先日、菅官房長官から、2018年が明治維新から150年の節目に当たるということで政府として記念事業を実施するとの発表があった。
【参考】官房長官 明治維新から150年で事業検討…閣僚に要請(毎日新聞)
私も明治維新とは縁が深い鹿児島の住人であるし、記念事業の内容には、明治期に関する資料の収集・整理、デジタル化の推進なども計画されているそうで、喜ばしく思う部分もある。しかし、この建国記念行事は、戦中に行われた「紀元2600年記念行事」と重なるところがあって一抹の不安を覚える。
「紀元2600年記念行事」とは、1940年に実施された国民的な祝賀行事で、この年が神武天皇の即位より2600年に当たる(とされた)ことから計画されたものだが、要するに国威発揚のために行われたものである。内容も、今から見ると歴史的・考古学的事実を無視した無意味な顕彰碑が多く建立されるなど真面目さに欠き、ただ「大和民族の優秀さ」だけを称揚する非常に無残なものだったと思う。
もちろん来るべき明治維新150年の記念事業は、この戦中の大規模祝賀行事とは社会情勢も目的も、規模も水準も異なるものであることは明白だが、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは極めて重要だ」(菅官房長官)というようなコメントからは、国威発揚という点では似たものを感じてしまう。
でもそれ以上に、今の日本の状況は、戦前・戦中と重なって見える。
紀元2600年記念事業では、東京オリンピック(夏季)、札幌オリンピック(冬期)、万博が招致され、なんと開催が決定していた。これらは、戦況の悪化により実際には開催されず返上されることになるが、日本は1940年の時点で、アジア初のオリンピックと万博の招致に成功していたのである。
さらには、記念事業の一環ではないが、この頃「弾丸列車」というものが計画されていた。これは朝鮮や満州などとの物流を改善するために東京−下関間に高速鉄道を敷設するというもので、太平洋戦争の戦線が拡大するにつれ順次計画が延伸され、朝鮮・満州のみならずシンガポールまで鉄道を繋げるという壮大な鉄道構想まで膨らんでいた。
こちらも戦況の悪化と敗戦によって事業は途中で頓挫し、そのものは実現することはなかったが、この高速鉄道計画は違った形になって戦後の「新幹線」へと繋がっていく。
翻って今の時代を見てみると、2020年には再びの東京オリンピックが開催予定であり、2025年には大阪万博を招致しようと活動が行われている。 さらには、3兆円もかけて東京−大阪間にリニア鉄道を敷設しようという大計画が進行中である。何か、戦中と似ていないか。
当時の社会の趨勢も、今と似ている。大正時代には急激な経済成長・グローバル化の時代があって、その後世界恐慌などで景気が減速、戦争とその遂行のために物資を統制してなおさら景気が悪くなって日本は長期不況に陥っていた。東京オリンピックや万博というものは、そういう停滞感を打破するためにも計画されたものだった。高度経済成長期からバブル景気を経て、その後の長期不況に陥っている現代日本が東京オリンピックや万博に頼るのも全く同じ心境であろう。
リニア鉄道と弾丸列車は同列には比較できないが(というのは弾丸列車は需要に基づいて計画されたもので、リニア鉄道はほぼ需要を無視した事業だから)、現代に高速鉄道計画がまた動き出しているのは歴史の妙と言わざるをえない。
ここまで読んで、読者の方は思うかもしれない。「オリンピックも万博も、新幹線だって戦後に実現したもので、ことさら戦中との類似性を取り上げるのはおかしい」と。確かに、東京オリンピックと新幹線開通は戦後復興の、万博も経済発展の象徴としての意味を持つ。オリンピックや万博、高速鉄道を、不況期の苦し紛れの公共事業としてだけ見るのは公平な見方とは言えない。
しかし戦後に行われた東京オリンピックや万博ですら、景気と無関係には考えられない。日本では、余剰労働力の吸収力がある産業がほぼ土木・建設業に限られることから、経済政策を考える上で、公共事業に大きなウエイトが置かれることはやむを得ないのである。
そのおかげで、日本の土建業の施工規模は巨大なものとなっており、少し古い統計だが「1994年の日本のコンクリート生産量は合計9160トンで、アメリカは7790トンだった。面積当たりで比較すると、日本のコンクリート使用量はアメリカの約30倍になる」というくらいの現状だ(参考文献 アレックス・カー『犬と鬼』)。
民主党政権下では「コンクリートから人へ」というかけ声の下、この傾向を是正する方針が示されたが、別段「人」への投資を増やすということもなく、単に「コンクリート」を削るだけのマイナスの政策であったためうまくいかず、東日本大震災によって土木業界の重要性が再確認されたこともあって、今になって大規模公共事業が再び安易に肯定される雰囲気になってきている。
しかしながら、大規模公共事業は社会に非常なる禍根を残すものでもある。というのは、大きな工事をする時にはたくさんの人間が必要になるが、工事が終わってしまえばその人間は不要になるからだ。戦後の東京オリンピックや万博の場合もそうだった。これらの開催のために、工事が急ピッチで進められ、たくさんの人間が東京や大阪に集められた。「国の威信」をかけた事業だからということで工期が最優先となり安全対策は軽視され、多くの人間が犠牲になった。しかし会場やインフラが完成してみると、それらの労働者は全く不要な人間になってしまったのである。
こうして出現・拡大したのが、東京の山谷、大阪のあいりん地区といったドヤ街、すなわちスラム街だったのである。都合よく集められ、そして捨てられた人々の行き着くところがこうした街だった。さらには、こうした街に蟠(わだかま)った余剰労働力が、次の大規模開発を支え、さらに人が集められるという循環が起きた。今、またこうした街に人々が都合よく集められようとしていないか。
私自身は、公共工事には否定的ではない。日本はなにしろ雨の多い土地柄であるので、舗装されていない道路はちょっとの坂でも梅雨時にはぬかるんで4DWの車でないと通れなくなる。一日に数台の車しか利用しないようなところでもアスファルトで舗装しているのは、一見無駄だがやっぱり必要なことだ。災害が起こった時も、ある程度の遊軍的な土木事業者がいないと復旧が遅れる。狭い国土にたくさんの土建業者が犇(ひし)めいているのは非効率的だとしても、「コンクリート」の使用量が非常識だとしても、やはり土建業は日本の生命線であることも確かなのではないか、と思う。
だが問題は、やり方である。日本が世界一「コンクリート」の使用量が多いのだとしたら、「コンクリート」を使う技術力でも世界一であってほしい。公共事業に頼らざるをえない社会なのだとしたら、世界の国が見習うべき公共事業をする国であってほしい。
公共事業を行う前の事前評価(環境アセスメントや費用対効果の検証)、住民説明や合意形成、環境と調和したデザインや効率的で美しい構造、設計や施工の進め方も公明正大かつスマートに、そして完成後の運用とメンテナンスのノウハウも。こうした公共事業の全てのフェーズにおいて、世界最高水準の仕事が遂行されて欲しいのである。
もちろん、田舎のデコボコ道を舗装するために、世界最高水準の技術を使うというのは、それ自体がある種の無駄である。年度末に予算が余ったときに片手間でやればいいような公共事業もあるだろう。しかし「美しいインフラを作る」、ということは国土保全の上でとても重要であるから、田舎のデコボコ道と忽(ゆるが)せにせず、住民説明や事前評価といったことはいちいちキッチリやって欲しいと思う。
そして、そうしたことをやれる土建業界であるためにとても重要なことがある。それは、コンスタントに仕事があるということだ。オリンピックや万博は、確かに土建業界を活性化する。でもそれはほんのいっときのことである。工事が終わったら、また多くの人間は不要になるのだ。質の高い仕事をするには、そういう業界の構造であってはいけない。細くてもいいから、確実に長期間仕事があるとわかっていれば、正社員を登用できるし、徐々に技術を高めていける。リニア鉄道の建設に3兆円ドカーンと使うより、その3兆円を長く確実性を持って費消していく方が、土建業界の成長に役立つのではないか。
日本の技術力と公共事業の規模を考えると、他の国が「公共事業によって何か作りたい」となったとき、真っ先に日本へと研修に来る、というような国になってもおかしくない。「コンクリート」を扱う技術力だけではない。それの基盤になる社会と人間を扱う技術でも世界最高水準を目指して欲しい。それが日本の土建業界の進むべき道だと私は思う。
