2013年4月13日土曜日

硫黄貿易が結んだ南薩と硫黄島

知りたいことがあって、中世の硫黄貿易について調べている。

近年、日宋貿易における重要な輸出品として硫黄へ注目が集まりつつあるのだが、これの重要な舞台として、南薩の坊津、そして硫黄島(※1)が登場する。

硫黄島は、島の大部分が硫黄岳という火山によって占められており、中世においては東アジア最大の硫黄鉱山であったと言われる。 そして採掘された硫黄は、11世紀後半から日宋貿易により宋へ輸出されたと見られている。

この頃の宋は、西夏との争いに備えるため、火薬の原料である硫黄を必要としていた。その一方で遊牧民族の侵入により領土が縮小し、国内には良質の硫黄鉱山を持っていなかったという事情もあり、わざわざ日本から硫黄を輸入する必要があったというわけだ。

また、その背景として、軍馬の産地である西北を隣国に押さえられていたということもあるようだ。このため当時の主要戦力である騎兵が不足して自然と防御を重んじることになり、要塞の防衛のために火器が求められるようになったらしい。

硫黄が当時どれほどの価格で取引されたのかはわかっていないが、11世紀から16世紀に至るまで硫黄島とその隣の黒島と竹島(三島合わせて三島村を形成)が繁栄し続けたところを見ると、硫黄がかなりの富をもたらしたのは間違いない。その証左として、これらの島は小さな離島であるにも関わらず、立派な五輪塔を始めとして数多くの石造物が遺っている。

硫黄島から運び出された硫黄は、第一の寄港地として坊津を経由したようだ。もしかすると、硫黄貿易は坊津で管理されていたのかもしれない。というのも、坊津と硫黄島は当時「河辺郡」という同じ行政区画に属していたからだ。莫大な利益をもたらす資源というのは、実は統治機構にとって危険であり、その管理は重大事である。硫黄は、本土で厳重に管理されていたと考えるのが自然だ。

なぜなら、資源は適切に管理しなければ、野放図な開発や統治機構の腐敗、資源の奪い合い、そして略奪行為が誘発されるからである。それは当然といえば当然で、富をもたらす資源があるところ、「それは俺のものだ」と主張するならず者が必ず現れる。現代でも、アフリカの多くの地で、希少な資源を採掘する場所がほとんどマフィア的に占領され、現地の人をむしろ不幸にしているケースがあるのはこの罠による部分がある。資源は、適切に管理する能力を持つ統治者がいなければ、必ずしも現地の人に富をもたらすものではないのである。

そう考えると、13世紀以降に硫黄島を管理した千竈氏、そして16世紀に硫黄島の主導者となった長浜氏といった人々は硫黄貿易をうまく取り仕切ったのだろう。しかし、具体的な硫黄貿易の姿は茫洋としていて、よくわからないことだらけだ。これらの人々がどんな支配を行ったのかもよくわからない。文献もあまり残っていないため、現在の硫黄貿易研究は、いわば状況証拠に頼っているような部分がある。

また、11世紀から16世紀という500年にも及ぶ長い期間、元代には低迷期があったにしても、海外との貿易のみによって硫黄島が繁栄し続けたということはありそうもない話である。やはり国内にも安定的な硫黄の需要があったと考えるのが自然ではないか。では、その国内の需要とはどんなものだったのだろうか。

硫黄は、まずは火付けとして使われたし、少なくとも江戸時代には農薬としても使われていた。こうした用途で硫黄島の硫黄が各地に販売されていたことも考えられるが、日本では硫黄は各地で採れたはずで、敢えて硫黄島産を購入する必要もないような気がする。他方、安定的に硫黄を採掘するというシステムが各地で構築されたようにも思えず、そういう意味では硫黄島は貴重な存在だったのではないかという気もする。…というわけで、海外との硫黄貿易の実態解明も興味深いが、国内流通の方も気になるところである。

そんなわけで、一度硫黄島へ行って石造遺物や島内の様子を見てみたいと思っている。現在、硫黄島(三島村)への定期航路は鹿児島市-竹島-硫黄島-黒島というものがあり、これに加えて黒島-枕崎漁港というのが数年前から実証実験として就航している。噂では、近く枕崎からの便が定期航路化(本数が増えるということ?)するらしい(※2)。三島村には、南薩地域との結びつきを強め、観光や特産品販売などの面で協力していこうという考えがあるようだ。

中世において、硫黄貿易を通じ非常に密接な関係を持っていたと思われる南薩と硫黄島が、現代においてまた結ばれるとすればなかなか面白い展開だと思っている。いつか実際に硫黄島に上陸する日を楽しみにしたい。

※1 東京都にも、太平洋戦争で激戦地になった硫黄島があるが無関係である。
※2 伝聞なので間違っていたらすいません。

【参考文献】
日宋貿易と「硫黄の道」』2009年、山内 晋次
2013年3月に坊津の輝津館で行われた「甦る中世貴界島」という講演会の内容も参考にさせていただいた。

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