジョンなくして予算の流れるままに公共事業が行われた結果、街の景観はとてもいびつなことになっている場合が多い。にもかかわらず、それに対する不満もあまり顕在化していない。

これは、街の景観は自分たちのものだという意識が薄いからだと思う。おそらく、行政が公共事業に先立って説明会をやれば、声が大きくやたらと尊大で、内容のない反対意見を述べる人が湧いてきて、建設的意見を述べるはずのマジョリティが沈黙する、と言う光景が出現するであろう。これは、自分たちは行政サービスの受益者だという権利意識ばかりあって、行政は自分たちで作っていくものだという責任感がないからではないかと思う。

しかし本来は、行政と住民は対立するものではなく、住民自らが行政を形作っていくはずで、それが民主主義である。理想的には、行政が地域住民に対して知恵と協力を期待して公共事業に対する説明会を開催できるようになってほしい。ガス抜きのための説明会ほど虚しいものはない。

大浦川の改修工事においても、こんなに広い河川敷を作るのなら、そこで何らかのことができたかもしれないわけで、地域住民に幅広く説明すべきだった。サッカーコートとかテニスコートとかを作るほどの余裕はなさそうだが、最初から何もできなさそうと諦めては話が終わる。今からでも遅くはない。この空間を有効利用する知恵を出し合うことができないものか。

田舎の経済というのは、公共事業に依っている部分が大きい。だからこそ、公共事業のやり方をもっとスマートなものにしていかなくてはならないと感じる。行政側が住民への説明を丁寧にやるのはもちろん、住民の方も、それは行政の仕事だ、と突き放すのではなく、当事者意識と責任感を以て携わり、少しでも地域がよくなるように工夫していくべきである。そして、少ない予算で大きな効果を上げる公共事業にしていかなくてはならない。

そして田舎では行政と地域住民との距離が近い。都会ではできないようなコミュニケーションが役場と地域住民で可能である。公共事業の変革は田舎でこそ可能だと思う。こうした工事はなかなか文字にできないような難しい事情が潜んでいることも多く、青臭い意見だとは承知の上だが、うやむやの中で難しいことを処理する行政はもう辞めて、全てを白日の下に晒しつつ、妙案をみんなで探っていく行政へと変わってくべき時が来ていると思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