軍事国家日本は、景気浮揚・国威発揚のためにオリンピックや万博を安易に利用した。でも今では、同じオリンピックや万博をするのでも、全く違うやり方が可能なはずである。イベントが終わったら大量の人間が不要になってしまうようなやり方をしなくても済むはずだ。建国の記念事業をするのでも、自画自賛と中身のない打ち上げ花火ばかりをするようなみっともない真似をしなくて済むはずなのだ。
そして我々は、無謀な戦いをした先祖よりも、賢くなっているはずである。
私は、そう信じたい。
2016年10月10日月曜日
2016年10月5日水曜日
「農業技術立国」へ
何を隠そう、私は以前文部科学省、その旧科学技術庁系で働いていたので、今年も日本人がノーベル賞を受賞できたことを大変嬉しく思っている。ノーベル賞の受賞者数を指標化することはよくないが、過去の日本の科学技術政策の成果の一つであるといえるだろう。
今「過去の」とつけたのは、日本の科学技術を取り巻く環境が急速に悪化しているからで、特に国立大学は運営費交付金が減らされ、その分競争的資金(申請型の資金)が増えたのはまだいいとしても、競争的資金がどんどん花形の大型プロジェクトに集中して地味な基礎研究がやりにくくなり、さらに資金の申請・消化・報告に厖大な事務作業が付帯して研究・教育に集中できなくなってきているのである。
諸外国が、高等教育や科学技術政策をどんどん充実させていく趨勢にある中、先進国ではほぼ日本だけがこういった分野を縮小させており、非常に憂慮すべき状況にある。
要するに、科学技術立国を謳ったのは過去のことで、今や日本の科学技術は立ち後れつつあるというのが実際ではないか。科学技術は軽視されつつある、と言わざるをえない。
今も、私の元同僚はこうした状況と戦っているだろうと思う。文科省は科学技術関連予算を減らしている張本人でもあるので世間の風当たりは厳しいが、もちろん本心では充実させたいと思っている。しかし日本の厳しい財政状況の中では予算を取るのが非常に難しく、あんまり老獪ではない文科省は割を食いやすい役所である。でも年金・福祉・医療だけを考えていては将来はない。ノーベル賞の連続受賞を口実に、是非財務省とやりあっていただきたいと思う。
ところで、軽視されているのは科学技術だけではないことを、身近なところでひしひしと感じている。話が急に現場のことになって申し訳ないが、それは、「農業技術」である(もちろん科学技術の一分野でもある)。
農業技術というのは、要するに植物を栽培したり動物を飼育したりする生産技術のことで、農業というのは、自然のエネルギーを技術によって生産物に変える産業なわけだから、農業においてその技術は最も重要な鍵である。
実は、農業は長い歴史があるにも関わらず分かっていないことが多い。どうしたらうまく収穫できるのか、未だに人間は試行錯誤の途上にある。少なく見積もっても9000年は歴史ある農業なのに、なぜこんなに基本的なことすら分かっていないのだろうと思うこともしばしばである。
「儲かる農業」という言葉は嫌いだが(というのは、暗に農業は儲からないということが含意されているから)、 儲かる農業をするためには、絶対に確立が必要なのが農業技術で、「篤農家」と呼ばれる人たちは要するにそういう技術の高い人たちなのである。
その農業技術が、今とても軽視されているのだ。
農業を巡るトレンドを見てみても、「質の高い日本の農産物をもっと輸出しよう」と農水省も言っているが、農産物を生みだす農業技術の方はほとんど閑却されているような気がする。本当に日本の農産物は質が高いのかどうかも疑問だが、それはさておいても、他国に高品質のものを輸出していこうとするなら、まずは高度な技術を確立するのが先なはずなのに、今の議論を見ていると、「日本の農業技術は高い」というのを前提として、マーケティングやらブランディングやらの方向からばかり攻めていこうとしているようだ。
でも日本の農業技術は他国と比べ優れているんだろうか? 確かにある種の果物は宝石みたいに美しいものが生産されているし、農業機械なども特に水田関係はかなり発達している。「和牛」は霜降り肉という新ジャンルを開拓したと言ってもいいかもしれない。優れた技術は確かにある。が、日本の農業全体を見てみるとどうだろう。未だに中心は昔ながらの努力と根性の零細農業で、技術の発達は遅々として進んでいないようにみえる。
農政では、「改良普及員」という制度が昔からあって、要するにこれは農業技術を普及・指導していくための人材であり、都道府県の職員として農家に技術指導をしていた。「普及員」という言葉は、「すでにある技術を普及していくだけ」というイメージがあってよくないと思うが、実際は各地でどうしたら生産性を上げられるのかという試験・研究をしてきた歴史があって、かつての農政の一つの要だったと思う。
これが、最近どんどん人員を削られてきている。政策的にも日陰の方に追いやられている。ひどく減少しているというわけではないものの、都道府県の出先機関の合理化・定員の削減などで地味に減ってきているのである。これは本当にゆゆしいことだ。普及員のポストが減らされるということは、地方国立大学の農学部の卒業生の、重要な就職先が減らされるということと同義だからである。
農学部を出てもその知識を活かせる職場が少ないのなら、農学部へ行く学生も減り、農学部の定員自体も削られていくだろう。需要がないのだから。そして農学部が縮小していけば、その地域の農学のレベルはどんどん下がっていかざるをえない。
農学なんかなくったって、農業は出来る、と思っているとしたら甘い。確かに篤農家は農学を知らなかった。農学を知らなくても、植物を観察し、管理と肥料を調節し、比較対照し、結果を吟味し、次第によりよい生産方法を探っていった。でもそれ自体がほとんど農学的な歩みでもあった。誰も彼もが、こういうことはできない。やはり広く利用出来る形で、よりよい生産技術が生みだされる体制を作る方が全体の底上げになる。
そして、篤農家であってもできないのが、農業の「基礎研究」だ。例えば、植物はどうやって水を吸い上げるのか。植物が水を吸い上げる圧力は、まだ完全には解明されていない。それがわかっても、農業に役立つとは限らない。それより、どれくらい水をやるのか適切かという研究課題の方が短期的には役に立つ。でも、将来的には、原理を解明する方がもっと役に立つ可能性がある。
他にも、害虫となる昆虫の生態学、植物の免疫機構、土壌微生物の生態系の解明、などなど、農業を理解する基礎となる、地味な学問はまだまだいっぱいある。こうした基礎研究を重ねていかなくては、本当の意味で革新的な技術は生まれてこないし、植物の生理を理解することそのものができない。
そもそも農業をする上では、栽培植物の特性を理解して環境を整える、というのが第一歩だ。しかし未だに「栽培植物の特性」自体に謎が多く、どうしたら最大の収量・品質を上げられるのか分かっている植物はないと思う。どうしたらうまく育つかわかっていないのに、どうやってうまく育てろというのだろう。だから、是非とも農業技術の基礎研究は必要なのである。
巷では「これからは農業の時代!」などと調子のよいことが言われている。であれば、その基盤となる技術こそ重視しなければならないのに、6次産業化とか「ものづくりよりことづくり」(ストーリーで売る)とか、悪い言葉でいえば「見方を変えれば大逆転」みたいなことばかり言われているのは軽佻浮薄だ。それよりも、質の高い農産物を生みだす技術、そのものに注目が集まって欲しい。
だが、技術の発展というのは、マーケティングとは違って一足飛びにはいかない。技術は地道な積み重ねでしか進んでいかないもので、成果の出ない時期の方が長いくらいである。そして怖ろしいことに、技術は発展しようとするエネルギーを失ったら、それは既に衰亡の途に入ってしまうものである。それは止まったら死んでしまう大きな魚のようなもので、技術は常に進んでいないと息の根が止まるのだ。
今ある農業技術で十分だ、と思った瞬間に、農業は終わるのだと私は思う。これは、かつて日本の農学の歴史で繰り返されてきた停滞のパターンでもある。こうなると、確立した理論に合わない現象は黙殺され、小さな発見の芽は簡単に摘み取られてしまう。そして農業の生産性は、いつのまにか落ちていく。なぜなら、理論の基盤になっていた自然環境や社会情勢は、どんどん変化していくからである。
このたびノーベル生理学・医学賞を受賞された大隈良典 東工大栄誉教授も、「役に立たない基礎研究が大事」とおっしゃっているようである。我々は、「技術」の上澄みを使って仕事や生活をしているが、その技術の下には、厖大な数の(直接は)役に立たない技術があり、さらにその下には原理を解明する、自然を理解するという、基礎的な学術の営みがある。
農業も同じである。我々が当たり前にやっている農業の背後には、それを成立させている様々な技術や学術があり、究極的にはその土台が上澄みのレベルを決めている。
「高品質な日本の農産物を世界に輸出しよう」というのであれば、世界一の農業技術立国を目指さなくてはならない。それにはマーケティングやブランディングも大事である。でもそれ以上に、技術は生命線だ。そのためにまず必要なものは人材であり、予算である。改良普及員を増員し、農学部を強化し、研究資金を潤沢に与えて欲しい。そういう地道な取組の先に、農業の新たな展望が開けるのだと思う。
今「過去の」とつけたのは、日本の科学技術を取り巻く環境が急速に悪化しているからで、特に国立大学は運営費交付金が減らされ、その分競争的資金(申請型の資金)が増えたのはまだいいとしても、競争的資金がどんどん花形の大型プロジェクトに集中して地味な基礎研究がやりにくくなり、さらに資金の申請・消化・報告に厖大な事務作業が付帯して研究・教育に集中できなくなってきているのである。
諸外国が、高等教育や科学技術政策をどんどん充実させていく趨勢にある中、先進国ではほぼ日本だけがこういった分野を縮小させており、非常に憂慮すべき状況にある。
要するに、科学技術立国を謳ったのは過去のことで、今や日本の科学技術は立ち後れつつあるというのが実際ではないか。科学技術は軽視されつつある、と言わざるをえない。
今も、私の元同僚はこうした状況と戦っているだろうと思う。文科省は科学技術関連予算を減らしている張本人でもあるので世間の風当たりは厳しいが、もちろん本心では充実させたいと思っている。しかし日本の厳しい財政状況の中では予算を取るのが非常に難しく、あんまり老獪ではない文科省は割を食いやすい役所である。でも年金・福祉・医療だけを考えていては将来はない。ノーベル賞の連続受賞を口実に、是非財務省とやりあっていただきたいと思う。
ところで、軽視されているのは科学技術だけではないことを、身近なところでひしひしと感じている。話が急に現場のことになって申し訳ないが、それは、「農業技術」である(もちろん科学技術の一分野でもある)。
農業技術というのは、要するに植物を栽培したり動物を飼育したりする生産技術のことで、農業というのは、自然のエネルギーを技術によって生産物に変える産業なわけだから、農業においてその技術は最も重要な鍵である。
実は、農業は長い歴史があるにも関わらず分かっていないことが多い。どうしたらうまく収穫できるのか、未だに人間は試行錯誤の途上にある。少なく見積もっても9000年は歴史ある農業なのに、なぜこんなに基本的なことすら分かっていないのだろうと思うこともしばしばである。
「儲かる農業」という言葉は嫌いだが(というのは、暗に農業は儲からないということが含意されているから)、 儲かる農業をするためには、絶対に確立が必要なのが農業技術で、「篤農家」と呼ばれる人たちは要するにそういう技術の高い人たちなのである。
その農業技術が、今とても軽視されているのだ。
農業を巡るトレンドを見てみても、「質の高い日本の農産物をもっと輸出しよう」と農水省も言っているが、農産物を生みだす農業技術の方はほとんど閑却されているような気がする。本当に日本の農産物は質が高いのかどうかも疑問だが、それはさておいても、他国に高品質のものを輸出していこうとするなら、まずは高度な技術を確立するのが先なはずなのに、今の議論を見ていると、「日本の農業技術は高い」というのを前提として、マーケティングやらブランディングやらの方向からばかり攻めていこうとしているようだ。
でも日本の農業技術は他国と比べ優れているんだろうか? 確かにある種の果物は宝石みたいに美しいものが生産されているし、農業機械なども特に水田関係はかなり発達している。「和牛」は霜降り肉という新ジャンルを開拓したと言ってもいいかもしれない。優れた技術は確かにある。が、日本の農業全体を見てみるとどうだろう。未だに中心は昔ながらの努力と根性の零細農業で、技術の発達は遅々として進んでいないようにみえる。
農政では、「改良普及員」という制度が昔からあって、要するにこれは農業技術を普及・指導していくための人材であり、都道府県の職員として農家に技術指導をしていた。「普及員」という言葉は、「すでにある技術を普及していくだけ」というイメージがあってよくないと思うが、実際は各地でどうしたら生産性を上げられるのかという試験・研究をしてきた歴史があって、かつての農政の一つの要だったと思う。
これが、最近どんどん人員を削られてきている。政策的にも日陰の方に追いやられている。ひどく減少しているというわけではないものの、都道府県の出先機関の合理化・定員の削減などで地味に減ってきているのである。これは本当にゆゆしいことだ。普及員のポストが減らされるということは、地方国立大学の農学部の卒業生の、重要な就職先が減らされるということと同義だからである。
農学部を出てもその知識を活かせる職場が少ないのなら、農学部へ行く学生も減り、農学部の定員自体も削られていくだろう。需要がないのだから。そして農学部が縮小していけば、その地域の農学のレベルはどんどん下がっていかざるをえない。
農学なんかなくったって、農業は出来る、と思っているとしたら甘い。確かに篤農家は農学を知らなかった。農学を知らなくても、植物を観察し、管理と肥料を調節し、比較対照し、結果を吟味し、次第によりよい生産方法を探っていった。でもそれ自体がほとんど農学的な歩みでもあった。誰も彼もが、こういうことはできない。やはり広く利用出来る形で、よりよい生産技術が生みだされる体制を作る方が全体の底上げになる。
そして、篤農家であってもできないのが、農業の「基礎研究」だ。例えば、植物はどうやって水を吸い上げるのか。植物が水を吸い上げる圧力は、まだ完全には解明されていない。それがわかっても、農業に役立つとは限らない。それより、どれくらい水をやるのか適切かという研究課題の方が短期的には役に立つ。でも、将来的には、原理を解明する方がもっと役に立つ可能性がある。
他にも、害虫となる昆虫の生態学、植物の免疫機構、土壌微生物の生態系の解明、などなど、農業を理解する基礎となる、地味な学問はまだまだいっぱいある。こうした基礎研究を重ねていかなくては、本当の意味で革新的な技術は生まれてこないし、植物の生理を理解することそのものができない。
そもそも農業をする上では、栽培植物の特性を理解して環境を整える、というのが第一歩だ。しかし未だに「栽培植物の特性」自体に謎が多く、どうしたら最大の収量・品質を上げられるのか分かっている植物はないと思う。どうしたらうまく育つかわかっていないのに、どうやってうまく育てろというのだろう。だから、是非とも農業技術の基礎研究は必要なのである。
巷では「これからは農業の時代!」などと調子のよいことが言われている。であれば、その基盤となる技術こそ重視しなければならないのに、6次産業化とか「ものづくりよりことづくり」(ストーリーで売る)とか、悪い言葉でいえば「見方を変えれば大逆転」みたいなことばかり言われているのは軽佻浮薄だ。それよりも、質の高い農産物を生みだす技術、そのものに注目が集まって欲しい。
だが、技術の発展というのは、マーケティングとは違って一足飛びにはいかない。技術は地道な積み重ねでしか進んでいかないもので、成果の出ない時期の方が長いくらいである。そして怖ろしいことに、技術は発展しようとするエネルギーを失ったら、それは既に衰亡の途に入ってしまうものである。それは止まったら死んでしまう大きな魚のようなもので、技術は常に進んでいないと息の根が止まるのだ。
今ある農業技術で十分だ、と思った瞬間に、農業は終わるのだと私は思う。これは、かつて日本の農学の歴史で繰り返されてきた停滞のパターンでもある。こうなると、確立した理論に合わない現象は黙殺され、小さな発見の芽は簡単に摘み取られてしまう。そして農業の生産性は、いつのまにか落ちていく。なぜなら、理論の基盤になっていた自然環境や社会情勢は、どんどん変化していくからである。
このたびノーベル生理学・医学賞を受賞された大隈良典 東工大栄誉教授も、「役に立たない基礎研究が大事」とおっしゃっているようである。我々は、「技術」の上澄みを使って仕事や生活をしているが、その技術の下には、厖大な数の(直接は)役に立たない技術があり、さらにその下には原理を解明する、自然を理解するという、基礎的な学術の営みがある。
農業も同じである。我々が当たり前にやっている農業の背後には、それを成立させている様々な技術や学術があり、究極的にはその土台が上澄みのレベルを決めている。
「高品質な日本の農産物を世界に輸出しよう」というのであれば、世界一の農業技術立国を目指さなくてはならない。それにはマーケティングやブランディングも大事である。でもそれ以上に、技術は生命線だ。そのためにまず必要なものは人材であり、予算である。改良普及員を増員し、農学部を強化し、研究資金を潤沢に与えて欲しい。そういう地道な取組の先に、農業の新たな展望が開けるのだと思う。
2016年9月23日金曜日
Tech Garden Salon「田舎工学序説」をマルヤガーデンズで開催します
お知らせ。
11月19日(土)に、マルヤガーデンズで講演します。以前もちょっと紹介した「Tech Garden Salon」というイベントで。
演題は、「田舎工学序説」と名付けた。この「序説」というのは便利な言葉で、まだ定まっていない学問分野について述べる時に使う(ことが多い)。「序説」とついていれば割合なんでも盛り込めるというわけだ。
ちなみにこのチラシは、鹿児島を代表するイラストレーターである大寺聡さんに作ってもらったもの。鹿児島マラソンのデザインとかしている人である。
このチラシのウラ面から講演のテーマ説明を抜き出してみると、
こういう講演というのは、本来は実績を挙げた人や深く研究している人がやるべきであって、何の実績もない、ただ田舎暮らしをしているだけ(しかも苦労しながら)の私が話してどれだけの価値ある講演になるか実際自分でも疑問である。地域作りには各地で意欲的な取組があり、そういうところの優れたリーダーに来て話してもらった方がよほど面白いのは間違いない。
ただ、これまでそういう「優れたリーダー」の話を農業や地域づくりの研修などで聞いてきたが、結局は「ああ、こういうリーダーがいたからできたことなんだな」という感想を持ってしまうことが多かった。行動力とセンスがあり、人柄もよいリーダーがいれば、どんなプロジェクトでも成功するのは当たり前である。でも普通の田舎にはそういうリーダーはいない。そういう意味では、各地の意欲的な取組はいかにも参考になりそうでいて、実際には真似できないことは多い。
というわけで、普通の人が普通にやれる範囲のことで、田舎をどうやって面白くしていくか、という観点から話ができたら、私みたいな人間が講演する意味もあるかもしれない。そんな話がちゃんと出来るかはまだ不透明だが、だんだん内容が頭の中で固まってきたところである。
主催者の同窓会支部長には「ブログでお知らせしたら15人くらいは来ると思います」と言っておいた。そんなわけで、「南薩日乗」の読者の皆様、ご来場をお待ちしております。
11月19日(土)に、マルヤガーデンズで講演します。以前もちょっと紹介した「Tech Garden Salon」というイベントで。
演題は、「田舎工学序説」と名付けた。この「序説」というのは便利な言葉で、まだ定まっていない学問分野について述べる時に使う(ことが多い)。「序説」とついていれば割合なんでも盛り込めるというわけだ。
ちなみにこのチラシは、鹿児島を代表するイラストレーターである大寺聡さんに作ってもらったもの。鹿児島マラソンのデザインとかしている人である。
このチラシのウラ面から講演のテーマ説明を抜き出してみると、
みなさんは「田舎工学」と聞いたらどんな学問だと思うでしょうか? 実は、こんな学問はまだ存在していないのです。なぜならこれまで「田舎」は作っていくものではなく、既にあるものだったからです。しかし、近年非常に「田舎」への関心が高まっています。しかも、自分の故郷へ帰るのではなく、新天地を求める人が「田舎」へ向かってきています。自分なりの「田舎」を作っていくことを目指して。という内容を予定している。
では、どうしたら自分なりの「田舎」が作れるのでしょうか? それには、都市工学とも、従来の農村工学とも違う視点が必要になるでしょう。つまり、行政が中心になって行う上からのインフラ整備ではなく、個人の力で荒野を切り拓いていく草の根の動きが中心になってくるのではないでしょうか。自分自身が楽しく住める「田舎」を作るため、みなさんと一緒に「田舎工学」を考えてみたいと思います。
こういう講演というのは、本来は実績を挙げた人や深く研究している人がやるべきであって、何の実績もない、ただ田舎暮らしをしているだけ(しかも苦労しながら)の私が話してどれだけの価値ある講演になるか実際自分でも疑問である。地域作りには各地で意欲的な取組があり、そういうところの優れたリーダーに来て話してもらった方がよほど面白いのは間違いない。
ただ、これまでそういう「優れたリーダー」の話を農業や地域づくりの研修などで聞いてきたが、結局は「ああ、こういうリーダーがいたからできたことなんだな」という感想を持ってしまうことが多かった。行動力とセンスがあり、人柄もよいリーダーがいれば、どんなプロジェクトでも成功するのは当たり前である。でも普通の田舎にはそういうリーダーはいない。そういう意味では、各地の意欲的な取組はいかにも参考になりそうでいて、実際には真似できないことは多い。
というわけで、普通の人が普通にやれる範囲のことで、田舎をどうやって面白くしていくか、という観点から話ができたら、私みたいな人間が講演する意味もあるかもしれない。そんな話がちゃんと出来るかはまだ不透明だが、だんだん内容が頭の中で固まってきたところである。
主催者の同窓会支部長には「ブログでお知らせしたら15人くらいは来ると思います」と言っておいた。そんなわけで、「南薩日乗」の読者の皆様、ご来場をお待ちしております。
2016年9月13日火曜日
「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」が開催されます
10月30日(日)に、「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」というイベントが南さつま市大浦町で開催される。
「高ボネ山(正式な表記は「高ボ子=たかぼね」らしい)」というのは、大浦の名勝「亀ヶ丘」の隣にある地味な山で、これまで特にどうということもない地域の裏山だった。
ところが、この頂上付近にある岩にハート型の形があることから、高ボネ山を有する有木集落の人たちがその岩を「愛願岩(あいがんいわ)」と名付け、最近新たな縁結びの「パワースポット」として売り出しているのである。
そのため有木集落の人たちは、これまで木々に覆われてしまっていた高ボネ山の登山道をちゃんと通れるよう雑木の伐採を行い、各所に案内版を設置した上、頂上には日本の国旗を立てた(たぶん目印なんだと思う)。さらに、昨年は今回の先蹤となるウォーキングイベントも行い、満を持して、今回「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」を開催する運びとなったわけである。
ちなみに、なぜ「りんどう」かというと、高ボネ山への登山道までは林道を通っていくということと、その林道沿いには竜胆(リンドウ)が咲いているということで、まあ軽いダジャレである。ただハイキングをするだけでなくて、花を見られる時期にやるというのはいいことだ。
実を言うと、私はこの動きを横目で見ながら、最初のうちはちょっと賛同しかねるようなところがあった。というのは単純な話で、私は「パワースポット」というのが好きではないのだ。その場に行くだけで何らかの御利益がある場所、というのがなんだが都合がよすぎるし(巡礼みたいに信仰とセットになった場所だったらわかるのだが)、そもそも何の根拠もなく雰囲気だけで「パワースポット」として扱われている場所が多すぎる。
もちろん、古くからの神社仏閣であっても、それをパワースポットとして消費するのはよくないと思う。こういうところは、歴史や建築、庭園や仏像などの文化財を楽しむべきで、もちろんその神々しい雰囲気に浸るということもあってよいが、そこだけを強調するのは軽佻浮薄ではないか。
とはいっても江戸時代の伊勢参りだって、今のパワースポット詣でとさして変わらなかったのかもしれない。伊勢参りをしていた人々は、ほとんど伊勢神宮の歴史とか関心がなかったようだし、それどころか内宮(天照大神を祀る)に行かずに外宮(豊受大神を祀る)だけ参っていたみたいだから、目の前の御利益を期待して参拝するという意味では昔の人も現代人とあまり変わらない。
だから「パワースポット」にそんなに目くじらを立てる必要はないのかもしれないが、「パワースポットと言っておけば若い人が来るだろう」とか思っている観光地があるような気がして、そういう態度がやっぱり気にくわないし、神社仏閣にしても、本来の価値を発信せずに「パワースポットだから来てね」といわれると逆に行きたくなくなる。要するに、パワースポットと呼ばれる場所には何の恨みもないが、軽々しく「パワースポット」を連呼する広報の方に違和感があるのだ。
ということで、私の中に「パワースポット」に対する不審があって、「愛願岩」を縁結びのパワースポットとして売り出しているのが、なんだか微妙な気持ちだったのである。
しかし、実際に有木集落の人たちが登山道整備をしたり、案内版を立てたりするといった地道なことをやっているのを見ると、こういうことならいいじゃないか、と思うようになった。「パワースポットだから来てね」というだけではなくて、通れなかった所が通れるようになる、どこにあるか分からなかったものが、わかるようになる、というのは、間違いなく価値を創り出す行為だからだ。
つまり高ボネ山の売り出しは、「パワースポット」を奇縁にして地域の自然や風景を見直し、価値を生みだしていく行為になっている。だから好感を持つのである。しかも、そういう活動をする中で、実際に関係者に結婚するものも現れてきて、まさに話が「瓢箪から駒」になってきた。まんざら言ってるだけの「パワースポット」ではないのである。
ところで、このイベントのポスターは実は私がデザインしたものである。通常こういうウォーキングイベントの参加者は団塊世代より上の人たちが多いものだが、主催者からの希望として「縁結びを謳ってるから若い人に来てもらいたい」というのがあったので、タイトルには「ラノベPOP体」というのを使ってみた。全体の雰囲気がラノベっぽくはないからあまり効果はなさそうだが…。
というわけでご関心がありましたらご参加をお願いします!(申込方法はポスターをクリックして内容を確認してください。電話申込です)
「高ボネ山(正式な表記は「高ボ子=たかぼね」らしい)」というのは、大浦の名勝「亀ヶ丘」の隣にある地味な山で、これまで特にどうということもない地域の裏山だった。
ところが、この頂上付近にある岩にハート型の形があることから、高ボネ山を有する有木集落の人たちがその岩を「愛願岩(あいがんいわ)」と名付け、最近新たな縁結びの「パワースポット」として売り出しているのである。
そのため有木集落の人たちは、これまで木々に覆われてしまっていた高ボネ山の登山道をちゃんと通れるよう雑木の伐採を行い、各所に案内版を設置した上、頂上には日本の国旗を立てた(たぶん目印なんだと思う)。さらに、昨年は今回の先蹤となるウォーキングイベントも行い、満を持して、今回「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」を開催する運びとなったわけである。
ちなみに、なぜ「りんどう」かというと、高ボネ山への登山道までは林道を通っていくということと、その林道沿いには竜胆(リンドウ)が咲いているということで、まあ軽いダジャレである。ただハイキングをするだけでなくて、花を見られる時期にやるというのはいいことだ。
実を言うと、私はこの動きを横目で見ながら、最初のうちはちょっと賛同しかねるようなところがあった。というのは単純な話で、私は「パワースポット」というのが好きではないのだ。その場に行くだけで何らかの御利益がある場所、というのがなんだが都合がよすぎるし(巡礼みたいに信仰とセットになった場所だったらわかるのだが)、そもそも何の根拠もなく雰囲気だけで「パワースポット」として扱われている場所が多すぎる。
もちろん、古くからの神社仏閣であっても、それをパワースポットとして消費するのはよくないと思う。こういうところは、歴史や建築、庭園や仏像などの文化財を楽しむべきで、もちろんその神々しい雰囲気に浸るということもあってよいが、そこだけを強調するのは軽佻浮薄ではないか。
とはいっても江戸時代の伊勢参りだって、今のパワースポット詣でとさして変わらなかったのかもしれない。伊勢参りをしていた人々は、ほとんど伊勢神宮の歴史とか関心がなかったようだし、それどころか内宮(天照大神を祀る)に行かずに外宮(豊受大神を祀る)だけ参っていたみたいだから、目の前の御利益を期待して参拝するという意味では昔の人も現代人とあまり変わらない。
だから「パワースポット」にそんなに目くじらを立てる必要はないのかもしれないが、「パワースポットと言っておけば若い人が来るだろう」とか思っている観光地があるような気がして、そういう態度がやっぱり気にくわないし、神社仏閣にしても、本来の価値を発信せずに「パワースポットだから来てね」といわれると逆に行きたくなくなる。要するに、パワースポットと呼ばれる場所には何の恨みもないが、軽々しく「パワースポット」を連呼する広報の方に違和感があるのだ。
ということで、私の中に「パワースポット」に対する不審があって、「愛願岩」を縁結びのパワースポットとして売り出しているのが、なんだか微妙な気持ちだったのである。
しかし、実際に有木集落の人たちが登山道整備をしたり、案内版を立てたりするといった地道なことをやっているのを見ると、こういうことならいいじゃないか、と思うようになった。「パワースポットだから来てね」というだけではなくて、通れなかった所が通れるようになる、どこにあるか分からなかったものが、わかるようになる、というのは、間違いなく価値を創り出す行為だからだ。
つまり高ボネ山の売り出しは、「パワースポット」を奇縁にして地域の自然や風景を見直し、価値を生みだしていく行為になっている。だから好感を持つのである。しかも、そういう活動をする中で、実際に関係者に結婚するものも現れてきて、まさに話が「瓢箪から駒」になってきた。まんざら言ってるだけの「パワースポット」ではないのである。
ところで、このイベントのポスターは実は私がデザインしたものである。通常こういうウォーキングイベントの参加者は団塊世代より上の人たちが多いものだが、主催者からの希望として「縁結びを謳ってるから若い人に来てもらいたい」というのがあったので、タイトルには「ラノベPOP体」というのを使ってみた。全体の雰囲気がラノベっぽくはないからあまり効果はなさそうだが…。
というわけでご関心がありましたらご参加をお願いします!(申込方法はポスターをクリックして内容を確認してください。電話申込です)
2016年9月10日土曜日
草を刈る、という単純な観光政策
いつも気にはなっているが、特に夏には気になることがある。
景観のよいところにはびこる、雑木や雑草だ。
この写真は、南さつま市イチオシの観光ルート「南さつま海道八景」の最初の展望所「高崎山展望所」の眺めである。
ここは、(当たり前だが)昔から眺めのよいところで藩政時代には魚見櫓(うおみやぐら)という見張り番がおかれていたほど、高い位置から縹渺と広がる東シナ海を見下ろせる雄大な絶景の地である。
でも、展望所のすぐ前にある雑木と雑草のせいで、その絶景の価値はかなり殺がれてしまっていると言わざるをえない。そしてこういう残念な場所は、高崎山に限らない。
確かに「南さつま海道八景」は、南さつまの自画自賛ではなくて、本当に素晴らしい名勝の地揃いだ。まだ見たことがない人は、一度ドライブしてみたらいい。鹿児島に、こんな圧倒的な景観の続く場所があったのかと驚くはずだ。国道226号線の、高崎山から耳取峠までがそれに当たる。
海側に広がる絶景、また絶景——。ここは日本屈指の眺望を持つ道路だと誇ってよい。
おそらくこれが南さつま市最大の「観光資源」で、事実自転車レースの「ツール・ド・南さつま」やウォーキングイベントの「鑑真の道歩き」といった各種の催しが開催されるなど、行政もこの道の売り出しに頑張っている。
だが、そういうイベントには予算を掛ける一方で、肝心の眺望の維持にはさほど関心がないようである。除草作業をやっていないわけではない。時々は、草払いはされてもいる(雑木の除去はやっているのかいないのかよくわからないが……)。でも私の目から見たら十分ではない。特に夏季には、南薩の雑草の勢いは怖ろしいほどになる。草払いしても、2週間後にはまた伸びてくる。相当頻繁に除草作業をしなくてはならない。でもそれが、ここへ来てくれた人への一番大事な「おもてなし」なんじゃないかと思う。
観光政策というと、最近はいろいろな手法が開発されていて、アニメとの連携とか道の駅の活性化とか、一昔前の観光政策には全然出てこなかったような新しい発想による取組が実際に成功してきている。もちろん、そういうものにも積極的に取り組んでいい。しかし観光の要(かなめ)の価値、ここでは「風景の価値」をしっかりと守り、高める努力をするというのが最も重要な観光政策だと私は思う。別にこれといったことをしなくても、「南さつま海道八景」を訪れた人が、しっかりとその風景を堪能できるように草払いを頻繁化する、それだけで立派な観光政策だ。
もちろん、雑木の除去とか草払いといったものは、簡単そうに見えていろいろ難しいことがある。道沿いの土地が公有地とは限らない。私有地の方が多い。地権者にいちいち許可を得ないといけないし(その上不在地主も多い)、土地の管理は地権者が行うべきものだから、それを行政が代わって行うことの是非もある。
また、私は地元大浦の亀ヶ丘にある「星降る丘展望台」というところの雑木を大胆に伐採して眺望を改善してもらいたいと思っているが、これは坊野間県立自然公園の一部で保護区域なので、たとえ雑木でも伐採には県の許可がいる。でも、そういう許可を地道に取って徐々に伐採を進めることこそ、真面目な観光政策だろう。
このくらいのことは、別に私が声高に求めなくても市役所の担当者は分かっているだろう。でも観光交流課というのは、イベントに次ぐイベントに駆り出され、席の温まる暇もないほどである。こういう地味なことは、ついつい後回しになっていくのが世の常だ。だからこそ、市民の声として言い続けていきたい。つい先日も観光交流課に行って、直接要望してきたところである。
草を刈るなんて単純なことだが、大事なことはいつも単純だ。せっかく来てくれた人が、雑草に邪魔されずに素晴らしい風景を堪能できること。道にゴミが落ちていないこと。街が清潔であること! 結局、観光というのは美しいものに触れるためにやってくるのだから、街も自然も、美しくあらねばならない。そしてそれは観光客だけでなく、現に今ここに住んでいる私たちの生活の質をも向上させる。真の観光政策は、観光客のためだけでなく、住民の暮らしをもよくしていくものであると思う。
景観のよいところにはびこる、雑木や雑草だ。
この写真は、南さつま市イチオシの観光ルート「南さつま海道八景」の最初の展望所「高崎山展望所」の眺めである。
ここは、(当たり前だが)昔から眺めのよいところで藩政時代には魚見櫓(うおみやぐら)という見張り番がおかれていたほど、高い位置から縹渺と広がる東シナ海を見下ろせる雄大な絶景の地である。
でも、展望所のすぐ前にある雑木と雑草のせいで、その絶景の価値はかなり殺がれてしまっていると言わざるをえない。そしてこういう残念な場所は、高崎山に限らない。
確かに「南さつま海道八景」は、南さつまの自画自賛ではなくて、本当に素晴らしい名勝の地揃いだ。まだ見たことがない人は、一度ドライブしてみたらいい。鹿児島に、こんな圧倒的な景観の続く場所があったのかと驚くはずだ。国道226号線の、高崎山から耳取峠までがそれに当たる。
海側に広がる絶景、また絶景——。ここは日本屈指の眺望を持つ道路だと誇ってよい。
おそらくこれが南さつま市最大の「観光資源」で、事実自転車レースの「ツール・ド・南さつま」やウォーキングイベントの「鑑真の道歩き」といった各種の催しが開催されるなど、行政もこの道の売り出しに頑張っている。
だが、そういうイベントには予算を掛ける一方で、肝心の眺望の維持にはさほど関心がないようである。除草作業をやっていないわけではない。時々は、草払いはされてもいる(雑木の除去はやっているのかいないのかよくわからないが……)。でも私の目から見たら十分ではない。特に夏季には、南薩の雑草の勢いは怖ろしいほどになる。草払いしても、2週間後にはまた伸びてくる。相当頻繁に除草作業をしなくてはならない。でもそれが、ここへ来てくれた人への一番大事な「おもてなし」なんじゃないかと思う。
観光政策というと、最近はいろいろな手法が開発されていて、アニメとの連携とか道の駅の活性化とか、一昔前の観光政策には全然出てこなかったような新しい発想による取組が実際に成功してきている。もちろん、そういうものにも積極的に取り組んでいい。しかし観光の要(かなめ)の価値、ここでは「風景の価値」をしっかりと守り、高める努力をするというのが最も重要な観光政策だと私は思う。別にこれといったことをしなくても、「南さつま海道八景」を訪れた人が、しっかりとその風景を堪能できるように草払いを頻繁化する、それだけで立派な観光政策だ。
もちろん、雑木の除去とか草払いといったものは、簡単そうに見えていろいろ難しいことがある。道沿いの土地が公有地とは限らない。私有地の方が多い。地権者にいちいち許可を得ないといけないし(その上不在地主も多い)、土地の管理は地権者が行うべきものだから、それを行政が代わって行うことの是非もある。
また、私は地元大浦の亀ヶ丘にある「星降る丘展望台」というところの雑木を大胆に伐採して眺望を改善してもらいたいと思っているが、これは坊野間県立自然公園の一部で保護区域なので、たとえ雑木でも伐採には県の許可がいる。でも、そういう許可を地道に取って徐々に伐採を進めることこそ、真面目な観光政策だろう。
このくらいのことは、別に私が声高に求めなくても市役所の担当者は分かっているだろう。でも観光交流課というのは、イベントに次ぐイベントに駆り出され、席の温まる暇もないほどである。こういう地味なことは、ついつい後回しになっていくのが世の常だ。だからこそ、市民の声として言い続けていきたい。つい先日も観光交流課に行って、直接要望してきたところである。
草を刈るなんて単純なことだが、大事なことはいつも単純だ。せっかく来てくれた人が、雑草に邪魔されずに素晴らしい風景を堪能できること。道にゴミが落ちていないこと。街が清潔であること! 結局、観光というのは美しいものに触れるためにやってくるのだから、街も自然も、美しくあらねばならない。そしてそれは観光客だけでなく、現に今ここに住んでいる私たちの生活の質をも向上させる。真の観光政策は、観光客のためだけでなく、住民の暮らしをもよくしていくものであると思う。
2016年8月27日土曜日
自転車を安全に楽しく、そしてかっこよく! 利用できる街へ
南さつま市が、旧加世田市から受け継いだ「自転車によるまちづくり」を再びてこ入れするということで、地域おこし協力隊を募集している、という記事を先日書いた。
【参考】南さつま市が「サイクルツーリズムの実現」で地域おこし協力隊を募集中
実は、その記事にコメントしてくれた方が実際に応募するということがあり、惜しくも採用にはならなかったものの、こうしてブログを通じてご縁を頂けたのはとても有り難いことである。
そういう縁もあり、サイクルツーリズムというのには未だにピンと来ていないのだが(というのは、私自身は自転車に乗って観光したことがないので)、「自転車によるまちづくり」について、しばらくいろいろ考えていた。
市役所の思惑としては、イベントなどにサイクリストたちにたくさん来てもらって、南さつま市を売り込みたい! ということにあるだろう。でも自分としては、「自転車によるまちづくり」を標榜するのであれば、まずは市内にいる自転車に頼らざるを得ない人たち、というのに注目する。つまり、中高生である。
それでいつも思っているのが、自転車通学の中学生のあのみっともないヘルメット! 旧日本軍の鉄兜か! と思うようなダサいデザインの! あれを普通の、かっこいいヘルメットに変えたらどうか、ということだ。
←南さつま市内の中学校では、こういうやつ(画像はこちらのサイトからお借りしました)を共通で使っているが、中学生自身からも大変評判が悪く、このヘルメットを被りたくないから自転車通学はしたくない、というレベルである。たぶん日本の多くの中学校で同じ現象が生じていると思う(都会ではどうなんでしょうか)。
こういう前時代的なヘルメットを使っているから、「ヘルメットはダサい→ヘルメットつけたくない→自転車も乗りたくない」となっているような気がする。中学を卒業するときに、「ようやくこのダサいヘルメットとお別れできる」とホッとした気になる子どもも多そうである。実際、高校に上がってこういうヘルメットをつけて自転車に乗っている子を見たことがない。高校になるとノーヘルが基本になっていないか。
しかし、実際には自転車に乗る上ではヘルメットは大事である。というか安全性が最優先である。こんな、つけたくもないヘルメットをつけさせて、逆教育(ヘルメットはできればつけたくないもの、ということを教えている)している場合ではない。このヘルメット、頭が蒸れるし重いし、機能性もよくない。こんな時代遅れのヘルメットを被らせるより、むしろ、中学校を卒業してもつけたくなるような格好いいヘルメットを支給するべきだ(もちろんデザインも選べるようにすべき)。
だいたい、思春期の若者に、こういうダサいものを強制的に身につけさせるというのは、大げさに言えば一種の虐待であると私は思う。(自分の娘には絶対つけさせたくない!)
というわけで、南さつま市が「自転車によるまちづくり」を掲げるのであれば、まず、自転車に頼らざるを得ない中学生が、気持ちよく自転車通学できるよう、学校指定のヘルメットを機能的でカッコイイものに変えるべきだ。そして、自転車に乗るときはヘルメットをつける方がクールである、ということを認知させるべきだ(中学校の先生自体が分かっていないような気がする)。
しかも実は、ダサい鉄兜のヘルメットと、今ドキの普通にクールなヘルメットは、(エントリーモデルなら)価格的にもほとんど変わらないし、やらない理由がない。これをやれば、「自転車によるまちづくり」が本当に実のあるものになるし、全国的にも注目されるのではなかろうか。ぜひ検討して欲しい。
それから、自分が自転車でどこかへ出かけて行く時のことを考えると、結局キモになるのは自転車の運搬である。今南さつま市がやろうとしている「サイクルツーリズム」だとこれがとても重要になるだろう。つまり、結局は車で観光地まで自転車を運んでこなくてはならず、車が拠点になる。でもそれでいいんだろうか。
私は、一度野間池まで自転車で行ってみたいなあと思っているが、行きはいいとしても帰りは疲れるからイヤである。だから自転車で行って、バスで帰って来られたら便利だ。でも、バスに自転車を乗せられるのかがよくわからない。
中学生や高校生なんかも、バスで南さつま中心部(加世田)に行くときに、自転車をバスに乗せられたら行動範囲が広がるので喜ぶと思う。
というわけで、南さつま市内を走るバス(路線バスとコミュニティバス(つわちゃんバス))は、全部自転車と一緒に乗っても構わないです! ということにしたらとてもいいと思う。全路線ほぼ利用者が低迷しているので、特に設備をいれなくてもできることだ。
ついでに言うと、路線バスもコミュニティバスも、詳細な時刻表が市のWEBサイトには掲載されているが、バス路線というのは地元住民以外にはかなりわかりにくいもので、観光にはほぼ使えないものである。こういう詳細な時刻表も、地元民でないと読み解けない。それにそもそも便数が少ないので、実際観光客が利用できるかというと怪しい。でも時々は使いたい人というのがいる。
例えば、昨年私が開催したイベント「海の見える美術館で珈琲を飲む会」に来てくれたあるお客さんは、鹿児島市内からバスで来たそうで、5時間もかかったそうである(加世田まではすぐ来られるが、そこから会場の美術館までが便数がない)。
田舎にいると「自家用車を持っている人以外は相手にしなくてよろしい」みたいな態度になりがちだが、観光をする上ではやっぱり公共の交通機関が基本だ。電車が通っていない南さつま市は、タダでさえそこに負い目があるわけだから、せめてバスくらいわかりやすく使えるようにして欲しい。
具体的には、(私も詳しくないので見当外れかもしれないが)ナビタイムのような時刻表検索サイトにコミュニティバスの時刻表をちゃんと提出し、スマホで検索できるようにするくらいのことはしたらいい。しかもそれが、先述のように自転車も積めるということだったら、これで喜ぶ人がいるんじゃないかと思う。「サイクルツーリズム」で南さつまに来るような人は、自転車で長距離を移動するのでバスなんか使わないと思うかもしれないが、自転車がパンクしたり、自分が負傷した時にはバスで帰りたくなるはずなので、やっぱり公共の交通機関を使えるという安心感は欲しいはずだ。
そもそも、公共政策である以上、たとえ観光であったとしても、ごく一部の「サイクリスト」を相手にすべきではなく、最も弱い立場にある人に裨益する形で政策を考えなければならないと私は思う。もちろん観光客向けの、打ち上げ花火的なイベントもあっていい。でも街はまずは住民のものである。住民が、自転車を安全に楽しく、そしてかっこよく! 利用できる街になることが、「自転車によるまちづくり」の目標ではないだろうか。そしてそれは結局、観光で南さつま市を訪れた「サイクリスト」の利益にもなるはずだ。
【情報】
秋に行われる南さつま市の自転車の一大イベント「ツール・ド・南さつま」が現在参加者を募集中。受付は8月31日まで。
【参考】南さつま市が「サイクルツーリズムの実現」で地域おこし協力隊を募集中
実は、その記事にコメントしてくれた方が実際に応募するということがあり、惜しくも採用にはならなかったものの、こうしてブログを通じてご縁を頂けたのはとても有り難いことである。
そういう縁もあり、サイクルツーリズムというのには未だにピンと来ていないのだが(というのは、私自身は自転車に乗って観光したことがないので)、「自転車によるまちづくり」について、しばらくいろいろ考えていた。
市役所の思惑としては、イベントなどにサイクリストたちにたくさん来てもらって、南さつま市を売り込みたい! ということにあるだろう。でも自分としては、「自転車によるまちづくり」を標榜するのであれば、まずは市内にいる自転車に頼らざるを得ない人たち、というのに注目する。つまり、中高生である。
それでいつも思っているのが、自転車通学の中学生のあのみっともないヘルメット! 旧日本軍の鉄兜か! と思うようなダサいデザインの! あれを普通の、かっこいいヘルメットに変えたらどうか、ということだ。
←南さつま市内の中学校では、こういうやつ(画像はこちらのサイトからお借りしました)を共通で使っているが、中学生自身からも大変評判が悪く、このヘルメットを被りたくないから自転車通学はしたくない、というレベルである。たぶん日本の多くの中学校で同じ現象が生じていると思う(都会ではどうなんでしょうか)。
こういう前時代的なヘルメットを使っているから、「ヘルメットはダサい→ヘルメットつけたくない→自転車も乗りたくない」となっているような気がする。中学を卒業するときに、「ようやくこのダサいヘルメットとお別れできる」とホッとした気になる子どもも多そうである。実際、高校に上がってこういうヘルメットをつけて自転車に乗っている子を見たことがない。高校になるとノーヘルが基本になっていないか。
しかし、実際には自転車に乗る上ではヘルメットは大事である。というか安全性が最優先である。こんな、つけたくもないヘルメットをつけさせて、逆教育(ヘルメットはできればつけたくないもの、ということを教えている)している場合ではない。このヘルメット、頭が蒸れるし重いし、機能性もよくない。こんな時代遅れのヘルメットを被らせるより、むしろ、中学校を卒業してもつけたくなるような格好いいヘルメットを支給するべきだ(もちろんデザインも選べるようにすべき)。
だいたい、思春期の若者に、こういうダサいものを強制的に身につけさせるというのは、大げさに言えば一種の虐待であると私は思う。(自分の娘には絶対つけさせたくない!)
というわけで、南さつま市が「自転車によるまちづくり」を掲げるのであれば、まず、自転車に頼らざるを得ない中学生が、気持ちよく自転車通学できるよう、学校指定のヘルメットを機能的でカッコイイものに変えるべきだ。そして、自転車に乗るときはヘルメットをつける方がクールである、ということを認知させるべきだ(中学校の先生自体が分かっていないような気がする)。
しかも実は、ダサい鉄兜のヘルメットと、今ドキの普通にクールなヘルメットは、(エントリーモデルなら)価格的にもほとんど変わらないし、やらない理由がない。これをやれば、「自転車によるまちづくり」が本当に実のあるものになるし、全国的にも注目されるのではなかろうか。ぜひ検討して欲しい。
それから、自分が自転車でどこかへ出かけて行く時のことを考えると、結局キモになるのは自転車の運搬である。今南さつま市がやろうとしている「サイクルツーリズム」だとこれがとても重要になるだろう。つまり、結局は車で観光地まで自転車を運んでこなくてはならず、車が拠点になる。でもそれでいいんだろうか。
私は、一度野間池まで自転車で行ってみたいなあと思っているが、行きはいいとしても帰りは疲れるからイヤである。だから自転車で行って、バスで帰って来られたら便利だ。でも、バスに自転車を乗せられるのかがよくわからない。
中学生や高校生なんかも、バスで南さつま中心部(加世田)に行くときに、自転車をバスに乗せられたら行動範囲が広がるので喜ぶと思う。
というわけで、南さつま市内を走るバス(路線バスとコミュニティバス(つわちゃんバス))は、全部自転車と一緒に乗っても構わないです! ということにしたらとてもいいと思う。全路線ほぼ利用者が低迷しているので、特に設備をいれなくてもできることだ。
ついでに言うと、路線バスもコミュニティバスも、詳細な時刻表が市のWEBサイトには掲載されているが、バス路線というのは地元住民以外にはかなりわかりにくいもので、観光にはほぼ使えないものである。こういう詳細な時刻表も、地元民でないと読み解けない。それにそもそも便数が少ないので、実際観光客が利用できるかというと怪しい。でも時々は使いたい人というのがいる。
例えば、昨年私が開催したイベント「海の見える美術館で珈琲を飲む会」に来てくれたあるお客さんは、鹿児島市内からバスで来たそうで、5時間もかかったそうである(加世田まではすぐ来られるが、そこから会場の美術館までが便数がない)。
田舎にいると「自家用車を持っている人以外は相手にしなくてよろしい」みたいな態度になりがちだが、観光をする上ではやっぱり公共の交通機関が基本だ。電車が通っていない南さつま市は、タダでさえそこに負い目があるわけだから、せめてバスくらいわかりやすく使えるようにして欲しい。
具体的には、(私も詳しくないので見当外れかもしれないが)ナビタイムのような時刻表検索サイトにコミュニティバスの時刻表をちゃんと提出し、スマホで検索できるようにするくらいのことはしたらいい。しかもそれが、先述のように自転車も積めるということだったら、これで喜ぶ人がいるんじゃないかと思う。「サイクルツーリズム」で南さつまに来るような人は、自転車で長距離を移動するのでバスなんか使わないと思うかもしれないが、自転車がパンクしたり、自分が負傷した時にはバスで帰りたくなるはずなので、やっぱり公共の交通機関を使えるという安心感は欲しいはずだ。
そもそも、公共政策である以上、たとえ観光であったとしても、ごく一部の「サイクリスト」を相手にすべきではなく、最も弱い立場にある人に裨益する形で政策を考えなければならないと私は思う。もちろん観光客向けの、打ち上げ花火的なイベントもあっていい。でも街はまずは住民のものである。住民が、自転車を安全に楽しく、そしてかっこよく! 利用できる街になることが、「自転車によるまちづくり」の目標ではないだろうか。そしてそれは結局、観光で南さつま市を訪れた「サイクリスト」の利益にもなるはずだ。
【情報】
秋に行われる南さつま市の自転車の一大イベント「ツール・ド・南さつま」が現在参加者を募集中。受付は8月31日まで。
2016年8月20日土曜日
マングローブふたたび
7月に行われた「大浦 ”ZIRA ZIRA" FES 2016」では、昨年に引き続きポスターとタオルのデザインを担当させてもらったのだが、実は、隠れた(?)オフィシャルグッズとしてサンダルがあり、そのデザインも担当した。
このサンダル、あんまり広くお知らせしなかったようで、購入したのはほぼ関係者のみだったみたいだ。別に広報に手を抜いたわけではなくて、元々関係者グッズの位置づけだったみたいである。
でも、これは原価が高いだけあって結構丈夫で、履き心地もよく、(デザインのことはともかくとして、)よいノベルティグッズになったように思う。
ところで、私がここにドギツいピンクのベースでデザインしたのは、大浦のマングローブ、メヒルギ群落である。メヒルギというのは、マングローブ(汽水域に成立する森林の総称)を構成する代表的な樹種だ。
大浦には、このメヒルギの群落が河口付近に何カ所かあり、これは世界的に見てマングロブ自生の北限なのかもしれない。鹿児島では、喜入(きいれ)というところにあるメヒルギ群落が国の天然記念物になっているが、喜入の群落はどうやら人工的なものであり、大浦の方は自生の可能性が非常に高い。サンダルには思い切って「the northernmost wild mangrove in the world=世界最北端の自生マングローブ」の文字を入れてみた。
【参考】大浦町には、世界最北限のマングローブ自生地があります
というわけで、大浦町はかつてこのメヒルギを町の宝(たぶん、今の言葉でいえば「地域資源」)として、いろいろな場面であしらっていた。例えば、随分古い話で申し訳ないが、1960年代くらいに大浦町には市民文芸誌があって、その題名が「めひるぎ」だった、といったようなものである。
もちろん、保護の活動もやられていて、枯れそうになったら心配して増殖したりといったことをしていた。護岸工事や干拓のためにメヒルギ群落が破壊されるということもあったようだが、そのたびに移植して保全するという活動もわき起こったそうだ。
だが、いつの頃からかメヒルギはさして注目を浴びなくなり、保護らしい活動もされなくなった。おそらく、喜入の方に特別天然記念物のメヒルギがあるため、それに比べると行政的に打ち出しづらいものであることや、メヒルギを見に来る観光客なども想定されなかったためではないかと思う。一応、「市」の天然記念物になっているので、完全に忘れられているというわけではないと思うものの、南さつま市内にこれに関心がある人はごく僅かだろう。
私が、サンダルにメヒルギをあしらったのは、もう一度、この忘れられている存在に注目してもいいんじゃないかと思ったからである。今、蛭子島(えびす島)というところにあるメヒルギの群落は、ゴミが散乱して雰囲気も悪く、外から来た人にはとてもじゃないが案内できない。ここがもう一度きれいになり、誇るべき風景が甦って欲しいと密かに希望する。
…と思っていたら、「鹿児島&沖縄マングローブ探検」というWEBサイトで、大浦のマングローブがしっかり紹介されているではないか。
【参考】 鹿児島&沖縄マングローブ探検|鹿児島
しかも、大浦川、越路川、榊川、蛭子島と、ちゃんと4箇所のメヒルギが地図と写真つきで公開されている。地元なのに越路川のメヒルギは知らなかったので今後見に行ってみたい。
実はこのサイト、自力で見つけたのではなくて、私が大浦町のメヒルギについてブログで紹介しているのを読んで、運営組織(マングローバル)の代表の方が、わざわざ電話してきて教えてくれたのである。この組織は沖縄にあるが、ちゃんと大浦まで調査に来て写真や地図をまとめており、その熱意には頭が下がるばかりである。
でも、こうした地域にある珍奇なものは、まずは地域住民が大切にしないかぎりそれが活かされることはない。活きるといっても、もちろんそれで観光客がたくさん来るとか、関連グッズが売れるとか、そういうことは考えられない。でも、町の象徴、町の顔、というようなものは住民のアイデンティティの形成などに意外に大きな影響を及ぼしていて、最近の大浦町でいうとそういう存在に「くじら」があるが、こうしたものは心の奥底で人々を結わえ付けるような力を持っているから侮れない。
大浦には「くじら」だけでなく、「亀ヶ丘」「磯間岳」「干拓」など他にもいろいろな象徴があり、あえてそこに「メヒルギ」を追加しなければならない必然性はない。しかしその南国的なムードや、外から見た時の価値のわかりやすさなどから、私としては「メヒルギ」には可能性があるんじゃないかと思っている。
というわけで、「メヒルギ」が、古くて新しい、大浦の象徴的な植物として再び注目される日を期待して、このサンダルを履いているこの夏である。
このサンダル、あんまり広くお知らせしなかったようで、購入したのはほぼ関係者のみだったみたいだ。別に広報に手を抜いたわけではなくて、元々関係者グッズの位置づけだったみたいである。
でも、これは原価が高いだけあって結構丈夫で、履き心地もよく、(デザインのことはともかくとして、)よいノベルティグッズになったように思う。
ところで、私がここにドギツいピンクのベースでデザインしたのは、大浦のマングローブ、メヒルギ群落である。メヒルギというのは、マングローブ(汽水域に成立する森林の総称)を構成する代表的な樹種だ。
大浦には、このメヒルギの群落が河口付近に何カ所かあり、これは世界的に見てマングロブ自生の北限なのかもしれない。鹿児島では、喜入(きいれ)というところにあるメヒルギ群落が国の天然記念物になっているが、喜入の群落はどうやら人工的なものであり、大浦の方は自生の可能性が非常に高い。サンダルには思い切って「the northernmost wild mangrove in the world=世界最北端の自生マングローブ」の文字を入れてみた。
【参考】大浦町には、世界最北限のマングローブ自生地があります
というわけで、大浦町はかつてこのメヒルギを町の宝(たぶん、今の言葉でいえば「地域資源」)として、いろいろな場面であしらっていた。例えば、随分古い話で申し訳ないが、1960年代くらいに大浦町には市民文芸誌があって、その題名が「めひるぎ」だった、といったようなものである。
もちろん、保護の活動もやられていて、枯れそうになったら心配して増殖したりといったことをしていた。護岸工事や干拓のためにメヒルギ群落が破壊されるということもあったようだが、そのたびに移植して保全するという活動もわき起こったそうだ。
だが、いつの頃からかメヒルギはさして注目を浴びなくなり、保護らしい活動もされなくなった。おそらく、喜入の方に特別天然記念物のメヒルギがあるため、それに比べると行政的に打ち出しづらいものであることや、メヒルギを見に来る観光客なども想定されなかったためではないかと思う。一応、「市」の天然記念物になっているので、完全に忘れられているというわけではないと思うものの、南さつま市内にこれに関心がある人はごく僅かだろう。
私が、サンダルにメヒルギをあしらったのは、もう一度、この忘れられている存在に注目してもいいんじゃないかと思ったからである。今、蛭子島(えびす島)というところにあるメヒルギの群落は、ゴミが散乱して雰囲気も悪く、外から来た人にはとてもじゃないが案内できない。ここがもう一度きれいになり、誇るべき風景が甦って欲しいと密かに希望する。
…と思っていたら、「鹿児島&沖縄マングローブ探検」というWEBサイトで、大浦のマングローブがしっかり紹介されているではないか。
【参考】 鹿児島&沖縄マングローブ探検|鹿児島
しかも、大浦川、越路川、榊川、蛭子島と、ちゃんと4箇所のメヒルギが地図と写真つきで公開されている。地元なのに越路川のメヒルギは知らなかったので今後見に行ってみたい。
実はこのサイト、自力で見つけたのではなくて、私が大浦町のメヒルギについてブログで紹介しているのを読んで、運営組織(マングローバル)の代表の方が、わざわざ電話してきて教えてくれたのである。この組織は沖縄にあるが、ちゃんと大浦まで調査に来て写真や地図をまとめており、その熱意には頭が下がるばかりである。
でも、こうした地域にある珍奇なものは、まずは地域住民が大切にしないかぎりそれが活かされることはない。活きるといっても、もちろんそれで観光客がたくさん来るとか、関連グッズが売れるとか、そういうことは考えられない。でも、町の象徴、町の顔、というようなものは住民のアイデンティティの形成などに意外に大きな影響を及ぼしていて、最近の大浦町でいうとそういう存在に「くじら」があるが、こうしたものは心の奥底で人々を結わえ付けるような力を持っているから侮れない。
大浦には「くじら」だけでなく、「亀ヶ丘」「磯間岳」「干拓」など他にもいろいろな象徴があり、あえてそこに「メヒルギ」を追加しなければならない必然性はない。しかしその南国的なムードや、外から見た時の価値のわかりやすさなどから、私としては「メヒルギ」には可能性があるんじゃないかと思っている。
というわけで、「メヒルギ」が、古くて新しい、大浦の象徴的な植物として再び注目される日を期待して、このサンダルを履いているこの夏である。
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